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古代の福岡を歩くシーズン4 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン4
この番組は 福津市の企画協賛
道の駅村方 福岡県商工会連合会
餃子の山鉢の提供でお送りいたします 道の駅村方営業部長の久藤です
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こんにちは坂田周大です 古代の福岡を歩くシーズン4が始まりました
今日はこの時間に放送していますがこれはナイター中継のためです レギュラーの時間は土曜日の夜8時からです
この番組も4年目シーズン4に入りました 今回は名の国名国から始めます
名国にありますのが中川市です 10月1日から中川町から中川市になりました
そこで今回はお祝いを兼ねて中川市からスタートします まず訪ねたのが荒人神社です
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日本各地にはたくさんの住吉神社がありますが 荒人神社がその発祥の地だと言われます
住吉の神と関係の深いここがなぜ住吉神社ではなく荒人神社なのか そのあたりの謎を解いていきましょう
ご案内は歴史ガイドボランティア中川の 白雄三重子さんです
荒人神社に来ました 荒人神社鳥居の前ですね鳥居の前が今ちょっと
茶色く舗装されておりまして その長さがそうですね
50メートル100メートル150メートルぐらいありますかね そういうところに来ております
ここであれですねあの10月に 秋祭秋祭
というのがあるんですね はいそうです毎年ですね10月の第3日曜日に秋の大祭って いうことでおくんちっていうのがあるんですね
で今年は10月の21日に行われますけれども まあ12時半ぐらいから子ども相撲が始まり
3時半からここのちょっと色が変わった細いところ 矢草目といいまして
狩小族を着た若武者がですね馬にまたがって弓矢を放っていくんですけれども ここの長さにですね弓の的が3箇所設けられます
だいたい長さ150メートルぐらいですか 150メートルぐらいありますからね
ここに3箇所的が立てられそうなんです その的っていうのがアジロ編みをした
だいたい1辺が50センチぐらいの四角い的なんですけれども そこに株ライアがバンバンバンと当たってそれを3回繰り返され
3回繰り返すんですね はいだから9回的に当たるって言うとなるんですけれども当たった的はもちろん
壊れます その壊れた的というものを役員の方が集められて参拝に来られた方たちにお配りになられるわけなんですね
これは薄い杉の板のようなものなんですけれども これを持つと役払いになるというか
そういうことで皆さん喜んで持って帰られてあります それはお持ちなんですね 持っておりますよ
杉の板をお持ちだということで杉の板の真ん中に 三戸萌えの門が
衆院で記されております 板の長さが25センチぐらいかな
小さくなってるんですね
幅が5、6センチ
これが役除けということですね そうですねそういうお守りになるみたいですね
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ちゃんとしろうじさんはお持ちでお守りを持っております ということで10月の21日に
秋祭りがここで行われるということでやぶさめがあるということで ぜひ来ていただければと思いますね
そしてこの鳥居を見ますとこの鳥居もかなり古い 石の鳥居ですね
この鳥居の方は聖徳四年ですから1714年に 奉納された鳥居です
この中川市で一番大きくて有形文化財に指定されている鳥居でもあるわけなんですね
そうなんですね ここ荒人神社というふうに額がありますけれども
もともとこの荒人神社というのは境内ももっともっと広かったわけなんです
平安時代は神館が30人もいたっていうぐらいだからかなり大きな神社さんというか
すごいですね30人いらっしゃったということはね
ところがですね悲しい歴史がございまして戦国時代末期 その当時九州は
佐賀の流蔵寺 大分の大友総理そして薩摩の始末
この3つの三大勢力が三つの萌えで争っていた時期であるわけなんです
まず佐賀の流蔵寺が始末に潰されました その後大友総理と始末が篠木を削るわけなんですけれども
この中という地域なんですけれども
ここは太宰府にあります岩屋城の高橋上雲というも本当ギリに厚い素晴らしい猛将ということがね
いまだに伝えられていますけれどもその方の領地であったわけなんですね
ああそうですか
高橋の領地
そうなんです
高橋上雲は大友総理の配下でありますから
ここのところ始末勢が大群で攻め寄せてきたわけなんですね
神官たちは勇武をかかんに自分たちの主である高橋上雲のためにということで
死をも問わず戦ったわけなんですけれども相手は大勢です
津波のように押しかけてきてはそれをまた押し返す
でもまた津波のように押し寄せてくる
そういうことで神官たちはみんな亡くなってしまったわけなんですね
この周辺にもその時神官だけではなくその両民たちも始末勢の殺戮に遭いまして
中森の塚というのがちょっと50メートルほど西の方にございます
そして墨焼というところに墨焼地蔵また矢部地蔵
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その時に亡くなられた方たちを祀っている塚
そういうものがあるわけですね
塚ですね
そしてその時にこの本殿なんかも全部焼かれたんですか
そうです全て焼かれたわけなんですね
だからその神社が持っていました宝であり演技所でありそういうものが全てなくなってしまったもので
本当はこの荒人神社というのは深い深い立派な歴史があるにもかかわらず
それがなくなってしまったわけなんですね
まあ歴史が消えてしまったということですね
そうですただその時にですね
ここの宮司さんでありました崎警部の長男松千代っていう男の子
崎松千代さん
そうですね7歳のお子さんだったんですけれども
柴津勢に生け取りにされまして連れて行かれるわけなんです
だからここの宇治子さんたちがこの嵐と大明神の大切な後継ぎであるから返してくださいと言って
ずっと泣きながらついていてそれを哀れに思ったかどうかそれは定かではないんですけれども
熊本話によると天草のところまでやっと返してもらったということですね
その松千代さんから今の宮司さんというのは21代目になりますね
21代目
はいそうですでまた近々お孫さんにもうその監主さんのまあそれを譲られるということで
お孫さんは22代目になられる予定でありますね
柴木松千代さんから22代目
はいそうですね
そういう神社ですね
そしてその鳥居をくぐりまして本殿の方に歩いていきます
右側に石で作った水谷がありますね
そしてそのすぐ横に看板が出ております
ちょっと看板を読んでみましょう
あらひと神社楽師というのがありまして
御祭神が住吉三神
そこを筒を飲み事中筒を飲み事上筒を飲み事という風に書いてありまして
御祝い書がありますけども
ずいぶんなんか古そうな感じがしますね
そうですね
今おっしゃられました
住吉三神と言われる3人の神様なんですけれども
この3人の神様は
それこそ神代の時代になるんですけれども
イザナギという男の神様と
イザナミという女の神様がいらっしゃいました
2人は結婚して島を生んだり
いろいろな神様を葬りになったわけなんですね
ところが火の神様を葬りになった時に
イザナミは体に大火傷を負って
それが元で亡くなってしまわれたわけなんです
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亡くなられて悲しんだイザナギは
黄泉の国まで迎えに行こうと決めて
奥さんを追って黄泉の国まで行かれた
そこで見た奥さんというのは
もう体は朽ち果てて
それはもううちが湧いた
そういう状態であったわけで
あわててこの家に逃げ返ってきたわけなんですね
そこでイザナギは体を清めようと思いまして
畜死の火向かいの橘の小戸の淡木原というところで
水なんですけれども
下の方の水をすくって
生まれた神様がそこつつのお飲み子と
中の方の水をすくって体を清めた時に
生まれた神様が中つつお飲み子と
そして上の方の水で体を清めて生まれた時が
上つつのお飲み子とという
三人の神様が生まれたわけなんですね
この三人の神様は
住吉三神という風にいわれる神様で
あられるんですけれども
どうしてここが住吉神社ではなくて
荒人神社と呼ばれるんだろう
というところがあるんですけれども
これは神宮皇后伝説というものが
絡んでまいりまして
この神宮皇后というのは
十四代目の忠愛天皇の
お妃様であられるわけなんですね
今の平成天皇は
百二十五代目の天皇様であられます
過去を見てみますと
お名前に神という字が付いているのは
初代の神武天皇
十代目の巣神天皇
そして十五代目のこの方は
神宮皇后の子供さんである
応神天皇
この三人だけ
神宮皇后という子のお名前は
亡くなった後に
後世の人が付けられるお名前であって
神のような功績を残した皇后様
そういう意味合いがあるわけなんですね
どうしてそのようなお名前を
この神宮皇后は
大陸遠征に行かれます
その時に普段神様は
姿を現さないものなんですけれども
いつも姿を現して神宮皇后をお守りした
そのことに痛く関心なされて
あなたはこれから
アラシト大明神と名乗るとよろしいでしょう
と言われるわけなんですね
無事、凱旋して戻ってまいります
カスヤ群のお山田の祝いの宮に
そこで天の神、地の神に祈りをあげ
あの時私を助けてくれた
アラシト大明神は今どこにいらっしゃいますか
とお尋ねになったわけなんですね
お山田の祝いの宮
カスヤ群の久山町の山田小学校とありますけれども
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それの横にすがすがしい
いつも片付いているきれいな神社があるんですね
そこのようですね
そこで神様のお告げがあって
こちらの方に来られて
恩を返す意味もあって
神の田を作ることをご決心されたわけなんです
そこで中川という川
川の水を止める入れを作りまして
そこから出水して
作田のうなでという
これは田んぼには水が必要ですよね
水を引くための古代用水路
それを作られたという風に
こちらの方に書かれているわけなんですけれども
アラヒト神社の名前は
神宮皇后が朝鮮に出兵した時
住吉の神が現れて神宮皇后を
助けたところに由来するということでした
そしてもう一つ
その時に作ったのが水と白
神の田でこれを作るために
作田のうなでという用水路を作ったということでした
この作田のうなでというのは
酒る田の水と書き
作田のうなでと言います
この作田のうなでのことは
日本書紀に記載されています
そして作田のうなでという名前の由来ですが
神宮皇后が中川から水を引いて
用水路を作らせた時
途中大きな岩で工事が止まります
そこで神宮皇后が
とどろきの丘で神に祈ったところ
岩が裂けたということからついたと
日本書紀には記載されています
この作田のうなでは現在もきちんと残っていて
田んぼに水を引いたり
生活用水として使われています
荒人神社の話を続けます
お話を歴史ガイドボランティア中川の
城津美恵子さんに伺っています
それからですね
江戸時代に国学者に青柳種信という方が
いらっしゃるわけなんですね
非常に優秀な方でありまして
江戸の国が4大国学者の一人で
元折信長その方も幕府の方に
推挙されるぐらい有能な方だった
実際に幕府に召し掛けられることは
身分が低かったからなかったんですけれども
井戸忠敬といって
日本地図を作られた方もありますよね
その方も竹前の国に来られた時には
青柳種信がご案内して
非常に博学の方だったということも
記録に残っているわけなんですけれども
その方はこの中川に
竹志の秘向の橘の小戸の淡木原はあると
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言っているわけなんです
竹前国植不読の方に書かれているわけなんですね
と言いますのが
昔は九州を竹志の国と言ってましたよね
この秘向
この中川市というところは
南・西・北と山に囲まれて
東に向かって開けているわけなんですね
秘向
橘なんですけれども
中川市役所と岩戸小学校の間
これは中川沿いなんですけれども
橘木という地名があります
元は橘という地名だったわけなんですね
すぐ近くなんですけれども
そして小戸というのは地形を表しまして
淡木原
淡木という植物がたくさん茂っているところ
という風には書いているんですけれども
そんな感じで
ここでみそぎ払いをしたんだということを書いて
すると住吉山神がここに祀られていると
つながりますよね
なるほど
住吉神社というのは
日本国中には2000余りあるんですけれども
それの元々の祖はここだった
という風に考えられまして
この嵐戸神社が上宮
長野住吉神社が中宮
そして博多の住吉神社が下宮
という風に考えられますね
そして博多の住吉神社
もともとはああいう立派な拝殿ではなくて
一歩の大きな松を
御神木として祀ってあったそうです
そして
博多の住吉神社なんですけれども
博多という字は今は日曜日の日に
佐賀県の佐という風に書くんですけれども
もともと日曜日の日ではなく
いわくものを言う意味合いの字を
書いていたわけなんです
なぜかと言いますと
そこには昔通訳の人たちの村があった
神尾佐というところには
くだらの通訳の方たちが住んでいて
下尾佐には漢の人たちの通訳の人たちが
住んでいたという風に
神尾佐にくだらの人
下尾佐に漢の人が住んでいた
そうですね
平成12年に都市高速道路の
外環状線道路を作るにあたりまして
発掘調査が行われました
するとそこからは
6000年も昔からの遺物が出てきたということで
古代から
それこそ尾佐の辺まで海岸線が来ていて
大陸から渡ってきた人たちが
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尾佐辺りに
そこで通訳がいるということですね
そこが大陸から渡ってきた人たちの
応接の場であったんじゃなかろうか
ということを考えられるわけですね
この荒人神社だけでも
随分と深い歴史があるということが
よくわかりましたですね
それでは本殿の方にお参りに行きます
それでは本殿の方に
これは稲穂ですか
二重台
逆さにして祀ってありますね
やはり五穀豊穣というものを願ってあるんじゃないか
と思われますね
主祭神は住吉三神であられますけれども
後のように神宮皇后
しなつ彦の大御子
これは風の神様ですね
安徳天皇もこちらの拝殿の方で
お祭りされるようになったということですね
安徳天皇は安徳台というね
安徳天皇ゆかりの
大地がありますけどね
その関係でしょうかね
神宮皇后も先ほど出てきました
歴史にちなんで祀ってあるんでしょうね
荒人神社でした
次回も中川市を歩きます
次回は今日出てきました神宮皇后が神に祈った場所
とどろきの丘というところですが
ここは現在安徳台という場所になっています
お話を歴史ガイドボランティア中川の
城津美恵子さんに伺いました
ここで古代の福岡リポーターの
中島リエさんですこんにちは
こんにちは今日は明日行われます
福津の古墳秋祭り
ご紹介しようと思います
世界遺産登録1周年を記念して行われるということなんですが
明日の10時から4時まで
場所はもちろん新晴野山古墳場なんですよ
今回は場所を国道495号線沿い
25墳広場という名前がついてるんですね
ここで行うそうなんですが
さあどんなお祭りになるのか
福津の古墳祭り実行委員会代表で
福津の古墳のところで古墳場所を運営しています
フォースプランの代表増田美咲子さんに
どんな思いでお祭りをするのか聞きました
古墳群を会場に祭りをすることによって
古墳そのものを皆さんに知ってもらいたいという
思いがあります
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古代1500年くらい前に作られた古墳群の背景に
昔の人はこんな格好をしていたとか
こんな風な食事をしていただろうとか
こんな風な馬と触れ合っていただろうとか
そういったことを体験してもらったり
そういう風なことを趣旨にして祭りをやっていこうと思っています
今回テーマが古墳を作ろう
古墳を作ろう
これどういうことなんでしょう
作り方がちょっとびっくりしました
一番びっくりポイントはここ
市の文化財科さんの協力を得て
保存している本物の古墳の石室の石というのがあるんですね
たくさんあります
これを使わせてもらって
スケールはもちろん小さなものなんですけれども
昔の古墳の中の石室はどういう風に作っていたのかということを
いろんな資料を見ながら文化財科さんの指導を仰ぎながら
昔のやり方で石積みの部屋の一部を作ってみようという
石室を作ろうというのが今回のメインテーマの一つでもあります
これどのくらいの大きさのものを作ろうというんですかね
60センチ×1メートルくらいの床面を作って
壁の高さ60センチくらいまでは積んでいくそうなんですね
もちろん一般の私たちは参加できませんので
文化財の担当の方とそれから実行委員会のスタッフが
作るのを横から見ていて
こう積むわけねというのを見ながら楽しめる感じになります
他にも古墳っぽいものを作るという意味で
古墳型のこけ玉を作ったりとか
古墳の絆行をして紙袋に
マイ紙袋を作ってみるとか
増田さん手作りの古墳パズルなんていうのもあるんです
なかなか難しかったんですが
食いしん坊の人にはアスカ汁というのがあるそうで
古墳時代の次アスカ時代には
牛乳を使っていたらしいんですね
なので古代気分を味わえるように
牛乳と鶏ガラスープとお味噌で味付けした
優しい感じの和風スープ
こういったものも購入することができるんですね
あとやっぱり驚きポイントとしては
今発掘調査をやっていますと15号分の
現地説明会が行われるんですよ
まさに今どういう調査があっているのか
これを見るチャンスですのでこれは2時からとなっております
さらにボランティアガイドさんが
いろいろと会場内を紹介してくれるんですけど
ポイントとしては21号分っていって
いつもフェンスで囲われている大きな塩墳があるんですが
ここ塩墳のてっぺんに共同墓地を作って
その頃の鎌倉時代の板火
大きな板の石碑があるんですね
いつもそばまで寄れないんですが近くまで行って
すごいボランティアガイドさんのお話が聞けるので
これはなかなかチェックできます
あと気になる松田さんがいつも運行しています
古墳の馬車なんですが今回は古墳ぐるり馬車ということで
27:00
会場内の小さい塩墳の周りを一周する
ミニ馬車体験にしてくれているんですね
10分ほどで1席500円で体験できますので
いつもよりも小さいサイズですが
馬車に乗って古墳を回るというのも楽しいかもしれません
10月7日、明日日曜日の10時から4時まで
新晴野山古墳群で
復屈の古墳秋祭りが行われますので
遊びたい人も勉強したい人もぜひお出かけください
中島理恵さんでした
番組からのお知らせです
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