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episode.68 cafe884 林勇記さん 前編
2025-05-28 56:31

episode.68 cafe884 林勇記さん 前編

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episode.68 cafe884 林勇記さん 前編


ゲスト▷ cafe884 林勇記さん

@cafe884


今回のゲストはcafe884の林勇記さんです。


前編では林さんのルーツ、cafe884オープン直前までのお話をお聴きしました。


どうぞお聴きください💁‍♂️


talk topics


バスケとバンド/ギターエンジニア専門学校/ラーメン屋へ就職/やっぱバンド楽しい/北九州へ/カフェっていいな/favorite coffee


photo @ishizuka_ps


番組のオープニングとエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。


楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。


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感想

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00:25
和歌山市のアウトドアショップ、キセンランドトレイルの白石です。
有田市のコーヒーショップ、ARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第68回です。
本日は岩手市にあるカフェ884で収録しています。
本日のゲストは、カフェ884の林勇記さんです。
林さんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在のこと、
これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では、まずは林さんから自己紹介してもらってもいいですか。
はい、自己紹介なんですけど、名前は林勇記と申します。
今年、今43ですね。
確か、確か。
44の年ですね、今年ね。
はい、お店は岩手市の高瀬というところにあります。
カフェ884と言います。数字でね、884と書いてます。
読み名は884なんですけれども、よくね、お店の名前の由来を聞かれるんですが、
ご存知の通り、すごいシンプルに林の語呂合わせでございます。
カフェ林と呼ばれがちですよね。
呼ばれがちですね。
そうなんですね。
なので、どっちでも大丈夫です。
今回、前回出ていただいたニオさんの気になる人ということで、
林さんにご出演いただいてるんですけども、
インタビューに入っていく前に、まずは6月1日のイベントの告知をしないとですね。
ありがとうございます。
6月1日の本町公園で、カフェ884とSUTOMAKOとマーケット和歌山の3店舗合同で
周年イベント、パークが開催されるんですけども、
ハイさん、パークってどういうイベントですかね。
パークはシンプルに、自分たちのバースデーパーティーを自分たちで企画して、
好きな人をたくさん呼んで、みんなにお祝いしてもらおうという。
そういう日です。
なるほど、シンプルな。
シンプルに。
この3店舗は、どういう経緯でこの3店舗で一緒にやることになったんですか。
たぶんね、一番初めは美術館であったコーヒーマーケットだと思うんですけど、
そこであれかな、僕はニオ君と出会って、
03:01
ストマコの永井君とは前職のフェイバリット時代にもつながりがあったんですけど、
いろいろ聞いてると、それぞれがお店のオープンの周年の日が近いっていうので、
何か集まって一緒にやれたら面白いよねっていう話がなんとなくされ始めて、
今年やろうと思って、声をかけてやることになりました。
ちなみにオープン日はそれぞれ何月ですか。
オープン日は僕が5月1日、2人が6月1日なんですよ。
じゃああっち合わせで。
そうそうそうそう。
ゴールデンウィークにあるのも大変よねみたいな話で、
じゃあもうそっち合わせていいじゃんみたいな感じで、
ノリで決まりましたね。
なるほど。
パーク皆さんぜひっていう感じで、
ARCもお呼びいただいてまして、
3店舗だけじゃなくて、
3店舗だけじゃなくてもうめちゃくちゃいっぱい。
めっちゃいっぱい。
だから一緒にやりたいな、来てほしいな、出てほしいなみたいな人をとにかく呼びまくってたら、
今60店舗ぐらい。
めっちゃ多いよね。
60。
ほんまち声埋め尽くす。
やばいっすね。
すごいでかいイベントですね。
結構でかくなっちゃって。
ドキドキしてますけど。
過去にこのキセンラジオ出てもらったお店とか、
いろいろ出てますので、
皆さんちょっとその日に来ていただけると、
皆さんにまとめて会えると楽しい日となっておりますので。
収録はしないですか?
その日なんかトークイベントが、
はやしさん主催で。
僕主催なんかな?
あれしたことないですよね。
なんかありますね。
あるみたいで、そこのワンコーナーに上田が出演させてもらうんですけど、
その時に今回の収録のアフタートーク的な感じの話をさせてもらえたらなと思ってますので、
皆さんそちらもぜひって感じでよろしくお願いします。
お願いします。
はい。
というわけで、そんな人気のカフェ884を運営されてるだけじゃなくて、
お店づくりはまちづくりという理念のもと、
お店づくりに関する情報発信などもしているはやしさんの、
現在に至るまでのルーツをこれから聞かせていただきたいんですけども、
まずはやしさん生まれはどちらですか?
生まれは和歌山の岩手ですね。
岩手で。
この近くですか?
近くですね。
実家もチャリで5分くらいのところなんで。
はやしさんの子供の時の家庭環境とかってどんな感じだったんですか?
兄弟が3人いて、年後の弟と5つ離れた妹。
夫とお母さんって感じですかね。
おじいちゃんは物心ついた時には亡くなってたんですけど、
06:04
おばあちゃんは小学校、高学年くらいだったかな?になくなって。
そんな感じですかね。
お父さんお母さんはお仕事は飲食とかそういう感じですか?
いや全く飲食は誰もやってないですね。
何されてた感じなんですか?
普通に会社員。
うちの母は専業主婦。
自分で趣味のパッチワークの教室をやったりとかはしてましたけど、そんな感じですね。
子供の時はやしさんどんな感じだったんですか?
子供の時は思い出してたんですけどね。
普通のやつだったような気がしますね。
でもちょっと目立ちたがり屋ではあったかな。
生徒会とかに立候補してみたりとか。
そういうちょっと目立ちたがり的な要素はあったかもしれんですね。
キャラクター的にも明るい感じの。
どっちかと言えば明るかったんかなと思います。
小学校時代のエピソードとか覚えてるのあります?
小学校時代のエピソード。
でもやっぱり人を笑わせることが好きで。
例えば漫画を書いてそれを友達に読ませたりとか。
給食の時間に落語を喋ったりとか。
そういうことをやって笑わせるのは好きだった気がしますね。
漫画とか落語とかそういうサブカルチャー的なことが子供の時から好きだったんですか?
別にそれが好きっていうより、笑ってるのを見るのが好きだったんやと思いますね。
だから手段やったんかな。目立つための。
他に好きだったこととか覚えてます?
小学校の時にはまったのはビーズとスラムダンクですね。
ドメジャーな。
ドメジャーです。
バスケは特にめっちゃはまって。
そこから結局高校までずっとバスケ続けたし。
小学校からバスケ始めて。
そうですね。ちょうどスラムダンクがめっちゃ流行ってた時代やから。
中学校も地元の岩手の中学校行ってバスケやって。
高校も中高校行ってバスケやってっていう感じですかね。
中高時代とかどんな感じだったんですか?クラスでの立ち位置とか。
中学時代ぐらいからかな。
みんな大人っぽくなったり。
09:02
例えばファッションが好きになったりとか。
音楽、洋楽聴いてるやつがいたりとか。
ちょっとずつ個性が出てくるじゃないですか。
僕も人とあんまり被りたくないってすごく思うようになったんですね。
いわゆるヒットチャートの曲とか。
すごいアンチで。
当時パンクロックがすごい好きで、ブルーハーツがすごい好きで。
そういうパンクロック以外音楽じゃないって言って一切聴かず。
おじいちゃんになってもパンクロック聴いておるわって周りのみんなに言ってるようなそんなやつでした。
岩手って当時どんな感じだったんですか?
ハエスさんの中高ぐらいの時とか。
まあでも平和っすよ。平和。
そんな荒れてるとかもないし。
一部いたけど、平和な中学校だったな。
僕はずっとバスケと音楽ばっかりやってたし。
そんな感じですね。
音楽もされたんですか?中高あたりから。
中学の時にブルーハーツ好きで、
そのままずっとブルーハーツばっかり聴いたけど、
ハイスタンダードに出会うんですよね。
ハイスターがめちゃくちゃ衝撃的で、
そっからもうバンドやりたいっていうのがすごい強くて。
ハイスターになりたくて、ベースを買いましたね。
ベースボーカルで。
音楽はどんな感じでやってたんですか?
学園祭とかでたり。
文化祭でやるのは高校か。
中学高校とずっと楽器やって、
友達とバンド組んだりとか。
そこの総合体館借りてライブとかやったな。
自分で借りて?
僕が主導でっていうよりはメンバー。
フェスみたいなことを企画してやったんですよ。
思い出したわ。
バスケやってバンドやって、結構イケイケな感じの。
バスケは高校ぐらいになると、
上手い人がたくさんいて、
ベンチウォーマーやったから、
音楽が楽しくて、
バンドの方にだいぶ傾いてはいたけど、
イケイケかどうかわからん。
12:03
俺らに関してはちょっとイケイケな人に言えてしまうんですね。
音楽やってたとかね、バスケ部とかね、
憧れがちょっと。
いやいや、そんなええもんではないですけど。
高校ぐらいになったら将来何やりたいなとか出てくると思うんですけど、
その時に何か思ってたこととかありました?
高校の時、
多分夢みたいなことしか考えてなかったんですよ。
フジロックに出たいとかさ。
具体何かしたいみたいなことはあんま考えてなかったかな。
音楽本気でやってた感じなんですか?
一時はそうですね、何かやろうと思ってやってたけど、
僕はやっぱり人と被るのが嫌っていうのがすごいあって、
当時、今思えばね、
すごいガキやなと思うんですけど、
一般的な道を歩みたくないみたいな感じで、
だから普通に大学行って普通に就職してサラリーマンになってみたいなことを
やりたくないって当時強く思ってましたね。
何になりたいかじゃなくて、
これにはなりたくないの方が強かったかも。
今思えばね。
そこからどうなっていくっていうか、
大学行かずにっていうかね。
勉強がね、とにかく嫌いやったんですよ。
高校の勉強ほんま嫌じゃん。
え、けど中高校って結構この辺では新学校な感じじゃないですか?
今ではね、当時はまだ行きやすかったから。
勉強がとにかく嫌いだったから、
推薦があると。
受験せんでいいと。
これワンチャン受かったら受験なしで行けるやんって思って、
中学の時に。
この国際科にね、
推薦有志があったから、
そこで願書出して、
推薦で受かったんですよ。
ラッキーなことで。
男がね、3人しかおらなかったんだよね。
僕らの台だけ。
国際科って割と女子多いですね、イメージ的に。
そんなんもあって、
だからね、大学行ってまで勉強するっていうのが、
なんかもう本当に考えられなくて。
で、じゃあどうするって思った時に、
音楽に携わりたいと思って、
今思えばね、多分東京に行きたかっただけなんですけど、
東京の専門学校を探してきて、
ギターエンジニアスクール。
15:00
楽器を、ギターを作る?
メンテナンスする?
そういう学校があったんで、
僕、バンド、音楽をやる才能はないけど、
そっちだったらなんとか頑張ってできるんかなみたいな考えで、
東京に行ってって感じですかね。
そうなんですね。
その頃は音楽でフェスに出るとか、
そういうグループで活動して売れるぞみたいな感じでもなくなってたっていう、
いわゆる現実が見えたみたいな。
単純に下手くそやった。
それはずっとわかってたというか。
わかってるわかってる。
だから、
好きやからやりたいけど、
これでも下手くそすぎるなって。
だから、自分で勝手に見切りつけてたっすね、そこはね。
結構ニッチなところに行ったっていうか、
ニッチっすね。
ギター作ったり直したりって。
結局だから今思えば、
ホンマイターが東京に行きたかっただけかな。
理由が欲しかったんやろうね、東京に行く。
じゃあもう18で上京みたいな感じなんですかね。
そうですね、18で上京。
東京のどこに住んだんですかね。
東京のね、練馬っていうとこなんですけど、
そこにどうかな、
学校行った時と、
でも東京に行った時はずっとそこが拠点やったね。
5、6年はそこで住んでたかな。
その専門学校は2年間ですか。
専門は2年っすね。
どうでした、専門学校。
専門学校は、
一言で言えばね、
合ってなかったね。
どういう感じの学校ですか。
学校が合ってないんじゃなくて、
ちょっと考えたら分かることだったんやけど、
要は作業が細かい。
ギター作るわけですかね。
ギター作るために。
チューニングも細かいですね。
やることって、
要はまず製図描くでしょ。
で、この大きい木に描きして、
電ノコみたいなの切って、
カンナで削ってとか、
そういう作業があるんですよ。
それは2年間。
こういうやつ作るんですよ。
ギター、今お店に飾ってるやつ。
これは、
これは作ってない。
買いました。
だから、
それを、
要は手で全部やるんやけど、
めちゃくちゃ大変なの。
配線とかも全部するし、
これはちょっと向いてないなみたいな。
やる前に分かるやろって感じない?
確かに。
18:02
そうそう。
で、当時、
ラーメン屋さんでバイトしてて、
そこの店長が、
結構サブカルに傾倒した人で、
いろいろ教えてもらったんや。
音楽のこととか。
で、
結構その店長と遊んでて、
夜もラーメン屋のバイト終わってから、
一緒にビリヤード行ったりとか、
してたら、
当然学校休みがちになって、
だから最終的には、
無理くり卒業はしたけど、
もうその頃には完全にそっちの方へ行くっていう選択肢はなかったっすね。
楽しかったけどね。
アメリカへ連れてもらったりとか。
それはラーメン屋さんじゃなくて、
学校の授業でというか。
修学旅行的なノリかな。
やっぱ本場的な。
アメリカで、
世界最大の、
楽器のメーカーが集まってやる、
楽器ショーみたいなのがある。
展示会?
そうそう、展示会。
そこへ行くのに、
みんなで行ったりとか。
そういう面白い経験はいろいろさせてもらったっすけど。
めっちゃその専門学校、
通識からそうっていうか、
そうやね。
勉強することが、
ギターだけ。
そこからどうするんですか、就職と。
ちょうどどうしようかなって思ったときに、
バイトしてたラーメン屋さん?
で、拾ってもらったんすよ。
行くとこないなら、うち来ればいいんじゃない?みたいな感じで。
でも行くとこもないし、
2つ返事でね、
行きまーすみたいな感じで。
そこの店長も好きやったし。
職種というよりは、
人で選んだって感じかな。
流れもあるけどね。
そのラーメン屋さんって個人店みたいな感じなんですか?
そうですね、個人店。
グループで何店舗かありましたけど、
そんな感じですね。
最初から社員みたいな感じで。
そうですね、入るときはそのまま。
アルバイトから月給になったって感じですけど。
そうそうそうそう。
そっからどうなっていくんですか?
結構ね、そっからはらんばんじょやったんやけど、
一緒にやろうって言ってくれた店長が、
1週間後に飛んだんすよ。
何があったんすか?店長に。
今思えばね、
あの時のあれやなみたいなのたくさんあるんやけど、
さっきも言ったみたいに、
グループでやってるラーメン屋さんやったよね。
何店舗かあって。
21:01
でもそれが、
体制が変わるタイミングやって、
そのグループから個人店に、
要は解散するみたいな感じで。
会社の役員みたいな人が、
それぞれの店舗の社長になって、
全部が個人経営になりますみたいな。
要は社長が現場に入ってきたんですよ。
なるほど。
社長はやっぱり売り上げのこととか、
そういうことをやっぱりしないといけないから、
店長はとにかく楽しくやりたかったんすよ。
そこがちょっとぶつかっちゃって、
店長がやりたかったことができなくなっちゃった。
それで店長はたぶんしんどくなっちゃって、
続けられなくなったんだと思うんですけど。
でもね、僕当時そこまで押し量るあれもなかったから、
え?いなくなった?みたいな感じで。
パートのおばちゃんから電話がかかってきて、
店長が来ませんみたいな。
マジっすか?みたいな。
じゃあとりあえず行きます?みたいな。
そっからはもう休みなし。
でしたね。しばらくは。
アルバイトでずっと長いことをやったわけじゃないですか。
その店長がいなくなって、雰囲気はだいぶ変わったんですか?
変わったといえば変わったっすね、やっぱりね。
店長の色みたいなのはちょっと変わったかな。
社長が入って、社長のカラーで。
そこに違和感というか、
人で入った社長じゃないですか。
大丈夫だったんですか?
なんかね、もちろんその店長がいなくなったことは
なんか寂しかったし悲しかったけど、
なんかね、これ人のキャラクターあると思うんですけど、
変に、若いからもあるんですけど、
僕オラナマオランみたいな気になってしまって、
で、多分それが一番強かったかな。
だから、やるしかないみたいな感じ。
でもね、それで辞めちゃう人も多分いると思うんですけど、
なんか僕割とそういうピンチの時に、
なんか頼られてる、頑張ろうみたいな風になんか思ってしまう
タイプかもしれんですね。
ラーメン屋さん生活、どれくらい続くんですか?
そこから約2年っすね。
当時はだから結構、ほんまに朝8時とか晩の1時までとか。
でも元気やったから、仕事終わってからまた朝5時ぐらいまで
24:01
友達と遊んだりとか。
そんなこと2年ぐらいやってて。
だからね、今の飲食店の経験の一番ベースになってるのはそこなんですよ。
色々料理を教えてもらったのも、
辞めちゃった店長が色々まかないよね、
作って教えてくれたりとか。
キッチンの仕事とか包丁の使い方とか。
そういうベースは多分全部そこのラーメン屋さんで培ってるような気がしますね。
なるほど。
そこで2年間勤めて、そこで転職ですか?
そうですね。
専門学校時代の時に仲の良かった後輩がいて、
専門学校の毎年の行事で、卒業ライブって毎年やるんですよ。
その生徒同士でバンドを組んで、ライブハウイスを借りて、
要はやると。
その仲良かった後輩が、一緒にバンドやりませんかって声をかけてくれて、
僕も出させてもらって、やっぱバンドめっちゃ楽しいやんってなったんですよ。
バンドやりたい、バンドやりたいって思い始めて、
それでその2年後、バンドやるためにラーメン屋を辞めましたね。
じゃあそこからもバンド活動だけで行くって感じですか?
そうですね。バイトしながらバンドしてみたいな感じですね。
それプロ目指してみたいな?
今思えばプロ目指すって感じでもなかったと思うんですけど、
でも売れたらいいなと思ってはいたんですけどね。
ちなみにどんな音楽やってたんですか?
当時はバンプオブチキンが流行ってて、
ちょうどバンプオブチキンが出てきた時代だったんですよ。
まだ天体観測が出る前、インディーズで売れ始めた。
バンプオブチキンがすごい好きで、
だからバンプオブチキンになりたかったんですよ。
結構ハイスターとかバンプオブチキンとか流行りに乗っていくスタイルで。
そうなんです。
だからギター・ボーカルで作詞・作曲も俺がやるみたいな感じでやってたかな。
そのバンドはどうなっていくんですか?
そのバンドは一応2年くらいやって、
いろんなレーベルに送ってみたりもしたけど、
どこにも引っかからず。
最終的にはメンバー交代もあったりして、
27:01
最終的には音楽性の違いにより解散。
なるほど。
そうそう。
そうやったな。
そのバンド解散して音楽は一旦やめてみたいな。
そこからはやってないっすね。
またなんかやりたいなーって最近ずっと思ってるけど。
誰か一緒にやってくれる人いませんか?
バンドメンバー募集ってことですね。
6月1日にでもね、名前を上げていただいて募集しよう。
そうそう。
その次はどうするんですか?
解散のどっちがさっきやったかな?
当時バンドやるためにコールセンターみたいなところで働いてたんです。
そしたら時給もいいし、シフトも結構ユーズ効くし、
要は都合良かったんですよね。
だからコールセンターでアルバイトしてたんですけど、
そのコールセンターが新宿にあるセンターが北九州に移設するみたいな話になってて、
管理者を無理やり作らないといけないみたいな現場でね。
多分そのタイミングで僕もバンドを解散してて、
今思えばなんですけど、誰でも良かったんですよ。
管理者になってくれるやつ。
東京にいて九州に行ってくれるって言うだけでも、
その会社的には価値があるというか。
手当たり次第みんなに面談して、行けへんか、行けへんかみたいな。
でも頼られると頑張っちゃう生徒だから。
ちょうどバンドも辞めたし、何しようかなってなってるタイミング。
だから行くことでそれなりに出張手当ももらえるし、
一応半年っていう話やったから、
また半年後のことは半年後考えるかみたいな感じで、
いいっすよ、とりあえず行きますみたいな感じで。
そういったね。
九州のどこに行くんですか?
北九州の八幡っていうところにセンターが移設したんですけど、
博多から電車で特急みたいなの乗ったら1時間かからんぐらいかな。
距離感的には岩手と大阪ぐらいの距離感ですかね。
なるほど、それが26、7とかですか?
そうだね、まさに26、7ぐらいかな。
九州生活はどんな感じで?
30:02
九州は基本めちゃ楽しかったっすよ。
食べ物もおいしいし、人もみんないい人やし。
基本的には楽しかったかな。
いろんないい出会いもあったし。
一応そこでセンター立ち上げっていう名目で行ってて、
それなりにめちゃめちゃ忙しかったんですよ。
結構そこで今の仕事感みたいなものとか、
いろんな大事なことを教わったような気がしますね。
どういうことですか?具体的に言うと。
結局自分のやりたいこととか、難しいなこれ。
やっぱりサラリーマンの感覚っていうかな。
その後に入った会社でもそう思ったんやけど、
やっぱり一箇所で同じことばっかりずっと学んでると、
深まるといえば深まるんだけど、
ある意味凝り固まるといえば凝り固まるっていうのもあって、
サラリーマンの世界を知ることで、
自分の視野は広がったような気がしますよね、感覚的に。
あとパソコン触れるようになったのが大きいから。
なるほど。
入った時指でタイピングしてたりとか。
コールセンターってどういう系のコールセンターやったんですか?
インターネットのサポートをやったんですけど、
僕が行った部署はメールの部署で。
だから電話で問い合わせが来るんじゃなくて、
メールでつながりませんとか、解約したいですとか、
そういう問い合わせが来たことに対してメールを返信する、
っていうセンターの管理業務みたいな感じですかね。
そういうのをやってましたね。
その時って仕事はコールセンターの立ち上げの仕事をやりつつ、
普段ってどんな感じで、東京から九州に行ったら、
都会からちょっと田舎へみたいな感じになると思うんですけど、
どんなことして過ごしてました?
休みの日はとにかく、
繁華街に行って買い物を楽しんだりとか、
そういうのがメインやったかな。
カフェっていいなって思い始めたのもその頃なんですよ。
33:04
そういうカフェみたいなものを探して行ってみたりとか、
それこそ博多のカフェ巡りをしてみるだとか、
割とそういうのをインプットしてたのかもしれないですね。
今から15、6年前とか、そんな感じですかね。
下手すれば20年近く前か、今年44年かな。
20年とは言わんけど、前ですね。
当時結構カフェが流行ってた感じなんですかね。
でも、流行り始めた頃じゃないんかな。
僕の都市がそういう都市だったかもしれないですけどね。
世間的にはそういうカルチャーってずっとあって、
なんとなく大人になっていくようになるというか、
多分そんな感じだとは思うんですけど。
北九州、博多、福岡、
とにかくカフェはめっちゃ多かったですね。
林さんのネットとかのインタビューを見させてもらったら、
九州でカフェに出会って、
カフェに転職したみたいなことが書かれてたんですけども、
その時にいいお店に出会ってみたいな。
そうですね。
要は転勤。
6ヶ月の話だったんですけど、
6ヶ月経った時に帰るか残るかって聞かれたんですよ。
帰ってもしゃーないなと思って、やることないし、
残るって言ったんですよ。
で、その時にいろいろ行ってたお店で、
要はあんまり友達らしい友達も少なくて、
完全にアウェーな仲間入って行って、
よく行ってたカフェがあったんですけど、
そこがすごく自分にとっていい時間だったんですよね。
だからカフェっていいなっていうのをその時にすごく思って。
で、多分自分もいつか和歌山に帰るだろうと。
一応長男やしみたいな。
今思えば別に長男でも帰らんでもいいんやけどね。
関係ないんやけど。
和歌山に帰るんだろうなーって。
和歌山帰った時に何しようかなーって思ってた時に、
多分そのカフェをやりたいっていうふうに自然と思うようになったんですよね。
その好きになったカフェはどんなカフェやったんですか?
36:00
いわゆるカフェらしいカフェ。
個人がやってて、ちょっと薄暗くて、
お酒がバーっといっぱい置いてあって、カウンターがあって、
コンクリートの打ちっぱなしと、ちょっと古びた建物というか。
ケーキが美味しくて。
そんなところ。
今もあるところですか?
建物の老朽化か何かで移転して、
その先はちょっと追っかけてないですけど。
なるほど。そこでカフェいいなみたいになって。
やっぱり自分の居場所になってたっすね。
あといつ行ってもお兄ちゃんがいるっていう安心感みたいなのがあったかもしれんけど。
その後どうなっていくんですか?
和歌山に帰るっていうのを思い始めた時に、
順番があるわ。
まずフェイバリットコーヒーとの出会いがあるんですよ。
和歌山は帰省するじゃないですか。
当時店長だった西田さんと、
僕高校で一緒だったんよ。
バスケ一緒にやってて。
だから友達だって。
ちょうど当時多分Facebookとかがやり始めたことで、みんながね。
タケちゃんも同じような仕事してるって。
それ順番ちゃうわ。
カフェやってるやん俺。
カフェやってますね。
和歌山帰るって思うから、
だから今のサラリーマンの仕事、コールセンターの仕事、
これずっとやる仕事じゃないなみたいな。
で何する?カフェやろうってなって。
多分、やめようって思ってやめて。
でカフェに転職したんすよ、当時ね。
それは九州で?
九州で九州で。
いいなって思ってたお店ですか?
そこじゃなくてね、結局、
当時お付き合いしてる女性がいて、
将来のことも考えたなって思い始めてた時で、
今からサラリーマンからアルバイト、しかもカフェっていうのは、
なんか自分の中でちょっと不誠実だなみたいなのもあって、
とにかく社員で雇ってくれるところを探してて、
で一個だけ見つけて、
で結局そこに面接して採用されて、
でそこで勤めることになるんすけど。
そんな感じっすね、流れ的には。
39:02
でそれでカフェの仕事スタートして、
でさっきの話に戻りますね。
なるほど、和歌山に帰省した時にフェイバリットを見つけて。
そう、フェイバリットを見つけて出会って、
で西田さんと再会して、
なんか色々話してるうちに、
フェイバリットコーヒーでもしかしたら働けるかもしれないっていう話をいただいて、
で僕も色々考えてた時に、
面接とか色々していただいて、
でお世話になることが決まって帰ってきたっていう、そんな流れですかね。
なるほど。
その九州の社員として働いたカフェはどれぐらい勤めたんですか?
まあでも3年ぐらいいたんかな。
ちょっとはっきり覚えてないけど。
結構でっかいカフェやったんですか?
そこはね、これまた僕の中では結構いい経験やったんすけど、
美容室が母体で、
北九州の中では結構大きい美容室だったんですよ。
何店舗かあって。
そこの社長が面白い方で、
美容室の待合のスペースにカフェを併設したら、
お客さんも喜ぶし、いいんじゃないかみたいな感じで立ち上げて、
そこでお世話になってましたね。
仕事内容的にはどんなことをしてたんですか?
まあでも基本的に今と一緒ですよ。
ランチ作ったり、デザートしたり、ドリンクしたりっていう、
いわゆる商品を作って提供して、接客してっていう。
カフェの規模としてはすごい小さくて、
席数も10席とか、もうちょいあったかな。
カウンターとテーブルが2つ3つみたいな。
そんな感じだったんで。
日によっては僕一人でワンオペ営業とかしてたんで。
今思えばほんまにそこが全てのベースにはなってるのかな。
料理作ることであったりとか、カフェのオペレーションであったりとか。
そこもまたなんか面白くて。
面白いって言ったらハードル上がるから言いたくないですけど。
そこでもね、店長いなくなっちゃったんですよ。
店長飛びがちですね。
カバーさせてるんじゃないですか?
走ってるんじゃないですか?
なんか吐き出してるのかな?
そんなことはないですけど。
その人はなんで飛んじゃったんですか?
それもまあいろいろ大変だったんでしょうね。
42:03
それも初めカフェは1店舗やったんやけど、途中で2店舗に増えて。
2店舗を社員3人で見てたんですよ。
だからちょっとその統括店長してた人がどっちかに。
普段はこっちの新店の方に入ってて。
普段僕はこっち一人でやってて。
で、統括店長がヘルプに来てくれる日は僕が休むみたいな。
そういう回し方してたんですけど。
年中無休で。
多分疲れちゃったんでしょうね、いろいろ。
タバコ吸うてくるわーって言って、そのままいなくなっちゃって。
なかなかインパクトのある。
こんな話していいんかなと思うけど。
まあまあ、そういう経緯があって。
そっからまた休みなしですよ。
ですよね。
年中無休やし。
途中からタイムカード押すのが楽しくなってくるんですよ。
もう要はずーっと押してるじゃないですか。
これどこまで押すんやろみたいな。
楽しみにやってきて。
何連勤できるんやろ。
コンプリート目指せみたいな。
全部埋めよう。
一つ気分コンプした時に、もう一人の店舗の社員の人と。
もうちょっと休みくれていようって。
普通なんか嫌になると思うんですけど。
でもやっぱね、俺しかおらんと。
やるしかないみたいな感覚でやったから。
まあでもなんかその後にやっぱりすごい経験としては生きてますよね。
当時はサラリーマンから転職したばっかりで。
別に料理のこととかも好きやから家で作ったりはしてたけど。
ちゃんと誰かに指示してやったとかはないから。
昔にアルバイトした時の経験と普段好きでやってるやつの延長やから。
それこそ当時は日替わりランチみたいなのをやってたから毎日変わるんですよ。
クックパッドとかレタスクラブとかオレンジページとか。
そういうやつ見て、これにしよう、これにしよう、みたいなことをやってて。
45:01
だからもう時効やから言えるけど。
思えばまあまあひどいなみたいなのも多分あったはずですね。
これをお客さんに出してお金取ったなみたいな。
でもラッキーやったのはやっぱり人に恵まれてたですね。
今も覚えてるというか、一人すごい常連さんができてめっちゃ来てくれるんですよ。
いろんなサブカルに詳しくて映画が好きで劇団やってて。
去年亡くなっちゃったんですけど。
その方が本当によく来てくれて、僕のことをすごい褒めてくれるんですよ。
今思えば本当に全てのベースを作ってくれたのはその人かもしれんですね。
接客してこっちも嬉しくなったりとか。
あとはその美容室のメンバーもすごい浸ってくれて、
まかないみたいなものを毎日誰かしら食べに来てくれるんですよ。
隣の美容室の子が。
料理を作ったりチャレンジしたりっていう機会がそれなりに与えられてて。
しかもみんながそれを肯定してくれてたというか。
もしそれみんながみんな否定されてたら多分要せんかったかもしれん。
そうやって応援してくれる人がいたから続けられたような気はするんですけど。
その間に料理のスキルも徐々に上がっていってみたいな。
やっぱり失敗は成功のもとですね。
ほんまにそれは絶対そうです。経験としてね。
正解わからんままやるしかないからやるわけで。
失敗してこれしたらこうなるんやみたいなのを覚えていくわけ。
めちゃめちゃ分離してるやんこれみたいなとか。
これってあそこでちゃんと油切ったほうがええんやみたいなとか。
そういうのを肌で覚えていった感じですね。
そして33歳ですかね。
フェーバリットコーヒーへ転職ですか。
フェーバリットはどうでした?
フェーバリットはとにかく大変でしたね。
48:00
なんかね大変っていうのも必死やったんですよ要は。
やっぱり僕の中でフェーバリットってめちゃめちゃかっこいいお店やったし
それまで経験してきたお店とは熱量が違うんですよね。
熱量。
プライドもあるし。
だから俺らはかっこいいお店作るんやっていうその熱量が強くて高くて。
だからとにかく自分のスキルが足らないっていうのは入った瞬間にわかるんですよ。
これは頑張らないみたいな。
だから大変やったっすね。
必死やったな大変というよりは。
どういう仕事してたんですか?
基本的にはキッチンですよ。
料理のことをキッチンを管理する人ということで毎日入ったんで。
だから当時はほんまに一番頑張った時期かな僕の中で。
フェーバリットでは3年ぐらい働かれるんですか?
ちょうど3年半ぐらいかな。
最後は和歌山店の立ち上げが一応最後の仕事やったかな。
和歌山店は林さんが立ち上げたんですか?
いやいや僕が立ち上げたってそんな大それとあれじゃないんやけど
ちょうどタイミング的にそういうタイミングやったから
新しい子たちが入ってきて回るように一通りオペレーションしたりとか
そういうのをやった感じかな。
立ち上げが一旦終わって一段落というかタイミングでドンピツしようかなみたいな。
具体的なきっかけは何かあったんすか?
独立に向けて。
独立のきっかけはそれは九州の時からずっと思ってて
やっぱりずっと昔からある自分でやりたいみたいな気持ちがあったんすよね。
人と被りたくないっていう部分だったりとか。
だから九州の時に独立するは決めてて
こんな店作りたいとか野望とかも全部決まってて。
きっかけか…
今やんっていう
51:01
タイミング?
タイミングはでもなんかこれ僕勝手に思ってるんですけど
ある程度スケジュールじゃないけどね
決めた方がいい部分もあるなと思ってて
だからフェイバリットにお世話になる時も一応3年っていうのを決めてて
逆になんかそこにゴールを設定して
そこに向かっていくみたいな感覚やったんで
そうですね
自分でやるぞって決めた時に
じゃあいつやるみたいな
明日はできへんからな
1年後も無理やな
じゃあとりあえず3年後かみたいな
そんな感じっす
具体的にこの出来事があったからっていうんじゃなくて
もう最初からある程度これぐらいの期間でっていうのは決まってて
そんな感じ
独立決めてまず何から始めた感じなんですか?
一番初めはね
結構その同じタイミングになるんやけど
アイデアノートを書いたんですよ
逆に言えばアイデアノートを書いたことでスイッチが入ったみたいなのもあるんやけど
独立しようって思った時に
ノートにねフリーハンドで書けるだけ書くんですよ
お店の情報
外観とか内装とか野望とかメニュー構成とか
何書いたかなと
コンセプトみたいなのとかそんなんも書くし
BGMは何書けるとかそんなんも書いてた気がする
だから一番初めにそれを書いて
で自分はここから何を身につけていく必要があるのかみたいな
なんかそんな感じかな
それで多分
とりあえずカフェやるんやったらカフェのこと経験せなあかんやろみたいな感じで
カフェに転職して
でよりなんかこう
自分がいつかやる地域でかっこいいお店で働くっていうので
フェーバリットでお世話になってっていう
多分そんな流れっすね
岩部を選んだのは何か理由あったんですか?
いやなんかね単純にやっぱ町内から帰ってこなあかんって思ってたんすよ
それだけっすね
シンプルな
シンプルに
そうなんかねお父さんとお母さんもいるし
妹と弟はいるんすけど
弟はもう多分帰ってけへんやろうなみたいな
54:03
妹はいつかまた都村で行くやろうなみたいな
俺帰るしかないかなみたいな
なんか多分勝手にそう思い込んでますね
思えば別にどこでもよかったんやけどね
じゃあ岩手で物件探し始めてみたいな
そうですねフェーバリットが一応いつまでっていうのが確定してから
お店の企画書を書き始めて
物件探しとかも始めてって感じですかね
でこの場所を見つけて
そうですね
お疲れ様でした
56:31

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