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episode.54 前編 前田有佳利さん
2024-08-07 49:16

episode.54 前編 前田有佳利さん

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episode.54 前編

ゲスト▷ 前田有佳利さん

今回のゲストはゲストハウス情報マガジンFootPrints 代表、全国200軒以上のゲストハウスを旅する編集者ダリさんこと前田有佳利さんです。

talk topics

日前宮ライン/しっかりしてない真面目/片思いの努力/家が好き/ESS/リクルートへ/ゲストハウスとの出会い/小5からブログ

どうぞお聴きください💁‍♂️

番組のオープニングのエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。

楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。

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00:20
和歌山市のアウトダーショップ、キセンランドトレイルの白石です。
有田市のコーヒーショップ、ARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio 第54回です。
本日は、和歌山県海南市清水浦で収録しています。
本日のゲストは、全国200件以上のゲストハウスをめぐる編集者、
ゲストハウス情報マガジン、フットプリンツのだりさんこと、前田有佳利さんです。
だりさんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在のこと、
これから計画していることについてお聞きしていきます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では、まずはだりさんから自己紹介してもらってもいいですか。
はい、わかりました。
1986年、和歌山市生まれで、大学と就職を機に地元そのまま離れて、2014年に油断しています。
その翌年にフリーランスのライターとして独立していて、
あと、結婚出産を機に2022年にこの海南市の清水浦という場所に移住して、
ずっとゲストハウスと和歌山、この2つを専門分野にしてフリーランスのライターをしています。
よろしくお願いします。
もうすでに聞いていただいているので、ちょっとお分かりの流れだと思うんですけれども、
生まれからねほりはほり、教えてもらう番組となっておりまして、
生まれは和歌山市ということなんですけれども、和歌山市のどの辺ですかね。
場所で言うと日前宮の近くら辺なので、あの辺りをずっと小中高の私のゾーンです。
あの辺って当時生まれた時ってどんな感じのエリアだったんですかね。
そうですね、今結構住宅街になってきているんですけれども、もっともっと田んぼが多かったので、
田んぼのあぜ道で遊んでいた記憶の方が強い。
遊びながら新しい家がどんどん建っていくので、新しい家が建つ前ってちょっとネジが落ちていたり、
コンクリート引かれたてみたいな状態だったりとか鉄パイプ置いてあったりみたいな、
それをみんなでちょっとずつ触りながら遊んでいた記憶があります。
怒られるかどうかみたいな。
家族構成とかってどんな感じだったんですか。
私が末っ子で8個上の姉と10個上の兄がいます。
結構離れているんですね。
影響とかも8歳上とかだともう全然遊び方とかも違うと思うんですけど。
そうですね、なので特に一番上の兄と喧嘩した覚えがあまりなくて、
03:03
どっちかっていうと兄にやられて私が泣くみたいなことがあったんですけど、
例えばテレビ見てたら背中のところに氷入れられて泣くみたいな、
おもちゃにされている感はありました。
僕は8歳の離れた末っ子やったら結構みんなに可愛がられてみたいな感じだったんですかね。
そうですね、ペット感覚だったとは思いますけどね。
お父さんお母さんとかなんかされてたんですか。
父が税理士で母が元保母さんだったので割とほのぼのした家庭ではあったかなと思います。
子供時代のダリさんどんな感じだったんですか。
結構人見知りというか、母の後ろに隠れがちな子供だったらしくて、
水泳を習っていた時に自動販売機で最後ジュースを買ってもらうって約束を親としていたんですけど、
その自動販売機の前に列ができるんですよ。
似たような同じ状況の子供が何人か習いに行っているので、
その列に並ぶのをちょっとドキドキしながら嫌がっていたっていう。
よく母がその思い出を言ってきます。
ちょっとひっこみじあんでみたいな感じなんですかね。
もう完全にそうでした。
完全にそんな感じで。
小学校時代とかクラスでの立ち位置的な感じとかどんな感じだったんですか。
そうですね。でもひっこみじあなのもあって、真面目にやろうとしているところはありました。
ただ私としては真面目にしたいのに真面目にできていないというか抜けているところがあったので、
自分としてはすごいしっかりしていない真面目だったという記憶で。
しっかりしていない真面目、どういう感じですか。
なのですごいしっかりしている子って夏休みの宿題、計画的に多分終わらすと思うんですけど、
しないといけないのは分かっているけど、なかなかうまくできなくて、
遊びにも行ってしまったりしながら、最終日に泣きながら終わらす。
でも学校行ってみたら平気な顔してやってきていない子がいっぱいいて、
やらないって選択肢あったんだってすごい驚くっていうぐらいの幅の子です。
結構あの辺って日清中学校といえばちょい悪みたいな感じじゃないですか。
そうですね。
エリア的にみんな悪いみたいな感じなんですか。
いやーなんか日清だったので、前の落田社の千葉さんのお話すごい共感しながら、
うちも下駄箱こう倒されたりガラス割れたりめっちゃしてたなと思ってたんですけど、
ただ千葉さんのお話にもあったみたいに、してる子は一部で大多数は結構普通に過ごしてるんですよ。
なのでなんでしてる子はあんな風にするんだろう、
靴箱倒されちゃった、自分の靴どれだっけってみんなでやってるみたいな。
荒れてるけど平和みたいな。
私の認識の中では割と平和でしたね。
06:01
中学校時代とかどんな感じの人だったんですか。
中学校時代、でも中学校時代は多分世間一般そうだったと思うんですけど、
大笑いブームが来てたので、当時爆笑ウェアバトルって夜中にやってた。
あれをすごい一生懸命見てました。
誰が好きやったんですか。
メインどころじゃないとこが好きだったので、田上芳恵とか富石連休とかなんかそれを聞いたら、え?ってみんなが言うような。
なるほど。マイナーなとこ行くのはなんでやったんですかね。
多分今にも繋がるんですけど、マイナーどころが好きっていうのが結構ずっと前からあるんですよ。
多分今回のラジオのお話いただいて自分のことをいろいろ振り返る時間があったんですけど、
その時に思ったのが、8校へ10校への兄弟がいてるんで、学校の中で私が持ってる情報ってマイナーになりがちだったんですよ。
マイノリティーになってくれる。
で、ちっちゃい頃ってマイノリティーなこと知ってると結構すごい奴って見られがちで、
お姉ちゃんのお風呂の服を着てるだけでもちょっとおしゃれだねって見られたり、
お兄ちゃんから引き継いだ情報のプロレスの話をしたら男の子たちがお前そんなこと知ってるのかって仲良くなってくれたり、
マイノリティーでいるとなんか結構楽しいことが起きるっていう印象が私の中ではちっちゃい頃からあって、
マイノリティーに目が行くようになっていったような気はそこからかなとは思っています。
それで中学は結構お笑いに行ったってこと?
ドストライクのマイノリティー。
他どんなことが好きだったんですか?なんか部活やってたりとか。
部活は剣道部に入ってました。
なんでまた?
小学校からの友達と部活何か入りたいねって話して、
その子が剣道部かっこいいって言って見学しに行ったのについて行ってそのまま入ったんで。
めっちゃ流れでした。
スポーツも結構できた感じなんですか?
もともとは小学校の頃は背が高かったんですよ。
今153センチなんですけど、小学校の高学年からこのサイズなんですよ。
早い段階で仕上がったんですね。
なので昔は高かったんですよ。
徐々に抜かされていって。
なので背が高いといろいろ重宝されてたので、スポーツで。
足が早い気にもなっていたので、運動は得意だろうって勝手に思って、
運動部いいな、剣道部いいかも、で入りました。
剣道どうでした?
大変でしたね。
そうですね、中学校から始めるってなかなかないというか、ないわけじゃないんですけど、
小学校からずっとクラブでやってる人とかがいる中ですもんね。
そうですね。
09:01
しかも見学した時の先生は理科の女の先生が実験交えながら楽しくやって、
試合で勝ったりするとスライムくれたりするみたいな。
その先生が1年くらいで変わって、
次に来た人が本気で大会目指すぞ、みたいな男の先生で。
朝練が始まり、あれ?ずっと剣道やってる?土日もやってる?みたいな。
何か思ってたのと違うってなって。
そんな状況でも一生懸命剣道やってみたいな。
一応、みんなであと何日で引退だって言いながらやってましたね。
そこまでドハマりしてたか、そういうことではなかったんですかね、剣道に関しては。
そうですね、剣道は入ってしまったからにはもうやるかっていう感じだったので、
ハマってたもので言えば本当にさっきのお笑いか、
あと当時はバンプオブチキンがすごい流行りだした頃だったので、
漏れなくそれもハマってました。
で、高校ですか?
そうですね。
高校はどこに行くんですか?
高校は紅葉だったので、あのラインです、ずっと。
めっちゃ近いところで。
なんなら幼稚園日の熊だったので、本当に一千宮ライン。
一千宮のお膝元で生まれ育ちました。
生活圏がめっちゃ狭いですね。
本当そうです。
その当時って何して遊んでたとか覚えてますか?中高とか。
そうですね、でも小学校までだったらドッジボールとかカンケリとかはやってたんですけど、
中高って遊びに行く場所が本当になかった気はするので、
でもまだ村栗町にカフェとかお店があったので、
あと本屋さんとか村栗町にちょっと行こうかみたいなぐらいの年頃でしたね。
割と駅とか近いじゃないですか。
駅、電車乗って大阪とかは行かなかったですか?
あんまり同居がなく、自転車圏内でした。
紅葉行ったってことは結構勉強の方もいい感じの、いい感じだったんですかね。
頑張ってましたね。でも本当にしっかりしてない真面目だったので、
真面目な部分で担保して紅葉なんとかみたいな。
水泉で行ったみたいな感じですか?
はい、そうでした。紅葉は水泉で。
環境科学科っていういわゆる理系みたいな学科があって、そっちの方に行って、
行きましたね。
高校生活はどうでした?
高校は中学校の剣道部の半導で絶対運動嫌ってなって、美術部に入ったんです。
12:02
でも元々絵を描くのは好きだったので、
なのでちっちゃい頃とか色鉛筆とか用紙持ってリュックにポテトチップス詰めて、
近くの田んぼのあぜ道で絵描いてるような。
本格的ですね。
してたので、絵は好きでそのまま美術部で絵を描きながら、
でも本格的に油絵っていうよりは、みんなでワイワイしながら話しながら絵を好きなタイミングで描くぐらいの緩い部活でしたけど。
その時はどんなことが好きだったんですか?変わらずお笑いですか?
いや、もうその頃お笑いじゃなかったですね、そういえば。
どっちかっていうと高校時代、私の中ではだいぶその時が初恋だったんですけど、
もうずっと片思いでずっと努力してる3年間の記憶ですね。
どういうことですか、努力。
初恋の人って皆さんいるとお二人ともいると思うんですけど、
なんかおはようって声かけるのから無理じゃないですか。
なのでどうやったらおはようって言えるんだろうかっていうところのステップから始まり、
おはようって言えたから次じゃあなんて声かけようかみたいなことを考えるのをずっと毎日やって、
っていうのをやってるんで周りが気づくんですよ。
あの子は誰々君が好きみたいな。
で、だんだん応援する人が増えてきて、みんなに応援されるっていう。
っていうようなことをずっとやってました。
応援の結果はどうなったんですか。
応援の結果2年ぐらい片思いして結局付き合うんですけど、
おーすごい努力。
でも付き合ってみたらそのお互い子供過ぎて付き合ってからって何がなるのってなって、
一緒に帰るのも恥ずかしいんで一緒にも帰れなくて、結局何もなくて終わったんですよね。
へー。
そんなことが。
じゃあ結構高校の2年間をその努力に費やしたって感じなんですか。
そうですね。ほとんど高校の時はそれの印象ばっかりですね。
へー。
なんかなんて声かけようとか言ったら、
よくある就活生が自分でノートに自分のことを自問自答すると思うんですけど、
あんなノリでずっとノートに今日はどうしただとか、
これができなかったけどじゃあ明日どうするかみたいな。
へー。
トライアンドエラーを繰り返して。
へー。すごい結構特殊な高校生活を。
そうですかね。
へー。他にどんなことがあったんですか。
へー。でもそれと美術部のみんなと遊んだ記憶しか残ってないぐらいそれが多いですね。
美術部メンバーはすごい仲良かったので10人ぐらいいたんですけど、
もう全員でずっと交換日記をずっと高校からしていて、
15:02
社会人になって何年かしても続いてましたね。
途中でもみんな結婚したり子供ができたりして回せられなくなって、
交換日記と回ったんですけど。
リアルものとしての日記を回してたんですか。
そうですそうです。なので大人になると別々の地域に住むので、
郵送で交換日記が。
すごい。
どんなことを書くんですか。
ルールを決めて必ず自分のページには一番上に質問を書くこと。
みんながそれに対して10人ぐらいなので残り9人からのQが返ってくるんですよ。
Aか。アンサーが返ってきて、
この質問に対してみんなこんな風に考えるんだって思いながら、
自分も同じように残り9人の質問に答えるっていう。
へー。すごい文化的な遊びを。
理系にいたはずなのに。
そうか理系クラスですもんね。
はい。
進路とかはその時どう考えてたんですか。将来どうしたいなとか。
そうですね。でもおっしゃられるように、
理系にいるのに自分が文系的な感じなんだなっていうのは薄々思っていて、
なので大学に入るときは文系を選ぼうって最初思ってたんですよ。
でもうちの兄のお嫁さんに相談したことがあって、
進路どうしようかって迷っててみたいな。
って言ったら、じゃあ何が好きなのって言われて、
勉強の中では英語が好きだったんですよ。
だったので英語を使った仕事がしたいなってなんとなく思ってるみたいなことを答えたら、
じゃあ選択肢がこれって定まってないんだったら、
小学部に行って英語を自分で磨いて、
ってした方がきっとできること広がるから、
何でもできるからまず小学部っていうベース行ってみたらって言われて、
それで大学小学部に行くんです。
すごいアドバイスですね。
まともなアドバイス。
とてもまともなアドバイスもらって、ありがたかったです。
年の離れた兄弟がいると、そういうメリットが。
多いですね。
単純に最新号の漫画が降りてくるとかそんなのもありますけど、
メリットは多いと思います。
大学そのまま小学部に目指して。
そうですね、小学部に行って、
最終的には京都にある同社大学の小学部になるんですけど、
それで、もちろん自分の家から通えるところも探してたんですよ。
同社だと京都なので通えなくて、
自分の今まで言ったら日前空ゾーンで暮らしてたので、
あまり遠くに行きたくない気持ちはあって、
通える範囲のところにも最初出してたんですけど、
前期後期みたいな試験があって、前期で落ちて、
18:01
でも後期筆記だから大丈夫よって周りに言われながら、
しっかりしてない真面目を全力発揮して、
願書を出し忘れるっていう。
先生たちもあいつはしっかりしてるだろうって思ってるじゃないですか、真面目だから。
お前まさかしっかりしてないかって。
その番になって発覚するという。
発揮してしまいました。
でもそれもあっておかげで、
実家を離れるっていう、自分の中でずっと狭いところにいたのを、
ちょっと視野を広げなくちゃいけないっていう場面になったので、
今思えばよかったかなと。
それがなければ、もしかしたら和歌山出なかった可能性も。
ありますね。
あんまり都会行きたいとかそういう考えはなかったんですかね。
当時までは全然なかったですね。
割と家が好きなので、
なんで好きな場所離れないといけないんだろうぐらいのレベルでしたね。
もうその時も家はいい感じというか、
ほのぼの系がずっと続いててみたいな。
そうですね。ほのぼのしている感じなのと、
ずっと家で犬飼ったりうさぎ飼ったりしているので、
何かしら生き物がいるという安定感もありましたし。
そうですね。
なんか家が好きですね。
うちの母がすごいのんびりした性格なのでっていうのもあるかもしれないですけど。
家が好きなんですね。
どんなところが家の好きポイントなんですか?
なんでみんな好きじゃないんですか?ぐらいのが。
結構大学行くタイミングとかって、
中学校の半高期からの流れもあって、
家好きじゃないなみたいなのが結構大多数かなと勝手に思ってたんですけど。
確かに半高期というか、
親とぶつかって、もう嫌って思う瞬間も多分あったと思うんですけど、
総合して振り返ると好きが残ってるんですよね。
多分嫌だった記憶全部ろ過して、
そのろ過されてどっかにポイってしちゃってる。
そのご兄弟とかはどうだったんですか?
その上の8歳、10歳離れているご兄弟は外に行ったりとか、
家も出てたりはしますよね。
そうですね。兄姉はもう出てましたし、結婚もして出て行って、
兄は結局和歌山に戻ってくるんですけど、結婚した後は。
でも姉は大阪で今も住んでいて。
そういうのを見てたら、自分も外に行ってはならなかったっていう感じ?
そうですね。
どっちかというとずっと近所で住みすぎてたから、
外怖いぐらいの感じでまだ思ってましたね。
家がない引きこもり的な。
広い引きこもり。
じゃあ京都大学で出てみてどうでした?
21:02
そうですね。
でも出てみたら一人暮らしは最初大変だとは思ったんですけど、
小学部に行ってESSっていう英語の部活に入ったんですよ。
英語と小学部を両立するぞみたいな思いが最初あったので、
その部活のつながりがあまりにも濃くて、
最初は英語サークルかな?みたいな軽いノリで言ったら、
すごいがっつりした部活で。
でもそれはそれで一人暮らしだったから、
誰かといる時間が長いのがありがたくて、
そこのつながりは全部だったって感じですね。
ESSって何ですか?
何の略だったかな?
英語の部活と言いながら、結構ロジカルなことを学ぶ場所って感じでした。
英語を使ってスピーチ、ディスカッション、ディベートとかするんですよ。
で、例えばその頃だったら遺伝子組み換えについて賛成か反対かみたいなのでチーム分かれて、
それぞれ英語で裁判所みたいな感じで、
右の人が言って、一人の人が言って、それに対してこうだこうだってみんなで言ってみたいなのがあったり、
あとは死刑制度はどう思うかみたいなそういうちょっとテーマは難しいんですけど、
それをみんなで円になってテーブル組んで、意見がある人が手を挙げて、
その人の意見がおかしいと思ったら何か言ったりとか、賛成だと思ったら何か言ったりっていうディスカッションがあったりとか。
すごい部活ですね。
それを英語でやるっていうのがまたすごいですよね。
ねー、よくやってましたよねーって。
入っている人たちはみんな英語が勉強したいからそこに入ってみたいな、同じ目標を持ってみたいな感じなんですかね。
そうですね。最初は英語喋りたいからみたいな人が結構多くて、
でもう一つ言うと、大学の時の新入生歓迎会、新歓とかですかね、
ああいう時に力を入れている部活だったので、その新入生歓迎会のおもてなしが面白いって言って割と人が集まっている部活だったんですよ。
でそこから真面目になっていく度に人が辞めていくっていう感じのところで。
なので英語楽しいよねって思っている人と、なんとなくみんながいるから楽しいが続いている人とっていう感じの集まりでした。
えー、だりさんはどういう感じでいてたんですか。
えー、でも最初は英語楽しいって思ってたんですけど。
英語楽しい。
英語が使えるようになったら楽しいなって思ってたんですけど、ディスカッションとかいろいろやっているうちに、
なんか自分の考え方をちゃんと伝えれるようになるのは楽しいかもしれないって思うようになってきました。
24:02
まあちゃんと伝えられてなかったタイプなので。
え、なんかむっちゃ賢い子やったんですかね。
賢く見えるんですよね。それがしっかりしてないからダメなんですよ。本当に。
えー、クラブは4年間がっつりやってみたいな。
そうですね。就活があるので大体3年でみんな辞めていく。3年で1回卒業になるので3年間にはなるんですけど、
ほとんど授業中も部活の準備してたぐらい部活にはまってました。
えー、そうなんですね。部活以外はどんなことしてたんですか。
多分部活以外はしてないぐらい部活してました。
小学部ってどんなことを勉強するんですかね。
小学部は、そうですね。いや、学ぶもの。空きないに関するいろいろなので、貿易論みたいなのがあったりとか。
小学部で学んでたこと語れないぐらい部活だったりしてたんですよね。
でも、ゼミは観光ゼミにいたので、ゼミはすごく楽しく真面目にやってました。だいぶ遅刻してましたけど。
結構大学選びの段階では将来何やりたいとかふわっとしてたっていうことなんですけど、
大学生活の中でやりたいことって見つかっていったような感じなんですかね。
全然見つかってなかったです。
大学の時は本当に部活のことしか考えていなくて、しっかりしない真面目だったので、
自分の伝え方がうまくいってないっていうこともうすうすわかるんですけど、
でもどうちゃんと伝えたら相手に自分の言葉が伝わるんだろうとか、
それって英語はもちろんなんですけど、元の思考の段階の日本語の部分でも結構あって、
それが私ちゃんと伝えられていないんじゃないだろうかって思うことが結構あって、
そこに悩みながら英語を学ぶふりをして日本語を学んでいたような3年間だったので、
だから将来何したいっていうよりも本当に自分の日本語どうにかしたいと思って、
やりながら英語を学んでいたような感じです。
そうなんですね。なんか不思議な話。
なんかうちの、ちょっとたどってしまうんですけど、
小学校3年の時に父が交通事故で亡くなるんですよ。
なのでほんわりしている家族なんですけど、ほんわりしている中で父が抜けて、
私の中では父が抜けている感覚もあるんですけど、
記憶の中ではその中でも家族がつながりが強くなっていくのでなおさら家族が好きみたいなところ多分あって、
何言おうとしたかな。
それで兄も姉も結婚して家を出ていくので最終的に母と私の時間もある程度あったんですよ。
27:00
うちの母がふんわりしている人ですごい好きなので今から言う話はただの分析でしかない話なんですけど、
うちの母すっごい話が飛ぶんですよ。
昨日の晩御飯の話をしていたと思ったらさっき見た犬の話をし始めるみたいなぐらいに、
分からない人が会話していたら、
なんで昨日の晩御飯の話に犬の毛の話が出てくるのみたいなそういう混乱するようなぐらい話が飛ぶ人で、
その人の下で育っていたので人間は話が飛ぶものだという認識で私は結構育っているんです。
大学に行ってESSの部活で出会った子たちの中で同じように話が飛ぶ子がまたいて、
でも話しているとどうも話の飛び方が違うんですよ。
うちの母だとABCDってきてAに飛ぶんですけど、
その子はABってきてAに飛ぶとかABCってきてBに飛ぶとかなんか飛び方が違っていて、
その飛び方の違いに最初気づかなくて、
母と同じような飛び方だろうと思って推測して会話を返事をすると、
そんな話してないよって言われるんですよ。
私からしたらもう何が起きているか分からないみたいな。
今まで私が知っていた日本語の並びと違うんだけど、
この子は何を喋っているのって思うんですけど、
今まで日前偶像で育っているので、
遠くに出た時に他人に私はあなたの言っていることが分からないんだけど、
とか質問したりする度胸がなくて、分からないが言えなかったんですよ。
なので曖昧に合図打ちを打っているうちに、
あの子は話が通じないっていうキャラになっていて、
でなってくると、ダメだダメだって思うじゃないですか。
今やばい状況にあると思って、私は日本語が分からない人みたいになっている。
っていうのがすごい焦りだったのと劣等感と嫌だったのがあって、
それもあってなおさら日本語のことも学べる英語っていうそのESSの仕組みにどんどんハマっていったっていうのがあって、
なんかちょっといろいろいっぱい喋りました。
いやいやいや、そんなに人の会話を分析するのってなんか珍しいっていうか、
結構僕とか雰囲気で、雰囲気ですべてをやってるんで。
いや素晴らしいです。それで会話が成り立つのは本当に素晴らしいです。
そうなんですか。
そのギャップは、例えばその小中高の間では感じてこなかった。
日全グループゾーンでは気にならなかったのが、大学行って初めて気になり始めたんですかね。
そうなんです。思い返せばその幼稚園からずっと一緒だった子が高校に上がってたりとか、
ずっと同じ子もいてるので、たぶん分からないことがあったらその子だったら気にせずに分からないって聞き返してたんです。
それをたぶん引っ込み試合の私が前回になっているところでみんなに分からないって言えなくなってしまって、
30:05
ニコニコうんうんしてるうちにあいつ話分かってないぞってなって。
それはもうESSで改善されて会話がいい感じにできるようになったんですかね。
そうだと思います。ESSの中にもいろいろあると思うんですけど、
特に三段論法っていうのが覚えましょうっていうのが一個あって、
簡単なので言うと、三段論法って結論があって大前提があって小前提が来るみたいな感じなんですよ。
なのでポチはいつか死ぬ。主張があるとするじゃないですか。
そしたらポチは犬だから死ぬとか犬は寿命があるからとかって、
もう一段階論拠を持ってくるっていうのが三段論法なんですね。
赤信号は守らないといけない。信号が赤だから止まりましょう。
信号というものはみんなで守るっていうルールが決まっているから守りましょうとか、
そういう感じの理由づけをもう一個持ってくるっていうやつをずっと学んでたんですけど、
それをひたすらノートにまた書いていく。
そういうこと。
文法とか考え方とかを改めて英語でみんなと同じフィールドでやるっていうことで、
それをもう一回再発見できたというか、っていう感じなんですかね。
特に英語だと主語、述語とかがはっきりしているので、
どれで何を言ってないっていうのが丸わかり、
日本語で包み隠せてしまったものが丸裸になった状態で言葉をつなげていくので、
私これを言えてなかったとか、これを言わなくてもわかるだろうと思って隠してたから相手がわからなかったとかっていうのが結構わかってきて、
私はここが足らなかったんだっていうのをひたすらやってました。
そこまで考えられるのがすごいですね。
今から言語化するとこんな感じなんですけど、
当時はその暗闇の中をずっと模索している感じだったので、
何が悪いかわからないし、何で私の話が通じないって言われてるかわからないけど、
そう言われるということは私は全部のヒラルキーの底辺かもしれないって思い出したら、
すごいゾワゾワしながら頑張ってた感じ。
そんなことがあったんですね。
その後はどうなっていくんですか。
そうですね、結局どうも私は三段論法を勉強するっていうのが一番合ってたみたいで、
どんどんどんどんやってるうちに、何かに対して問題に対して考えてアイデアを出して、
その上で論拠とか理由づけを探すみたいなのが好きになっていって、
っていうことが大体好きな感じに育っていったんですよ。
33:00
しっかりしてない真面目がある程度しっかりしたかな真面目みたいな感じになっていって、
就活の時に、最終的に就職はリクルードという会社に行くんですけど、
就職活動をしている時に私がすごい苦手だった部活の先輩がリクルードに入ったので、
あの会社にはいくものかって思ってたんですよ、最初。
だったんですけど、就職活動で内定者相談会とかあるじゃないですか、
内定取られた先輩たちが何人か部屋に行って、そのブースを回って話聞く。
で、たまたまその回ったブース全員が、リクルードのインターンは面白いから、
就職する気がなくても一回受けた方がいいって言われて、
なんかこうみんなが口揃えて面白いって言うのって何?と思って、
その理由が知りたくて、インターンを受けて、そのまま就職したっていう感じで。
そうなんですね。他は受けたりしなかったんですか?
リクルートエージェントとか系列系と、あと観光ゼミだったので、
リッツカールトン受けれないかとか、結局枠がなかったんです。
リクルートを入所してどうでした?
最初面白かったですね。でも大変なので。
インターンの段階で面白い人たちが多い会社だってすごい思ったんですよ。
それもあって就職したいなと思って。
なんかカラーの違う人たちが集まってるんですけど、
全員カラーが違うのに芯が通ってるとこは一緒で、
こんな色鉛筆みたいな人たちで一緒に何かできたら面白そうって思って、
そのまま就職したいって思って。
1年目の時は本当そのまんまの、思った通りの感じの会社だなと思っていて。
最初はホットペッパーっていう、今はビューティーっていう美容の方が有名なんですけど、
当時飲食の方がまだ強くて、飲食店の広告を営業して受注したら自分で書くっていうような仕事を最初していました。
じゃあもうガッツリ営業みたいな。
うん、してましたしてました。名刺配ってこい。100枚絶対配ってこい。
エリアはどの辺でやってたんですか?
最初は茶屋町とか大阪に、大阪支社に所属になったので、
そうですね、茶屋町のあたりうろうろして、途中から北新地をうろうろしてました。
なので北新地の街で、かくれんぼか泥系したら多分抜け道過ごしてるんで勝てるなっていつも思います。
じゃあもうめちゃくちゃあの辺歩いて、いろんなところに営業行ってっていう。
うーん、もうあっちからこっちのビルまで全部当たって、なのでどのビルにオーナーさんがなんて名前で何時頃いるっていうのを覚えて、
36:00
ずっとメモしてその時間に合わせながら調整して巡って、その巡るときに一番効率がいい時間を回していくっていうことで営業しました。
営業成績とかどんな感じだったんですか?
そうですね、話がちょっと前後しちゃうかもしれないんですけど、途中から私ゲストハウスを巡り出すんですよ。
ゲストハウスを巡ってからは営業成績グッと伸びて、結局MVPって言って、社内で一番営業できましたみたいな賞を取れるレベルまで行ったのがゲストハウス行き出してからでした。
じゃあゲストハウス行くまではそんなに普通な感じだったんですかね?
そうですね、社会人2年目の時なんかもう、何て言うんでしょう、営業うまくいかないっていうのと、どっちかというと後輩ができて、自分のタスクも任せられるものも増えて、
ちょっと気の合わない上司と同じチームになってしまって、その上司のチームになってしまって、
自分の中で腑に落ちないままうまく進めず、でもいっぱいできないものがあって、手からこぼれ落ちるものが大量にありすぎて、うまくいけないし、うまくいかないと自分の中でもダメだって思うし、ダメだって言われるし、
もう忙しくなりすぎて仕事が、プライベートもなかったので、なんか自分の人生全部ダメだって思いながら過ごしてる時あります。
それが社会人2年目?
2年目ですね。
じゃあゲストハウスと出会うのは社会人何年目ぐらいなんですか?
そのどん底の時期に会ってます。
何かきっかけとかあるんですか?そのゲストハウスとの出会いというか、営業に行った先がゲストハウスだったっていうことなんですか?
いや、会社の中でどん底になりすぎて、でも周りから変われ変われって言われても自分の中でも変わりたいのに変われなくて、変わる手法が分からなくて、
このまま同じ環境にいてたら自分の変わり方が分からないし潰れてしまうと思って、
サードプレースじゃないですけど、なんかもう一個違う場所が欲しい。そこで自分は何か感覚が違うようにならないと変われないと思ったんですよ。
その頃大阪にいたんですけど、東京に住んでる友人が東京でシェアハウスをしていて、
とりあえずその友人と遊びに行ってみようと思って、その友人のところに行ったシェアハウスの同居人の人に教えてもらったのがゲストハウスっていう。
それまではゲストハウス自体をあまり知らなかったというか、そんなのがあるんだっていう感じで行ってみようってなったんですね。
それは2010年ぐらいですか?
そうですね、2010年なのでもう当時は世の中でもゲストハウスの認知度がすごい低い。
全国に200、300件あるかなっていう今の10分の1ぐらいの数しかなかったんですけど、
39:01
なのでそのシェアハウスの同居人の人も最初会ったとき話をしてたら、ゲストハウスの話は一切出てこなかったんですよ。
で私が悩んでるって聞いて、将来何したいの?って聞かれて、就職してる人に将来何したいって聞くんだと。
なんか就活以来の質問、将来何したいのとか。
そんなこと聞いてくれるんだって思って、その時のその質問に対して何て答えようって考えたのがきっかけになって、
カフェみたいな場所が好きなんだけど、大学の時カフェ巡りも好きだったんですよ。
でもカフェみたいな各テーブルが分離している、お隣さんに話しかけないみたいなんじゃなくて、
同じ空間にいるみんなが分け隔てなく会話しててもおかしくないような、そういう空間が好きなんだけど、それって何だろうねみたいな話をしてて、
でその時の同居人の人は、いや何だろうね見つかったらいいねって言って、その時は一旦解散になってるんですけど、
後日その子からメッセージが来て、あなたが言ってたなんかカフェみたいな場所っぽいけどちょっと違うっていうのが近所にできて、
それがゲストハウスっていうらしくて、安くて泊まれるから今度東京来る時はそっち泊まってみる?って言われて、
ほー、そんなのあるんだ、じゃあ今度行く時行ってみる?ありがとうって終わって、で電話したんですよ、宿に。
そしたら次空いてるのクリスマスしか空いてません。オープンしてる。もう10月にオープンしたばかりなので、
もうありがたいことに友人たちがいっぱい泊まりに来てくれてて、12月25日に一人、農枠しか空いてないので、
ここに一人ってあれですよねって言われながら手帳開いて空いてます。
でそれが初めてです。
そのなんか将来やりたいことって言ってたカフェみたいな、だけどカフェじゃなくて人が同じテーブルで集まってっていうのは、
それはなんでそういうことをしたいというかそれが理想やったんですかね?
またまたカフェが好きなのとプラスワークショップみたいなのがその時代流行りだしていて、
なのでなんかみんなで一つのテーブルに紙広げてポストイットで貼って意見出し合って話そうみたいな、
たぶん就活のノリのちょっと延長戦みたいなのが流行っていて、
で自分たちも就職活動が終わった後に内定者としてそういう場を設けて、
これから自分たちの学年の下の子たちに内定者として話をする機会とかがあったので、
なんかそういうのを通してカフェプラスワークショップ、でもそこまで形式ばってないやつっていうのが頭の中で楽しい空間として残ってたみたいなんですよ。
でそういう隔たりのないカフェみたいなのをちょっと思っていたのはそのあたりがきっかけかなと思います。
なるほど。
でそのゲストハウス初めて行ったところはなんていうところやったんですか?
42:02
えっとTOKOっていうところがあって、東京の入屋って上野の一駅かな隣ぐらいにあるんですけど、
小民家を使ったもうこじんまりした可愛い感じのゲストハウスですね。
へー行ってみてどうでした?
すごい感動したのを覚えてます。
年齢も国籍もキャリアも性別も全部こうやってみんながフラットにしゃべってる感じがすごい気持ちよくて。
で思い返してみた私ちっちゃい頃からその母がもともと鳥取出身で鳥取の親戚とも仲いいんですよ。
で鳥取の親戚母の弟家族にあたるんですけど、そこの子供も私の四つ上と二つ上と一つ上っていう同じようにこう長男長女次女みたいな組み合わせが一緒で年歳がちょっと近いけどトータルで私全員の末っ子で。
でもそんな末っ子の私にもみんな全然家族だからため口でみんな話しますし、みんな普段してる仕事とか学校の仲間は違うけど親族みんなが集まったらみんな仲良くしゃべるんですよ。
多分そこからずっとそういう空間結構好きで、なのでゲストハウス行った時に私がすごい好きだなって思う空間が丸ごとこのままあるし、思ってたカフェみたいでカフェみたいじゃない場所っていうそこが宿にカフェバー併設だったので、
思ってたのがそのまま形にあるぞっていうのがすごい感動して、しかも運営してる人が一個上っていう年齢も近かったので、
当時25歳ぐらいの人が4人でチーム組んで立ち上げた宿だったんですよ。
そっからですね回り始めたの。
そっからゲストハウスに一気にハマっちゃってみたいな。
でもう即興その翌年の1月1日にブログ立ち上げたんですよね。
そうなんです。
なんか後出し情報が多くてあれなんですけど、小学校5年からブログしてて。
これも8個目の姉がパソコンしてたからパソコン触りたいって指定して、で古い方のパソコンじゃあ使わせてあげるよみたいなんで使わってた。
そういう感じのノリだと思うんですけど。
なので当時って言ったらブログをするかみんなホームページ持つか結構普通に持ってる時期だったので。
そうでしたっけ?
個人ブログは結構多かったかも。でも5年生からってなかなかないような気がしますよね。
ドリさん5年生の時って2000年なってるかなってないかぐらい?
1986だったら5年…
11…97
2000年になってないぐらい。
めっちゃ早くないですか?
そうですね。インターネット繋がるの遅いぐらいでした。
45:03
高校生ぐらいだったら当時でも結構いそうなイメージが2000年超えてきたら。
でも正午の2000年前ぐらいってなかなか珍しいような気がしますね。
激早サイバー少女でしたね。
でもその会話をした後って分かる周りがいなかったので、周りには全然言わずに家帰ってブログ書いたり。
ブログも多分ほんと自分の微暴力なんですよ。誰かに見てもらうじゃなくて。
打つ練習しながらパチパチして、かわいいデザインのところに文字が上がるっていうのが楽しくて書いてて。
すごい。日記的な感じで。
もう本当にもうダイアリーです。完全に。
それはずっと継続してたんですか?
継続はしなかったんですけど、それをしていて結構放置していたんですけど、放置しても当時のブログって結構残ってたので、
たまに見返してたりしながら、だんだんその後大学でミックシーとかが出始めたので、媒体が変わっていくんですけど、私の文字が載る媒体が。
でも、なんか結構定期的に書いてましたね。くだらないこと。
どんなこと書いてたんですか?
近所の美容室で髪切ったらすごい短くなって、とかそういう。
そういう、ほんとくだらないやつ。
なるほど。
じゃあ全然そのブログとかは抵抗がなくというか、じゃあ今度はこのゲストハウスはまったんで、これをメインにしてブログ書いてみようぐらいの感じで始まったんですかね?
本当にその通りで。
当時ゲストハウスに出会ってすぐの頃は、社会人2年目仕事うまくいってないだったので、
こんなにいいって思うものがあるんだったら会社辞めてゲストハウスしようって最初思ったんですよ。
でもあまりに仕事うまくいってないのに辞めるってすごい逃げみたいだなと思って、これ現実逃避って感覚だったら自分の中では納得いかないから、
3年ぐらい頑張って会社で成績出して、惜しまれながら辞めてっていう物語を描いて、
そのためにそれまでにゲストハウスを色々調べようと思って、
週末にあちこちのゲストハウス巡って、微暴録に手元のノートじゃなくてブログに書くようになって、
っていうのが積み方になったって感じ。
ご視聴ありがとうございました。
49:16

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