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古代の福岡を歩くシーズン7遥かな昔 海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン7 この番組は
宮城市の企画協賛 餃子の山八
道の駅室方の提供でお送りいたします 世界遺産の街室方にある道の駅
道の駅室方は海の幸山の幸がたっぷり いつ来ても新鮮で美味しいものがあふれています
皆さんぜひ道の駅室方にお買い物に来てくださいね 先週は古代館堂を歩いて無事に太宰府省庁跡に到達しましたが
今週から糸島方面に目を向けて歩いていきます ご案内を糸島ふるさとガイドの水戸真哲夫さんと岩田久美子さんにお願いしました
まず尋ねましたのは紅葉の季節は大変な人出になります 雷山千女寺です
雷山千女寺へやってきました これは正確には
別格本山千女寺 雷山観音ということですね
ずいぶん古くからあるんでしょうか そうですねこちらですね
1870年代に清賀聖人の階層より伝わるというとてもとても古い
実はお寺さんというよりもですねこの大元になっている雷山 雷山がそもそもここの
糸島での一番雷山と言われておりまして その雷山の中にありますお寺ということで千女寺というふうになっています
はいですからですねその178年でしたかね インドからいらした清賀聖人がお伝えしてお寺を作られたと
ただしお寺の本当のところはここからですね
この上空にあります 雷神社
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雷神社にそもそもは創建されました だから雷山
955メートルありますけれども 上空中空下空と分かれておりましてこの千女寺さんが今あるところ
下空の場所なんですけどもともとは中空 ここから上の中空の雷神社に
に創建されたのが 千女寺さんの前身であるお寺さんということなんですね
だから長い年月の間に今はここにありますけれども ここは
黒田 嗣鷹
黒田嗣鷹が創建した千女寺が大元になってまして 糸島の秋の彩りをする
大替えで 黒田嗣鷹がここを創建したことの記念に作ったものだと
これはですねまぁ2代目って言われておりますけれども まぁそもそも
二代目そうですね樹齢今400年 400年
まあそれにしても見事な大替えでですね エラぶりは何メートルあるのか
横幅だけでも相当ありますね
a 50メーター
そんな感じですね 立ってはい高さが30メートルあるか
そういうそんな感じがするんですけども本当に大きな帰れないそうですね
枝ぶりもまた見事でですねいうことですね 山と緑の緑高野松がありますここにはね高野松の緑と彼での赤い色
ああバックに高野松があって
青い空とまさに被写体としてはですね
人気がありましてもう今この時間なんですけれども このように皆様がおいでいただいて
朝早い時間に撮影されています
はい a
とも見事な大替えれば その後ろに今お寺がそうですよねはい
で冒頭にお知らせしましたこの雷山観音観音様 4.7メートルの大きな大きな観音様がございます観音堂に今からご案内して
ぜひ配管していただきたいと思いますので ご一緒にはいどうぞお願いします
この大替えでは綺麗な庭が作ってましたね設定になってますね その中に一本の大きな大替えれがあるというところですね
では 中へご案内をお願いしますね
愛知市の8巻 愛知市のシンボルの木っていうのがここの替えでをとって
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替えでの木っていうのが愛知市のシンボルのああそうですか 愛知市のシンボルでもあるそうですねはい
ありました そしてここからどちらのからですね
あほーから入るんですか 観音様がございます観音堂に今から入りますね
本堂がそのカイズの向こうが本堂ですよね もうその向こうが商店堂でその上に観音堂って分かれてます
あーそうですかはい じゃあそっちの方に行きます
そして静かにお寺の中に入っていきました ええ
この 観音堂
お堂の周りを回廊と言いますかね 廊下長い廊下が
段々上に山の上へ上がっていくようにかけてありまして その廊下を今
歩いて 上の方お寺の
本堂の上の方に上がってきています ここはまた
仏像が
これは
あ500羅漢 じゃあ500人のお弟子様を
一体一体お顔が違う という作りでね
500羅漢さんの像です そうですか
500羅漢の像ということで約1メートルぐらいの仏像がですね
およそ500あるんでしょうね そういう仏像が山の斜面に
座った形でこちらを眺めております すごいなぁ
観音様にお参りした後廊下を歩いていて気づいたものがありました 何気なく置いてある墨で書いた手紙を見てびっくりしました
これは 何てことないような字が
書いた紙がここにありますけども はいはいはいはい
よく読むとですね 実は実はとんでもない人たちからのお手紙がここに
お手紙がここに飾ってある 五大五天皇の文字
それから そしてこっちが
こっちも五大五天皇ですね
五伏見天皇
おうちよしたか
こういった方の ゆうぞうじたか
しかが ただふい
こういった方たちの手紙といいますか これは何ですか
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こちらは豊臣秀吉です
ここがですね 糸島の守りの山ということではなくて
もう日本の国 大和の国の守りの山としてのお役目があったらしくて
古代からここではいろんな祈祷 家事祈祷が行われておりました
それをですね直眼道場になったことで つまり直眼道場というのは天皇家が
国のために安寧を祈る場所として
指定された場所なんですけれども その指定された場所としての
ここの権威がありますので その権威のために
この今ご紹介した方々が国の安寧や
それから原稿を退治してくれとか
そういうのをお願いされた
お願いする文章と
お願いしたことが成就したのでありがとうと
お礼と書いてあるようです
そうですか 大変活発なね
すごいですよね
ちょっと我々には読みませんけども
そういう文章がここに飾ってあるんですね
ここにですね ちゃんと展示してあるんですね
だからよく読まないとわからないんですけど
実はなんかすごい人たちがやっぱり
ここにお参りしてたんですね
豊臣秀吉衆院場というのもありますね
すごいものですね
普通に司令と置いてあるのがね
ガラスケースに貼ってあるのが
見どころではあるんですよ
みなさんですね 楓の方に聞いてられてますけど
実はこれがこのお寺さんの
権威の象徴といいますか
素晴らしいところ
これは見落とさずにじっくり読みながらね
そうですね 読んでほしいですね
パンフレットによりますと
直眼道場になったのは聖武天皇の頃だそうで
国史によって七道が乱が混流されました
以来歴代天皇より臨時を賜り
天下の武将豪族などが競って尊崇し
祈願文を書いたとあります
そんなお寺にもう一つ
とても興味を惹かれるものがありました
先日ご紹介した新州安住野の
ネズミ穴とよく似た言い伝えを持った
風穴というものがありました
ここの裏手の方にある風穴というところから
風を起こして大風を起こして
ケアの大都に流れたその風で
天皇が全部退散したという
糸島の伝説がある
その風穴がここにあるんです
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955メートルの山から吹き下ろした大風で
ふもとのつまり島のケアの大都に
風を吹き込んで
天皇を退散したという風穴の
神風を起こしたという
そういう風穴があるんですか
どのくらいの
いわゆる藁で
藁を積んだんですよね
直径1.5メートルくらいで
高さが2メートル余りですか
そうですかそういう穴が空いてるんですか
穴が空いててと
穴が空いててそこから神風を送り込んだ
穴が空いててって穴はないんですか
途中まであるみたいですけど
ずっと潜った人いないので
伝説として途中まで穴は空いてる
入り口はあるんですか
見えないです
神の領域
そういう風穴があるんですね
面白い
60年ごとに吹き替えをしてて
ここ10年くらい前に
もう一度吹き替えをやったそうです
地域の人が毎年新しい藁を
家から積み重ね積み重ねして
40年か60年に一度
全部取り払って
新しいものに変えるのが
ここ10年前くらいにあったらしいんですよ
でも毎年地域の人が
上にどんどん藁を
重ねていってっていうことらしいです
すぐそこではあるんですけど
そこはあそこです
そして風穴へ向かいました
途中千与寺の横を通りました
これが本家本元の千与寺です
今から行きます
いかづち神社にあったと言われているものです
そうですかいかづち神社にあったんですね
このお堂が
名前がついたのは千与寺という名前がついたのは
江戸の黒田嗣高の時代になったからです
そうですか
そういうお堂千与寺と書いた
お堂の横を歩いています
前方に説明板が出てきました
伝説によればこの風穴は
島町ケ谷の音に続き
清賀商人が風の神を封じた穴と
言われていますと書いてありますね
これは
前山の風穴と書いたところに
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周りを囲ってありまして
真ん中にあるのは
わらを積み重ねてあると
これを毎年地元の方が
変えていらっしゃる
上からずっと変えるんじゃなくて積み重ねて
だから下の方は何年も昔という感じで
はいはい
2メーターぐらいの周りですかね
だんだんね
下に沈んでいくからまた上に
新しいものを重ねて
高さが1.5メーターぐらいかな
もうちょっとありますね
2メーターぐらいの
丸いわらずとと言いますか
そういうものになっていますね
それが毎年地元の方によって
積み重ねられていって
新しいものになっているということですね
来山の風穴ってこれが
毛穴ごとまで続いている
続いてて風が
吹いていくという穴だったのを
清賀商人が一応封印したとなっていますね
すごい威力だったんでしょうね
清賀商人が封印したので
今現在こういう風にわらの小墨みたいにして
蓋をしているんですけれども
やはり新域
神風の吹く穴なので
新域として地元の方々が丁寧に
お祭りしてあるということでしょうかね
そういう来山の風穴ですね
そして車で5分の
雷神社に移動しました
ここは雷神社ですけれども
ここにありましたのが
先ほどの大きな観音様
そこに跡があるんですけど
ここに来山専用寺の観音様が
ここにあったんですかね
明治になった時の廃仏希釈の時に
人物混合はダメということで
神社にありましたお寺さんを
先ほどの専用寺まで
全て下ろした
ここにありました書物
一緒に下ろしてあそこで保管ということで
あそこでお祭りということになったそうです
だから先ほど車で5分弱だから歩いて
30分ぐらいかかりますかね
その山道をですね
4.7メートルの大きな大きな
どうやって運んだんでしょうね
確かですね
写真があったんですよね
運んでるところ
写真があったのを見たんですけど
なんで運んでたのかな
聞いた話によると
大きなイカラの下に丸太を置いて
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丸太転がしでね
昔の家とかを古い家を
移動する時の方法をやりましたね
あの方法でやったようなことを
聞いた記憶があります
馬車を使って引いたそうです
ここに最初の鳥居があるんですけど
その鳥居の右の方ですね
にあったということですね
周りには樹齢千年の杉が
樹齢千年
杉の木が
観音杉
杉の木ですね
高さ20メーターかな
そのぐらいありますね
だいたいここは古い木が多いですよね
古くて大きな木がね
ここは中宮になるんですか
そう中の坊と言われてました
中宮ですね
中宮というのは下宮があって
ここは中宮ですね
仙女寺は下宮ですか
上宮というのもあるんですか
上宮もあるんです
実はスイカ雷電神
雷神社
雷の山って書いて
雷山って言うんですけど
古来は注ぎ山と呼ばれた
なぜ注ぎ山かというと
そこで注ぎのというところがある
950メートルちょっと下にね
注ぎのというところで
台風退散祈願だとか
雨漕い祈願とか
をした場所があるんです
お祭りの場所ですよね
そこの注ぎので台風退散なんですけど
敵国降参の祈願をしたのが
実は神宮神宮です
神宮神宮が出てきました
その注ぎの山と呼ばれた雷山の
スイカ雷電神というのが
実はそもそもお祭りしてあるのが
上宮なんです
スイカ雷電神って言ったら農業神なんです
農業の神様として
古代より土地の人たちが崇拝していた
神様がお祭りされているのが雷山
それが上宮にあります
それからこの
雷神社が中宮になるんですね
よくわかりました
この雷神社の方に入ってきます
雷山の中腹あたりにも
坊
坊
300坊
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300坊の修行なさる場所とかが
ありましたので
今でも途中のところに見ることができる
場所もここら辺だというのが
高知坊とかね
雷山300坊といって
スイカ雷電神にお祭りしていきましょうかね
では、険しい石段が
20段ばかりありますけども
その石段を登ってお参りして
今週から糸島方面を歩いています
まず雷山を歩きました
ご案内を
糸島ふるさとガイドの
三戸間雪代さんと岩田久美子さんに
お願いしました
この続きは来週お送りいたします
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島理恵さんです
今日は糸島市の
玄海などに面した海側の
関東の部分、島の歴史を扱った
島歴史資料館をご案内しようと思います
ご案内くださったのは
糸国歴史博物館学芸員の河合治さんですが
この糸島を考えるときに
糸島というのは糸と島
この2つの地域が合わさって糸島なんだよ
ということをまず教えてくれました
さらにこんなお話もしてくださいました
糸の方はやはり糸国の記述がありまして
弥生時代の王様の王母もありますので
非常に有名なんですけれども
歴史的に見ると島の方にも
たくさん面白い遺跡が残っていまして
糸島というのは糸も島もかなり
昔から重要な歴史的な
意義のある地域だったというふうに考えられますね
実際にその
海を生業にしていた人たちが
多く住んでいた場所と考えられているんですが
遺跡から出てくる遺物
特徴はやはり海に関連したようなものが多いとおっしゃるんですよ
この島歴史資料館では
8つのテーマに分けて展示をするんです
年代とかというよりも
テーマごとに住居生活
それから貢益それから信仰
漁業観宅そして生産母性
お墓の作り方ですね
このテーマごとに模型をたくさん使って
さらにコーナーごとにミニ模型で
昔の人々の暮らしが想像しやすいように
面白い展示になっているんですよね
かなりユニークです
物そのものも見てても
昔から使われてきた土器や生活道具
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グレーっぽい落露土器もあったりして
日本の中でも糸島に集中して出るというものもあったんですが
とにかく色々と大変なので
これをご紹介するのは
この中のテーマ
貢益のところにあったお金
河川 河兵のお金 泉と書くんですが
古代中国のお金が置いてあったんです
これぱっと見直径が3センチぐらいで
真ん中に四角い穴が開いてて
ネジ止めするときのワッシャーかなみたいな
そのぐらいの何気ない感じなんですが
弥生時代の三徳松原遺跡から出てきた
この遺跡は漁ろうしてた人たちの集落なんだそうですが
この河川
いつの頃からというと
新しいの神ですね
五感時代のもの 西暦でいうと
西暦14年 イエス・キリストの時代です
このお金のことについて
どんなふうな使われ方をしてたのか
その頃日本ってまだ河兵制度ないでしょ
どうだろうと思って河合さんに聞きました
河合 制動機の剣とか銅剣とか銅貨とか
色々あるんですが
それの材料にしたんじゃないかという説もありますし
一部では実際に使ってたんじゃないかという説もあります
河兵として
意味をわかっている人たちもやっぱり何人かいて
交易のやはりやり取りですね
交易の代償としてそういったものを
銅としてもらっていたというか
取引をしていたとかいう説もありますし
あるいは今でも海外旅行とかに行ったりすると
お釣りとしていくらかコインが余ったりするんですけど
そういう
交易の結果としてこういったものが
余りのようにしてできたのかもしれないという
そういう想像する方もいらっしゃいますけども
いずれにしてもこういったものが
海際の集落から出てくるということは
頻繁に人が行き来して
やり取りをしていたということの証になるかと思います
どれもありそうですね
大陸との海を使ったやり取りの結果
日本の玄関口であったこの地域に
いろんなものがあるのだというのが一つの証拠なんですよね
そしてもう一つこの河川
マニアックというか詳しく聞きますと
考古学的に大変意味があったことだったそうで
これを見つけたのは大正時代に九州大学医学部の教授だった
中山平次郎先生という方が見つけているんですが
実はこの古代の中国のお金と一緒に
土器を見つけている
この二つあることでこの土器は
このぐらいの年代だったんだなというのが
初めて特定できたんだそうです
今でこそいろんな技術が進んで
年代特定できてくるんですけれども
これができるようになったというつまりこの土器を基準にすると
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よその土器もこの年代ですねという風に
推測できるようになるわけなんですよ
非常に面白い発見がたくさん詰まっているんですが
今紹介しただけで私の今回のワクワクのほんの十分の一ぐらい
もっと奥が深い
島歴史資料館面白いです
自分の興味があるポイント目に入ってくるもの
その端見ごとに発見があるようなところなので
ぜひ糸島巡りの時には島歴史資料館に足を運んで
いろんな発見楽しんでみてください
中島リエさんでした
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この番組は三山市の企画協賛
餃子の山鉢
道の駅胸形の提供でお送りいたしました
ご案内は坂田周代でした
ご視聴ありがとうございました