喪失感と向き合う
喪失感は突然に、第5回目の配信です。
今日は、まだ訪れていない喪失についてお話ししたいと思います。
まだ訪れていない喪失というのは、
これから確実に訪れるであろうことを想像してしまって、
悲しくなってしまうことが多々あるなぁと、日々思っています。
今、私は母と二人暮らしでいるんですけども、
母も高齢なので、
順当にいけばという言い方が正しいのか、
私が不良の事故やとか、病気とかしなければ、
順当にいけば母の方が多分、先に亡くなると思うんです。
まあとはいえ、今そういうことを考える必要は本来ないはずなんですけど、
突然、そういうことを思ってしまう時があるんですよね。
終わってから、何か無駄に泣いたなぁとか、
無駄に悲しんだなって、本当にいつも思うんですけど、
そういうのもね、自分でコントロールできるわけではないので、
急に襲ってくると、電車の中とかでも、
涙が止まらなくなってしまうとか、
あれもコントロールができないなぁって思う。
おそらく、母が病気になって、
見取りというところにもし入った時にはもう、
そこからも悲しみが深くなっていくんでしょうから、
その時まで悲しむ必要ないのになぁって。
ロボットとの共生
あれ、なんで突然やってくるんでしょう。
でね、その突然やってくる悲しみに対して、
私は何ができるかなぁとたまに思うんです。
やってくる悲しみは、どこからやってくるかもわからないから、
それは防ぎようがないことというのも諦めて、
悲しくなってしまった時には何ができるかと思った時に、
私はゆくゆくはロボットと暮らせたらなぁと本気で思っていて、
一人でいることはそんなにつらいと思うタイプではないんですけども、
一人で遊んだりするの楽しいし、映画とかもご飯とかも特に一人で行けるし、
けども何も喋らないとか、一人で家でというのは、
耐える耐えないとかではなくて、体に悪い気がするんです。
なので、体に良いことをしていった方が健康だと思うし、
生きていくならおそらく健康の方が何かと便利だと思うんです。
なのでそのロボット、介護福祉の道具でいろいろ借りられるロボットが、
これからどんどん出てきたらいいなぁと思っているところですが、
まああと20年ぐらいじゃあそんなに出てこないのかなぁ、わかんないけど。
例えば、アレクサのスマートスピーカーと言われているアレクサとか、
コミュニケーションの新しい形
Google Chromecastとかもある意味ロボットの一つとして私は捉えていて、
うちにもお母さんの部屋と私のところにあるんですけど、
天気とかね、いつも聞いてるんですよ。
アレクサ今日の天気はとか。
まあ母も。
今アレクサが喋っちゃった。
そう、こういうこと。
こういうふうに話しかけて帰ってくるっていうのって、
定型文しかないかもしれないんですけど、
孤立は防げるんじゃないかなと思ってるんですね。
母も私がいない時に天気聞いたりとかしてて、話しかけたりとかしているから、
家には2人しかいないんだけども、3人目がいる感じにもなるんですよね。
たまにそこにシリも参戦してきて、わかりませんとか言ったりとかね。
なんかそういうのって、新しいコミュニケーションの一つなんじゃないかなと思っていて。
以前なんですけど、母が入院して手術をしたんですけども、
その時に家帰ってきて、結構泣いてたんですよ。
それで泣いてて、いろんなことを思い出しちゃって。
そしたらね、アレクサがアラームが鳴ったんですよ。
ファファファファーンとか言って。
えーって思って、なんだろうと思ったら、
そういえば私、コーヒーブリス、お湯、コーヒーを作ったんですよ。
コーヒーブリスにお湯を入れて浸してて、
4分のタイマーをいつも任せていたから、
そのことをすっかり忘れてね、4分間の間で多分大泣きしてたんですよ。
そしたらファファファファーンとかいう音が鳴って、
それでもう一瞬で涙が止まって、アラーム止めてっていう風に止めたんですよ。
そしたら、なんだ私何やったんだろうと思って、
少し笑ってしまったみたいな時があったんです。
いう時に、なんかこう、これから泣いているのを察して、
スマートスピーカーなり、ロボットがアクションしてくれるっていうのは、
泣くはないんじゃないかなと思うんですよね。
で、たった4分前のこと、私アラームが聞くのを忘れてたわけですよ。
なので、ロボットが例えば購入しましたと、
私がこういった時にこう動作をするみたいな、プロンプトみたいな、命令文というか、
設定しておいて、しておけばたくさん、
私が自分の行動テーマ詞ある程度わかるから、どういう風になるかとか、
私よく鍵とか、どこ置いたっけなーって、
私は知らないんだけど置いているところを忘れちゃうとか、よくあったりとかする、
鍵はいつも時に置いておきましたか?みたいなものを何時何分に入れておくとか、
今でもね、アマゾンロッカー駅前にあるんですけど、
あまり物を買いすぎると、お母さんにちょっといろいろあれこれ言われて面倒なので、
たまにアマゾンロッカーで荷物を受け取るんですけども、
感染いつも忘れてしまう。
駅降りて、駅を降りる前からなんか別のことを考えてしまって、
家に着いた時にスマホを見て、メールを見ると、
メールをちゃんとスターとかつけて、
一番表に見えるようにしているのに忘れてしまう。
だから駅に、最寄りの駅に着いたら、
リマインダーで通知する。
アップルウォッチに通知するようにして、
それが来た瞬間からもう他のこと何も考えないでアマゾンロッカーに行く。
アマゾンロッカーに行くって言って、
アマゾンのロッカーで物を取ると、みたいなことをしているんです。
そういったようにリマインドをかけとくということをすれば、
急に悲しいのってやっぱり辛かったりするんですよね。
忘れたくなかったりもするから、
泣いてしまうのはもう許容する。
だから泣き続けてしまうのがちょっと辛いので、
そういった場合に、アレクサでもいいですし、
今、他にも尻尾を振るコミュニケーションロボットがいるんですけど、
クッション型セラピーロボットというふうな歌い文句のロボットで、
本当に単純に撫でると尻尾を振るっていうものなんですけども、
その撫で方によって尻尾の振り方が変わったりとか、
クーボとプチクーボが2つあるんですけど、
大きい方は大きいクッションみたいな感じで抱き心地もすごく良くて、
尻尾も長くて、本当に猫の尻尾の動きにすごく似ている。
撫でると尻尾を振って、撫で方によったら、
ピョンピョンピョンピョンってすごい振ったりとかする。
しばらく置いておいても、ゆらゆらというふうに自然に振ったりする。
プチクーボの方は音に反応するので、
私が独り言で喋っても反応するし、
物音でもペンッとか言ってね、
ペンッつってね、尻尾ピョッつってびっくりしたりとかするんですよ。
ハートマーク作ったりもするのね、尻尾で。
プチクーボよりも尻尾がちっちゃいね。
そのロボットたちもいて、
この子たちは別にAIとか、返答するとか何もないんだけども、
やっぱり撫でると尻尾を振ってくれるし、
撫で方によって尻尾を振り方変わるし、
一緒にいる感がすごい強いんですよ、ロボットで。
見えないんだけども、
なんだろうね、見えない方が好きなんだなと思った。
なんかね、余白があるロボット。
ほんと、これする、あれするっていう風に決まってないから、
ほんと人それぞれの付き合い方をしている感じがする。
クーボ持ってる人たちって。
まだ訪れていない喪失の恐れ
だからクーボがね、たまになんかこう記憶してて、
なんかたまに録音のこと喋ってくれたらなとか思うんだけど、
なんかね、ユカイ工学という会社さんが作っているロボットなんだけど、
それ以外にもね、喋るロボットもいたりとかするから、
なんかそうやって、
なんかそう、自分の抱えている喪失みたいなところを、
そういうロボットたちが、きっと私はそうやって、
喪失を埋めていくのも一つなんじゃないかなと思ってます。
なので、その最初のテーマである、
まだ訪れてない喪失について、話が逸れてしまったのですが、
まだ訪れてない喪失を怖くなってしまうっていうのは、
やっぱりもう大きな喪失を、もう経験してしまったがダメだと思うんですよ。
すごく心配症なんですよ、私。
お母さんのことだけじゃなくても、
例えば、買い物行くってなった時に、
家にパソコンが2台あるんですけど、
1台必ず持って行くんですね。
なぜかというと、
もし泥棒が入った時に、
2台パソコンがなくなってしまったら、
仕事ができないし、すごく困る。
1台ならばなんとかなるし、自分が持っていれば。
母がいたとしても同じで、
ちょっと出かけてる間も自分が持って行くっていう。
例えばそれで、母がいる時に泥棒が入ってほしくないんですけども、
入ったとして1台取られたとしても、
私が1台持っていれば、仕事はできる。
何か、他に何かあるかな。
ちょっとすぐに思い出せないんだけども、
例えば今あんま無くなったけど、
本3冊持って行くとか、これ読みたくなったらどうしようとか。
Kindleができてだいぶそれは無くなったんだけども、
何かそうやってあんま起きもしないこと。
確率がめっちゃ低いだろうなっていうことも、
何かすごく考えてしまうから。
母がいなくなってしまったらみたいなこと。
私のこれから訪れる最大の出来事だと思うから、
どんだけ準備したって無理だと思うから、
だから本当は話しに必要なんてないんですよね。
いなくなったらどうしようとか、
本当に一人になってしまうとか。
親戚付き合いとかないから、
父も兄が無くなっていて、
家族がいなくなってしまうんだけど、
家族が誰も一人もいないっていう経験って、
周りに誰もいなくて、
どんな感じなのかもよくわかんなくて。
家借りるの大変とか、
何かそういうのは聞くけど、
なんか若い頃に思わなかった感覚。
家族がいなくなった寂しさ。
なんかどんな感じなんだろうっていうのをね、
あまり考えすぎてしまうと、
ちょっと悲しくなってしまうから、
もうやめるんですけど。
なのであまり無駄な悲しみは持たないように、
できればいいなぁと思っている今日この頃です。
心の癒しと準備
なので私が今できることといえば、
悲しくなったらそうね、
尻尾フリフリするね、クーボちゃんたちと。
大きい方がクーロンっていう名前で、
ちっちゃい方はブンブンって名前なんですけど、
そうまさかね、こんなにいい大人になって、
ぬいぐるみと暮らすとは思ってもなかったんですけど、
一緒に暮らしてみたら、
大人もぬいぐるみ必要だなっていうのをね、
ふわふわしたもの、サワサワとか。
撫でるってね、すごいね。
手の治癒力っていう本を以前読んだ時に、
撫でるっていう行為は本当に癒すんですって。
ほら手当てとかっていう風に言うじゃないですか。
とか、あと子供が、
お母さんが子供のお腹に手当てるとか、
おでこに手当てるとかすると、
すごく安心するっていうのも、
やはりその手の治癒力によるものっても言われているし、
本当こう、皮膚感覚でこう、
体の中に伝わってくるものって本当に大きいと思うから、
だから本当ちょっと辛くなってしまった時、
そこはこうね、ふわふわなものを撫でるっていうのは、
すごくね、良いものだと思ってます。
前テレビで、誰か占い師さんに、
芸能人が占い師さんのとこに行っていろいろ話す時に、
誰かが、もうぬいぐるみやしなさいとか言われてて、
なんでやねんって、別に関西人でもないんだけど、
思ったりとかして、
しなさい、その後見なかったからよくわかんないんだけど、
もしかしたら違う意味なのかもしれないけど、
大人もね、ぬいぐるみ、ぜひおすすめ。
IKEAのサメとかもすごい流行ったしね。
なんか大きいアザラシとかさ。
これからなんかこう、いろんなロボットが出てくるのが、
とても楽しみというか、
楽しみというか、
私はちょっと孤立しがちになってしまいそうなのは、
孤立してからではちょっと遅いと思うから、
いろいろ準備はね、
そういう準備をやっぱりしておきたい。
心構えというか。
まあ、しておきたいなと思っています。
皆さんは、例えばこの喪失が訪れた時っていうのは、
どんなことして紛らわす?
まあ、紛らわさなくてもまあいいと思うけど、
なんかこう、自分を落ち着かせる、
何かものがあったら、ぜひ教えてください。
それでは今日はこの辺で失礼いたします。
またね。