1. 喪失感は、突然に
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2025-02-05 11:28

#12 私が死んだあとお墓や葬儀をどうしよう?

自分の死、お墓や葬儀について、いろいろ考えてみた話。

私が死んでも親族はいないから何も考えていなかった / 母親は海に散骨してほしいと希望している / お墓は残された方のためにあると考えている / 生前葬は自分が企画できるので良い / 20年前に亡くなった友人のご家族はお墓に入れないと話していたこと / お墓参りは故人に会いに行く儀式 / 友人を思い出すことがお墓参りの機能に似ているかも / 万が一誰かが私のためにそう思ってくれるならお墓はあった方がいいのかも

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喪失感は、突然に第12回目の配信です。今回は、私が死んだ後、お墓や葬儀をどうしようということについてお話ししたいと思います。
今までと少し内容が異なるかと思うんですけども、先日、お墓のサービスとかをやっている友達と話しする機会がありまして、
お墓のことだったりとか、お葬儀のこととか、死に関する話をいろいろしてきた中で、自分のお葬式とか、自分のお墓はどうしたいかっていう話に聞かれたんですね。
その時に、何にも考えていないことに気がつきまして、何も考えていない理由の一つは、私はもう母が亡くなったら、家族、身近な人がいなくなるので、
お墓を買っておくいって誰かにお願いするとかの選択肢はあったのかもしれないんですが、そういうことを全く考えていなくて、
大変申し訳なくは思うけど、もう亡くなってしまったら、私何もできないので、よろしくお願いします。
どなたかってなってしまうのかなというぐらいしか思っていませんでした。
もし、死が近づいていったりとかした時に、福祉とかの方にお願いして、何か準備とかするのかもしれないんですけど、そういえば何も考えていなかったなと思って。
例えば、お墓に入りたいかとか、樹木草とか海洋草とか山骨という選択肢も今あるかと思うんですけども、そういえば全くないなと思って、母はたまに言うんですね。
海に撒いてほしいと。一応、希望は受け取った。だが、それを実行するかは分からないというふうに母には答えています。
なぜならそう、私はお墓は残された方のためにあるものなんではないかという思いが強くて、それとまだ先のことというふうな思いがきっと強いんでしょうね。
お墓のことを考えていないのは。母のお墓はどうしようかなというところは考えられるんだけども、自分はってなると遠くて思ったことがなかったんですけど、
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一つね、葬儀のことは、生前葬がいいなと思ったんですよね。生前葬ならば、自分がいろいろ企画だったりとか、どうしたいか、ああしたいかということを考えられるし、友達とかにも声かけてできるし。
ただ、それ一つの問題は、いつ死ぬかが分からないから、病気になったというところになったときに、生前葬できるかといったら動けるかどうかとかももちろんあるし、動けるときに生前葬しておくかとなると、もしかしたらそれからすごく長く生きることも可能性はあるわけだから、タイミングが難しいよねという話もあるし。
本当でも、何を考えるのにも難しいというのが結論だったんですけども、どうなんでしょうね。お墓、あった方がきっと誰かがお参りしたいと思ってくれたときに来れる場所になるし。
実際、自分がそう思ったこともあるんですね。
20代の真ん中ぐらいのときに、一つ上の友達が亡くなったんですね。
亡くなった理由は、バイクの事故だというふうには聞いているんですけども、でも、そうじゃない可能性もちらほらあって、実際分からないんですけども、その友人のご両親とかも何度も会ったりとかしていて、
当時、骨はお墓に出るつもりはないというふうにおっしゃっていて、なので、本当そう思いがあるんだとしたら、仕方がないというか、私個人的には、お参りとか行く場所があると、友人と一緒に会いに行けるなとは思ったんですけども、
でも、お墓に入れたくないという気持ちも分かるので、そこから半年ぐらいはお付き合いがあったんですけども、しばらくしたら、一体物なのかどうか分からなくて、距離感的なものも。
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なので、行かなくなってしまったので、もうあれから20年ぐらい経っていて、お墓があるのかどうかも分からなくて、たまに思い出すんですよね。
彼女のこと、遊びに行った場所だったりとか、一緒にバイク、彼女もバイク乗ってたのに、私もバイク乗ってて、お台場で一緒にバイクの練習したりとかしたのを覚えてるし、ふとね、お墓があったらなーって思ったりはするんです。
ただ、思い出すことも、お墓に行ったこととは同じにはならないんですけども、似たようなことなのかなと思ったりするんですね。
お墓参りっていうのは、いわば、亡くなってしまった人に会いに行くという儀式でもあって、その日向かうまで帰りとかも、その亡くなった人のことを一日ずっと考える時間になると思うんですね。
もう一度、会いに行くような感覚でもある気もしていて、そういった一つの儀式のようなものがお墓参りでもあるなと思っていて。
なので、その友達をふとした瞬間に思い出すっていうことが、いわばお墓参りの機能というか、同じようなものにはあるなと少しは思っています。
なので、私が亡くなった後に同じような思いをしてくれる人が万が一いるとしたならば、お墓はあったほうがいいのかなって少し思い始めました。
それで来週ですね、2月の10日の月曜日にその友人がお墓をテーマにオンライン対話会を開催するんですね。
その中でミニセミナー、今時のお墓事情と私たちの心構えということで、お墓との付き合い方だったりとか、お墓のモヤモヤが少しでも晴れるきっかけができたらなということで、いろいろお話をしてくださるみたいなんですね。
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あとは参加者同士、グループに分かれて対話会をするという時間もあるようで、セミナーの築きだったりとか、今抱えているお墓のことだったりとかを皆さんで話しするというような時間だそうです。
私もここで参加をするんですけども、実際に友達とお話ししたときに、いや本当考えてなかったなーっていうのが、自分でも再認識したというか、今から買うとかはきっとないかもしれないけど、
今ちょっと話しただけで、自分が思っていることと同じように周りの人ももしかしたらそう思うかもしれないとしたら、準備はしとくというか、お墓を用意しとくっていう選択肢も愛なんだなーっていうのも思ったりとか、
明日、明後日って死なないとも言えないし、それは本当によく分からないけど、そうはならないように生きていこうとは思っているけど、本当万が一のことって予測はつかないから、そこはちょっと考えても仕方がないところなので、
だからといって考えないっていうのはやめて、お墓をどうするか、私がもし順当で行ったらまだ数十年後だけども、その時どうなってるかっていうのもまた変わってくるだろうし、
今までは残される側としての私の部分を考えていく時間が多かったんですけども、今後はどこかで逆転してくると思うんですよね。
喪失感というよりも、この自分がこう死に向かっていくっていう気持ち。なので、それをお墓っていう規定から考えてみるっていうのはいい機会だなと思っているので、もしお興味がありましたら、詳細のところにリンクを貼っておくので、ご覧になってみてはいかがでしょうか。
それでは今日はこのあたりで終わりにしたいと思います。またね。
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