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COFFEE ROASTER HOPPING RADIO2026 episode.6
2026-02-25 1:25:02

COFFEE ROASTER HOPPING RADIO2026 episode.6

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今週は2本更新しています!

こちらは前編です。


今週のkisen radioは1/10から2/28まで開催中のCOFFEE ROASTER HOPPING RADIO2026 の特集回です。

今回はTHE ROASTERSの仁子さんとMILESTONE COFFEEのよしおさんの対談回です。


どうぞお聴きください💁‍♂️


番組のオープニングとエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。

楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。

本町文化堂ではお寿司のともみさんのCDも購入できます。

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感想

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00:20
和歌山市のアウトドアショップ、キセンランドトレイルの白石です。
岩手市のヘアサロン、アーカイブスのQです。
今回のキセンラジオは、1月10日から2月28日まで開催中の
COFFEE ROASTER HOPPING 2026の特集回です。
本日は、和歌山市にあるマイルストーンコーヒーで収録しています。
今回は、The Roastersのじんこさんと、マイルストーンコーヒーの吉尾さんの対談をお届けします。
じんこさん、吉尾さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずは、じんこさんと吉尾さんから自己紹介をお願いします。
じゃあ、私から。
去年に引き続き、今年もホッピングに参加させてもらっています。
いだきそ神社の近くの大川地というところで、コーヒー焙煎場をやっています。
The Roastersのじんこです。
よろしくお願いします。
吉尾さんは、マイルストーンコーヒーですね。
紹介をお願いします。
和歌山県、和歌山市ですね。
新魚町って、ちょっと聞きなじみのないところなんですけど、
和歌山市駅の競輪場の近くのところで、マイルストーンコーヒーという夫婦でやっているコーヒー屋なんですけど、
それの嫁さんがオーナーで、僕がロースター担当ということで、今回ラジオに出させてもらいました。
よろしくお願いします。
じんこさんと吉尾さんは、どういう関係というか、どういう出会いとかであったんですか?
お客さんでいいですか?
そうですね。
ロースターズに来てくれてました。
そうなんですね。ロースターズは、もうずっと行かれてたんですか?
ロースターズさんに行く、まあ、通わせてもらってたんですけど、その前にロースターズのコーヒーとちょっと出会うんですよね。
お店に行く前に。
それはどこでですか?
えっとね、確かアリダ、アリダだったんですかね、クリートクラっていう店。
君の町。
君の町ですかね。
たまたま通りがあって、コーヒー飲めたんで、ちょっと嫁さんと寄ってコーヒー飲ませてもらったんですけど、めちゃくちゃおいしくて。
その時はスタンド、うちの出張所的なスタンドはあったんですかね?
03:05
えっとね、あったかなかったか覚えてなくて。
最初、12年ぐらい前ですか、クラとクリっていう建物、場所がオープンした時に、もみの木食堂さんとザ・ロースターズのコーヒーショップのザ・スタンドっていうお店が曲がりする形で同時にオープンしたんですけど、
途中からロースターズは抜けて、その中でもみの木食堂さんっていう菜食のランチをやってるお店が、うちのお豆を使ってコーヒーを出してくれてたっていう、今でも出してくれてたっていう感じですね。
じゃあそのタイミングだと思います。
もみの木食堂さんが入れてくれてた。
そうですね。
結構前から出会っていたというか、コーヒーには。
そうですね。
いや、もっとたぶん、私が聞いた時は、サーフィンってね、その話はたぶんすごいいろいろ振り下げていくことがあると思う。
アメリカに行った時に、結構衝撃的なコーヒーとの出会いもあったっていうのは。
そうですね。
そのお客さんと店のものとして話してる時に聞いてたんだけど。
でもそこで、その経験もありつつ、じんこさんのコーヒーにも出会ってから、ローストランさんに行き始めたと。
そうですね。
僕住んでた家から10分以内ぐらいだったんですよ。
近かったんですよ、めちゃくちゃ。
それは通いますね。
通いますね。
当時そのコーヒー屋さんっていうのは、僕も他もあったと思うんですけど、知らなかったもんあります。たぶんあったと思うんですけど。
やっぱり今よりは絶対的に少なかったと思いますよね。
少なかったと思うんですよ、その時って。
そうなんですね。
そんなお客さんだった吉尾さんがなぜ今はホッピングに参加してるんですかねっていうことなんですけど。
それを詳しく吉尾さんから聞きたいですね。
ちなみに今回ホッピングに参加した経緯っていうのは何かきっかけがあったんですか。
きっかけは茶豆さんがお声掛けしてくれて参加させてもらったっていうのが一番の理由なんですけど。
もともとこのホッピングのメンバーの方の勉強会に参加させてもらってて。
今年良かったらどうですかって言ってもらって参加させてもらうというような形ですね。
その勉強会っていうのはそれもどっかからつながりがないと。
06:00
私こういうコーヒーに取り組んでる人がいるからちょっと呼んでもいいっていう。
その時点で結構がっつりやってましたもんね。
仕事としてではないけどいろんなコーヒー屋さん行ったりシェアロースター行ったりっていうのは聞いてたから是非仲間に入ってほしいなと思って。
連絡があるほどもらいましたね。
今日はそんなお二人がロミロスターのホッピングに参加しているわけなんですけど。
どうですか。今今日は1月26日で開始から2週間ぐらいですかね。
3週間ぐらいですかね。
経ってるということなんですけれど手応えというか。
やっぱりすごい盛り上がりは感じますよね。
ハートダッシュのすごさにみんなびっくりしてると。
今年の新しい試みなバルダーコーヒーさんでの夜カフェもこないだ終えて。
そうですね先日僕たちQさんと行かせていただいてやっぱりすごい賑わってましたよね。
そうですね。
すごい忙しそうにしてらっしゃる中で写真撮らせてもらったり。
でもそういう中でも遠方からリピートです。
去年も参加しましたという奈良からのお客様がいたり。
どうしてもその店舗の営業日距離等で難しいんだけど今日このバルダーさんだったら来れるのでっていう方の声も聞きましたね。
なるほど。
やっぱりその新しい試みとしても結構お客さんとしても良さそうだっていう手応えが。
それがでもこのイベントの趣旨の実際に焙煎所に行ってもらうっていうところが抜けちゃうんでそことすり合わせがまだね終わってからのみんなと会議の中で。
でもいい会でしたね。
でもなんだかんだとキャンドルのイベントもされてたね。
そうですね、ちょうどバルダーさんで。
そこに来たお客さんとかもちょっと興味を持っていただいたりとかそういうつながりができていくのはすごく良さそうな感じがしましたね。
店舗に足を運ぼうって思えるきっかけになるイベントにもなっていくんじゃないかなと思いますね。
自分単独で入れるより吉尾さんと一緒に並んでコーヒー入れられたっていうのも楽しかったですね。
初めてですね。なかなかないですね。
そうですね、その他のロースターさんと並んで入れる。
そうですね。
結構その入れ方が違ったりとかっていうのもあると思いますし。
09:01
たぶんそこまで見る余裕なくらい見てたと思うけど、お客さんとどういう会話をするかとかそういうのもね。
なるほど、結構楽しかったですね。
でも朝からそれぞれ店で、イベントが8時から11時だったんで、最後もうね。
ヘトヘトですよね。
長い1日でしたね。
そうですね。
でも楽しかったです。
楽しかったですね。
去年よりはそういうリピーターの方も多く、お客さんの熱量も結構高そうな感じ。
お店ではどうですか?
昨日一昨日のイベントもそうですけど、お店もやっぱりたくさん来られて。
そうですね。
私は自分のザ・ロースターズと、あと土曜日毎週カモゴーカフェさんでもコーヒー入れてるんですけど、
そこでもホッピングできますよっていう形にしてるんで、初日の土曜日はカモゴーさんすごかったです。
カモゴーさんはね、もともと人気のところは一緒ですよね。
さらに。
ペソさんはどうですか?
私がね、初めてお店としても。
そうですね、お店は。
なんならこのイベントに合わせてオープンさせた、ねじ込んだぐらい。
ねじ込んだみたいな感じになってますね。
いや、それですごいですよね、ここまで仕上げたって。
お店今日、ちゃんとね、初めて出させてもらったんですけど。
ここはぜひ1回とは言わず来ていただきたい。
なんていうんですかね、この和歌山にない雰囲気というか。
吉尾さんの秘密基地に遊びに来たりとか。
すごいやっぱりその世界観というか、吉尾さんの雰囲気がよくわかるお店になってるような気がします。
しかもDIYですもんね。
そうですね、頼みたいなっていうところもあったんですけど、
最初に1回そういう機会があったんですけど、なかなか伝わらなかったんです。
これはもう絶対に出来上がった時に納得いくものできなかったらなと思ったんで。
それやったら仲のいい友達が一緒にいたり去ってくれるというので、一緒に一からやろうという。
もともとここが家だったんで、解体から一緒にしてもらったんで。
置かれてるものとか、アーティストのものとか、吉尾さんの好きがちょっとわかって。
いい感じの雰囲気がすごいですね。
12:01
ちゃんと世界地図もあって、山地に目印がついてる。
すごいこだわりとか好きが詰まった空間で。
絶対好きな人多いと思います。
多いというか、なんていうんですかね、来て好きになる人が多いような。
イリビタル。
そうです。
自転車でそれこそコッピングしに来た方たち。
サイクリングロード近いんですよね。
きの川。
そういう方たちにもおすすめですね。
自転車だと結構ここは車より来やすいですもんね。
ちょっと来づらい雰囲気はあるんですけど、車でも全然来れますけど、自転車だとなお来やすいかなということで。
でも駐車場も3台分用意してくれますね。
今日もお止めさせてもらいました。
歩いてもほんとにすぐですね。
かなり来やすいと思います。
大丈夫ですか?そんな初日はうまいこといったんですか?
オープン初日ですか?
オープン初日は年末?
そうですね、オープン初日はあっという間に終わりましたね。
慌ただしく。
初めてのことなので準備しようもないというか予想も長いって感じですね。
そうですね。
蓋を開けてみないと分からないですよね。
そんなにインスタグラムで載せたくらいだったんですけど、それ見て来てくれたお客さんも結構いらっしゃって、それはすごいびっくりしました。
ご友人の方じゃなくてもチェックしてた方たちが来てくれて。
マイルストーンコーヒーとしてはずっとイベント等に出たりとかされてたんですよね。
最近はしてなかった。和歌山ではしてなかったです。県外の方では出展とか行ってたんですけど。
注目してた方がいらっしゃったのかなということなんですかね。
いや、もともと旅したりするのが好きだったので、誰も知り合いいてないところで行って、出展したいなってずっと思ってたんですよ。
やっぱり和歌山だったら絶対に知り合いがいてたりとかあって、ちょっとアットホームな感じになると思うんですけど、
ほんまに知らない、誰も知らない、一人も知り合いいてないところに行って、そういう環境も楽しんでいきたいなと思って。
武者修行のような。
そうですね、土砂回りじゃないですけど、昔の。
15:03
ちょっと気合い入れていくぞっていう、楽しみながらですけど。
これはフードトラック的なのじゃなくて、身一つでどっかの曲がりとか、そういう出展?
基本はテントとか持って行って、青空で出展とか、普通のイベントですね。青空でやってるような。
コーヒーベストの中で出展をいろんなところでしたいなっていう。
なるほど。そんな感じでロースター活動もされてきたっていうことなんですけど、
去年もこのコーヒーロースターホッピングに出ていただいた方、売選手さんに、売選手になるまでのお話なんかも伺ってたんですけど、
今、ちらっとお聞きした売選手の活動、そこからまたお店を開くあたりとかまで、お伺いできたらなと思うんですけど。
どこまでですか?
追い立ちからじゃなくて大丈夫。
普段の既成ラジオだと、結構追い立ちから細かく聞いていくんですけど、
主にコーヒーが始まるとか。
だからコーヒーと出会ったあたりからにしましょうかね。
どうしよう。
生まれとかさらっと教えていただきたい。
人となりがつくようなやつのほうがね。
ちなみにお生まれは?
和歌山市ですね。
1982年の4月に和歌山に生まれました。
どんなご家庭だったんですか?
まず、ちょっと特殊なんですけど、
父のほうの実家がコーヒーの売選業をしているという家に生まれました。
これは家業ついだとかでもないですよね?
ないです。全く別なんですけど。
生まれた瞬間に出会う。
コーヒーとは?
出会ってた。
お父様はコーヒー屋さんで?
そうですね。
昭和2年からしてたんで、
今年99年。
ちっちゃいですよ。
ちっちゃいところなんですけど、一応戦争を乗り越えてコーヒーをやってますね。
すごい。
戦前からコーヒー屋さんってなかなかインパクトがありますね。
そうですね。
なかなかそれは先取りなはずですよね。
18:03
どうやってやったんやろうって、なんでそれにしたんかなっていうのも。
そういうのはおじいちゃんとかにインタビューしたことはなかったんですね。
なんでコーヒーなの?
なんとなくは、ちっちゃい時にはそういう話したんですけど、
ちょっとうる覚えなんですけど、
おそらく、
昔のその当時ってコーヒーって、
その時の言葉で言ったらハイカラな人が飲む、
ちょっと一般の家庭にそういうの出回ってないみたいで、
そういうハイセンスな人が飲む飲み物だった。
そういうのに憧れて始めたっていう感じですかね。
たまたま和歌山港っていうとこにコーヒーの豆とかが作るんで、
そっから今和歌山城の前に川がずっと流れてるところがあると思うんですけど、
あそこまで船で豆を送ってもらって、
そっからは馬とかに乗せて、
いっぴょう昔、たぶん70キロとかあるんで、
それを馬に乗せてお店前に持って行ってっていう感じの言動だけは聞いてます。
コーヒー屋さんの話としてなかなかこういう話出てこないですよね。
そうですよね。
米屋さんとかってまだあれなんですけど、
すごいですね。
そういったご家庭、コーヒー屋さんで生まれて育ってきたと。
そうですね。
小十公というか、ご家族はちなみに兄弟とかは。
兄弟は妹がいてますね。
お兄ちゃんとして、ご両親とおじいちゃん。
そうですね。
妹さんが絵を描くんですよね。
そうなんですね。
じゃあこの中にも妹さんの絵が。
ロゴとかは妹が決めて描いてくれました。
マイルストーンコーヒーのロゴとか。
そうですね。
あとはちょっとしたイラストとかはイメージだけ伝えたら入ってくれますね。
なるほど。
いいですね。
そうですね。
そんな感じの兄弟ですね。
仲良く。
そうですね。
ちなみにここの辺りというか、実家は街中で。
そうですね。
もともとコーヒー屋さんやってたのは、今の本町にあるフォルテ・ワジマさんってあるんですけど、
21:04
その隣ぐらいでしてました。
なるほど。
コーヒーの焙煎で煙がすごく出るんで、
もうちょっと街中でできなくなったんで、田舎のほう。
高積みのほうですけど。
高積み中学校に移ってやって、僕はそこで育ちました。
なるほど。
じゃあ高積みのほうで、高積み中学校とか。
そうですね。
だからそこからロースターズが10分間です。
なるほど。
でも本当に今でさえ焙煎で出る煙、焼き切る機械とかあるけど、
当時はきっとなかったですもんね。
ないんで。
それは苦情。
外でやってました。
なるほど。
その辺の時代背景がちょっと悪くないですね。
イメージしにくいので。
けどかなり当時としては、すごく珍しい選択肢で、
オシメトされたと思う。
その光景ってずっと小さい生まれた時から見てるんで、
結構他の人から普通じゃないよっていうことも結構あったりとか。
やっぱり羨ましがられるっていう対象ですか?
かっこいいなとか。
かっこいいっていうのは子供の時はなかったんですけど。
自慢するっていう感じではなかった?
そうですね。できるだけちょっとまだ隠したいなって思うところも正直あってですね。
それがなんで思うかって言ったら、コーヒーとの思い出にもなるんですけど、
コーヒーの焙煎してたらやっぱり香りするんですけど、
学校とかからちょうど帰る時ですね。
自分の家に近づくにつれてコーヒーの香りしてくるんです。
それは僕だけじゃなくて周りのみんなもそれ感じるんです。
その時はなんかちょっと恥ずかしいなっていうか。
それはなんか日常の中の一部なんですけど、
それはちょっとなんか家近づいてきたなーみたいな。
今日はなんか遠いところだけど匂いするなーみたいな。
風向きで。
確かにそのなかなか普通だと感じない感覚かもしれないですね。
当時はあんまり自信持っててよりかは恥ずかしいが勝手です。
そうですね。
24:01
なんかやっぱり普通のサラリーマンの家庭っていう人が多かったんで、
ちょっと特殊な仕事だと思うんです。
でも和歌山って昭和の時代、喫茶店がすごい多い街って言われてたんですよね。
そうです。めちゃくちゃありました。
ということはやっぱり忙しかったんじゃないですか?
そうですね。
めちゃくちゃ焙煎してましたね。
ほとんど毎日やってたんじゃないかなっていうくらい。
どんな機械でとかっていうのも覚えてる?
富士工機さんっていうところの豚釜ってみんな呼んでる機械があるんですけど、
その機械が7キロっていうサイズだったんですね。
7キロって言ったら今僕使ってるのと一緒くらいのサイズのやつと、
あと30キロの焙煎機なんで、これの5倍くらいのやつと2台。
工場。
工場なんで。
吉尾さんの焙煎機はギーセン。
すごいかっこいいオランダのマシーンがドンと。
これドンって見れるのも面白いですね。
お店入ってすぐ鎮座してます。
この話もちょっと後でしっかりと伺いたいんですけど。
ちなみにコーヒー屋さんに育ってコーヒーがずっと好きだったんですか?
それがコーヒーの香りはいい香りだなと思ったんですけど、
コーヒー自体は飲むことっていうのもまずなかったですね。
美味しいっていう対象のもんでは全くなかったです。
若い時というか子供の時ってそうですよね。
コーヒー飲むもんじゃあんまりないというか。
そうなんですけど、ちょっとこれも変わってるんですけど、
僕のところって絶対朝の10時と昼の15時ぐらいと17時ぐらいって
コーヒーブレイクみたいな時間絶対あったんですよ。
うちもありました。
あったんですか?
福島の農家ですけど、一服の時間っていうのが絶対10時と午後の3時であって、
その時はうちは必ずインスタントコーヒー作ってました。
緑茶かインスタントコーヒー。
すごいですね、それもすごいですね。
でも今ってそんなにしっかり休んで食べないけど、昔の人はそうだったなって思うんですね。
一日仕事をずっとされる方であったら、ちゃんと休憩入れないと動けなくなっちゃうっていうことだと思うんですね。
27:02
栄養もそうですし。
ありました。
じゃあその時間には飲んでた?
その時間にコーヒーが飲めないので、紅茶を飲んでましたね。
まさかの紅茶糖が。
そうなんですよ、コーヒーはちょっと無理だったんで。
時間いい?
ストライしたんですけど、どんだけ砂糖入れてミルク入れても飲めなかったんで。
面白いですね、が今はコーヒー。
どこでそうなっていったんだっていうのがまた。
でもさっきサラリーマンのお家に憧れてたっていう節があったから、
そっちに向かっていくんですけど、サラリーマンのような大人。
そうですね、うちは自営業なんで、休みがあってないようなものですかね、家庭的に。
結構サラリーマンの家庭の友達の子供とかやったら、土日になったらどっか行ったりとかあったと思うんですけど、そういうのはほとんどなかったんで。
わかる。
そうですね、それはなんかすごいうらやましいなっていうのはちっちゃい時ありましたね。
なるほど、結構。
家業は別にいいかなと思いながら大きくなっていこうって感じですかね。
そうですね、大きくなって。
全く嗣とかは意識せずにって感じですか。
それは全く意識してなかったんですけど、コーヒーの接点っていうのがめちゃくちゃあったんで、母親も喫茶店をしてたんで。
ますます。
包囲網があるけど嫌になる。
逆にそこから逃れようみたいな形になってしまうのか。
これを今聞いてるとどんどんコーヒーから離れていくわけなんですけど、どこでこれが180度切り替わるというか。
そうですね、コーヒー嫌いなまま学生生活を過ごして卒業するんですけど、その過程で、僕高2で父親が高位するんですよ。
なので、そこでコーヒーと離れるんですけど、高校卒業して大学とかも行ける感じじゃなかったので就職するんですけど、
高校生の時、やっぱり遊びたかったんで、そんな仕事っていうか将来何したいって何も考えてなかったんですよね。
30:07
まず、でもどっかに働きに行かなあかんっていうんで、高校に帰ってた高校に求人情報っていっぱい来てたんですけど、
それの1ページ目の会社で僕いいですって言って、その勤務担当の人に、何の仕事かわかんないですよ、その時は。
1ページ目でいいんで、もうそこ行くんで出しておいてくださいって言ったんですよ。
面接受けに行く1週間ぐらい前に会社のパンフレットみたいなのもらって、ちょっと予習していかなあかんと思って、
勉強しようかなと思って開いたら、それまたコーヒーの数。
すごいね。
コーヒー、ちょっと某大手メーカーの会社の中とかでボタンを押したら出てくるコーヒーの機械があるんですけど、そこの会社だったんですね。
そこまでもコーヒーに。
またコーヒーかって、もうそこでもう1回なったんですよ。
それは受けに行って。
もう日にち帰るっていう選択肢僕に与えられてなかったんで、先生の顔も潰すんで、受けに行って普通に受かっちゃうんです。
その仕事をすることで、その仕事でコーヒーの機械、ミルの付いた機械で豆を敷いて、結構メンテナンスした後にコーヒーの味見しないとダメなんです。
確認をしないと。
その仕事で。
それがちょっと苦痛で、その時は美味しくなかったんですよね、コーヒーって。
18、9ぐらいですもんね、その頃だったら。
ギリギリカフェオレが飲めるかな。
じゃあ仕事がちょっと辛くなってきて。
まず辛くなるんですよね、それ。
で、それから後は何か、サラリーマンやってた人だったら分かるか分かんないんですけど、上司とか何年か先に入った人って自分の将来像って言うんですかね。
例えば5年後はこういうことやってるのかなとかって、ある程度見えてきたんですよね。
ちょうど19、20ぐらいで。
それ見た時に、なんか自分はそういう人生ちょっと歩む感じじゃない方がいいなと思って、そこを辞めましたね。
33:05
何年ぐらいで。
3年は絶対に行こうと思って、石の上にも3年とかってことわざ言われたんですよね、当時の先輩に。
とりあえず3年働いて辞めたらいいんじゃんかって言って、社会勉強も兼ねて苦手なコーヒーを3年間飲み続けても辞めました。
まだコーヒー好きじゃないですね。
その時点では。
また別の仕事に就くんですか。
仕事辞めるんですけど、僕もともとサービスだけ唯一真剣にしてたんですね。
それはいつぐらいから。
それは車の免許取ってからなんで、高校生終わりとか、社会人になったぐらいの時ですかね。
そういう波乗りに出会って、どっぷりハマるんですけど、唯一好きなものがそれだったんで、それを追求してみる。
当時、仕事とりあえず辞めたけど、どうしようってなってですね。
先輩とかに話してたら、インドネシアに行ってきたら面白いんちゃうか、集中できるでって言ってくれて、
じゃあちょっと行きますって言って、向こうの人紹介してもらって、バリ島っていうところなんですけど、そこに行くことに。
じゃあ波に乗るために。
はい。
サーフィン修行で。
どのくらいの想定で、期間として、何年とか。
期間はもう考えてなかったんですけど、まず今やったらちょっと考えられないんですけど、前代さんその時15万円だったんですよ。
すごい、それでもうバリ島移住を考える。
15万円しかなかったんですけど、もう勢いで仕事も辞めて、もう行く以外選択肢なかったんで、その15万円を自分の大切なサーフィンに占めて。
で、紹介してもらった人の元にホームステイという形で行きますね。
片道切符ですか。
一応往復で買いました。
一応往復で買って残ったお金が15万円ですね。
15万円握りしめて行くと。
36:00
握りしめて行きました。
で、そのホームステイ先の人はサーフィンのプロみたいな。
サーフィンは、サーフィンもしてる人なんですけど、やっぱり向こうの人ってやりすぎてサーフィン飽きてるんですよ。
毎日あるんで。
なんで、もう海にもあんまり入る人あんまりいてない感じですね。
行ったところは、めちゃくちゃ田舎のところなんですよ。
で、紹介してもらって行ったところが。
なんで、もうみんなやることないんで、サーフィンやるんですけど、もう昼ぐらいだったら暑くなるんで、日陰で座ってるみたいな。
そんな感じのところにステイさせてもらってた感じなんですけど。
仕事されながら、毎時間は海に入ってみたいな感じの生活ですか?
向こうの人ですか?
僕ですか?
向こうでは働かなかった。一切働かないです。
1日サーフィンですか?
15万円が尽きるまでいいよみたいな形?
それぐらいの気持ちですね。
15万円でどれぐらいいけるかわからなかったんですけど。
まだ今より時代がきっといいから、ちょっとは滞在できた?
そうですね。その時で、普通で今のこっちの日本の生活する向こうで、2万円ぐらいだったらできたんですよ。
どのぐらい?
1ヶ月。
1ヶ月。
じゃあ割と滞在できる。
割と滞在できるということに気づきました。
そこで、ホームステイさせてもらってるところの奥さんが、ここでやっと僕もコーヒー飲むようになるんですけど、飲む生活になるんですけど。
やっぱりコーヒー。
そこのステイさせてもらってた奥さんが、毎朝コーヒー入れてくるんですよ。
それは向こうなんで、その辺に自生してるんですよね、コーヒー。
それをバナナ取るみたいな感じで収穫したやつをフライパンでいって、煮立ったお湯の中にコーヒー入れて、ぐつぐつのやつを出してくれるんです。
それに多分お砂糖ちょっと入ってたかなと思って。
すごいフレッシュのきまめを焼いて、そんばで。
そんな感じのコーヒーやったっすね、イメージで言ったら。
不思議、それでもコーヒーはコーヒーなんですね。フレッシュというか、実から外して、種。
39:03
ちょっと多分乾燥とかさせてたんですね。
庭先にあったんで。
でもまあ、自家製コーヒーみたいな。
朝どれコーヒー。
そんな感じですね。
生産地ならではの。
そんな感じの。
それはコーヒーどうやったんですか。
それは苦くて、苦い甘いって感じだったんですけど、おいしかったですね。
でもその今まで飲まれてきたコーヒーとは全然違ったんですか。
違いましたね。
作ってる人が全て見えてるんですか。
そうですね。
それが多分僕の人生の中でコーヒー飲み出した頃はその辺。
おいしいと思って飲んだのがその時から。
そうですね。
なかなかないですよね、そんなん。
現地で。
飲んだことあります、そういう。
バリに行ったことはあって、バリのコーヒーも飲んだことあるけど、そのスタイルはないし聞いたのも初めて。
入れ方も要はだから全然違うわけですよね。
もうほんまに煮立ってるお湯に砕いた粉を入れるっていう。
いわゆるエチオピアでやってるコーヒーセレモニーっていう儀式っていうか、お客様をもてなす作法みたいなのがあるけど、それもそういった感じですよね。
目の前で切って砕いて壺、ポットの中でグツグツして上澄みを飲む。
上澄みを飲むっていうあれはテイスティングの。
あのスタイルは。
でもあれは熱湯を注ぐだけでグツグツ煮出すは、ヨーロッパでもありますね。
アジアだけじゃなくて。
でもわりと南の方、ベトナムとかもだけど、甘くして飲むのが多いですね。
そうですね。練乳入れない。
練乳入れるのがベトナム今回。
苦い、甘い。
めちゃくちゃね、わかりやすいです。
で、そこでコーヒーいいかもってなっていくんですか。
もうそこで毎朝絶対に入れてくれるんですよね。
その家族の分入れるんで、ついでに僕の分も入れてくれるんで。
そこでコーヒー飲むっていうのが生活のルーチンの一個になったんですね、そこでの生活。
そのお家族と一緒に暮らしてご飯も全部作ってもらって。
そうです。
そのホストファミリー的な方にはちょっと金銭的なものとかも。
そうですね、もう食べさせてばっかり、もらってばっかりなんで、ちょっと渡したりとか。
42:01
それはコミュニケーションは英語で?じゃない、現地の言葉で?
現地の言葉半分、日本語もちょっと理解してもらってるんで半分ですかね。
勉強してたんですか、現地の。
後で向こうで教えてもらいましたね。
すごい、ほんとにもう。
身一つというか。
飛び込んだ。
飛び込んだ感じが。
そうですね、その生活が結構長かった。
どれぐらいバリにはいたんですか?
バリがビザが1ヶ月で切れるんで、1ヶ月で帰るか、
バリが例えばマレーシアが近かったんで、マレーシアに飛んで、もっかい入ってくるとか、そんな感じになるんで、
そういう生活をたぶん25ぐらいまでやってましたね。
結構長い。
数年やるわけですね。
やりましたね。
1ヶ月更新を?
そうですね、で帰ってきて、日本でお金貯めて、行ってって感じですね。
なるほど。
行ったり来たりの。
じゃあ25までは定食というか、つかず動きやすい状態で、サーフィンにどっぷり。
どっぷり行ってましたね。
サーフィンを明確に、例えばプロを目指すとか、そういうモチベーションだったんですか?
いや、その時は単純に楽しかったっていうのと、
その当時、今思えばですけど、やっぱりそういうサーフィンやってる人だけじゃないかもわかんないんですけど、
ヒッピー的な文化があって、行った先々で出会う日本人の人が、
そういう人生の方が楽しいよっていう人が多かったんですよね。
そういう人の影響も若干あったんかなと思うんですね。
だから就職して働くっていうまで結構時間かかったかな。
アイランド疾苦って言うんですかね。
そういうのになってたんかなと。
サーフィンは上手くなってるなっていう時間はあったんですか?
ずっとバリに行って、いい環境というか。
それはナミがめちゃくちゃ良かったんで、思ったりもしますけど、
でもナミがやっぱりいいんで、そういう気にさせてくれるって言うんですかね。
ナミがあることで上手くなった気になることもあると。
そうですね、そんな感じになってましたね。
45:03
そうやって日本に帰ってきて、日本の海で入ったりすると、レベルアップを感じるみたいな。
ちょっと大きいナミとかに乗れるようになったら、ちょっと度胸ついたなっていうのはありますかね。
あとそればっかりやってるんで、体つきとかもいい感じになってくるので。
バリ以外の海でナミに乗りたいなっていうにはならない?
その時はまずお金がなかったんで、そこにしかちょっと行けなかったんです。
行きたいところはいっぱいあるんですけど。
例えば憧れの地っていうのはあったんですか。
憧れはやっぱりハワイとかアメリカとかですよね。
25歳くらいまでっておっしゃってたんですけど、25歳くらいで何かきっかけがあったんですか。
きっかけは、日本ではちょっとかからないと思うんですけど、デング熱っていう病気があったんです。
伝染病。
にかかった?
かかりました。
名前知らないけど。
海外でそれにかかった?バリで?
バリ、そうですね。
病院に運ばれる?
僕行かせてもらったところがめちゃくちゃ田舎なんで、お医者さんいないんですよ。
週に1回だけ町から株に乗った単車ですね。
株に乗ってお医者さんが来るっていう。
たぶん3時間くらいかけてきてくれるんですけど、その人が来るまでずっと待ってやらなきゃって。
自分はなったこともない病気なんで、何もわからずずっと耐えてましたけど。
デング熱ってどんな病気というか。
まず熱が止まらない。むちゃくちゃ高温の熱が出ますね。
寒気ですね。
バリ島って南国なんですけど、ダウン期間のイタリアンくらいガクガクなります。
最悪の場合どういう事態になる?
最悪の場合は亡くなったりする方もいらっしゃるんじゃないでしょうかね。
たぶん体力ない人だったら。
48:01
そうですよね。
海外行ってこういう病気になったことありますか?みたいな医療機関とか行ったら言われる系の病気ですね。
入ってますもんね、広告にきっと。
で、お医者さんが来て何とかなったんですか?
いや、その時はそのお医者さんもデング熱ってわからなかったんで、
風邪薬的なビタミン剤みたいなの渡されて、これが治ると言われたんで、
僕もそれを信じて、次そのお医者さん来る1週間までそれ毎日飲み続けてたんですけど。
全然治らない?
全然治らないよって。
自力では治らないの?デング熱って。
最終は自力で治しました。
それがたぶん、それがあって日本に帰るんですけど。
帰っていろいろ考えてたら、こんなことしてても楽しいだけで何も自分に残らないっていう感じ。
ちょっと現実的?
そうですね。ちょっと将来のことを考えていかんかったら、やばいなってめちゃくちゃ。
帰りの日ごみでめちゃくちゃ思いました。
一人だったんで、考えるしかない。
帰るんですけど、帰る前に僕ずっと世話になってたのがセブールっているんですけど、
僕の実家はコーヒー屋さんやっていうのを伝えてたんで、
最後に海、僕も体力ないので入れないんで、面白いとこ連れてあげるって言われて。
それで連れて行ってくれたのがコーヒーの農園だったんですよ。
ほんまに山の頂上にあるんですけど、
確か名前はネタとかじゃないんですけど、金玉山ってあるんですよ。
ありますよね。
ほんまにそういう名前の山があって。
P.E.連で大丈夫ですね。
ちゃんと地名がされて。
公式名称で。
そこにコーヒーの木、いっぱい自生してある。
そこに農園いっぱいあるから最後に見てこらって誘ってくれて行ったんですよね。
そこでいっぱいコーヒー飲ませてもらって、おいしいなって食べて。
そこでセブールとお互いいい大人になったら一緒に農園できたら面白いなっていう話して、
51:01
僕は日本帰るんですよ。
そんな話もあって、このままやったら何かやらなかった。
ちゃんと生きないと。
私聞いてた話の中で、サーフィンで行ってた海外でコーヒーに出会い直した話は聞いてたけど、
勝手にカリフォルニアの方のイメージで聞いてた。
サードウェーブに出会ったんだなって思って。
それも別である。
この後また出会いちゃうんですけど。
その前にオリジナルの出会い。
そのほうがすごい体験ですけどね。
なかなかそういう…
もっとルーツに近い。
コーヒーの源流に近いような。
帰ってきて就職ですか?
就職しますね、また。
とりあえず働かんと何もできない。
次はどうやって決めるんですか?
次は…
2ページ目。
2ページ目に行きたいところなんですけど、
帰ってきて、まずハローワークに行きます。
真っ当な。
真っ当にいろんな手続きもあったんで、
ハローワークで仕事探しですね。
なかなかいいなって思うところがなくて、
それで2ヶ月か3ヶ月くらいするんですよね。
ハローワーク通ってるほうが仕事みたいに感じてくるんですよ。
毎朝。
毎朝行って、検索しても仕事の内容って変わってないんですけど、
だんだんそれが仕事みたいな感じになってきて、
それも嫌になってきたんですよ。
で、嫌だなと思ってた時に目に留まった会社があって、
もう探してても一緒やからここに行こうと思って、
そこは募集が設計という職種の建築系の設計で募集してますみたいな感じのやつだったんですけど、
経験してなくても大丈夫みたいなのが書いてあって、
一回行こうと思ってそこに今度また面接に行きました。
行った先で面接してくれるんですけど、
すごいアットホームな会社だって、
着いたらまずコーヒー出してくれたんですよ。
これよかったら飲んでよって言って、普通のインスタントのコーヒーですけど。
で、そこから面接始まるんですけど、
僕も高校の時に一回面接ってやってるだけなんで、
54:04
めちゃくちゃ緊張してたんですよ。何聞かれるんかなと思って。
その目の前に置いてるコーヒーを書いてくれって言われて、紙とペン渡されて。
デッサン。
書いてって言われて、ここでもまたコーヒーかと思うんですけど、
帰ってきてまたコーヒー買えみたいな感じになるんですけど。
で、それ書いて、湯気もふわふわと出たんでそういう風に書いて渡したらOKってなって、
で、またそこでお世話になるんです。
そこでまた働きました。
設計をするんですか?
そうですね。設計というか、デザインとかではないんですけど、
鉄鋼の設備のそういうのですね。
パソコンで?
はい。
絵は何やったんですか?面接の時に描いた絵は何を見られてたんですか?
多分、同時に描くかどうか見てたりします。
多分完成度っていうよりかは、
言われてパッと?
言われてパッと、何て言ったらいいんですかね。
突然にできるかどうか。
ああ、わかりましたって僕やったので、それが良かったです。
なるほど。なんかその設計とかなんで、ちゃんと選品券の画みたいなのかなって思ってたんで、
パソコンでやったらまた違うなと思って。
紙とペンだけですね。
お仕事は?
そうですね。働いて、そこでちょっとコーヒーの勉強もしたいなと思ってたところもあったので、
コーヒーマイスターという資格があったんですけど、
それにSTAJというコーヒーの協会が主催している認定の資格みたいな感じで、
それ勉強したらちょっとだけコーヒーのことがわかるかなと思って、とりあえずそれを取りました。
その頃にはコーヒーが好きになったんですか?
ちょっとだけ好きになったんですね。
でもセブールとの約束がありましたね。
セブル無償のことが頭にあったんですね。
そこに向かっていかなきゃいけない。
帰ってきた年にそれは資格を取った。
一発でもう?
一発ですね。お金なかったんで2回目受けた。
バッジももらって?
はい、バッジも。
すごい、コーヒーと向き合ってって感じですね。
そうですね。でもその時受けてた人ってやっぱりコーヒー屋さんの人ばっかりだった。
57:03
僕みたいな素人が行くようなイメージじゃなかったんですけど、
その時で多分若い女の子だったら5人ぐらいしか取ってなかったかも分からないですね。
25、6歳?
そうです。
私まだ始めてないです、その時コーヒー屋さん。
多分そうです。それぐらいだったと思いますね。
これちなみに資格というか試験は難しいんです?
結構もう本当にお勉強ですよね。
すごい分厚いてきつつと読み込んで受ける感じだと。
なるほど。
甘さとかチェックするやつもあるんですか?何%の塩分とかもあるんですか?
その時はカッピングのやり方を実技でみんなで一通りやってできたら合格みたいな感じですね。
実技と学科っていうか。一応やり方いろいろあるんですけど、
それをみんなでやって実技一回通して合格という感じで。
そうですね。
そこからでもコーヒー屋になるまでまだ?
まだ。
まだコーヒーは好きになったけど、いわゆる自分で入れたりもしてたんですか?
その時はほとんどでも自分で入れるっていうことはできなかったですね。
飲みに行くぐらいですかね。
好きだったお店とかあるんですか?
もう覚えてないです。
でもあちこち行ってたなという感じですか?
そうですね。通りがかった。
その時はGoogleとかもないんで。
なんか喫茶店がもともと好きだったんで、
どっか行った時に近くの喫茶店見つけたら入るとかがあったりですかね。
なるほど。
その仕事も含めて何年間そんな感じでコーヒー別に自分でやろうとかっていうことでもなく、
普通の生活というか仕事しながら生活をしていく。
その時も就職もしてるんですけど、仕事を休みいただいてサーフィンでトリップはずっと行ってるんですけど、
1:00:03
やっぱりそっちがメインなんですけど、コーヒーじゃなくて。
サーフィンを周りにずっといるわけにはいかないけど、やりたいなということで。
結構サーフィンの活動に理解のある会社ってことですか?
僕がお願いして行かせてもらってるって感じなんですけど、
また話戻るかも分からないですけど、やっぱり僕の人生観とか変えてもらったんです。
あそこの場所なんですよね。
日本でいてたら当たり前やなって思うこととか、向こう行ったら全然通じやがったりとか。
反対もあるんで。
だから活かして欲しいという胸を上司に伝えて理解してもらって。
カブチャショックっていうんですかね。
そんなのがめちゃくちゃありましたね。
まだ主軸はサーフィンが大きくて。
サーフィンと向こうの文化っていうんですかね。
こっちだったら想像もつかないほど向こうでやってたりとかもあるんで。
20代後半に差し掛かった吉尾さん、デング熱で日本帰ってきて、
次の就職した時点での将来設計は新たに組み直してたんですか。
そこでもまだぼんやりですね。
でもサーフィンもやりながら、仕事もついて、コーヒーも同時にっていう三つの軸はその時にできた。
その時ぐらいからちょっとずつコーヒーが芽生えてきたぐらい。
大肩締めてるのはサーフィンだけど、ちょっとコーヒーが加わって。
でも日本でちゃんとサラリーマンしようみたいな。
行ってた先はバリが多かったんですか。
その時はそうですね、一番行きやすかったんで。
慣れてたっていうのもありますけど、そこの生活に。
行きやすかったんで。
仕事して休み取れたらバリに行って。
そうですね。
他は、他はというか、国内は別にそんなに行ってなかったですか。
国内も行ってますね。
宮崎とかも行きますね、宮崎とか。
1:03:02
日本海の方も行きますけど、高いところが多いですからね。
国内だったらどこが良かったとかってあります?
僕も宮崎ですね。
波がいいというか、バリに似てるんですかね。
宮崎は、波もいいんですけど、人がすごい優しいんです、宮崎の人って。
なるほど。
私がお店で当時聞いてたコーヒーに改めてまた衝撃を受けたっていうのは、カリフォルニアでっていうのはいつ頃?
それは、33歳ぐらいの時ですね。
何がきっかけというか。
どこまでできるかわからなかったんですけど、サーフィンも本気でやってたんで、最後にプロのテストとか受けたんですよ。
プロとかになれないんですけど、自力ながら。
やっぱりあかんかったなって思ってる時に、先輩がアメリカで試合あるから一緒に行くか、出てみんかって言ってもらって、
それ多分3週間前ぐらいだったと思うんですけど、行きますって言って行くんですよ。
それがカリフォルニアのマリブっていうところなんですけど、お酒の名前とかになってるところなんですけど、
そこでコンテストですね。
試合は100%負けるんですけど、
でもすごい有名な選手の演技を見れる。
一緒に戦えるっていう。
プロとかアマとか関係なく年齢の枠だけ30代のクラス、40代のクラス。
一番は60代のクラスなんですけど、もうおじいちゃんです。
そのコンテストは出たいですって言ったら誰でも出れるの?
出れないですね。
一応紹介してもらって、日本で繋いでくれる人いてるんで、
熊本と大阪にいてるんですけど、その人が声かけてくれたので行けるようになったっていうのがスタートなんですけど。
もちろんサーフィンも楽しかったんですけど、
さっきジンコさんの話だったんですけど、
そこでコーヒーのカルチャーに衝撃を受けるっていうのがあったんですけど、
1:06:08
どこに行ってもロースター、カフェっていう。
僕らロードトリップで車でいろんな町に行くんですけど、
どこに行ってもそういうコーヒー飲めるところってあったんですよね。
店の町の中心であるんですけど、
見てたら、日本だったらなかなかないかなと思うんですけど、
警察官の人が普通にカフェでコーヒー買ったりとか、
近所の犬散歩してる人がコーヒー買いに来て一緒に話してとか、
僕らみたいなサーファーと話したりとか、
コーヒーのカルチャーってすごいなと思うんですよ。
日本だったらそういうのは絶対ないと思うんですけど。
生活の一部感がすごかった。コーヒーがある生活。
これは素晴らしいなって思ったのが、
サーフィンもすごいなと思いますけど、そっちの衝撃が僕は…
たぶんそのぐらいの年代の時って、
アメリカでもサードウェーブの一番最盛期っていうか、
話題になったお店たちが一番盛り上がってたぐらいの時ですかね。
ブルーボトルさんとかが、僕知らんと言ってたんですけど、
そういうお店がほんまにやってるなみたいな。
ブルーボトルって何かなみたいな感じ。
後から知って、えーってなる。見たことあるわって。
日本に上陸してくる前だったのか。
そうですね。
そういうのがあったと。
味的にも、コーヒーの味もレベルも上がってる時だし、
カルチャーもコーヒースタンドというか、
飲んでタッチ飲みというかで喋ってるみたいな感じとかがすごく。
スターバックスのコーヒーからブルーボトルのコーヒーになったっていう、
ウェーブの時とか。
フルーティーとか酸味のコーヒー。
なるほど。そこにも出会い。
そうですね。
コーヒーその、普段はカフェラテとかしか僕も飲めなかったんですけど、
普通に飲みに行った時って。
で、その時お店の人、みんな注文するんですけど、
ちょっと発音僕上手くないんですけど、
プアオーバーいう注文してたんですよ。
1:09:01
何かなと思って。
何かなと思って。
結構みんな注文してて。
それはハンドドリップで丁寧に入れたコーヒーっていう意味で、
後で入れてもらって分かるんですけど。
もう一回言ってもらっていいですか。
プアオーバー。
で、ホワイトボードに書いて、メニュー表に書いてるんで、
そんな何か分からなかったんですよ。
確かにパッて言われても。
それかだからずっとそれまではマシンで入れてたものが、
手仕事、ハンドクラフト、そういう人の手間がかかったコーヒーに価値を見出してっていうのが、
サードウェーブの中に1個あると思うんだけど、
それって多分ブルーボトルの創始者の方が、
日本で出会ったコーヒーの抽出の技術に感銘を受けて、
持って帰って立ち上げて、
それをお正さんアメリカでまた出会った。
逆輸入の逆輸入みたいな。
かなり衝撃でしたね。
それがもうそういう価値になってるんですね。
その手をかけるっていうか。
クラフトマンシップみたいなのが。
ただただコーヒーの豆の種類とか、
焙煎の仕方じゃなくて、
その手仕事であったり、
おもてなしとか。
確かにネルドリップとか昔ながらの喫茶店とかで、
ネルドリップでこだわってみたいなこともよく聞きますもんね。
日本とかだと。
ネルドリップからまたもう一個、
ペーパーフィルターの文化とか技術も日本でさらにグーッと。
そうなんですね。
レベルが上がっていってて。
ハリオっていうメーカーさんがあると思うんですけど、
そういうものがアメリカでも使われるようになって、
ハリオV60。
そうですね。
だいたいハリオが多いですね。
コーヒーに興味を持った時に、
パッと選択肢にあるのってハリオのイメージが。
ハリオって日本なの?
そうなんですよ。
知らなかった。
そうか。
いや、おもしろいですね。
どこまでもコーヒーにつきまとわれてるのが、
吉尾さんの人生に。
ほんまに衝撃ですね。
衝撃を受けて、
お、コーヒーってすごいと思ってからどうなるんですか?
そっからは、
コーヒーとかそういうカルチャーに憧れて、
1:12:02
4,5年くらい通いましたね。
サラリーマンやりながらですけど。
アメリカに。
試合も出させてもらってたんで、
その時は自分でコーヒーをやりたいとかじゃなくて、
その感覚を忘れたらあかんっていう自分がおって、
それに行ってたって感じですね。
帰ってきたら、その時はなかったような気がするんですよね。
その当時日本になかった景色がアメリカで見れてたけど、
どうですか?最近は日本にも定着してるの?
定着してますね。
似てます、とても。
その時は楽しむ側であって、提供というかお店側という概念は全くなかったんですか?
ないです。
ただただその文化を楽しみに忘れたらあかんっていうのがあって、
通ってるっていう感じですよね。
ただそれがどこかのタイミングで変わるんですよね。
ちょうど通ってる一番最後の年なんですけど、
その時僕も結婚してたんですよ。
普段は僕しかそういう光景って見てなかったんですけど、
嫁さん、英子って今のお店のオーナー、英子なんですけど、
にもちょっと見せたいなっていう。
写真じゃこれ伝われへんな。
一回ちょっと一緒に行かんかっていう感じで、
中場強引に連れて行きましたね。
嫁も結婚してたら二人で普通に旅行とか行くって当たり前だと思うんですけど、
パニック障害というか病気に乗ってたんで、乗り物に乗られへんかったんですよ。
結構ね、飛行機とかも狭いし怖いっていう人もいますよね。
しかもアメリカまで渡ろうと思ったら長いよね。
まだバリの方が近い。
だからすごいハードルが高かったんで、僕はずっと一人、
嫁さんを日本に置いてずっといてたんですけど、
一緒に行こうって言って、いきなりアメリカってハードル高いんで、
ちょっと何時間かで行けるところとか、近場で何回か練習して、
飛行機だけ乗って帰ってきて、乗って帰ってきて、繰り返しでして、
1:15:01
なんか行けそうやなっていうタイミングでチケット取って行こうって言って。
粘いですね。
やっぱり嫁さんって僕なんで。
そのぐらい共有したいものがあった。
確かに。
で、無事行けて。
無事行けて、やっぱり後継一緒にそういう文化見てもらったら、
感動してもらったっていう、大きかったですね。
その時に、コーヒーは全然関係ないんですけど、
新婚旅行も、式とかもあげてなかったんで、
向こうでちょっとやらせてもらったりとか、
そういうのもあって、すごい良い思い出になって、
日本に帰ってきたんですね、2人。
また行きたいなという話にしてたら、コロナが始まって、
もうそういうの行けなくなったんですけど。
で、その後、行けないんで、
でもあの時の衝撃とか味って、
その時はエチオピアノになって、
やっぱり衝撃が忘れられなかったですね、フルーティーが。
忘れられへんなーって言ってて、
嫁さんもそんな感じだったんで、
いろいろ調べてたら、
シェアロースターってなんかあるで、
一回話し聞きに行ってみようかって言って、
シェアロースターやってるところが兵庫の西宮だったんですけど、
そこに行って、コーヒーの焙煎をいきなり始めるっていう感じです。
教わるとかじゃなくて。
ないです。そこはシェアロースターって言って、
焙煎機の時間出しなんで、
そこで教えてくれるところは機械の使い方ぐらいです。
じゃあ、予備知識全くなく、焙煎ができる意識揃ったところにいきなり飛び込んだみたいな。
そこにあった焙煎機は?
そこにあった焙煎機は、ローリングっていう機械なんですけど、
何キロ?
7キロですね。
何キロから焼けるんだ?最初。
最初は1キロでやってましたね。
それが正解かどうかは分からなかったんですけど、
すごいね。
とりあえずやらなかったら分からへんなと思ったんで。
エチオピアを再現しようっていう思いで。
そうです。まさに。
でもそれは、最後まで再現できなかった。
ローリング。
1:18:00
それは自分の知識とか技量とか足りないんで、当然の話なんですけど、
そこで焙煎するっていう楽しさを学びました。
どっちかというとそっちの方が学んだと思います。
そんな簡単じゃないと。
奥深さというか。
奥深さ。
だからちょっとチャレンジしたいっていう気持ちは。
そうですね。
そこのシェアロースター借りてて、
たまたま友人がそういう場を設けてもらって、
イベント出展というかコーヒーの機会とかもらって、
ちょっとずつ活動していくんですけど。
その頃は吉田さんが思うおいしいコーヒー豆が焙煎できるような形になって。
その時は、飲んだ時の味ではなかったです。
でもお客様には出せる味には。
でも今思えば、今もまだまだなんですけど、
そんなレベルでもなかったと思います。
実際。
でもその時はもうマイルストーンという名前はあったんですか?
その時は、出展するに名前を決めないといけないので、その名前にしました。
それが何年?
いつ頃からですか?
コロナあたり。
そうですね。2020年か2021年とか。
2021年ですね。
ぐっと近づいてきましたね。
ずっと、はい。
マイルストーンという名前にしたのは何か理由というか、あるんですか?
マイルストーンって直訳したら、ほんまにマイルって距離。
ストーンって意思。
語源的な感じで言ったら、目印になる意思って昔ずっと置いてたんですよね。
目標になるような意思って言ったらいいんですかね。
和歌山だとちょっと違いますけど、長石道とかね。
目印にある意思、道標でもあり、距離を知らせるものでもありっていうものですかね。
そうですね。そういう意味は知ってたんですよ。
道標。
いいなと思ってたんですけど、それをお店の名前にしたっていうのはやっぱり、
1:21:02
ちょっとここ飽きます。
全然全然。整理していただいて。
お店にするっていうのは、
そうですね。やっぱり僕の人生、旅ばっかり行ってたんで、
そういう旅先で泊まったお店でやったりとかって結構道標になってたんで、
そこでいろいろ教えてもらったりとかして、次の目的地行ったりとかだったんで、
そういうお店になればいいなという形。
自分も誰かの道標にもなるような。
そうですね。なれたらなと。
なるほど。自分がそういうお店に、そういう道標になってもらったなっていう感覚があるから、
自分もそうなりたいっていう感じですね。
なるほど。
そうですね。そういう感じですね。
シェアロースターでずっとイベント等に出たりしてて、
2021年ぐらいから始めて、つい最近まで続くわけですね。
いや、それがね、続かないです。
2年ぐらいはやってたんですけど、
僕の中である一言がすごい風に落ちたタイミングでやって、
その一言きっかけでもう辞めますとね。
出店とかって。
僕はシェアロースターで機械を借りてやってたんですけど、
やっぱりコーヒーの売占って自分の機械持ってからがスタートだよなって、
ぽろってある人に言われたんです。
どんなことを言う人いる?
01:25:02

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