1. 喪失感は、突然に
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2025-11-29 16:07

#48 忘れ去られることと、覚えていてくれること

雑談タイム:昼は暖かく夜は寒い日が続き服装に困る日々

16歳で父を亡くし見捨てられた感覚を抱く/ 30年経ってやっとその思いを言葉にできた/ 父の生きる意味になれな かったと感じていた/ 仕方ないが父に置いてかれたという事実がある/ その後の日常において、蔑ろにされると怒りに変わり その場を立ち去ってしまうことが多々あった/ 覚えていてくれたことに 感謝の気持ちを持ちた

サマリー

エピソードでは、忘れ去られることへの感情と、覚えていてもらうことの重要性について語っています。特に、個人の過去の体験や愛情の記憶が、どのように生きづらさに結びついているかに焦点を当てています。

季節の変化
なんか、私は関東の方に住んでいるんですけども、なんかここ最近、昼間はすごい暑く、まあ暑いまではないけど暖かくて、夜になると寒いみたいなのが続いてる気がするんですけど、
皆様の地域はどんな感じですかね。なんか、まあ一応冬だから暖かい格好をしていくわけだけども、電車とか会社とか、なんかこう暖房ついてて、暖かい格好をしてるんですけども、
なんか、まあ一応冬だから暖かい格好をしていくわけだけども、電車とか会社とか、なんかこう暖房ついてて、歩いて行くわけ、駅から降りてね、そうすると暑いわけですよ。しばらくこう、熱が冷めないとか、またハトルネックとか着ちゃってるからいけないんですけど、
で、帰りは、あれ?なんかすごい寒くない?この格好みたいになって、まあすごい困るなぁみたいな日々なんですよね。今もなんか、まあそもそも部屋の中で、こう靴下、素足で痛くて靴下履いてなくて、でもさすがにそれはもう無理だなと思ってレッグウォーマーで足先出してるみたいな感じで、あとストープつけてるみたいな感じで、
今もあの過ごしているのですけども、寒い。足が寒い。なんかこう、パソコンのデスクの下に、なんかこう四角くなるような暖房機器置きたいなぁと思いつつも、まあなんとかストーブでいいかって言って、数年を過ごしている今日この頃です。
ということで、そう、なんか私数回前に、このラジオの趣旨みたいな感じを最初に喋って、喋れた?みたいなことやった気がするのに、前回やってなかったなぁとか、今思い出したそういえば。まあいいや、もうちょっと今日はこのまま進めさせていただければと思います。
まあそうですね。
まあそうですね。
まあそうですね。
まあそうですね。
まあそうですね。
まあそうですね。
まあそうですね。
まあ、これはちょっと、言葉にうまくできなかったというか、あんまり表出することもなかったんですけど、よくよくね、ここ数年はいろいろ言葉にできるようになったりすることも、30年経ってもやっとこの言葉が普通に言えたとか、この言葉が一番ぴったしくるみたいなのがあるわけなんですけども、その一つが、見捨てられたっていう言葉。
初めてその言葉を思い返すと、20代の頃とかに、本当にこう辛い時に、見捨てられたというか、捨てられたとか置いてかれたとか、そういう言葉は思ったことはあったけども、なんかこうものすごい重しをつけたもので、ぎゅぎゅぎゅって感じで、
蓋閉めてた感じがあって、今思うとね、あって、なんかね、その言葉が自分のこのノートの中に出現したのが、本当ここ数年。
で、去年、初めて自分の体験を語るっていうことを、みんなの前でしたんですね。自分の話、これまでの人生の話とかをしてきた時に、その時は、その言葉が自分の中にいなかったんですよ。
それ書くまでに、いろんなノートを出して全部読んだはずだったんですけど、なんかね、その読んだ時に、ここ数ヶ月の分は読まなかったのがたまたま。
だからそれで原稿を書いたんですけども、その後に、なんかこう見る機会があって、あ、見捨てられたって言葉がここにあったみたいなのがあって、でも、その言葉が私にとってずーっとこう、一つ生きづらかった、一つの大きな要因だったってとこなんですね。
まあその、忘れ去られてしまったわけですね。その、ある人がね、異族の人とお話しした時に、自分はこう、生きる意味にならなかったって言葉をおっしゃってた時があって、なんかそれがね、なんかすごい自分の中でめちゃくちゃ残ったんですよ。
あ、そうかって。その時にね、多分ね、見捨てられ、自分の中での見捨てられたと結びついたんだと思うんですけど、そうだ私は本当、子供だったわけなんですが、父の生きる意味にはなれなかったんだなって思い出してもらえなかったんだなって思ってたことが、
まあこう、二十数年ずっとこう、ちゃんと生きられないなぁと思ってたことの一つで、ただ、その忘れ去られてしまった、その、亡くなる時っていうのがまあよく言われてることとして、
死は凶作になってしまう。もうこの、いろんなことを考えられてたところがどんどんどんどんこうして回ってきてしまって、もう最後はもう死ぬしかないというような思いまで至るっていうことを言われているんですけども、決してこう、
全てがそうじゃないかもしれないけども、少なくとも父は私のことをこう、最後まで気にかけてくれて亡くなってったわけなんですけども、それでもでも、見捨てられたのは変わらん。見捨てられたって今は思ってないんだけど、
あのまあ、置いてかれたとはまあ思ったし、それ置いてかれたのは多分事実だと思うんですよ、やっぱり。その、まだ16歳だったし、まあそれでもその理由というか、もう死なざるを得なかったものがあったのもきちんと理解はしているし、
どうしようもなかったのも理解しているけど、置いてかれたっていうのも事実だというふうに思って、今はこう、割り切られたのかな、わかんないけど。
まあそれで、こうだから、その後の生きづらかった一つというのが、なんかこう、自分のことをこう、ちょっとでもね、まあちょっとかどうかわかんないけど、ないがしろにされているような気持ちにさせられると、ものすごい私なんか怒りに変わってしまうとか、
その場からいなくなってしまうみたいな、もうなんか言葉にならずに、ふざけんなって感じで、こうその場からいなくなるとか、なんかこう、自分のことなんかもう必要ないんだみたいな、まあ言葉にはしないんですけど、なんかそういうふうに強く思ってしまうと、
その場からこう、立ち去ってしまうというか、それがきっと見捨てられたっていう思いがとてもリンクしていたんだなっていうのをね、まあ大人だいぶこう、数年経って、
20歳じゃないか、その言葉自体は30年ぐらい経ってから、ちゃんとこう理解したわけだから、まあね、こう、しっくりくる言葉って、それのその時々にこう、見つかっていくわけなんだけども、もうね、30年経ってたぐらいの時に、
覚えていてくれることの大切さ
よく私は多分この言葉を口にするようになったと思うし、最初の頃は、まあ今でもちょっと涙ぐんじゃうんですけど、まあ最初の頃その言葉にしようと思う時点で、なんかもう涙がボワーみたいになってたけど、だから逆にね、その覚えていてくれるっていうことを、
なんだろう、
まじかにしてくれるというか、出会うと、ものすごいこう、自分は救われた感覚というか、安堵というか、何も言葉にならないような、それこそ思いになって、
前もなんかどこかで話したことあるかもしれないんですけど、この明日付近でね、ちょっとなんか自分が不安でなってきた時に、SNS上でこういろいろアイコン変えたりとか、そもそも不安定だとなんでアイコン変えるんだっていう、なんかその謎な行動をしてたんですけども、
なんだろう、まあ自分でもまあそういうのよくわかんないわけですよ。
まあそういうのをアイコンコロコロコロコロ変えてて、私はこうね、聞いてる人はご存知かと思いますが、アムロナミエさんが大好きなんですけど、
その使ってたアカウントでは、アムロさんの顔をアイコンにすることないんですけど、その時はまあ本当すごい好きな写真をアイコンにして、なんかツイートをしたら、友達がなんかあったのかいっていう、本当たった一言だったと思うんですけど声かけてくれて、
え、なんでもないよっていう。
で、その時、SNS上では答えて、でLINEで、まあ喋ってもいいかって話して喋って。
まあそれで今の心境みたいな話して、そしたらなんか彼女が言ってくれたのが、そのアムロさんのアイコンにすることないのにアイコンにするし、しかも私のね一番好きな写真をアイコンにするからなんかあったのかなと思ったって言ってくれて、
ああ、この人は私が超好きだって言ってるアイコン。だってめちゃくちゃね、アムロさんの写真ってまあみんなオタクだから、いろんな写真を集めてるわけですよ、好きな写真とか。
その中でたった一つ覚えてくれるって、なんかこの人私のこと本当知ってるんだなとかで、アイコンアムロさんにしないとかっていうのも、なんかまあそういうふうに、そんな話したことあったのかな。
あったかもしれないけど、本当でも普通の日常の会話の中の一つで、しかも地方、同じ関東じゃないところに住んでたから、会うのは本当ツアーが始まって各地行った時とかに会うわけなんですけども、
なんかこうね、そんなふうに覚えてくれたことっていうのが、私にとってものすごい救いだったし、もちろんその、コロコロアイコン書いてるっていう行動を見ててくれたこともまあ大きいは大きいんですけど、覚えててくれたことがまたまたそれで嬉しくて。
だからこう覚えていてくれるっていうことは、私に何らかの興味がないと覚えててくれないし、しかも大切にしているものこそ覚えててくれるとすごく嬉しいというか、安心感だし、
自分が大切にされてるっていうのを指標、指標って言い方がなんか合わないけど、なんかこう一つの道しるべ、道しるべ?わからないな。言葉が出てこないと。
って思うんですよね。逆にこう、何と言ってもね、これでも話じゃない、何と言っても覚えててくれないとか、くだらないことでもね、私なんか何回この駅でこの電車で帰るって言っても覚えてくれない人とかいて、そうするともうこの人に大切なこと話すのやめようとか。
あとものすごいね、大切なというか、私のね、アンブロさんのコレクションとかいろいろあったんですけど、なんかそういうのが欲しいって言われて、あげたことがあって。
そしたらなんか、1年か2年経った、1年くらいかな、経った後に、え、これくれんの嬉しいとか言われて、えー、だいぶ前にあげたけどなーとか、私これすっげー時間かけて集めたやつなのになーとか、
なんか、私自身のことも、こう大切な、この集めたものも全て何か収入された気分になって、あーもう、この人とあんまこう上辺だけって言い方あれだけど、あんまこう表面的な付き合いだけしようっていう風に思ったりとかして、
まあそれはもう相性もね、あるわけですから、まあ仕方がなかったというや仕方がなかったという。
本当こう、忘れ去られ、まあね、人だからね、なんかこういろいろ忘れてってしまうってことって、たたあるし、自分のことでさえもね、いろいろ忘れてっているから、
こうもう忘れることも、忘れ去られてしまうことに、こうなんか、失望とかね、してたらもうキリがなくなってしまうからね、なんか、相手を責めることできるわけじゃないんだけど、
でも、まあそれもね、仕方ないと思いつつも、覚えていてくれたことに、伝えるか伝えないかちょっとわかんないけど感謝っていうのはね、やっぱこう、していければいいなという風に思ってます。
今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。またねー。
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