荒井裕樹とエッセイの紹介
カランコローン!いらっしゃいませ。喫茶クロスロードへようこそ。
この音声配信は、本好きな人たちがふらっと集まり、みんなが友達になれる喫茶店をコンセプトに、店員たちが気ままにゆるーく話してまいります。
5月12日、第95回の配信です。
本日は、そらやんなしの2名で配信いたします。
今日話したいのは、文学者【荒井裕樹】さんのエッセイ【感情の海を泳ぎ、言葉と出会う】という本です。
荒井裕樹さんは、非抑圧者の自己表現活動を専門にしている方です。
これちょっと耳で聞いてみると、漢字変換が難しいなって思うので、
簡単な言葉で表してみると、
社会の中で弱い立場にいる人たちが、その厳しい境遇の中で自分のことをどう表現するのか、ということを研究している方です。
そして、パートナーの方と息子を育てているパパでもあり、大学の準教授でもある方です。
筆者は文学者でもあり、教員でもあり、パパでもあるので、
その様々な立場から、長さも様々なエッセイを、特にその分野とかをまとめたりもしなくて、育てしているのが、この今日紹介したい本で、
このいろんな視点を行き来するのに、最初から読んでいっても特に違和感がなく読めるっていうのが、不思議な本なんだよね。
なんか、私はこの筆者をまとまらない言葉を生きるっていう本を読んで知ったんだけど、
そこで触れられていた非抑圧者の作品に衝撃を受けたりしたという経緯もあります。
確かそらやんこの本、既読だったと思うんだけど、この本についてはどう思いますか?
そうだね、この本、私もナッシーと共通の知人の方から勧めてもらって、一緒に読んだよね。
読んだ読んだ。
その方が障害を持ってるお子さんを育ててた人で、その立場からその本の話もしてくれて、
すごい貴重な時間を過ごしたなっていうのを思い出したんだけど、
まとまらない言葉を生きるっていうタイトルの通り、
どの作品も一言で感想を述べることができない。
いろんな感情が沸き起こってくるんだけど、一言でその感情を言い表すことができないっていう毒語感があってさ、
私、仕事でずっとこう、何でも言語化しないといけませんみたいな教えを叩き込まれてやってきたから、
仕事ではさ、必要なスキルだから、それは大事にしてやってきたんだけど、
この本読んで、その言語化はしてきたけど、その言語化の中で多分無意識に捨てていってしまった、
たくさんの小さな心のきびが私の中にあったんだろうなっていうことをね、すごい考えさせられた本で、
あー、なるほどね。
読むのすごいしんどかった記憶もあったんだけど、
でもやっぱその後に心に残るいろんなものを消化する時間は、私にとってはすごくいい時間だったなって思って、
そんな感じです。だから今日の本すごい楽しみにしてます。
ほんとですか?ありがとうございます。
いやー、でもさ、ちょっとしんどかったってのも確かに、まとまらない言葉を生きるの方はね、あるなと思ってて、
今、そらやんの話だとさ、やっぱ言語化できてないとさ、相手にも伝わらないとか、伝わらなかったら気づいてもらえないよとかさ、
そういうことを普段仕事でも家庭でもよく言われるわけじゃん?
言われる。
言葉にしてくれないとわかんないよみたいなさ、
わかんない、そう。
そうなんだけど、そうなんだけど、なんかね、私この本で出会った気づきの中にはさ、
言葉になってないからといって、その感情がないというわけでもないっていうことに気づいたというか、
そうなんだよ。
言葉と感情の関係
そうそうそう。
言語化することで捨てるものがあるって、今そらやんは言ったんだけど、
そもそもなんか言葉がなくて、なんかできないものみたいなのもあるよねっていうところが、
私このまとまらない言葉を生きるの方ではすごく刺さった感じで、
筆者がさ、文学者としての仕事の中にはない言葉を考えることがあるっていうくだりがあるんですけど、
励ます言葉がない話とかが出てきて、
本当頑張れっていう言葉が本当にその人を励ます言葉になり得るのかって考えたりとか、
状況によっては表現できない言葉が、
表現できなかったり、言葉にできなかったりする言葉があるんじゃないかっていう話があったじゃないですか。
あった。
あったじゃないですかって。
私なんかこの話を聞いたというか、この話を読んだときに、
私そんなふうに考えたことなかったけど、そういう言葉は確かにあるよなって思って、
これ結構自分の中でこのことに気づいたのは衝撃というか、
そこ考えたことなかったっていうポイントだったんだよね。
そう、しかもさ、言語化しろって言われるし、素早さも求められるじゃん。
スピードも求められる。
でもさ、例えばその励ましたい気持ちはあるけど、
頑張れって言葉は適してないって時に、
じゃあ今当てはまる言葉は、この今の状況で、
その目の前の人の心を持ち上げるための言葉が、
今はないって状況になった時に、
スピードが求められると、もうないですってなっちゃうんだけど、
でもさ、それ考えるの結構大事なことじゃん。
大事なことだからじっくり考えようみたいな、
瞬間を持つことはすごい大事だよね。
違う、ないけど、ないけど、
名出しようみたいな、難しいけど。
そうね。
いやでも、だからこそ、そらやんの言うように、
読むのがしんどいっていう気持ちもあったりだとかさ、
消化するのにだいぶ時間がかかる本ではあったなとは思ってさ、
でも、そういうことについて考える時間を持つのは大事だな、
みたいなことを気づかせてくれる、いい本だったなっていうふうに思っているっていうのが、
まとまらない言葉を生きるの方の感想で、
こちらはやっぱり、実際に立場の弱い人たちの作品や言葉を引用しつつ、
衝立てされているので、
一章一章すごい読みごたえがあって、
人によっては重たいみたいな内容も含まれているので、
こちらは気になることは読んでくださいということで、
今日紹介したいのは、
その筆者が昨年の9月に出版した、
感情の海を泳ぎ、言葉と出会うという本の方です。
表現者としての葛藤
この本は、良い文章を探すための本ですって筆者が紹介してくれているように、
良い文章とは何なのかっていうのを考えたりだとか、
そうは言っても文章をつずらずにはいられない人っていう人のための本になってるんだよね。
私このコンセプト面白いなって思ったんだけど、
それと同時にちょっとそらやんに聞いてみたいなって思うことがあって、
そらやんもさ、文章をつずるとかさ、
あと自分の意思を言葉にするっていうことはさ、
結構やってる方だと思うし得意な方だと思ってるんだけど、
そらやんにとってそういう活動ってどういうことなんですか?
ちょっと抽象的かな。
私、今でこそオーディオブック作る仕事してるんだけど、
新卒最初の仕事は会社の広報だったんだよね。
広報の期間もそこそこあって、
プレスリリースとかひたすら書いて、書きまくってたから、
私にとって文章を書くってやっぱそこが結構シューになってて、
やっぱさ、言語化しなきゃいけないってめちゃめちゃ教え込まれてるから、
だから書くっていう、
書くっていうことはもう大前提として、
人に何かを伝えたいって思ってるっていうか、
人に何かを伝えたいから書く必要があるみたいな感じに私はなってて、
いろんな考え方があると思うんだけど、
さっき言ってたまとまらない言葉を切るで、
もやもやって自分の中で思う、感じるものみたいなの、
それはそれとして自分の中でかみしめるのもすごい大事だと思うんだけど、
やっぱその本がどれだけ良かったかとか、
この本を読んでほしいって思ったら、
何かしらペンを取らなきゃいけないわけじゃん、
もやもやしてるけど、
形にしなきゃいけないから、
そうそうそう。
で、あとはやっぱその、
自分の中で何か書きたいことがあるっていうことも大事だなって思ってて、
それだけ何か人に話したいって思う経験を積んだりとか、
学んだりしたことがないとさ、
やっぱ自分の中空っぽだと何も出てこないから、
やっぱ書きたいことがあるっていう気持ちがあるかなみたいなのも大事にしてるかな。
答えなってる?これ。
なってるなってる。なってるし、
やっぱでもソラヤンのこの文章での、
徹底的な言語化に対するスキルの土台は、
仕事で培われたんだなっていうことにも。
よくも悪くもだけどね。
私も今ソラヤンに投げかけた問いを自分に返してみるとさ、
文章にするとか言葉にするっていうところは結構、
思考の整理みたいな要素はすごい大きいなと思ってて、
あとなんか自分の気持ちを再認識するみたいなことを、
私はやっていたなって思うんだよね。
というのは、なんか私結構日記をつけていた時期があって、
ちょっと時期があってっていう過去形なのは、
ちょっと最近つけれてないっていうことも含んでいるんですが、
そんな攻めないでよ。
いや、ちょっとね、そのことをね、ちょっとね、言っておこうと思って。
でもなんかその時の、その時はね、すごいね、文章を書きたかったの。
どうしても文章を今書かなければみたいな気持ちになって、日記を書いてて、
で、特にそれはなんかこう子供が生まれるその3級に入ってから、
育休中とか結構その期間で、
なんかその文章はさ、積極的に誰かに読まれたいわけじゃないけど、
どこかで誰かが共感してくれたら嬉しいなみたいな、
なんかそういう気持ちもあって、ノートを書いたこともあって、
みたいなその、なんだろうな、
私ってなんか、なんでこの文章をすごい書きたいと思ったし、
それを誰かに共有したいのかなみたいなことを、
今振り返っても思うんだけど、
なんかその私の文章のスタンスを、
なんか本の中で筆者がまさに冒頭で述べてくれていて、
この葛藤部組の表現をする人みたいな人に、
筆者はこの本をターゲットとして書いてくれたんだよね。
で、この葛藤部組の表現をする人っていうのは、
ギラギラした野心がある。
野心があるのが悪いこととかではなくて、
本を書きたいとか、著名な作家になりたいみたいな、
そういう気持ちがあるわけでもないけど、
しかもなんか自分の文章で誰かを傷つけることとかに、
すごい怯えたりもするんだけど、
でも、つずらずにはいられない人っていうふうに書かれてるんだよね。
私、私のための本だみたいな気持ちになったよっていう。
だってあれだもんね、ナッシーは読書記録もつけたりしてるもんね。
だからやっぱこう、自分の気持ちを形にするっていう、
残しておきたい、残しておかねばならないみたいな、
何かがあるんだろうね。
気持ちになるんだよね。
そうだよね。
でもなんかさ、あれじゃない?
ガラス瓶にさ、手紙詰めてさ、海に放つみたいな、
そういう気持ちなんだ。
言葉の重要性
誰かこの手紙読んでくれないかな、みたいなね。
誰かに届きますように、みたいな。
それもまたいいよね。
意外とそういう人はいるんじゃないかなって思って、
もう本当に今日の配信は、
そういうふうに文章をつずらずにはいられなかったり、
言葉にせずにはいられない人のための、
そんな人に読んでほしいこの本を紹介する回にしたいと思います。
で、こちらの本は、まとまらない言葉を生きるは、
少し重めの本だったんですけど、
もっとね、ざったにその筆者が思ったこととか、
感じたことにふれられる本の構成になってて、
筆者の気持ちにめっちゃ共感できるっていうポイントが、
めっちゃある本だったんだよね。
あ、そうなんだ。
じゃあ、新井先生からのガラス瓶はナッシーには届いたんだ。
いっぱい届いた。
いっぱい届いたんだ。
いっぱい届いてた。
いいね。
めっちゃそう、新井先生からのガラス瓶いっぱい届いてて、
特にそのガラス瓶の中で、このガラス瓶大事にしたいっていうのが、
ちょっと2つありまして、
いいね。
それをちょっと紹介したいんですけど、
私は今子育て中で、この筆者も子育て中のみだから、
その部分のエッセイがすごい刺さったんだよねっていうところを紹介するんですけど、
この筆者は冒頭にも言ったように、
息子さんを育ててるパパで、パートナーとの3人暮らしをしてるんだよね。
で、このエッセイの中で書かれてるのは、
その息子さんとの会話や、その会話の中で筆者が思ったことみたいなことがメインに書かれていました。
で、1つ目は、ときどきこうして言葉にしておくっていう章で、
この章では、小学生になった息子さんが、男言葉を使って話すようになったっていうシーンが書かれてるんだよね。
1人称を息子がさ、今まで僕だったら、
俺って1人称してみたりとか、
ちっちゃい魚を知らすって言えよって言ってみたりとか、
やや乱暴に思えるような言葉遣いを、息子さんがある日から、ある日突然にするようになったということなんですよね。
で、筆者は男言葉には押しつける要素があるからっていう、文学者ならではの解釈も交えたりしつつ、
そういう言葉を使うようになったんだなみたいな、言葉遣いの中からその成長も感じているっていうやつで、
でも息子さんはね、まだ小学生にあがったばかりだから、
この甘えたい気持ちとかもまだあるのに、そういう言葉を使い始めて、
なんかそのバランスがうまくとれなくて、
なんかうまく自分が言葉を使えてないみたいな状態になっているなっていうのも見てとれるようになるね。
でも、言葉の調整がうまくいってないなみたいなことを、
思ったよっていう気持ちを言葉にしておこうっていう、そういうエッセイなんだけど、
これ、それはもう娘さんがそろそろおしゃべりうまくなってくる頃かなって思うんだけど、
やっぱ言葉にしておこうって思うことある?
うちの娘はね、めっちゃしゃべるんですよ。
やっぱり?
めちゃくちゃしゃべるんだよね。
2つ話したくて、
まずその言葉の調整がうまくいってないっていうのは、
すごい今聞いて、すごい新鮮、私にとってすごい新鮮な考えだったなって思って、
私、娘が言っている言葉を、わりと言っている通りに受け止めていたから、
もしかしたら、彼女の本心は違うけど、今その言語しか知らないから、
それを使ったっていうふうに考えたことが今までなくて、
そういうふうに考えたほうがいいなっていうふうに、
純粋に自分の子育てを判定したっていうのが、
まず1点。
真面目だな。
真面目モードで。
もう1個はおもしろモードで、
言葉に残しておきたいっていう、今の娘の話し方とか、
絶妙なニュアンスとかを残しておきたいっていうの、
すっごいたくさんあって、だんだんだんおしゃべり上手になってきたらさ、
このニュアンスでは、もっと滑舌もよくなっちゃうし、
この言葉も使わなくなるだろうなみたいなさ、いっぱいあるんだけど、
その中で、すごい象徴的なのが、
うちの娘はキノコのことを、キッキッキノコって言うんですよ。
かわいい。
キノコっていう歌があるの。
キッキッキノコ、キッキッキノコ、ノコノコ。
わかるよ。
ノコノコ歩いたりしないけどって。
それで、キッキッキノコで、キノコだと思ってるから、
キッキッキノコちょうだいとかっていう。
これさ、いつかさ、キノコだって気づく、このキッキはいらないんだって気づく、
瞬間が来てしまうと思うと、悲しい。
でも教え、いつか教えないといけないし、いつか自分で気づくだろうし。
言葉にしておきたいと思ったから、今収録させていただきました。
ありがとうございます。
はい、言葉にしておいてください。
いやー、あるよね。
私もそれでちょっと思ったのが、うちの子は、「来ないで!」を、「来ないで!」って言うんだけど。
来ないで。
そうそうそう。
いや、なんか、それもかわいいんだよね。
かわいいんだよねって、すごいなんか、
来ないで!来ないで!って言ってて、
あ、なんかうまく活用できてないな、みたいな。
書きかけ語が活用できてないな、みたいな気持ちになっちゃうけど。
語覧活用がね。
でもなんか、あ、確かに今の、やっぱりそういうの言葉にしておきたいし、
私も言葉にしてみましたっていう感じですね。
そう、成長の過程にいるっていうことが感じられる瞬間じゃん、それって。
うん。
いやー、小学生ぐらいになったら、そういうふうに大人びた言葉を使うようになったりするのかなとかも、
このエッセイを読んでて思ったりもして、
そこもよかったなぁと思っています。
感情の海を泳ぐ
よし、じゃあ続いていくよ。
2つ目のほうは、感情の海を泳ぐっていう章で、
この章はね、本当にね、筆者が子育てて感じる、
本当にいろいろな感情を、ポジティブもネガティブも含めて書き表してくれてる章なんですけど、
場面としては、なんてことのない朝の風景で、
思ったように身近くしてくれない息子さんに、
イライラしつつ、でもそのイライラを感じている自分も嫌になりつつ、みたいな様子が描写されてるんだよね。
ここからちょっと、文章を引用させていただきたいんですけれど、
子供と共に生きることは、感情の海を泳ぐのような水波かもしれない。
しかも、そこそこ潮の流れがきつい海。
しんどすぎて笑ったり、楽しすぎて疲れたり、
怒りながら心配したり、寂しい気持ちに喜んだり、
嬉しく思いつつ悲しんだり、
全身全霊で愛してるけど、今この瞬間だけは嫌いだったり、
矛盾しまくった感情の波が、大小入り乱れながら、
次から次へと押し寄せてくる。
っていう風に書かれてて、
ここに私はね、タイトルにもある感情の海が、
子育て中に限らずあるかもしれないけど、
今まさにあるなっていうのを、私はすごい受け取って、
ああ、また書かれよ、その気持ちわかるよ、新井さん!っていう気持ちに、
すごい、深く共感して、どうしよう、見つけたような気持ちになって、
すごい刺さったんだよっていう話ですよ。
ごめん、そらやん、ついてきてる。
ついてきてる、ついてきてる。
確かにさ、なんか、やっぱ子育てを始めた自分の方が、
まず子供の喜怒哀楽はさ、全身表現だからさ、
で、大人は感触とかしないじゃん。
当たり前だけど。
大の大人はさ、
感触してたらちょっと、ちょっとどうしようかと思うしね。
1年に1回とかだったらまだしも、
子供の感触はさ、基本毎日何かしら起きるわけじゃん。
好きなテレビ見れなかったとかさ、
もっと食べたかったのにとか、これは食べたくないとか、
やんやんやんやんみたいな、
それをさ、全身に伝えてくれるけど、
大の大人はさ、1日に5回も6回も感触はしないわけじゃん。
感触というか。
感触だけじゃないけどさ、
そういうこう、全身で喜怒哀楽を表現してくれるから、
こっちもさ、一緒に笑ったりとかさ、
あーなんか、あー痛かったねーとかさ、
さすがに楽しいねーとかさ、
こっちもこう、感情が揺さぶられるというかさ、
そうすると、まず生活してる中でさ、
いろんなこう、喜怒哀楽の音じゃないけどさ、
すごい彩り豊かになるし、
それを感じながら生きてるって思うと、
確かにそれは、感情の海泳いでるなーって。
うーん。
相手の感情を受け取ってるからかもしれないし、
そうだよね、自分がその感情に揺さぶられて、
また違う感情を出してるからかもしれないなーとは思うけどさ。
そう、いやなんか私も、私の旦那さんも、
わりとダウナーな人間だから、
2人だけでいると、わりと静かなんだけど、
やっぱり娘が出てると、
あの寡黙な旦那ですら、こんな笑うんだとか、
すごい感情の交換が、家の中ですごい行われるようになったなーって、
いうのが、やっぱそれはすごく感じるね。
感じてたなってことを、この言葉を聞いて、
そうだよなーって思った。
なんか、子育てしていていいことだなって、
誰かに言いたくなったかもしれない。
こういう楽しさもあるよ、みたいな。
楽しさだけでも。
でもそこ、楽しさだけじゃないよっていうこともさ、
やっぱ筆者は書いてくれてた。
あー、なるほどね。
過ぎ去ったら、あの頃は本当に楽しかったな、みたいなさ、美化されるじゃん、きっと。
でも、それをちゃんと文章にすることで、
いや、その感情の中にはさ、こういう気持ちもあるじゃん、みたいな。
だからそういうのを、やっぱり言葉にしてくれたんだなーとか、
文章にしてくれたんだなー、
あー、これはいい文章だなーって、もう本当に私は思いましたという話ですね。
芸術と文学の視点
で、まあ私ね、共感ポイントここだよって言って、この2つの章を紹介させてもらったんだけど、
まあ、これはすごい子育て寄りの章で、そうじゃなくて、
まあそう、筆者は文学者でもあり、本を出版している方なので、
その角度から綴られた話とかもあって、最後にこれだけ紹介したいと思います。
うらやましい読まれ方っていう章なんだけど、
筆者が海外の美術館に行ったときに、日本と違って、
芸術を楽しんでいる様子に驚いたり、
まあその中で、美術館の中で本を楽しんでいる人がいたっていう話です。
まあその本がまずうらやましいって筆者は書いてて、
旅行に連れてってもらえてさ、結構ボロボロになるまで読み込まれてて、
しかもその人にとっては、非日常の中でもそばに置いておきたい本だよとか、
その本自体への憧れとか、あんな風に読まれている本、
ああいう風に読まれるような本になったらいいなーみたいな、そういう気持ちが書かれている章なんだけど、
いやでもね、私は言いたい、私もこの本は、私にとってこの本はね、
寝る前に少しだけ本当にちょっとそっと開くのがぴったりな本だなって思って、
想定家さんに安心して寝室に持ち込める静かな本にしてほしい、みたいなことを筆者が依頼して、
教室とかも作られてて、そういうのも含めて、私にとっては一冊丸ごと愛おしい本だよっていうことを言いたい。
エッセイってさ、意外とさテーマ絞ってるエッセイ多いなって、ふと思って。
そうね。
お料理のエッセイとかさ、子育てのエッセイとか、アーティストの人だったら自分の創作活動のエッセイとか、
その作品全体の統一を考えた上で、多分そういう作りにしてるっていう狙いがあるんだと思うけど、
でもやっぱさ、どんな人でもいろんな側面がさ、あるじゃん、あるじゃんっていうか、
料理家の人もさ、いつも四六時中料理してるわけじゃないわけだからさ、そうそうそうそう。
そうね、それは一部だから、一部であってってことね。
そういういろんな自分がいるっていうところも、まとめることなく表現してるっていうのが、またそれもいいなみたいなふうに今思って。
なんかその子育ての話もあって、ありつつでもね、その美術館の話とかもあったりとかすると、
関連性がないから、じゃあテーマなんだろうみたいな感じになるかなっていうところもあるかもしれないけど、
でもそれも全部丸ごと含めて、その人なんだっていうあり方のエッセイも、またよしって思った。
いろんな側面を知れるっていう。
いやでもほんとに、そうかも、なんかすごいフィッシャーが近く感じられたっていう意味で、
まるごとフィッシャーのね、いろんな側面を表してくれた本なんだなっていうところがやっぱりすごく魅力的だったなって思うし、
だってやっぱさ、なんだろう、私の中ではやっぱそのまとまらない言葉を生きるの、学者の目線の新井先生の印象がすごい強いから、
子育てのところとか、なんか全然知らない新井さん像を見たなっていう話を聞いて、それがすごいまたいいなっていうふうに思って、
やっぱどうしてもさ、新井さんってこういう人だよねっていうふうに、なんていうかね、自分の中でこう印象つけがちみたいなところもまた取り払われて、よしって思った。
いいじゃないですか。
いいよね、そういう。
そうだね、その学者としての新井先生みたいな面も、もちろんそういうエッセイもあって、
自分の専門分野の話から思ったこととか、そこで知り合った人とのお別れがあったりとかっていう、そういうエッセイももちろん含まれてるので、
まとまらない言葉を生きるを読んだことがある人にも、こちらはぜひ読んでほしい本ですっていうのは伝えておきたいと思います。
なんか最後にね、筆者はね、この本は綴ることは行き継ぎすることだよっていうふうにまとめてるんだけど、
でも私とソライアンで言葉にする意味合いもやっぱり違ったり、人によってはやっぱりそういう言葉の意味合いって違うかなって思うけど、
でもなんかやっぱり言葉にせずにはいられないっていう気持ちとか、
そういうのってやっぱりあるよね。だからそういう気持ちがある人、ぜひ読んでくださいっていう、
今日の配信で閉じたいと思います。
次回予告
そうだよね。海を、感情をこう吸って吸って吸ってしてたら、それはね、吐かないとね。
吐いて、それが行き継ぎするタイミングが文章にするタイミングだよ。
で、また感情の海を泳いで泳いで泳いでっていうね。
なるほどね。
では次回予告をソライアンお願いします。
来週はですね、欠点は美点。美点ってあの美しい点ね。
欠点は美点っていう本について語りたいと思います。
これは佐藤亮子さん。
りょんりょん先生って、今大ブレイク中の花っていうガールズグループのボーカルトレーナーをしている方が書いた、
自分の魅力を育てるための本ですと。
ちょっと自己肯定感下がり気味だなっていう人とか、魅力的な人になりたいとか、
それこそ本当に芸能活動したいとか、芸能界を志しているっていう人。
芸能界を志してはいないけど、人を引きつける人になりたいっていう気持ちがちょっとでもある人には、
すごい面白い本だと思うので、ぜひこの話をさせていただけたらと思っております。
はい、楽しみにしております。
はい、ここまででトークテーマは終了ですが、
喫茶苦労ではいつでもお便りを大募集しています。
トークのご感想や本にまつわるお悩みなど、ぜひご投稿ください。
ポッドキャストやノートにお便り投稿フォームのリンクをご用意しておりますので、そちらからご投函いただけると嬉しいです。
今後も喫茶クロスロードは、毎週月曜日夜21時よりゆるゆる営業していきます。
本日はお越しいただきありがとうございました。
またお待ちしております。
バイバイ。
おやすみなさい。