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皆さん、こんにちは。
エクスペリエンスデザイナーの石川由加子と、
リサーチャー、ストーリーテラーの杉田麻里子です。
この番組は、都市というテーマが好きで好きでしょうがない2人が、
都市に関する様々なグッドニュースをザックバラーに話す場所です。
はい、今月は都市と市をテーマに色々とお話をしてきたんですが、
今回もちょっとゲストをお迎えしてお話をしていきたいと思います。
エクスランデザイン代表の墓地設計家の関野蘭さんです。
よろしくお願いします。
お願いします。
お願いします。
蘭さんとは結構、そうですね、私がまだ大学卒業してすぐぐらいに
テデックスキッズっていう活動をしてた時にお会いして、
その時に墓地を、墓地設計家と名乗って墓地を作っている方がいるんだ、
というのを私も初めてお会いして非常に興味を持って、
いろいろとご活躍を横目で拝見していたという感じでした。
今はちょっとどんなことをされているのかお伺いしてもいいでしょうか。
はい、ゆか子さんと出会ったのはもう10年以上前だと思うんですけど、
その時からずっとゆっくりゆっくりですけれども、お墓の設計をしていました。
お墓っていうのは、大体が墓石のお墓を想像されると思うんですけど、
そういう形ではなくて、新しい形のお墓を設計・提案させていただいています。
どんな形かというと、いわゆる樹木層と呼ばれたり、
農骨堂であったり、従来のお墓が先祖代々ついていっていたものが、
今各家族化、少子化、また人のライフスタイルの変化で、
お墓の形がかたわっていっていて、
その変化に合わせた新しいお墓の提案をさせていただいています。
最近、クラブハウスとかでも、死をテーマに、
寝る前にちょっとお話ししましょう、みたいな企画をされているみたいなお話も聞いたんですけど。
そうですね。お墓って、今は、もともとはお寺に、
団家さんになっていたお寺に、自分の家のお墓もあって、
そこに代々受け継がれたお墓に、自分も亡くなったら入るっていうのが一般的だったんですけれども、
そうじゃない新しい形になって、今はそれを求める方、
結構それが、高齢の方がお墓を探すって多いんですけれども、
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ただお墓って、一度できたら、できれば100年以上、長くつながるものがいいと思うので、
そうすると、そういう高齢の方だけじゃなくて、若いいろんな世代の方にも、
今からできる新しいお墓っていうのは、すごく重要なものになると思うんですね。
なので、できれば、お墓の話を若い方々とたくさんできればいいなと思っていまして、
そのために、クラブハウスがとてもいいツールなんじゃないかと思って、
寝る前に、あまり深刻な深い話じゃなくて、ゆるりと生きること死ぬことっていうのを話す部屋っていうのを作って、
やってました。
すごいいい取り組みですよね。
今日もちょっとそういうお話をできたらいいなと思ったんですけど、
ちょっとその前に、どうしても聞きたかったのが、
ランさんが設計された風の丘樹木草墓地、すごい素敵だなと思って、
私もずっと行きたいなと思ってたんですけど、
ランさんが、私は墓地デザイナーとして、墓地設計家としてやっていきたいって思ったきっかけというか、
なんで墓地だったのかなみたいなところをまず聞いてみたいなと思いました。
実はきっかけは、大学院の時に研究室で墓地研究というのをやっていたっていう経緯がありまして、
そこできっかけがあって、大学院の時に実際の設計に関わらせていただく機会をもらいました。
それから縁があって、他の設計をつながっていたんですけど、
一番これを続けていこうと思ったのが、
今、まりくさんが紹介していただいた東京都八王子市に設計した風の丘樹木草墓地なんですね。
この時に、今までお墓の設計を続けてきた時に、
どちらかというと、自分が亡くなった時にどんなお墓に入りたいかっていうのを考えてきたんですけど、
お墓ってそれだけではないなと思って、
そうすると自分が死ぬっていう死のことの方ばかり意識していたんですけど、
お墓ってその死のイメージだけじゃなくて、やっぱり亡くなった方がむしろ生きてたっていうことを
表すものなので、人が生きて死んでいくっていうその流れを全て表すのがお墓なんじゃないかと思ったんです。
なので風の丘樹木草墓地ではそういう死だけじゃなくて、
人が生きるってどういうことなんだろうっていうのを考えて設計して、
その時にもしかしたら自分はこういうことを考えるのが向いてるかもしれないと思って、
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これを続けていきたいなと思いました。
ありがとうございます。
都市の賑わいもすごくいいと思うんですけど、
どちらかというと都市の中でも孤独を受け止める場所っていうのが大事なんじゃないかなと思って、
そういう場所を設計できたらと思っています。
なるほど。都市の中での孤独を受け止める場所。
なかなか今って孤独になれる場所そんなにないと思うんですけど、
どこも明るいし、町はやっぱり賑わうために作られてる場所だと思うんですけど、
やっぱり特に死っていうものと向き合うときって孤独な場所が必要だと思うんですよね。
お墓って一応お寺さんの支友というのが中にありますけど、
比較的誰でも入れる公共の場所なので、
都市の賑わいと対比して一人で物思いに受けれる場所という場所として、
お墓は孤独を受け止める場所として大事なんじゃないかなと思っています。
なるほど、確かに何か数年前にスウェーデンに行った時に確かお墓を巡ったんですよね。
有名な建物、ちょっと名前忘れちゃったんですけど、
森の墓地。
そうです、まさにそうです。
都会からそんなに遠く離れてもいないんですけど、かなり一人に慣れて一人旅で行ってたんですけど、
その空間がすごい印象的だったなと思って、今の話聞いていてピンとくるものがありました。
特にこのコロナ禍で今まで都市ってどちらかというと密になってみんなで集まって楽しむ場所っていうのは多かったと思うんですけど、
なかなかもう密にはなれないけど、そうであっても一人で歩いててもいろんな方が生きてたっていうのを感じたりとか、
空間のつながりを感じたりとか、自分のことを考えてる時って向き合ってる時ってやっぱりその周りとのつながりもより感じる場所の方が向き合えたりするので、
なんかそういう場所としてお墓っていうのは今だからこそ重要な場所なんじゃないかなってすごく思います。
うん、なるほど。ありがとうございます。
クラブハウスをやってて、参加してくださった方に必ず聞いてた質問があるんですけど、
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それは自分ならどんなお墓に入りたいかっていうことなんです。
この質問をぜひお二人にも聞いてみたいと思ってます。
いやなんか結構難しかったんですよね。
なんかあんまり多分イメージが本当に湧かなくて、結構無理やりこじつけた感じの回答にはなるんですけど、
だからそもそもさっきその墓イコール死ではないってことをおっしゃってたんですけど、
なんかやっぱりそういうイメージが自分の中にも多分あって、
死っていうものをあんまりこうイメージできてないとか、
死んだ時に自分が何を残したいかとか、残せてるかみたいなところがまだイメージできてないみたいなところが多分あるんだろうなみたいなことを思って、
ちょっとだけ苦労しながら考えたんですけど、
なんか2つあるなと思って、
やっぱりなんか今いわゆる石の墓みたいな人工的なものの中には入りたくないなと思っていて、
多分あの都市の中にちょっとひしめいて立ってるような、いわゆる墓地みたいなところには多分入りたくないなっていうのをまずパッと思ったっていうところ。
でもなんか墓を作ってくれっていうことであれば、
なんかどんなスペースがいいかなと思ったときに、
なんか都市の中でも、ま、町の中でもこう占有できるすごいちっちゃなスペースと捉えたときに、
どんなスペースを町の中に作りたいかなと思ったんですよ。
そのときに、なんかちょっとこう、町が見渡せる眺めのいい場所で、私的ベスポジみたいなところに、
ちょっとこう椅子でも置いて、みんながその角度でこう座れるような場所みたいなものを、
なんか私が与えられたスペースとして墓として作れたらいいなみたいなことをちょっと思ったりしました。
すごいいいですね。来てくださる方にその景色を共有してもらうっていうお墓っていうことですよね。
そうです。生きた中で一番いい景色。
確かに。
あーいいね。とむらいに行きがてら、そのベスポジの景色を見に行けるみたいな。
いいね。
まりこさんはどうですか?
私はですね、数年前に見た事例があって、私これがいいってピンときたものがあって、ずっとそれ、私もこれだなって思ってるんですけど、
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なんかあのイタリアに行ったときに、ミラノサローネっていうのかな?
ミラノサローネか。で字幕層って言っていいかわかんないんですけど、なんかカプセル状のもの、お墓のカプセルみたいなのがあって、
その上に木が生えてるみたいな、ちょっと実装してないと思うんですけど、
デザイナーが作られた新しいお墓のコンセプトみたいなのを見たときに、なんかあのちっちゃいときの頃思い出して、
思い出したときに、私の親がヤギを飼ってたんですよ、謎に。
でヤギが死んだときに、庭のグミの木の下に遺体を植えたんですよ。
そしたら、そのグミの木がもう次の年から異常に大きくなり始めて、たくさん実も付けるし、葉っぱもツヤツヤしてるし、
これはヤギの遺体のおかげだね、みたいな話をしてたんですけど、
なんか気持ち悪いって捉える人も、もしかしたらいるかもしれないんですけど、
私なんか死んだら、そういう一つの木の栄養になる、自分の遺体が、みたいなのがすごいいいなと思っていて、
なんかそうすると、死がせいになるというか、なんか死んだ後も、その木が育ったときに、育つ様子を見ながら、私のことを思い出してもらったりとか、
緑も街に増えるし、一石二鳥だな、みたいなことを私は考えてました。
いいですね。私もそのフォットの中に遺骨を埋葬するっていうのは、記事で見てました。
実装化されたらすごいですよね。
うん、グッドなアイデアですよね。
なんか樹木草って、昔から、なんか調べたら昔からあった、ある埋葬方法だと思うんですけど、
なんかその人間の遺体の栄養で育てるというよりは、その横にちょっと苗木を植えるみたいな感じだったと思うんですけど、
それがちょっと未来版に進化した例かなと思って。
完全に木に栄養を本当に吸ってもらうっていうので、生命が循環していく感じですね。
私がお墓の設計のテーマにしているキーワードが、個別性と連続性っていうのをテーマにしてるんですけど、
人の一生って、その人にとっては特別な時間なんですけど、
長い人類の歴史の中では、それが繋がっている中で自分の生きていた時間があって、また後世の方々に繋がっている時間があるという、
その連続性の中に個別の時間が組み込まれていて、それはどっちも重要なものっていう、
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時間的な流れだとか、あとは空間的にも、自分はかけがえのない一人の存在なんだけど、
社会と繋がっていたり、その周りの環境と繋がって自分が存在しているということで、
周りとの空間的な連続性の中に自分と一人の存在がある。
時間的にも空間的にも、個別性と連続性どちらも感じられるっていうのが、
性の実感を感じる中で重要なんじゃないかと思ってるんですね。
お墓設計するお墓も、お墓としてはそこが埋葬されるという特別な場所なんだけれども、
そこが完結した、そこだけに閉じた空間ではなくて、周りの環境と繋がっているって感じられる。
より広い世界に、ここに眠った方がより広い、つまり地球の環境に帰っていくっていうのを感じられる場所ができたらなぁと思っています。
私は感じている中で、ユカコさんとマリコさんの理想とされるお墓が、
マリコさんのほうは生命の循環というので、中に自分がいるっていうのを体現される形だと思いますし、
ユカコさんは自分の特別な場所っていうのが、自分だけじゃなくていろんな方に共有される場所で、
あとその街を見渡せるっていう、周りが広く見えるっていう場所で、
その周りとの繋がりの中に自分がいるっていうのを感じられるっていうね、すごく素敵な場所だなと思います。
二人ともの理想のお墓っていうのは、すごく素敵な場所だなと思います。
そう、なので、あの石の墓に入るのかって考えると気が重いんですけど、
自由に考えていいよって言われると、すごい楽しんだなっていうのは、今回お題をいただいて思いました。
その中でもユカコさんはもう最初から都市部の中っていうのを想定されてましたよね。
そうですね、自分の家族も都市にいるし、生活も都市だったので、
あんまり遅延のないとこに行くイメージが湧かなかったっていうのがあるかもです。
それもすごく印象的でした。
ちなみになんですけど、なんか今って埋葬方法とかって自分で選べるものなんですか?
なんか仮葬が本当に一般的じゃないですか。で、土葬がダメ?
なんかいろんな埋葬方法、遺体の例えばその埋葬の方法、選べないみたいな噂も聞いたんですけど、
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なんか法律的にそこら辺ってどうなってるんですか?
そうですね、法律的には衛生面の問題もあって、日本では仮葬っていうのがほぼ必須になってます。
すごく特別な、例えば離島で仮葬場がないとかいうところでは、
稀に認められてるケースもありますけど、基本的には仮葬が必須になってます。
それって日本の歴史上で昔からずっとそうだったんですか?
なんか今私たちが見てるお墓の形とかも、昔からずっとこうだったのかなとか、
なんかある時代に急にできたスタイルなのかなとか、そこら辺も気になってました。
今のお墓のスタイルは、だいたい100年ぐらいの歴史なんですね、実は。
だいたい江戸時代の終わりから明治の始め頃から、
家で代々継いでいくっていうお墓のスタイルができ始めて、今に繋がってるので、
それより前っていうのは、たぶん亡くなった方を埋葬する場所っていうのは、
例えば個々の集落では決められていたと思うんですけど、
今のように家族で代々継いでいくっていうスタイルではなかったようです。
なるほど。100年って結構最近のことだったんですね。
そうなんですよね。なので、結構当然のように見てるものなので、
それが続いていくのかってなって思っちゃうと思うんですけど、
たかだか100年の歴史なので、お墓のスタイルって結構今後も、
いくらでも変わっていくっていうのがあり得るものだなとは思います。
ただ、人が亡くなった方をどこかに弔うっていうのは、
古くは有力者だけですけど、古墳だとかそういうスタイルであったものではありますし、
やはり亡くなった方を適切な形で定調にお祭りしたいっていうのは、
先祖供養として古来からあった考えではあるので、
そこを特別な空間として大事にするっていうのは、
これからも変わらず続いていくんじゃないかなとは思います。
じゃあ今お聞きしたのは、お二人がそれぞれご自分で入るお墓だったら、
どういうお墓がいいですかっていうことだったんですけど、
今度はご家族だったり恋人、友人とか大切な方が入るお墓だったら、
どういうものがいいとイメージされますか?
でもなんか、
多分こっちの方が難しいと思うんですけど、
なるべく希望は聞いてあげたいみたいなところが前提としてありつつ、
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なんかさっき言ったみたいに、
自然の中になるべく近い形で戻したいなみたいなものが一つあるなと思ったのと、
やっぱりその人が好きだった場所とか、
なんか物の素材で作れたら、
墓が欲しいって言われたら、
そういう感じで作れたらいいかなみたいなのを思いましたかね。
なんか自分としては別に、
なんか多分墓がなくてもその人を持ってられるだろうなとは思うんですけど、
欲しいって言われた場合どうしようかなーみたいなちょっと、
考えちゃうかなーみたいな。
そうだよね、確かに。
私の場合も基本的にその人の願いを聞くっていうのは前提だと思うんですけど、
さっき私が入りたいって言っていた樹木層のカプセルみたいなもの、
例えば私のすごい本当に大切な人が、
なんか木とかになって生まれ変わって、
それがフルーツになったりとかだったら、
普通に作りたいなとか思うんですけど、
なんかそういうふうにこうめでられる、育っていくものみたいなところが墓地になっているといいなと思って、
なんか今よく見る墓地ってすごいスタティックというか性的なものだと思うので、
それが育つとか変化していくみたいな、
ランドスケープ的にこう変わっていくとか面白いなと思うんですけど、
なんかそれは私は理想だなぁと思いますね。
あとなんか、
どこかの例で聞いたんですけど、
なんかその遺体のエネルギーを使って、
それを電池にして遺族に還元したりとか、
肥料にしたりとか、
場所としてそのお墓みたいな形で残るものではないと思うんですけど、
なんか電気、この電気は例えばじゃあおばあちゃんが残してくれた電力なんだとかって、
すごい私はいいな、燃えるなと思うんですよね。
それはちょっと考えてました。
そうですね、今環境問題が結構注目される、今後より注目されると思うんですけど、
その中で結構仮想のエネルギーって今後問題になる可能性もあるんですよね。
なので、環境負荷、空気汚染っていう面での環境負荷もですし、
仮想するのに必要な燃料とかって結構なものなので、
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多分その両面で検討がされていくんだと思うんですけど、
まりこさんのように柔軟な考え方だと、
例えばその仮想のエネルギーで電力を発電できないかとか、
そういう意味で還元していくというか循環していく形になっていくといいのかなと思います。
死んだ後も役立つといいなとか思いました。
お荷物になるというよりも、役に立つものに変わりたいみたいなところを思いました。
今、大切な方のお墓っていうのをイメージしていただいて、
由加子さんが、お墓がなくてもその方を思うことができるっていうことをおっしゃってたんですけど、
それはすごくその通りだなと思って、今のライフスタイルだと、
例えば地方で生まれて東京とか都市部に出てきた方って、
なかなか先祖のお墓に行けないとか、お墓をどうするかっていう問題が結構出てきているんですよね。
やっぱり今後、大切な方はお墓に眠ったとしても、そこになかなか足を運べないとかいう方も多いと思うんですけど、
そういう中で離れていても亡くなった方を思うっていうことがどうやったらできるかっていうのを最近すごく考えていまして、
これをお二人ともお話しできればなと思っていました。
一つは今言ったように、本当に近い方で、お墓が遠いところにあるっていう方に、
今までだったら結構お家に仏壇とかがあったりしたと思うんですけど、
そうじゃなくても、お家にいても亡くなった方を思う時間っていうのを自発的に取るってことが心の安らぎにつながるんじゃないかと思うんですね。
なので、そういうやり方が、どんなやり方だったら今のライフスタイルになじむかっていうことを考えたいっていうのが一つです。
もう一つは、直接知ってる方じゃなくても、やっぱり今このSNSがすごく発展してる中で、
一方的に知ってる方だけど、そのSNSで結構その方の日常も垣間見てた方っていうのが亡くなったときに、
その方の死をどう受け止めるかっていうのが、今のインターネット社会だからこそ重要になってくると思うんですよね。
結構物理的な距離はすごく遠い方なんだけど、その方の死を知るっていう機会が多分増えてると思うので、
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その時のその方への死の弔いの、その方の死の弔いっていうのをどうやったらできるのかっていうのを、
それを知ってるだけで少し悲しみ、たぶんその方の死を知ったときってすごく衝撃を受けると思うんですけど、
その時にこんな風にその方思うこともできるよっていうのがあったら、全然また気持ちも変わってくるんじゃないかなと思うので、
そういうお墓じゃない場所での亡くなった方の思い方っていうのを、少しお二人ともお話しできればなと思ってます。
例えばですけど、昔は結構法用の時、法事の時って法用の後のお食事の時に亡くなった方のお食事も用意して、
その方がそこにいるっていう考えて一緒に食事をするっていう時間があったりすると思うんですけど、
それってそういう場所だけじゃなくて、例えばお盆だとか、仏壇があったらそこにお食事をお供えしたりすると思うんですけど、
そうじゃなくても、少し今日はその方を思って食事をしようと思ったら、
食事まではいかなくてもその方の分のお酒を一杯用意するとか、
そういう積極的に自分で時間を作るっていうだけで、その方に自分の心を向けたっていうので気持ちが変わると思うんですよね。
そういう何か日常的にできる形の中で亡くなった方の思い方っていうのを考えればと思ってます。
難しいですね。先ほどバーチャル参拝みたいなお話もされていて面白いなと思って聞いてたんですけど、
なんか私の場合はどうだろうな、なんかカナダに住んでた時にいいなと思ったのが、
なんか公園とかいろんなパブリックスペースにあるベンチの一つ一つに金のプレートみたいなのついてる時があって、
なんかメモリアルな、そこがお墓というよりも亡くなった方のメモリアルみたいな形で、
遺族の方がベンチを行政から、市から買ってそこに設置するみたいな作り方にしてたんです。
そしたらなんかパーソナルな感じになるじゃないですか。
なんかベンチみんな結構それなりに大切にするし、
遺族とか、もしくは遺族じゃなくても遠方からプレゼントというか、
ともらう形でお金を出してベンチ買って、しかもそれがなんか、
遺族の中だけで楽しめるっていうものよりは、なんか街全体に還元するいいアイデアだなと思って、
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行政としても助かるし、かつみんな丁寧に使ってくれるし、
座るたびになんか直接知らない人のベンチかもしれないですけど、
座るたびになんかこういう名前の人がいたんだとか、
ちょっとメッセージが書き込まれてたりもするんですよ。
なんかそれはすごいいいアイデアだな、
市とこの都市デザインとそこに住む人とつなげるいいアイデアだなっていう風に思ってました。
すごいですね、そんな取り組みがあるなんて素敵ですね。
生きてる方に、そういう公共の明るい場所をより魅力的にすることに貢献できるって素敵だなと思いました。
うん、そうですよね。なんか遠方からでもできるなと思って、
そのSNSで知って、自分で悲しいけど誰と共有していいかわからないとか、
遺族にプレゼントとか送ったほうがいいのかなとか、
結局わからずにその気持ちがどんどん消えていってしまうってことあると思うんですけど、
そういう時に、じゃあこの人の名前を刻んだベンチなのか、ユーグなのかわからないですけど、
その名前を、かつてこの人が愛した場所とか、町とかに還元する形でインストールするっていうのは、
どこかでやってほしいアイデアだなと思いました。
そうですね、素敵。
確かになんかさっき2つ目の質問にあった、遠い人への弔いみたいなものを考えた時に、
やっぱSNSそもそも顔が見えないし、
うちに入っていくとどんどんみんな孤独になっていく中で多分多くの、
お墓とか葬式って私は結構同じ気持ちをこの空間で共有してるとか、
同じ状態を分かち合えるみたいなのの可視化だなぁとも思ったりして、
なんかそういう、ベンチにするでもいいし、
なんかそのように思っているっていう時間をリアルで体験できると可視化できるみたいなものも、
多分重要なんだろうなぁみたいなことを思ったっていうのと、
個人的にちょっと去年はいろんな死に直面することも多くて、
なんか祖父母も亡くなったり、大事な人のお父さんも亡くなったり、
結構やっぱ死って突然来るし、
なんか死っていうものは、やっぱ残された人は悲しみに暮れるよりかは、
なんかどうそれとこう対話し続けるかみたいなことなんだなっていうのは思って、
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儀式やって終わりとかじゃなくて、
なんかその生き続けている人たちにバトンが渡された感を感じたんですよね、なんか。
で、なんかおばあちゃんのお葬式もちゃんと、
コロナだったからあんまりきちんとできなくて、
少人数でやって、なんとなくパパパッと行っちゃったみたいな感じもあった中で、
なんか私的弔いタイムだったのが、
なんかおじいちゃんがおばあちゃんが毎日、5年間ぐらい毎日つけてた日記を発見して、
なんかそれを、なんかおじいちゃんが最近見てるんだみたいなことを紹介してくれたんですよ、私に。
で、ほんとに殴りがけで一言書いてるんだけど、
おばあちゃんが日々何を感じて見てたかっていうものを、
なんかじっくりそれを読むことでこう知ることができたっていうのが、
私的弔いタイムだったなと思って、
なんかそういう、たぶん生きてたら絶対見せてくれなかった日記なんですけど、
そういうのがなんか私としては、
対話としてよかったなみたいなことを思いました。
うん。
なるほど。
ゆかこさんがおっしゃったみたいに、
そのお葬儀であったり法要っていう、
同じ時間を、同じ思いの人が空間と時間を共有して、
その弔いをするっていうのもすごく大事な時間で、
亡くなった直後っていうのは、
そういう共有、身近な方々と共有することで、
少し悲しみを癒すっていう部分だと思うんですけど、
おっしゃったように、その後日常にどう戻っていくかっていうのが重要ですよね。
なので、ずっとそうやって法要とか、
しっかりした儀式をすることできないけど、
そこから日常にポンっていきなり戻されると、
ちょっと心の整理ができない部分もあって、
そこでどう、自分の日常と亡くなった悲しみっていうのを、
共有して一緒に時間を過ごしていかなきゃいけないので、
そこをどう整理していくのかっていうのは、
すごく難しいんですけど、
おばあさまの生きてた日常っていうのを触れられるってことで、
自分の日常と重ね合わせることができるようになっているのかなって、
すごく感じました。
確かに。
ゆか子、誕生日とか書いてある。
電話来た、みたいな。
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書いてある。
いいですね。
ランさんは逆にどんなふうに思ってますか?
弔いに対して。
気になります。
私自身がちょっとまだ整理できてないなっていう方の子もあって、
そうすると、
例えば、ちゃんとしたお香、お線香はないけど、
お香をちょっと炊いてみたりだとか、
音楽、この音楽の時はお聞きながら、その方のことを思ってみようとか、
ちょっと時間を区切って、その方思う時間っていうのを取ってみたりしてます。
確かに時間を作るって結構ポイントというか重要かもしれないですね。
そうですね。やっぱり亡くなった方の悲しみって、
ふと突然襲ってきて、すごく心が乱れちゃうっていうことがあると思うんですけど、
それを自発的に自分もその方の死を向くっていう一歩を踏み出したってことで、
自分が思った時間だけをその方との死と向き合うっていうふうに区切ると、
区切れるようになった時、多分その方の死を少し受け入れられた時だと思うんですよね。
だからそういうふうにしていったら、その方の死っていうものと一緒に生きていける、
日常を過ごしていけるっていうふうになるのかなと思うので、
襲ってくるっていうのから、自分から向き合うっていうふうにシフトしていくっていう過程が重要なんじゃないかなと思っています。
その方法が、やっぱり結構法要が簡素化されてたりとか、宗教がない今で、
方法がわからないっていう、もうそういうのないんじゃないかっていうふうに感じてしまうので、
なんかこういう方法でもやることができるんじゃないかっていうのを考えていくのが大事なんじゃないかなと思っています。
確かになんか正解とか、よりどころがよくわからなくなってる感じはしますね。
なんか時代として。
なんか結構、その人らしさとか、過去のことを思い出して、結構感情的になったりとか、
なんか内面が出るテーマだと思うので、このテーマでなんかもっといろんな人とお話ししてみたいなと思いました。
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なので、クラブハウスの取り組みとか、今後クラブハウスだけじゃなくても、
なんか、ランさんのこの会話みたいなのを私たちももっと聞いてみたいなって思いましたし、
私たち自身もなんか普通に日常会話の中で友達とそういう話ちょっとしてみても面白いんじゃないかなっていうきっかけになりました。
私ももうこういう話はいろんな方とできたらいいなって思ってるので、
今後クラブハウス以外のでも何か、SNSなどを使ってお話しできる機会を作っていきたいと思ってますので、
またその時には逆にまりこさん、ゆかこさんにも来ていただいて、一緒にお話しできればと思います。
ぜひ。ありがとうございます。
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今後もこの番組では都市をテーマに様々なおしゃべりを繰り広げる予定です。
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次回もお楽しみに。