1. 古代の福岡を歩く
  2. S7 26回目はヤマトタケルの..
2022-03-27 30:43

S7 26回目はヤマトタケルの福岡に残る伝承地を紹介。

ヤマトタケルの足跡、今週は北九州市八幡西区の尺岳神社から紹介していきます。

ヤマトタケルには小狭田彦の娘、常磐津姫との間に御剣王(みつるぎおう)という息子がいました。御剣王は父親に従って東征し、駿府の焼津では特に軍功があってその賞として祖父景行天皇から武部臣の称をいただいた程でした。

御剣王が尊敬する父、ヤマトタケルを祀ったところが尺岳(はかりだけ)といいました。

ここにあるのが尺岳神社です。

ここには、ヤマトタケルが熊襲討伐にこの地を訪れた際ヤマトタケルは尺岳に登り、山上にあった大石と背比べをしたという伝承が残っているそうです。また、石も神社の側に残っているそうです。

他に、鞍手町の六嶽神社、直方市の劔神社、鳥野神社、近津神社、鞍手町の八剣神社を紹介していきます。

今回がシーズン7の最終回になります。10月からのシーズン8、どういった地が

でてきますか、お楽しみに。
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古代の福岡を歩くシーズン7 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる 古代の福岡を歩くシーズン7
この番組は 宮間市の企画協賛
餃子の山蜂 道の駅村方の提供でお送りいたします。
こんばんは、坂田秀大です。 先週はヤマトタケルの神仏像の紹介と関連の福岡県の神社を紹介しました。
ヤマトタケルは神宮皇后の夫であった 忠愛天皇の父にあたります。
そしてヤマトタケルの父は 慶光天皇になります。
ヤマトタケルは西に東に全国を駆け巡った人物ですが、そもそもなぜヤマトタケルが クマソ討伐で九州に来るようになったのか。
今週はそのあたりの話から伺っていきます。 そして関連の神社も伺います。
お話は神宮皇后伝書を歩くの著者 綾杉留菜さんです。
神宮皇后伝書を歩くの著者 綾杉留菜さん
神宮皇后伝書を歩くの著者 綾杉留菜さん
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神宮皇后伝書を歩くの著者 綾杉留菜さん
まず八幡西区の測り岳神社です。
こちらが八幡西区の八幡というところにあるわけですけれど、
八幡ダムの周辺に自然公園があるんですね。
その中に測り岳神社があります。
ここに祀られている神様が、昔の古い資料によりますと、
ヤマトタケルの御子と、それからオサダヒコ。
それとミツルギ王となっているんですね。
このミツルギ王という方が初めて出てきましたけど、
ヤマトタケルの子供にあたる方なんです。
オサダヒコには娘がいまして、
トキワズ姫と言うんですけれど、
ヤマトタケルが来られた時に娘を訪がせたわけですね。
2人の間に男の子が生まれまして、
その人がミツルギ王というわけなんです。
昔は成人式って言ったら15歳とか14歳とかですね、
中学高校には成人するわけなんですけれども、
ミツルギ王もお父さんのヤマトタケルの御子とが、
今度は東国の方に戦いに行くと聞いて、
駆けつけていくわけですね。
一緒に戦って、静岡のところで非常に戦いで勝利を収めたと。
それでその途中ヤマトタケルは亡くなりますけれど、
都に戻ってきた時に、
その傾向天皇、おじいさんに当たるんですね。
傾向天皇から褒美をもらうわけです。
そのご褒美というのがタケベノオミという称号なんですね。
タケルベノオミとも言いますけれど、
お父さんの名前もついたような宇治カバネをいただいたということです。
そしてこちらの勝木の方に戻って来られたんですけれど、
あまりにもお父さんのことが懐かしいと、
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慕わしいと、忘れられないということで、
お祭りするわけですね。
その場所が釈打家、
はかりだけとも言いますけど、
釈打家と、それから倶楽部の賑多というところにですね、
お祭りしたということです。
それでここのはかりだけというのも、
これも大和タケルにちなんだ地名なんですね。
で、このクマソの金剛の丘を見るために、
ちょうどアソサノカルデラみたいに山が連なってまして、
そこにはかりだけがあったんですね。
ずっと適常視察をしていってるんですね。
そしてこのはかりだけまで来たときに、
大きな岩があって、
タケルの御事が聖倶楽部したそうなんです、岩と。
そしたら、そこからその、
その時に岩がですね、
一尺パッと縮んだそうなんですね。
この一尺の尺がはかりと読むわけなんですね。
それで、それからその場所をはかりだけと言うようになって、
今は音読みして尺だけと言うようになったというようなことです。
そこに聖倶楽部石っていうのがあるんですか?
そうだそうです。今も聖倶楽部石があるそうです。
山頂に。
八幡西区のはかりだけ神社でした。
今週は福岡県の神社に残る大和タケル伝承を紹介しています。
次は倉手町の兀賀岳神社です。
この兀賀岳神社がある場所は、
金剛の丘から見ると、
御賀川を隔てて対岸にあるんですね。
倉手町の南側に6つ山、ピークが並んだ山があって、
それを兀賀岳って、本当に6つピークがあるんですね。
その麓のところに室置という地名があって、
そこに兀賀岳神社があります。
ここの神様が、たごり姫とたぎつ姫といちきしま姫ということで、
村方三女神なんです。
村方大社の古い記録を読みますと、
もともと三女神が降臨されたのは兀賀岳だと。
その一つ、崎戸山という山に降臨したと言われているんですね。
そして、いつの間にか今度は、
尾佐田彦が室置の里長になっているんですね。
ですからおそらくここもご褒美としてもらったと思うんですけれど、
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ある日神様からの神託があって、
三女神を山の頂上の崎戸山に祀りなさいというお告げがあったわけなんです。
それで山の上に登って、
そして村方三女神をそこにお祀りしたということです。
それで私も登ってみましたけれど、
今も石の祠が綺麗に祀られています。
それで後にですけれど室町時代になりますと、
足利義満がここに社殿を造営しているんですね。
それから江戸時代になると畜船農型藩主の黒田長清がですね、
やっぱり財木を寄付したりして社殿を作り変えているわけなんです。
こういうふうに武将たちが三女神をとても信仰しているわけなんですね。
よく考えてみると三女神って剣から生まれたじゃないですか。
今度はスサノオの御徒が持っていた戸塚の剣を三つに割って、
それをアマテラスが噛んで振って振った女神ということで、
もともと神様の神格として戦の神なんですね。
剣の精霊で、それから国を守る、この剣で国を守るという働きがあるわけですね。
ということから武将たちが非常に熱く信仰したというわけです。
はい、倉手町の六畳神社でした。
次は野本市の剣神社です。
はい、この剣神社、難しい字が書かれているんですけど、
この鴎ヶ川流域は剣神社と八剣神社がものすごくたくさんありますね。
はい、それでここは今度は能形市の下神流というところなんですね。
ちょっと神様がすごく多いんですけれど、
まずはイザナギの御子とですね、国を生んだ神様で、
それから大和武之御子と、それから八柱ですね、セットの神様になってますけど、
岩作の神、根作の神、岩筒の御の神、三日早日の神、日早日の神、
竹三日土の御の神、倉三葉の神、倉御神の神、最後は水の神様ですけれど、
八柱の神様がまわってますけど、これがまた剣と関係があるんですね。
そうなんですか。
はい、で、イザナギの御子とが、イザナミの御子と一緒に国を、日本の国土を生んだ後に、
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神様たちをたくさん生んで、一番最後に火の神様を生んだんですね。
炎、家具、土の神と言いますけど、火の神様を生んだもんですから、燃えながら生まれてきて、
で、イザナギの御子とが火傷してしまうわけです。
そのままそれが原因で、床に伏せて、そして亡くなってしまう。
それで、お父さんのイザナギの御子とが怒ってしまって、
で、この火の神様をですね、和学でありながら、この十日の剣で首を切ってしまうんですね。
で、その時に血がいっぱい飛び散って、その血から生まれた神様が、今、呼んだ神様たちです。
ああ、そうなんですね。
はい。で、こういうことで生まれたけど、やっぱり人間にとって大切な水の神様とかですね、
そういう神々が生まれてきたということです。
で、ここも、お定彦がお祭りするようになったということなんですね。
それで、もともとはですね、先ほどの六畳の、今度は天井だけというところでお祭りをしたそうなんです。
で、おそらく朝日岳、今は朝日岳と呼ぶ山ではないかと思いますけど、
で、そこに畜生にいた物延べたちがずらりですね、物延べの長が連れてきたわけですね。
長の名前は民地の御子という人なんですけど、その物延べの長がずらりと連れてきて、
そしてこの山でお祭りを、剣の神様をお祭りしたということです。
それ以来、このお定彦がここをお祭りしています。
山の頂上にここもあるので、あんまり不便だということでですね、
今度は飛鳥七時代になりまして、仏教僧の行喜さんが来てますね。
行喜がずっと福岡県とか佐賀県とかずっと回ってますけれど、
その時にやっぱりここに来て、やっぱり遠いからということで、麓に下ろしたんですね。
そして今の亀岡といって、丘の上に映っているというようなことです。
それで考えてみますと、むつがたけの山に剣の神様が2箇所ですね。
三女神と、それから火の神様から生まれた八柱ですね。
剣に関係ある神様がずらりと祀られているということになります。
農形市の剣神社でした。
次は土豪親彦関係の神社です。
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まず農形市の鳥野神社。
この鳥野神社は、金剛武がいた金剛の丘から見たら南の方にあるんですね。
山戸武の御徒は福知山にも登っているんですね。
この福知山に登った時に、ここは素晴らしいところだということで、あまりにも気に入られて、
それでまた戦いから帰ってきた時に、上中下のお宮をですね、山戸武が創立したというふうに伝わっています。
場所がですね、内外祖と言いまして、ダムがあるんですよ。小さいけれど。
すごい山の中にあるんですけど、そこから階段を上って登っていくと、とても神秘的な神社なんですけど、
もともと本質的には福知山を祀る神社なんですね。
そこの神様というのを古く祀らせたのが、忍義の御徒なんですよ。
古い神様はあちこち出てきますけど、忍義の御徒が猿田彦と飴の渦目の夫婦にですね、福知山に神様を祀らせたわけです。
それが異色獣の神様を祀らせてるんですね。
それで御祭神が受け持ちの狼、食べ物の神様ですね。
家具土の神、火の神様ですね。
それから天照大神、旗織りをされるんですね。
ということで、衣服を整えてくださる神様で、ここの場合はですね。
後のように大神天皇、そして月読みの神ということで、福知山が一番高い山ですけれど、この地方の人たちに異色獣が困らないようにという意味でお祭りされたということです。
それで山戸武が連れて来られて、素晴らしいという。
それ以来、九州を守る神主の神様になっていくんですね。神社に。
あと神宮皇后も来られてます。
神宮皇后もここに来られて、宣祝祈願をして、そして凱旋して帰ってきた時には、竹の内少年と一緒だったんですけれど、
なりかぶら矢といって、矢ですけれど音が出る、ビューと音が出るかぶら矢。
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それを収めたと。
そして山戸武、何しに行ったかというと、宣祝祈願も一つですけれど、やはり地形を見るために、
この隈層の場所がどう見えるかとか言ってですね、そうやって見に来られたという話が伝わっています。
能賀田市の鳥野神社でした。
次は能賀田市の地勝神社です。
ここも能賀田市の敦野というところにありますけど、場所的には地区方向がある丘陵地帯なんですね。
でも弥生時代からも多分人々が栄えていたような丘陵地帯にあるわけですけれど、福知山まで案内した人が大江尾子という人なんですね。
それで大江尾子が三種の神器みたいな弓と矢をですね、山戸武の身体を守るための弓と矢を献上するんですね。
それで無事に守られたということで、お体を地下区でお守りしたという意味で地勝というんですけれど、
それをこの地勝の神社に収めたということです。
それで地勝神社というようになったということですね。
それで古い神様はどうもここは火の神様のかぐつしの狼が祀られています。
ですから昔の人たちは火の神様はとても大事だったんですね。
それからですね、後の世になってまたイザナギの狼とイザナミの狼が祀られるんですね。
でこれはですね、この地勝神社の西の方ですね、昔は玄関などの波が打ち寄せていたそうなんですね。
そして奈良時代になると泥沼というんですかね。
日形みたいな沼地みたいになっていたんですね。
そこにですね、たかつの森というのがあって、
でイザナギの巫女とイザナミの巫女がそこに寄られたという話があるんですね。
その後彦さんに行ったという話があるんです。
でそこにやってきたのがですね、藤原の馬会という人なんですね。
でこの人って藤原四兄弟の一人なんですよ。
で藤原不人の子供と、教科書に出てくる人なんですけれど、
この馬会が太宰府に赴任する時にここに来たわけなんですね。
ちょっとイザナギの巫女とイザナミの巫女が祀るのに
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沼地みたいなところっては何だからといって、
この地下通神社の方に移されたということです。
それでこの恩賀川隆起はですね、歴史の教科書に出てくる人たちが次々に出てくるんですよね。
で当時太宰府に赴任してくる人たち必ず一遍ここに来て、
そしてこのいろんな神様にお祈りしながら山越えをしていくということで、
恩賀川隆起たくさん教科書に出てくる人たちが出てきます。
であと、県都府市の人たちですね。
そういう人たちもやっぱりここでたくさん神様をお祭りして、旅の無事を祈ったということで、
有名人が次々に出てきます。
へー、そうですか。
農形市の地下通神社でした。
今週は山戸武の伝承が残る福岡県の神社を紹介しました。
お話を神宮神戸伝承を歩くの著者、綾杉ルナさんに伺いました。
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。
今日は水巻町です。
綾杉さんのお話にも出てきましたが、恩賀川沿いの山戸武の神事をお祭りしました。
八剣神社というところなんですが、
八剣神社、八剣神社。
ここにですね、福岡県天然記念物に指定されています大イチョウがあるんです。
大きなイチョウ。
そんなに大きいんですか?
高さが22メートル。
幹回りが9.7メートル。
おお、立派な。
この時期、葉が全部落ちているにもかかわらず、
うわ、大きい!と思うぐらいの大きさ。
このイチョウが樹齢1900年って言われてるんですが、
1900年。
その理由が、山戸武の見事と絹田姫の恋のロマンスの伝説なんですよ。
どんな話が残っているのか、水巻町図書館歴史資料館学芸員の大坪恒さんに聞いてきました。
山戸武の見事が熊野の制伐をする時に、恩賀川の近くに立ち寄ったと。
その時にどこからともなく、トントントンという音が聞こえてくるんですね。
そのトントントンというのが、絹田という布を叩く道具を叩いている。
その音のする方向に行ったら、その館の中にですね、綺麗な娘がいたということです。
24:05
その人が絹田姫ということですけど、それで出会って、
2人は出会ったわけですけども、やがて制伐に行かなくちゃいけないので別れ。
その別れ際に胃腸の苗木を植えて別れたというところが、この胃腸にまつわるストーリーなんですけどね。
ロマンティックな伝説ですね。
そうなんですよ。そこから1900年という数字が出てきたみたいなんですが、
実は近年遺伝子を確認しようという研究がありまして、
実はこの水巻町の八月神社の胃腸と同じ遺伝子を持つ、いわゆる兄弟遺腸というのがいくつか分かったんだそうです。
その中の一つが韓国の共産北斗のグミ市にあるもの。
それから島根県の大田市、常前寺にあるもの。
さらに福岡市の串田神社に。
へー。つながりが。
そうなんですよ。
同じタイプの胃腸だったということが分かっていて。
樹齢が600年とか650年というのが韓国とか島根の方では出ているので、
伝説ということにはなるかもしれないんですが、
実はこの八月神社の近く江戸時代の文献に、
絹田姫の墓と言われるものが見つかって、
そこから鏡や剣が出てきたという文章が残っているらしいんですよ。
もう一つ気になるのがこの八月神社のすぐそば、
御賀川の流れの下に建屋敷遺跡というのが沈んでいまして、
ここ御賀川敷土器という大事な土器の発見された場所なんです。
この御賀川敷土器は弥生時代初め頃の土器なんですが、
実物が水巻町歴史資料館にあります。
見ますとひらがなの句の字を重ねたようなギザギザ模様がついていて、
これがと思っていましたら、こんなふうに大坪さんがさらに教えてくれました。
この一番胴の張った部分に文様があって、
この文様を形をした土器というのがちょうど米作りが始まった頃なんですけど、
西から東の方にずっと伝わっていったということでありまして、
御賀川で最初に見つかったということで、
御賀川敷土器というふうに言われております。
広がるにも広がったり、東北まで行っています。
全く同じタイプを御賀川敷というんですが、
西日本全域とあと名古屋辺りまで。
この御賀川敷土器を少し発展させたような形を御賀川系土器というんですが、
これが東北まで行っていますし、中部地方の山間地にも届いているんですよね。
米作りの技術と一緒になって、
日本中に日本海ルートだったり瀬戸内ルートだったり通っていっているのがよくわかるんですよ。
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稲作の始まりというと、
佐賀の名畑遺跡とか福岡の板付遺跡というのが出てくるんですが、
ここで始まったものが御賀川を経由して御賀川土器というスタイルになって、
技術と一緒に広がっていっている。
間違いなく中継地点だというのがわかるんですよね。
そう考えると、大和武の見事がこの地域に立ち寄るべきだったというのを何かうなずけてきます。
そして子供の世代の鎮愛天皇神宮皇后の動きの関連。
こういったことがちょっとワクワクが増してくるので、
そんなことを考えながら御賀川流域を散策してみてください。
中島リエさんでした。
番組からのお知らせです。
ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
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またラジオフラウドという無料アプリをダウンロードすれば、スマートフォンやタブレットでもお楽しみいただけます。
この番組は三山市の企画協さん、餃子の山八、道の駅村方の提供でお送りいたしました。
さてシーズン7は今夜でお別れです。
10月になりますと古代の福岡を歩くシーズン8が始まります。
次はどんな話が出てきますか、ご期待ください。
ご案内は坂田秀大でした。
数学教師芸人の高田先生だよ。
高田先生の算数ワクワクラジオ。
算数が不安なあなたを算数ファンに変えるポッドキャスト番組です。
Apple、Spotify、Amazon、ラジコなど各種音声プラットフォームで配信中。
4649よろしく。
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