アニメの楽しみと心臓音のアーカイブの紹介
いやー、今期、全然関係ない話しますけども、1月からね、始まっているアニメが、すんごい好きなのばっかりやるんですよ。
もう始まっているのが2つあって、はい、1月から始まっているアニメは、
異国日記っていう、何回か前、だいぶ前かな、あのー、音声配信で喋ったこともあるやつなんですけども、
異国日記と、あとゴールデンカムイ、めちゃくちゃ好きで、
まあ、それも始まってて、実はね、今、超一番楽しみにしているソウソウのフリーリン、何回も話しているんですけど、それが、
明後日から放送されるんですよ。無数のフリーリン。
本当にもう何度も見てて、最初のオープニングの曲がね、あんまりこう、好きじゃないんです。
ソウソウのフリーリンっていうのはね、あのー、ソウソウのフリーリンっていうのはね、
ソウソウのフリーリンって、ソウソウのフリーリンって、
何度も見てて、最初のオープニングの曲がね、あんまりこう、好きじゃないんです。
それでも、スキップとかも結構まあ、するわけなんですが、なんか作業しているとスキップできない時もあるわけ。
だから、歌詞とか見たことないのに、全部歌えてしまうぐらい見ているっていうね。
そんな感じで、フリーリン好きで。ちょっと前、漫画も出て、今でもね、作者の方が9歳してて、
まあこの先、漫画も多分アニメもしばらくやらないんじゃないかなって感じだから、
もうこう、ワクワクがね、久しぶりにこう、小さい頃って、なんか漫画の発売日とかなんかすごいワクワクしませんでしたかね。
結構してて、それがなんかこう、アムロさんのライブに行くようになってから、CDの発売日とか、何十年ぶりにワクワクしてるなみたいな感じになって、
ここ最近全然なかったんですけど、ソウソウのフリーリンのね、アニメはそんな感じで楽しみにしている感じです。
ということで、この関係の話は終わりにしまして、
心臓音の録音体験
こう、鼓動し続ける心臓音、心臓音のアーカイブを訪れた話なんですけども、
あの香川県の吉島というところにある心臓音のアーカイブってご存知ですかね。
ベネッセが運営しているいろんな美術館の中の一つなんですけども、
これまで2回ほど訪れていて、
名称そのままでいろんな人の心臓音がアーカイブされているんですね。
インスタレーションとして、心臓音を聞ける建物の中があって、
真っ暗闇の中でライトがこうね、チカチカチカチカチカして、
誰か知らない人の心臓音がこう流れるんですよ。
いろんな、ランダムなんでしょうけど、
入る前に今流れている人の心臓音、どこで撮られたかとか、いつ撮られたか。
で、その時に登録した人の時の名前が書かれていたりとかするんです。
それで入って、そこで写真撮影がちょっと禁止なので、
オフィシャルサイトで見ればわかるんですけども、
それ以外でもパソコンが置かれているブースがあって、
そこで各地で保存された、いろんな人の心臓音が聞けるという場所です。
一度目に行った時に、ここで自分の心臓音を録音できて、
その場所に置いておくことと、CDに焼いてくれて持って帰れるっていうものがあって、
最初行った時にもやりたかったんだけど、
友達とその時に行ったから、やらずに帰ってきて、
2019年に1回行って、次2022年にも行ったんですね。
その時は本当は母と一緒に行きたいなと思って、
なぜならば、母の心臓音を持って帰れたりとかしたら、
亡くなった後とか、寂しくないんじゃない?
寂しいけど、肉体が亡くなっても生きてた頃の心臓の音が手元にあるっていうことだけで、
やや救われたりするかなぁと。
いろいろ予防線を自分の中で張っておきたいっていうのが、きっと私は強いんじゃないかなと思って、
動画撮ってるとかも、写真撮ってるのもそうかもしれないんですけども、
ただ結局、お母さんは飛行機に乗って旅行に行くのは、やっぱりちょっと足が悪いから、
迷惑をかけてしまうから、行かないって言われてしまって、
じゃあ一人で行くかと思って。
向こうに友達がいるので、
久しぶりに会えるなーっていうのもあって、行ってきたんですね。
それで心臓音ね、本当に大きくなってきて、
自分の心臓音と他の人の心臓音で全然違うんですよ。びっくりするくらい違うの。
ただ結構ね、録音するとき難しくて、
聴診器の丸いやつが棒状のやつが置いてあって、
こう自分の胸にくっつけるんですよ。
で、その棒状のやつが、
ちょっとでも動くと、服の擦れた感じの音とか、
なんか違う音が入ってしまうから、結構難しかったんですよ。
録音する前に、自分で胸に当てて、
調べたのがインターネットで、女性の方に、
男性の方に、女性の方に、
男性の方に、男性の方に、
男性の方に、男性の方に、男性の方に、
男性の方に、男性の方に、
息を止めないようにして、動かないように何回かこうやって、
よしこれで行こうって録音をポチって押すんだけど、
それでもなんか変な音が入ってしまったりとかは、
私の場合はしてしまったんだけども、
それを差し引いても、なんか人の心臓の音って、
激しくて、
激しくて、
激しくて、
激しくて、
激しく鳴り響いている人もいれば、
ゆっくり鳴っている音だったりとか、
ゆっくり鳴っている音だったりとか、
いろんな音があって、
パソコンのあるブースだったりとか、
インスタレーションの広いところで、
広くはないか、そんなに広くはないけど、
聴けたりとかもして、
私はどちらかと言ったら、
心音を持って帰ることを、
主に目的としてたんだけども、
でも実際、
帰ってきた後に、
帰り道に、
心臓の音を持って帰ってきたというよりも、
心臓の音を置いてきたという感覚の方が、
心臓の音を置いてきたという感覚の方が、
すごい強くなって、
そもそも名称が心臓音のアーカイブなので 置いてくるっていう方が
もしかしたら 意味合いとしては大きいのかもしれないけど 私は持って帰る方の方が大きかったけど
でも どちらかと言ったら 繰り返しながら 置いてきたっていう感覚の方が強くなってきて
なんか 私は今ここで生きてはいるけども
香川県の瀬戸内海のど真ん中でも 私は生きているんだなっていう感覚になったんですよ
あそこで私の施術がなくならない限り 私はそこで生き続けているのかもしれないみたいな
そんな気持ちになってて 香川県の高松はすごい好きなとこで 瀬戸内海が好きなんですよ
だから 老後は高松とかで住めたらいいなと思っているぐらいだったんですね
実際 心臓音を置いてきた後は さらにそんな気持ちがちょっと強くなって
心臓音のアーカイブの意義
自分の分身が向こうで生き続けているみたいな感覚なんですよね
本当ね こう 地の果てみたいな感じの場所にポツンと建物があって
見渡す限り海って感じ この静かな感じの海が広がるんですよ
実際 手島も船で着いてから一番端っこまで行く感じで
手島はね 電動チャリかバイクとかないと 本当に歩いてはちょっと回れない感じ
でも乗り物があれば一周簡単にできるぐらいの大きさで
直島の方が見る施設がたくさんあるから たぶん訪れる人も多いのかもしれないけど
手島は本当そんなに多くなくて
しかもなんかこう 手島美術館ってあるんですけど
写真撮影禁止でそこも
なんかこう言ってしまうと ちょっとこれから行く人にとって
ネタバレになってしまう 読んでるかもしれないけど
私は実際知らなかったんです 中に入るまでどんな美術館なのか
でもすごい良かった
なんかもういるだけで落ち着くというか
ずっとその場所にいたいって思えるぐらいの美術館で
直島にある地中美術館は見る いろんな絵もあるし
オブジェもあったりするから 鑑賞っていう感じになるんですけど
手島美術館はなんかこう感じる感じの 感じる感じ?なんだそれ
あの本当 自由な感じで体感する美術館
心臓音のアーカイブも
でも一見こう人の心臓音聞いて
何なんだろうって最初思ったんです
最初行った時はなんか心臓音のアーカイブって言われても
いろんな人の心臓音聞いて ああこんな違うんだへーみたいな
すごい爆音で中で聞くから すごいなっていうぐらいだったんだけど
実際こう お母さんの心臓音を録音しに行きたいって思った時から
なんかちょっとこのインスタレーションに感じるものが変わってきて
しかもなんかこう一人で2回目は行ったから
なんかこう 静かな気持ちになったとか
この世の果てみたいな感じの場所だなって思ったのも2回目だし
で帰ってきたら 私の心臓はあそこで生きている
分身があっちにいるなーみたいなのも思えたりとか
思いを馳せる場所にもなって
今でもお母さんと行けたらいいなーって思っているんですけど
多分これから足が良くなることはおそらくないから
ちょっと諦めてはいるんですけど
でもお母さんの気持ちが変わるかもしれないから
気長に待ってようかなと思っています
心臓音を録音するとCD-ROMと一緒に冊子がもらえて
この心臓音のアーカイブを作った
クリスチャン・ボルザルスキーの言葉が
なんかとてもすごい良くて
ちょっと今読んでみようと思います
心臓音の探求
手島 簡単には行き着けない場所
世界の大都市から そして東京からも離れた
静かで美しい島
心臓音を聴きに行くたび
長い童貞と思いの時が大切なんだ
まるで幽霊のように
人間は私の作品の主要なモチーフである
すべての作品背景には
生きた印を残したいという人間の願望がある
中でも心臓音の鼓動は
人間の性を最も象徴するものである
私は写真のアルバムのように
心臓音のアルバムを作りたいと思った
人間という同じ繋がりを持ちながらも
誰一人として同じ人はいないという
固有性を表すために
心臓音のアーカイブ
ここで人は様々な思いに浸るであろう
人の命の儚さ、脆さ、尊さ
何かを残したいという願いと
何も残りはしないという思いと
よく生きるとは
若くあることに固執することでもなく
より長く生きようとすることでもない
人間の誕生から死に至るまでの
自然のサイクルを受け入れることだ
我々の前には生きた人があり
後には生まれくる人がある
大切なのはトランスミッションの心だ
人は人の記憶の中でしか蘇らない
っていう文章を読んで
なんかこうね
人は人の中の記憶でしか蘇らないとか
なんかこうすごい感じた
自分でも感じたことあることだなぁ
って思ったりとか
なんかこの文章を
読む前と読んだ後では
心臓音のアーカイブに対しての思いが
少し変わった
だからこう家に帰ってくる途中で
なんかいろんな思いが
巡ったのかなと思って
でなんか私日記書いた気がしたんですよ
自分の分身を置いてきた気分だとか
なんかこうまた戻りたいなぁ
って思ったこととか
でも探してみたら一つもなくて
なんか自分の強い思いっていうのは
書いても書かなくても
関係ないのかもしれないなって
よく今思ったこととか書くんですよ
でも実際読んでみたら
こんなこと書いてたっけって結構あるから
そうやって自分の中で無意識のところで
趣旨選択してるのかもしれないなぁ
って思ったりします
書いといて後で読んで振り返って
そうだよねって思えることも
わりと私は好きだから
これからも日記みたいなの書いていくと思うんですけど
心臓のアーカイブのことを思った時のことを
すっごい鮮明に覚えてて
空港から家の近くの方まで
リムジンバス乗って行ったんですけど
めちゃくちゃ渋滞で
実際高松から羽田まで行く時間よりも
バスに乗ってる時間が長かったっていうのが
それがもしかしたら印象深かったのかもしれないけど
その時に心臓のアーカイブのことを振り返って
車窓と
涙が出てくるまでのことまで
すごい鮮明に覚えていて
またなんか
すごい行きたい気持ちが最近高まっていて
実際このクリスチャンブルタルスキーは
何度も録音しているんですって
心臓のアーカイブで
実際私も行った時に
本人の心臓音が流れた時に中入れて
作者の心臓音だと思って
知っている人の心臓音とかが流れたら
感動しそうだなと思ったりとか
なんかこの先
自分にとって大切な人ができるかどうかしても
わかんないんだけど
そういう人ができたら
一緒に行って
残しておくっていうことをしたいなとか
でもなんかこう忘れられないような
気持ちもあったりして
クリスチャンブルタルスキーも
何かを残したいという願いと
何も残りはしないという思いと
どっちも二項対立というか
どっちかというわけではないという思いが
やはり私は大切にしていきたい思いでもあって
アーカイブの重要性
どっちもこう
行ったり来たりしながら
割とこうね私は
アーカイブするのが大好きな人間で
例えば
またアムロさんの話になるけど
アムロさんのライブ映像だけじゃなくて
CMとか
いろんな映像を残しておきたくて
自分のハードディスクにも結構いっぱいあったりとか
して
それを綺麗に年代順に並べるとか
今はもうやってませんけども
昔アムロさんのことをツイートするアカウントを持っていて
その名前が
アムロ並百科事典っていう
アムペディアっていうのを作ったんです
われながらいい名前だなと思って
ウィキペディアってあるじゃないですか
ウィキっていうシステム使った百科事典
百科事典だからウィキペディアで
アムペディアいいなと思って
ローマ字で変えたらいつかホームページ
ウェブサイト作るかもしれないから
アムペディアっていうスペルで
アムペディア.コムってあるかないか探してなかったら
アムペディアにしようと思って作って
Googleの使命が
今は違うのかもしれないけど
ミッション掲げてたんですよ前ね
今もそうかわかんないけど
だから私もアムロ並さんの情報を整理するって言って
アムロ並百科事典っていうのを作ったぐらい
われながらアーカイブっていうのが好きなんですよ
ブログもアムロ並さんの情報を
記録し後で振り返るためのブログ
みたいなのをサブタイトルにしてて
だからアーカイブってものに
思いをはじめてる部分がすごい高い
とはいえさっきも言った通り日記書いても
書いたこと忘れてるから
たまに何年前の今日のやつとか出てきても
こんなこと書いてたっけみたいな全然覚えてない
あんま読み返すこともたまにするけど
あんまりしないっていうか
買ったものとかも登録してるから
それはすごい後で探してるときは便利な感じで
心臓音っていうのが人の生きた証の
大きな一つだと思うので
生と死の
どっちつかずのような場所だなと
思うので
興味がありましたら調べてみてください
では今日はこのあたりで終わりにしたいと思います
またねー