1. 古代の福岡を歩く
  2. S5 5回目はこれから登場する..
2019-11-01 30:30

S5 5回目はこれから登場する3人の人物のプロフィールです。

今回はこれから番組に登場する主な人物のプロフィールを紹介していきます。

神功皇后、仲哀天皇、武内宿禰の3人です。3人はいずれも福岡と大変つながりの深い人物です。

神功皇后は仲哀天皇のお后で息長帯日売の命(おきながたらしひめのみこと)といいます。

この名前から推定して、海中に潜って漁をする海人族と関係があるという。

息長氏はもともと琵琶湖の南東を拠点とした海人族だったという。

母は葛城の高額比売で、新羅王子の子、天の日矛の5世の孫だとか。

神功皇后は夫の仲哀天皇と熊襲を討伐するため香椎を拠点に活躍します。

武内宿禰は二人につかえた人物。仲哀天皇は途中亡くなりますが、神功皇后と武内宿禰は福岡県内をぐるりと回り。新羅へ遠征したりします。

この3人のプロフィールを神功皇后研究の第一人者、河村哲夫さんが詳しく紹介します。
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00:08
古代の福岡を歩くシーズン5 遥かな昔
海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。 その足跡を尋ねる
古代の福岡を歩くシーズン5 この番組は
宮間市の企画協賛 道の駅村方
餃子のヤマハチの提供でお送りいたします 道の駅村方営業部長の古代です
村方の新鮮な海の幸山の幸がたっぷりです いつも旬のものをお届けします世界遺産
神宿島村方お城島と関連産群を私たちの手で守っていきましょう
ヤマハチ ヤマハチ ヤマハチの餃子のヤマハチです
新鮮な食材を使って心を込めて丁寧に包みます 世界遺産神宿島村方お城島と関連産群を私たちの手で守っていきましょう
おはようございます坂田周大です 今週は古代の福岡を歩くにこれからしばしば登場します3人の
登場人物のおおよその人物像をお届けいたします その3人は神宮皇后と夫の忠愛天皇
そして2人に使える竹の内のスクネです なぜなら3人とも福岡と大変つながりの深い人物だからです
お話を神宮皇后研究の第一人者で神宮皇后の謎を解くの著者 河村哲夫さんに伺っていきます
神宮皇后神宮皇后は沖永たらし姫 そうですねはい沖永たらし姫の沖永っていうのは息が長いと書きますね
それでこれはひょっとするとその潜る方の天族の方から
来たかなぁと自分の勝手な推測ですけどもと思うんですが どんな感じですか
可能性としては高いと思います あの沖永一族のですねあの拠点はですね
琵琶湖の南西という南東と言いますか 坂田群なんですよ
03:01
そこはですね琵琶湖の海人族の拠点なんですよ
琵琶湖はやっぱり昔大きな海みたいなもんですから 大海というぐらいですからね
そこで海人族天族がですね活躍しておったんですよ そこを取り仕組むのが沖永一族なんです
ですからあの沖永氏というのはそのなんて言いますかね 一説によりますと言われます通り
天さんが非常に息の長いそのなんて言いますかね 天の習慣を持っておったと
から来てるんだという説も実はあるんですよ
ですから神宮公は実はですね海に潜ったりするの大好きなんですよ 魚を釣ったり
多分ですから琵琶湖の鳥で生まれ育ったんじゃないでしょうかね そういう感じでございます
ああそうですか じゃあ当たらずとも遠くはなかったかなり
いややっぱ図星かもしれません
なんかそんな感じがしたんですよね
海の香りのする女性ですよね 朝鮮半島にも海を越えてきますしね
あるいは唐津の多摩島ではアユを捕ったりして喜んだりしますからね
魚とか釣りとか潜ってなんて言いますかね 万寿漢字の石を取るとかですね
あれも天山さんの習慣ですよね潜って捕るですから
ですからそういう習慣を持っておったんじゃないでしょうかね
だから割とおてんばなそういうタイプの女性かなと思っても野生意味あふれた
そういう気もします
びっくりしました図星でございます
そう考えると面白いですよね
この方なんですけどもいつ頃の人なんですか
これはですねなかなか難しいんですけどもご承知のように
神武天皇は日本初期では紀元前660年に即位されたと
1月1日ですね紀元前660年と言いますと縄文時代なんですね
それがですね西日本一帯日本列島を統一できるかという問題点がありましてね
ですから日本初期が中国の小読みを真似をしてですね
年代をつけていったんですけども
ちょっとこれは間違ってる可能性が高いと思いますね
ただし日本初期の年代に従いますとね
神武天皇は西暦の170年に生まれてそして269年に亡くなっていると
去年100歳ですからちょうど卑弥呼の時代の重なる年代論を設定しているんですよ
日本初期の編集者は
そうですか日本初期が
ただし100歳ですよ去年100
こんなことは当時あり得ないと思うんですよね
ですからやっぱりこの年代論の設定の仕方については
どうも日本初期はチョンボしているという感じでございまして
これを不正しようということで
ご承知の通り安本美天先生が統計的年代論というのを出しましたよね
これは生存している実際わかる天皇の罪を確認伸ばしたらどうなるかという
06:04
統計的な手法でされたんですが
人工知能がやっても同じ結果になると思うんですけども
だいたいそれで言いますと西暦の390年から410年ぐらいの人だろうと言われます
ですから4世紀の末5世紀の初め
白着も建国されくだらも建国され
その時期にちょうど合うのかなという感じもしてますけどね
だいたい390年から410年ぐらいというのを少し頭の中に
置いた方がいいかなと思いますね
ちょっと日本式な年代では古すぎます
神宮皇后どうも卑弥呼と感じがしている気配がありますよね
なるほど
お父さんはやっぱり沖長
沖長のスクネの大君
スクネは役職ですから河童なんですから
沖長はスクネ沖長氏ですね
お母さんが
お母さんは桂木のタカヌカ姫
桂木のタカヌカ姫
桂木地方と言いますと奈良の二条山と言いますか
山手の方に近い場所ですね
桂木地方ございますけども
そこに住んでおられたと思いますね
この方があれですか白着の子供さん
そうなんですよ白着の王子の
雨の日暮子という末裔なんです
日暮子の末裔
絵図が残ってるんですよ
神宮皇后の血の中にですね
何分の一かは白着の王子の血が混じっていると
こう言えるかと思いますね
お父さんの沖長氏はですね
第九代の開花天皇
開花天皇
の四代後の人ですね
ああそうですか
天皇家に一応つながる人ではありますね
神宮皇后は
お父さんの経緯では
このお母さんの絵図の方ですね
雨の日暮子の何世か後の孫ということですけども
白着についての情報というのは
この方こういうわけで知ってたのかなというのが
可能性高いと思いますね
人脈を通じて
やっぱり雨の日暮子が一人で来たんじゃなくて
やっぱりいつ来ろうと
連れてきたんでしょうから
その末裔もいたと思いますし
あるいは白着当たりと情報交換を
やっている人もいたかもしれませんからね
ある程度はやっぱり
地外天皇あるいは神宮皇后のところに
白着の情勢がもたらせておったということは
あり得ると思いますね
神宮皇后が白着との戦いに出かけていくと
これはその事実である
とすると根拠としては他にどういうことが
一つはですね
やっぱり北部九州私調べましたけれども
09:00
津島 行き 福岡県 佐賀県 長崎県
約3000ヵ所の神宮皇后伝書が残ってるんですね
調べますと
この福岡県だけでも750ヵ所
当時はですね
多分津島と行きとあるいは他の地域が連絡し合って
神宮皇后伝書を作ろうやないかという話はないと思うんですよね
連絡する手段がありませんから
ですからそこにやっぱり密集して残ったというのは
やっぱり歴史の種があるんじゃないかと
例えば三笠の森 三笠群とか
これ神宮皇后に由来しますよね
かしゆうにおいでになったとか
そういう生々しい伝書があちこちに残ってるんですよ
この神宮皇后に関しましては
もう数え切るぐらいあるわけですね
ですから万葉集も打たれてますしね
ですからこういった伝書の密集度からしても
日本の伝書としては
日本初期古事記伝書神社のいろんな社伝を含めまして
日本から出兵したのは神宮皇后だと
これ一致して伝えてるんですね
じゃあ中国側韓国側にあるかと言いますと
実は王陸交ございますよね
北朝鮮と中国の国境になってますが
中国側に実は皇国の拠点があったんですね
そこに国内城とか昔の都がございますけども
ちょっとそれを上りますと
皇海道の一人のものがあるんですよ
大きな碑がですね
だいたい国内城 都の5キロぐらい内陸にありますけども
高さ約6メートルの大きな石碑がありまして
これは皇海道という皇国の王様が亡くなった後に
息子さんが作ったんですね
ですからほぼ同時代の資料なんですよ
その中に何が書いてあるかと言いますと
391年西暦の神母の年に
日本が和が海を渡ってやってきたと
そしてくだらと白城
あとはちょっと欠字になってますが
新民都市だと
くだらと白城を服属させたというような
くだりの文言が刻まれてるんですよ
ですから391年にどうも日本の大軍が向こうに渡って
そして白城と戦ってると
それを応援するために皇海道が活躍したと
それを息子さんが検証して石器を立ててるんですね
ですから391年に大きな戦いがあったということは
向こう側で証明されるんですね
ですから多分先ほど安本先生が
活躍年代は神戸国は390年くらいからだと言いました
ついつい合うわけですね
合いますね
ぴったしと
そういう気がいたしております
それから今度は夫の方をですね
駐愛天皇第14代の天皇ですけども
この方のお父さんというのは誰になるんですか
12:00
お父さんは例の大和武です
大和武の見事
大和武というのは東北に遠征したりですね
熊谷を討伐したりいろいろ活躍された方ですけども
ご承知のとおり
いぶき山
美和川の近くですよね
そこに行きまして
氷原にあってあるいは
たたりにあって亡くなったと
三重県の信之ですかね
亡くなったと
白城神社に祀られてますけども
彼の大和武の息子さんが駐愛天皇なんです
それで神宮皇后のほかにですね
もう一人妻がいたという話を聞きます
大中津姫という
当時は何人もの妻を持つのが
もう普通当たり前ですけども
大中津姫という
そういう女性をですね
やっぱり妻に持っておったというのが記録に残ってます
子供さんはなんという
鹿児坂の御子と大津姫の御子ということですね
実はこの二人
最終的に亡くなるんですよね
亡くなるといいますか
神宮皇后が出兵しましてね
朝鮮半島に
今度は機内に帰ろうとした時に
二人が待ち構えて
やっつけようとするんですよ
逆にやられましてね
最終的に一人は
猪に襲われて亡くなってますが
最終的に美和子のお通りでやっぱり
多球スクネの軍隊によって
滅ぼされてますね
今朝は神宮皇后の謎を解くの著者
河村哲夫さんに
神宮皇后と忠愛天皇
そして竹之内のスクネの人物像を
伺っています
それからこの忠愛天皇と神宮皇后との仲なんですけど
これは良かったんですかね
難しいですね
実は忠愛天皇の名前からして
仲というのは仲がいいの仲ですが
愛は悲しみでしょ
なるほど
もう非常に寂しいお名前なんですよね
そして日本書紀とかで見ますと
歌詞句で
何かお祭りの最中に
ふっと亡くなったと
そういうくだりがあるでしょう
ですからひょっとしたら
暗殺されたんじゃないかと
空出てあがったんじゃないかという説もね
強いんですよ
しかも亡くなったその日に
神宮皇后が身を守ってあるんですね
そういう記録なんですよ
身を守った瞬間は分かるわけではありませんけど
日本書紀とかで言いますと
その日に身を守ったと
そういう
なんか変な
噂と言いますか
いろいろ書いてございましてね
忠愛天皇の死というのは
2つぐらい説があるそうですね
あります
1つはですね
突然お祭りごとの最中に
ふっと
ろうそくの火が消えたらですね
亡くなってあったという
15:01
1つの説と
もう1つがですね
熊瀬との戦いで傷が元で亡くなったという
伝承があるんですね
そして
おごりに
大霊石人が
ありますね
そこで亡くなったという伝承も残っているんですよ
熊村にやられて
だから2つ総合しますとね
やっぱり戦いに行かれまして
勝てずに手傷を負って
そして
貸し具でお祭りの最中に
ちょっとその傷が元で
亡くなれたと
いうことになるんでしょうけどね
ただ
じゃあ応神天皇が誰の子供かという
噂もいろいろございましてね
昔から
でもそのあたりは昔からいろんな噂が
じゃあその辺の話も
ちょっと後ほど伺いますけども
神宮皇后と
それから忠愛天皇に来まして
今度はこの
2人に仕えていた竹内
竹内
この竹内竹内の神仏像について
伺いたいんですけど
だいたいこの人は
すごい長寿の人だと
300歳
ということを聞いてますけど
これは実際に実在の人物
ということを
言えますか
竹内が実在しなければ
例えば慶光天皇神宮皇后応神天皇
忍徳天皇いませんからね
ただ
先に言いまして日本書紀がですね
100歳で亡くなるとか
大幅に年代
引き延ばしてるんですよ
ですから天皇の罪がだいたい平均しますとね
中国も
エジプトもそうですけども
だいたい日本の天皇も
10年ぐらいだろうと言われてます
実際は
そうしますと4代の天皇に仕えても40年でしょ
20歳で仕えて
60年亡くなる感じですから
それはあり得ると思いますね
ですから300歳ということがおかしいわけであって
4代の天皇に
仕えたということはあり得ると思いますね
この人物は
どういう人物だったんですか
こちらもですね実は
なんて言いますかね
天皇家の末裔でありましてね
天皇家の末裔
高原天皇
につながる
ですから一応天皇家につながる
木若山たりで生まれたことになってますけども
問題はこの方がですね
うちの蘇我一族の先祖になってます
蘇我一族の
子供は何人いたんですか
子供は四男二女と言われてます
四男二女
菓子国ですね
まず竹内神社というのがございますよね
ありますね
これは竹内神社で祀ってます
本殿のすぐ左側にあると思うんですけど
あと戸瀬神社
これは息子の旗のヤシロを祀ってますしね
陰役神社
息子の蘇我の石川少年
蘇我一族の先祖ですね
それから神戸神社というのが
ヘグリ
ですから息子の
18:00
七男のうち四人が一緒に祀られてるんですよ
あと桂木の
卒彦とかいますけども
彼はどうも筑川隆一と言いますか
浮橋と言いますかね
行く橋
そういう人たちと年頃になったみたいで
向こう側に行ってるみたいですけどね
筑川から有明海を管理しとったかもしれませんけども
要するに蘇我氏、桂木氏に
つながっていくということなんですね
そうですそうです
その子孫は
なんて言いますか
天皇とかなり気先を出して
天皇と結びついて
後の平家とか藤原一文とか
その先駆的な存在ですね
天皇系と以上にやりとりしてると
血縁関係を深めてる
ということですね
そういう意味でも
重要な人物だったということですね
そうだと思います
それと竹之内少年は
常に神宮皇后のそばに
おりましてね
神宮皇后との仲を
暗示するような
出来事というのも
あったように聞いてますが
どうなんでしょうか
大神天皇が生まれますよね
梅八幡で
仏祖さんが
実は瀬戸内海から
通って機内に帰るときですね
古事記日本書記書いてありますが
ちょっと変なんですけども
生まれた大神天皇
抱いてるのが竹之内少年
別の船で行くんですよ
神宮皇后が一人で
別の船に乗っていくんです
普通は自分の子供を抱いていくのが
お母さんじゃないでしょうか
それをまるで我が子のように
抱いていくのが竹之内少年なんです
カシーグにもそういう像があると思います
ありますね
あれちょっと変なんですよ
それともう一つがですね
竹之内少年の経済を見ますと
今七男二女と言いましたが
お母さんの名前が一切書いてないんです
これは珍しいんですよ
普通は竹之内の奥さん
誰だという伝承が残るんですが
それ一個も残ってないんです
だから誰が生んだか謎なんですよ
この子供たちを
だから
そのあたりちょっと謎があるのかなと
安本先生なんかはですね
もうそばにいた
実験派が
竹之内少年だから
大神天皇を神宮皇后の
間にできた子供だと
二人を不秘密したんだと
こういうことを言われますしね
そしてそれをほのめかす
伝承がですね
大阪の住吉大社
そこに住吉大社神代記というのがあるんですよ
伝承をまとめた記録が
その中にですね
神宮皇后は
密通をして
子供を作ったんだという二人があるんですよ
密通して
その相手も書いてあるんですよ
住吉の神なんですよ
住吉の神ですか
神様が子供を作れますかね
でも本体は不秘密通なんですよ
密通して作ったと書いてある
だから
でもそのあたりの噂がですね
21:01
当時からあったんじゃないかなと
いう感じがしますね
もっと言いますと
忠愛天皇は朝鮮出兵に反対してたんですよね
やっぱり
本来熊洲を討伐してきたんですよ
ところが神がかりしまして
急遽彼女が朝鮮出兵したべきだと
あちらは金銀財宝があるんだと
言い始めてですね
忠愛天皇は抵抗して
高横から向こうを見るけど国は見えないじゃないかと
こうやって抵抗するんですけどね
その最中にフッと亡くなるんですね
ですから
執兵派と反執兵派が
対立が深まって
そして
ひょっとすれば
くでた
できたものがあった可能性も
なきにしもあらずと
あると思いますね
それから言いますとね
神宮皇后というのは
それが本当だとしますとね
性格的に
さっき言いましたように
天山のお天馬で
海に潜ったり川に潜ったりする女性
そして神がかりするような
そういう
特殊な能力を持っているし
ある意味は
ヒステリックで
そして自分に逆らう人は
問答無用で
抹殺するような
激しい気象の持ちにしていますから
かなりやっぱり怖い女性だと
というわけで
今朝は神宮皇后
忠愛天皇竹内のすくねの
3人の人物像を
神宮皇后の謎を解くの
著者川村哲夫さんに
伺いました
この3人はこれからこの番組に
しばしば登場いたします
ここで古代の福岡を歩く
リポーター中島梨恵さんです
おはようございます
神宮皇后のことを調べたくなったら
絶対に行くべき場所が
福岡市東区にあります
カシーグです
なぜ行ったほうがいいのか
広報のゴンネギ
木下秀夫さんに聞きましたら
こんな答えが返ってきたんですね
神話の現場が
カシーグの場合点在していて
物語の即席を
たどれる場所が
いくつもありますので
お越しになったら
そういう場所を巡っていただくと
いいかもしれないですね
神話の現場
現場の一つは
五神木がある場所がポイントにもなるんですけど
冠掛けの詩といって
忠愛天皇が亡くなられた後
棺に納めて
その棺を立て掛けた
詩の木があるんです
その前でみんなでどうしましょうか
と軍儀を開いたのですが
その時にこの詩の木から
かぐわしい香りが出てきた
これがカシーの地名の
由来になっているのです
香る詩だからですね
それとか本殿のすぐ
24:01
一段下のところにあります
もう一つの五神木
ここは神宮皇后が
日本にお戻りになって
自分の着ていた鎧の
お守りとしてつけていた枝を
ピッと刺して
それが綾杉になって
大きく育っているとかですね
それから神社の境内から離れるのですが
海の方、カシー方の方に行きますと
神宮皇后がみそぎをした
今もちゃんと中ほどに
島のように
あるところに
鳥居が立っていて
一目でわかる三島神社とか
あったりもするのですよね
こういったものを一つ一つ訪ねて歩くのが
カシー宮の散歩ポイントかと思うのですが
実はこの中
お守りにも反映されているものが
ありましてさっきの綾杉なんですが
綾杉を
お守りにしていますカード型の
グリーンの
お守りなんですけどね
健康長寿のお守りなんです
木下さんがこんな風に教えてくれました
今もう1800年を超える
呪礼なんですよ
落雷にあったりですね
当然
1800年あると
いろいろ災害が起きたり
するんですけど
またそこから芽が伸びて
今に至るんですよね
だから全然根っこは
変わってないんですよね
つまり長寿なんですよ
そういったことに
あやかって
我々の
カシー宮で読むノリ党の中にも
綾杉のように
長生きして
青々と赤々しく
育ってほしいとか
お宮参りの時に
その風に読んだりも
しててですね
鮮やかな緑のお守りでね
ですからお参りして
これを持って帰ると
健康長寿間違いなし
帰ることなき生命の強さですね
そしてもう一つ
女性に絶対お勧めしたいと思ったのが
実は神宮皇后由来の
お守り
姫守りというのが
これはかわいらしいですね
姫だるまのような形の
お人形がついている
指先ぐらいの姫だるまがね
この姫がクラベルに
うるっと書いて
つまり沖縄たらし姫の姫から
お名前をとっているんですね
神宮皇后の別名ですけれども
これもやっぱりこんな風に思いがあるようです
古い文献を見ればですね
忠愛天皇も神宮皇后も
陽子丹麗だった
と書いてあるんですよね
とりあえず美男美女のカップルで
神宮皇后は
行跡も賢女でしたし
美しいし
賢いし
勇気もあって
立派な女性だったので
そこにあやかって
女性の可愛らしさと
強さ
ですよね
そういったものを
加護を受けようということで
27:00
そうなんです
可愛らしい表情で
作ってあるんですけどね
今年のお正月から出たので
まだ新しいんですけど
目音守っていって
500円玉ぐらいの大きさの
巾着型の可愛らしい小さな
二つ並んでいるお守りがあって
これはやっぱり神宮皇后と忠愛天皇の
お二人からイメージを取ったそうなんですけど
お互いを思いやる
ということの一番身近で大切な
パートナーを大切にする
そんな思いで作られたんだそうです
こういったものもいろいろありますし
実は今日から
17日までカシーグで
直視館で美術展があるんですが
普通一般公開されない
直視館の中が見られるチャンスなので
ぜひお出かけください
古代の福岡ワルクリポート
中島理恵さんでした
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三山市の企画協賛
道の駅村方
餃子のヤマハチの提供で
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