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和歌山市のアウトドアショップ、天羅&トレイルの白石で、有田市のコーヒーショップARCの上田です。この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第49回です。 本日は、和歌山市にあるベーカリーチックタックで収録しています。
本日のゲストは、ベーカリーチックタックの輿石紘一さんです。 輿石さんの生まれから現在に至るまでのルーツや、現在の活動のこと、
これから計画していることについてお聞きしていきます。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 それではまず、輿石さんから自己紹介していただいてもいいですか。
和歌山市園部にある小さなパン屋、ベーカリーチックタックというパン屋を営んでいる輿石紘一と申します。
年齢は36歳で、今年37の年です。
ありがとうございます。小さなパン屋さんと言われましたが、結構でかいと思うんですけど。
今でもあくまで街のパン屋ということで。
ベーカリーチックタックといえば大人気なお店だと思うんですけど、どういうパン屋さんなのかとかって、輿石さんから簡単に紹介してもらってもいいですか。
ベーカリーチックタックは、自家製コウボと国産小麦をメインに使っているパンを扱っています。
僕がもともと料理人だったので、素材や具材にこだわったパン屋になりますね。
なるほど。チックタックさんといえばパンが美味しいのはもちろんなんですけど、外から見ててめっちゃ人気だなというのが常に感じているんですけども。
売れてるパン屋さんっていっぱいあると思うんですけども、売れてるだけじゃなくて、すごいセンスのいい出方をしているというか。
そんなことはないんですけど、本当にコツコツとやるっていうのをお師匠さんたちから教えていただいたので、
本当にシンプルに真面目に誠実にコツコツやるっていうことを繰り返しているだけですね。
そんなチックタックさんに至るまでのこれからのこれまでの話をちょっとこれからいろいろ教えていってもらいたいんですけども。
まず、お師匠さんはご出身はどちらですか?
山梨県の甲府市に生まれました。
甲府市どんな町ですか?
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一言で言うと、もう本当に和歌山市とそっくりな町です。
そうなんですか?
希望館とか栄え具合とか、人口とか、もう本当に和歌山市とすごい似ている部分が多くて、
都会が隣にあるっていう共通点があったり、
自然が多かったり、あとは果物がすごくたくさん摂れるっていう共通点があります。
そうなんですね。山梨の甲府は県庁所在地?
そうですね。東京のすぐ横ぐらいの甲州街道ですぐですね。
大阪に出る、東京に出るみたいな感じで、結構近いところがあります。
ちなみにそんな町でどんな家で生まれたんですか?
父親は建築業をしていたんですけれども、
僕が中学生の頃に、僕のおじいちゃんの頃から続いてたんですけれども、
家業をたたんで、市議会議員に連行して、
だから今もそれを継続しているので、かれこれ20年以上、何年やってますね。
そうなんですね。ベテラン議員さんですね。
ベテラン議員ですね。
家庭環境はどんな感じだったんですか?
父と母がいて、4人兄弟の僕が一番上です。
4人兄弟?
妹がいて、その下に弟が2人いる感じですね。
子供の時ってどんな感じだったんですか?
すごい活発だったと思います。
もう自転車一つで友達とどこまででも行くようなタイプですね。
冒険とか探検が大好きな。
なるほど。
立ち位置的にはクラスの中でも活発な、ガンガン行く感じの。
リーダー的な。
全然リーダーとかではないんですけど、すごい活発で友達に恵まれてました。ずっと。
周りにはずっと友達がいて、楽しいことしか記憶がないぐらい。
友達に囲まれてずっと過ごして。
今思えばラッキーというか、本当にそんな友達に巡り会えてよかったなって思う子供時代でしたね。
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ネットの記事で、小学校高学年ぐらいから弟と妹の食事を作ってたみたいな記事があったんですけど、これどういう状況だったんですか?
とにかく両親が忙しい二人だったので、本当に母親からある日突然、
あなたは料理当番。妹が洗濯当番。弟はゴミ当番みたいな。
全員指名を受けて、それを遂行するためにご飯を作らなきゃいけないっていう。
毎日ですか?
もうほぼ毎日ですね。
すごいですね。
お母さんは何されてたんですか?
父親のお手伝いもさせましたし、
サポートを。
会社をしているっていう時点で、ずっと忙しそうな二人でした。
小学生でご飯作れって言われても、作れるもんなんですか?
本当に今でも覚えてます。毎日失敗しながら。
とんでもないものを食べさせてましたね。
特に教えてくれたりはなかったんですね。
本当に見てはいたんですけれども、丁寧に何かを教えてもらうっていうことはほとんどなかったですね。
ぐちゃぐちゃな食べ物を食べさせてました。
すごい。
そんな小学校時代で、中学校も料理はずっと継続して?
そうですね。
ずっと中学生ぐらいまでは続いてましたね。
じゃあ、お父さんが議員さんになってからは?
お母さんが作るようになってみたいな?
逆にさらに忙しくなってたんで。
まだまだ作ってたみたいな?
そうですね。
作ってたんですけれども、弟も妹も成長してくるんで、少しずつ彼らも自分たちでできるようになってたんで。
僕はとにかく遊ぶみたいな。
各自何か作ってみたいな感じに?
毎日ではなくなってきてましたね、少しずつ。
ちゃんと母親も作る日もポツポツとあるような感じで。
各自作るっていうようなことはあんまりなかったかもしれない。
作るとなったら6人家族だったんで、誰かが作るっていうような感じでした。
すごいですね。
じゃあ、その時に結構料理も好きになってみたいな?
そうですね。中学3年生の時には料理人になるって文集みたいな、卒業アルバムみたいなの書いてましたね。
それはやっぱり料理作ってきた経験から好きやなみたいな?
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本当に漠然と楽しそうだからやってみようくらいの感覚です。
もう何も知らないけど。
中学生の時に上手くなってたかと言ったら、本当にその時もまだぐちゃぐちゃです。
何か思い出に残ってる料理とかってあります?
長ネギと椎茸の卵とじ。
渋いですね。
その時、山梨で農家さんが周りにたくさんいて、
本当に美味しいものが周りにたくさんあったので、
母親が椎茸と長ネギと卵の組み合わせをよく作っていたのを見て真似して、結構それは作り続けてましたね。
定番として。
自分の中では。
卵とじってどういうことですか?親子丼的な味?
そうですね。本当にそんな感じです。
それがだんだん巻いてみたりとか。
その組み合わせが好きで。
思い出に残るって言うと、それが今パッと思い浮かびました。
なるほど。
ちなみに学校ではどんな感じの人やったんですか?
クラスでの立ち位置とか部活やってたりとか。
そこも変わらず、ずっと遊んでました。
本当に。
こないだ、それこそ山梨の本当に中学校の頃の友達がわざわざ来てくれて、
和歌山旅行に来たからって言って来てくれたんですけど、
その時もその中学生の頃のアホなことしかしてなかったので、
それでもう腹よじれるぐらい笑えるぐらい。
どんなことしてたんですか?
ちょっと何か。
中学校がドヤンキ学校だったんですよ。
山梨県だとその中学校出身って言うと結構えってなるような。
だから結構小学生の高学年になると、
みんな私立に行くか、中学に行くか悩むような中学校で。
たまたまなんですけど、僕らの学年だけ割と平和な学年だったんで、
不良というよりかもアホなことするような。
一つ上の先輩とか二つ上の先輩とか一つ年下の子たちは本当にいわゆるドヤンキなんですよ。
奇跡の世代で。
そうですね。
平和な。
平和でしたね。
平和だったと思います。
ただ同級生の友達とか女の子の友達に聞くともう二度とあの頃には戻りたくないって言いますけど、
12:03
僕ら男の子は結構楽しかった思い出かな。
どういう状況ですか?
何て言うんですかね本当に。
分かりやすく言うと本当にリアルクローズみたいな。
もうケンカで負けたら机とか椅子3階から投げつけられるとか。
本当に?
本当に中学生でもバイクで学校廊下走るとか。
ちょっと本当に破天荒な学校でしたね。
そういう中学校だったんですね。
先生もすぐ辞めちゃうような。
じゃあそこの中学校経て高校へ。
高校へ。
高校はどんな感じの高校だったんですか?
高校は急に真面目な進学校に行ったんで。
勉強は結構中学校の時からできた感じで。
いやもう本当に中ぐらいなんですけれども、
なんか勉強も大嫌いだったんで、
とにかく勉強をしないでどうしようどうやって生きていこうって考えるようなタイプです。
じゃあ高校は進学校なんで、
全体的に平和な感じで。
そうですね。
それぐらいの学力はあったんで、
高校は入学もできたし、
あとは部活はバスケットボールをしてたんで。
それはもう中学校から?
はい、そうですね。
もうひたすらバスケットバスケットですね。
ちなみにバスケ以外に好きなこととかってあったんですか?
やっぱりでもその中学の頃から料理になるって決めていたんで、
高校に入ってからはすぐに何か料理に携わりたいと思って、
結構すごい強い学校だったんですけど、
バスケが強かったんですけど、
もう隠れてアルバイトしてましたね。
最初はお弁当屋さんに入って、
そうですね、本当にチェーン店なんで、
何か別にすごい料理をするわけではないんですけど、
中房はどんなもんかっていうのをそこで教わって、
こんな世界なんだっていうの。
初めて人にお出しする料理を作る場所だったんで、
そこでおばちゃんたちに囲まれながら、
すごい、はい。
そうですね、食品に対する衛生観念とか、
そういうのも中学から上がってきた時だったら分からないですもんね。
そうですね、本当に中学校の頃はぐちゃぐちゃの料理を作ったことがなかったんで、
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そんな強いバスケ部入りながらバイトとか結構大変じゃないですか?スケジュール的に。
そうなんです。だからみんなからは本当に頭おかしい。
スケジュール的にはどんな感じだったんですか?
いやもう、本当に普通にアルバイトなんかできる環境じゃないと思うんですけど、
もう隙間見つけては入れてもらってっていうような感じですね。
バスケの練習が休みの日とか。
そうです。
お弁当屋さんどうでした?働いてみて。
楽しかったですね。初めてお給料をもらうっていうこともそこで知ったし、
初バイトの帰りに自動販売機でジュース買ったの覚えてます。
まだお給料もらってないけど。
働いたなって感じの。
そうです。
どういうところがその時が面白ポイントだったんですか?お弁当屋さんの。
もうやっぱ知らないことだらけですね。
お米を炊くのもすっごい大きい釜で炊くし、フライヤーみたいなものも初めて見るし、
かつ丼作るってこんな風に作るんだか、
もう本当に何もかもが初めて見る世界だった。
もう家の台所しか見たことなかったので、
何もかもが楽しいと思いました。
それは結構高校3年間続く感じですか?
それは高校2年の半分くらいですかね。1年半くらいして。
そうですね。部活が忙しすぎて。
ちょっと続けられないなと。
そこはそうです。それくらいで。
これは許可取ったりはしたんですか?
してないです。
バレずにでも行けたんですか?
はい。学校も絶対しちゃいけない学校だったんです。
そうなんですね。
すごい。
じゃあそれ、売店辞めてからはもう部活に専念してっていう感じですか?
そうですね。部活に専念もするんですけど、
でも部活が遠征がとにかく多い。
お金が必要だったんで、
コンビニでアルバイトはしてましたね。
結局。
すごい家からの近くで、夜とか。
そのお弁当屋さんよりさらに融通が効く。
そうですね。時間的にも終わってからできるとかですね。
そうなんです。24時間だし。
そうなんですね。
そこは週に2日くらいお世話になってましたね。
じゃあバスケの方も結構コシさん活躍したというか。
いや僕もう本当に超強豪校の一番下手っぴみたいな感じです。
本当に。全然試合も出れないし。
はい。
もうずっとベンチでしたね。
けど練習は頑張って。
そうですね。バスケ自体は大好きですし、
そのチームメイトも大好きですし。
高校時代って結構いろいろカルチャーとか好きなこともできてくる時だと思うんですけど、
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その時ハマってたこととかありました?
やっぱり中学って本当にふざけたアホみたいな遊びしかしてなかったのが、
高校に入ったらいろんな中学から人が集まるじゃないですか。
やっぱりすごいおしゃれな子とかバスケ部にもいて、
その子からいろんな服のブランドを教わったり、
東京に服を買いに行くみたいなことを教えてもらったみたいな。
いいですね。
とかバスケ部じゃないにしても本当に普通にクラスの仲のいい友達が、
いろんなことを教えてもらって、
こんなかっこいい世界あるんだみたいな感じで、
服楽しいなみたいな感じで、
おしゃれってかっこいいんだなっていうのをすごい遅れて知っていきました。
東京までどれぐらいなんですかね?
電車で2時間ですかね。
じゃあ全然行きやすい感じで。
そうですね。日帰りで行けるし、
高校生でもバスとか使えばもっと安く行けるんで、
やっぱりもう原宿に行ってました。
裏原みたいなストリート系のブランドにも強い憧れを持って見に行ってましたね。
そんな高校時代を経て大学ですか?
僕は料理学校に行きました。
じゃあもう進学先も料理人になりたいから料理の道って感じで。
高校を進学校を選んだのはやっぱり親族から大反対。
料理人になるっていうことはすごい大反対を受けて、
一応大学に行くという想定もした上で高校を選んだんですけれども、
全然気持ち変わらなかったので、
辻調理師専門学校の東京の学校に進学しました。
その時はもう特に反対とかもされなくなってた感じなんですか?
そうですね。もうその高校3年間の間で説得しました。
でも進学校だったら学校の先生からも言われないですか?
でも結構もう本当に高校1年の最初からもう料理人になるって言って、
辻調理師専門学校に行くとまでも言っていたので、
割とすんなりと。
そこまで変わらなかったのは何でなんですか?
何でなんでしょうね。
21:00
結構なんかいろんな職業とかいろんな情報を得て、
なんかちょっと気持ちも最初思ってた気持ちから変わってきたりもしやすい年齢だと思うんですけど。
そうですね。
あとはバスケットを引退した6月、一番最初の大会で引退して、
6月から山梨県にあるフランス料理店でアルバイトすることがあって。
そこでフランス料理のシェフってかっこいいっていう影響を受けたのも、
さらに拍車をかけたという。
そこはそうですね、料理人になりたくて、
いろんなお店に面接したいって電話をかけたんですけれども、
やっぱり高校3年生って言った時点で全て断られて、
で、唯一話聞いてくれるって言ったのが街場のレストランのフランス料理店のシェフだったんですよね。
そこではどんなことをしてたんですか?
もうひたすら洗い場と、あとはホールですね。
もう料理を運んだり、説明したりっていうお仕事をさせてもらいました。
包丁を握るタイミングはパン切るタイミングとかくらいで、
ほんとにパン以外の食材を触らせてもらったのは、
ほんとに辞める一番最後の日に初めて玉ねぎの皮むきをさせてもらいました。
そこでのかっこよさを知ったっていうのはどういう点がかっこいいなって感じだったんですか?
フランス料理は食べたことも見たこともなかった料理だったんで、
もう自分の知らなすぎる世界の食べ物を作っていくっていうのを見て、
もう強い憧れを持ちましたね。
じゃあ将来はフランス料理をやりたいなみたいなのはそこであったんですかね?
そうですね。そのシェフの教えでもあるんですけれども、
もし料理になりたいのであればまずはフランス料理を勉強しなさい。
なぜならば一番難しいからって言われて、
もしこの先違う料理をしたいってなっても、
まずフランス料理をしっかり覚えていたら何でもできる。
ラーメン屋でもパンカツ屋でも弁当屋もできる。
本当に高校3年生は純粋というか、
なるほどってなって、
なるほどってなってフランス料理を勉強しよう。
24:04
じゃあ辻調理師専門学校でもフランス料理のコースみたいなのがあるんですかね?
そうです。それの専門のコースに進学しました。
全部のまんべんなくいろんな料理が学べるコースもあるんですけれども、
僕が専攻したのはフランス・イタリア料理専門のカレッジを希望して入学しました。
へえ。調理師専門学校でどんなことを勉強するんですか?
辻調理師専門学校のすごいところはとにかく実習が多くて、
座学みたいなのもあるんですけれども、ひたすら実習なんで、
そこが魅力的でしたね。
やっぱり何にしても実習って、
実習を重ねることが強いと思うんで、
座って黒板見て勉強するっていうのも大事だとは思うんですけれども、
それよりもやっぱり包丁握ってどんだけ食材触るかっていうのが大事だと思うんで、
それができるっていうのがすごい魅力的で。
へえ。
朝行って今日はこれを作りましょうって言ってみんなで作るみたいな。
そうですね。大体調理実習の前日にその料理についての
歴史とか、あとはメニューのレシピとかっていうのを学んで、
次の日実習みたいなことの繰り返しでしたね。
へえ。専門学校どうでした?
なんか楽しかったですね。
楽しかったんですけど、1年間っていう結構短い期間で、
アルバイトしながらもう料理料理だったんで、
あんまり実は覚えてないというか、
あんまり遊んでもないですし、
ひたすらバイトと学校みたいなので、
1年あっという間に過ぎましたね。
バイトはまたフランス料理とは違うところで?
イタリア料理店でアルバイトしてました。1年間。
それは別になんでもよかったんですけど、
本当に一番時給が良かったんで、
近くのイタリア料理店でアルバイトしてました。
その時は東京から、東京からというか東京で下宿して、
そうです。もう学校のすぐ近くにアパート借りてっていう感じですね。
1年で終えて就職ですかもう?
就職ですね。
就職はどういったところに?
もちろんフランス料理店を探していたんですけれども、
僕がすごい就職したいと思っていたレストランは、
本当に人数も一町で修行したいっていう方がすごい多くて、
結構週末、六本木にあるお店なんですけれども、
土日にスタジエで研修するっていうのが、
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フランス料理の世界にはよくあるんですけれども、
毎週土日に包丁を持って通って、
ここに入りたいっていうアピールはしたんですけど、
やっぱり入れなくて、
もうこれは入れないってなったのが12月。
普通だったら結構遅いというか、
結構周りにも就職がホテルとかレストランとか、
同じクラスの子たちも決まっている中で、
僕は結構スタートは早かったんですけど、
決まらなかったんですね。
言ってもやっぱり飲食の世界って、
人手が足りてないお店がいっぱいあるんで、
結局4月には就職はできたんですけれども。
就職できなかった六本木のお店は何が良かったんですか?
何で行きたいなって思ったっていうか。
えっと、19歳なりに、
やっぱりいろんなお店やいろんな話を聞いて、
考えて見て雑誌を見たんですけど、
まず料理が美味しいはもちろんなんですけれども、
やっぱりそこのお店から育って活躍しているシェフが多かった。
っていうのはやっぱりすごい、
教え方だったり考え方っていうのを、
学べる場所なんだなっていうのを思ったから、
そこに就職したいなと思って。
やっぱりこう、
ゆくゆくは独立するぞっていう気持ちが、
多分そこからあったっていうことですね。
そうですね。
独立する気持ちは、
もう何だろう、中学生の頃から持ち続けてましたね。
はい、なるほど。
じゃあそこに一番いい感じに行けるルートを探してって感じですか?
そうですね。
でも一番最初に4月から就職したお店は、
要は僕が入りたかったお店のシェフの弟弟子になるので、
料理は系統が一緒だったんですけれども、
やっぱりそのシェフが聞かないと思うんですけど、
すごい僕は合わなかったというか、
結構結論言うともう3ヶ月で辞めちゃったんです。
もうつらくてつらくて。
体育会系なんで、
怒られるとか殴られるとか、
なんか蹴り飛ばされるとかは割と大丈夫なんですけど、
30:00
そうじゃないほうの、
ちょっと陰湿な系な。
陰湿な感じだったんで、
もうなんか口も聞いてくれないような感じの方だったんで、
ちょっと心がポキッと折れてしまって、
結構3ヶ月で辞めました。
その時も本当にその3ヶ月で15キロぐらい痩せました。
だいぶメンタルが得られて。
得られましたね。
多分あれは人生で唯一のやられた時かもしれません。
そうなんですね。
その後、もともと入りたかったシェフのところにも
言いに行ったんです。
3ヶ月で辞めてしまいましたって話をして、
残念がって言ったんですけれども、
そのシェフが次に僕が好きなレストランって言ってくれて、
あげてくれたのが、
僕が一番長く修行することになるレストラン、
木下というお店を教えてくれて。
その当時、本当に日本で一番予約が取れないレストランだったんで、
もちろん名前は知っているし、
予約も取れないし、
ただとんでもなく厳しいレストラン。
水道理士専門学校の進路説明会とかでも、
東京で行っちゃいけないレストランっていうのを、
進路指導の先生が教えてくれるんですけど、
一番最初に上がるぐらい厳しいレストランですね。
そこは本当にガッツリ大工会系のレストランなんですけど、
そしたらもうそこに行ってみようと思って。
やっぱり人手が全然足りてないんで、
もうその日にもう来いみたいな感じで。
こえー。
もうすぐに。
こんな簡単に就職決まるんだ。
結構大きいお店っていうか、何人も働いてるみたいな感じですか?
本当に32席のレストランだったんで、
そんなに大きくはないんですけれども、
人はやっぱり入れ替わり立ち替わりすごくて、
もう本当に入った瞬間にもう替わりのやつが来たって思われて、
人がもう消えていくみたいな。
なるほど。
ところて方式で。
辞めれるわって感じで。
辞めれるってなってすぐ何も言わずに消えていくんですよ人が。
どういう厳しさなんですか?
やっぱりまず体力の部分でも本当に朝から朝まで働くような。
朝から朝まで働くような職場だったんで。
営業もして仕込みもあるからずっとっていう感じですか?
本当に片付け掃除もやっていたら、
もう終わらないぞみたいな、24時間じゃ終わらないぞみたいな、
33:01
レストランでしたね。
そこで最初は皿洗いとかホールから始めるみたいな。
そうですね。本当にそれこそおっしゃる通り、
ひたすら皿洗いとホールですね。
どういうステップで進んでいったんですか?
もう本当にそんなに器用な人間ではないので、
怒られまくりながら、本当に2年半はホールでしたね。
厨房に入りたいって思っているし、希望してますけど、
ひたすら雑用と先輩の手助けと、あとは賄いですね。
唯一料理ができるのは賄いの時間ですね。
そこからどうやって厨房に入っていくんですか?
長く働いたから認められるっていう。
そうなんですって、変にホールができちゃって。
お客さんからもすごい可愛がっていただいて、
そのシェフがスキンヘッドだったんで、
無言の圧力でやっぱり坊主にしなきゃいけないっていう。
僕ずっと野球部だと思われてる。
野球部の星石くんみたいな感じで。
変に記憶力も良くて、お客さんの好みだったり、
名前も顔も結構覚えられるタイプだったんで、
本当に気に入られて、あれこれってもしかして逆に
ホールから抜け出せないんかなとかって思ってたんですけれども、
賄いをとにかく頑張って、そのレストランは賄いの美味しさで
お給料が決まるぐらい賄いが重要だったんで。
賄いをとにかく頑張ってアピールしましたね。
スキルを上げるのは賄いの場しかないっていう感じですか?
そうですね。
あとは先輩がやっているお仕事を先回りして、
手伝わせていただくっていう感じですね。
これやってからじゃなくて、先回りしてやっときましたっていう。
そうですね。
もうやれって言われてからじゃ遅い。
しかもそうじゃないと食材に触れないみたいなところもあるんですかね。
しかもそれが嫌とも思ってないというか、
自分がしたくてこの道を選んで、
自分の選択でそのレストランを選んでやってたんで、
全く苦とも思ってなかったんで、むしろ楽しいと思いながらやってましたね。
その場所で働けて嬉しいし楽しいみたいな。
そうですね。
その1件目の3ヶ月の挫折が結構ある意味あってよかったのかなって。
なるほど。
がっつり。
あれより悪い言葉だった。
そうですね。
体育会系の方がメンタル的にも合ってるし。
36:02
合ってたんだなって。
そうですね。
なるほど。
怒ってくれる方がありがたいというか、
何も話されないよりかはっていう。
2年半を経て中央へ。
そうですね。
本当にちょうど空きができて、
ポンポンと先輩が抜けて、
デザートポジションが開くってなって、
デザートを作るっていうところから入りました。
そんないきなりポンと入ってできるもんなんですか?
できないですね。
だから本当に寝ずに覚えるみたいな感じでしたね。
朝から朝まではやりつつ、
そういう新たなことも覚えてみたいなんで。
体力的には結構ヤバかったんじゃないですか?
でも体力が本当にあって。
いまだにシェフに、僕の師匠さんに会っても、
お前の体力は歴代でもピカイチっていう。
体力だけはみたいな。
体力むっちゃあったんですね。
体力がすごかったですね。
へー。
だからまず第一の関門というか、
その体力についていけないと、
やっぱりみんないなくなってしまうんで。
なるほど。
じゃあデザートをやって、
どう進んでいったんですか?
次は大体前菜とか、
下処理っていうポジションに入っていって、
少しずつ料理に、
デザートよりかも料理に近いお仕事をしていくっていう感じですね。
野菜に触っていって、
お魚に触っていって、
お肉に触っていくような感じで。
うーん。
その時はこすり師さんとしては、
将来的にはここで修行して、
自分でフランス料理の店を出そうかなみたいな、
感じだったんですか?
でもフランス料理店を出そうっていう気持ちは、
実は一回も思ったことはなくて。
へー。
本当にその高校生の時に働いていた、
アルバイトさせてもらっていたシェフの、
言いつけ通りというか、
まずはがむしゃらにフランス料理を勉強しなさいっていう、
その言葉の通り。
へー。
その時は何をやりたいとかも決まってたんですか?
決まってなかったです。
うーん。
じゃあとりあえず基礎を、
何でもできる基礎を身につけて、
何かやりたいことを探していこうみたいな。
うーん。
その修行期間中、休みの日とかってあったんですか?
週に一回、月曜日がお休みだったので。
はい。
その時はどんなことをしてたんですか?
もう本当に東京中のお店を食べ歩きしてましたね。
食べることがとにかく好きだったんで、
そのレストランももちろん行くんですけれども、
本当に立ち食いそば屋さんも行きますし、
パン屋さんも行きますし、
喫茶店も行きますし。
39:01
へー。
どんな、ジャンル問わずですね。
いろんなお店に食べ歩きしてました。
その修行期間はどれくらい続くんですか?
5年半、そのお店では。
はい。
はい。
勤めさせてもらって。
で、25歳で退職しましたね。
その5年半で最終というか、
はい。
どこまで任せてもらえるっていうのはあるんですか?
僕はタイミングが良かったんで、
その副料理長のポジションまで行きました。
へー。
はい。
行きましたね。
はい。
そこは本当に2年半ホールだったんですけど、
本当にそこからはスピードが速かったですね。
すごいですね。
やっぱりまかないで本当に鍛えられたんだなって、
はい。
今思えば思います。
うん。
まかないを食べ、
まあ先輩たちとか料理長が食べて、
はい。
そのフィードバックがあるんですか?
あります。
うん。
どんな感じなんですか?フィードバックというか。
最初のはずっとコテンパンにされてましたし、
食べてもらえないこともありましたし、
見た目からあかんみたいな。
見た目からもだし、一口食べてもういらんみたいな。
ああ。
もう全然ありました。
へー。
めげそう。
めげましたね。
そうですね。
なんか何作ってみようとか。
ほうほうほう。
カレーとか。
はいはい。
そんな作ったこともない料理にチャレンジして、
はい。
本当に今でも覚えていますね。
何作って、
もうもちもちではなくカッチカチのなんでもできる。
そのなんで頭殴られ、
パン、パンってはじけたのを覚えています。
へー。
それはなんなんですかね。
料理人のその美味しい料理作る、作れないって、
センスなんですかね。努力なんですかね。
あ、僕の場合は努力ですね。
うん。
あとは喜ばせたいって思うのが一番の、
あとは驚かせたいとか。
はい。
まあ喜ばせたいに通ずるんですけれども、
それがすごい大事だと思います。
センスのある人なんて本当に一握りだと思ってるんで、
ほぼ大多数の方々は努力で覚えてるんじゃないかなって思います。
ああ、なるほど。
じゃあ頑張って副料理長まで行って、
けど辞める判断っていうのはなんでまた。
えっと、とにかく肉を焼きたかった。
その、そこの仕事はやっぱりそのお師匠さんが絶対やるポジションになったんで。
ああ、そういう意味やったんですね。
なるほど、はい。
で、やっぱり自分が次は肉を焼きたい、シェフになりたいっていう気持ちがすごい強くなってしまって、
42:06
で、やっぱりすごい有名なお店のその副料理長のポジションだったんで、
結構本当にお声がかかるんです。
まだ25歳の若造でも、
なんかお店のお誘いがいっぱい来るような感じだったんで。
そうですね、よく考えたら25歳でそんな有名なお店の副料理長ってめっちゃすごいですね。
そうですね、早かったと思います。
そこまでのスピードは本当に早かったと思います。
運も良かったのもあると思うんですけど。
じゃあ引き抜きの話がいっぱい来て。
もう来ましたね。
来て、まぁでも結局その声かけてくれた方々よりかも普通に自分で探して働いてみようって思って。
フランス料理なんですけど、ビストロっていう、要は居酒屋。
ちょうど庶民的な感じ。
そこは何でまた選ばれたんですか?
やっぱりお給料とお休みとか。
結構そっちの方で。
そっちもやっぱり見ましたね。
ちょうど結婚したんです、その時に。
25で結婚して。
で、今まではもうそんな休みなんていらないと思いながら働いてたんですけど。
そっちもちょっと意識しようかなって思い始めた、25歳で。
なるほど。
そんなめっちゃ忙しく働いてて、いつの間に出会ってたんですか?
すごい言われます。
お師匠さんにもすごい言われます。
お前本当すごいよな。
どこにその体力が。
その唯一のお休みの月曜日に全神経。
すごいですね。
もともと知り合いとかじゃなくて、東京で出会った人みたいな。
そうですね。
山梨か。
山梨ですね。お正月に帰省しているタイミングで山梨で出会って、お互い東京で仕事してたっていう。
へー。
いっぱいいるんです。山梨出身で東京で仕事してる人は和歌山と大阪の関係に近くて。
へー。すごい。そんなことがあったんですね。
たまたま家も近かったっていう。
なるほど。じゃあその結婚おきに仕事もちょっと。
次のステップ行きたいって思うようになってましたね。ちょっと焦ってました。
お師匠さんの奥様。もう後に別れてしまったんですけど、僕がまだ19で就職したときにはその奥さんがいらっしゃって。
その奥さんの教えも僕には結構響いていて。
45:00
自分の年表を作れって19歳のときに言われて。
なんでもできようができまいがまずは計画をするっていうことが大事だって言われて。
何歳で独立したいのって聞かれたりとかもして。
いや決まってないですって。何のお店かも決まってないですっていう話をして。
でもそうだとしても自分で年表を作りなさいって言われて。僕漠然と33歳で独立するって決めて。
33歳のときには子供もいるっていう設定で。
25歳で結婚するとかっていうのも19歳のときに設定。
叶えてる。
そうですね。27歳のときに子供ができるっていうのも一応設定はして。
それは19歳のときに作ってから更新はせずにそのままっていう感じなんですか?その計画は。
そうですね。そのときの計画は33歳で独立まででしたね。
なるほど。
計画をしなさいって言われて漠然と計画をしていて。
そのレストラン機の下も25歳で退職するっていうのを決めてたんで。
19歳のときに決めてたんで。
そこはある意味迷いはなく。
そうですね。お師匠さんには止められたというか、お前まだまだだぞって言われましたけど。
自分の計画を遂行するために。
じゃあ25からは33歳の独立に向けての次のステップで。
そのビストロはどんな店やったんですか?
場所は銀座ですね。
銀座にあって、今でこそ結構小民家リノベーションってすごい聞きますけど、
そのときは本当にまだ珍しくて。
銀座って探したら結構小民家いっぱいあるんですよ。
本当に1個100年の小民家をリノベーションして新しくお店ができるっていうんで、
そこでシェフでやりたいって言って手を挙げて就職しました。
じゃあもう料理長みたいな感じでいきなり。
最初は料理長ではないんですけど、
結構大きな会社だったんで、もう10何店舗。
全部お店の名前も違って、一緒なのは小民家をリノベーションしているっていうところが共通点なんですけれども、
いろんな東京にお店を出していて、
その既存のお店の先輩をまずは最初は横に立ってもらってっていう感じで。
なるほど。
で、しばらくしたらもう任されてみたいな。
そうですね。
48:01
そこでの仕事はどうでした?
楽しかったですね。好きにさせてもらえますし、
自分で初めてメニューを考えるっていうのをそこでしました。
その時どんなものを出してたんですか?
でもやっぱり元板修行先の師匠さんの料理をパクってることが多いですね。
真似をしてましたね。
そこは何年ぐらい?
2年ですかね。
そうなんですね。
2年経ってまた別のお店にっていう。
そうですね。独立を33って考えてたんですけど、
27で自分の方向性決めようって思っていたんで、
ようやくパン屋っていうのをそこで方向性決めて。
なんでパン屋が出てきたんですか?
家族旅行ってあんまりしたことないんですけど、
唯一その27の時に家族旅行したんです。
夫婦旅行?
夫婦旅行じゃなくて、違います。
実家の方の家族旅行ですね。
奥さんも来てない。逆にその、本当に。
お父さんお母さんと4兄弟で。
4兄弟とあと母方のいとこって言うんですかね。妹さんの家族とっていう。
すごい珍しい旅行をして、
その時に軽井沢だったんですけど、
美味しいパン屋さんがあるって言って朝食で食べて、
結構感動したというか、そのシチュエーションもだし、
今食べたらどう思うかちょっとわかんないんですけど、
シチュエーションと食べてる人とその環境が結構僕の中で、
パン屋さん面白いなってなったんですよね。
結構調べるようになっていって、食べ歩くようになって。
その軽井沢のお店はなんていうところだったんですか?
その名前も実は覚えてないんですよ。
本当にフラッと入ったお店で、そんなになんかすごい有名店とかでもなくて。
それは味に感動したんですか?
味もですね。味も感動したし、味よりもそうですね。
家族が喜んで食べているっていう姿を見てですね。
なるほど。そこからはパンに決めて?
そうですね。パンに決めてですね。
どうなっていくんですか?
まずはやっぱりどこのお店で働きたいかなんで、
51:05
やっぱりパン屋さんを食べ歩きをして、
一番おいしいって埋めたお店を連絡取って働きたいという話をして。
最初はなんか疑われるんですよね。
なぜこの経歴でうちなんみたいな感じで、
何考えてるの?みたいな。
シェフももちろんレストランのことを知ってるんで、
疑われるというか、なぜ?みたいな。
料理業界って結構エリートな街道を突き進んでいるのに、
ここに来てなぜ急にパン屋に来るの?みたいな。
フランス料理とかって結構敷居も高いし、
すごくレベル高いように一般からしても思いますし、
パン屋さんに比べると単価も下がるし、
日常で食べるものですもんね。
本当にやっぱり全然違う世界に入ってみても思いましたし。
そこに疑われつつも就職してみたいな。
そこはお店の名前とかって?
そこはブーラン・ジェリー・セイジ・アサクラというお店で、
アサクラ・セイジというシェフがビトナムでいるパン屋さんです。
東京のお店ですか?
そうですね。白金高輪とか。
高輪ゲートウェイ駅が近いところですね。
そこは何が良かったんですか?
生地の味がとにかく美味しくて。
だし、シェフの考え方が…
フランス料理って既製品なんて使わないんですよ。
マヨネーズももちろん自分で作りますし。
まかないでカレー作るもスパイスカレーいるところから始めるんですけど。
そのシェフは逆で、人の労働環境を整理するためだったら既製品も使うし。
美味しいで感動できるんだったら、すごい考え方が柔軟な方だったんですね。
結構僕の中では衝撃的な。
こんなことをするんだっていう自分にはない引き出しを持ってらっしゃる方だったんで。
料理バカな人間が見たらすごいびっくりしたんですけど。
でもそれを否定的には捉えずに、それも取り込もうと思いながら。
そこで修行するって決めて、見習いからスタートしました。
見習いからってどんなことをするんですか?
また洗ったりとか。
お給料半分になりました。半分以下になりました。
54:03
シェフだったところからパン屋さん見習い。
そこに対して奥さんから何か言われたりとかは別になかったんですか?
もちろん相談しました。しかも子供が生まれたタイミングだったんで。
でもそうですね。信じてくれていたのか、もう即答で行ってこいって言ってくれたんで。
お金のことは一切心配するなっていう一言が大きかったですね。
すごい。
じゃあその見習いから始まって。
でも疑われてたんですけども、やっぱり働いてる姿をシェフに見られたら
この子はちゃんとやる子って思ってくれたのか。
割とほんとにすぐお給料がバーンと上がって。
パン作りも任されて。
かなり早いスピードで店長職までさせてもらいました。
結構何店舗もあるお店だったんですか?
一つのお店だけです。
すごいですね。
十二坪のすごい小さなお店なんですけど、
すごいですね。テレビにガンガン出て。
僕がいる時、3年間お世話になったんですけど、
うなぎのぼりで有名になっていきましたね。
情熱大陸出たりしてる。本当にすごいシェフだったんで。
そんなすごいお店で店長をやって。
そうですね。
すげー。
3年間はどんなことしてたんですか?
作り方を覚えて。
商品開発です。
なるほど。
もう新作は全部僕が作ってました。
すごいですね。
3年経ったら辞めちゃうんですね。
辞めるつもりはなかったんですけれども、
そこで若山移住っていう話が出てきました。
なんでまた?
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次回予告