1. 喪失感は、突然に
  2. #11 引退による喪失、死別との..
2025-01-30 31:15

#11 引退による喪失、死別との共通点や相違点について

2018年に引退した安室奈美恵さんの喪失を振り返る。死別で経験する悲嘆の共通点や相違点についてなど

推しの引退による喪失感は身近な人がいなくなる衝撃に似ている / 引退はぽっかりと空いた穴として心に残る / 筆者にとっての喪失は安室奈美恵さんの引退 / 安室さんのファン活動が人生のどん底から救ってくれた / 兄の死と安室さんの引退が重なり、ダブルパンチ / 引退発表後、1年間は悔いのないように応援し続けた / 引退は悲しいが、亡くなったわけではないことが救い。/ 引退後もつながりについて

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喪失感は突然に、第11回目の配信です。今回は、引退による喪失についてお話ししたいと思います。
皆さん、おしかつという言葉は、もうだいぶ浸透している言葉にはなるかと思うんですけども、好きな芸能人、有名人、俳優さん、歌手、さまざまな方がいるかと思うんですけども、
ずっと自分が見続けていた人、憧れていた人が、この世から去ってしまうというぐらいな衝撃だと思うんですね。
引退というのは、テレビだったりとか、ライブだったりとか、演劇とか、直接会うこともできれば、テレビで見るということもできたものが、全く自分の視界からなくなる。情報もなくなる。
という喪失は、いわば、なくなってしまうというものと似ていると思うんですね。なくなるの方は、確かに絶対に会えない。
引退だと、もしかしたらゼロでなくなるよりは確率はある。でもそれはほとんどゼロに近い。となると、やはりぽっかり空いた穴というのは、とても似ているのではないかというふうに私は思っています。
私に訪れた引退による喪失というのは、2018年に引退したアムロナミエさんでした。私は結構大人になってから、初めて有名人、歌手というのにハマってしまったんですね。
31歳の時にファンになって、そこから数年間はライブ1年に1回とか行くぐらいで、ファンクラブはね、ライブ行くために入っていたぐらいだったんですけども、そこから3年後にですね、
20周年のライブが沖縄でやるというのを耳にして、初めて沖縄に行ってみようと思ったんです。そこからですね、たくさんの友達ができまして、1日中SNSやってたような気がします。
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アムロさんのことをツイートするアカウントを自動でボットを作ったりとかしたんですね。1時間に1回自動的にツイートするようなものだったりとか、あとブログも書くようになって、それで好きでやっていたことが結構いろんな人に見てもらえるようになったりとかして、
それもすごく楽しかったんですね。あと、友達とね、各地にSNSだから、みなさん住んでいるところが結構バラバラで、いろんな人に会うこともできて、かつ旅行も好きだったから、行くたんびにいろんなところに行ったりとかもしてて、ものすごい充実した日々を送ってたんですね。
これまで聞いてくれてる方はご存じだと思うんですけど、私はその時、34歳の時には父が16歳の時に自死をしていて、結構そのことで落ち込む日々も長かったんですね。
そういうことで、アムロさんにはまってしまった34歳の時っていうのは、仕事とか人間関係とかで、ものすごいどん底だったんです。気づいたら、もう誰とも連絡を取ることを嫌になってしまって、それから6年ぐらいに温身不通になるような日々を過ごしてました。
その時はもうアムロさんとのファンの人たちとの繋がりだけ、あとは仕事を新しく変えたこともあって、その時の仕事の人たちとっていうので、それ以前、34歳までに出会った人たちとの連絡はすべて経ってしまいました。
なぜなら、仕事とか人間関係とかうまくいかないのに、芸能人にはまってしまった自分がものすごい恥ずかしかったんですね。恥ずかしくて、そんな姿を誰にも見られたくないって思って、いわば逃げ出してしまったんですね。今までいた世界から。
本当はもう、死にたいっていうふうに当時の日記に書いてあったりとかしてて、どん底だったんです。
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だからその当時の日記を見ると、これから死んだように生きていこうみたいなことが書いてあって、いつでも死んでいいように部屋片付けとこうみたいなこととか書いてあったんですね。
でも実際は、アムロさんファンの人とSNSを通して話してることもすごい楽しくて、ライブのツアーが始まるってなった時にもうみんなでわーっと楽しんで、どうするどうするどこ行くみたいな感じで。
一緒に行く人とか、どこ申し込むとか、そんなんでね、やっていたら、生きるとか死ぬとかってずっと考えてたのが、ほぼゼロだったんですよ。
記憶になくて、しかもその頃、レスキンっていうノートに日記のような毎日、毎日じゃないけど、何かあったら書くようにしてたんですけど、楽しかった時のことって、楽しすぎた時って楽しかった後語彙力がすごく低下するというか、嬉しい楽しいぐらいしか出てこないっていうか。
ノートには書いてなくて、だからブログにはすごいいろんな情報を書いたりとか、あれ見たこれ見たっていうね、ギャーって感じのブログたくさんあって、そっちにいっぱい書いてたんですよね。
ただ、毎日とか、その付近になってくるとちょっと落ち込むような部分はまだあったけども、でも日々、父のことを考えることがほとんどなくなって、自分がブログを書くことだったりとか、
アムロさん専用のアカウントの運用だったり、どうしていこうかとかっていうのを考えたりとか、するのがすごい楽しかったんですね。
そうしていくうちに、なんか自分のことをすごい好きになっていく自分を感じた。なんかもしかしたら、お父さんのことをある意味ちょっと乗り越えたのかもしれないなって自分で感じたんです。
乗り越えるっていう言葉、あんま自分では好きじゃなかったんです。人から言われたことはないんですけど、乗り越えていかなきゃねって、悪気なアドバイスで傷つくっていうことは多い中、私自身はなかったけども、でも言われたら嫌だなって思ってた言葉が自分の中から出てきたっていうのはすごく新鮮で、
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これからやっていけるのかもしれないって思って、その日先に兄が大けがをしてしまって、その後亡くなってしまうんですけども、アムロさん引退前なんで。
その後にアムロさんが引退するってなって、おいちょっと待ってよって思ったら、兄が亡くなったことでこんな辛い思いをしているのにアムロさんまでいなくなってしまうのか。
ただ、逆に兄が亡くなったことでアムロさんのライブもいれないかもしれないなって、ちょっと思った時期でもあって、それが9月の16日、17日っていうアムロさんの25周年のライブを沖縄でやったんですね。
20周年が台風で中止になってしまって、その5年後のリベンジっていうことを、噂というかみんな期待してたんですよ、それを。
実行してくれて、17日ライブ終わって、3日後に引退します。40歳の誕生日の時に引退しますっていう発表をして、私自身はその16日、17日のライブで、なんか前みたく楽しめないなって思う自分がいて、どうしようもうこれ。
1年に1回とかライブに行くようにして、ちょっと元気をもらうような感じにして、今まで通りにブログも書けないし、なんかもう無理かもって思ってた矢先に引退しますって言われたから。
確かに自分にとってはもう無理かもって思ったけど、まさか居なくなるとは思いもよらずに、でもあと1年絶対こう悔いのないように、この1年間アムロさんを見届けようと思って。
それまでちょっと生きるの辛かったんだけども、引退は嫌なんだけど、生きるの頑張れたのも事実で。
引退まで1年あるから、お兄ちゃんとかお父さんと重ねてしまう分もすごいあって、閉じていく過程、お父さんもお兄ちゃんも亡くなるまでいろいろ準備をしてたような形跡があって、
終わりにフラグを立てて何をしていくかみたいなところの過程を重ねてみてしまうときにすごい悲しくなってしまうとか、だから実際に引退だけで悲しかったっていうのでは純粋にないんですね、私の場合は。
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アムロさんの引退と父兄の自死を全部重なった感じだったから、しかも父が亡くなったことの創出から生きづらかった自分を乗り越えさせてくれたというか、
アムロさんがいたから、私は自分自身に戻ってこれたというか、構築できたとかっていう部分もあって、本当支えられただけじゃなくて救われたなと思ったんですよ。
6年間ぐらい音信不通だったんですね、いろんな人。兄が亡くなりアムロさんが引退になって、また何人か友人から心配のメールが届いたりとかして、それは全部返したんです、そのとき。返せたんですよね。
それまでは返せなかったんです。何話していいかわからなかったし、なんで私がみんなから逃げてしまったのか、言葉にするのが、最初は言葉にできなかったんです。よくわかんなくてどうしたんだろう、どうしたろうって、恥ずかしいっていう自分だけはわかってたけど、それ以外うまく言葉にしようとすると涙が出てきてしまうからできなかったけど、
これをきっかけにみんなと会っていこうって、本当に心配かけたなと思って、みんなもずっと心配してくれてたのも謝らなきゃいけないとか、本当にいろんなきっかけをアムロさんは私に与えてくれて、そんな人がいなくなってしまうっていうかね、
生きているとは思うよ、今だって。けど絶対会えないしね。お父さんとお兄ちゃんに会えない可能性よりも会える可能性はあるかもしれない。
けど、それでもやっぱり前のようにライブに行けば会えるとかじゃないから、時たま音楽聴いていると、そういうのが急に訪れてくるんですよね。
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ファイナリーっていうね、最後に出たアルバムの曲が、アムロさんにとってはその引退で紐づいているっていう曲でご自身がおっしゃってて、本人はね、前向きだとか、新たな一歩みたいな感じの曲だっていう風に明るく暗くしたくなかったって言うんですけど、全然暗いし、暗いっていうか、
私たちはこうね、アムロさんの決断をね、やっぱり偉そうに言うと尊重というかしたいと思うけど、やっぱりこうね、置いていかれてしまったみたいな部分はやっぱりあるし、
アムロさんの曲でね、ラブストーリーっていう曲があるんですけども、私、声が好きになるきっかけの曲で、でも歌詞が私はあまり共感できないっていうか、ちょっとかけ離れすぎちゃって、なんか自分の世界と関係ないなーって思ってたんです。
でも、引退するっていう風に言われてから、歌詞を読むと、なんかこう、自分に言われているような、誰よりもきっと愛しているけど選んだこの道を歩いていくから、生まれ変わっても愛し続けるけど一緒にはもういられない、一緒にはいられないもう、みたいな。
コーズライフスのラブストーリーっていう風な歌詞のサビが、これをね、最後のコンサートで歌うわけですよ。
なんか全然共感できなかったこの歌詞が、もう自分ごとにしか思えないように思えてしまうとか。
だから、声がね、好きになるきっかけであった曲なのに、歌詞までこう、なんかってなると、ちょっと切なくなるというか。
なんかね、その、他のね、アーティストさんも私は好きだったりはしているんです。
でも、一番ちょっとね、びっくりしたことがあって、それは、三浦大地くんのライブに行った時だったんですね。
三浦大地くんも、だいぶ前、結構、いつだろうな、2011年とか、小室さんが好きになった時に、ある友人が、
小室奈美ちゃん好きならば、きっと大地くんも好きだよって言って教えてくれたんですよ。
同じね、人が曲作ったりとかしてて、歌って踊るだから、もうほんとすぐにハマって結構ライブとか行ってて、
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しばらく行かない期間が、小室さんガチにハマっちゃった時は全然行ってなかったんですけど、
久しぶりにインターアトに行ったんですよ。
普通にルンルンルンみたいな感じで武道館に行って、楽しみだなーって。
でも、一曲目始まった瞬間に、大泣きをしてしまったんですね。
自分でもすごいびっくりしたんですよ。まさかそんななると思わなくて。
確かにね、その前かな、ヒッキーのライブだったかな。
誰かのライブに行った時とかも、ライブっていうものに関して、なんかちょっと身構えてたんですね。
濱田さんのライブすごいって言ったから、他の人聴いてどうかなーって。全然大丈夫で。
第1曲の時は逆に何も警戒せずに行ったら、いきなりブワーって泣き始めちゃって、全然止まらなくなってしまって。
数曲後にまた来てしまって、そういうのがこれ何なんだろうって思ったら、歌って踊るジャンルの人で圧倒的パフォーマンスをつける人がダメなんだなって。
なんか本当に私は濱田さん見られないんだって思ったんですよね。他の人にはそんなことを全く思わなかった。
だからそれ以来ね、第1曲のライブには行ってない。ライブ映像もだいぶ見てなくて、数年ちょっと前にやっと1曲見れたっていう感じだったんですよ。
だから急に何かがやってくるっていうのが、私別の悲しみの時のあの感じとすごく似てて、もう何々できないという感覚が予測不能だったんですよね。
その後にアイミョンのライブも行ったけど、それ全然大丈夫で。ヘッキーのライブ2回かな、1対5。全然大丈夫で。ジャンルが違うと全然大丈夫なのかもしれない。
多分行かないかもしれないけど、パフュームはなんかちょっと危険なのかもしれないなーって思ってるんですね。一時期よく行ったこともあったから。
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ライブ映像も見てない。いいんですけどね、悲しくなる瞬間が陥れたとしても。
アイミョンのライブで、みんながわーってやってる。サビとかでみんな飛び跳ねて、なんか手を挙げてるとか、あの瞬間とかがちょっとね、やばかった時はあった。
タカナクションのライブもそういうシーンの時にちょっと涙ぐんだりはしてたから、みんなが感性をあげて一点を集中してるようなものはどんなジャンルでもちょっとダメなのかもしれない。
実際、アモノさんのライブ映像は全然見てられるっていうか、悲しく全くならなくて、わー可愛いかっこいい素敵とかっていうのになるんですよね。
ご本人のやつは全然悲しくならないどころか楽しい。
けど、ふとね、なんか面影、何かこう見てしまったとか、聞いてしまった、感じてしまったっていうところの部分が何かあるとね、急に涙がやってくる。
だいぶ少なくにはなったんですけど、本当、私別の悲しみと似てるなーっていうのをね、常日頃思うんです。
実は私もう一個ポッドキャストやってて、アモノさんのことを好きなだけ喋るチャンネルって言うんですけども、
先日ね、1回前に突然やってきた涙の話の時に、なんかその時に元気づけてくれたのがアモノさんの言葉だったりするんですね。
最後のコンサートの時に、久しぶりにMCをしたんですけども、その時にこんなこと言ったんですよ。
こんな私に素敵な25年間の思い出を作ってくださったファンの皆様、そしてサポートしてくださった全ての皆様に心から感謝しています。ありがとうございました。
この時、最終公演だったんですけど、私もその場にいて、こんな私にっていう言葉がすごく印象に残ったんですね。
5万5千人の前で、こんな私にっていう言葉を言ったアモノさんは自分のことをどう思ってるんだろうかっていう。
何気ない人のことだったかもしれないけど、私もその先日ね、なんでこんなんだろう私とかっていうふうに落ち込んでしまってたから、
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アモノさんも同じようにこんな私にっていうふうに思ったりしてたんだよなっていうのを思ったら、
あんなすごい、私にとってはすごい人だった。誰にとってもすごいかもしれないけど、それでもこういう言葉を発してしまうアモノさんと私も同じ人なんだなっていうように思えたんですよね。
だから本当、引退してしまって、本当寂しいは寂しいんだけども、今でもずっと繋がりがある。そういうのもね、なんか私別の、私別した人との繋がりともすごく似ているなというふうに思ってます。
ただ一つ違うのは、もしかしたらまた会えるかもしれない。その一点。父と兄とはもう絶対会えないから、それはもうそれぞれをして、それをね思うからこそ、アモノさんとはまだ会えるかもしれないっていうふうに思えるんですよね。
言っているそばから悲しくなってもいるんですけど、会えないよなっていう否定の気持ちもありつつ、また歌いたくなったら戻ってきてほしいな、来ない気がするけど戻ってきてほしい、来なくてもいいかもみたいな、そういうこう言ったり来たりするんですけど、
たまたま会うことはほんとないだろうけど、でも可能性はゼロじゃないことだけはなんか救いなんですよね。
そこだけかな。亡くなった人による喪失と違うの。それにいろんな残してくれたものという言い方が悲しいけどあるし、
引退しちゃってもう何年?6年?6年経つのに、なんかまだ新しいことの発見があって、またそのポッドキャストを始めてからもね、そういえばこうだった、ああだったって思うこともあって、これからもまだ新しい繋がりがあるような気がしているから、
単純にその喪失、ぽっかり空いてしまった穴ばかりではなくて、その穴が少し紡いでる感じ、なんかちょっとあるかなって思うから、これからも自分が考え続けていれば、
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繋がりはずっとあるのかなというふうに思います。
突然引退をしてしまう場合もあるし、それをね、こう見るたびに、自分じゃないんだけども、すごい辛いんですよね。
自分がずっと見て続けた人が、急にいなくなってしまうという状況がたくさん現れるわけじゃないですか。
みんなそれぞれ違う思いであったとしても、自分のことを支え続けてくれた人だと思うんですね。
もしかしたら、家族や友人よりもものすごい近い存在だった人も多くいると思うんです。
心に宿す神と言ってもいいのかもしれない。
私は実際そうでしたし、今でもそうであると思う。
アムラさんだったらどうするかなというふうに思う時があるんですよ。
それで自分の態度と考えた時に、いや、なんか違うかもしれないとか、指標のみようなものになったりとかもしてるんですね。
そうなると、全員が全員そうであるとは思わないですけども、
ファンの中にファンの人の中にその人それぞれのものが宿ってると思うから、
決してそれは引退したからとしても消えはしないけども、
情報が途絶えてしまうわけですよ、その人の。新しくアップデートされないから、発言とか行動とかもそうだけど、ずっと止まっていってしまう。
それはずっと一緒に生き続けていこうと、勝手にファンというか私は思ってたけど、一緒に生き続けられないくなるわけで、
ものすごい喪失だと思うから、それを芸能人だからとか、知人でもないのに、友人でもないのに、家族でもないのにって言われてしまう可能性もあって。
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だからそういったね、同じファンの人たちとあったらきっと共有できるかもしれないし、ファンだからこそ、ファン同士だからこそ共有できないこともあるけど、
本当に孤独にならないといいなというふうに引退のニュースが流れるたびに思います。
慌ただしいかもしれないけど、いろんなニュースとかに惑わされず、自分と好きだった相手との関係みたいなことを思い馳せるような時間が取れればいいなというふうに願っています。
今回はこのあたりで終わりにしたいと思います。またねー。
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