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2025-04-14 15:25

#21「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」を読んだ感想

先日映画で見てきた「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」の原作を読み、視覚と活字の差異についてや、自分自身が如何にして感情移入をしてしまいやすくなるのか、以前読んだ本の話を交えながらお話いたしました。

映画では裕福な人しか選べない安楽死 / 死を選ばざるを得ない心境 / 視覚情報(映画)と活字(本)では印象が異なることを実感 / 江國香織の小説「一人でからかささしてゆく」 / 遺書に従わなかった遺族に憤り / でも故人の意思を尊重しない遺族を非難できない / 亡くなる人と残された人のどちらにも共感 / 映画と原作の両方を比較することで新たな発見があった

■参考
・映画:ザ・ルーム・ネクスト・ドア
https://warnerbros.co.jp/movies/detail.php?title_id=59643&c=1
・本:ザ・ルーム・ネクスト・ドア
https://amzn.to/44mf2b4
・本:ひとりでカラカサさしてゆく (江國香織)
https://amzn.to/4jtdoJ5

サマリー

「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」を読み終えた感想として、安楽死や死に対する感情が描かれ、友人との関係性や文学的な要素が印象に残っていることが述べられています。また、映画との違いや感情移入の傾向についても深く考察されています。

ザ・ルーム・ネクスト・ドアの紹介
喪失感は、突然に、第21回目の配信です。今回は、ザ・ルーム・ネクスト・ドアを読んだ感想についてお話ししたいと思います。
数回前に、この本の映画を見てきまして、その感想をポッドキャストでお話ししたんですね。
その時は、映像の力というか、映像がすごい印象的だったことが要因だと思うんですけども、
この映画というのが、安楽死を望んでいる女性と、それを見とる友人の話なんですけども、
安楽死も、合法的なものではなくて、ネット上で入手した違法の薬を飲んで、という形になるんですけども、
その死を選べた、その主人公の人の苦悩とか、そういったことは理解というか、想像できるのだけども、
やはりこの裕福な人にしか選べないような死というところのものが、私の中で一番の感想になってしまったんですね。
ペトロ・アルボノバルの映像がめちゃくちゃ綺麗なのは、やっぱ要因なんだよね。
なんかこう、すごい華やかだし、色の色彩とかがやっぱりはっきりした形。
でも毎回、この方の映画っていうのは、いろんな苦悩を書いているようなものではあるんだけども、
ちょっとそのね、二感染不裕相っていうところが、なんかすごい私にとって印象に残ってしまって、本位じゃない気がするんですね。
そういう風な見方が、自分でもちょっと本位ではないんだけども、
だから、ちゃんと本読んでみようと思って借りてきたんです、この間。
で、読み終わって、
まあ、思ったのは、ちょっと難しかったのはあるんです。
なんか文学の話が多くて、友人、見とる方の友人の方が作家だったりとか、主人公の人はジャーナリストだったりしているから、
まあ知的な会話が多くて、私ちょっと知らない本の話とかも、作家の話とかもすごく多くて、引用されるんだけども、ちょっとよくわかんないんです。
だから、そういった意味で、全部、こう、わかったかっていうと全然わかんないことの方が多いんですけども、
でも、映画とはやっぱりちょっと印象が違っていて、
こう、死を選ばざるを得ないような心境っていうのが、
葛字で読んだ方が入ってくる、その中で印象的だった部分をメモしてたんですけども、
こんなはずじゃなかったと友人は言う。平穏が欲しかっただけ。平穏に死にたかった。
なのに今じゃ悪夢みたい。この茶番劇。このおぞましく屈辱的な茶番劇。
それから友人は体を激しく震わせて泣くものだから、言葉も頭に出せなくなった。
ちょっとね、写真をコピーしたから、ちょっと一部ちょっと変だから抜かすんだけど、
できるだけ世の中に迷子をかけずに、自分の思うように死にたかった。平穏が欲しかった。秩序が欲しかった。
欲しかったのはただ身の回りの平穏と秩序だけ。
穏やかな、穏やかな夕日とさえ言いような、そんな美しいし、それが友人が心に描いたものだった。
気持ちいい夏の夜。眺めのいい街にある素敵な家で、美しいし、それが友人が自分のために考えていた終わりだった。
このような形で、そんなにこういうふうな気持ちを討論するような描写があんまないんだけども、
この辺りを読んだ時には、死への恐怖というところのものを感じて、
他も読んでいくと、この辺りの死にへの恐怖をずっと私も引きずりながら読むわけだから、
自分の思い描いたように死にたいっていう気持ちがわかるような気もして、
あと、映画を見た時に、できるだけ思い出がない場所、家じゃ死にたくないって話にしてて、
全く別の場所で死にたいっていうふうに言ってたことが、なんか新鮮だったって話をしたんですけど、
よく最後は家で過ごしたいというようなことを聞いたりとか読んだりとかしてたから、
全く別の場所で死にたいとかって不思議だなと思ったんだけど、
でも、自ら死を選ぶわけで、思い出がある場所だと引っ張られてしまうっていうか、
引き戻されてしまうからっていうふうに考えると、そうだよなと思って、
私なんでそういうふうに映画を見た時は思わなかったんだろうとか、
大地印象としばらく経つとやっぱ気持ちとか、私も変わるんだなぁと思ったりとか、
本だと、主人公の方に見とる方の友人ではなくて、
これから死に向かう方の主人公にどちらかというと感情移入してたなって思ったんですよ。
だから視覚情報って良い時もあれば、自分の中ミスリードまでは思わないけど、
なんかこういったことが起こると全く別物の物語になるのかもしれないなーって思ったんです。
あと、これ、The Room Next Doorっていうのは、アルモドバルが作ったタイトルで、
死に対する考察
本のタイトルは、「What are you going through?」っていうふうに、あなたの苦しみは何なの?何なんですか?っていうタイトルで、
あ、そうか、主人公はあれか、友人じゃなくて、亡くなる方じゃなくて、見とる方が主人公なんだ。間違えちゃった。
だからこの物語って、見とる側がすごい話をたくさん聞いてるんですよね。
側にいて、昔の話だったりとか、読んだ本の話だったりとか、一緒に映画見たりとか、横の側にいる。
だからそういうところでアルモドバルは、隣の部屋っていうところで別のタイトルをつけたのかもしれなくて、
まあ、とはいえね、その本の中ですごい2人が会話をしてるかっていうと、そんなに多くもないんです。その文学の話が結構多いから、
こういう時に、あれですよね、自分に知識がないと、理解がどうしても浅くなってしまうから、まあそれはそれでしょうがないんだけども、
だから映画だと映像で楽しめるから、いいのかもしれなかったんだけど、ちょっと私は、
なんかこう違う理解をしてしまったから、もう少し分かろうと本を読んだんですが、本もね、ちょっと中途半端だったなぁと。
ただ、ちょっと逆に思ったっていうところで、今日そういう話をしたいなぁと思ったんですね。
それで、あともう一つ、本を読むと、
何だろう、亡くなってしまう人の方に自分が寄ってしまう傾向にあるのかもしれないなと気づいたこともあったんですね。
それはなぜかというと、去年の夏に買った、えくにかおりさんの一人でからかささしてゆくっていう本を、たまたま見つかって買ったんですね。
えくにかおりさん結構好きで、文庫があるぞ買ったりするんですけど、
この本っていうのが、80代3人の人がホテルで、おみそかの夜に命を絶つんですよ。3人で銃を使って。
で、その物語と、亡くなった後に3人の親族が集まって、あれどうする、これどうするみたいな物語が2つ平行で進んでいくんですね。
それで、3人がいろんなことを、亡くなった後にこれしてほしい、あれしてほしいっていう遺書が残っていて、
その遺書の中に3人でお墓を買ってたんです。それでそこに骨を入れてほしいっていうふうに言ってたんですけども、ある家族はそののは絶対許せないってなって、
結局骨を入れなかったんですね。何か違うものを入れて埋葬したんですけども、それを読んだ時に本当これひどいなーって思ったんです。
でも実際自分だったらっていう時が、その思いの後に来たんですけど、そういえば私お母さんがよくね、自分が亡くなったら海に撒いてくれとか、何かいろいろ言うんですよ。
お金もったいないからとか、お墓とかって言うんだけども、私それ聞くたびに、一応お母さんの意思は聞いとく。でもそれをやるかどうかはわかんない。
私が残されたものだから、申し訳ないけど好きなふうにさせてもらうかもしれない、みたいなことを言ってたんです。
それなのに、この本を読んだ時は、なんてこんなひどいんだ、個人の意思を尊重しないんだなんて思って、気づいて、なんて私ってほんと勝手なんだろうなーと思って、どっちにもこう言ってしまう自分がいるって思って、
後になって、そう骨を入れなかった家族の人が、本当にこれで良かったのかどうかっていうふうに、少し後悔のような気持ちをとろするところもあって、
なんかこう、亡くなった時っていうのを、よく大きい決断しない方がいいと言ったりとかするんですけど、まあでも骨を入れるか入れないかっていうところで、みんな考え方が違う家族同士で、
すごい難しい状況で、いろんなことを決断しなければいけないし、でもなんで死んでしまったんだろうかっていうことも考えるしとか思うと、私が最初に思った、なんで個人の意思を尊重しないんだって、ほんと一言なんだろうなーって思うんですよね。
だからこう、本で読むと、なんかこう感情移入するところっていうのは、私は実際残された側ではあるんですけど、けど考える実感というか、なぜ父や兄は亡くなったのかみたいなところで納得させるために、
自分の中でいろんな、こうなんじゃないか、ああなんじゃないかっていうところを思い巡らせたから、だから亡くなってしまう人の方に、自分ごとじゃない本だとね、亡くなってしまう方に感情移入をしてしまいやすい傾向なのかなというのを、この2つの本を読んでね、思ったんですよ。
そういえば、ノルウェーの森、もうほら亡くなってしまうでしょ、ナオコさんが。あの時ってどっちに私、感情移入してたんだろうか。
いや、確かあれは、あれ名前なんだっけ、僕、主人公の子の男の子に感情移入したと思う。なんか結構思い悩んでるシーンが、あの人の語りの方が多いし、亡くなってからも生きていかなければみたいなことが強く感じられたから、多分そっち側だったのかも。
まあ多分表現の仕方で変わるのかもしれないけど、自分と同じなのかそれとも違うのかっていうところで、おそらくそういったものに触れながらどういった決断、いつかしなければいけない何かを考える時に、役に立つのかもしれないなぁと思いました。
なんか、映画を見て本を読むってすごいいいなーって改めて思いました。
結構さ、漫画とか原作があるものが映画化されるとさ、物語とか世界観が変わるっていうふうに嫌な時もあったりするんですけども、興味があるテーマの時はどっちも比較してみると新たな発見があるって今回すごい思いました。
ということで、今回はザ・ルームネクストドアを2回に分けてお話しました。
今回はこのあたりで終わりにしたいと思います。またねー。
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