揺らいだした場面、もしくは人に対してごめんなさいと言えば、自分の中で気づきが生じるから、次はやるまいという心が生じるんじゃないですかね。
だから素直にそういう自分をごめんなさい。
そしてまた、揺らいだした相手に対して、場面に対してもごめんなさい、次は我慢しますとかやりませんとか言うに行っておけば、この方はすごく高貴な方になると思いますけどね。
そうですね。すでに真面目で、後から気づき、そしてこうやって質問してくださる方なんで。
そこに光を送ればいいんじゃないですかね。ごめんなさいと言うかね。幸あれ幸あれと言うか、自分にも。
そしてどうなんでしょう。この方はすごく真面目な方でしょうから。
そうですね。いい方ですね。
僕は遠くを呼ばないですけど、例えば僕だったらさらにここから気づいて反省するのはいいと思うんですけど、やっぱりそこでまた自分を責めちゃったりすると、またイライラしちゃうと思うので、やっぱり自分を許してあげるとかもいいんですかね。
うん。そんな自分にごめんなさいって、嫌な奴ごめんなさいって言えばいいんじゃないですかね。
それと相手に対しても、ごめんなさい、イライラしてごめんなさいって言っても、自分で認めることと謝ることで自分が安らかなりますもんね。
癒されそうですね。
はい。だからこれでいいと思います。自分、処置はありますからね。
パーフェクトに、我々は仏陀を斬る人にはなれないから。
はい。ありがとうございます。
自分を許しましょう。相手も許しましょう。ごめんなさいと同時に謝ればいいんじゃないですかね。
そうですね。ごめんなさいと許しますですね。
はい。ありがとうございました。
さあ、もう一つ質問いただいています。北川先生、早川さん、こんにちは。
ポッドキャスター初期の頃から、欠かさず拝聴させてもらっています。
いつも学びになるお話をありがとうございます。
以前にも何度か質問させていただいた者ですが、拝者さんですね、のようですが、今回も先生にご協力いただきたくメールしております。
北川先生が苦手な相手にこそ光を送りなさいということをよくおっしゃいます。
漠然としたやり方をイメージできるのですが、もう少し具体的なやり方を教えていただきたいです。
また、大前提として心の持ちようが大切だと思うのですが、どうしても嫌な相手、苦手な相手だと良いイメージがしづらくなります。
そのあたりのアドバイスもあれば教えていただきたいです。
2つありますね。
1つの方法はハウツーですよね。どうしたらいいか。
よかったらぜひ一回断食会に参加して、そこで断食をするとオーラを見ようという実験をやるんです。
実際になんとなくオーラと木を感じる。木は感じるんですけどね。
木を持って、相手の方に左回りの黄色、色のついた、もしくはピンクの色をイメージして、
相手の方に幸あれ福あれ光あれって送るということを教えてますね。
だから私はいつも何かあったら、ごめんなさい、幸あれ福あれ光あれ、
相手の方に幸あれ福あれ光あれっていうふうに、
相手の方が幸せになるような光を送る、左回りで送る。
それも黄色かもしくはピンクですよね。
なぜピンクかというと、イライラしている人には愛がピンクですよね。
健康状態から来ている人にはグリーンの光。
人生全体に絶望しているような人たちには金色というか、
大まかに私はそんな風にやって、それを皆さんが教えていると、
やった人たちはすごく自分が安らぐと言われてますね。
そうですね。ピンク色の迷走なんか先生が教えてましたよね。
やっぱり子供、赤ちゃんがね、お母さんのお腹の中にいるときの色みたいなことも教えてましたよね。
第3番目としては、どうしても嫌な人って、
やっぱり早川さんも私もいるじゃないですか、会わない人は。
私の経験の中で、その人の老いたちや人生経験やその人の老いたちと言いますかね、
減ってきたものを何かの表紙で理解したとき、
その人を受け入れることができるという経験がありますよね。
だから、どうしても嫌な人は性格が悪いのではなくて、
人生がつらかったと言いますかね、両親が早めに離婚したとか、
病気がとてもつらくて性格を許せなかったとか、
特に母子家庭になってしまってつらい人生を送ってきた人たちとか、
喧嘩ばっかりしてきた人たちは、ちょっと人を受け入れられない、
コンプレックスに悩んできた人ということが理解できたとき、
その人が一途に生きている、一途さをすごいなと思ったときに受け入れることができる。
私は、あなたがご存知のように、
たくさんの会わない人とも接する仕事をやっているんですけど、
だから、いつもその人たちの生い立ちをパッと感じるんですよね。
オーラーみたいなもので、それをパッと理解できたときに、
その人を許せると言いますかね。
だから、キリストが言うように、すべての人を許すことは私もできないんですけれども、
大まかな罪をいっぱい犯された人、
例えばプーチみたいな人は許さないんですけど、
いまだにその方向をたどっている人は許さないんですけれども、
方向転換して自分の人生を変えたいと思っている人たちは、
嫌いだと思っていた人がすごくいい人になると、
突然理解して変わってしまうというのをたくさん経験したので、
ダラダラと喋ってしまって申し訳ないですけど、
その人の生き方を理解できたときに、その人を受け入れることができたら、
相手は変わりますね。
そういう意味では、僕は先生にも、
個別にはここで公開できないんですけど、
先生もいろんな悩みを討論させていただいたときに、
僕自身の悩みのときは、多分僕自身の追い立ちとかから、
先生がいろいろグラディアンアドバイスもくださっていると思いますけど、
僕が例えば人間関係で誰か悩んでいるときに、
必ず相手はこういう追い立ちとか、そういうものがあるんだよっておっしゃるじゃないですか。
やっぱりそこを分かれば、
僕の場合、ありがたいことに先生に直接伺えることがあるので気づけますけど、
そうじゃない方でも、やっぱりその先ほどおっしゃったような断食だったり、
いろんな光の迷走をすればやっぱり気づけるチャンス、
それは言語的に直接気づかなかったとしても、
潜在意識的に何か気づける可能性はあるってことですか。
そうですね。本人が気づくことが大事だと思うし、
周りの人はそのことを理解してあげる人に出会えれば、
我々は融和できるというか、受け入れられるということを経験をしますね。
それでもダメな人はいいと思うんですね。
だから仕事利益関係を結ばないと言いますかね。
どうしても結ばないといけないということはあり得ないと思うんですね。
でもどうしても結ばないといけないんですよ。
そのことは絶対ない。遠ざかればいいと思うしね。
自分の利益を捨てればいいんですよね。
不思議ですね。僕も先生にそういうことをたくさんご相談させていただきましたけど、
逆に言うと逆説的ですけど、そのくらいの気持ちでいて、
なおかつ引かれを送ると、別人のように相手が変わって、
仕事も結びつくことがありますよね。
はいはい。
何なんですかね。
こちらの波動も変わってるんですかね。
だから向こうも疎外してるんですよ。
自分の会う人、前の先週の話なんだけど、
気持ちが通じる人、同じ道を歩める人を疎外してるんですよね。
だからそれを嫌い続けると対立と離れるということになってしまうけれども、
ひょいっと理解してくれると、同じ道を歩める人なんだなっていうことが分かった時に、
激変心はしますよね。
そういう意味では先生ご自身もこれまでの人生の中で、
この人絶対さすがに会わないわみたいな人でも、
まさかのそういうことで変わって、そこからものすごく親しくなった人はいますか。