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episode.73 小林健太郎さん 前編
2025-09-10 56:10

episode.73 小林健太郎さん 前編

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episode.73 小林健太郎さん 前編


ゲスト▷ 小林健太郎さん

ねずみのひきだし/danchi complex


今回のゲストはグラフィックデザイナー、画家、シンガーソングライターの小林健太郎さんです。


どうぞお聴きください💁‍♂️


talk topics


団地育ち/中2で暗くなる/バンドをはじめる/アトリエ七つの音/京都精華大学/フォークソング部の洗脳教育


番組のオープニングとエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。


楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。


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感想

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00:20
和歌山市のアウトドアショップ、キセンランドトレイルの白石です。有田市のコーヒーショップ、ARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。 kisenradio第73回です。
本日のゲストは、グラフィックデザイナー、画家、シンガーソングライターと多彩な顔を持つ小林健太郎さんです。
パートナーのみなさんと2人で、ネズミの引き出し名義で音楽活動もされています。 本日はみなさんにも収録に参加していただいています。よろしくお願いします。
小林健太郎さんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。よろしくお願いしまーす。
ありがとうございます。お願いします。それではまずは健太郎さんから自己紹介してもらってもいいですか?
あんまり笑うのやめてください。
むちゃくちゃ肩書きがあんまり多いよなって思って、肩書きできてもらって思った。
小林健太郎です。和歌山市出身で91年生まれなんですけれども、大学進学で京都に行って、大学卒業後に東京に行って音楽活動を主にしていました。
2年半前に和歌山にまた帰ってきて、今妻と猫3匹と暮らしています。お願いします。
ありがとうございます。お願いします。
みなさんも自己紹介してもらってもいいですか?
小林美菜です。小林健太郎の妻で、91年生まれ。和歌山県の岩浅町出身です。
私も大学で京都に進学して、8年ぐらい京都に住んで、結婚期に東京に移住して、
一緒に和歌山に帰ってきましたって感じです。ありがとうございます。
91年生まれということは白石君と同世代ぐらい?
僕が89年生まれで、2個下ぐらいですね。
高校とか中学やったらギリかぶりぐらい。
一番怖かった人。
上澤さんは?
僕が84年生まれなんで、結構上ですかね。
本当ですね。
そういった、それこそオールドファクトリーブックスのテル君、助野さんって。
テル君と1個違い。テル君の方が1個上で。
そうなんですね。ありがとうございます。
健太郎さんはテル君からのカメラオバイというか。
テル君。
出演していただいてるんですけども。
テル君、聞いてますか?
ありがとうございます。
健太郎さんの今の肩書は、さっきなんかいっぱいグラフィックデザイナー、
03:01
画家、シンガーソングライターということで紹介させてもらったんですけども。
主にお仕事はグラフィックデザイナーでっていう感じですか?
そうですね。
今年の4月に妻と2人でダンチコンプレックスという野望でいろいろやっていこうっていうので。
完全フリーランス。
フリーランスで始めたんですけど、
その前はもう完全にグラフィックデザイナーがメインの仕事をしてました。
野望をつけてからはコンプレックスっていうのが複合的っていう意味があるので、
音楽も美術もデザインも全部できる事業にしたいなっていう感じです。
なるほど。
どういう感じでお仕事してるんですかね?
家で在宅で依頼が来た仕事をこなすっていう。
2人でやってるっていう?
個人で来る仕事もあれば2人に来る仕事もあるので、
その時の2人の依頼状況とか忙しさを見て分担しながら、
これやります、これお願いしますみたいな感じでやってますね。
楽しそう。楽しいですかね。
楽しいです。
週1回ミーティングごっこのような。
ミーティングごっこのような。
今日の今の進捗はみたいな。
一応ちゃんとやってます。
なるほど。
謙太郎さんが現在に至るまでどんな感じの人生を歩いてきたのかっていうのを教えてもらいたいんですけども、
まずは生まれたのはここっていうか和歌山市。
和歌山市です。三道小学校の地区なんですけど、
勝武川岡団地っていう団地があって、そこで高校1年生まで過ごしました。
伊達祖神社の近く。
三道小学校から見たら伊達祖とは反対側になるんですけど、
山を挟んで逆サイドみたいな。
そうですね。逆サイドに山側に団地がいっぱい建てられてるんです。
イチコのやつやろ。映画イチコの舞台になった。
杉崎花ちゃんが主演してるイチコっていう映画があって、
主人公イチコの幼少期からの生活が劣悪な環境みたいに描かれてるんですけど、
その舞台が勝武川岡団地で。
一見この友達の家に行ってケーキをむさぼり食うみたいなシーンがあったり、
お金持って帰るみたいなシーンがあったりする団地で。
06:01
育った環境は結構劣悪な。
自分からしたら全然それが普通だったので当たり前だと思ってたんですけど、
そうですね。小学校の時に一軒家の友達からお前の家めちゃくちゃ狭いなって言われたりとかして初めて気づくというか、
うち狭いやんみたいな。嫌いやんって感じですね。
小学生のピュアな感想をいただきました。
子供は残酷ですよね。
この家族構成とかどんな感じだったんですか?
団地に父親と母親と四つ目の兄がいつもお世話になってます。
うちの隣というかタイタンウォールの店長をやってる小林さん。
ARCのキッズスペースに設置してるウォルガレンウォールも小林さんが設置してくれて。
いつもありがとうございます。お世話になっております。
その四つ目の兄がいて、私の一つ上に姉がいて、私が次男ですね。
三人兄弟の一番下で育ちました。
お父さんお母さんって何してたんですか?
父は郵便局員だったので、有生免科までは公務員です。
その後は会社員になるんですかね。
母はずっとパートをいろいろとマンションの清掃とかダスキンとかいろいろやってました。
全然劣悪な家庭環境じゃないそうな。
そうなんですよね。今考えたら郵便局員やし公務員なんでそんなお金別になかったわけではないと思うんですけど、
たぶんその団地に当たったし、当選やったんですよね。入れるかどうかが。
当たったし入ってたんですけど、我が家は特に平和というか楽しく過ごしてたと思います。
でもいろんな方がいたのは、いたなという感じですね。
団地って私営なんですか?
私営だったと思います。
だから1万円台から2万いくらとかの家賃だったと思います。
めっちゃいいな。
めっちゃいいんですよ。
だから大体みんな小学校何年生とかで一軒家建てて引っ越していくという流れだったんですけど、
うちは高1まで行きました。
小学校近くていいですけどね。
そうですね。歩いて5分とかで行ったんで、お腹痛くなったら走って帰れる。
ちっちゃい時のケンタロウさんってどんな感じだったんですか?
物心ついた時には絵を描くことが好きだったんですけど、
09:01
でも外で遊ぶのも好きだし、お話しするのも好きだし、
昔の写真、アルバムで見ると変なおどけた格好をして楽しませようとしてるのがすごい滑ってるなという感じで、
調子乗りな感じではあったかなと思いますね。
キャラクター的に小学校のクラスの立ち位置とか、どんな感じの人だったとか覚えてます?
やっぱり調子乗りで若干目立ちたいみたいな感情があって、学級委員長に立候補でなったりとかしてました。
漫画を描いて友達に見せて回ったりとか、
友達の連絡帳の表紙の絵を描いたりとか。
結構文系人気者みたいな感じだったんですか?
多分そっちだったと思いますね。女の子とはほとんど話したことなかった。
男の子の友達ばっかり。
なんか一目置かれてる感じのクラスの人気者みたいな。
頑張ってたと思います。楽しんでほしいなという気持ちで。
今は音楽作ったりしてるんですけど、その時何聴いてたとか覚えてます?
小学校、中英とかの時は音楽には全く興味がなくて、
父親が車の中でテレビでCMやってるようなフォーク歌謡50線、100線みたいなCDがセットで販売してたのを
父親が買って、それが車の中ではずっと流れてたかなというイメージですね。
かぐや姫とかチューリップとかの聴きやすいフォーク歌謡。
中島みゆきさんのポップな有名な曲とか。
そんなのが流れてたのを別に意識もせず好きとも思わず聴いてただけですね。
なるほど。
そのまま団地で育って中学校ですか?
中学校。
中学校はどんな感じだったのか覚えてます?
私は小5の時に友達に誘ってもらってサッカークラブに入ったんですけど、その流れで中学校もサッカー部に入って、
サッカー部ってその時はヤンキーの子が多くて、あんまり馴染めずに楽しくなくなっていってサッカー部を1年生でも辞めて、
中学2年生になってからその2年生の1年間はもう誰とも話さずに帰るという生活を1年やっていました。
12:04
急に暗いですね。
急に暗いですね。
すごい直下でやっぱり中理病になりました。
世界とかに対する憎悪というか。
何があったんですか?
うかず辞めただけで。
うかず辞めただけなんですけどね、何ともないんですけど何かそっちに行ってしまったんですよね。
そうか、急に暗くなっちゃった。
暗いですよね。
話しかけられてもあるやろ、すごいひどい言葉で返すみたいな。
そうなんですよね。
友達に話しかけられてもいきなりよくわからない言葉を言って。
どういう?
いや、ストレートに。
え?しない?
え?急に?
言っちゃくない?
中1まではちゃんと友達がいたので、その子たちが心配でクラスに来てくるんですけど、
そういう言葉を一言浴びせて、話しかけに来ないようにするっていうのをずっと本を読んでました、一人で。
なんかでかい出来事あったわけでもなく、うかず辞めて急にその状態に。
うかず辞めて特に何かがあったわけじゃないんですけど。
確かになんでなんで?
やっぱり特有の人間に対する不信感だったりとか。
元気への憎悪が。
急に出てきたんですよね。
なんかその時人と話したくないっていうことが出てきてしまって。
でもなんかさ、1校上にお姉ちゃんとかもいたからさ、年上の人から絡まれるとかそういうのもあったんじゃん。
ありましたね。なんかお兄ちゃんも割と男前みたいな感じで言われてて、お姉ちゃんも割と可愛いみたいな感じで言われてたんですよ。
兄の代は卒業してたんですけど、お姉ちゃんの代はいるので。
その人が私の教室に来て、あいつちゃん弟みたいになるんですけど、あんまりやなって言われて帰るみたいな。
確かにそれ言われてたら暗くなる気持ちも分かる気がする。
なんか自分があんまり好きじゃなくなっていったのも確かにあると思います。
なんかあんまり…すいません猫が猫ちゃん…
猫喧嘩してますね、すいません。
才能がないんやなっていうか、勉強とかスポーツとか。
小学校2年生の時に兄が小6でミニバスで全国大会に出たんですよ。
その時にお兄ちゃんはスポーツができるんや。
じゃあ私もできるんかもなとか思って。
その後兄が高校受験の時に和工やったんですけど、1位で通ったらしいんですよ。
主席で通って入学式で読むみたいなことをしたらしくて、
勉強もできるんやと思って。
私もできるんかもなと思ってて。
小学校の時はできてたんですよ。
15:01
スポーツの勉強も普通にできてたんですけど、
中1で結構初っ端で数学と英語にもつまずいてしまって。
周りの子は結構塾行ってたんですけど、
私は別に塾に行きたくなかったので行かなかったんですよね。
じゃあもう数学と英語って一回わからなくなると、
もう次のことは絶対わからないじゃないですか。ステップとして。
だからもうそこで全部わからなくなって。
で、サッカー部も辞めたからスポーツもなくなって。
どんどん自分の中でアイデンティティみたいなものが失われていったのもあるのかなと今話してると。
思えてきた。
当時の自分の分析。
もしかしたら。
その暗い期はどれくらい中学校ずっと続くんですか?
いや、2年生だけの1年だったんですよ。
よかったね、1年間は。
中3もそれで行こうとしたんですけど、中学3年生になって、
初日の授業で私の前の席の子が話しかけてきてくれたんですよね。
最初は無視というか応答しないようにしてたんですけど、
その子が一時でもこいつの心開かせるみたいに
お前好きな子の一点張りでずっと声をかけてくれて。
その子が友達も多かったので、その子のグループに入れてもらって
なんとか社会復帰というか。
人と触れ合う。
友達ができた。
できましたね。
今でも仲いいもんね。
今でも年に1回ぐらいは集まって。
それはよかったですね。
中1の時の友達はどうなったんですか?
中1の時の友達はまたそこで再会というか、
その中3の時の話しかけてくれた子が仲良かったので。
何より。
何よりよかった。
ありがたいですね。
その中学校3年生でバンド始めるっていう感じなんですかね?
そうなんです。
でも中2の時が結構私にとって重要な出会いがたくさんありまして。
その対人以外の関係が。
家がわんわんに入ってたんですけど。
それで暇じゃないですか。
部活もやってないので。
3時半とかに家に帰って、そこから映画を見たりしてたんですよね。
カメは意外と早く泳ぐっていう映画がすごい好きで。
三木佐俊監督の映画なんですけど。
それも繰り返し何回も見てたりとか。
ジョゼットと虎と魚たちっていう映画を見て、
クルリをそこで知るんですよ。
主題歌がハイウェイで。
これはすごい良い曲だと思って何回も聞きたくなるんですけど。
YouTubeもないし。
18:01
映画のエンディングをずっと見返すしかないんですよ。
タワーレコードが千南にあったので。
千南のイオンに入ってたので。
そこまで親に連れて行ってもらって。
クルリの日記っていうアルバムが最新アルバムで。
それを買うんですよね。中学2年生の時に。
ハイウェイが入ってなかったんですよ。
後ろを見ないと当たらない。
これや。
CD初体験。初めて買ったCD。
でも3000円払ってるんですよ。中学2年生の私は。
大きくてそれを繰り返し聞くと、
今まで見てたMステとかミュージック番組とか
親が流してた音楽とは明らかに違う音楽体験が
クルリの日記にはあって。
こんな言葉でもいいんやとか。
こんな音でもいいんやっていう。
音楽って面白いなって思ったのがそこから。
そこから音楽をちょこちょこ。
アジカンとかフルハーツとか。
12枚とかユキちゃんとかを聞き出すようになって。
中3の終わりの方に
友達からバンド組まへんっていうのを
言ってもらって組みましたね。
最初はどんなバンドをやったんですか?
それはギターの子が誘ってくれたんですけど
その子の一行で女性ピンボーカルで
ギター、ベース、ドラムが男でやる
4人組のコピーバンドをやってましたね。
ちなみにどんな曲をコピーしてたんですか?
あれです。
ナナの映画があったんですけど
そこで聞きましたね。
昔のミカさんが
グラマンス深いっていう曲をやってて
懐かしい、すごい。
その曲とか、あとキムラカエラちゃんが流行ってたんで
キムラカエラさんとか
シーナリンボさんとか
そういう女性ボーカルの曲をコピーしてました。
いいですね。
青春って感じですね。
そうですね。楽しくやってましたね。
それ文化祭とかでやったりみたいな?
中学の同級生が誘ってくれて
高校は別だったんですよ。
なのでライブハウスでずっとやってましたね。
高1年生から。
ちなみに高校はどこに行くんですか?
えっと、もう絵しかなかったので
その時からもうすでに絵は
アイデンティティとして絵は描けるな
他はあんまりできないけどっていう感覚があったので
和歌山高校に行くんですけど
21:02
和歌山県立和歌山高校
本当ですか?
ガチガチ先輩コーナーになりますね。
しかもコートさんと見ごちがかぶってますね。
僕のタレ枠見てるかもしれないです。
本当ですか?
アーチェリーネッツ
じゃあ同級生がアーチェリーブの後輩
お世話になりますね。
後でちょっとお話しさせていただきます。
そこが自分でカリキュラムを
コースを決められる高校だったので
総合学科ですね。
結構一芸で入れる系のところですね。
受験のときに自分のレッスンとか
描いた絵を見せて
多分テストはそんなに取れてないと思うんですけど
それで受かれたので
高校では美術系のコースばっかり選んで
高校では絵を描いて
外ではライブハウスでバンドして
文化活動がすごいですね。
その前にあれですね
諦めてるからね
スポーツと選挙はできないものになってしまって
これしかできない
逃げ道ゆえのそうなってたのかなと今思ってきました。
やりたくてやってましたね。
系音部とか入らなかったんですか?
系音学部は1年生の秋ぐらいまで入ったんですけど
ちょっと
経路が違ったり
なんかいろいろあってっていう
問題を
どういう問題ですか?
私が先輩に殴りかかってしまって
急にどうしたって言ってますけど
初恋があったんですよ
恋愛のいろいろで揉めて
どういうこと?
ちょっと詳しく聞いてみようかな
面白そう
系音部は割とくっついたり離れたり多いところですか?
そうですね
それの流れに1年生ながらに参入してしまって
元カレー屋みたいな話の流れで
舐めてんのかいみたいな感じの
怒りですね
本当に高校生の恥ずかしい怒りで
ほんまや
2年生?
2年生の子
よかった僕はもしらん
よかったね
それで部活はやめて
もう郊外でのバンド活動と
日本にしました
そうなんですね
その時も変わらず聞いてる音楽は
くるりとかその辺の方角のロックみたいな
そうですね
中心は結構多かったんですけど
iPodっていうのが出たじゃないですか
もうちょっと前に出てたんですけど
24:02
それを兄が先に購入して
iTunesにどんどん
TSUTAYAとかで借りてきたレンタルCDを
バンバンiTunesに入れて
とにかく曲数を増やして
いろんな曲を聴くっていうことを
兄がやってくれてたiTunesを
そのまま引き継がしてもらったんですよ
なので兄の聞いてた音楽を
がっつりそのまま
高校時代は洋楽系
ハードロックとかメタルとか
ロックとかを中心に
聴くようになってましたね
エアロスミスとか
好きで
ピースとかクイーンとかその辺とか
この辺めっちゃ好きになったとかありますか?
まず洋楽っていうことで
高校生心が刺激されてたと思うんですけど
英語でわからんっていうのが
かつなんか
ハードロック
クイーンとかエアロスミスって
バラードも多いんで
日本人に受けやすい
ボンジョビとかもそうですけど
わかりやすい音楽
やってくれてるので
余計になんか
いわゆるグレーとかラルク
聴くような感覚に近いのかもしれないですけど
それを洋楽で大きく
バーンと流通的にやってくれてるというか
なんかそれが気持ちよくて
聴いてましたね
あれ?
そうなんです
わかった
洋楽はその辺
はい、そうですね
なんかいろいろ聴いたんですけど
強く残ってるのはその辺ですね
他にその時音楽以外に好きだったこととか
そんなのあります?
音楽以外はもう
絵を描くことばっかりだったので
高2、高3とかになると
授業がどんどんこう
細分化というか
専門の方に
寄っていくんですよね
だから高3の時は
国語と体育以外は全部美術系の
すごい
授業を選べたので
デッサンとか油絵とか陶芸とかデザインとか
そういうのを選べたので
どんどん美術の方向に行ってたんですけど
高2の時から
プロのベーシストになりたいなと思ったんです
バンドでベースをやってたので
ベーシストで何とかなりたいなと思って
専門学校に行こうと思ってたんですけど
高校2年生の時に
同級生だった子が
美術の授業が全部かぶってたんですけど
その子に小林絵うまいから
美大いけると思うでって言われたんですよ
俺アトリエ7つの音ってところ通ってるから
27:01
お前も遊びに行こうへんって言われて
猛烈に誘ってくれたんですよ
1回でいいから来いよみたいな
めっちゃ楽しいから
先生もめっちゃいい先生だし
周りの子もめっちゃいいやつばっかりだから
お前も来いよって
すごいような
めっちゃ明るい
いいやつって感じの子で
じゃあ1回行ってみようかって言って
高2の終わりぐらい
美大受験するにはちょっと遅いんですけど
高2の終わりの前に
アトリエ7つの音に行って
妻に出会うんですよ
アトリエ7つの音って海南市にある
妻がいてソファーでくつろいでたんですけど
可愛いなと思って声かけたんですよ
いきなり
結構いきなり声かけたと思います
私が一番後輩というか
最後に入った人間やったんで
その同期の中で
こっちから声かけないとなと思い
映画何好きなんていきなり聞いたんですよ
妻が亀は意外と早く返してきて
そんなミニシアター系の
ちょっとサブカルチャーな映画を
私は大好きだったんですけど
返答してくれる人間が
この和歌山にいるんだっていうのが
衝撃でもう一気に好きになって
この子大学どこ行くんやろって
京都成果大学を目指してたんです
第一志望
成果大学行こうと思って
すごい
決めました
本当音楽と美術ばっかりやってた
友達と遊ぶぐらい高校時代
他は特に
将来デザインとかそういうのじゃなくて
っていう考えで美大選んだんじゃなくて
みなさんがと一緒に行きたいな
むちゃくちゃ不自由な同期
本当に両親に申し訳ない
同期です
すごいパワーになりますもんね
そうですね
恋愛に対するエネルギーがすごかった
そこから美大受験に向けて
そうですね
高3の時は学校で丸一日ずっと
美術の授業受けて
その後バイトに行くか
アトリエ7つの音に行くかを
平日はずっとやって
金曜土曜になったら
深夜で音楽スタジオ借りてたので
深夜パックみたいな
6時間とかで安かったんですよ
12時から6時とかで
そこで練習に入って
30:00
音楽の作曲活動したりとか
バンドの練習したりとか
その時からオリジナルも作ってたんですか?
高3の時にやっとオリジナルを
バンドでやりだして
私は全然作詞はできないとかしなかったので
ボーカルの子が詩を書いてくれて
ギターとベースとドラムの
3人で曲をつけていってました
なんかイケてる高校生ですね
めっちゃ勝手同的やし
高校3年生ぐらいの時に会った時は
なんかオシャレな感じでした
パーマかけて
いい感じのメガネかけて
だから私はオシャレな人やなみたいな
地元にもそういうちょっと
サブカルチックな人もいなかったし
私もたぶんその時は
いわゆるボブヘアに
制服とかもスカート長めで
リュックとか背負って
ボリガール的な
サブカル女子チックになってたんで
多かったですね
アリダには少ないし
アリダはギャル文化の方が
ちょっと強かったんで
だからすごいアトリエ7つの音に行けるのは
すごい新しい音楽も知れるし
新しい美術のイラストレーターさんとか
作家さんとかそういう共通言語とか
新しく知れる言葉がめっちゃあったから
私も高校行きたくないなと思ったら
サボって行ったりしてました
ちなみに好きな映画何?って聞かれた時
皆さんはどう思ったんですか?
その答えた後
ファーストインプレッションというか
めっちゃテンション上がったんじゃないかな
これもっていう
それを喋れる人がいなかったから
むちゃくちゃ嬉しかったと思います
あんまり覚えてなさそうな
あんまり覚えてないけど
たぶん嬉しかったんじゃないかな
と思いますけどね
そのまま無事進学先は
京都聖火大学って感じですか?
それが私だけ落ちるんですよ
まさかの
先に言ってた
まあまあそういうものでもないからっていう
けんたろうさんが
ヨーガコースっていって
いわゆる油絵
2位でよかったよね
結構主位で
200点満点中195点
199.5点で
0.5点だけ高かったんですけど
特大生で受かる
すぐ受かったんです前期で
私はデザイン学部の
イラストコースみたいなの受けたんですけど
結構倍率が高いところで
33:01
20倍とかあったかな
結構高くて
結構頑張ってずっと受験するんですけど
全然受からなくて
京都佐賀芸術大学
っていう当時その名前なんですけど
そこの半画コースの作品
先輩の作品を見る機会があって
めちゃくちゃいいなと思って
そこに舵を切って受験したら受かったんで
京都佐賀芸術大学の半画分野かな
に進学しました
なかなかですよね
私は決めてしまってるので
私は舵切れない
そうなんですよ
学費が免除される
半年間前期なんですけど
免除とかもあったんで
それを蹴って
佐賀芸術大学には行けなかった
やめたほうがいいと思うよ
さすがにね
そうなんですよね
けん太郎さんの絵がすごい描けるっていうのは
何やったんですか
子供の時からクラスで描いてたりとか
ずっと継続して描き続けてみたいな
ずっと描いてはいたんですけど
何なんですかね
ちょっと才能としか
身も蓋もないですね
本当にもうずっと上手いと言ってもらえてたので
それがどんどん嬉しくなって
母にも褒められるのは絵ぐらいしかなかったので
やっぱりそれもあって
余計にどんどん絵が伸びれたのかなと思います
その分他を捨てて
絵に関しては受験の時も苦しむこととかなく
一回ぐらいはアトリエで泣いた気がするんですけど
でもそれぐらいで順調やった気がしますね
一番最後に入ったのに
まあ描けるなっていうのはあって
でも鉛筆デッサンは結構苦手だったんです
あんまり筆圧強く描くのが苦手で
っていうのも母親から筆圧強く描くと
間違えて消しゴムで消したときに
次に線が残るからもっと薄く描きなさいっていうのを
子供の時から結構言われてたんですよね
変わった教育ですね
紙を無茶にするなっていうことと
漫画家になりたかったのも多分小学校の時はあって
漫画を描いてたので
多分それもあって用紙を汚さないというか
筆圧があんまり強く描けないっていうのがあったんですけど
アトリエの先生が木炭デッサンやってみたらって言ってくれて
木炭っていう木の隅でできた
36:05
木炭用の描き方があるんですけど
それはバッて置くと濃い色がすごくのるんですよすぐに
それと出会わせてもらえたので
よりうまく描けたのかなっていうのはあります
なので先生のおかげ
先生ありがとう
才能プラス先生みたいな感じで見出していただきました
京都行ってどうでした?
京都生化大学洋画コース油絵科なんですけど
油絵科は本当に美体の中で
一番絵が上手い集団なはずなんですよね
美術大学の
花型的な
上手い人間が行く場所で
そこにそんな点数で入れた自分は
もうかなりイケてるんじゃないかと思う
才能にあふれてるんじゃないかと
自信満々でこの和歌山の田舎から
漫画っぽいなと思いながら京都に行くんですけど
授業始まると浪人生もいますし
上手い子ばかりで
自分がいかに下手くそなのかっていうことを
思い知るんですよ
すぐへし折れました1週間ぐらいで
全然上手いなと思って
今日漫画みたいですけどね
本当ですか?
でもへし折れたんで
フォークソング部という部活に入るんですけど
音楽ばっかりそこからやりました
絵は本当に単位取れるギリギリだけ
実技の授業行って
好評っていう絵を見せる授業があるんですけど
それにだけ間に合わせる
自分から進んできた気はしない
部活動ばかり
フォークソング部入ったのは
他に音楽系のサークルとか部活が
なかったからって感じですか?
系音楽部とかもあったんですけど
音楽団体4つ5つぐらいは
多分あったと思うんですけど
最初に声かけてもらったのが
フォークソング部やったというだけですね
内情は全然系音楽部と変わらなかったんです
名前が違うだけで
全然系音楽やってるというか
バンド活動を皆さんされてる部活やったのと
京都に行って1人で寂しかったんですよね
最初1週間くらい友達もできずに
その期間に勧誘してもらったので
可愛がってくださるんですよね
お酒をたくさん飲ませていただいて
全部一気でゲーゲー吐いて
勧誘の日にトイレで寝るみたいな
倒れるみたいな
助けてくれるみたいな
ありがとうございますみたいな
恐ろしい洗脳方法というか
39:01
どんどん好きになって
もう続婚になった感じでしたね
フォークソング部に
みなさんはその時は一緒に
京都行ったものの
そうですね
私は京都佐賀芸術大学は
嵐山の方にあって
宇京区なんですよ
けんたろうさんがある
通ってた京都佐賀
精華大学は
佐賀区
西と東で正反対で
行くの結構かかるようになる
1時間
1回河原町に出ないと
行けなかったんですよね
だからあんまり会う機会は
なかったのかな
週1ぐらいでもしかしたら
最初の頃は会えてたのかもしれないですけど
記憶がちょっと
昔過ぎてあるんですけど
最初の頃はたぶん
ちょこちょこ会えてたんですけど
言ってる通り
むちゃくちゃ部活にのめり込んで
行ってたんで
大学1年生の途中で別れてるんですよ
部活しすぎて
嫌いになったとか
いろいろ聞いたんですけど
頭ん中にないって言われました
むちゃくちゃ覚えてる
それはすごい覚えてる
頭ん中にないよなみたいな
それに集中しまくってるから
そっかと思って
だから私も逆に
美術にめちゃくちゃ集中できた
4年間になったんですけど
なんでそこまでフォークソング部に
洗脳されてるから
そうですね
その時も浸水してるんですけど
何をやってたんですか?
白不自由お酒を飲むんです
朝から晩まで
明け方まで飲んで
また9時くらいに来てきて
食堂前で日本酒飲んでみたいなことを
ずっとやりながら
でも先輩のライブはかっこいいんですよね
オリジナルしかダメでライブは
全員オリジナルのバンドなんですけど
その緩急がすごかったのと
あと体育会系な部分もあって
セッティング隊っていう機材を運ぶ部隊が
1回戦2回戦の男性陣なんですけど
その時は声出しって言って
アンプ持ちますとか
本当に張り下げるぐらいの声で言わないと
先輩から蹴りが入るんですよね
それをライブの準備から片付けまで
極限に疲労して
そのまま流れて打ち上げに行って
タラフクス酒を飲むと
42:00
思考回路なんて回ってるのか回ってないのか
でもやりきった感覚はすごくあって
疲れてるやりきったお酒飲んで
みんなで楽しいがずっとあるんですよ
その繰り返しで
合宿とかになると5泊も1日間も飲み続けて
最終日だけ1日中ライブすることとか
ドーパミンの出し方が上手いんですよね
部活動として
人間に欲発して欲発して
解放させて快楽物質を与えるのが
すごく上手な部活で
怖い
ハンセンに言ったらめちゃくちゃ恐怖だった
当時は思ってないですよ
今考えればそういう場所だったら
カルト的な
やっぱり聖火大学も自由自治を立ってる大学なので
それが余計にむちゃくちゃできたのが
構想したというか
絵がうまくいってない分
そっちで何とか人生を晴らしていたような感じだったのかな
その時はずっとベースをバンドでやってたって感じなんですか?
ベースをやってました
3回戦の時に
初めてギターで弾き語りをするんですけど
ちょっと長くなってもいいですか?
どうぞどうぞ
1回戦の時にお酒ばっかりの日々がずっと続くんですけど
ライブがあってガッシュがあってライブがあって
みたいなのが続くんですけど
学園祭が11月に
10月最後の日から11月3日まで4日間
学祭があって
木野祭っていう学祭なんですけど
大学の中では結構規模の大きい学祭で
木野祭は結構有名なんですけど
コアなゲストがたくさん出られる学祭で
準備期間も1ヶ月以上
経音楽部、祭り実行委員会、フォークソング部の3団体は
ずっと準備をするんです
産むを言わさず
ステージ組とかも自分たちでやるし
図面を描くのも2回戦の人が描くんですよね
ステージの図面を
だから本当にものすごい時間をかけて
その学祭に向き合って
学祭地は朝から晩までずっと準備と片付けが
経音楽部、フォークソング部の人間は機材運んだりとかがあって
でも深夜になってもまだ
次の日の準備を朝方まで結構やるみたいな
テントが飛んでたらテントをもう一回張り直して
45:02
ステージの屋根が飛んだらまた張り直して
みたいなことをやって
極限状態に
そういうこと本当に極限状態にどんどんなっていった時に
最後、レースとかソウルフラワーユニオンさんやったんですけど
その後もうみんなで大乱演
よくやった頑張ったみたいなムードのまま
学祭が終わり
ほんまに楽しかったなみたいな感じで
打ち上げが11月末の方にあったんでしょう
そこでもうみんな
よくやったっていうのでも
いろんな団体が集まって大いに飲んだんですけど
その時に同級生の子が
急性アルコール中毒で運ばれまして
そのまま亡くなったんです
その子は祭り実行委員の1回生だったんですけど
同級生で友達で
学祭の準備期間の最後の方にも
2人で自販機に行って
私は来年祭り実行委員長になるけど
私コンボイって呼ばれたんですけど
急に変な話差し込まれた
全員役立たないんですよね
コンボはどうするのみたいに聞かれて
来年の話じゃないけど
僕は副総務部の部長になるわみたいな話を
最後した子だったんですよ
だからその子も
お酒のある成果大学の文化が好きだったし
ものすごく熱狂して楽しんでた子を
やったんですけど
それが飲酒事故っていう結果に
結びついてしまって
そこで1回考えるきっかけになったんですよね
現状とこれからみたいなことと
部活のこともそうですけど
それもあって
部長になったんです
3回戦の時に決意してたので
部長になった時に
副総務部の部長っていうのが
先輩から引き継ぎがあったんですけど
部長っていうのは象徴なので
日本でいう天皇のような存在で
後輩に対して笑ってはいけないし
話せる言葉も結構決まってくるし
もちろん後輩がミスをしたら蹴りが入るし
遅刻をしたらビンタが入るし
48:00
ロンゲで川上着ないといけない
すごい決まってる
それをまた抑圧された部長っていう役割が
あったんですけど
その時に同海生の子たちと話して
あまりにもどんどん時代感と
過ごさなくなっていってる現状も感じていたので
お酒も全免禁止になったんです
事故の後になったので
自分たちで変えないといけないなと思ったんですよ
変わっちゃったなって思われるのは嫌で
明確にお酒を最後に感じた世代の人間として
この部活を変えようと思ったんです
その時に後輩にも笑顔で接するし
暴力も全部やめたんですよね
そういうのは反抗的なんですよ
部長として違う部長像なので
ってなると先輩とかOBの方々から
お叱りをピシピシといただいたりすることがあって
そのまま家でもキッチンの包丁を持ち出して
伝統に沿って論言をやったんですけど
私もその論言をバッと明日限り切って
その時にどうしようもなくなってしまって
多分もううつ的な状態だったと思うんですけど
に歌詞を書いたんです初めて
言葉ではあまり出してはいけないという状況はあったので
歌詞にしてライブで発表することは自由だったんですよね
だから先輩とか部活とか大学とかに対する思いみたいなものを
もちろん直接的ではなくて比喩的になんですけど
歌詞にしてひっかたりでやったっていうのが最初の
すみません長くなったんですけど
最初のベース以外の表現方法を持ち入った時でした
暗がってるような
暗がってるけど大事な部分だね人生において
歌詞も曲もオリジナルで自分で全部作ったのがそこが初めて
そこからは弾き語りスタイルでっていう
4回戦の時はバンドでギターボーカルでやり始めましたね
4回戦の時一人ぼっちになったんです4回戦が
4回戦がみんな来なくなって
就活とかですか
いやっていうよりも先輩OBの方々からかなり厳しい目を向けられてた
51:00
世代だったのでもうやめようかみたいな感じになって
部長とか副部長とか職技とかそういうことを
役目を終えたらもう行くのやめようかみたいな話をしてて
私も最初行ってなかったんですけど
一個人の子からやっぱり4回戦来てほしいですみたいな話があって
私は部長だったのもあって
そこからまた行き始めたんですけど
副部長をやった子が
私の代の副部長だった子がその時フジロックに出ることになって
ルーキア号号に出ることになって
どんどん売れ出していったんですよね
バンドですか
バンドで京都のセカンドロイヤルっていうレベルがあるんですけど
そこに所属していい感じになっていったんです
副部長の子が
私は部長をやったのもあるし
4回戦で唯一残ってるっていうのもあるし
私も結果出さないと他の子らに
部活に残ってもらえないなって勝手に思ってしまったんですよね
部活の楽しさっていうよりも
残ってると売れないんじゃないかみたいな考えになったら
嫌やなみたいなのが勝手に考え出してしまって
それでどうやったら売れるんやろうみたいな
自分の力で頑張ってみようっていうのも
ギターボーカルでバンド組んで
自分の作詞作曲で4回戦から頑張ってみだしたっていう感じですね
その時将来どうしようとかそんなのは考えてたんですか
将来売れるために東京行こうっていう
音楽でっていうのは決めてた感じなんですね
もうどう考えても副部長のバンドの成長曲線がえげつなかったので
副部長バンドなんていうバンドですか
今メジャーでやってるんですけどホームカミングスっていう
バンドでその子たちに追いつけという感覚で東京に行ったって感じ
けんたろうさんもバンドで東京行って
私一人で行ったんです東京に
どういうプランでなんとかなるかなって
意外と面白かった
情熱だけで
情熱だけで行きました東京に行きました
卒業して上京して
卒業して1年は京都にいたんですけど
京都でバンド活動を続けたんですけど
京都にいてもこのホームカミングスの成長曲線に追いつける可能性はないなと感じたんですよね
たぶん緩やかにちょっとずつは自分たちもどうにかなれるのかもしれないけど
逆転感が見えないというか
東京でなんかこういろんな出会いがあったほうがいいんじゃないかと感じて上京しました
54:11
でもなんか上京するタイミングもなんか良かったね
一緒にシェアハウスしてくれる成果の先輩とかもいたから
56:10

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