1. 喪失感は、突然に
  2. #01 自己紹介、私に訪れた死別..
2024-11-17 32:04

#01 自己紹介、私に訪れた死別・離別について、どのようなチャンネルにしたいか

1.自己紹介
2.父や兄の自死について
3.犬の死
4.安室奈美恵さん引退による喪失感
5.どのようなチャンネルにしていきたいか

16歳で父を自死で亡くす / 辛さや悲しみが突然やってくる日々 / 当時はカウンセリングなどにも繋がれなかった / 大丈夫だと思っていたが、本当は大丈夫ではなかった / 突然の悲しみにどう助けを求めていいかわからなかった / 39歳で兄を自死で亡くし、また死と向き合うことになった / 兄の死に自分が関わっているという思いが残る / 「自分だけじゃなかった」と思えた自助グループとの出会い / 喪失感と一生付き合っていく覚悟

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初めまして、喪失感は突然に、第1回目の配信です。
このチャンネルは、死別や離別など、身近で大切な何かを失い、その後に訪れる悲しみや苦しみ、辛さなど、様々な思いについて語り、
一人で辛い日々を過ごす方たちと一緒に、気持ちを分かち合いながら過ごす時間を作れたなと思っています。
リスナーの方からお便りが届くようになったら、読ませていただいたりとか、ゲストの方を招いて対談などしていけたらいいなと思っています。
第1回目ということで、まずは私の自己紹介をしたいと思います。
私はサーシュという名前で、SNSとかでやってるんですけども、
現在、自死自殺で、身近な人、大切な人を亡くした方々をサポートするNPOで活動していて、
かつ、現在フリーランスということなので、中小企業等に大きい企業というところの上質のような役割の仕事をしたりしています。
あとは個人の方のパソコンのサポートだったりとか、SNSの運用というところでお手伝いさせていただいております。
自己紹介はこんなところで。
で、今回この「喪失感は突然に」という、ある年代の方はよくご存知だと思いますが、
ラブストーリーが突然にからちょっと解釈いたしました。
なんでこんなタイトルにしたかというと、
喪失感。
喪失感がやってくるっていうよりも、突然悲しくなったりとか、辛くなったりとか、何か思い出してしまうとかっていうのがあると思うんです。
私は今から30年前、16歳の時に父を自死で亡くして、
それから、もう本当大丈夫だなって自分が思えたのというのが、20数年後経ってからだったんです。
どこかその病院に、カウンセリングに通うとか、診療の中に通うとか、自助グループに行くとかっていうところが、
その当時あったのかもしれないんですけども、自分はそこにつながれなくて。
もちろんつながる機会はあったのかもしれないけども、自分がそれを必要としていなかったかもしれないし、
なので割と自力でどうにかしてきた。
あと大丈夫だと思ってた、割と。
大丈夫じゃなかったんですけど、結構後から友達に聞いたら、さらっと話すから大丈夫だと思ってたって言われて、
確かにさらっと話してた気がするなと思って。
でもその中で、すごい亡くなって、16で亡くなって、
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10数年割と好きなものとか私はいろいろあったりとか、好奇心が結構あるので、
趣味とかもたくさんあったりとか、友達もたくさんできたりとかしていたけれども、
突然悲しいのがやってくる。
夜になるともういろいろ思い出してしまって、寝れなくなるとか、朝起きれなくて仕事遅刻してとか、
だんだんそれが増えてきて、急に辞めてしまうことも何度もあったりとかして、
全部私が性格とか、私が全て悪いと思っていて、
たまにお父さんが普通に生きていたら、こんなならなかったりなって思うこともあるけども、
それが自分が甘えだとか思っていたし、
今思うと、こうやって急に寂しくなってさ、みたいなことは今だったら言えるんですけど、
その当時は言えなかったっていうか、
誰かに聞いてもらいたいけど、何を喋ればいいかわかんないし、
あと友達とか困らせてしまうんじゃないかなっていう、
よく助けてって言えないっていうふうに言われてるわいてて、
でも助けてって確かに私も言えなかった。
なぜならどう助けてしてほしいかわからなかったからなんです。
例えば、もう明確にこれをやってほしいとか、助けが必要だっていうのって割とわかるけども、
悲しみが突然訪れてくるときに、どう助けてほしいかって言えないわけですよ。
でも、それで辛いって誰かに言ったとして、
基本、よく言われがちなのってアドバイスを求めてないのに言われてしまうとか、
気のせいだよとか、大丈夫だよとかって、
その安易な言葉で傷つくっていうことをよく言われたりとかしているんですけども、
相手の方だって別にそれを良かれと思ってやってることだし、
どうにかして今目の前の人が辛い思いをしているときに、
何か自分にできることがないかっていうふうに考えるわけですから、
どうにかと思ってやってくれたんだと思うけど、
私が喋った私としては、そんなこと言われたくなかったみたいなのを思ってしまうことも多分あったんじゃないかなと思って、
そうなってくると、人に言わないほうがいいやとかって思うこともあったと思うし、
そういうのを繰り返しながら、突然やってくる悲しみ、
喪失感、いなくなってしまった人のことを思うと、
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何にも埋められない、いないからぽっかり穴が空いたような気持ちになってしまって、
その穴を見つめると、どうしても何かで埋めようとかいうふうな気持ちになってしまうのか、
穴が空いてしまったな、いないな、なんていうふうには思えない。
どうしても、私の場合は、自ら命を断つというような形だったので、
なんで死んでしまったんだろうか、なんで私が悪かったのかっていうふうに思う時期もあって、
今思うと、16歳の私が何か悪かったのかって言われても、
何も多分生きてきたことぐらいしかないんじゃないかな、
そしたら私がどうかできたわけでもないし、
でもそれを思えたのも、実はそれから16歳で父が自死して、
今度私が39歳の時に兄も自死をしてしまいます。
4歳上だったんですけど、大きな怪我をしてしまって、それが理由だったんですけども、
その時に兄の死は、私はすごく関わって、死というか亡くなるまでの数ヶ月間、
けがをまずしてしまったので、その時にいろいろお世話したりとかしていて、
すごい仲良かった兄弟ではないような気もするんです。
1年間にお正月とお父さんの命日にお墓参りに行くとか、それぐらいしか会わないし、
何か大きなことがない限り連絡も取り合わなかったし、仲悪くないけどよかったわけでもないんですが、
いろいろお世話する中で、もともと口喧嘩とかは前からしてたから、
どこの兄弟もそうなのかな、仲良いとこ違うかな。
それで相変わらずそういう口喧嘩をすごくしまくってしまい、
亡くなるちょっと前とかに大喧嘩してしまって、私がぶち切れちゃったみたいなとこがあって。
だから、兄ちゃんの死が全て私のせいではないけども、何かしら関わっていると思っている。
自分のせいというのも、やっぱり少しは、少しはじゃないな、結構思っている。
これからの私の人生、後悔がどうやったら消えるんだろうかなっていうのが一つのテーマかなと思っていて、
別に兄がお前のせいだって書いてある、衣装があったんですけども、書いてあったわけじゃないし、
けどもんっていうところで、けどもんのところを私はこれから多分ずっと生きてる間考えていくのかなと思っています。
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今もやっぱこう、なんだろうな、割と話せはしますけども、涙は出そうになっていたりとかしていて、
今は話すっていうトリガーがあるから、泣いてしまうのはもう想定内なんですけども、
例えば、その突然に、今回その突然にが結構重要なキーワードで、自分でコントロールできないと思うんですよ、
喪失感とか、その悲しみがやってくるとき。
私の場合だと、父の時なんて、父が吸ってたタバコのケースとか見るとか、それだけでもダメだったし、
兄の場合は、家からスカイツリーが見えてたので、スカイツリー見るたびにもうダメだったりとか。
今でもほとんど大丈夫なんですけど、急にダメな時もある。ダメっていうのは急に涙が出そうになるみたいな感じなんですけど、
涙って、涙の話も結構深く喋りたい一つの様子なんですけど、
突然にやっぱり涙が出そうになる。もう考える前に、意識する前に涙が出る先に。
なんでかなーってなると、言葉にできない、涙ってストレスが体にかかっていることで、そのストレス反応を浄化なのかな。
涙の本いっぱい買ったんだけどね、まだちゃんと読んでないね。買ったりとかして。
で、現場の中で検証というか、兄が亡くなってから、その都度その都度泣くたびに、涙が出たたびに日記書いてて、iPhoneでメモして。
もちろん泣いたすぐには無理なんだけども、今なんで泣いたのか、どういう涙だったか。
なんかこう、目の奥がすげーぐーって痛くなるような涙とか、鼻がツーンとするような涙だったとか、なんかそういうのを書いて、そのきっかけは何だったのかっていうのをメモしてたりしてると、
やっぱりまだ言葉にならないものが中にある時っていうのが一つの自分の中の結論。
言葉にできたとしても涙はまだ出てくるけども、想定内になってくる段々。
この話したら泣くだろうなーとか思うんですよ。
だからなんか、まあちょっと話はずれるけど、泣くのがなんかダメみたいな話言われると、いやそういうんじゃないんだよなーとかってちょっと思ったりとか。
まあそれはまあ人それぞれの価値観だから別にいいんだけど。
というとこで、その突然ね、喪失感やってくる。
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これ別に今私は私としては、その死別とかの経験が父と兄の自死だったりとかして、それ以外にもやっぱりよくよく思うと、
うちワンコが犬が2匹いたんですけど、中学の時に突然多分屋上から飛び降りどっか行っちゃったみたいなことが、多分もう一匹の犬にいじめられたっぽくて。
雑種と秋田犬、秋田犬っていうのがね、秋田犬で、それで一匹雑種の方の方がいなくなっちゃって、小さい方が。
で、秋田犬の方は、まあ昔秋田犬って言ってなかったっけ。秋田犬っていうのはどうしてもなんかちょっと違和感があって、まあいいや。
が、なんかね、皮膚病とかになってしまってだいぶそんな元気ではなかったんだけど、私が高校生の卒業旅行に友達と行って帰ってきたらいなかったの。
いつも階段とかでいたんだけど、そしてお母さんに何でいないんだよみたいな話を言ったら、もう癌だったって。
それで病院の先生がもうこのままだとかわいそうだから、行かせてあげた方がいいって言われたらしくて。
じゃあただ娘がまだ今旅行でとかって言ってたんだけど、まあそれはそれでね、私の何かのために伸ばすのもなんかまあまあ今だったら仕方ないなと思えるけど、
それであれもすごい悲しかったなあと思って。なんかお父さん死んでから結構ね、お母さんがいない日が続いたから、
そのリュウとね、リュウっていたんだけど、リュウと一緒に隣にいて、結構喋ってたの。私が勝手に喋るんだけど。
喋って、途中で泣いちゃうの。そうするとリュウが鼻を顔にくっつけてくれて、舐めてくれたりとかするの。
わかるんだなあと思って。一番最後にお父さんを見たのはリュウだし、ごめんなさい。
あとは、アムロナミエさんが私はすごいファンなんですけど、引退するって言った時からの1年間。
あれもすごく私別、お父さんやお兄ちゃんが亡くなった後に辿った私別の悲しみとか辛さとかっていうのとすごく似てたんですね。
あとやめて、引退後もたまにね、いないことを考えたりとかするとちょっと泣いちゃう。
一番びっくりしたのがね、三浦大地くんのライブに誘われて行ったんですよ。
昔前からアムロさんと好きになったのは同じぐらいの時期。それで大地くんのこともやると好きだったから、ライブに結構行ってて。
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引退した後にライブに普通に行った。そしたらオープニングで大泣きしちゃったの私。
自分でもそんな思ってなかったからびっくりして、なんだろうと思って。
後から考えたら、大地くんって歌って踊るでしょ。彼も踊って歌うみたいな、どっちでもどっちのパフォーマンスがすごいじゃないですか。
それを見た時に私はもうアムロさんのパフォーマンス見れないんだっていうのをすぐ実感してしまって。
それから私、大地くん見るのが結構リスキーだなと思って。ライブは多分、今のは大丈夫かもしれないけど、それ以来ね、ライブに行くっていうことに少し恐れが出てきて。
そういえば同じ会場、例えばよく私は遊戯大秘館に行ったりとか国際フォーラムに行ってたから、同じところでやる人たちどうなのかなとか思って。
でも大丈夫だった。ヒッキーもね、全然大丈夫で、ジャンル違うから大丈夫なのかなとか。
ヒッキーとアイミョン行ったかな。それは全然大丈夫だった。
ジャンルが違う。で、そこで、別に会場じゃないんだなって。ジャンルだと思って。
私はやっぱり歌って踊る山村奈美さんが好きだったし、人となりっていうところも、それもちょっとまた今度話できたらなと思うんですけど、好きだったりとかしてたから、
ああ、もう見れないんだと思って、すっごい突き刺さっちゃって。そういうのも突然、もうコントロールなんかできないよね。突然やってくるから。
びっくりした、あれは。お父さんお兄ちゃんのね、なんかその創出会もね、一番あれびっくりした。想定なんて全くしてなかったから。
いや、かっこいい。久しぶりに大樹くんのダンスとか見れるから、ちょっと楽しみだなとか思ってたのに。
いやー、その後もなんか何曲か、全部じゃなかったんですけど、何曲かやっぱり聞いた時に、もう涙止まらなくなってしまって。
あれがちょっとね、衝撃、びっくりっていうぐらい、突然やってくるし。
今回、音声配信をしようと思ったっていうのは、創出家、悲しみとか苦しみとかって、一人の時に突然やってくるし、どうしても何もできなくなると思う。
私は何もできなくなっちゃう。
例えば、何か本読んでるとか、映画見るとか、何か家で作業してる時に、あ、作業してる時は考えないか。寝る前かな。
とか、またさっきみたいな何か見てしまったとかっていう時に、ずっと引きずってしまうんですよね。
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昼間に何か見たとかっていうのも、早ければすぐに解消、もう忘れてしまう場合もあれば、数日間それをずっと引きずってしまうとかもあるし。
だいたいこう、どう表現してもわかんないし、何をしたらこれは解消するかもわかんないっていう時に、こういった配信で創出家の話を、他の人の話を聞いた時に、
私もそうかもしれないとか、っていう風に、自分もそうかもしれないって思えた時って、少しホッとすると思うんですね。ホッとする、あ、そう思うんですねっておかしいかも。違う人もいるかもしれないし。
まったらかの時は全く行かなかったんですけど、こういった活動をするようになって、自分も参加者として入った時に、やっぱ思いがけないところですごい泣いてしまうとか、
どなたかの話を聞いて、私もこうだったーだったーって時に、あ、私だけじゃなかったんだなーって、周りに、16とかでお父さん死んでるから、周りに家族を亡くした人、まだ言わなかっただけかもしれない、みんなも。いない人もね。
でも、ひとまずいなかった。誰も。っていうとこで、誰もいなかったってなってると、だったところが、あ、みんな同じような思いを辿ってたんだっていう思いを私ちょっと感じたんです。
そうしてると、安心する時間になるんですよ、そこが。で、自分も、この場だったら安心して、もちろん会が安心して守られるように皆さんがこうやってくれてるんだけども、参加者の時にね。
今その運営する立場なんだけども、あの、まあ安心して語れるようにしてくれるところで喋って、で、もうこの場だけで話をしてっていう、いちごいちへの出会いでお話をして、でもやっぱりその、いろんな方がいて、いろんな方の人生を聞くと、
なんか、そうかと思って、その、自分だけじゃなくて皆さんもこう、日々つらい思いでこう暮らしていて、で、誰にも語られないことをここでお話しして、聞いて、みたいな。
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そして、また一人一人日常に帰っていくっていうようなものをね、体験して、それがこう、なんだろう、自分の悲しみは何も変わらないんだけども、何か変化が起きてるんですよ。
自分、私、その辺はうまくまだ言葉にはできないんだけども、で、その、何度もまあ、今は、あの、運営する側にいるから、ずっと何回も同じ方がいらっしゃる場合もあるし、一回しか来ない場合もあるけど、それぞれ皆さんこう変化が、
お話ししてくださるのを聞かせていただいてとか、話させていただいてとか言って、私はこう、運営側にいながらも割と結構泣いちゃったりとかもしても、皆さんほんと温かくこう聞いてくださるのが、やっぱりすごくホッとする時間になる。
そういったのを、まあその、事情グループとか、あと電話とかメールとか、いろんなその相談する、多くはないけども、ある中で、ハードルがね、ちょっと高いじゃないですか。私だってずっと行かなかったのって、行って何になるんだろうとかっていう、私はもう別に自分で大丈夫だしって思ってたし、今、
普通に生きているのに、わざわざこう行って、なんか、なんだろう、話、つらい話、なんか思い出して話さなきゃいけなくなるから、なんかちょっとね、分かんなかったの。行きたいっていう気持ちは全くなかった。
けど、話すとか、対話の力って、あとね、そばにいる、オンラインでもやったりするんですけど、目の前で、画面越しだけどもいて、話をするとか、対面だと本当に物体、体が横にいて、そこからなんかいろんなものを感じるんですよ。
話そうと思っても話せない、なんだろうな、体の緊張とか緩みとか、そういったものとかも、すごくエネルギーを感じる場になるんですけど。
自助グループ、対面で会うとか、オンラインで会うっていうと、結構人のエネルギーっていうのを間近に感じて、それが共同体みたいな安心感が生まれる反面、わりと自分に力とか元気とか、そういうものがないと、行くのって結構ハードルが高い。
もしくは、初めて行くことがなるとすると、何やってるか、どういったものなのかもわからないし、すごい不安だと思うんです。
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私も多分ね、そういうのがあって、何やるかよくわかんないし、っていうので行かなかったこともあるんですよね。
音声コンテンツになったときに、自分のタイミングで、自分の好きな時間に、いろんな環境で聞けるとかって、やっぱりそのハードルがなくなるから、
じゃあ一旦、自助グループのような関わり合いがラジオでできたらいい、ラジオじゃないな、音声配信できたらいいなって。
皆さん知ってるかな、サンドイッチ漫画、NHKでやってる病院ラジオ。あれすごく、あれを見ていれば、すごいいいなと思ったんですよ。
やっぱりサンドイッチ漫画は車でブーンって行って、ラジオ局作って、放送して、そこで話したい人が来て、皆さんも病室とかで聞いていて、あれってすごくケアになる空間ですよね、あれ。
だったらそういったように、ケアの形ってたくさんあったほうがいいって思うし、その喪失感、特にこの喪失感が突然に、突然にやってくるから、来たらもううずくまって、悲しみとかなくなるの、もうじっと回つしかないみたいな時間になる場合が、私は結構多かったから、
そういう時に、何かこう、ほっとするものをね、まあ辛い時に辛い話聞けるかって言うとちょっとわかんないんだけども、その誰かの話を聞いて、
何かこう、少し、その苦しみ悲しみを横に置いとけるような時間が、皆さんに作れたら、作れたら、作れたら、訪れたら、いいかなというふうに思って始めました。
ということで、今何分ぐらい喋ったかちょっとわかんないけど、ちょっと待って、お母さん、すいません、失礼しました。たまにこうね、お母さんがね、入ってくるのね、リモートワーク、最近あんまないけど、だいぶね、コロナ禍で、こう家で仕事してて、ズームとかやってるとお母さんが普通に入ってきたりとかして、もうね、まあそれもいいかなと思って。
ということで、またこういった話、テーマを決めて話をするのか、こうやって思ったことばらばら、ばらばら、ばらばら喋るのか、まあテーマ決めた方がいいよね、きっとね。
というので、しばらくはね、こういう自分の自分語りみたいなことをしていくんじゃないかなと思ってはいますが、お便りが届くようになったら、読ませていただいて、気持ちを共有したり、分かち合うような時間があったらいいなと思っています。
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私はお兄ちゃんが亡くなった後に、結構いろいろ文章を書いてたんですよ。
さっきの涙の話だったりもそうなんですけど、文章を書いて、今自分がどう思うのかっていう、どういう感じなのかっていうのを、できる限り適切な言葉を見つけながら書いたりとかしてたんです。
もちろん見つからなかったりもするんだけども、お兄ちゃんが亡くなった何日か後に、モレスキーのノートにね、私はって書いてあった時があって、そこから止まってるんですよ。
ちっちゃい字で、もともと字ちっちゃいんですけど、特にお兄ちゃんが亡くなった数日後は何も書いてないんだけども、書いた時に、お兄ちゃんが死んだ、お兄ちゃんが死んだ、私はで止まってて、その私はで止めた時がすごい私、覚えてるんですよ。
この後に呼んで、お前はまだ自分の話をするのかって思って、私はで止めちゃったんですよ。なんかすごく自分よがりだと思ったんですよ、あの時。それで何も書けなくなったんですけど、そういったのをね、ありありと自分しかわかんない何かなんだけども、覚えてるんです。
そこでやっぱり振り返ることもできると思うし、書くことで、自分が本当にどう思ってたのかとか、あと喋るのもそうで、頭で考えてたことを喋って自分に返ってくるってなると、また全然違うものになる。
私ってこう思ってたんだって思ったりとか、ぐるぐるしていたことが言葉に一瞬になったりとか。要は会話って、心発力っていうか、自分の意識しなくてもできることじゃないですか。
そういったように自分の考えを、悲しいとか、苦しみだったり悲しみだったりするのも、話すことで新しい言葉が出てくることも、私は割とあったかなと思ってて。
だから、そういったのができたのは本当に20数年後経ってから。本当にお兄ちゃんが死んでから、私はお父さんが死んだことで何が自分の中に起きてて、何が大変だったのか、何が辛かったのかとかっていうのを、はっきりと理解していった。
今でもやっぱり、そういえばこれ、こうだったなって、新しい発見もやっぱりまだあるし。なので、これからももしかしたらまた何か新しいの何かがあったりするのかなと。
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こう今、自分の話をすることで、まだわからない。そういえばさっきだってちょっと泣きそうになってしまったこともあったんですけど、わかっていったりするのかな。
私は、わからないかったらわからないでもいいっていうふうに思えた。わからないならわからないでいいってわかった。今まではわからないことが辛かった。理解できないことは辛かったところなんだけども、そういったこともわかるっていうことがすごく自分の中の癒しになっていく。
それね、東肌カエトさんでご存知ですかね。雨の日の心理学っていう本にも書かれていて、わかるっていうことがね、どれだけ自分のね、私はすごく力になった。わからないってこともわかるとか、わからなくてもいいってわかったとか。
本当に全然ね、違うんだね。
そういったことも自分もまだまだ、グリーフって一生終わらないって言われたりとかもするし、忘れることはないから、思い出さないことはないかもしれないけど、忘れないと思う中にあることっていうのは思い出すきっかけが変わっていくとかもあるし。
というので、これから週に1回配信できたらなぁと思っています。では、この辺で今日は失礼させていただきます。お便りもしあったらよろしくお願いいたします。じゃあねー。
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