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episode.47 前編 ARCHIVES 田中久徳さん
2024-04-17 54:49

episode.47 前編 ARCHIVES 田中久徳さん

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episode.47 前編

ゲスト▷ ARCHIVES 田中久徳さん

今回のゲストは岩出市のバーバーショップARCHIVESのQさんこと田中久徳さんです!

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ズッ友/ペーパーハウス/和工の藤原ヒロシ/ビューティフルライフ/職業訓練学校/美容師ブーム/交野ゲトーマンション/懲罰坊主

4/28(日)にARCでARCHIVES4周年パーティが開催されます。
ARCHIVESのお客さん以外の方もウェルカムなので気になった方はぜひ遊びに来てください💁‍♂️

番組のオープニングのエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。

楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。

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「kisen radio」で検索よろしくお願いします📲
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感想

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00:22
なんか変になりそうっすね、僕のラジオのテンションが。
ちょっと発車がないように頑張らないと。
冷静を保ちながら。
今日は上田さんから始まってますけど。
あれ?間違ってる。
久しぶりやからな。白石君とやるの久しぶりやからな。
あー、ほんまに。
そうですね。それぞれ一人でやって。
あー、そうっすよね。
お互い、休み、デート、じゃなくて、みたいな感じで続いてるってね。
久々のゴールデンコンビって感じで。
ゴールデンかな。
いいや。
よし、じゃあ白石君お願いします。
和歌山市のアウトドアショップ、キセンランドトレイルの白石です。
有田市のコーヒーショップ、ARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
キセンラジオ第47回です。
本日は、和歌山県岩手市にあるバーバーショップ、アーカイブスで収録しています。
本日のゲストは、ARC上田の気になる人、アーカイブスのQさんこと田中ひさわのりさんです。
Qさんの生まれから現在に至るまでのルーツや、現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
Qさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は、アーカイブスのQさんがゲストということなんですけども、今まで結構紹介してもらってゲストの方に出ていただいてたんですけども、
今回はちょっと上田からのPR的な、このラジオにはプロモーションも含みますって感じで。
4月の28日にアーカイブスさん4周年イベントをARCでやるんですけども、
そのプロモーションも兼ねてQさんにいろいろ聞いていこうかなと思っております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
Qさんから自己紹介してもらってもいいですか。
はい、岩手市でバーバーショップアーカイブスをしてます。
田中久典。
よくQと呼ばれてます。
年齢は39歳です。
同期生ですね。
はい。
アーカイブスってどんなお店ですかっていうのを教えてもらいたいんですけども。
はい、アーカイブスは一応利用室ですね。
利用室はわかりやすく言うとシェービング、顔剃りができるお店。
03:07
利用室だから女性が着れないとかそういうことはないんですけど、
一応男性限定というか、メンズサロンとして営業してます。
はい。
美容室と利用室って違いそれだけなんですか?
美容師法、利用師法っていう法律がすごい古くて、
多分その当時は男性は利用室、女性は美容室っていう時代だと思う。
ちょっと細かいことは覚えてないんですけど、
美容師さんはシェービングしたらダメなんですよ、法律的に。
利用師さんは女性の髪のパーマ、何かしたらダメっていうのがあった気がします。
ただ今は男性、特に男性は美容室にも行かれるんで、
法律が追いついていないというか、時代遅れになっているっていう感じです。
そういう感じなんですね。
垣根がなくなってきてはいる。
そうですね。
その現状に追いついていない。
そうですね。
法律の追いついていない。
分けんでもいいんじゃないっていうのも思います。
免許を一つにするとか。
なるほど。
上田とQさんの出会いなんですけども、
もともと友達だったとかではなくて、
ARCをオープンしてから速攻Qさんが来てくれて、
そこで初めて出会ってなんですけど、
あれは何で来てくれたんですか?
あれは友達に原坂工芸の通称原やんが友達なんですけど、
その子がいてて、高校の同級生で、
それからずっと付き合いがあって、
その原やんから初島で、
こういう仕事をしたでみたいなカフェができるらしいでっていう話を聞いて、
週末の営業って聞いてたんで、
ちょうど第3日曜日が休みで、
一回行ってみようかなみたいな感じで。
なるほど。
原さんにうちのドマとかカウンターとか。
曲線の特徴的なカウンター。
特徴的な。
やってもらって。
なるほど、その繋がりやったんですね。
興味があるなというか、
あの子のした仕事、原やんが実際したのかちょっと覚えてないんですけど、
見てみたかったっていうのもあるし、
初島っていう場所にあまり馴染みがなかったんで、
06:03
行ってみたいなっていうのもあって。
へー。
来てもらって、その日にめっちゃ喋ったような気もしますよね。
何きっかけというかね。
歳が同じ。
多分その時に原やんの話もしたと思うんですけど。
そうですね。
どこまで話したか覚えてないですけど、
息統合したというか。
うん、ありましたね。
はい、そんな感じです。
で、その後僕がアーカイブスさんに髪をちょこちょこ切ってもらうように変わり、
で、現在ずっともにっていう感じですね。
じゃあそんなQさんにこれからどんな感じで今のアーカイブスを作っていったのかっていう話とか、
これからのこととか聞いていきたいんですけども、
まずQさんはどこで生まれた感じですか?
僕は和歌山市の、何て言ったらわかりやすいですかね。
和歌山大学の下というか、今名前変わっちゃってるんですけど、
パームシティだったんですよ。
え、オークワ?
パームシティって名前変わってるんですか?
今なんかね、スーパーセンターオークワみたいになっちゃって。
なるほどなるほど。
そのパームシティのすぐ近くの、地名で言うとどうですかね。
河西って言った方がわかりやすいですかね。
木下とかその辺り。
が実家ですね。
なんかあの茶豆の草君もね。
あの辺ですよね。
友達のおじさんのあっくんもあの辺ですね。
あ、そうなんですか。
河西エリアだから濃いかもしれないですね。
その辺に友達多いっすね。
でなんか、そんな、なんて言うんですかね。
まあなんか川向こうって言われるエリアで。
で特にね、これといって都会とかでもないし、なんですけど。
はい、以上です。
でも結構パームシティとかは賑わってた頃じゃないですか。
当時はね、それまでが多分何もなかったと思う。
パームシティっていつできたんですかね。
小学、何年生やったんですかね。
低学年か中学年ぐらいで。
でなんか当時Jリーグが開幕したみたいな。
でなんかそのJリーグのショップみたいなのがあったんですよ。
それに行った記憶があるんですけど。
ってことは多分小学校、低学年とか。
ですね。
ちょっといつ開幕とかちょっと覚えてないですけど。
09:00
94とか5とかぐらいですか。
そんなんでしたっけ。
じゃあ多分それぐらいですかね。
なるほど。
Qさんはどんな家庭で育ったんですか。
うちは父親、母親、弟、妹の5人家族なんですけど。
父親がこの産伐や利用しやったんで。
小さい頃から家の横に行き来できるお店が横につながってて。
でなんか家の方から父親の仕事を見ながらみたいな感じで。
今とよく似てますね。
今の横に家があって行き来はできないんですけど。
昔の産伐ってそんなイメージですよね。
そうですよね。
中にドアあってガチャッとおばちゃんが出てくるみたいな。
なんか一般的な。
避難塔よりもそういう家県が多かった気がしますね。
昔は。
ちなみになんて店やったんですか。
ペーパーハウスっていう。
めっちゃイケてるじゃないですか。
これはなんかねトリプルミーニングぐらいあったらしいですけど。
トリプルミーニングぐらいあったんですけど。
ちょっと全部は思い出せないですね。
ペーパーハウス髪。
髪ですよね。
髪。髪の毛の髪。
なんかそれもかかってた気がするんですけど。
なんかそんなしっかり考えられたトリプルミーニングではなかった気がするんですけど。
昔の散髪屋さんにしたらイケてる名前っていうか。
まあね何々美容室とかね。
富士とか南とかそういう。
確かにね名前が多かったですよね。
考えたらまあそうですね。
子供の時のQさんどんな感じだったんですか。
サッカー少年やったんですけど。
それまでも結構活発に遊ぶタイプ。
結構その陽キャってわけじゃないですけど。
誰とでも仲良くできるタイプやったのかなとは思いますね。
サッカーいつからやってたんですか。
サッカーは小学4年生ですかね。
じゃあちょうど11リーグが熱かった時なんですかね。
そうですね。
すごい仲の良い友達が何人かいてたんですけど。
毎日のように遊んでた子がある曜日だけは遊べないみたいな。
12:02
それはなんでなんてなったらサッカーの練習行くから。
じゃあサッカー始めたらその子とまた遊べるみたいな感じで。
サッカーがやりたいというかその仲の良い友達と遊びたいからついていったみたいな感じですかね。
ついていったらサッカーも結構ハマっちゃってみたいな。
そうですね。最後の最後までサッカーが上手くなりたいというよりは
友達と一緒になりがするのが楽しいみたいな。
っていうのがありましたね。
ただ勝負に勝ったり負けたりっていうのは勝ったら嬉しいし負けたら悔しいしみたいなのがあって
それなりにたぶん頑張ってはいたと思う。
サッカー部ってイケてるグループじゃないですか。
イケてるというか目立ちたいとか
イケてるかどうかイケてると思ってる。
クラスの中の立ち位置的には結構もう俺たちがこのクラスをみたいな感じですかね。
ないですけどサッカーってかっこいいっていう意識はみんなあったかもしれないですね。
サッカーかっこいいですよね。
たぶんそれはめっちゃ昔の話ですけど
Jリーガーってチャラくなかったですか。
チャラかったっすね。
ロンゲとかね。
ですよね。なんか結構派手な。
そのイメージが派手でやっぱり
そこにちょっと憧れてるところもあるんじゃないですか。
でそこに憧れるやつってどんなやつかって言ったら
やっぱりそういうやつばっかりじゃないですか。
古い友というか。
僕みたいにそういうかっこいいっていうのもあったと思いますし
仲の良い友達がみんな多かったっていうのもあって
やりたいなっていうのは
みんながたぶんあの時代を思ったんじゃないですかね。
サッカー行けてて
ファッションとかカルチャーとか
その辺結びついてる感じもあったと思うんですけど
その辺から他の子ども好きになってきてみたいな感じですか。
そうですね。
やっぱりそういう
他のクラブの友達とかと比較できないんですけど
サッカー部の子ってちょっとそういう人が多くて
特に先輩にすごい影響を受けたというか
当時はやっぱりSNSとかもなくて
自分で
調べられる情報って限られてたんで
15:03
雑誌とかであったりとか
ラジオとかテレビとかで
そうなってきたらやっぱり自分より
いろんなこと経験してたりとか
いろんな知り合いがいてる先輩が
結構憧れの対象というか
先輩にそういうすごい服が好き
音楽が好きっていう人が多かったんで
そこにすごい憧れた感じですかね。
なんでその辺も中学校ぐらいから好きになっていってみたいな
そうですね中学校は
そうですねそれなりにやったと思うんですけど
高校入ってから一気に
一つ目の先輩にすごい影響されてというか
憧れの人がいてて
どんな人ですか
中学校は一緒じゃなかったんですけど
その和光のサッカー部
和光山工業高校なんですけど
和光のサッカー部で
当時からその先輩が
グッドイナフとか
裏腹系ですかね
の服を結構着てて
当時は雑誌で見るだけみたいな感じが多かったんですけど
自分はそれを実際に着てて
すごい興味持って
その先輩とすごい仲良くなって
歴もあって
本当にその先輩のマネージャーじゃないですけど
聴く音楽から好きなブランドからって感じで影響を受けましたね
その先輩どこで買ってたんですかね
その時は多分昔フェイス
オープン&チャリという店とか
和光山やったらフェイスとか
結構色々ありましたよね
ボムトラックっていう
AGとか置いてた店とか
あとは
多分今のルーツがR&Cっていう名前でやってたと思うんですけど
そことか
大阪にも結構行ってたりとかしてて
なんでこういうのを持ってるんやろうとか
なんでこういう情報を知ってるんやろうとか
そんな感じで
雑誌に出てくる人を実際に見てる感じ
なるほど
中古はサッカーしてオシャレしたいみたいな
そうですね
高校の時はサッカーはどうでもよくなって
服とか音楽ばっかりでしたね
一応クラブは入ってたんですか
クラブは一応やってて
一番仲のいい友達がサッカー部の子やったんで
18:05
その子が続けてたんで
辞めちゃうと切れるわけじゃないですけど
その子と会う機会も減るし
続けてたっていう感じはありますね
和光のサッカー部って結構きつそうな
そうでもないですか
昔は分からないですけど
その時は結構短時間で集中するみたいな監督やったんで
練習時間も放課後2時間ちょっと
2時間半とかで
そんな練習時間がめちゃくちゃ長いとかはなかったですね
練習の強度っていうかは
あったのかもしれないですけど
体力系は多かったですね
ちなみに高校の時なんかもうすでに将来何やりたいとか
そんなん決まってたんですか
将来は漠然と
三発屋の息子って絶対に三発屋になるっていう選択肢がちらついてるんですよ
っていうのはなりたくてなるわけじゃなくて
最後これしたらいいかみたいな
保険があった
これって普通の仕事ってあるんですけど
一般の家庭の息子からすると
その選択肢ってないと思うんですよ三発屋っていうのが
それはずっとありましたね
その時から美容師じゃなくて三発屋の方に
でもそれは
当時はキムタックのドラマあったじゃないですか
ビューティフルラティスカ
あれで美容師ブームが多分すごかったと思うんですけど
結構美容師になりたいっていう子が多くて
なんて言うんですかね
ちょっとひねくれてるところが多分あって
家が三発屋やしそのまま美容師になるのもっていう感じで
美容師を選んだと思うんですけど
その選択なんかだいぶしぼいっすね
って自分では思ってたんですけど
今となっては良かったなと思いますけど
当時はやっぱちょっと話飛んじゃいますけど
三発屋に髪の毛を切りに行く
偏見かもしれないですけど
おしゃれな男の子ってあんまりいってなかったと思うんですよ
そうですね
なんかどうしても三発屋って
ちょっと古いイメージがあって
実際自分が働き出しても
やっぱり若い自分と同じ歳の層よりは
ちょっと上の方が多くて
21:03
美容師になっといたら良かったなと思ってましたね
そうっすよね
結構なんか今なんか美容師のターンが来てる気がするんですけど
そうですね
かなり長らく美容師のターンが続いてましたもんね
男も
そうですね正直どうですかね
10年前もうちょっと手前ですかね
10年8年以内前まではもう全然
なんか美容師の方が圧倒的やったんじゃないですかね
なんかバーバーっていうのが入りだしたからですかね
はいはいはい
じゃあその後高校を卒業して
美容師の専門学校はどこに行くんですか
専門学校はもう
父親はなんか資格さえ取れたら
なんかいいからみたいな感じで
で和歌山はもう一つしかなくて美容師の学校が
で今ちょっと名前変わってるんですけど
職業訓練学校
厚生労働省がしてるんですかね
木小倉にあるんですけど
そこはなんか利用家と自動車
整備士さんの整備と木工デザイン家
いくつか関があって
年間の学費も10万前後なんですよ
しかも何なら年末にまたお金が返ってくるみたいな
どういうシステムですか
1万2万返ってきたり
資格取るんやったら
みんな大阪の学校行った子も多かったんですけど
和歌山でもいいかなみたいな感じ
それは県外なんで行かなかったんですか
県外は
服とか好きだったら結構大阪とか東京とか
せっかくだから行きたいみたいに
実際に和歌山の学校通いだしてから
大阪に行ってる子の話聞いたら
うわ羨ましいなとか
それはすごい思いましたけど
その時はあんまり
大阪に行きたいなみたいなのはあんまりなかったですね
もちろん買い物行ったりとか
遊びに行ったりはよくしてたんですけど
そこは何年通うんですか
2年間通って
国家資格の試験受けて
美容師免許を取って
就職って感じですね
通信制っていうので
年間に何日しか通わなくていいっていうのがあるんですけど
24:02
通信制は3年なんですけど
普通に朝から夕方まで通う学校でしたら2年間
専門学校の時僕ら18、19の時とかって
美容師ブームまた
ビューティフルライフの次のチョキチョキとか
その辺の美容師ブーム来てたじゃないですか
あのブームをどう見てたんですか
あのブームを
腹立たしく感じました
羨ましいみたいなのがありましたね
そうですよね
この美容学校出ても
そういう眼差しに乗ってるお店で就職できるわけがないんで
免許が違うんで
美容室ですけど
そういうオシャレなお店もあったと思うんですけど
学生で情報量もない中で
ちょっとこう
半ば諦めじゃないですけど
すごい楽しみとかではなかった感じですね
その時はやっぱり
美容師になったらよかったなみたいなのがちょっとあったと思いますね
あの時はねちょっとなんか
自分で選択したものの
後悔というか
なんか反骨心じゃないですけど
ありましたね
ただどうしたらいいかわかんないみたいな
じゃあその職業訓練校を終えて就職ですか
そうですね
就職はどんな店に
就職は
大阪の
お店は片野市っていうね
北の方
平方とかの横というか
僕も片野市って知らなかったんですよ
のお店で
そこに決まったきっかけは
父親の
美容師の知り合いの方の
ご紹介というかにつないでもらって
オーナーさんがまだ20代で店長さんが若かったんで
っていうのもあって
やっぱりちょっとでも
オーナーさんが若い方が若いお客様が多いかな
っていうのもあったのと
そのオーナーさんの修行というか
働いていた場所がすごい有名な
利用会で有名なお店だったんで
技術も学べるかなという感じで
決めましたね
働いたお店はどんなお店だったんですか
働いたお店は
利用室なんですけど
27:02
利用室っぽくない雰囲気というか
そうですねちょっと美容室
とも見えるような感じで
なんかその自分のちょっと不安やった部分は
若干払拭されてた感じはあります
実際に若いお客さんも多かったですし
メニューというか内容はカットしてシェービングしてみたいな
そうですね
パーマカラーとかもありましたし
そうですねただ
オーナーがやっぱり利用室で働いてたってこともあって
どっちかというとガチガチの利用室だったんですよ
なんで
そういう当時の流行っている髪型とかを
着れる着れないで言ったら着れるんですけど
やっぱり美容師さんとかとカットの仕方も違うし
何より感性ですかね
大きいのは
どういうことですか
僕の勝手なイメージですけど
美容師さんって
多分多少オシャレ好きじゃないですか
はいそんなイメージ
ですよね
でなんかやっぱ自分自身がファッションとか
音楽カルチャー好きで
なんで
なんかその辺の感性というかセンスって
磨かれていってると思うんですよ
もしくはもともとあってみたいな
なんか利用して
その時の僕みたいに家やってるからやろうとかなんで
なんかもうその時点ちょっと違うと思うんですよね
本当に
ベースが
好きで入ってるのとその家業やから
仕事として選んでるみたいな
感じでベクトルが違うというか
技術は身につくかもしれないですけど
こういうのが
かっこいいとか
っていうその辺の感性があんまり
美容師さんに比べたら
あんまり持ってないというか
そういう触れるきっかけない人が多かったのかな
なんかやっぱりちょっと違うなみたいな
結構トレンドに寄せた店やけど
作ってる髪型はそんな
トレンドな髪型じゃなくて
クラシックな角刈り的な感じだったんですか
角刈りのお客様でもいなかったですか
ただまぁなんかね
どういう髪型の
どう言ったらいいんですかね
なんか固い
やっぱりこう柔らかさがない
いやなんかね髪型じゃなくて
その同じ髪型でも
30:00
仕上がりが
なんかこれ美容師さんが切った髪型なんかなとか
なんかわかるんですよ美容師さんが
多分それは
やっぱり美容師って男性が多くて美容室は
短髪が多いんですよ
そしたらなんか綺麗に
きっちり揃えるっていうことを
すごい多分大事にしてると思うんですよ
短髪はちょっとの長さで差が出ちゃうんですけど
美容師さんってやっぱり長い方が多いんで
美容師さんがきっちり揃えないとかじゃないですか
なんか
なんて言ったらいいんですかね
ニュアンスがどう言ったらいいんですかね
カチンと揃えるというよりは
ラフな感じ
遊びがあるというか
みたいな感じの
揃ってないわけじゃないですよ
ただそれが固くならないというか
それがすごい感じてましたね
でもやっぱり当時は
今でこそYouTubeとかInstagramとかもなくて
練習できて教えてもらえるものって
そのお店のスタッフさんとか
先輩とか店長さん
講習会みたいなのもあったんですけど
その講習会も
オーナーさんの勧めで
やっぱり美容組合がやってる講習会だったんですよ
そしたらやっぱりどうしても
同じようで美容師さんと違うような感じ
ちなみにそのお店って結構大きいところだったんですか
いやでも自分入れて
5人スタッフがいてたんで
小さくはないかもしれないですけど
そのうちの2人はオーナーとオーナーの奥さん
で先輩のスタッフさん
で僕と同期2人って感じでした
なるほど
3席ぐらいあってみたいな感じ
でも一応5席ありました
そう聞くと結構やっぱりでかいように感じるんですね
そうですね
就職していきなり切らしてもらえたりしないですよね
そうですねやっぱり資格は取ってたとしても
実際の現場の技術とか全然身についてないんで
やっぱりあれですね
営業終わってからの練習
初めはもう普通に電話取ったり髪の毛剥いたり
シャンプー一番初めにお客さんに触れるのがシャンプーかもしれないですね
それも一応練習するんですよ
店なりの試験があって
これでいけるなと思ったら
判断されたら行かせてもらうみたいな感じ
シャンプー覚えて次はどういうステップで進んでいくんですか
33:03
その店はシャンプーして
でパーマとかカラーとかストレート
趣望矯正とかカットとか同時進行でやってましたね
これは店によって全然違うと思うんですけど
カリキュラムというか
一応なんか全部やってた感じですかね
髪切れるようになるまでどれくらいかかるんですか
切らせてもらったのが2年目くらいですかね
2年目くらいで自分と年の近いお客さんとか学生さんとか
切らせてもらうようになって
そうなるまでに最初人形を切って
実際にモデルさん無料で切らせてください
最後の修正は先輩オーナーがしてくれるんで
という形でモデルさん切らせてもらって
そこがオーナーさんの判断でお客さんって感じでしたね
なるほど
それ1年で切れるようになるのって早いんですかね
どうせ1年半とか2年
オーナーさんが考え方によると思うんですけど
しっかりこのカリキュラムをクリアしちゃうとダメという人と
そこまでガチガチじゃなくて
もうなんかいけそうやから行ってみるみたいな感じ
うちの当時のオーナーさんは
その店のオーナーさんは結構柔らかかったかもしれないですね
絶対何年目からしか切らせてくれないとかもあったと思うんですよ
切れるようになってどうでした
カットの仕上がり動向というよりも
対面して鏡越しにも見えてるじゃないですか
そっちの緊張の方が大きかったですね
しかも時間決まってますし
大体1時間でカット、シェービング、シャンプー、仕上げで予約を取ってるんで
5分ずれちゃうと後のお客さんがね
その5分が10人ずれちゃうと50分ぐらい
予約も全部詰まった感じで
めっちゃ忙しいお店だったんですね
忙しかったですね
ずっとじゃないですけどね
5日はほぼ1時間に1人が5枠とか4枠全部埋まってるみたいな感じで
36:04
40人やったんですかね
みんなでねシェービング
ちなみに当時大阪出て行って
プライベートはどんなことして遊んでたんですか
プライベートは最初はやっぱり休みの日も講習会で練習
これはもうほぼ矯正、反矯正みたいな感じであったんで
その練習と給料がびっくりするほど安かったんです
道具代練習で買って講習代払って
お金がほぼ残ってなくて
古着屋とかは行ってましたけどね
ちょっとでもやっぱり服も欲しいし
ちょっとでも安く買えるとこみたいな感じで古着屋も行ってたり
その時は大阪で一人暮らししてって感じですか
そうですね
住むところも決まってたんですよ
ここに住んでるのが4.5畳のユニットバス
一人暮らし初めてやったんで
分からないじゃないですか比較できないし
ここって指定されてるんで
なんですけど今考えたらなかなかな
確かに
その時大学生でもなかなか
しかも火起こすところがめっちゃ古い電熱式っていうんですか
なんかあるっすね
かとり線香みたいなのが熱くなるみたいな
火が出ないみたいな
そんな感じですごく古かったですね
多分すごい安かったと思います
家賃は出してくれてみたいな
家賃もちょっと補助みたいな感じで出してくれてたと思いますね
全額じゃないんですけど
ただやっぱり安いマンションなんで
めっちゃ変な人いっぱい
どんな人いたんですか
1階の一部がコインランドリーやったんですけど
そのコインランドリーの乾燥機か洗濯機のコンセント抜いて
そこで炊飯器で自分のご飯炊いてるおっちゃんとか
なんかエレベーターで中年男性が激しく抱き合って
そのままスーッと降りていくとか
39:00
すごい何日間もずっと部屋が空きっぱなしで
大丈夫かなと思って覗いたらゴミ屋敷で
和歌山から出てきて大阪ってこんなとこなんや
日常生活が結構
そうですね
そのマンションだけが危険でしたね
肩の全体が下等エリアなわけじゃなくて
そのマンションの中のもしかしたら唯一と言ってもいい
あそこに住んでるっていう話をお客さんにしたら
えらいとこ住んでるなって
肩の中でちょっとやばいエリア
やばいエリアというかやばいマンション
そのマンションだけが有名やったぐらいの
みたいですね
なるほど
髪の毛切れるようになってから給与そんなに
めっちゃ上がるとかはなく
そうですね
何ができるから上がったっていうのが
今考えれば明確になくて
年々は上がっていってたんですけど
そうですね安かったですね
そういう状況なんでモチベーションはどんどん
ないじゃないですか
頑張ったら何か上がるんやったら
もちろん人間がんばったら
上がれたら頑張るっていう人は多いですけど
見返りを求めるじゃないですけど
頑張った分何かがあるって大きいじゃないですか
そういうのもなくて
お店の売上げがいくら
目標売上げみたいなの毎月決めて
毎日今日はこれを意識しますとか
自分の毎日の目標
毎月の目標みたいなの書くんですけど
それに対しての達成率とかで
多少は上がったりはするんですけど
もちろん足りなかったら
言及みたいなのもあります
マイナーがあるんですね
確かだと思います
そこで働きながらも将来的には
独立しようっていう感じで
ありましたね
そういう状況でずっとは働きあんなっていうのと
特に当時はですけど
有料が安い業界だったのかなって気がします
ちなみにどれくらいだったんですか?
手取りでいくらかちょっと覚えてないんですけど
残ったお金が
月に遊べるお金ですね
が1万5千円くらい
それで服ってあんま買えないじゃないですか
確かに
それで
多分休みの日のご飯も食べてたと思います
ただ営業日のお昼と夜ご飯は
用意してもらったんですけど
42:03
それ普通なんですか?
いやそれはなんかね
家兼あるあるじゃないですか
奥さんが作ってくれて
作ってくれて夜呼ばれて
平日営業日の昼夜出てても
残るのがそれくらい?
そうですね
昼のお弁当代は多分
徴収されたと思うので
公衆代
外営部代
とか全部引いたら1万5千円くらいやったんじゃないですかね
じゃあそのお店の収容期間どれくらい続くんですか?
がそこでは
3年?
3年ですね
今考えれば若かったなっていうか
アホやったなと思うんですけど
公衆も習ってきたことが
あまり店で使われないんですよ
なんでかなって考えたんですけど
それは僕らが公衆で習っても
オーナーはそれを知らないわけじゃないですか
それが共有されないんですよね
行ってきて
行ってきましたで終わるみたいな
それが店で使うんかって言ったら
そうじゃなくて
何のために行っているのかなみたいな感じになって
だんだん
利用されているじゃないですけど
いいようにされているみたいな感じになってきて
公衆を行かなくなったんですよ
行ってるっていう体位にして
行かなくなった
僕と同期の子が
それが
バレたんですよね
その公衆には
オーナーの修行先で
一緒やった方とか
そこの店に新たに入った方とかも来てて
多分オーナーの耳に
オーナーの耳に
お前のところの子
全然最近来てないでみたいな
が多分あって
でバレて
そこはもう完全に悪いんですけど
その罰として坊主にされたんですよ
2人で
でもオーナーからしたら
早く仕事できるようになって
要は仕事できない間
ずっとお金出して
投資してるわけじゃないですか
早く回収したいですよね
なんならできるようになってほしい
っていう応援の意味もあるし
それが僕らは
若いんで自己中な考えなんで
見返りもないし利用されてるやんみたいになっちゃって
坊主にもされて
めっちゃこう
一気に嫌になるというか
45:03
今考えても自分が悪いなと思うんですけど
1人の子が
消えて辞めちゃったんですよ
それが年末前で
年末って利用者さん美容師さんが
一番寂しくて
その時に辞められるのって
お店側も言いたかったと思うんですけど
本当に
めっちゃ怒って辞めちゃって
僕も辞めようかみたいな勢いだったんですけど
辞められずにというか
12月は残りますと言って
働いて
でも結局次の年の3月いっぱいで
辞めますと言って
辞めるんですけど
厳しかったというか
高速時間が長くて
自由な時間がなかったというのも
辞める原因
でもあったんですけど
仕事時間どれくらいだったんですか
仕事は
朝の8時
過ぎに
着いて
夜8時まで仕事して
最終の
お客様が何時かに居るんですけど
8時と9時に終わって
そこから練習
練習で12時とか
講習とか行ったら1時
1時半とか
という感じですね
それが毎日
朝練ももしかしたら
あったかもしれないですね
1店舗目を辞めて
どうするんですか
辞めて次の場所探した時にも
父親のお店で
ディーラーさん
パーマ駅とか
カラー材とかを持ってきてくれる
販売してくれる方がいて
その手話のお店に行って
あった方に紹介してもらって
泉さんの
お店に決まって
次はどんな
店だったんですか
次もオーナーさん
次は家県じゃなくて
マンションの1階のテナントにある
なんですけど
オーナーさんはそのマンションに住んで
オーナーさんと
店長と店長の奥さんと
店長の奥さんの
弟さんの
3人の店で
そこに僕が入った
という感じですね
ちょうど僕が入るタイミングで
もともとずっと働いていた方が
辞めるという形で
入れ替わりで
入る形でしたね
次はどんな
店だったんですかスタイル的には
次は
オーナーさん
店長がその1店舗目
よりはもうちょっと上の方
お客さんの層も
平均年齢が上がる感じで
48:03
地域の
お店って感じですかね
子供さんも
多くはないですけど
来てくれるし
年配のおじいちゃんも来てくれるし
みたいな感じで
アットホームな感じです
そこでいきなりカットも
全部やってみたいな
そうですね
若いお客さんは
自分がさせてもらって
先輩も人回りぐらい
上の人だったんで
その人回りぐらい上の層は先輩が切って
みたいな感じで結構分かれてたんで
やりやすかったですね
そこではどれぐらい
やるんですか
そこでは長くて
計10年いました
そうなんですね
そこは
1店舗目と違って
ある程度できるように
やってたんで
そこもすごい教育に
熱心じゃないって
わけじゃないですけど結構自由に
させてくれてて
練習も用意も決まってなくて
したかったらしたらいいよ
講習も
自分の気になるところあったら
どこでもいいっていう感じ
それがすごい居心地が
良くてというか
そうですね
1店舗目と全然違う
お店
そうなんですね
10年か
すごい良い職場でした
その時って
働きながら何歳で独立しようかな
とかそういう計画
立てたりしてたんですか
でもそれが
結構
さっきの利用と美容の話に戻るんですけど
やっぱりまだまだ全然
美容
業界の方が
盛り上がったというか
その構造は変わってなかったんで
そこを
あんま考えなくなってましたね
本当に独立を
っていうことですか
ていうか
諦めじゃないですけど
本当に
なんとなく働いてる感じになってたと思います
働きながら
休日は大阪で遊んで
みたいな
プライベート
を充実させる
みたいな感じで
ある意味すごい
サラリーマン的な
感じやったと思いますね
仕事でこうして
やっていきたいというよりは
休みの日に
こうしたいみたいな感じで
ちなみに何して遊んでたんですか当時は
当時は
でもやっぱり
音楽と
服と
週末の
土曜日に
ほぼ毎週土曜日に
クラブ行ってたんですよ
チャラ
51:00
でも当時は
美容師系とかやって
美容師がDJするみたいな
ちょっと流行ってたんですよ
総括的な
そうやっぱり
美容師なんですよね
流行ってたんで
そこ行ったら
散髪屋の人あんまりいないですけど
同業者のコミュニティ
があって
一気に
広がるじゃないですか
それがすごい楽しかったし
そうですね
それで行ってましたね
土曜日の夜から
日曜日の朝まで遊んでも
日曜日一日頑張ったら月曜休みなんで
まあ
金曜の夜はしんどい
ですけど
金曜の夜行ったらしんどいですけど
土曜日の日だったら日曜ぐらい頑張れるかなと
タフっすね
忙しかったら眠たくなりにくいじゃないですか
暇やったらね
そんな感じで
ほぼ毎週
行ってたんですかね
誰かがいてるみたいな感じで
その時ってまだなんか
イケてる美容室みたいなの
出てきてないんですか
うーん
なんかそのバーバーっていう感じは
全然たぶん
流行ってないというか
たぶんあったと思うんですよ
各全国のいろんなところに
ただなんかスポットが当たってない
っていう感じで
自分もそういう店を知らなかったんで
なんかやっぱり
美容
室風
みたいな
美容室が多かったかなって感じはしますね
なるほど
美容室なんですけど
美容室のちょっと
マネーをしてるじゃないですけど
ポックしてるみたいな
そっから独立に向かっていくのは
どんな感じで進んでいくんですか
でもその独立は
やっぱり一番大きいのは
絵本
うん
54:49

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