電気圧力鍋の体験
喪失感は突然に、第35回目の配信です。
今回は、無数の「if」はこれからを生きる道しるべ、ということについてお話ししていきたいと思います。
話に入る前に、1個聞いてほしいことがありまして、
うちに電気圧力窯というものがあるんですね。
炊飯器を買い替える時に、普通の炊飯器よりも高機能のものを買おうかなと思ったら、すごいバカ高くて、
そしたら、電気圧力窯がいい感じの値段で、
白米と玄米どっちも炊けるっていうので、買ってみたんですよ。
ただ、白米と玄米しかずっと使ってなくて、
今回初めてね、数年ぶり、3年前とかに買ったのかな。
ここ最近、圧力窯として使ってみてるんですよ。
圧力鍋というよりも、だけじゃなくて、煮るとか炒めるとか、ムースとかいろいろできて、
煮込みハンバーグ作って、これも結構おいしくて、
肉じゃがは、ちょっと分量を変え…
あの、じゃがいもの量を変えたら、調味料の量を間違えたというか、わからなくなっちゃって、
薄かったんですけど、
今日ね、今日作ったのが、魚介と野菜のガーリック風っていう、
これだけ聞くと何の味か全くわからないんですけど、
エビとか野菜とかをバーって入れて、
白ワイン、オリーブオイル、胡椒、塩、ニンニクで圧力するだけなんですよ。
うち白ワインなかったから、料理酒とレモンでよろしいらしくので、やってみたんです。
そしたらすーごいおいしくて、
エビ8匹?多分7匹くらいかな?
アサリとじゃがいも、塩なんてね、5茶匙2分の1なんですよ。
で、ニンニクチューブちょっと入れたな、結構。
2かけ?本当は2かけか。
でも、いだいち関節くらいは入れた。
のに、なんかすごい塩味ついてて、
エビなんですかね。
ものすごい魚介のエキスもいっぱい出てて、
ただ、じゃがいもがほとんど肉ずれしちゃってるのが、
圧力鍋すごいなと思って。
しかもね、圧力調理1分って選択してスタートさせるんですよ。
で、圧力がマックスいくまでに、
5分以上?10分くらいかな。
かかってそっから1分で、
ちょっとひよっちゃって、1分って本当かよと思って2分くらいにしちゃったんですけど、
圧力マックスいくまでの時間のことを忘れてたので、
1分くらいで止めたんですけど、
じゃがいもがあんなにぐちゃってなってしまうのかと思って、
じゃがいもたぶん下に入れちゃいけないんでしょうね。
きっと上に入れなきゃいけないんだよな。
ここ3回くらいやってるんですけど、
だんだんこう使い方が慣れてきて、
美味しいのもあるんだけど、
こういう器具ってほったらかしにできるのがやっぱすごい一番のメリットだなと思っていて、
実はうち、ノンフライヤーもあるんですね。
そういう調理器具好きなんですけど、
しかもスマホとつながったりとかするんですけど、
ほったらかしにできて、
母が高齢なので、
ほったらかしにして投げ込めば、
投げ込めばって言い方あれですけど、
放り込めばできるっていう器具を買ってみたんですよ。
当のお母さんは機械音痴で触りたくないっていう風に言われるかなと思って、
あの女言われてしまったので、
私が作って置いておけばいいので、
今回3年前くらいに買った電気圧力釜がね、
すごい簡単にこんなにできるんだなと思って、
もっと活用していきたいなと思ったので、
なんか今日ちょっとお話聞いてもらいたくなりました。
父の死と思い出
ということで本題に入りますと、
無数のイフ。
何かというと、
ああしておけばよかった、こうしておけばよかったって今のことなんですけど、
父が亡くなった時なんですけど、
私の誕生日の次の日に自死をしたんですけども、
その誕生日だったので、
プレゼントというよりもその時も高校生だったのでお金をもらって、
本当だったらその日とかいつも自分の部屋に帰る前にご飯みんなで食べて、
お父さんと一緒にテレビ見て、
それでしばらくめちゃくちゃ喋って自分の部屋帰るんですけど、
その日は兄がなんかこうCDをダビングしてくれって言われて、
カセットにですよ。懐かしいですよね。これ分かる人多分同年代。
カセットにね、ダビングしてくれって言って言われて、
めんどくさいなと思って、でも後で何か言われるのは嫌だから、
その日は早くお父さんは喋らずに自分の部屋に戻って、
その日なんかどっかの空港ですごい事故が、大炎上した事故が起こって、
これすごいなと思って、お父さんに話にしに行こうかなと思ったけど、
明日話せばいいやと思って行かなかったんですよ。
そうしたら次の日亡くなってたわけなんですけども、
あの時、もし言ってたらお父さんどういう様子だったのかって、
今覚えてられたのになーって。
止められたとかそういうことは多分、昔だったらもしかしたら思ったのかもしれないけど、
でも16歳の私に何かできたことはきっと何もなかったんでしょうね。
ただ最後の姿というか、喋ったこととか、
そういったことを今覚えてられたのになーというようなのを考えることは今でもあって、
もしもというのを考えても戻れるわけではないから、
もしかしたら人によったら意味がないって思うかもしれないし、
とはいえ意味がないって分かっていながらも、考えてしまうことは止められないわけですから、
なんであの時こうしておけばとか、こう言ってれば変わったんじゃないかとかっていう、
おそらくあの時もしこうしてればこうだったんじゃないかっていうのを本当にやってたとして、
でも多分おそらくそれ以外にまたこれもこうだったんじゃないかってきっと思うから、
一つのイフがクリアしても違うイフが必ずあると思うので、
おそらく堂々巡りにはなるんではないかなと。
まあそれが分かったところでね、考えるのは止められないわけですから、
兄の時もね、やっぱりこうすればよかった、ああすればよかったっていうのは、
やはり父よりもすごくたくさんある。
自分もだいぶ大人にもなっていたし、
父よりも兄の死に近かった、近かったというか関わっていたというか、
全部私のせいではもちろんない、
それはさすがにあの他と違いだと思うし、
けど何かしら少し言葉が適切かどうかわからないけど、
自分の死に影響を与えていた一人ではある。
何かできたうちの一人でもある。
だからといって、それがなんだろう、
罪悪感。
実績はあるけど、罪悪感はないかな。
その実績と罪悪感の違いは何かって説明うまくできませんけど、
ただ、ああすればよかった、こうすればよかったって思う度に、
もしかしたら次に、次にって言い方もね、
取り返しがつかないじゃないですか、その人はもう亡くなってしまってるわけだし、
私の場合は亡くなってしまった人に対してできなかったことだから、
取り返しがほんとつかなくて、
同じ状況なんて巡ってくることもないんですけど、
それでもやはり、ああすればよかった、こうすればよかったっていう思いは、
何かしら、私の次につながってるのではないかなと思うこともあります。
母との関係と自己認識
一つに、今母と暮らしているんですけども、
一緒に暮らし始めた頃は、よく喧嘩をしていて、
すごい、私が結構言い過ぎちゃうんですけど、
部屋に戻ってしばらくすると、こんなこと言わなきゃよかったとか、
もし次に私が母の部屋に行ったら死んでたらどうしようとか、
朝起きたらいなかったらどうしようとか、
そういうことを何度も思ったわけなんです。
そういうことを何度か繰り返した後に、
もうこんな後悔をするぐらいだったら、
喧嘩しなければいいんじゃないかって思ったんですよ。
でも、喧嘩をしないっていうことが、そちらの方が無理だった。
言い合いとかしてしまうし、私だってこうイラッとして何かを言ってしまうときって、
その時の感情を抑えるのは難しいというふうに思って、
だから、もう私が何かを言ったこととか、私が何かを行動したことで、
母が死んでも、もうそれは自分自身で納得するしかないって思ったんですよね。
だってその怒りとか、何かこう言ってしまうのは止められない自分がいるっていうふうな認識しているわけですから、
だから、死んだとしたら母が、
それはもういたしかたないことだというふうに思うことにしようというふうに思ったわけなんですけど、
時期はちょっと確かではないんですけども、
そんなようなことを思った後から、あまりこう自分が怒って、
もうそこまで爆発しなくなったんですよね。
一旦ちょっとイラッとしすぎて部屋には行ったりするんだけども、
でもしばらくしてまた母の部屋に行って、ちょっとうざがらみしながら笑いながら、
感情との向き合い
さっきのことを謝ったりとか、そんなにもう怒らなくてもいいじゃないかとか、
お母さんはね、感情が一回怒ると、もうそこから揺るがない感じになってしまって、
それは母の性格というよりも、高齢者として、
それちょっと私も定かではないんだけども、
感情を抑えるとか、感情を表現するとかっていうのが、
昔よりも衰えてる気がし始めたんですね。
そうなってきたら、私の方が許容範囲が広く保てるわけだから、
なんとか今のお母さんのイライラした気持ちを抑える方向に行った方が、
生活がしやすいし、また楽しいし、
だんだん喧嘩の収め方がうまくなったというか、
そういうのが生活をしていくっていうことの一つなんだろうなって思い始めて、
なので、いろんなね、
合わしておけばよかった、こうしておけばよかったとか、
いろいろ考えていった先に、違うやり方というか、
できた一つなのかなと。
あとなんか、私がこの、もし何々しておけばっていう中で一番大きいのが、
友達が亡くなった時なんですよね。
20代の真ん中ぐらいに知り合った友達で、
ある日、なんか泣きながら電話かかってきて、
辛いことがあったということで、話し聞いてて、
その3日後か4日後ぐらいに、その友達のお母さんから電話かかってきて、亡くなりましたと。
最後に電話かけたのが、あなたなんですけども、何を話しましたかって聞かれたんですよ。
でも、すごいびっくりして、
言える話ではなかったので、嘘をついてしまったんですね。
その電話を終わった後に、水曜日か木曜日か何かだったんだけど、
土曜日に友達のとこに行こうかと思ったんですよ。
心配だったから。
でも、行かなかったんですよね。
なんとなく。
それで、日曜日に電話かかってきて、
一応、死んだ理由とかは事故だったっていう風に、
バイクの事故だったって聞いてるんですけど、
でも、バイクの置き場所にバイクがあったから、
結局、分かんないままなんですね。
あの時、行ってたら、
分かんない。何かが交わせたんじゃないかなっていうのは、
すごい思うんですよね。
友人との思い出
同じ結果だったとしても、
なんか違う話をあっていたら、
してたわけだから確実に。
だから、それをたまに思い出してしまうし、
彼女から、死にたいと思ったことあるって聞かれたんですけど、
私はその時に、ちゃんと答えなかったっていう記憶が鮮明に残ってて、
死にたいと思ったことはないわけじゃないけど、
みたいな変な答え方をしてしまったんですよね。
逃げてしまったような。
その時、父が亡くなって9年とか10年とか経ってんじゃないかな。
なのに、まともに答えられなかった自分がいて、
だから、すごい後悔をしているんですよね。
この後悔って、彼女に何かできたんじゃないかっていうのもあるにはあるけど、
でも、最後に、本当に事故かもしれないから、
自殺っていうのを断定することはできないんですけど、
でも、会いに行ってて、
そういう不安定な状態であったとしたら、
バイク乗んない方がいいよとか言えたかもしれないし、
年齢が2つぐらいしか違くなくて、
その時、父親を亡くしたのは、
同年代の子を亡くしたのは、その時初めてで、
その前に父親を亡くしているから、
身近な人の死っていうのは初めてじゃないけど、
家族だから、もちろん身近にいろんな話とか聞けたけど、
友達ってなると、
お母さんとは何回かお家に行かせてもらって話したりはしたけど、
けど、実際問題は深く話せるわけではないし、
真相とかもよくわからないこともたくさんあったし、
だから、受け入れるのに、
別の意味で難しかったなーっていうのもあって、
だからあの日以来、
明日とか次とかっていうのが、
お父さんとかお兄ちゃん、
その後お兄ちゃん、ダブダとかお兄ちゃんが亡くなっているけど、
明日とか次とかっていうのがないんだなっていうのを、
なんかよりリアルに感じたのが、
その友達の死だったなーと思って。
なので、もちろん一人言い分かりにはならないようにはするのが前提なんですけど、
友達が何かあった時とかに、
声をかけられる自分でいたいなっていうのをすごく強く思ってます。
もしね、相手がそれを必要としないのであれば、
断るだろうし、無視するだろうし、
けどそこで無視されたとか断られたとか、
そういうことでネガティブな思いを私がいただかなければ良いだけだと思うので、
いろんなね、
そういうふうに思うことで、
私の行動が変わっていくわけで、
自分自身どうあるべきかっていうのを問い正しているようなものだと思うので、
あの時こうしてればよかった、
ああしてればよかったっていう思いが出てきて、
こんなこと思っても無駄なのになーって思うことが、
結構多いと思うので、
こんなこと思っても無駄なのになーって思うことがあると思うけども、
けどまあそういった思いは自然発生的に起こってきてしまうから、
まあそんな無数のね、
意識をね、
胸に刻みつける感じ。
なんかこう、何だろうな、
言葉にするとすごい嫌なんですけど、
次に生かすみたいなことじゃないですか、これって。
けどなんか、
次に生かすってめちゃくちゃ嫌なんですよね。
なんかだって、
私の場合は、
それができなくて死んでしまったっていうような思いなわけで、
もう取り返しつかないことだから、
まあ結局は異風っていうのはね、
こういうふうにもう堂々巡りするしかないものだなと、
今こう喋っててまたね思いました。
今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。
またねー。