北川八郎、人生を変える出会い
こんにちは、早川洋平です。北川八郎、人生を変える出会い、この番組は、ポッドキャストとYouTubeでお届けしています。
番組のフォローとチャンネル登録をよろしくお願いします。さあ、北川先生、今週もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ、前回ご質問いただいた方がいましたが、今週もご質問いただいていますので、取り上げたいと思います。
27歳、女性の方からいただいています。私は、今の旦那さんと旦那さんの連れ子3人と家族になりました。
本当のお母さんのように接してくれる子どもたちに感謝する毎日です。
反面、たまに私が母親でよかったんだろうかと不安になることがあります。
血の繋がらない母親でも家族になれるのでしょうか。本当の家族とは何でしょうか、ということです。
家族とは、ともとも夫と男性と一緒になることです。
家族自体が血の繋がっていない人との…
確かに。他人ですからね。
他人ですもんね。
はっきり言うと。
だから、基本的には我々は…
確かに。
父親とか母親とか言っても、やっぱり他人ですもんね。全く意見と感覚、時代も違うから。
家族とか言っても、他人と生きてるようなもんですよね。
だから、折り合いをつけて生きていくっていうのを学ぶ家族だと思うんですね。
だから、そこは血の繋がりがある、なしは、関係ない時代に入ってきたのではないかなと思いますね。
一つの人間としてどうやって生きていくかっていうのが家族だと思いますね。
だから、この方のように、自分の血の繋がらない子供を預かるっていうのは、すごいいい体験になるのではないかな。
昔は、やっぱり権力意識で、ママ子とか、ママ母とか言うことが、
自分の繋がる、血の繋がる人間だけを大事にするとかいう時代があったんですけども、
今の時代は、ちょっと違う時代に入ってきた。
もう少し人類愛、人間愛についてきた人たちが増えてきたんではないかな。
だから、結婚も子供がいる家庭、子供がいない家庭で、
この方のように、離婚された方と釣り合いの人となったり、逆の場合もあると思うんですね。
日本の子供を連れて、結婚する場合もあるし、
いろんな形態、男性同士、女性同士の結婚があったり、
そうじゃなくて、結婚という形を取らずに、ずっと住んでいこうとする人たちや、
私の知っている方でも、兄弟仲良く生きていて、兄弟だけで、兄弟姉妹だけで生きていこうとする子。
そういう意味の、生き方、いろんな生き方があってですね。
結局は、どこまで自分が学びがあって、折り合いをつけていくかということなので、
とてもいいと思いますね。
自分の、そしてこの方の場合は、私は思うにはですね、
自分の血のつながっていない子供を育てると、
その子供からものすごく感謝されると思いますね。
尊敬されると言いますかね。
なんか甘えがなくなるんですね。
親子の場合は。
ありますよね、やっぱり。
父は、お母さん。
血のつながっている人に対しては、ものすごく甘えると言いますか、甘えてるか。
親子だろうっていうところもあるんですけども。
肉親こそね、わがままになったり甘えちゃいますよね。
そうなんですよね。
わがままと、友人な陽気をしてきたり、面倒を見ろよ、みたいなところがあると思うんですけども、
他人っていうのを育ててくれた、血のつながっていない人をずっと見守ってくれてるっていうのは、
子供の方がよく感じる。
そうなんですね。
だから、とても感謝される関係ではないかなと思いますね。
やっぱり先生がおっしゃってくださった、最初にスパッと言っていただいたことが一番ですよね。
あんまり意識したことないですけど、そもそも肉親とか家族、血縁関係って言いますけど、
夫婦は最初は必ず違うわけで、血縁関係ないから。
なんか実はいろいろ、もちろんこの方の悩みは切実だと思うんですけど、
いや、なんか結婚とか、
なんて言うんでしょう、いろんな考え方あると思うんですけど、
ちょっと面白いって言うとあれですけど、興味深いなと思って、
最初は家族とか血のつながりを作るためには、最初は赤の他人、2人が必ず必要になるというか、
必ずって言っていいのか分かんないですけど、
だからその辺の家族制度、結婚制度、いろいろ問題もあったり、今後変わっていくかもしれないですけど、
でもそもそものそういう男女が結婚して子供ができるっていうのは、
いつもの話じゃないですけど、
神の手じゃないですけど、なんか不思議ですよねって感じます。
それと同時にね、やっぱり血って何なんだろうっていうのは、
僕もよく先日もそういうたまたまある小説を見て、細かいことちょっと忘れちゃいましたけど、
やっぱり考えさせること多いですよね。
つまり血のつながらない家族でもこの方のようにね、本当に愛情がやっぱりあることもあると思います。
逆に血がつながってがゆえに、さっきの先生の喧嘩とかもそうですけど、
もっと言うと愛が本当にそれこそなくなっちゃうっていうのも、
偶然あったりするわけで、なんか不思議ですし、
逆に言うと家族愛っていうのは、愛っていうのは血縁関係なくてもやっぱりできるもんなんだなっていうのは間違いないですよね。
人間っていうのは動物的なところがあって、一緒に食事したり、お風呂に入ったり、
薄そばで話したり、触れ合うというか、本当に手を取り合ったり、お手伝いすることもあったり、肩を叩き合うこともあったり、
することによって、情が生まれるって言いますか、親近感って言いますかね。
そういう触れ合いはすごく我々の生き甲斐や、
共に行く助け合いの心、喜び、
そういう必要としている人という存在感を養ってくれるのが家族だと思うんですけど、
そういう場があるといいですよね。
ほとんど他人ですもんね。他人の方が理解があると喜びが大きいですよね。
他人じゃなくなると当たり前だろうっていうところが出てくるから、
ちょっと他人の方の方がいいのかも分かりませんね。
本当にそうですね、思いますよね。
それこそ、ちょっと次元の落ちる話で恐縮ですけど、
例えば家族とかでも、
普段そういうことを意識していてもなかなか感謝ってできない中でですけど、
例えば長期で、僕も海外に出張したりして、
奥さんとか子供と会えないときこそ、離れるときこそ感謝とかできますよね。
普段近すぎると人間って難しいですよね、いろんな意味で。
距離も、血縁も。
一番そばにいると、当たり前だろうとか、
これぐらいしてくれて当然だろうとか思うとあるんですよね。
そういう意味で、落ちてしまうというか、
離れたり、第三者として生活すると、遠慮があったり、尊敬しないとやっていけないっていうのが学びなんでしょうね。
それがとてもいいと思いますね。
それを学んでいけば、この方の生き方はもっと深くなるし、愛も深くなるし、何かに目覚めるんじゃないですかね。
家族だけではなくて、周りの人の他人とか他の家族にも優しい目が向けられるんではないかとかね。
なんかこの方の本当に短い文章ですけど、
人柄とか、愛情とかを感じますよね、お子さんへのね。
言葉ってすごい、その人が思っていることを、小さなニュアンスでも伝わりますね。
そうなんですよ。短い文章とかそういうものこそ、行間とかにじみ出てきますよね。
例えば、やっぱり戦時中とかって、先生の周りでもいらっしゃるかもしれないけど、
僕も家計をいろいろ見てた時に、夫婦でお母さんが死んじゃってとか、戦争中とかお父さんが亡くなって、
その亡くなった人の兄弟と結婚するとか結構あるじゃないですか。
ありますね。
だからそういうの正直、僕もそのいろいろ身の回りにも親族とかでいるんですけど、
知った時ちょっと驚いたんですけど、でもその後から兄弟と結婚した夫婦とか、
やっぱり今北川先生がおっしゃったように、あと親子とか見ると、
実の親とか実の夫婦、実の夫婦か、実の親子関係じゃないけど、
すごいやっぱりいろいろ難しいところあっても、本当に何て言うんでしょう、
実の憎しん以上にお互い大切にし合ってるみたいな、
結構そう、やっぱあったんだなっていうのは感じますよね、特に昔。
あの頃は命が短かったのと、戦争とか災害が多くて、
そういう若い人たちは死んでいって、人間は少なかったから、
必要とすると言いますかね、時代があったと思うんですね。
そういう時代も助け合いが必要っていうか、許し合うとか受け入れるっていうのは、
思想があったんでしょうね。今、関税を求めすぎて、
単位を批判することが多いですね。
もっと我々は危機の時代の方、そんなこと言っておれない、
愛情がないとやっていけないっていう時代を経験することもいいのではないかなと思いますね。
だからそれこそ本当、ちょっと時間も込めてですけど、
のど元すぎれば本当にコロナ禍3年間って僕ら学んだはずですし、
もちろんそこで学んだこともあるんですけど、忘れないようにしないとですね。
平和と家族の安定になってくると、それが当たり前だろうとか、
それは常識とかになって家族になってしまうんだけど、
戦争の時代、大災害の時代で崩壊した家族を補う時に、
自分の別の人と訪いだり、もらったり、子供ができたり、
そこで愛情を育たないと生きていけないという時代を経験すると、
それが広がりますよね、人間としてはね。
だから時にはそういうのも、やっぱり人間繰り返さないといけないのかなとか、
チラッと思ったりしますね。
ありがとうございます。
最後にこの方に何か一言、メッセージをいただけるとしたら。
そのまま愛情深くお互いに尊敬し合って生きてほしいなと思いますね。
こうあらねばならないと、ねばならないと、
できよう。
生きてほしいと思いますね。
柿の木は柿の実に学ぶでしょうね。
桃の木は桃に、栗は栗の木になるように、
子供たちを自由な方向に伸ばしていってほしいなと思いますね。
同じようにみんな、同じものの種類の一つの木の種類にしないで、
この方はできると思いますけど、
それぞれの枝の伸び方が違う方向に伸ばしてあげる方になっていくと思いますね。
ぜひできればいいな。
ああ、と思います。
大丈夫。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
さあ、この番組では引き続き皆様からのご質問、ご感想を募集しております。
詳しくは概要欄からお寄せいただけたらと思います。
そして来月ですね、10月20日、長野で男児機会が20日から22日開催されます。