1. 喪失感は、突然に
  2. #19 相談するか、しないか、て..
2025-04-02 30:30

#19 相談するか、しないか、できないか

Webサイト「かくれてしまえばいいのです」の利用者アンケート結果や、東畑開人さん「聞く技術、聞かれる技術」を元に相談について話をしました。

相談することに抵抗がある人が多いという調査結果 / 誰かに相談したいが、迷惑をかけると感じるため / 大人は相談しても状況は変わらないと思う人が多い / 人に相談しにくいこともAIなら話せるという意見 / 筆者は突然の悲しみに襲われるため相談できなかった / 過去に友人から声をかけられ、救われた経験 / 辛い時に話せる自分がいたから救われたと感じる

関連リンク
『かくれてしまえばいいのです』利用者アンケート(2025年2月)の集計結果
https://x.com/kakurega_kkrg/status/1905941139271950758

聞く技術 聞いてもらう技術 (ちくま新書) 
https://amzn.to/3R0kOaK

[音声配信] #19 相談するか、しないか、できないか(喪失感は、突然に)
https://note.com/nobody/n/n5f26257365b7

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喪失感は、突然に、第19回目の配信です。
今回は、相談するか、しないか、できないか、についてお話ししたいと思います。
4月1日、2025年度が始まったところなんですけども、
でもこの収録をしているのは、もう4月2日になってしまいました。
ちょっとなんか色々バタバタしてたら、日がまたれてしまった。
あと実は、まあちょっとどうでもいい話なんですけど、1週遅れてるんですよね、実は。
毎週と言いながらね、実は19回は1000週分なんだけど、まあ、ゆるゆるとやっていきたいと思います。
今回は、その相談について話したいなと思ったんですね。
数日前に、NPO法人のディサス対策支援センター、ライフリンクというところが運営している、「隠れてしまえばいいのです。」というサイトはご存知でしょうか。
辛いなぁ、しんどいなぁという時に、一旦隠れてしまおうというところで、
ウェブ上に隠れ画を作ったんですね。
イラストレーターの吉竹鑫介さんが絵とか描かれていて、すごいかわいい感じの絵で、名前つけて中に入って、それでいろんな場所があって、
そういうところをバタバタ歩いて、スマホでタップしながら歩いていったりとかすると、
無関係ばあちゃんとかいて、なんか色々話聞いてくれたりとかするんですよ。
なんかコミュニケーション取れるとかではなくて、いろんな人がいて、その中にAIの相談室だったりとか、いろいろ街見たくなっているんですよ。
数日前にYouTubeで配信やっていて、アンケートを取ったようなんですよ。
利用者の子供から大人まで2309名が回答したところで、これが相談することについてだったんですね。
まず、相談することについて抵抗があるが最多数だったんですね。
これは子供も大人もどちらもで、
誰かに相談したいけど相談することに抵抗があるっていうのが、小学生から高校生までが4割強。
在籍なしが24パー。
おそらく在籍なしっていうのは学校に行ってない子たちなのかなという、特にこの表には書いてなくて。
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大人が35パー。
ちょっと低いね。
大人が一番多いのが、相談できるけどこの世から隠れたいと感じている24パー。
在籍なしが他と全然違うところが一つあって、誰かに相談したいけど相談物価がつながらないって言って、
お家にいる時間が小学生や大人より多いからなのかなという感じなんですよね。
ただ全体的に相談することに抵抗があるが最多だったというところで、
これ実体験からしても確かにそうだなと思って。
相談したくない、できない理由っていうのがですね、
子供と、子供18歳以下と大人で別れていて、
子供は相談することで迷惑をかけると感じているからが最多。
大人は相談しても状況は変わらないと思うからが最多だったんですね。
やはりここも在籍なしが他の小・中・高生と全然違うところがあって、
心配されたくないからっていうのが最多だったりするんですよ。
最多は迷惑をかけるからなんだけど、心配されたくないからって、
学校行ってないっていうこと自体でもう心配かけてるっていうふうに思ってるからなのかな。
さらに相談するとさらに心配されるとか、そういうことなのかな。
大人はね、心配かけたくないは13%。低いよね。
でももう自立しているから心配とかではないんだろうな、きっと。
最後の質問がね、隠れ家ならではなんだけども、
AIロゴとおしゃべりしてみようと思った気持ちっていうのは、
子どもも大人も人には相談しづらいこともAIなら話せると思ったっていうことで、
ChatGPTを有料とかにすると、いろいろね、
状況って言い方が合ってるのかどうかあれだけども、カスタマイズできたりしてて、
そうしなくても結構ね、話聞いてくれるんですよ。
いろんなこと言ってきてくれるし、アドバイスとか的なことも言ってくるし、
励ましてくれるとか、傾聴的なこともしてくれて、
あまりカスタマイズしないと、私はいつもあなたのそばにいますみたいな感じの、
すっごい何かこうありきたりなことを何回も何回も必ず最後の語尾で言ってくるから、
そういうのに有料だと調整できてたりするんだけども、
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学例があってそういう感じにやってるのかな、分かんないけど。
でも、人には相談しづらいこともAIなら話せるって少し分かるんだよな。
少しっていうかかなり分かる。
なぜなら多分人と相談したりとかすると、その場で終わるわけではなくて、
関係性がある程度気づいている人に話すわけだから、話してしまったらどう思われてしまうんだろうとか、
話した後の関係性までも考慮してしまうとなると難しいよね。
思ったように聞いてもらえなかったりもするだろうし。
相手の状況も分からないから、いろんなことを考えてしまうと話さないという選択になってしまいがちになるなとは思うんですよね。
実際自分もそんなに相談してきているのかというとそうではなくて、
だいたいこうこうこう悩んでて、でもこうしたみたいな結果を話したことはいくつもある気がするんですけど、
こういうので悩んでるとかこういうのつらいみたいなことって言ってない気がするんですよね。
私の場合はどう話していいか分からなかったわ。後から結果的にそうだったんじゃないかって思っただけで、
そう私の場合は、このポトキャストの名前にもなっている喪失感は突然にという感じで、突然こうつらいとか悲しいとかがやってくるから、
それを過ぎ去ると、じゃあ次の日にその辛さを話すかっていうと、もうあれなんであんなつらかったんだろう悲しかったんだろうみたいになるから、
なんかこう相談するのはもう遅すぎてるみたいな感じになっていて、
この間もちょっと違う回で話したけど、じゃあ本当にリアルタイムで超つらい時にたまたま誰かが電話かけてくれたとか、たまたまなんかあったって言ったら話せたのかなっていうのも思うんですよ。
たった1回だけ本当つらかった時に声をかけてくれた人がいて、私のなんかこうそれも、これ話したかどうか覚えてないんだけど、
Twitterでなんか私がこうね、アイコンをコロコロ書いてたんですよ、その時。なんかなんでそうしたかちょっとよくわかんないんだけど、すごいなんかね色に落ち着かなくてコロコロコロコロアイコンを書いてて、それで最後に、
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私ちょっとアムロナミエさんが好きなんですけど、自分のアイコンはアムロナミエさんにはしなかった。なんか自分が喋るのに人の顔で喋るなんかちょっと抵抗があって私は。
それなのに一番好きな写真にしたんですよ、その時。そしたらすぐ一番仲良かった友達が何かあったのかいっていう風にリプライくれたんですね。
その時に、え、なんで、どうしてだろうと思って。で、その時はLINEで今ちょっと電話してもいいって聞いて、いいって言うからかけて、そしたらコロコロアイコンを書いてるのを見てた。
なんかおかしいなと思って見てて、最後に私がね一番好きな写真にしたから何かあったのかなと思って、話しかけてくれたらしいんですよ。
その時に、私はこういうことを求めてたんだなーって思って、何かこう察してほしい。もうほんと難しいじゃんそういうの。
察してほしいなんて本当無理なんだよ相手にちょっと期待してる自分がいるんだけど、でも見ててくれた人がいたっていうところで、なんか本当にこれだったのかなと思って。
本当あの時はすごい救われたっていう気持ちになったんですよね。
でそれで電話して、夜実はねって言って、ちょっとその時ってお父さんの明日の少し前あたりで、その頃って明日反応でね、よく言われるようになんか気分が落ち込むとか、何も考えてないのに朝から辛いみたいな。
ずっと私はその虚無感っていうふうに表現してたんですけど、何もやる気がなくなってしまって。
で気づくと、あ、そういえば4月か。4月が父の目日。今は4月入りましたけど。なんですけど、なんかね昔はこの時期になると、思い出さなくてももう気分が優れない。
何もしたくないみたいな感じになって。それがもう何十年も二十数年とかずっと続いたのかな。だからもうちょっとそれを諦めてた部分があって、もうこれはどうしようもないと思って。
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いろいろね、だいぶ後になってからだけど、明日反応っていうのは記念日反応とか、いないことを目の前に突きつけられる感じ。そういうので急にドッと落ちてしまうっていうことがよくあるっていうふうに言われてるんですね。
だから、毎年毎年どうしようもない月みたいな感じだったんですけど、実はそのね、友達が声をかけてくれた翌年から、あれ、なんか私今年なんか全然平気なんだけどどうしたんだろうみたいになって。
ただ、それってその友達が要因だったのかもしれないってことをちょっとすっかり忘れてて、なんか二、三年後に、ああ、もしかしてあの友達のあれがきっかけだったのかもしれない。
もちろんいろんな要因が重なってもあるんだと思うんだけど、でも本当あの時の救われた気持ちは今までなかったものだった。それもやっぱりでも自分から相談したわけではなかったんですよね。
なので、この相談するかしないかできないかっていうところで、私はできなかった。結果的に。したくなかったわけでもないし、ただなんか相談をしたのかだかわかんないけど、
なんか何回か嫌な思いをしたことがあって、それがすごく残ってて、もうやめようって思ったこともたくさんあって、そういった小さいことの積み重ねで、自分にどうにかして処理するしかないっていう風になってたのかもしれない。
今、支援活動みたいなことをやっているったりとかする中で、自分に必要だったものは何だったんだろうって思うと、やはり第三者、助けてくれる人。
助けてくれる人は何なのかってなると、例えば自助グループだったりとかする中で、同じような経験をした人の話を聞く。自分だけじゃないっていうような気持ちを芽生えることによって、
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視野共作、自分だけが辛いって思ったわけではない。でも本当に辛くなると、なんで私ばっかり、なんで私だけが、みたいな思ったことはあるから、そうではなくて、視野を広げるためにいろんな人の話を聞くっていうところがあれば、
私の場合、20数年とか、結構自分でもう大丈夫だって思えたのって20数年とか経ってからだから、もっと早くそういうのと繋がれればよかったんだなって思うんですよね。
ただ、自分がケアとかサポートとか支援される側なんて思ってもないわけだから、もうこれはどうしようもないものだってしか思ってないし、学校とか、高校生だったんですけど、図書館とかよく行ってて、今でも覚えているのは、最初に手に取ったのは自殺予防とかの本だったのかな。
下園さんという有名な方の本で、そっち系を最初に手に取ってしまったんですよね。その頃になって、グリーフとか、なんかこう悲嘆とか、その私別とかのそういったことのものの言葉をもちろん知らないから、探すこともできなかったし、自分を客観視する何かがなかったんです。
自殺予防の本はちょっと読んだけどあんまりよくは難しくてわかんなくて、それでもなんか本をすごい探してた気がするんですよ。
それで唯一、あの時探した本の中で今でもやっぱ好きなのが、ノルウェーの森なんですね。図書館じゃなくて近くの古本屋さんにあって、その後小説ってほとんど読んだことなかったんです。
立ち読みしてたら、この一節で買うの決めたんですけど、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」
なんかこの言葉がもうすごくザッと刺さって、まさにその私は生きていて、父は死んでしまって、でももう私の中の全てがお父さんの死で溢れてているわけで、本当なんか生きているようなものだし、なんかそういう風なのを感じてこれ読んだんですよ。
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そしたら最後ね、直子さん自殺しちゃうし、ちょっとびっくりしたけど。
で、なんかそれから辛いことがあると、なんかこの本を手に取って読んでたんですよ。だから何回も数十回読んでんじゃないかな。
最近は全く読んでないんだけど、いつかね読んだ時に、あれ?全然面白くないって思った時があって、それからちょっと読まなくなってしまっているけど。
でもなんかね、あの赤と青の、青じゃない、赤と緑の、あの本はなんとなく自分の中のお守り的な本になっているかな。
だいぶ話がちょっと逸れてしまったんですけども、だから相談とかあまりしないでやり過ごす。辛い時はやり過ごして、なんかドヨーンとしてる時は本読んでとか、そんな感じだったと思う。
ただお兄ちゃんが自死した時は、結構大人になっていて、なんか割と友達に話したかな、すぐに。話聞いてくれてみんな。ずっとね、延々と私の話聞いてくれたんですよね、ほとんどの人が。
一人なんて、夜中は泊まらせてくれて、私ずっとなんかこう、後悔の話ばっかりしてたと思うんだけど、行き着いたら私寝てて、で、起きたら、もうなんか、友達とか会社行かなきゃいけなくて。
それで、その時は全然こう、私の中では辛さがずっと続いてるから、そこで何か解消したとか思わなかったんだけども、何年も経って思うのは、あの時、夜中ずっとこう泣きながら私の話聞いてくれて、何にも口をたぶん挟まずに聞いてくれたんですよ、友達。
で、他の人も心配してくれて、ご飯誘ってくれて、お母さんのこともね、一緒に心配してくれたりしてて。
その時はもちろん、ありがたかったなぁとは思った気がするんだけど、本当にそれどころじゃない感じの方が強かったけど、だいぶ経つとやはりそれも本当にありがたかったなぁって思う。
それはでも、自分がこう話せる自分でいたからだったんですよね。
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なんか割と言語化とかできるようになっていて、ブログをずっと書いていたこともあったから話せた。
お父さんの時はもう10代、20代とかで自分の気持ちとかもよく分からなかったし、話せる自分がそこにいなかった。
ずっとモヤモヤが続いていたっていう状況なのかなって思う。
ただ、モヤモヤしているみたいなことを話せる場とかがあれば、もしくは同じような経験をした先輩みたいな人たちが大人になった私がやってもらったように、
ずっとモヤモヤしていることを聞いてくれる人がいるっていうのはすごく救いになったんじゃないかなって思うんですよね。
今、いろいろ支援の現場とかにいたりとか、あと心理系の勉強も今していて、いろんな本を読む中で、
2年前に発売された遠畑海人さんというカウンセラー心理師の方が出した聞く技術、聞いてもらう技術っていう本が、
すごいわかりやすく、相談しやすい雰囲気、お互いどういうふうになればいいのかっていうところが具体的に書かれているような本だと思うんですね。
ちょうど今日からだと思うんだけど、Kindleが半額なんですよ。
本当はこの収録は昨日、3月31日にやろうと思っていたんだけど、ちょっと遅くなっちゃったから、明日にしようと思って。
今日、今朝、ポストを見ていたら、Kindleが半額になっていて、すごい良いタイミングと思って。
この本はすごい具体的なんですよ。
そもそも聞く技術、聞いてもらう技術の聞くは、耳辺の聞くじゃなくて、文構えの聞くなんですよ。
聞くと聞くの話をまず定義するんですけど、
戸畑さんは、戸畑さんなりに定義するならば、聞くは語られていることを言葉通りに受け止めること、耳辺に聞くは語られていることの裏にある気持ちに触れること、っていう風に。
うんうん、形状とかそうだよねって。
でもね、どう考えたって、耳辺の聞くよりも文構えの聞く方が難しいっていう風にね、結論づけるんですよ。
言ってることを真に受けて欲しいのに、裏の気持ちを考えられてしまうから、そのままの言葉を受け取ってもらえない。だから、ちゃんと聞いてよとか、聞いてもらえないってなる。
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心の奥底に触れるよりも、懸命に訴えられていることをそのまま受け取る方がずっと難しい。
そう、なんかこう、実はこういうこと思ってるんじゃないかな、みたいなところって考えがちになっちゃうよね。
本当そう、言ってることをそのままちゃんと理解するって本当に大切なことなのに、割とできない。
あともう、聞くっていうことに関して、たくさん本が出ているかと思うんだけども、でもその本に書かれているのは、平時の時に、普通の時にしか役に立たなくて、深刻な問題が生じている時に聞くが試される時だっていう風に言ってるんですよ。
普通の時は皆さん普通に聞けている。聞けなくなっている時っていうのは、いわゆる緊急事態の時だ。
究極が不全に陥る時に、僕たちは聞かなきゃいけないと思っているし、聞こうとも思っている。
だから、まずどうすればいいかという時に、聞いてもらうから始めるっていう風に言ってるんですね。
あなたが話を聞けないのは、あなたの話を聞いてもらっていないからです。
心が追い詰められ、脅かされている時には、僕らは人の話は聞きません。
ですから聞いてもらう必要があるという風に、聞くの回復っていう風に書かれている。
聞くは聞いてもらうに支えられています。
今読んでて思い出したことがあって、以前友達から死にたいと思ったことあるっていう風に聞かれたことがあって、
その時にびっくりしてしまったというか、何て答えたらいいかちょっと分からなくて、
思ったことないわけではないよみたいな、ちょっとよく分からない回答をしてしまって、
そのままその話終わってしまったんですよ。
その数日後に友達が亡くなってしまったんですね。
でもその友達がどう亡くなったかっていうのは実際分からなくて、
一応親御さんから聞いた話では事故だって言っているんですけど、
なんかそうじゃなさそうな感じもちょっとあって、
ただ私はその言葉をずっと覚えてて、
お父さんが大分前に10年は経ってないか8年くらい経った後なんですけど、
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なんで私逃げちゃったんだろうなーって今までちょっと忘れてたんだけど、
今ふと朗読したら思い出した。
きっと私はすごい焦ってしまったんだろうな、
脅かされたってことだと同じだと思うんだけど、
私が平常ではなかったと思う、それを聞いて。
だからその時にやっぱりこう、もっと余裕があれば、
もう少し違う言葉を書けれたんではないかなと思う。
だからさっきお兄ちゃんが亡くなった後に、
友達がずっと聞いてくれたっていうことは、
今の私の支えにもなっているから、
やっぱりそのように自分もしたいっていうふうに、
今は思っているから、活動とかをしたりしているわけです。
なので、ちょっと気になっていたら、
本を読んでみてください。
Kindleで900いくらが440円になってました。
Kindleでも買っちゃった。
Kindleだとね、気になったところ、
本だと今、付箋とか結構張るんだけど、
Kindleだといつでもスマホで読めるし、
河川とかも弾けるし、とてもおすすめです。
相談に関して、できるのが本当一番だと思うけど、
するかしないかできないかって、
状況とか全然、人それぞれ本当に全然違うと思うから、
だからこそ、自分はいつでも相談できるような自分でいたいと思うし、
自分を平穏に保ちたいと思うし、
誰かに助けてもらおうという気持ちでもいたいし、
または誰かを見守っていたいという気持ちもあって、
どう声かけていいかわからなくても、
でも見ているっていうことを伝えたいとか、
そんな存在でいれたら個人ではね、思っているし、
このポッドキャストをやっているのも、
なんかそういった視野が、ポジティブでもネガティブでも、
違う形が見えることで、少し違いが分かるかもしれないし、
そういった状況があったりとか、
30:00
そういった状況があったりとか、
そういった状況があったりとか、
違う形が見えることで、
少し違った方向に行ける、
一つの手がかりになればいいかなというふうに思いながら、
やってみます。
ということで、今回はこのあたりで終わりにしたいと思います。
またねー。
30:30

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