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episode.81 石田延命所 前編
2026-05-06 44:47

episode.81 石田延命所 前編

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今週のゲストは石田延命所の石田真也さんです。


どうぞお聴きください💁‍♂️


talk topics


父の蒸発/ホームレス/ライタ君からの影響/コンタクトと高校デビュー/京都へ/自分の神様/石田延命所になった


番組のオープニングとエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。


楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。

本町文化堂ではお寿司のともみさんのCDも購入できます。


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00:20
きせんアルプスラーニングクラブの白石です。有田市のコーヒーショップARCの上田です。この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio 第80回です。本日は、君野町にある石田延命所のアトリエで収録しています。
本日のゲストは、石田延命所の石田信也さんです。 石田さんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。よろしくお願いします。軽くちょっと石田さんのご紹介させていただきます。
石田信也さんは、1984年の和歌山生まれ、見えない力をテーマに国内外を問わず訪れた土地で集めた廃品や漂着物、
人が浮世となったものなどを主な素材として立体作品を制作しています。
2020年NHK eテレ、天才テレビ君小道具担当、代表的な作品は和歌山県友賀島に2021年制作した高級作品、虚構のアーカイブなどがあります。
2026年和歌山市石田浜町にある河球ミュージアムで古典2回を開催されました。
ということなんですが、間違いないでしょうか。
間違いありません。
石田さんからも軽く自己紹介してもらったら、年齢なんか。
年齢ですか。年齢は確か同い年ですよね。
同い年ですね。1984年生まれ。
42歳ですね。1歳でしたっけ。今年2歳ですかね。
君の町で家族と暮らしながら制作していて、奥さんも画家ということで。
そうですね。奥さんも一応油絵を描いております。
アーティスト夫妻で、お仕事はそのアーティスト活動と、以前ゲストに出ていただいたうっきー藤原さんと一緒に特殊バス隊の会社でも働いてというか。
その2本立てで今は成り立っています。
石田さんと最初いつ会ったのか全然覚えてないんですけど、作品最初に見させてもらったのが、
ナチカツーラでアーケードを初回やった時の海の方に置いてた。
作品。そうですね。
なんじゃこりゃってなってたんですけど。
その時喋りましたっけ。
いや喋ってないと思いますね。
僕も全然覚えてないですよね。
03:01
初対面は覚えてないですけど、いつの間にか普通に喋るようになっててみたいな。
そうですね。確かに。
この間も花井さんのところ、若竹に僕ら家族で泊まってた時に藤原さんも宿泊されてて。
そうですね。
夜ちょっと軽く喋ってみたいな。
そうですね。ちょいちょいそういうタイミングで会ってる感じですよね。
そのQちゃんとも20歳くらいの時に出会って、最近また再会したみたいな。ARCで再会した。
ARCで再会。まさかの。
でまさかのキセンラジオ。一応3人で。
3人で今やってます。
そんな感じで。
という石田さんなんですけども、前回出ていただいたウッキーさんとの関係は会社も一緒で。
会社も一緒でというか、普通に出会いは19歳くらいの時にバグースで浜辺でほんまに会ったって感じ。
バグースで浜辺で会った。
すごいかっこいい道具箱を持ってて、声かけた気がしますね。
その時ちょうどポートフォリオ持ってて、作品見てくださいって感じで見てもらって、
そこでサインしてもらったんですよ。
あなたの人生を保証しますみたいな。
それ今でも持ってますけどね。
サインしてもらって、ウッキーさんのことはその時からアーティストとして知ってた?
いや知らんかったですね。全然知らんくて。
でもなんか多分面白かったしかっこよかったと思ったんですかね。
それからずっと一緒にいてたわけではないですけど、
僕も大学とかで京都行ってたんですけど、帰ってきたタイミングでまたバッタリ出会って、
またそこから一緒に会うようになったって感じですね。
なるほど、そんな感じだったんですね。
今は特集伐採の木村林業の海南市でやってる木村陽平君のところでアルバイトみたいな感じで行かせてもらったんですけど、
それも不定期で、お互いのタイミングのいい時に手伝ってって感じで行ったりとか、そんな感じでやってて。
もともとはウッキーさん家族と木村君家族と僕らの家族で一緒に田んぼをやろうみたいな話で、
そっから多分手伝わせてもらうことになったんかなって感じですね。
06:10
このアーティストしながら特集伐採もしてる石田さんが今までどんな人生を送ってきてこんな感じになったのかっていうのをこれから聞かせてもらいたいんですけども、
石田さんは今は君の町に住んでるんですけど、生まれはどちらですか?
生まれは和歌山市です。
和歌山市のどの辺ですか?
ブラクリ町の中で母親がお店やってて、そこにいてたって感じです。
何の店ですか?
服屋さんですね。
よくゴルフとかでめっちゃダサい犬のボカーンみたいなやつあるじゃないですか。
あんな服売ってました。
ほんまにめっちゃ高く。
ガルフィーみたいな。
ガルフィーそんな名前ですね。
お母さんが店やっててお父さんとかは何やってますか?
お父さんはいろいろあって、小学校の時くらいに飛んでいなくなっちゃったんです。
起きてがみ出ていったみたいな。
あれはそうですね。
今回そのキセンラジオの時代を追って、あれがちょっと自分でも恐ろしいなと思いながら。
過去が結構。
なんで今こんなことやってるんだろうっていうのを。
当時は多分想像もできひんかったんで。
怖いなって感じですね。
やり方変えてほしいなって感じします。
なんでこのやり方なんすかちなみに。
なんでこのやり方なんすかね。
けどなんか今やってる人のルーツが気になる。
僕は個人的に気になるみたいな感じですね。
繋がってないことが多いんですけど、知った上で今の活動を見てたらより面白いなっていうのを僕が思うので聞きたいなって感じで。
結構出た人は自分のことをそこまで考えることないじゃないですか。昔のことなんて。
そうっすよね。
だから結構整理できたとか、なるほどなっていうことがあるとかいうのは聞いたことありますけど。
ありがたい。
そうでも、僕はそういうことあるんかなって感じがちょっと怖い。
え、けど生まれてそのお父さんいる期間の時はお父さんは仕事とか。
してましたね。カッチリした銀コインしてましたね。
09:06
僕もね詳しくは知らないですよ。
小学校何年ぐらいの時にいなくなったんですか。
何年やろう。低学年やった気がしますね。
ほんまにほんまに7000近くぐらいのメモ帳にお世話になりました。探さないでくださいって書いて。
学校帰ったら言ってなかった。
それは石田さんが帰ったらメモ発見して。
ほんまに泣きながらもう町中探して回ってみたいな感じ。
それ原因は結局何やったんですか。
大人の理由じゃないですかね。
大人の理由。
僕もお母さんはいろいろ苦労してますけどね。
じゃあそっからは女で一つでみたいな感じで。
兄弟とかどんな感じなんですか。
姉貴がいます。
大阪に今住んでます。
子供の時の石田さんどんな感じだったんですか。
ほんまに普通の。
特に明るくもないけど。
どっちかというとネクラな。
でも外で遊んだりはしてましたけど。
その時から絵描いたり物作ったりとか。
いや全くしてなくて。
もちろん工作とかは好きだしレゴとかも好きだったんですけど。
プラモデルとか。
でもほんまにみんなと一緒のようなことしてた感じで。
物とか拾うのは好きっちゃ好きだったですね。
でもその意識して拾うっていうよりかは
なんか気になったものを拾って知らないどっか行ってるみたいな感じの。
普通の子供的なところですね。
でも結構思い返せば公園で遊んでることが多くて。
今はそんなに行ってないですけど
街にホームレスの人とか結構いたじゃないですか。
公園にもそういう人が住みついてて。
その人と結構仲良くなったり。
ラジオで汚い話ですけどお尻のこの割れ目を。
ほんまに汚い話。
ズボン穴開けてて。
ほんでおいお前ちょっと来いって言って。
これお前ズボン脱がんでもうんこできんのよみたいな。
おっちゃんすげえなみたいな感じで。
そういう学校では教えてくれないことを
教えてもらってたりしたり。
家とかもかっこいいじゃないですか。
段ボールで組み立ててたりとか。
12:01
僕ももちろん秘密基地とかも作りまくってたし。
あとやっぱ公園に結構当時紙芝居のおっちゃんとか
傾きのおっちゃんとかも来てて。
そういうのもやっぱ記憶に残ってて。
だってあれは趣味でやってたんかとか思うじゃないですか。
確かに。
子供から数十円でそんな生きていけるわけないじゃないですか。
何を思ってあの人らはそんなことしてたんやろうなとか大人になって思ったりして。
僕も今どうなってそうなったかわからないですけど
今後から思うのはやっぱそういう存在になりたいというか
街にそういう人もどんどん減ってるから
やっぱちょっとこう違和感を与えるような存在になりたいなって
そこで今思い返せばそんな感じですかね。
ちょっとその人たちに憧れてみたいな感じもあったんですかね。
そうですね。
なるほど。
え、けどあの辺やったら小学校とかどこになるんですか。
僕本町小学校にいたんです。
本町小学校。
今もうないっすね。
そうですね。
で、その後中学校はどこの。
復古中学校に。
復古中学校。
中学校生活はどんな感じだったんですか。
中学校生活。
あーだいぶ暗かったと思うけどね。
なんかちょっと。
お父さんいなくなっちゃって暗くなった感じなんですか。
いやそんなことないですけど
なんか
まあちょっとした
これ結構みんな聞くっすよねこのラジオって。
いやそんな聞かんす。
まあいいか。
友達とかに結構
なんかその当時
ノリで言ってたと思うんですけど
なんかキモみたいなこと言われた
ちょっとしたこととかが
結構引っかかったりして
そっからすごいうちにこう
こもろい鳴り出して
でなんか全然
なんか
オープンになれへん
くなった感じはありましたけどね。
中学時代かな。
だから結構
でもその中でも
一人
なんか
ライターくんっていう友達がいてて
その子は
なんかすごい
かっこよかったんですよ当時から。
どういう
なんかね
収穫旅行とかで隣にバスで隣になってて
でなんかその子は
ライターくんはこう
自分の
ミックステープみたいなの作ってきてて
でなんか月っていう
15:00
歌詞が
入ってる
音楽だけを
自分で繋げ合わせたりして
それ聴いてて
一緒に聴くみたいな感じで聴かせてくれたりとか
そういうのが結構
嬉しかったりして
高校卒業するあたりって
なんか再会して
一緒に遊ぶようになって
そこでなんか
一緒に絵描いたり
しだして
でその
なんか音楽爆音で
描けながら
なんかもうようわからん
絵を描くみたいな
で描いたやつをこう
和歌山駅の
前に売りに行ったりとか
なんかそんなことしてて
その友達は今も
なんかアーティスト活動したりとか
どうしてんすかねまああんまり会ってないですけど
めちゃめちゃ都会
というか和歌山の中で
一番町の
子供なわけじゃないですか
当時なんかどういう遊びとか
あでも公園で
遊んでて中学校の時
中学校の時は
何してたんやろうな
部活やったりですか
部活もねそんなに
ちゃんとやってなかったんで
何してたんやろうな
あんま覚えてないっすね
高校金服
行くから結構勉強頑張ってる
勉強やってたんかな
勉強はほんまに最後の最後に
めっちゃやったっすね
塾とかは行かなかった
塾行ってたっすね
まあ塾とまあ
家ぐらい
なんかほんま何も考えてないです今も
そうやけどだから
その時の環境が
なんか疑問にも思わずに
なんかその時もやっぱ
勉強せなあかんって思って
勉強してたし
でも高校行って
勉強がめっちゃしんどくなって
ついていけへんくて
ほんまにその
反動で今こうなってんちゃうか
ぐらいの
超親福思うんですけど
金服行って
どんな感じになるんですか
金服行って
ちょっと明るくなりだして
それはね
結構僕コンタクトやったと思うんですよね
コンタクトしてからすごい
なんか普通にやっぱ
メガネって視野狭いじゃないですか
ちょっと暗くなるんですか
レンズとか汚かったら
コンタクトにしたら
すごい視界が開けて
パッて明るくなった気がして
それがまあ高校デビューですよね
多分
コンタクトと高校デビューが
かぶって
なんかすごい多分
切り替えれた感じは
18:02
ありますね
中学で
友達もおったし面白かったんですけど
高校行ったら勉強はしんどいけど
なんか楽しいなみたいな
そうですね
その時なんか
何やってたとか覚えてるんですか
高校の時は
ほんまに何してたんやろう
勉強
嫌やなって言いながら
勉強させられてたみたいな
結構厳しかったんでね
やっぱ残らされて
なんか
テストのなんか
やったりとか
補修で
再テストみたいな
そんなことやってましたね
その時なんか
将来どうしようとか
そんなんて考えてたんですか
いや全く考えてなくて
普通にその時も
みんなやっぱり
近代医学校って
大学目指すじゃないですか
偏差値の高い大学目指すみたいな
だからそれが
当たり前かと思って
でまぁ受けたんですけど
全然受からなくて
全部落ちたんですよ
でその時に
なんか
いろいろ思い返したのか
出てきたのが
そのライター君と
絵描いた時の
感じの
感覚が
やっぱ
面白かったなと思って
で親に頼ん
見込んだ
美大に行きたいって言って
でそっから
なんかデッサン
じゃないですか
試験
それを習いに行ったりして
で受験したって感じですかね
えその
ライター君と絵描いて売ってた
期間は結構長いこと
やってたんですか
いやでも1年2年ぐらいじゃないですか
それ以外では
特になんか制作やったりとか
することはなく
うん全然してなかったです
家では何もしてない
なるほど
あこがれてたんですから
やっぱりアーティストっていうものに
その時にちょうどやっぱバスケ屋の
なんか映画見たんですよ
ジャンミセルバスケ屋
ドキュメンタリーかなんか見て
その
人に憧れたっていうか
アーティストって
かっこいいなって思って
そんな人になりたいな
っていうのは薄々思いました
バスケ屋の人自体も
かっこいいですもんね
そうですね
で浪人して美大受験みたいな
はい
一浪で受かってるんだ
えどこ行くんですか
もうそれもなくなっちゃったんですけど
21:01
えっと
京都の長岡教師に
あった大阪生計大学の
芸術学部っていうのが
あって
そこに行ってました
そこ選んだ理由とか
あ受かったから
それもねやっぱ
なんかやっぱり
いいとこはもっと
そこは結構手に割れしてたような
感じだったんですけど
でも結果良かったですね
そのやっぱこう
違う学科の子らと友達になれたし
先生もやっぱ
距離が結構近かったんで
まだにお世話になったりとか
しますね
大学では何を
学んだんですか
そうですね受けたのは
現代美術っていう科目やったんですけど
当時
1年生で入った時に
なんかすごいフィギュアの
原型師の人がいてて
2年
上の学年に
生徒で
そうですね
仕事しながらも学生
学生やけど仕事しながらやってるみたいな
感じで結構
すごい人やったんですけど
その人
の流れがめっちゃあって
みんなフィギュア作ってて
でなんか
僕そんな興味なかったんですよ
でなんか何でもやっていいって言われてたんですけど
先生からも
でもなんかすごいフィギュアモードやったから
あれって思って
で先生に相談したら
なんかアンケート取ってみたら
みたいな感じで言われて
1年生の時って
階級動けたんですよ
クラスを移動できたというか
違う学科に動けたんで
現代美術から違うところに
そうそう
いろんな学科の先輩とかに
この学科のいいとこ悪いとこ
みたいなの聞いて
回って
でまあ
テキスタイル学科
に動いた感じですね
でテキスタイルで
染色
染めとか織りとかがあるんですけど
最終的には織りを先行して
で織物やってたみたいな
え織物ってあのなんか
この織り機みたいなんで
布作ってみたいな
それも結構分かれて
美術寄りに行く人と
服の方に行く人と
僕はどっちかというと
ほんま織り機に
銅線って
銅のあれじゃないですか
コイル作るみたいな
あれとかをかけて
フォークとかで織ったりとか
結構そういう
布ってよりかは
作品にミクストメディアみたいなことを
やってて
それに別の物質を入れていくような
そうですね
24:00
カセットテープ編んだりとか
そんなことしてました
大学の
大学何年やったっけな
3年か4年かどっちか忘れてたんですけど
その時初めて海外に行って
その時にもうガラッと変わってもうたみたいな
海外にこう
打ちのめされたというか
どこ行ったんですか
タイに行ったんですけど
なんかやっぱり
小さい頃から
結構家庭が
きっちりしてたというか
ほんまにお菓子ばっか食べてたら死ぬって
本気で思ってたし
そうですねだから
それが結構
コンプレックスでもあったんですよね
友達が遊びに来たら
来るってなったら
親がめっちゃ
掃除しだしてめっちゃ綺麗にするんですよ
そんなとこめっちゃ嫌やって
友達の家行った時に
すごい
家綺麗やったりしたら
汚かったりしたらめっちゃ
憧れてて
いいなみたいな
今となっては今日来てもらって
あれですけどほんまに汚いから
綺麗にしたい
綺麗にしたいと思うんですけど
その当時はやっぱ
そういうのが嫌やったりして
でやっぱ
だからほんま海外
でもそういう親が
海外は早く行った方がいいって言ってて
でそんなのもあって
タイに行ったんですけど
ほんまにだからその時に
当たり前って
思ってることが覆されて
というか
自分が絶対やと思って
積み重ねてきたものが
なんか一気に崩れた
というか
人ってどうやって生きていけるの
とか
その時僕が
あれだったのはすごい神様
子供に
どんな神様
信じてんのみたいな聞かれて
答えられなくて
タイの現地の子供に
そうですね答えられなくて
神様って
なんやろみたいな
でも確かに神頼みとかも知ってたし
あの神
自分が願ってた神様って
なんか
すごいぼんやりしてんなと思って
でも
タイの人たちは
その対象が
すごい
なんか
ボテボテのコンクリートでできた
なんか
仏像とか
なんか描けてるやんみたいなやつとか
その上にペンキ
何重も塗って
そんな
日本とは全然
違うなって感じて
日本ってやっぱこうずっと隠されてたり
とか
27:00
あの
めっちゃ綺麗
なんかビジュアルもすごい綺麗じゃないですか
内物とかもねそうですね
そう
その違いというか
でもやっぱり
そんな日本で育った僕も
神様のことはあんまり理解してない
というか
なんかすごい時だけ神頼みして
うん
でも向こうの人は結構それが
日常的に
自分の近くに
そういう存在を持ってて
その信じてる力というか
真っ直ぐな気持ちみたいな
祈ってる姿とかを見て
すごい美しいなって思って
憧れて
で僕も帰ってから
自分の神様
作ってみようと思ったんですよ
ほんで
作ったのが
始まりというか
うん
それは何を作ったんですか
マスクを
86個作ったんですよ
多い
仮面ってことですか
そうその時は
壁掛けのようなもの
紙粘土で作って
はい
で当時住んでたところが
不粘ごみのヒッテムがあって
それがほんまみかんのコンテナ
並べたところに
みんなこう
ぽいぽいしてるんですよ裸で
だから言ったら
選べるというか
それでまあ街中で
色々
何曜日はここみたいな感じで
夜な夜な
選びに行って
でそれを
素材に
作ったのが
廃材を使うきっかけになった
きっかけになるというか
急に織物から
廃材使うってなったの
なんかそれなんでだろうなって
僕も
ほんまにお金なかったのもあるんですけど
なんかやっぱ物が好きやっていうのもあるし
リサイクルショップとかも好きやったんですよ
はいはいはい
だからそういう感覚に近いというか
なんか
掘り出す感覚があるじゃないですか
ゴミとはいえど
結構きれいやし
昨日まで使ってたようなものやし
そこからまあ選ぶみたいな感じで
そうですね
そんな感覚でしたね
別になんか
何か理由があってとかじゃなくて
とりあえずそこにあったから
使おうみたいな感じじゃないですかね
そうですね
なんか理由あったり
理由あったりするんですか
廃材を使うようになった
特にない
特にない
たまたま目についたということなんですか
そうですねそこにあったからですかね
廃材使ったらみたいな誰かに
言われたでもなく
でもなく周りにそういう質問
30:01
言ってなかったし
そうだから和歌山帰ってきたときに
ねげんじろさん
はじめ
うっきーさんとか
セリザーさん
セリザー公務店のセリザーさんとか
結構廃材使ってる人がいてて
なんか和歌山
盛り上がってると思って
なんかすごい嬉しかったんですよ
なんか廃材の情報を
いろいろ共有できたりして
うっきーさんとかもほんまに
なんかこういうもん拾えたら
この浜いいよとか言って
なんか教えてくれたりとか
して
そういうのが楽しかったですね
和歌山帰ってきてからだから結構
いろいろな浜連れてってもらいましたね
話が
いえいえ
美大行くの
okしてくれたりとか海外早めに
行ったほうがいいよって言ったりとか
お母さんってどういう人やったんですか
多分子供に対して
すごいやりたいことを
全部やらせたいって
思ってくれてた人で
だから
僕も親になって思うんですけど
やっぱ
そうさせたいなと思うし
自分の子には
でも大学行こうって
言ったらどうしようとか思ってる
毎日で
言ってんのに
そして2007年に
大学卒業
卒業後は
どうするんですか
卒業後は
京都ってすごい
楽しい場所やったんで
友達もすごいやっぱ
いたし
最終
ルームシェアみたいな
シェアハウスで
住んでて
みんなアーティストの
友達やって
音楽やったり料理やったり
絵描いたりみんなしてて
そこで家に
一角にバー作ったりして
そこでイベント
母音室とかもあったんですよ
そこで僕もバンドやってたりしたんで
みんなでライブ
やったりとか
イベントを結構いろいろ
やってて
楽しいからずっと
いてたんですけど
そこでなあかんっていうタイミングが
来て
探してたんですけど次の場所
なかなか
見つからんし
お金が
結構いるじゃないですか
家賃が
だから
それでもう
岡山
帰ろうかなってちょっと思って
帰ってきたみたいな
何歳くらいのタイミングですか
33:01
20
うわ全然覚えてない
25とかやと思うんですけどね
ごめんなさい全然覚えてない
18から
20半ばぐらいまでは
京都で
京都いて
ずっと探してたんですけど
見つからんし
岡山好きなんで
1回帰ろうと思って
帰りましたね
バンドとか結構ガッツリやってたんですか
月1回ぐらいは
ライブやってましたね
ほんまに
でも
みんな
楽器持ったことない人らやって
僕ら仲良い
友達ら
でバンドやってる友達らが
いてて
その人らのライブとかに
遊びに行ってたんですけど
残りのメンバーっていうか
バンド君出ないメンバー全員楽器触ったことなくて
俺らもやろうよ
ってなってかっこいいよな
とか言ってやろうよみたいになって
で3日後か4日後に
ライブが決まってたんですよ
ほんででも
コピーばっかやりたいな
とか言って新曲を
2曲か3曲作って
でやったら
ダダ滑りやって
それが
面白くて逆に
で続いたみたいな感じ
で4人いたんですけど
その途中で1人
ドイツに留学
みたいになって
留学?
ドイツに行って
で3人になったけど新しい
ギターの人やったんですけど
新しい人入れるわけでもないようになって
3人でまた
ギターレスの
バンドやってたんです
はい
そうですね
音楽のジャンルはどういう感じですか?
わからん
なんかよくわからんことやってましたね
20
20年前とか
そうなりますね
20年前くらいですね
結構バンド
流行ってたんですよね
僕らバンド世代じゃないですか
そうですね
当時なんか00年代みたいなやつ
アフリランポとか
そうですね
そういうのが流行ってて
めっちゃ好きだったな
いっぱい出てきてたような気がする
ギターなしとかもあったんですか?
ありましたね
ギター
ベースやったんですけど
ベースに
ギターの弦あったり
音楽と制作以外は
どんな遊び方っていうか
どういう過ごし方してたんですか?
何してたんやろ
結構その時ってなんか
いろいろインプットする時期っていうか
自分の好みの
36:01
元ができる時期みたいな
感じかなと思うんですけど
友達と遊んでたっすね
ずっと
特に
何して遊んでたというか
あだらしてた
特に別に
コテンとかしてたわけでもないんで
喋ったり
そうですね
でも途中からやっぱ
初コテンが
2011年なんで
何歳や
2011年やったら
15年前
27、8とか
6、7とかそんな感じ
なんか1回コンペみたいなの出して
賞取ったんですよ
はいはいはい
そっからこう
モードが変わったというか
2009年ですかね
神業大賞
入選
ジャパンテキスタイルコンテスト
スプラウト賞受賞
2006年
その辺りから
ちょっとやるぞ
全然その時はだから
仮面とか作ってなかったんですけど
テキスタイルだから折り物で
そうですね
それから同選の作品やったんですけど
でもなんかだらだらしてたな
結構その時期から
ずっとアーティストで
ずっと作り続けれたらいいなみたいな
感じだったんですか
いやそこまで思ってなかったですね
でもなんかやっぱ
大竹新郎さんっているじゃないですか
ニューシャネルの
がみんな僕ら好きで
でなんか手紙送ったんですよ
公演来てほしいみたいな感じで
ほんで来てくれて
で僕らもそれに合わせて
1ヶ月くらいかけて
すごいお参り
2階建ての
学校の門入ったところに
2階建ての建物作って
お参り作品を作ったんですよ
大竹新郎さんの
ダブ兵っていう
作品があるんですけど
それのオマージュ作品みたいなの作って
僕らも
絵描いてる人とか
結構映像やってる人とか
僕はその時テキスタでやってたんで
生地、ソファーの生地作ったりとか
結構みんな
で空間作るみたいな
ことをやってて
それを
作品に落とし込んで迎えたら
めっちゃ喜んでくれて
次の日の仕事とかも
全部キャンセルして
飲みに連れてってくれたりとか
結局2日間
連れてってくれたのかな
39:00
そういう
その時の結構
経験がでかかったというか
そこでこう
大竹さんのかっこよさっていうか
パンクやなと思って
めっちゃ同じ
大竹さん
なんでやってるかなんて分かんねえんだよって
言うんですけど
僕が言うのと全然重みが違うわと思って
あんなにやってても分からんのや
って思ってやっぱ
大竹さんもすごい
やるって
けじめをつけたみたいなこと言ってたんで
やっぱそういうの
必要やなと思ってそこで
結構やっていくっていうのを
決めたっすね
それが何歳ぐらいの時ですか?
それも卒業した時
タイミングやったんで
24とか
4ぐらいですかね
5ぐらい
やっていくぞとなって
けど京都で住むところがなくなって
和歌山へ
和歌山来て
部落委長の
最初実家に行ったのかな
実家に帰って
なんかどっか
工場とかにバイト
行ったりしてたんですけどね
それしつつ
その時は作品作ってなかったですね
場所もなかったし
それで部落委長の
お店やってた
家とは別に
お店やってたところがずっと
空き家になってたんで
そこに転がり込ん
済ましてもらって
そこで制作し始めた
感じです
その時は何作ってたんですか?
その時はもう
今のスタイルになってたと思いますね
結構じゃあ大きいものとか
でも
そうですね
石田園名所って今
野豪みたいになってるんですけど
実は作品の名前で
もともと
なんか下にあった
タイヤの付いた
移動式祭壇みたいなもの
なんですけど
それは
物って
場所が変わると
配材も変わるのが
面白いなと思ってて
だから日本の物を
海外に持って行ったり
海のない町に海のゴミを
持って行ったりとか
リサイクル目的というよりかは
移動させて
価値を変えるみたいなのが
面白いなと思って
やってて
それの
軽トラ版みたいなのも作ったんですよ
キャンピングカーみたいなの作って
それを移動しながら
作れたら最高やなと
盗みながら
展示しながらみたいな
でも結局それは
42:00
壊れて
その後に石田園名所っていう
自分
リアカーみたいなやつ
人力車的な
やつを作って
それをブラックイチゴで作ったんですけど
それがこう
邪魔で
何か作ろうと思ったら
場所が取るんで
邪魔で出してたんですよ外に
そこでは結構
お店と間違えて入ってくる人とか
なんか
声かけ
いきなり入ってくる人が結構いてて
でその都度やっぱ
石田園名所の
由来というか
その作品の説明とか
してたんですけど
途中から面倒くさくなってきて
でみんな園名所さんって呼ぶし
もう
いいかと思う
園名所になったみたいな
その時は
映像とかで
44:47

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