00:00
北川八郎 人生を変える出会い
こんにちは、早川洋平です。
人生を変える出会い、今日は第11回です。
北川八郎先生、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ、今日はですね、冒頭入る前にですね、ちょっと暴露したいんですけども、
前回収録があって、先生がですね、結構いろいろ、まあ以前もご紹介して、メモを取られてるんですけども、
今回先生、お話したいことがメモされてたようなんですが、先生、結局見つからなかったんですかね。
すみません。
なんかね、実はさっきも話したんですけど、先生、こう結構僕のイメージでは、あの、生理、そんなに苦手じゃない感じしたんですけど、苦手なんですかね。
全くダメですね。B型。
B型、典型的なB型はですね、部屋の中を散らかしまくるし。
昔からですか。
大体そういう傾向ありますね。
あ、本当ですか。
はい。
なんかだんだんこう、直感力が増してて、それに反比例するように、そういう生理の声が落ちてくっていうのもありますか。
そうですね、本当部屋の中散らかし、どこに何を置いたかっていうのは、まあ生理能力はないですね。
でも、大事なものをあそこに置いたとかいうのを覚えてるんですよ。
ああ、本当に一番キモなもの。
なんかいくつ、あるいは段取りとかあるんですけど。
現実はすごいダメですね。生きる、下手、下手Bっていうか。
僕も偉そうに突っ込んでますけど、僕もB型なんで、2人でアバウトに楽しんでいきたいと思います。
今日はですね、番組始まってついにですね、今までご感想をね、以前も多分ご紹介したと思うんですけど、アフリカからもね、ご感想いただいたりもしていたんですけども、今日はついに質問が届いています。
読み上げますね。
こんにちは。初めてメールします。
15年前、大分の天水という旅館に泊まったときに、北川八郎先生の本を知り、先生のことを知りました。
心にスーッと入ってくる感じで、本を購入して、帰り何冊も読みました。
そして先生にお会いしたいのと、陶芸品が欲しくて、2度ほどお店にお邪魔しまして、一度お会いできました。
帰るときに私に向かい、手を合わせてくださったことに感激したのを覚えています。
それから結婚、出産、離婚、両親の私別と、さまざまな経験をし、今、仕事をしています。
最近、先生のブログを毎日読むようになり、先日お会いしたくて、奥に足を運んだのですが、お店が閉まっており、ご縁がありませんでした。
前置きが長くなりましたが、最近、私の人生、このままでいいのかなと強く思うようになりました。
朝もバタバタして仕事に出かけ、夕方まで仕事をして、家に帰り、ご飯、洗濯、掃除などの家事をして、子供とゆっくり接する時間もなく、ゆとりもない日々。
子供が病気で看病をしてくれる人が身近にいないので、留守番もさせてしまい、父がいたら、両親が元気だったらと思ってしまいます。
03:02
もっと心豊かに、穏やかに生きたいです。生活のためには、今の仕事を続けるしかないのでしょうか。アドバイスをお願いします。
ということで、具体的な人生相談をいただきました。
僕がどん底に落ちて、いつも一つ教えていることがあるんですね。
それは、「余粛 。」という考え方なんです。
余粛。
余というのは、予測の余か。あらかじめ。
余粛というのは、祝うといいますかね。人生のどん底を祝うという、余粛の決心ということを教えているんですけども、
人生、これ以上落ちるところはないところまで落ちた。
覚悟したときに、じゃあ頑張ろうというかね、もう一つ上がるためのエネルギーと、このままではいけないという思いを、
それからそこから来る、何かを学ぼうとか、自分にはもっといい生活ができるはずだと思うことによって、
なんかチャンスが生まれてくるんですよね。
そこですべきことは、自分の向上のための勉強会に出るか、人に出会うか、結局幸せは人がもたらしてくれるということを気がつくというかね。
余粛しようって決心するだけで。
はい。
運が変わってきます。
あのね、先生からその余粛の話は以前からも伺ってたんですけども、なんとなくはわかるんですけど、こういう発想っていうのは、先生ご自身が何かをきっかけに知ったんですか?
そうですね。
まあ、私自身というか、日本人の過去に失敗した人たちっていうかね、欲にまみれて失敗して人生の意味を悟った人たち、平凡な人たちなんですけどね。
はい。
そういう人たちが見つけた、こう、どん底を祝うっていうか、自分の人生のどん底、そこからよみがえった人たちがたくさんいるんですよね。
まあ、あの、九州の方の方言なんですけども。
はい。
余粛をする、人生のどん底を祝う。
うん。
で、まあ、今のお人たちは、こう、どん底でもがくだけで、そこから這い上がるっていう、こう、意欲とこう、なんか、そういう運の流れっていうのは知らないから、それを教えてあげたいんですけどね。
うん。
そこで、あなたが火がついて、何か私はこのままでは、この人生終わりたくないっていう気持ちが出て、それに火がついたとき、余粛が始まるんですよね。
うん。
で、それからするべきことは、何か人との出会いを求めるとか、何かこう、勉強会に出るとか、
はい。
まあ、何かこう、学ぶことがあるとか、そういうふうに思うだけで、そういう人が寄ってくるっていうかね。
うん。
そういう人じゃないのっていうものを持ってくる人が現れるんですよ。
うん。
人生のまだ曲がり角には、向上心が出たときに、どん底に行ったときに、必ずそういう人が出てくる。
06:03
はい。
と、信じたら出てくるんやね。
ああ。
だから、そこが神一人の差なんだけど、いや、私にも起こり得るんだと、その方が思えば、きっと変わってくる。
この方ですね。
うん。
はい。でも、お話伺うと、理解はしたんですけど、本当にそのどん底のときに、祝えるかなと思うんですけど、やっぱりそれでも気持ちが乗ってこなくても、まず先にやるっていうことなんですかね。
うん。やっぱり、いわゆる度胸と、そのチャンスをもらえる、こういう話を聞いた人たちだけですよね。
うん。
だから、それは何も知らないと、そのチャンスは得てこないし、そんな気持ちにならないでしょうけど。
うん。
そう言って、そうなんだ、じゃあ私もやってみようと思ったら、神が宿るんですよね。
うん。
実際に、やっぱり40過ぎたら、そういう不思議な力がこの世の中にあるっていうことを知る方がいいと思いますね。
うん。
大部分の人が知る。そういう人たちは、うまく人生の波に乗ってくるんですよね。乗ってくるんじゃない、乗ってくるんですよね。
うん。
だから、僕、それを教えたい。この人生面白いよっていうか。
うん。
でも、確かに、実際、構造するのも大事だと思うんですけど。
うん。
なんか、今までの人生、私自身もそうですし、いろんな人見てても、振り返って、結構、試練とか大変な時でも、そこでもう一歩、何かやっぱり進んだ時って意外とおっしゃったように、そこにまた世界があって、一見、八方塞がりのように見えても、何か人だったりチャンスってありますよね。
うん。神がね、必ず次のステップへのチャンスをプレゼントしてくれてるんですよね。
うん。
で、それをプレゼントと思わないで、嘆いて、私にはそういうこと起こり得ない、起こり得ないと思ったり。
うん。
私はダメな人間とか思ってる人たちにはやってこないんですよね。
うん。
だから、まああの、別に聖書のことを褒めるわけじゃないけど。
はい。
あの、キリスト、聖書なんか読んでみると、キリストは人生の導きの師なんですね。神じゃなくて。あの中に書いてあるけども。
はい。
あの、うん、私を信じよう、私を試そう、で、私を求めよう、そしたら与える、与えんっていう言葉があるんですよ。
うん。
求めなさい、まずあなたが求めなさい。
うん。
そしたら与えられるだろうって。
そうですね。
何回も言ってるんですよね。
うん。
でも、あれ事実ですよね。
うん。
諦めたらやってこないんですよ。
うん。
だから、求めたら来るんですよね。
先生の話聞いてて、その求めるっていうと、僕はちょっと逆に欲とか欲する、テイクみたいにならないかなって思うんですけど、それは違いは何なんですかね。
それは違い、意欲と欲っていう考え方をするんですよ。
ああ、いいですね。
欲っていうのは、あの、我欲と自分の、なんか、他人を傷つけても自分を乗し上がりたいっていう希望なんですね。
はい。
そうなんですけど、まあ、意欲っていうのは、共に生きていこう、みんなと平和と安らぎと手を繋いで、私も安らかになるけれども、あなたにも安らぎがありますようにっていう、共に生きていく世界に築かないとダメなんですよね。
はい。
だから、欲っていうのは、こう、自分の勝手な欲望、欲望っていうか、自分の勝手な思いって言いますか、野心に近いものっていうかね。
09:11
やっぱりそこに自分とか、が、が、する。
そうです。
でも、あらゆることは、川で溺れてたりしたら、少しでも人と手を、手を取って、共に岸に上がりましょうという心がある方が、なんかチャンス多いんですよね。
うん。
なんか、この世の不思議な、その人生の不思議っていうのは、自分勝手っていうのは、結構重りが取れない。
なるほどね。
あります。その不思議さを、気が付く人と気が付かない人でね。
はい。
だから、こういうラジオを聴くとか、出会いとか、本読むこととか、人生の真理に出会うかどうかだと思うんですよね。
うん。
だから、この放送を聴いた方は、多くチャンスだと思いますね。
うん。
でも、おっしゃる通り、まさにそういう意味では、この方、この番組にこうやって質問して、一歩、まあ、開いて前に出てる時点で、いいですよね。今の話でいくと。
そう、早川君に前に言ったと思うんですけど、この世に罰位置はないと思うんですよ。離婚とか、罰位置は絶対ないよ。
はい。
全部丸一だよ。離婚も丸一なんだよ。
それは、あの、聞いたことないリスナーの方に、もう少し詳しく言うと、どういうことなんでしょうか。
そうね、失敗したことや、それ、やり直せばいいんだ。
ああ。
それで、別れた人に対しても、恨む、恨むことをやめて、その人の幸せを願う、願うことが、丸一に繋がるんや。
うんうんうん。
相手の失敗を願ってて、自分の成功だけを願う、あの、祈ることは、あの、罰位置のままなんやね。
うんうん。
でも、あの人も良くなれ。
うんうん。
それも、こう、良くなろう。
うんうん。
共にこう、離れてても、縁はないかも分からないけども、あの人に幸せがありますように、っていう思いを抱くことなんやね。
うん。
それが、罰位置を丸一にちゃんと変えるってことですね。
丸一。そうに気づいて、やり直すと、まあ、たくさんの例はあるんだけども、まあ、不思議なくらい、人生変わっていくんやね。
へえ。
そこに、平和感と、共に人を許すことと、手をつないで生きていこうっていう心が背負いたときに、自分の手は、人が引っ張り上げてくれるんや。
なるほどね。そうか、じゃあ、その、丸一、今、たくさん例ありますっておっしゃいましたけど、また、それは、機会があれば、僕が言いたいんですけど。
もう、もう一度言いたいね。こう、このように、まあ、罰位置じゃない。気がついて、やり直せば、みんな丸一。あらゆることは丸一。離婚も、失敗も、まあ、なんか、大怪我も、なんか、大病も、ない事故も、丸一につながることはできる。
うん。
だって、オリンピックに出る、あれ、あの、足の、交通事故で、
うん。
オリンピックに出る方たちがいるじゃないですか。
はいはい。
もう、腰、あの、足がなくなったとか、腕がなくなったという方たちは、大きな罰位置ですよね。でも、彼らは、余粛というか、頑張って、それを全部丸一に変えましたもんね。
そうですね。
うん。だから、チャンス、考え方、心の気づきで、あの人たちのように、我々も、罰位置を丸一に変えることはできるんですよ。
12:04
はい。
うん。だから、もう、やってる人たち、いっぱいいるもんね。気づいた人たち。
うん。
でね、この方は、その、心掛け次第だと思うんですけど、最後に、あの、この方は、やっぱり、具体的に、生活のためには、今の仕事を続けるしかないでしょうか、ってありますけど、それは、先生、どうお答えになりますか。
うん。だから、そこで、もう一つ、こう、あ、大丈夫って気がついて、こう、何かある、もう一つ、私の能力あるはずだし、私の人間性を、あの、拾ってくれる人がいるって気づくと、自分の磨く、なんか、口座に出るか、なんか、そういうところに、こう、ちょっとおいでよ、とか、誘われるようになる。
不思議と。
うん。そして、行ってみたら、そこに、こう、自分のチャンスを生まれる。あ、私はこれができるんだ、とか、もう少し、余裕のある生き方ができるんだ、とか、子供を抱きながら、あ、実際にやっていけるんだ、とか、助けてあげれば、とか、いう人が出てきたり、また、次のパートナーが生まれてきたりするんですよね。
そういう世界も、そういうふうに、まあ、凝縮したり、求めないと、生まれる。
うん。だから、生きる人が言ってるように、まず、自分を、あの、なんか、助けるために、求めよう。
はい。
っていうことですね。
うん。良しくせよ。
丸一。
丸一。
先生、余談ですけどね、この方、ご質問で、15年ほど前に、大分の天水という旅館っていう話がありましたけど、これは先生、何か天水さんっていう流れあるんですか?
そう、あの、すごく、あの、私がよく利用してた天水っていう、おかみさんが素敵な人で、あの、そこに、こう、あの、私の本を置いてくれたんですよね。
あ、そういうことなんですね。
各部屋にね。
へえ、すごい。
で、そこ、それを読んだ人たちは、たくさん反応が。
はい。
あって、そんな方の一人だとは思うんですけどね。
あ、嬉しいですね。
ありがたいですね、おかみさん。
そう、ぜひね、僕も天水もちょっと行ってみたいと思うんですけども。
すごく綺麗な、まああの、温泉のいいところですね、大分の。
いいですね。
はい。
さあ、この番組では、今日いただいたご質問のように、ご質問やご感想をお待ちしております。
ご質問、ご感想がある方は、ホームページからお寄せいただくか、もしくは、このメールアドレス、北川アットマークキクタスドットJP。
ということで、今日は第11回お届けしました。北川先生、ありがとうございました。
どうもありがとうございました。