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episode.55 前編 アリセキ 薮野睦士さん
2024-08-21 1:01:58

episode.55 前編 アリセキ 薮野睦士さん

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episode.55 前編


ゲスト▷ アリセキ 薮野睦士さん


今回のゲストは湯浅町のイケてるガソリンスタンド株式会社有田石油〈アリセキ〉の薮野睦士さんです。


talk topics


めちゃくちゃ泣き虫/本気の草野球/駅伝/御坊のTSUTAYAは良い/ガソスタはプレイとして面白い/予備校での出会い/チェゲバラ/バックパッカー


どうぞお聴きください💁‍♂️


番組のオープニングのエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。


楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。


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感想

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00:15
和歌山市のアウトザショップ、キセンランドトレイルの白石です。
有田市のコーヒーショップ、ARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio 第55回です。
本日は、岩佐町にある有田石油で収録しています。
本日のゲストは、アリセキのあっちゃんこと、薮野睦士さんです。
あっちゃんの生まれから、現在に至るまでのルーツや現在のこと、
これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。
全米農園の新太郎君の気になる人ということで、アリセキのあっちゃんの登場です。
まずは、あっちゃんから自己紹介してもらってもいいですか?
有田の岩佐町の国土42号線沿いでガソリンスタンドをしています。
薮野睦士と言います。よろしくお願いします。
アリセキはちょっと変わったガソリンスタンドというか、
イケてるガソリンスタンドなんですけど、
どんなガソリンスタンドかちょっと簡単に紹介してもらっていいですか?
僕はガソリンスタンドなんですけど、メインの仕事と言いますか、
車屋さんで、車の販売したり整備したり、塗装とかもやって、
ガソリンスタンドですけど、車屋さん。
2020年ぐらいに改装して、
それ以降はイベントをたくさんやったりとか、
コーヒーだけ飲みに来る人の空間を作ったりとか、
それ以降ちょっと発展して本屋さんをしたりとか、
そんな活動をしています。
もう新太郎君と並んであっちゃんは岩佐町のキーマン的な感じ?
全然そんなことないです。
新太郎君とあっちゃんの出会いは?
新太郎とは岩佐に商売人が集まる友好会という会があって、
僕も商売し始めて、
その友好会は60何年続いている伝統的な岩佐の集まりで、
僕のおじいちゃん、3代目なんですけど、
おじいちゃんの世代で立ち上げた団体みたいで。
あっちゃんのおじいちゃんが立ち上げた?
そうですね。
中心になって立ち上げたのか、立ち上げに関わったのか、
それは僕は定かではないですけど、
立ち上げに関わったと聞いていて、
だからおじいちゃんの引き継ごうじゃないけど、
そんな気持ちで友好会に入ろうって、
03:01
何を知ったか忘れたんですけど、
それに加入して、一応活動する中で新太郎が帰ってきて、
ああいうのは商売をやっている方を募集していくじゃないですか、
その中に新太郎がいて、新太郎が入ることになって、
それ以降徐々に仲良くなってきたというか、
ある時に友好会が世代交代をしたんです。
上のベテランの人たちがグッていなくなって、
僕たちが頑張らなきゃみたいな形になった時に、
新太郎とかと一緒にいろいろやろうぜって言って、
そこから強い結びつきだったというか。
なるほど。
そういうチームというか団体があって一緒に活動しているみたいな。
そうですね。
そういう感じだったんですか。
そうです。
別に高校の時からとか?
全然知らなくて、
新太郎と3つ4つくらい違うんで、
高校とか小学校も違うところなんで、
かぶってないというか。
なるほど、そういう感じだったんですね。
ちょっと入れ替わりくらいの年代でってことですね。
社会人になってから知り合ったって感じですね。
なるほど。
僕とあっちゃんはまあまあ…
僕ね、覚えてますよ。
うやさんと会ったのは確か、
キラ内地で会ったのを記憶してます。
キラ内地が最初ですかね。
あれ?
僕はあっちゃんの噂をロースターズで聞いたんですよ。
ジンコさんから。
なんか言わさのガソリンスタンドが、
なんかトッピースタンド併設して、
アメリカの生きてるガソリンスタンドみたいな、
作ろうとしている人がいるみたいなことを
小耳に挟んで、
ARCを一緒にやってる田中さんと
2人でちょっと潜入に行こうということで、
2人で行って、ガソリンも入れんと、
コーヒーだけ飲みに来るっていうのは。
ジムニーでね。
ですです。
それが、
そっちが最初か。
キラ内地が最初なのか。
そうかも分からんですね。
すいません。
いいえ、いいえ。
記憶違いでした。
僕は勝手に、
上田さんはそこでやったって勝手に思ってたんですよ。
服装まで覚えてるんで。
ちょっとグレーの、
ちょっとシャカシャカした服着てたような。
シャカシャカした服、気がしますからね。
そうですね。
ジムニーの時は、
分かってたんですか?
いや、
話はやって、
どこから来たのかっていう話も確かやったと思いますし、
なんかその、
喫茶店っていうか、
この場所を作ったのがコロナ禍だったんで、
やっぱり来店ケースも少なくて、
ただでも、
イメージとしては、
そうやってコーヒーだけ飲みに来る人も大歓迎って形にしてたから、
なんか、
そうコーヒーだけをめがけてきた初めてのお客さん。
06:03
ちょっと印象深かったってことですね。
ええ、ほんまに来た。
なんかジムニーあそこ泊まったけど、
何やろうなみたいな。
それからエリアも近いし、
よくコンビニで偶然会ったり、
ガストで偶然会ったり。
温泉で会ったり。
なるほど。
で、今に至るっていう感じで。
そうですね。
そんなあっちゃんの、
これまでの話とかってなかなか聞いたことなかったんで、
やっぱりあっちゃんって、
この有関は本屋とかがコーヒースタンド併設してたりとか、
これからも新しい事業の計画があったりとか、
もうめちゃくちゃ面白いことをしようとしてる人なんで、
ちょっとこれまでのこととこれからのことを聞いていきたいと思うんですけども。
いっぱい聞いてください。
はい。
まずは老いたちから聞いていきたいんですけども、
生まれ育った場所は?
この湯浅町ですね。
湯浅町のすぐ近くお城があるんですけど、
もうその上下ですね、
家側。
そこで育って、
幼稚園も小学校も、
中学校も、
高校はまたちょっと違うところに行ったんですけど、
基本的には湯浅でずっといましたね。
家庭環境的にはどんな感じだったんですか?
家庭環境は、
親父、2代目ですね。
ここの有田石油の2代目。
母親、
お姉ちゃんが1人、
3代目の兄貴がいて、
っていう家族構成ですね。
当時の有田石油とかどんな感じだったんですか?
当時の有田石油は、
あんまり興味なかったんですけど、
たまに、
ガソリンスタンドって年末めちゃめちゃ忙しいっていうイメージ、
なんとなくありますか?
はいはい。
そのタイミングで、
タオル畳むんだけ手伝いに来たりとか、
そんなことをやってて、
なんせガチャガチャやってたなって。
ガチャガチャやって、
なんか臭いし、
うるさいし、
もっと声が飛び交ってたというか。
たまに、
夏休みとかになると、
家じゃなくて、
夏休みの宿題を事務所でする。
会社の。
そんなことはやってたんですけど、
そうですね、
あんまりでも関心はなかったです。
親父はいつも電話口で、
なんかよく怒ってるな、みたいな。
電話するなよ、怒ってるな、みたいな。
当時もメインは車屋さんでみたいな感じだったんですか?
その時は、
ガソリンスタンド業がメインというか、
ガソリンスタンドの収益としてはもちろん、
09:00
車にガソリン、燃料入れる。
建設現場に行って配達する。
あとは、
簡単な整備ですね。
オイル交換とか、
タイヤ交換とか、
あとは戦車って感じですね。
いわゆる普通のガソリンスタンドみたいな感じだったんですか?
そうですね、いわゆる普通のガソリンスタンドで、
おそらく過去の話を聞いてたら、
ガソリンの販売に力を入れてるというよりかは、
タイヤ交換頑張ろうぜとか、
そういうことをやってきたガソリンスタンドって感じです。
子供時代のあっちゃんはどんな感じだったんですか?
子供時代の僕はですね、
めちゃくちゃ泣き虫で、
めちゃくちゃ泣き虫で、
記憶にあるのが、
友達の家とか、
幼稚園の頃とか、
遊びに行くじゃないですか。
そしたら、
友達のお兄ちゃんがおったら、
お兄ちゃん怖いって泣いて、
帰らせてくれって言って、
お母さん迎えてくる。
別になんかされたわけじゃなくて。
ただただ怖い。
友達の部屋に行ったら、
ボーイのポスターがボーンって貼ってあって、
それも怖い。
相当泣き虫レベル高いですね。
めちゃくちゃ高かったです。
かなりの昇進者だったと思います。
今もそうですけど。
どんなことして遊んでたとか、
覚えてますか?
記憶にあるのは、
割と外で遊ぶ方で、
小学校時代は、
最初スポーツっ子やったんですよ。
どっちかって言ったら、
走るのが速くて、
クラスの中では一番速い。
みたいな感じで、
プラスボール協議が好きで、
ありがたいことに、
家にBSが映ったので、
その当時、小1、小2くらいまではBSで、
マイケルジョーダばっかり見てて、
バスケばっかり一人でやりまくってて、
そっから、
友達が、
野球が大好き一家がおって、
初めて、
オリックスブルウェーブの知り合いを
見に連れてもらったんです。
その時に、
一郎、
全盛期ですね。
全盛期で、
ちょうど僕ら見に行った試合で、
ライトスタンドで見てたんですけど、
ホームランって一郎が、
そっから一郎のトリコで、
ボール来たんです。
ボールは、たぶん上の方が、
衝撃を受けた。
その時のインタビューのセリフとかも覚えてる。
それで野球とかやり始める?
野球は、
少年野球とか入らずに、
12:00
なぜか草野球チームを僕ら組んで、
友達と3人とかで、
ずっと、
打つと投げると、
ノックだけみたいな。
ずっと繰り返して、
野球大好き少年で、
一郎ファンで、
よくいるじゃないですか、
一人で、
投げる真似とか。
壁に向かって投げてる。
まさにそんな感じです。
一郎大好きで、プラス、
メジャーリーグめちゃくちゃ好きだったんですよ。
その当時。
オリックスブルウェーブと、
シアトルマリナーズ。
一郎が一席してたところが、
姉妹球団みたいな感じ。
それで、
最初にメジャーリーグ、
その当時、
マリナーズに、
どうでもいい話ですけど、
その当時、
マリナーズに在籍してた、
ケングルヒージュニアっていう、
その当時のスラッガー。
そのまま取り込みになって、
そこからもメジャーリーグ大好きだった。
確か、
そこから、
メジャーリーグの雑誌とか、
読み漁ったりとかして、
そこでアメリカ文化を知る。
野球から?
野球から、そうですね。
自分でガッツリやろうとはならなかったんですか?
でも、ずっと、
少年野球じゃない、草野球で、
ずっとやってたんです。
結構本気の草野球。
朝から晩までやるんです。
3人くらいで?
そう、3人くらいで。
練習もかなり独自の?
かなり独自だけど、
打つ投げるは割と、
形になって、
たぶんマネーバックフォートばっかりやってたから、
それなりに、
打つピッチャーの距離で、
投げて打つ、
を僕らアレンジして、
かなり近い距離で投げて打つとか、
急速を早く感じるみたいな?
ノックとかも真正面からやってた。
そういう能力だけは、
ちょっとだけ高められたんです。
草野球以上はいかなかったんですか?
中学校で野球に入りました。
僕ら草野球卒業メンバーが、
1年生で、
3年生抜けたからかな?
1年生で、
レギュラーとかベンチ入りする。
でも投類のスライディングの仕方分からん。
そういう連携プレーとか、
サインってなんやねん。
とかはめちゃくちゃあって。
フィジカルというか、
メインどころはできるけど、
15:00
細かいところが。
全然分からん。
中学校はガッツリ野球で?
中学校は、
野球部1年して、
ちょっとやんちゃな学年というか、
プラスその当時、
IWGPってある。
池袋ウエストゲートパーク。
チーマーのドラマ。
がすごい流行って、
ちょっとオシャレな不良。
みたいなのがすごい流行って。
そういう友達ができ始めるんすよね。
不良友達じゃないけど、
スポーツっ子やったけど、
ちょっと不良。
イヨンサ中学校の中のちょっと悪い子たちと
遊び始めてみたいな。
ちょっと悪いってほどでもないんやけど。
オシャレな感じを
目指してはいたけど、
全然僕はセンスもなかったんで。
それで、
真面目に
スポーツしたりとか、
真面目に何か取り組むっていうのは
すごいダサいって思い始めてしまって。
辞めちゃうんすよね。
プラス僕すごい流されやすい性格で、
一緒に辞めるみたいな。
何かそっちの方で辞める人が
ちょいちょいいたっていう。
辞めて帰宅部で?
辞めたんすけど、
走るのが早かったのと、
選択肢として違うクラブには
入らなくちゃいけなかったのかな。
それで陸上部入ったんすよ。
なんやかんやスポーツ好きやんで、
陸上部をそれなりに頑張ったんすよ。
駅伝とかかな。
有田郡内では
それなりに早い方だったんで、
ちょっと普通に頑張ったんすよ。
どうなんですか?
3年まで?
3年まで。
ちょっと悪い友達とも
一緒にたくさん遊びながら、
でも陸上を頑張る
みたいな生活を3年間。
中途半端な3年間を続けて。
ちょっと後悔が残ってて。
野球に対する?
ただもう野球には戻れんって思ってたし、
野球部の中でも頑張ってる友達が
おったりしたんで、
そういう子たちを意識して、
僕も高校に行って
もう一回頑張ろうと思って。
陸上を続けることにして。
ちょうど僕が
18:02
入学するタイミングで
学生というのが
なくなったんです。
有田だったら学生だった時は
大級高校とか
3つぐらいしか選択しなかったんですけど、
違う郡にも
和歌山市でも行ける。
それで日高高校を選んだんですね。
五房市ですね。
なんで日高に?
陸上が強い、駅伝が強い
高校として
和歌山北高と
その当時だったら和高と
日高高校が
強かったんです。
北高やったら
ちょっと
寮生活で
体育学部やったら男子しかいないな。
和高もちょっと
嫌だな。
日高高校やったら
学生生活も
楽しみながら
陸上も頑張れるな
って思ったので
日高高校にしました。
日高高校って
全然イメージが
どんな学校か
分からんですね。
日高郡っていうところの大級高校
ちょい新学校
みたいな
そんな感じですね。
高校行って
がっつり部活に取り組んで
部活ですね。
そっからは
陸上ばっかりの生活
駅伝ですね。
駅伝って
何キロぐらい走るんですか?
駅伝はいろいろあるんですけど
全部で
合わせて42.195キロなんです。
一番エースの子は
10キロ
3キロ区間が2つと
8キロ区間も
2つかな。
5キロ区間も
2つやったと思うんです。
がっつり取り組んで
結構いい結果が残ったというか
個人としては全く
中学校の頃
これぐらいの練習で
これぐらいの結果出してやったら
本気出したらもっと行くやろう
っていう頭があって
練習続いていったんです。
練習続いていくのがめっちゃしんどくて
強豪校の
洗礼を受け継いだ
むちゃくちゃ意気って入学したんですけど
なんかこうなって
こうなる意味もわからないけど
強くないのに
絶対よいしょみたいな
テンションでいったけど
ちゃんとも続いていかなくて
練習は頑張ったけど
結果は出てない
チームとしては
ちょうど僕ら
1年生2年生の
21:01
時はずっと2位
2位やったんですね
県内でずっと2位やった
僕はBチームの
肉みたいな
しょぼい人走るところ
しょぼいって言い方
短めの
一応
強豪校であればスピードランナー
って言われる
人たちが走るところ
なんとか
でも
僕卒業して
引っ越したの子らすごい早くて
その子たちは全国行って
後輩の子らは
箱根駅に行ったりとか
実業団でも最後走った子とかもいるし
っていう感じですね
部活以外の高校生活は
どんな感じだったんですか?
部活以外の高校生活は
どんな感じだったんですかね
あんまり記憶ないですけど
でも
中学校から引き継いで
ファッション的なことは
好きだったし
主張するところが少ないんで
プライベートもあんまり
なかったから
とりあえずスニーカー頑張った
スニーカー
頑張ってちょっとオシャレしよう
あっちゃんの当時って
どんなものが流行ってたんですかね
僕は
古着屋さんで結構買ったんですよ
だから流行ったものって
分からないんですけど
中学校の頃とかは
DCとかグラビスとか
DC
一番最初に
一番最初じゃないな
中学の頃にDCの
マンテカっていう
あの
スニーカー買ったりとか
あとその
ダンクとか
のローカット
そんなにお金もないから古着屋さんで
見つけたやつ30センチの
ダンク買って
ブカブカのまま
でかばきしてる人いましたよね
僕は基本28センチやったんですよ
でかい
そんな感じでしたね
日高方面に行くって
結構渋いじゃないですか
高校生ってやっぱり
大阪とか和歌山市とか
あっち方面に行きたい気持ちがあると思うんですけど
当時
どんなことして遊んでたんですか
日高
後防市は遊ぶところ結構
満載で
後防はちょっと中心は
栄えてるというか
大きいショッピングセンター
ロマンシティがあったりとか
カラオケも数軒あるし
そんな程度の遊びしかしてないですけど
高校生には
十分やったかもしれないですね
買い物とかは大阪行って
買い物とかは大阪行ったり
24:01
和歌山にも
何店舗か古着屋さんも
あったし
そんなところも買ったりしたかな
結構
一人で電車乗って
大阪行くとか
やってた
一人で行くって強いですね
ブラブラするのが結構好きだった
あっちゃん今結構DJもやってたり
音楽好きな感じがあるんですけど
音楽とかも
それぐらいかな
音楽は
その当時は
めっちゃ好きで
何でも聴く
みたいな感じでやってて
5本のTSUTAYA
すごい良いんですよ
そうなんですか
めちゃくちゃ良くて
音楽聴き始めたのが
最初
お姉
姉から最初
小6の時に
お姉が修学旅行行く時に
お前これ聴いとけみたいな感じで
CDバーって渡されて
すごい宿題
その当時はまだカセットとCDデッキしか
小6の時に出しかなくて
その時に渡されたのが
ハイスターと
ドラゴンアッシュの
初期の
ファーストセカンドあるミニアルバムがある
それとか
記憶にあるのがそれ渡されて
その当時メジャーリーグ大好きっ子やから
興味なかったけど
一応聴こうと思って
聴いて
全然響かなかった
ガチャガチャした音楽やな
高校の頃から
もう一回改めて高校になってから
そういうハイスターとか
その当時ドラゴンアッシュ全盛期
その周りの
人たちとか
高校になってから
ずっとそういう
音楽再発掘を
ずっとやってて
地元の
アリダのTSUTAYAも行って借りて
iPodも出買いしてきたんで
それも
ゲットさせてもらって
そこいっぱい入れてて
午後に
日田高校行った時に
TSUTAYA行ったら
結構すごい
渋いCDがたくさんあって
量もすごかったし
おすすめみたいな
表紙を並べてくれてるやつ
から行くんですけど
そういうのもすごい
良くて
その当時は何でも聴いてた
別にその
偏ってなくて
でも社会人になってから
DJとかそういうのに興味が
それは
もう完全に
ヒップホップと
出会ってしまって
27:03
そういうカルチャー
が大好きになって
それから
なるほど
お姉ちゃんも結構そういうの早めに
教えてくれたりとか
家庭環境的に
みんな音楽好きとか
でも
今思えば
レイ・チャールズとか
ルイ・アームストロングとか
ああいうのが
車の中に掛かってたりとか
ジャズの大御所のマイルス・ウェイビスとか
そういうのが
社内で
掛かってて
昔はつまらん曲やなって思ってたけど
でもだんだんと
大人になるにつれて好きになってきて
そういうのはもしかしたら
身近にやったものが
ちょっと良いものやったっていうのは
お父さんお母さんも
結構そういう文化的なものが
好きみたいな感じですか?
どうなんすかね
結構好きな方
はあるのかな
詳しくはないですけど
その当時流行ったっていうのも
あると思うんです
なるほど
そんな
部活とカルチャーの
交互生活ですか?
カルチャーっていうほどに
その時は感じてなかったんですけど
そうですね
基本は部活で
どっちかって言ったら
月刊
陸上マガジン見てる方が楽しかった
なるほど
そこからどうなっていくんですかね
進学ですか?
進学なんですけど
その当時
駅伝って11月くらいまであるんですよ
そこまで
部活のことしか考えられなくて
割と
あんまり先のことを
よく考えない性格で
今もそうですけど
周りのことは
あんまり見れてなかったんで
なんとなく将来僕は
体育の先生になるんちゃうかぐらい
どっちかって言ったらずっとそういう
スポーツに関わってきて
身近に尊敬できる人が
体育の先生とか
そんな人たち
あったので
それで全然考えてなかったんですよ
その大学受験も実は
体育大学受けたりとか
最初して
見事に全部落ちるんですけど
舐め腐ってたから
ちょうどそのタイミングくらいで
ガソリンスタンドで働かせもたんですよ
全部落ちて浪人時代
ちょっと前後
あれですけど
受験の前くらい
年末の忙しいタイミングとか
そんなタイミングだったんですけど
30:00
その時に
なんとなく
ガソリンスタンド面白いってなって
今となったら理由付けがあるかもわからんけど
その当時は別になんの
その理由もなく
ガソリンスタンドって面白い
普通に
野球してるみたいな感じで
普通にプレーとして面白い
プレーとして面白い
どんだけ効率化できるかとか
仕事の良くしようとかでもなくて
オライオライ大きな声で
誘導して
給油して
お客さんありがとうございましたって見送って
冗談もいいやって
面白いかも
もしかしたら転職かもって思ってしまって
前後は忘れてしまったんですけど
ガソリンスタンド
家の仕事っていうのもあるし
真剣に考えてもなかったんですけど
やらせてほしいって言って
ほんまに深く考えてないですよ
これって決めたらこれ
みたいな感じ
それでただ
今すぐ
しないから
もうちょっと
勉強したいって思い始めて
ちょうどそのタイミングぐらいから
本とかも読み始めるようになったり
何かきっかけあったんですか
きっかけは
家に本が結構あったっていうのもあると思うし
知識的な話をするのが
話してる人たちが近くに
お姉とかも多分そうやったし
そういうのを見てて
なんかいいなっていうのとか
まだまだ知らない世界が
たくさんあるなっていうか
大阪とかたまにフラッと行った
タイミングで
当時鎮埼橋に
スタンダードブックストアっていう
本屋さんが結構大きな
在会屋さんと一緒になってる
そこに行くようになってて
田舎もののスポーツ
からしたら
全然知らない景色がそこに広がってて
素敵やなって
思って
すごい勉強したいというか
欲が湧いて
それで大学に
ちゃんと行きたいというか
それで予備校
ほんまにアホやったから
予備校行かせてほしいって言って
それは無理言って
行かせてもらって
33:01
そこからはもう勉強
予備校はどこまで通ってた?
予備校は堀家にある
寸大
朝始発
で5時20分
の電車乗って
始発乗ったら
天王寺まで一本で行けるんですよ
そこから南場まで行って
歩いて寸大予備校行って
朝から晩まで
勉強してまた帰ってくる
生活を
もう勉強
一年間やって
一年間やって
そこで結構
今でもベースにあるんですけど
たくさんの
刺激をもらいまくって
堀家通って毎日
堀家とか
一切も知らん
直行で
予備校行って
火浴びるのがそのタイミングくらいなんですよ
朝5時20分の電車乗るから
あんまり火も浴びなく
電車に乗って
寸大までの距離ちょっと火を浴びて
そこからずっと
部屋で勉強
夜もそのまま帰るみたいな生活を
堀家にある
たくさんの誘惑には
一切
手を出さず
もうひたすら勉強をやる
そこで
刺激をくれってどういうことですか?
予備校の先生
めちゃくちゃ面白くて
予備校の先生と
競争力が
あるのと
めちゃめちゃ個性的
教えるのが
上手いというか
面白い
人気の先生には
集まって
夏休みとかその人の授業を取ろう
みたいな感じでたぶんその人の実績になる
部分もあるのかな
でちょうど
今でも覚えているのは2人面白い
先生がいて
1人は世界史の先生で
で全然
スタンドの子とはかけ離れるんですけど
なんかその
えっと
世界史の
コロンブス大航海時代
ってあるじゃないですか
あの時代のことについてすごい熱心に
語る人がいて
その人が
いわゆる
三角防衛かな
黒人の人だ
コロンブス西洋が
中南米を
支配して
そこで
モノカルチャー
コーヒーとか麺とかを
作る
農園を開いて
労働者として黒人を持ってきて
でもうその関係性は
だから西洋の人たちと
黒人の人たち
みたいな
36:00
いわゆる
帝国主義的な形
がその時出来上がった
でその世界が
今も続いてるねみたいな
話をされて
でその時に
こういう世界あるやな
って思って
世界ってシステムで
覆われて
圧倒的に貧しい人たちと
圧倒的に裕福な人たちが
いるんやな
っていうことにすごいショックを受けて
僕らどっちかって言ったら
裕福のエリアに住んでる
人たちやから
その和解なりに
言葉の表現として
まあ違うなって思うけど
なんかかわいそうやな
ってちょっと思うようになったんですよ
でなんかそういうのが
ふつふつと芽生えて
で今度
英語の先生が
一人いて
その人はもともと
いわゆる
学生運動をバリバリやってた
でそんな話を英語の
授業にするんですよ
でなんか哲学的な話とか
でその人が
どういうタイミングで話したか忘れたんですけど
あの
キューバの革命家で
チェイ・ゲバラって
知ってますか
チェイ・ゲバラについて話することがあったんですよ
その人の話が
すごい魅力的だって
チェイ・ゲバラ大好きなんですよ
それも
Tシャツとかね
アイコンにされてる
よく見ましたよね
今より多分
よく見たような感じがしますね
でそれから
あの
勉強もしつつ
そっちへ結構引っ張られていくんですよ
そういう世界がある
でゲバラかっこいい
みたいな
思想というか
考え方になっていくというか
無事一年間
勉強して
ギリギリ
思っていた希望の大学に
入学できて
大学生活スタート
その時は
ちなみにどういう学部
目指してたっていうか
将来ガソリンスタンド入れたいから
経営とかそういう感じだったんですか
それはね絶対関係なくて
そういう考えは一切なくて
なぜか
あの
世界がすごい狭いかも
わかんないですけど
お姉も
史学科歴史の
学部だって
でそれで僕も
なんとなく歴史も好きだったんで
それで
そういう史学科を結構目指してたんです
実は
バリバリ文系の
違うところも受けたんですけど
見事にそのほかも落ちたし
39:01
たまたまその
史学科に
合格できたというか
それが
関西学院大学ですか
関西学院大学
正式には
あれって兵庫ですか
兵庫の西宮
ですねいわゆる
甲子園があるところなんですけど
若干エリアがちょっと遠い
違うというか
大和の方というか
大学生活どうでした
大学生活は
ちょっとその
多分ヤバくて
ヤバくてっていうのは
そういう考え方がそういう考え方になってきてるから
なんていうかな
チェーゲバラ
がもう
むちゃくちゃ憧れても
もうちょっと革命思想的な感じ
そうそう
ほんまにそんな感じになってて
危険思想みたいな
なんていうかな
ゲバラさん
はい
ストイックで
自分の信念を曲げず
知的で
行動力があってかっこいい
でそういう正義というか
人たちの
弱き人たちのために戦うみたいな
なんかそういう
モードに多分なってて
いわゆる大学生活を
送ってる人たちを見て
みんなチャラチャラしてるな
って思って
めちゃくちゃみんなチャラチャラしてるな
ふわふわしてみたいな
そんな世の中ちゃうぞ
なんかそういう
ほんまね
革命とまでいかんけど
なんかそんな人たちの
一旦ガソリンスタンドちょっと
もう脇に置いて
そういう人たちのためになんか動かない
みたいな
すっごい影響を受けやすい
性格で
もう完全にそっちに
モードが入ってて
そういうモードの人ってどういう
大学生活を送るんですか
もうひたすら本読むとか
であと
でも結局中途半端なんですけど
その本読むとか
服とかも
一旦一切置いて
もう
基本
古着とか
そういうのはもう開くぐらいの
気持ち
だったっすね
今までアメリカンカルチャー
好きやったのに
ちょっともう一旦置いて
学生服着ようか
みたいな
そんなテンション
思想的な感じになってて
だからちょっとバランスが取れてない状態
です
ただそんな中でも
なんかそういう
学生活動
政治活動じゃないですけど
なんか
何かを
42:00
行動として送りたいから
ボランティア団体みたいなのが
入ったんですよ
直結してるじゃないですか
自分にできることって革命はできないから
経験としてあったのは
その時に
ボランティア団体入って
海外国
マレーシア行って
植林ツアーみたいな
行くことになって
それが
これも言葉として
若干
今はちょっと違うんちゃうかなって
思ってるけどいわゆる
先進国じゃない
発展途上国へ行く
みたいな
体験をその時して
そのボランティア団体
っていうのはサークルみたいな
学生団体で
自分らの
大学以外の周辺の大学の
人たちも
混ざって運営してるような
団体で
いくつか多分
阪神大震災が
神戸一帯ってあったから
その時に結構そういう
学生ボランティア団体
とか
発展してて
その中の一つ
そこは
子供向けのイベントもやってたり
その中の授業の一つで
海外経験を
学生の人たちにしてもらおう
みたいな
そういう
企画があって
その中で僕らちょっと参加して
参加者として行くみたいな
行ってみてどうでした?
行ってみて
そこからまたやっぱりすごい変わって
感覚が
なんかその
もちろん
一応
植林ツアーではあったんですよ
マレーシアの
いわゆる
ボルネオ島っていう
島があって
すごい自然豊かな島なんですけど
いわゆる多分
日本とかにも入ってきている
海外製の木材とかも
そういうところから来てて
木材がどんどん枯られていってて
そういう自然の
そこにいる動植物の
いる場所がどんどん
少なくなってきてる
みたいな場所で
行ったら確かに
山がめっちゃハゲまくってるみたいな
そこで職人して
地域をよくしよう
そこでプラス
ある村に行ってホームステイして
一緒に
現地の人と一緒に過ごす
活動をやってて
なんせすごい
革命家ではないけど
自分のやりたいことじゃないと
45:00
ちょっと直結してたんで
すっごい楽しくて
いい経験できてるなぁ
と思ったんですけど
その時に思ったのが
2つあって
なんか
帰ってきて特に感じたんですけど
あの
豊かさみたいな
話で
一緒に行ったメンバーと
すごい仲良くなって
帰ってきてから
みんなで回転寿司屋に行ったんです
その時の経験は
すごい印象的で
みんなで並んでたんですけど
並んでる人たち
僕たち以外並んでる人たちの表情
めっちゃ暗かったんです
イキイキしてなかったという
みんな携帯触って
下向いて絵画もない
表情も暗い
なんか
今まで当たらないように見てた光景やけど
その時はそれを見てすごい異様な感じがして
これなんかちょっと違うなと思って
いわゆる経済的な豊かさで言ったら
僕たち先進国
日本の方が豊か
だけど
実際
心の豊かさみたいな
は圧倒的に
僕ら負けてるな
表情の豊かさとか
なんかそんなの圧倒的に違うな
そういうのを衝撃に受けたりとか
向こう行って
イスラム教なんですけど
その当時まだ
911の名残がずっと残ってて
僕たちはイスラム教に対してずっと偏見があるじゃないですか
イスラム教のモスクへ行ったりとか
そういう宗教者に会ったりとかして
なんとこの人心に平穏がある人なんやろな
全然印象違うやん
そういうのから
だんだん
実際に
今までは外から見てた知識とか
予想してたものと
全然違うというか
僕らが
いわゆる
金銭的に貧しい人たちを
助けるみたいなのは
これちょっと
違うこと違うかみたいな
感覚にだんだん
なって
いきました
そのツアーを経て
変わるんですか?
そっからもっと
外国への興味とかが
結構あったこと
めちゃくちゃ大きい範囲のことやけど
自分の国とか
48:01
そういうこともだんだん考えるようになる
自分の
またその時がガソリンスタンダードが
働くってなるときに
もちろんそれは地域とか
そういうところに関わっていくわけやから
でも
ある程度
考え方の地盤というか
をもっと固めて
価値観をもっと増やして
いきたいな
みたいな感覚を多分思ったり
あと単純に好奇心が
出てきて
それで
旅の本とかいろいろ読むにあたって
大学生活は
一人旅
バックパッカーみたいなこと
いろいろ刺激を受けつつも
ガソリンスタンダードをやる
っていう気持ちはずっと変わらなかった
確かちょっと迷った
部分もあった
ただただ旅が好き
みたいな感覚で
ふらふらしたいな
そんなのは思ったり
はしました
けど
常にガソリンスタンドで
働く
っていうのを
起きながら
いろんな刺激を受けて
いろんな海外
行ったりとか
したって感じ
海外はどこに
海外は東南アジア
タイ
カンボジア
インド
インドはめちゃくちゃ行ってて
あと
メキシコと
キューバ
これはゲバラさんの
革命を起こしたところだから
最後に行こうと思って
行きました
結構ガッツリバイトして
お金貯まったら
バックパッカー行って
帰ってきたら
お金がない
在学中にですか?
在学中に
どんな感じで行くんですか?
でも
チケット取って
その時ネット情報は限りなく少なかったんで
当時
2000何年ぐらいですかね
2000何年やろ
何年やろ
1桁台
1桁
卒業するとき
2011年ぐらい
たぶん
2008から
前後みたいな
ネット情報も
限りなく少なかったんで
地球の歩き方とか
あとなんかの雑誌とか
そういうところから
51:00
情報を引っ張り出してきて
ルート決めて
行きと帰りの
チケットだけ取って
宿は現地で
探す
みたいな感じですね
これ何なんですか?
何が目的っていうか
一応
各国にテーマなんとなくつけて
東南アジアに
行った時は
一応バックパッカーの
ビギナーズみたいな感じと
東南アジアが
たぶんねその当時僕はそう勝手に
思ってたけど
あとその
陸路で国境を渡る
みたいな経験がすごい
興味があって
それでタイからカンボジアに
陸路で渡ったり
とか
知り合いがカンボジアのアンコールワットに
行ってよかったっていうからそれも
聞いてたし
そういうのとか
インドは完全に本ですね
その時に
藤原真也っていう
写真家兼エッセイスト
の本が
インド放浪っていう
本があって
それが写真もすっごい
抽象的で
文章も
ちょっと普通じゃなかったんですよ
こんな経験って
インドできるんや
そのちょっとこう
ベターっとした
というか
その人は
死についてすごい
語ったりしてるような人なんですけど
なんか
インド行ったら
なんていうかな
死のこととか
一番でもないかもわからんけど
興味があるし気になるところやし
誰しも多少怖い
けど
インド行ったら
ちょっとそういう部分も
たっかんできるのかな
死について
そういう
気持ちでインドに行ったり
したり
あとメキシコは
すぐまた知り合いが
メキシコの独立記念日
っていうのがすっごいもう
お祭りになって
メキシコって
さっき言った
西洋に支配されてきた町やから
全部キリスト教的
町の
作りになってて
大体町の中心に
教会があって
ソカロっていう大きな寺場があって
メキシコシティって首都
首都の
ソカロとか教会
めちゃくちゃでかいんですよ
そこで独立記念日の日
12時回ってたら
54:01
花火がポンポンって打ち上がったりとか
大統領がそこで
演説したりとか
して国間っていうのが
僕らあんまり
独立したとか
あとはさっきも言ってた
陸路で渡るとか
って結構島国で
あんまりないのかなっていう
確かに
日本にいたら感じられない
感覚なのかな
それにすごい
興味がそそられた
全部一人で行ってるんですか
メキシコは
アルバイト先の友達と
行って行きたい
だいたい一人です
一人旅って
寂しくないですか
割と一人で
行ってられるんですよ
行ってられるんですよね
ご飯食べる時とか確かにちょっと寂しいですけど
現地の人と交流して
交流して喋ったりとか
向こうでも友達できたり
するし
同じバックパッカーの友達が
バックパッカーの友達ができたりとか
言葉とかどうしてたんですか
メキシコってポルトガル語
スペイン
スペイン
東南アジアまた
それぞれ別じゃないですか
なんか
本見ながらみたいな
だいたい英語
英語でなんとか
英語通じないこともないですか
あります
僕自体も英語全然
できないので
母国語じゃない同士で
喋ると
なかなか大変やったんかな
そうですね
コミュニケーションはかなり大変
頑張っていろいろ
話したり
いろんな国を経験してみて
どうでした
変わるものなんですか
最初に経験した時の
衝撃が一番強かったですね
ガヤと
一番最初にボランティア行った
マレーシア
そこにどんどん
上書きされていくような感じ
それぞれの国の
経験が
そこに
加味されていくというか
っていうイメージでした
インドやったらこんな感じやった
メキシコやったら
国のこと
こんな感じで
国旗とか掲げて
日本いないな
とか
ボランティアサークルと
そのバックパッカーをやりつつ
そろそろ大学生活も
終わってくる感じなんですかね
そうですね
ボランティアサークルは
その1回きりで
行ってなくて
友達とかとは交流があったんですけど
そこから
写真サークルも実は
57:01
初めて
そういう活動も
ちょっとやったりとか
やってましたね
ちょうど
大学卒業
一浪してるんで
地元の子たちは
大学
とか行かず
普通に働いてる人たちも
たくさんいたし
大学卒業して先に働いてる人たちもいたし
なんか
そういう子たちと
また
地元の子たちとまた遊ぶようになったんですよ
ちょうど大学卒業する手前
3年4年くらいから
僕中学校も
高校も
比田高校行ったし
で大学も離れたんだよ
あんまり交流はなかったんですけど
地元岩佐の子たちと
でも
なんか
遊ぶようになったんですよ
その頃イベントやるみたいな話もあった
こっち帰ってきて
遊ぶみたいな感じ
こっちへ帰ってきたタイミングで遊ぶとか
大学のところ
来たときもあったかな
でそんなので
大阪にいた子たちもいたし
大阪とか京都にいた
友達もいたし
そうですねそんな中で
いよいよ帰ってくる
って感じですよね
それは変わらなかったっていうか
なんか一回別のところに就職
挟もうとかそういう気持ちは
なかったんですか
でも結構
あかんたれで
アルバイト
いろいろやったんですけど自職の
アルバイトとか
何かしらいろいろやったんですけど
結局大学生活
ガソリンスタンドでアルバイトやった
でこっちへ
帰ってきてからもガソリンスタンド
ここ手伝うみたいなことやってて
あかんたれなんですけど
あんまり続かなかったんですよ
他の仕事が
真面目に取り組めなくて
それはなんで続かなかったんですか
すぐサボっちゃうんですよね
面白くないって思って
それよくなかったなって
思うけど
家のガソリンスタンドの仕事は面白かったけど
そのよそは面白くなかった
よそのガソリンスタンドは面白かったんです
でもその飲食とか
別の仕事が
面白くなくて
それはほんまにただのあかんたれ
なんで面白くなかったのかは
今となっては全く覚えてないですけど
よくなかったな
今でも結構反省してる
そのまま卒業して
すぐに家業に入って
そうですね
1:00:00
地元で
頑張ってる
子たち
友達もたくさんいたから
そういう友達にも
刺激もらえたっていうのがあったと思う
ご視聴ありがとうございました
また
お会いしましょう
01:01:58

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