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北川八郎、人生を変える出会い
こんにちは、早川洋平です。北川八郎、人生を変える出会い、今日は第8回をお届けします。北川先生、よろしくお願いします。
さあ、今日はですね、2月、これ配信されているのが28日ということで、いつも2月っていうと、うるう年だったり、いろんなことを思い出すんですけど、
先生、4年に1回オリンピックあるじゃないですか。ありますね。オリンピックとかって、先生、見るんですか?最近、あんまり見なくなりましたね。それはなぜですか?
オリンピックっていうのは、肉体の役等なんですけど、年取ってきたら、心の役だ、そちらの方が、肉体的に衰えてきたせいもあると思うんですけど、あまり見なくなりましたね。
そうか。
2月28日というと、僕は、
いつも29日とか、その辺のうるう年でオリンピックというふうに考えてしまうんですけども、さあ、今日はですね、前回、不安と怒りというキーワードで、前編は不安についてお話を伺ったんですけども、先生、今日はもう一つの大きな要素という怒りについてお話をいただきたいんですが、先生、怒りっていうのは、先生なりにはどう捉えているんですか?
私は、神は怒りを最も嫌っている要素の一つだと思うんですね。
うん。
怒りの一つじゃなくて、アイテムといいますか、項目といいますか、神は、怒りを最も嫌っているなと思いますね。
うん。
だから、怒りに、怒る者に対しては、厳しい掟を用意していると感じるんですよ。
厳しい掟。
うん。だから、怒る人は、非常に傷つけ合うといいますか、肉体も傷つけ合うし、イスラム国やアラブの国を見ても分かるように、壮絶な争い、血を散らそったり、苦しみも見たくもないような境界になっています。
見たくもないような恐怖というものを用意していますね。
はい。
あれ、怒りがなければ、あの人たちには、あれほどの乱暴な恐怖とか悲しみをもたらさないと思うんですけれども、怒る者にはあり、それ相応の厳しい掟をもたらしていますね。
うん。
感情が乱れて苦しくなるとか、多くの人に恐怖を与えるとか、嫌われるとかですね。
うん。
で、怒る人に寄りつこうとは、人はしないですもんね。
そうですね。
で、怒る人はやっぱり、自分の思い通りの人生は歩めないんですよ。芸術に生きるとか、平和に生きるとか、絵を描いて生きるとか、音楽とか。ミサイルが飛んでくる中で、音楽界の中は開けないですもんね。
確かに。
で、アラブみたいな、いつも争っている国では、私が作っているような陶器を持って生活できないですもんね。
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うん。
生活できないですよ。
うん。
でも、陶器が芸術とは、とてもアラブや争っている国の人たち、怒りの中の人たちは、芸術として受け取れないでしょ。
うん。
すぐ割れてしまうから。
うん。
日本はやっぱり平和ですよね。陶器が何十万もするというか。
そうですね。
怒りの中にあった陶器なんて、投げればすぐ壊れてしまいますもんね。
確かに。
二度と。
そうですね。
帰ってこないものの一つですよね。
平和あっての陶器ってことですもんね。
うん。
先生、言います。
いや、いいですよ。
その、怒りっていうことが、やっぱり、当然、怒ると言ってもいいかもしれないですけど、怒った方、怒られた方、いずれにしてもいいことないのは、基本的に誰しもが分かっていると思うんですね。
うん。
神が一番嫌うアイテムの一つだって、先生がおっしゃったんですけど、それでも、分かってるけど、なんで怒っちゃうんですかね。
怒ってもいいと思ってるからじゃないですかね。
怒ってもいいと思ってる。
うん。
うん。
怒りは本当に厳しいんだ。
怒ってはいけないんだ。
怒りっていうのは、人生の大事な、排除すべき感情なんだっていうことを、きちんと教えてもらってないからじゃないですかね。
うーん。
なんとなく、いけないとか、嫌だって思ってても、本当にいけないんだってことが分かってない。
うん。
だから、小さい時に、怒って、それを分かった、それの辛さとか、嫌さを分かった人は、後で分かる。
うん。
嫌さを分かった人は、後で怒ろうとはしないと思うんですけども、やっぱり、怒りが良くないってことは、学んでいかないといけないことだと思いますよね。
うん。
で、その怒りを取り除いた時の、安らぎとか、平和感とか、笑顔とかいうのが、とても人生に勇気を与えてくれたり、生きがいになるってことを、僕は、もっと学んでほしいと思いますね。
うん。
神がちゃんと、怒りの代わりに、笑顔と安らぎというものの要素を用意しているということを、知ってもらいたいなと思いますね。
うん。
先生が普段おっしゃってるように、不平不満、愚痴、文句、言い訳、怒らない、まさに怒らないって入ってますけど、これ、私ごとで恐縮なんですけど、未だに先生から、28日間でしたっけ?
はいはいはい。
頑張りなさいっていうことを言っていただいてるんですけど、必ず挫折してですね、これだけ先生のそばで学んでるにも関わらず、治らないんですけど。
それでもやり続けなきゃね。
うん。
必ず、こう、砂利道を抜けて、きれいなコンクリートの柔らかい道に出ることができるから、どの人も必ず、この砂利道を抜けることができる。
うん。
抜けない人はおらんもん。
じゃあ、やっぱりそれでも、まあ歩むじゃないですか。
そうそうそう。やり続けると、こんな逆の、同じこと言ってると思うように、若い人にね、いつか、そのままやっぱりやり続けるといいんだよ、すごい平和があるんだよっていうことを、でもだからお前諦めちゃいけないんだっていうことを教える。
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うん。
そういう立場になれると思いますよ。
そのための経験ってことですね。
うんうん。まだ1、2年だもんね。
まあ、幼稚園から小学校に入ったらもんやね、僕が見たら。
はい。
環状、環状の学校で言えばね。
そうですね。なんか思わぬとこで、怒っちゃいますね。こう、気をつけなきゃっていうときは大丈夫なんですけど、油断したときに。
うん。
はい。
だから、まだこう、初心者なんや、そういうことは。
はい。
だから、こういうことを教える人に、こう、早く出会った人は、早く到達できると思うけど。
うん。そういう意味では、これ聞いてる方は、ラッキーですね。
そうかなと思いますね。
先生ね、今、こう、怒るっていう、主体の方が。
うん。
主体の方の話をしましたけど、まあ、怒られる。
うん。
えっと、受け身の方もあるじゃないですか。これは、また違うんですかね。
そうですね。だから、どういうふうに違うって言ったらいいのかな。でもまあ、僕は、怒る人っていうのは、人を傷つけることと、まあ、自分の利益にこう、左右される人と思うんですけども、そういう人たちは、こう、なんかこう、傷つけた後。
うん。
うん。
だから、こう、罪が、こう、大きいと思うんですね。神が作ったのは、なんか、そこに、こう、厳しい奥手は、怒った人には、こう、許されないような罪を、あ、自分、許しきれない罪っていうかな。
うん。
もうちょっと分かりやすく言えば、
はい。
裏切った人と、裏切る、裏切った人と、裏切られた人の違いみたいなもんで、
うん。
裏切った人の方のが、なんか、いつまでも残るんやね。
はいはいはい。
罪は。
うん。
裏切られた人が、許せば、自分の罪は消えるわけよ。
なるほど。
うん。だって、裏切られるより、裏切るよりも、裏切った、裏切られた方がいいわけね。相手を許すこととか、流すことによって、自分の中の、その、あの、裏切りを受けたって、苦しむという罪が消えてきちまうけど、裏切った人は、謝るチャンスや、訂正するチャンスが、失ったら、永久にそれを持ち歩いていかなきゃいけないもんね。
だって、自分だけの問題じゃないですもんね。
うん。だから、もう、その人いなくなるもんね。その瞬間に。
うん。
どこに、そしたら、もう、一生それを、自分に背負っていかない。
そうか。それと、怒り、怒られるも一緒ってことですね。
うんうん。怒るってことは、同じような罪があって、怒った人に対して、あいま、訂正したり、救うチャンスを失ってしまったとき、怒ったことによって、その人を傷つけて、人生を狂わせた、ということを、一生、背負わないといけなくなってしまう。
うんうん。そうですよね。
怒られる方は、確かに、しんどいかもしれないですけど、自分の中で、それを許すことができれば。
うん。
怒られる人は、それを乗り越えていかないと思うし、これから、そこから学ぶことは、怒って、人を傷つけ、そんな怒り方をして、人を傷つけてはいけないということを、学べると思うよね。
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うん。そうですね。
うん。だから、次の瞬間から、優しく生きていこうという決心ができるかも。
確かに。
私は、やるまいっていうかね。
うんうん。
まあ、私は失敗するけれども、少しずつ、少しずつ、人生を訂正していく、生きる人の方が、
うん。
成長して、向上していくよね。
うん。でも、先生が常々、こう、何か自分がしたことは、後々帰ってくるって話もありましたけど、
うん。
やっぱり、今からでも、例えば、僕もそうですけど、怒ることを、こう、やめる、まあ、訓練というか、続けていけば、次第に、怒られるっていうことも減るんですかね。
投げたものが、返ってこなくなるからね。いいもの投げてくるから、なんか、喜びの方が、大きく、多くなるよね。
やっぱり、そうなんですね。
不思議と、もう、量も、数も、人生の広範で、全然、受け取るものは、変わってくるわ。
うん。
不思議なくらいや。だから、乱暴に、ヤクタのように生きてる人と、平和感に生きてる人の、人生の広範は、全然、違ってくると思うよ。同じ道も歩んでてもね。恐怖と不安がある道なのか、それとも、寄せられると、みんなから愛されられて、おはようございます、早川さん、今日もいい天気ですね、とか、早川さん、この間、ありがとうございました、とか、言う人が、多いのか、それとも、おい、お前。
うん。
お前、これ、やっつけたろ、とか、言う声が、人生の広範で、いっぱい来る人の、歩き方、歩み方は、全然、違ってくると思う。
うん。
だけ、自分が成したことは、すぐには、返ってこないけれども、必ず、間をあいて、人生の広範で、受け取るように、神は、仕組んでるんやね。
明らかに、そうなんですね。
ね。もう、人生の広範で、確実に、受け取るよ。
うん。
受け取らない人、いないぐらい、まあ、これは、もう、厳しいおきてやね。
うん。まさに、法則ですね。
うん。
で、そのことを知って、やっぱり、ゆきことをなせ。
うん。
まあ、人を助けよう。
うん。
怒るなかれ、あ、怒り、怒るなかれ、と、言わないけども、怒りの意味を知って、怒りを少なくしていこう。
うん。
うん。
先生、これ、細かい話ですけど、先生の本とか、お話聞いてても、思ったんですけど、まあ、何をもってして、人生の広範かっていうとこ、あるんですけど、まあ、年齢がかなり、50代、60代、いってる方、これ、聞いてる方、いらっしゃるかもしれないですけど、その中で、まあ、ある意味、人生の広範でも、そして、今、何か、投げたもので、苦しいものは、返ってきてる中でも、まだ、こう、よきことを、どんどんすれば、まだ、幸せになれる可能性は、あるんでしょうか。
うん。
だから、幸せ感に浸れる瞬間が多くなるっていう話だけどね。
うん。
いつも、怒りの瞬間が多いのか、それとも、幸せ感の瞬間の方が長くなるのかっていう違いを。
ああ。
だから、その、数の問題じゃなくて、時間、人生の広範の時間で、穏やかに生きていけるっていうのは、幸せ感に浸る時間が多くなるっていうことだから。
なるほど。もう、その違いってことですね。
うんうん。だから、やっぱり、田舎で、飲みにして、すごい、高校や、って、いい顔してる、おじいちゃんなんか、いや。
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うん。
だから、あとも、幸せだよって、人に喜びを与えたら、ニコニコいけるし、っていって、その時間が長いから、顔が穏やかになるし、生き方も穏やかなるから、病気が少なくなるよね。
過ごす時間で、やっぱり、違いますよね。人の。
そうだね。まあ、激しく生きてもいいけども、人生の広範では、それを取り戻すような、穏やかさに生きるように、こう、学ぶように、仕組んでるような感じなんですよね。
ああ。
それを学べるかどうか、気づくかどうかっていうのが、最近、よく分かると思う。
うん。
面白いですね。
面白いっていうかね。だから、そこでも、使命とか、宿題っていうか、今世の宿題っていう形で、与えられてるような感じがする。
うん。
先生ね、今、怒る怒られるの話も伺ったんですけど、一個聞きたいんですけど、怒るとすごく似てるようで違う。叱る?
うんうん。
怒ると叱るって、やっぱり、違うんですかね。
叱るはね、叱るっていうのは、まあ、できる限り、感情が入らないのと、叱るっていうのは、こう、その人に良き未来を与えることが、叱ることなんよ。
はい。
だから、こう、欠点をついて、駄目を駄目出して、駄目のまま終わった時は、それは叱ってるんじゃなくて、怒ってるんよね。
欠点をただ言っただけで終わったら。
うん。こう、駄目じゃないから、こう、どうすんだって、終わってしまったら駄目だよね。
はい。
これ、駄目じゃないから、こうすると、まあ、良くなるよ。お前は賛同があるし、意欲があるし、お前には、ちゃんと、こう、なんか、そういうチャンスがあるんだから、こう、この方向にあればいいよって、未来を与えることは、叱ることなんよ。
そうか。まあ、ある意味、厳しいことも言うけど、
うん。
そうですよ。
うん。
だから、右足だけを出すと転ぶよ、ちゃんと左足出しなさいって、その、なんか、人生の、こう、チャンスというかね。
うん。
ああ、こうやって、そうすると歩けるよとか、なんか、未来を与えるっていうことが含んでると、それは叱ることに繋がると思う。
うん。
うん。
そういう意味では、こう、その、まあ、自分自身が人の、まあ、要は上司とか、そういう先導する時も、そう、多分ね、あの、あらなきゃいけないと思いますし、今、これ聞いてる方も含めて、
これ聞いてる方も含めてですけど、自分の周りにいる、例えば、上司だったり、何か先導する人が、怒る人なのか、叱る人なのかっていうのを。
そうそう。だから、いや、怒る人なのか、叱る人なのかっていう人は、叱る人は、怒る人は、未来を奪う人よ。
うん。
叱る人は、未来をくれる人よ。
うん。
うん。
でも、それって、表面的な話じゃ分かんないですよね。今の先生のを、ちゃんと見、見極めないと。
うん。
うん。
一見、その、厳しいことを言うようで、もう、ちゃんとそこがある人は、叱ってくれてる人よ。
うん。
もう、ちゃんとそこがある人は、叱ってくれてる人ってことですよね。
叱ってくれる人はね、必ず未来を与えてくれてると思うわ。
うん。そこの違いですよね。
嫌ってないんよ。何か、育てたいっていう気持ちとか、未来をあげたいっていう風に、まあ、叱る人も、人間的に、育たなきゃいけんと思うわ。
はいはい。
それが、育てるっていうか、育てるってことは、叱る。叱るってことは、その人の失敗や、できないことに対して、チャンスや、未来を与える言葉を、こう、必ず入れ込むっていうかね。
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はい。
それができるようにしてくるのが、大人であり、先生であり、学んでいく、上に立つ者の務めやと思うわ。
うん。
ただ怒ってた、ただの怒りの坊ちゃんやね。
そうですね。
うん。
怒ると叱るの違いも、今日は同じがありましたが。
ああ、そう。怒ると叱るの違いがあると思うね。
そうですね。
僕は使い分けてるけどね。
うん。すごい勉強になりました。そして、何か、過去20代の頃、思い出しましたね。何か、もう、怒られて嫌だな嫌だなって思ってた上司の人、今振り返ると、叱ってくれてる。
うん。
みたいな。
ああ。
ごめんなさいっていう感じですけど。
その時、分からんもんね。
そうなんですよね。でも、今、先生がおっしゃったこと、明確なそこがあると、やっぱ違いますよね。
うん。上に立つ者は、やっぱりそこを、明確にしないといけないと思うね。上に立つ人。まあ、40代以降の人は、やっぱ、20代、30代の人に接するときは、怒ることと叱ることの違いっていうのは、明確に持っていただくと、人はついてくるよね。
そうなんですよね。叱ってる、叱ってるとか、もう、それができてる人は、やっぱ、ついてきますね。
うん。分かるもん、それは。
明らかにね。
うん。この人を育てようとしてるんだ、とかね。ああ、明らかに、僕は悪いのに、こんなこと言ってくれてるんだ、とかいう。
ということで、今回2回にわたって、前回不安、そして今回怒りということで、怒りだけで、もう先生、いくらでもしゃべれそうですね。
そうやね。
怒りだけでしゃべれてると、何かいいか分からないですけど。
大事なことやん。
本当そうですね。
また、これだけにとどまらず、機会があれば、お話いただければ。
お話いただきたいんですけども、番組では、北川八郎先生へのご感想、ご質問をお待ちしています。
詳しくは、北川八郎ホームページ、もしくは、こちらのメールアドレス。
kitagawa at mark kiq、アルファベットのqですね。pas.jp。
北川 at mark kiktas.jp まで、お寄せください。
ということで、今日は第8回お届けしました。北川先生、ありがとうございました。
ありがとうございました。