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古代の福岡を歩くシーズン6 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン6 この番組は
宮城の企画協賛 道の駅村方
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こんばんは坂田周大です 令和の時代に入り
一時は大宰府が媒家の縁の地として大変に賑わいました この番組でも媒家の縁が行われた大友の旅との屋敷は一体どこであろうかという
場所探しもやりましたが今年もそんな大宰府を歩きます 今回は大宰府の伝説を探して歩きます
ご案内をこと大宰府保存協会学芸員の田中賢一さんにお願いしました スタート地点は水木の東門跡から歩きます
水木の東門跡に来てます 大変道路は賑やかな通りになってますね
そうですねちょうど水木東門のところは93号線 現在は県道の112号線が通っておりますけども
今はこうやって車が行き交う場所でございますけども昔は古代幹道 いわゆる直線的な道路が羽形の方から大宰府の街並みに通っておりまして
また今日も津川さんと歩いていきます古い道筋は江戸時代北海道で 利用されていまして
昔の街並みを今日は北海道沿いに歩きながら大宰府の伝説にまつわる場所をご紹介していければと思います
水木東門跡で最初にちょっとした伝承といいますと実は水木東門の北側ですね 少し50メートルほど行ったところにかつてひともっこ山という小山がございまして
これ実はの水木を作る時の伝承にまつわるまあ伝説の場所でして同じような場所が東門には そのひともっこ山そして
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西門側ですね jr の水木駅などがある方にはてて小島というふうにまあ同じような伝承が ある場所があるんですがあの水木を作る際にもっこですね
あの土を運搬する道具をまあその親子の方たちが担いでねまあ たくさん土を水木に運んでいたんですけどもまぁ
完成したというまああのか声が聞こえてきてでもその 担いでいた土をですねその当時働いていた皆さんがもその場において投げ打った土が
山となって丘となってそれがひともっこ山 そして西門側はてて小島というふうになったというのはまあ伝承が伝わっている場所
なんでそうですか まあ昔からだいたいこの辺はあの
人取りの激しいところだったんでしょうねそうですねあの特に東門通ってましたのが 太宰府に扶任するような役人たちがここを通ってきておりますよね
まあ中でも一番有名なのが令和元号令和のゆかりの人物としてあります大友の旅 となんかもこちらの東もどうも通ってきたのではないかと
だいたいですね太宰府から長官 都からですね都から長官の措置
まあそういった身分の高い人が来ますとこちらの水木の東もまで到着しますと 太宰府に勤めていた役人たちがまで迎えてそしては
太宰府の役所のまあ印鑑であるとか倉庫の鍵であるとかそういったものここで 授業する
現代で言うと不認識のようなものがこの東門の方で行われていまして 着任がございますと当然あの
美人と言いますかまた都に帰るときもございまして 太宰府を出発して都へ帰る際はこの東門の付近まで
太宰府の役人たちが見送りに来てでもここで別れの挨拶を交わしてお帰りになると という
まあそういうあの太宰府への出入り口 太宰府の内と相当分ける大きな区切りとして防衛施設という役割が終わった後もそう
いう教会を区切りの役割をこの水木は果たしていたという形ですね あの
まあここは水木と言いましたね昔水がこう称えられていた場所ということですけども その向こう側に川が一方流れてましたね三笠川
三笠川からも船が出ていたような そうですねあの時代が下ってまいりますと船で行き来していた
その様子を和歌に呼んだ 歌なんかも残っていまして陸路で来る方そしてまぁ水路で来る方いろいろ様々あった
ようですね 伝承によりますとまあ伝説の今回は伝説ということなんですけども太宰府といいますと
菅原道真子ですけども菅原道真子はですね あの博多の方からまあ船で上がってこられたとはいで三笠川をですねちょうど水木より少し
北の方に行きますと水木地区のまあ 地域の皆さんの珍珠でありますが追松神社という神社があるんですがどうもそちらの
そばであの船を降りられてそこからまあ 太宰府の方へと陸路でやってこられたというような伝承が言われておりましてまあその
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お話まつわるところもこの先にありますのでぜひ 津川さんと一緒に見ていければと思いますはいあの
その追松神社っていうのはねこの近くですよねここから今 高速道路が
遥か500メーターぐらい先に見えますけどもあのあたりになるんですね この水門から言いますと北の方になりますかねそうですね
でちょうど少し北西の方向に少し行ったところに神社する神社になりますね ということでこれからじゃあ
お案内をお願いいたしますご注意が入ったと思います先ほどあの水木がまあ 入り口そしてまあ出口の役割を果たしていたと言いましたけどまあ大友の旅とが
英語例は有名になりましたけどこちらでですね水木に来ましてそしてまあ都会帰る際に 太宰府にいらっしゃった女性小島とですね
歌を交わした場所それがまあここ水木というのに言われています ではこの場所で歌を交わしてそれがですね
旅人さんそしてこちら様に週ずつ万葉書に収められているんですけどその歌の一組が ですねこちら
水木館というまあ水木屋とをご紹介するまあ開設の施設になってますけどちょうど 前提にですね万葉花火が立っておりますので
そこに万葉花火が一つ立ってますね水木の東門を眺めるように あっておりますけども
これも歌が読んだよこれがこの大友の旅とが730年の冬にですね 都会帰る際に太宰府で大変親しくなった女性小島とですね
あの旅とは長官でして小島は位がそれほど高くない 身分差がございましたので直接なかなか別れを交わすのは難しかったのでそれを和歌に託してお互いにやり取りをしたというふうに伝わってまして
ここには小島とですね旅とが読んだ歌がありますので皆さんぜひ水木屋と散策した時は1300年前のまあそういう別れもですね
ちょっと忍んで 水木屋と散策していただければなと思いますね
ちょっとよろしいんですかはい紹介してもらう ついでに
小島って書いてます 乙女小島
大西展示館のジオラマなんかにもいらっしゃる女性なんですけども あの小島のほうがですね
おほならばカモカモセムを貸し込みと振りいたきそれを忍びてあるかも あの大変ですね
通常でしたらですねもう大変手を振って見送りたいところをグッと堪えてですね やはりあの忍んで見送りますと
でもそういったことに対しましては大友の旅との方は 山と地の日々の小島を過ぎていかはつくしの小島
思えむかもということであの 打材を出発しますとちょうどですねあの岡山県に小島という瀬戸橋がかかる場所がありますけど
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まあ 九州から出ましてまその岡山県の小島を通った時はあなた同じ名前の小島あなたをですね
また思い出すだろうという形でですね 今のように携帯電話やパソコン等がございませんのでやはりですねまあここで別れたら
根性の別れというか二度と会えることはないだろう そのお互いに今思いを託した歌がですねこちら
あのここ水木のところにありますので 行きですよね
1300年前人のまあ別れの心情ですねまぁ今の私たちもこの万葉集の和歌を通じて知る ことができるということでそういった思いも踏みしめながらぜひ水木はと散策していただければ
もう嬉しいだと思っているところですねはい そういう歌詞がありますはい
いいですねなかなか
やはりあの木の愛楽は1300年経ってもやっぱり変わらないんだなぁ
だからですね
せっかくなりちょっと寄り道もはいはい 申し訳ないですけど水木館からです少し南の方にこれから歩いてまいりますけどもちょうど水
機関の目の前にですね古代館堂のイメージした広場がございます 県道の112号線前に大きなこちらのような解説版が立っておりまして
まさに1300年前水木が作られました当時ですね 着線的に博多とダザーイクの方を結ぶ道がこの辺りを通っていたと今それを体感して
いただくためにですねまた雑誌さんの方で実はの菅さんの足元に行こう 色分けしておりますけどもこれがまあどうも
古代館堂の幅だったというのが感じていただくためにあの足元の地面の方もそういう ふうに塗り明けをされていますのではい
あのぜひダザーイフに来て足元の方もぜひ注目していただけてこれがこの道が大友の 旅とや菅原水谷校も通った道だって思っていただいていただくとより
ダザーイフの歴史が楽しんでいただけるんじゃないかなとこれですかこの1メーター これがこれがあれですよこちらが6人がこちらが溝の部分
アーム所の分 じゃあ歩く道路としては広いですね広いですねもうだいたい10メートルほど
ございますよ 結構ありますね現在の3車線分ぐらいですかね道路で言いますとありますんでまぁ車
3台が 行きすれ違えるぐらいのやっぱ路面幅が
ブーバーずっとダザーイフの方まで生まれとながって続いている この古代幹道とまあ江戸時代の北海道三筋を歩きながら伝説の血を少しずつ
入っていければと思います この古代幹道といった日高いとてどこで繋がってるんですか
これはですねもともと古代幹道があった上にですねほぼあの 日高いが重なっていますけどもまぁ時代がだいぶ違いますので江戸時代の日高い
まあやはり町に沿ったりとかですね集落に沿ったりしてこう 古代幹道とおおむねあの方向は同じなんですけどもこの辺りは行き来しながら
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あのそうですか じゃあだいたいほぼ同じところを通ってるってことですね
ここの東門の周辺だとまああの重複してああそうですか ということでことダザイフ保存協会の学芸員
田中賢一さんのご案内で水木東門跡をスタートして 古代の幹道でもあり日高井堂でもあった道路を南へ向かって歩いています
皆様ダザイフに何回もお越しいただいる方が多いかなと思うんですよこういう方を散策 していただくとまたですねそうなんですね実はあの身近なところにいろいろな歴史が
眠っている町ですのでぜひこうやって道筋を歩きながらですね お越しいただくとありがたいですね
さて津川さんと歩いてきましたけども左手にあの神社の方が 神社に見えてきましたねこちらがあの衣掛け天満宮
きぬかけ天満宮と呼ばれる神社なんですけども 津川な道ざれこうゆかりの神社なんですねここは実は神社と2つポイントがありますのでちょっと合わせて
ご紹介させていただこうと思います 水木の東門跡の方から旧街道ですね
はい高い道は南の方にダザイク氏の方へ向かって歩いてきました左手がいいですね 姿見のいいと言います
井戸のまず姿見のいいと標識がわかっております 移動が掘ってあったいるなぁとですかこれ
実はこちら伝承が伝説がございましてまぁ先ほどご紹介しましたまあ 菅原道真子がダザイフに来られた際にですね
東門を通られてこちらの付近に差し掛かったところで 衣服を長旅で汚れた衣服を着替えるために少しお休みになられたと
でその時にですね菅原道真子が着ていらっしゃった服を そこにあった松の木とそして石に掛けたというのがあるんですけどもその
衣を掛けたという由来からですねこの衣掛け天満宮というのが実は由来されていらっしゃる そうなんですね
ですのこれも掛けました時にあの自分の姿ですね整えるためにまあ池に姿を映して 見られた
道田猫がご自身の姿を映して見られた池ということでまぁ姿見のいい ということであの道田猫がダザイフに来た時にご自身の姿を映してご覧になった場所という
ふうに伝わっている場所なんですねえっとこれ ちょっと石で囲んでありますけれども
幅は縦に見えた横1メーターぐらいですかねそうですねそんなに大きいものではないんです けどもまぁこの場所で代々そういうふうに言われてまして今見えている移行というのは
あの江戸時代明治時代にこう石組をされたものなんですけども あの地元の方によるとやはりあのかつては開発が進む前までも根根とあの精髄が
甘いが湧いて綺麗な水が湧いていた場所でも おそらく1300年1100年前ですかね道田猫がダザイフに来られた頃にもしかすると使って
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いたというのは確かにあり得るお話だなぁということでそういうロマンを秘めた 場所が一つ神社の手前にございますはい
姿見のいいと書いてますはい そして
この通りを
南の方に歩いていきますと木ぬかけ神社というのが出てきます 衣掛け神社とも言うんですかそうですね自分の方はいろいろあの読み方がございました
日ぬかけさんやの衣掛け天満宮いろいろあります一応あの 看板等では日ぬかけ天満宮と紹介してますけども先ほどご紹介しました今菅原
水田猫がこちらダザイフに来てまぁこの場所で 衣服を着替えて衣を松の木そして石にかけた場所ということでまぁそれに
依頼して 地域の方がですね心を立てて祀ったのがまあその
天満宮のゆかりというふうに言われておりますはい 鳥居をくぐりまして階段がそうですね20段ばかり
つながっておりますけど階段ちょっと上がってみましょう 階段の奥に拝殿がありますね
その拝殿までちょっと行ってみましょう 開殿の奥にも大きな木がこんぼりと
したもう小さな森みたいにありますねそうですね一重の森がございまして こちらの神社の裏が少し小高い山になっているんですけども
かつてはそこにまあ菅原三谷公が衣をかけた松とまあ代々言い伝えられる神木があった そうなんですねあったんですか
ただまああの昭和に入りまして残念ながらこう 台風等で倒れてしまいましてあの地域の皆さんはまあご神木ということでその床になる
木をですねまぁ現在あの衣掛け天満宮さんに 昼掛け天満宮さんに来られたらですね
拝殿のところには変額が掲げてありますけどはい こちらがこれその神木の松をですねあの倒れてしまった時にその加工をいたしまして
変額としてここに掲げてあるということですのでぜひ お参りの際はこちらあの図上に掲げてあります変額の方もですね
上をぜひ見てくださいご覧になっていただければと思います 衣掛け天満宮という風に書いた松の木でした
はいその神木ですね 神木に書いてあるんですね
はいそういうものをぜひご覧いただければと思いますはい 先ほどの松は三谷公が掲げられた松の木ということなんですけどもう一個の
剣道の方には三谷公が衣掛けたと伝わる石がですね 残っておりますので
そちらをちょっとご覧いただいてください
今度は車の通りの激しい剣道の方に出てきました
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えーちょっと剣道沿いに出てきましたけども 絹掛け天神の
北側になりますね ここには何ですか石で作ったものがありますね
はいあの剣道沿いの祠に祀られている大きな石があるんですけどもこちらがですね 衣掛けの石
絹掛けの石と言われてまして 菅原三谷公がラザイフに来られた際には衣掛けられた石ということで
地域の皆様がですね昔から大切にされてきたものでございます
大きさがだいたい1メータートッドくらい?そうですね1メーター50
結構ですね高さがあるんですけどもこちら 横幅が1メーターくらい?そうですね横幅が1メーター高さが2メーターくらい
もしかするとですねある大きなものになっています 表面の方には宝鏡印刀が刻まれてますけども
この彫り込み自体は室町時代のものということなんですけども その時代からこの場所でそういう信仰の対象として大切に祀られていたということで
現在もですねかつては個人のお宅のクリーニング屋さんの中にあったんですけども 現在はこういう状態で保管されてまして外から見ることができますので
ぜひ水木から太宰府へ歩かれる際は先ほどの姿見ない絹掛け天満宮 そしてこちらの絹掛けの石も合わせてぜひですねご覧になっていただければ道田猫ゆかりの場所となっております
ここは小さな祠の中にねちゃんと保存してあるという感じですね
珍しいもんですねこの石で掘ったものっていうのは
そうですねそれがこの街中道沿いの中でずっと室町時代以降もずっとですね大切に祀られてきたっていうのは本当に地域の皆さんがそれほど道田猫ゆかりのものという伝承をうついで大切にされてこられたからだと思います
そしてまた旧日田街道へ戻ってきました
ここは旧街道を歩いているということでいいんですかね こちらが旧日田街道です
江戸時代に福岡城下と北の大漢城を結ぶ街道としてにぎわった道でして 特に福岡から太宰府までは太宰府天満宮へお参りする方でかなり人通りも江戸時代多かったようですね
今日は太宰府の伝説ということでテーマをいただいてましたのでいろいろちょこちょこあるんでですね
先ほど木ぬかけさんからどうでしょう50メートル100メートル行ってないんですがちょうどですねこちら日田街道横断するに神農川という小さな小川がちょうど流れております
神農川ですね神農川ですね
こちらですね地元の方の子供さんたち古老の方の伝承がありまして夜遅くまで家に帰らずに遊んでいる子供がいると神農婆が出ると
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鬼のおばあさんが出ると地域で言われている場所でございまして
地元の方によるとママ母などにいじめられてそれを恨んだ娘さんが鬼となって村人に復讐をするようになったと
近代に入りますと子供さんたちが夜遅くまで遊び回っているに対して教育的な教訓的なこととして
夜遅くまで暗くなっても家に帰らないと神農婆が取って食うぞという風に言われて
そういう風に地元で伝承が生まれるほど昔はなかなか街灯とか夜も人通りが少なかったものですから
地域の子供さんたちへの教育的な話としてそういう伝承が残っている場所です
神農川の左の方に川沿いに上がっていきますと
地区前国武二次の跡とかですね
あるいは太宰府市の第一号の文化財に指定されています神農古墳など
国武市区の歴史がたくさんある場所でもありますので
お時間あったらこういうところにぜひ寄り道してみるのはいかがかなと思います
知りませんでしたねこんなところに古墳があるなんて
えー
今週は太宰府の伝説を探して歩いています
ご案内は古都太宰府保存協会学芸員の田中健一さんでした
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島リエさんです
こんばんは
さあ佐方さん
はい
太宰府天満宮には牛の像がいくつかあるんですが五神牛って言うんですけどね
ご存知です
あのー何頭いますかね三堂のつきあたりに一頭いますけど
はいはい
他にもいましたか二頭?
あーもっともっといるんです
え
今お話しあった通り一番メジャーっていうか分かりやすいのが
三堂まっすぐ行って太古橋に向かって左折する前にある円純王院の前にあるところ
もうね記念撮影する人たくさんいらっしゃるし
あのインバウンドの皆さんお客さんが多かったときには超多の列ができていました
一所は行列でしたね
あそこが一番分かりやすいんですけど皆さん触りまくってもいた
そういう五神牛像なんですが
いや今年は牛年ですから天満宮の年なんですよと笑って答えてくれた
太宰府天満宮厳宮寺の三崎康典さんと一緒にたくさんの五神牛を巡ってきました
たくさん
最初に佐方さんが思い浮かべたあの一番真正面大きな五神牛触ってますよねみんな
いいんでしょうかと聞いたらこんな答えが返ってきました
天神様のその牛ですね牛の頭を撫でると幼い子供なら知恵がつく
我々が撫でるとブケないという知恵牛なんですね
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いつまでもさすっていたい
でしょまあでもそんなに触りまくるとやっぱ皆さんこのご時世注意してらっしゃるんでしょうかと聞いたらこんな対策もあったんです
牛は殺菌消毒をですねいたしておりますのとまたさらにそれを撫でられた時には横にアルコール洗浄機がありますのでそこで洗っていただいて
そういうことで天満宮ではコロナ対策を万全を期しております
ありがたいですね
びっくりしました
その牛と天神様の関係なんですがなんでこんなに天満宮に牛がいるのか
まず一つ目大きな理由は天神様菅原道座猫が生まれたのが上和12年
西暦で言うと845年なんですがこの年キノト牛の年だったんですって
はいキノト牛
牛年だったんです
小さい頃から牛とのご縁のあった菅原道座猫さらに亡くなった時もこんな理由があったんです
この太宰府で亡くなられてそのご遺骸を牛に聞かせて
そしてその牛がちょうど止まったところそれが太宰府天満宮の御本殿なんですね
ですから天神信仰道座猫を神として崇めることを天神信仰と言いますけども
その天神信仰のスタートと言いますか早々
最初は牛が決めたんですね
なるほど
だから最後に動かないぞって伏した牛の形をそのまま五神牛像にしてますので
全部五神牛像は立ってない
そうですね
伏してる牛なんですよ
そうなんですか
こういうところも見どころなんです
さらに天満宮の御舎殿が許されて作られたのが最初が905年
この年もキノト牛だった
などなどたくさん牛と天神様の関わりがあるんですが
もうそろそろ坂田さんの中では正解は一体何体なんだよって感じになってます
いくつですかね?
2つは知ってますけど
2つだけですね
11あります
そんなにあるんですか
そうなんです
金属製のものもあり石製のものもあり
林の中にある岩の上にある大きなものだと1.5メートル有にありますし
小さいと50センチぐらいしかないんですね
それなんか見た記憶ありますよ
だんだん蘇ってきたでしょ
結構難しいんでこういう人もいらっしゃるみたいです
10は見つけたけどあと1匹がどうしてもいないということで
聞きに来られる方はいらっしゃいますね
一番見つけにくいというか皆さんご苦労されているのはどこの牛なの?
そうですね東側の金月堂のあたりにいる牛が探しにくいですね
正面東側にありますあたりは森の中石の上サイズが小さいとかなり難易度が上がります
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その他に座っていくと最初に園児御苑の前にある大きなものは分かりやすい
あと楼門の前右も左も1体ずつあります
右にある大きなものが一番古いものみたいで1805年だったかな
法納されたものなんですが
あと新地池のほとりに一番大きな牛がいます
完全にドーンと巨大な姿なので近くの幼稚園の子が登れるぐらいの大きさ
さらには回廊の中本殿の前に小さな池がありますが
この横に2体ありましてこれは時々出張であちこちに出かけていることもあるそうです
動かせるんですか?
そうなんです!そんな楽しい太宰府天満宮の御神宮ぜひ見て歩いてください
中島リアさんでした
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