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ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は横須賀市議会議員竹岡力さんにお話を伺いました。 25歳の若さで市議会議員になられ、現在横須賀市の市政に携わっている竹岡さん。
まずは議員としての普段のお仕事、そして議員になろうと思ったきっかけからお話を伺いました。
普段はそのお仕事か好きなことについてお聞きしてるんですけど、まずそのお仕事。
横須賀市議会議員というお仕事についてお聞きしたいんですが、普段何してるんですか?
普段ですね。
変な質問ですけど、市議会議員さんって何してるのかな?
よく聞かれる質問ランキングトップ3には確実に入っている質問なんですけど、
大きく議会での活動とそれ以外での活動が大きく2つあるかなと思っていて、
いわゆる議会活動というのは、皆さんがイメージする議場があって、
そこで地方議会ですので、市長がトップの市役所の職員みんな行政に対して、
議会の1人としてそこについてチェックをしたりですとか、何か提案をしたりとか、
もっとこうした方がいいんじゃないかということを議論をするというのが議会活動です。
そこに先ほど申し上げたように、3月に議会があったように決められた開会日というのがあるので、
その開会日はここに来て、ちょうどこの上のフロアが議場になってるんですけど、
そこで執行行政側といろんなテーマについて、議案が向こうから出てきて示されて、
そこについて質問をすることもありますし、一般質問といって、
こちら側から自分でテーマを選定して、市長だったり教育委員会のトップの教育長だったりに
直接質問をしたりするという機会が、いわゆる議会活動としてイメージしやすいものだと思います。
それ以外、何してるのって話になるんですね。
年間で大体3ヶ月に1回大きな議会があるので、逆に言うと半分以上の期間は議会がない期間になってきます。
そこで何をしているかというと、もちろん議会の準備の日も開発。
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私が所属をしているチームの会議があったりとか、職員側から今度議案でこんなものが出てくるので、
事前に説明させてくださいという機会があったりとか。
あとは議会の中の、例えば議会の広報誌。
今日もちょうどその会議だったんですけど、議会として出す広報誌について話し合いましょうという、
議会の中で完結する会議があったりとか。
というのが、議会活動ではない、いわゆる本会議ではないんだけども、ここに来てする仕事です。
さらにそれ以外は何かというと、主には人をつなぐ仕事だと私は自分の仕事を理解していまして。
例えば市民の皆さんからこれやってほしい。
例えば道路が穴開いてるから直してほしいとか。
大きいテーマだとこれからの教育どうしてほしいとか。
本当にテーマ関わらず、いろんな特定のものに限らず、ありとあらゆる市民の皆さんからの要望、尋常があったら、
その声を行政の職員に私が間に入って届けにいく。
あるいは民間企業の方が、行政と一緒に何かこれをしたいんだけどもという話を持ってきたら、その人を今度つなぎにいくとか。
あと行政に関わらず、こういう人もし知ってたら紹介してよみたいな形で、職業からいろんな人と触れ合う機会が多いですので、
単純に人と人をマッチングしたりとかっていうことも時々ありますので。
その声を実際に個人の宅に電話で何か言われたらじゃあ行きますねって言って、実際に行ったりですとか。
あとは先ほどの道路の損傷があったときには、その現場に自分で足を運んでみて、それを見たりですとか。
あと自分のアップデートとして、じゃあこのテーマ今度は質問したいけど、横須賀以外ってどんなことやってるんだっけっていう。
いわゆるよく視察って。どっかの議員さんがフランス行ってこういうことをやっちゃった。
なんかちょっと悪いイメージが持たれてるんですけど、でも実はすごく視察って大事で、
100万駅にしかずじゃないですけど、やっぱり自分で足を運んでみて、先進的なことやってる自治体に、
自分で直接行ってそこの職員の方に話を聞いてみないと。
やっぱりインターネットだけで出てる情報ってそこだけではないですし、裏話が聞けたりとか、
なんでそれやったんですか?みたいなことを実際に質問しに行ったりとかということで、市内外に視察に行くこともありますので。
議会から出るときは、いわゆる現場をぐるぐるといろんなところに回ってるという感じです。
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そっか、じゃあ議会活動は中心にスケジュール決まってるでしょうから、それはされながら、そうじゃないそれ以外のことも、そこはご自身で組まれてくるんですか?
そうですね、もう完全フリーランスみたいな感じです。
そっか、だから一応やるべきというか、市民の方からの声があって、でもそれってじゃあいくつもあって、でも自分の中で優先順位つけるのかな?
そうですね。
じゃあこれは行こう、これは時間的に難しいけど、なんかそういうのをやっていく感じ?
オシャルトです。中にはちょっとイチャモンつけたいみたいなものもなくはないので、
全くそういうのを無視するからといったらそうじゃないですけど、自分の中でそこは主策選択をして、
これはちゃんと向き合うべき、これはちょっと違うかなというものは、話を聞いただけではにするとか、ということなので、
本当にスケジュール、何時にどこに行くとかということも含めて、自分でスケジュールを立てながら、
間々の時間で議員としての広報活動も必要なので、よく駅に立ってチラシをしていると思うんですけど、
そういう政治家っぽい活動の時間も自分で組み込んで、何曜日だったらどこの駅に立とうとか、自分でスケジュールしながら仕事を組み立てているという感じ。
じゃあ本当に全部の行為には当然答えきれないわけですから、やれる以上の行為はあるでしょうか。
でもやれる範囲でちゃんとやっていきながらということですよね。
そうですね。
普通に、例えば土日はお休みだったりとかもするでしょうけど、でもそういうイベントがあったらそこに行ったりとか。
そういうのもありますよね。
むしろ土日の方が実はスケジュールは結構ギュウギュウでした。市内でイベントが。
横須賀、皆さんどういうイメージかわからないですけど、結構面積はそれなりに大きいですし、人口も40万人弱くらいいるので、それなりの中核としてやられている規模がある自治体なので、
結構イベントも多いし、行事も多いし、その行事というのは市の公的な行事に来賓として呼ばれることもありますし、
基準に市民の方がやっているイベントごとに川田氏をお邪魔して、そこでいろんな話を市民の方としたりとかっていうのがあるので、土日の方がいろんなところに行ってますね。
スケジュールとしたら結構埋まってしまう。
そうですね。土日から埋まってきますね。
そうなんですね。そっか。
どうしても元気の方だったら、平日当然仕事されている方が多いので、かといって夜にお邪魔するかといったらなかなか難しいですよね。
そうなると土日が?
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そうですね。
瀧岡さんは最年少で議員になられた。何歳の時になられたんですか?
25です。今から5年前ですね。
それは当たり前ですけど、なろうと思わないとならないですね。よくお聞きに聞かれることもあるかもしれないですけど、なりたかった?
そうですね。最終的にはやっぱりなりたいと思ってリンクをするので。
そうですよね。結構だから言ったら若くして20代半ばでなろうって思うっていうのは、何かもともと小さい頃からなりたいとかそういうのがあったんですかね?
それが一番聞かれる質問です。
ありがとうございます。
ランキング1位を出していただきましたけども。
当然やっぱり市民の皆さんからも、なんでっていう理由がなければ当然応援もしてくれないと思うので。
自分の中では大きく2つありまして、1つは結構私の人生に大きく関わるところなんですけど、私は母子家庭で育ってまして。
もう生まれてすぐ父親がいない家庭だったので、その事情を知っていたであろう近所のおじいちゃんおばあちゃんぐらいの世代の人たちがすごく面倒をよく見てくださってたんですね。
ほんと地域の皆さんに本当に可愛がって育てていただいたっていう現体験があって。
幼少期は当たり前って言ったら変ですけど、皆さんが面倒見てくださっているという感覚もなく、こっちは自然なものとして感じていたわけですけど。
それが普通みたいな。
だけどだんだん自分が物心ついていってくると、自分がそういう環境が普通ではないんだなっていうことがわかってくるわけですよね。
だいぶ大人になってきて、大学生の時に本当にお世話になった人たちが地域の自治会、町内会の役員さんだったりしていて。
そのお世話になったおじいちゃんおばあちゃんのお手伝いぐらいの気持ちで地域の活動にかかるようになっていたんです。
それは地域のことやろうとかじゃなくて、純粋に面倒を見てくれた何々さんの力になれればっていう。
恩返しっていうほどのおこがましいものでもなくて、純粋にありがとうの気持ちもあり、お世話になっていたので、
自然とその人たちが町内でイベントをやったりとか、お祭りやったり、運動会やったりでもあれば、お手伝いをするようになったんですが。
それは私は地域との関わりが小さい頃からあったので、当たり前にそこに入っていって、自然なものとしてやってみたんですけど。
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参加してみたら、どうやら若い人はそこにはいないなってことに気づきまして。
だからすごく重宝される。珍しがられず。
そんな若い大学生の子が来てくれるの。ありがとうね、ありがとうねって言われて。
そんなにやってくれるんだったら、役員をやってよって。
大学2年生の時に頼まれたんですね。
それもそんなに深く考えずに、2つ返事くらいで、肩書きがつくくらいで、別にお手伝いしてることには変わらないからやろうかなと思って。
そこで一番衝撃を受けたのが、若い人がいないなってことは気づき始めてたんですけど。
初めての役員会に出席をした時に、本当に周りを見渡すと、白川のおじいちゃん、連れついてるおばあちゃん。
会議室のメンツが、もう経路悪いですか?みたいな。
本当にそんな感じで。当時私大学2年生だったんで、20歳ちょっとくらいで。
私の次に若かった人が55歳。ほぼ現役世代はいない。
おそらく横須賀だけではなくて、日本全国的にそうなんだと思うんですけど。
そこで初めて、地域の担い手に圧倒的に将来世代がいないんだっていうことを、課題意識として初めて知ったんですね。
本当だったら地域のことを考える会ですから、地域の将来を考える会なので、将来世代がむしろいなきゃいけないにも関わらず、
そこに若い人がいないんだっていうことの衝撃っていうか、結構ショックに近い。
こんななんだっていう。高校生まではそんな社会のこととか考えて生きてこなかったんで。
そこでクリティカルな課題に出会って、これ何とかしないといけないなっていうことで、
とにかく若いうちに、若い視点、目線で地域に関わらなきゃいけない。
将来世代の一員として、自分がそこに時間を使っていこうというふうに考えたのがまず言い口の1点目でして。
政治の世界もやはり同じで、議会の平均年齢は、私が入るまでは55歳だったんです。
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平均年齢が55歳ということは、平均が55なので上がいっぱいいるという中で、そこに若い人がいないと、
結局若い人が必要としている政策ってどうしても後回しにされちゃうんですよね。
子育てのこと、教育のこととかっていうことを代弁できる代表がいないので、
もう予算もつかない、問題も後回しになっちゃっていることに対して、やっぱりどうにかしたいなというのがまず大きく言い口の1つです。
もう1点は、大学を卒業して、もう大学卒業する頃には、
街づくりだったり政治というものに将来関わっていこうということは決めてたんですが、
とはいえ社会を知らない若層が何を言っているんだということなので、
しっかり社会経験を積みたいということで、民間企業に就職をしまして、
就職をしたのがベネッセという教育関係の会社に入ってみて、
そこで私が学校のコンサルタントと営業をするような職種でして、
自分が担当だったのは高校だったんですけど、高校にお邪魔して、そこで使ってもらえる模擬試験だったりとか、
生徒さんたちの成長を見られるようなテストとかを学校に提案をしつつ、
それを通して、この学校はこんな課題があるので、こうしたらどうですかみたいな形で提案をする仕事を通して、
当然学校の先生が相手で、毎日いろんな学校に訪問をしていく中で、
それこそ将来世代を育んでいく、一番の場所であるはずの学校が、すごく疲弊をしているというのに気づいて、
社会で言われてはいましたけど、いろんなニュースとかで言われていましたけど、
実際にこうやって学校の先生と普段話をしている中で、優秀な人ほどこれやろう、これやろうという気持ちがあるので、
やっぱり仕事が重なって重なって、どんどん疲れていっちゃう。
本当に優秀だった先生が、ある日突然電話したら、その先生がもういませんよって言われて、
何かあったのかなと思ったら、実はもう退職をしましたということで、すごく若手の有望な先生が、
本当だったら子どもたちのためについて志を持って先生になったにもかかわらず、
疲弊をして、精神的にアンジア先生もたくさんいますし、ドロップアウトをしているという現状が、
それもやっぱりこれって本当にいいのかなということを目にして、
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教育をどうにかしたいという気持ちがもう一点大きく生まれてきて、
先ほど政治に、政治待ちづくりに関わっていきたいという気持ちと、
そこで何をやるのってなった時に、自分はその教育の課題を、
ベネッセで学んだこの課題を、どうにかして解決をしていきたい。
それを2つ組み合わせた時に、自分の地元の地方議会という場で、
教育の課題を誰よりも扱って、そこに対して誰よりも切り込んでいける政治家になりたいんだということが、
そこで結びついてきて、もうこれは思い切って会社を辞めようと。
ということで、わりとスパッとそこは決断ができて、脱サラして戻ってきたという感じですね。
ベネッセ時代は北海道の配属だったので、横須賀は離れたんです。
もう決断をした時には会社を辞めて戻ってこようと。
一時無職状態で、選挙に向けて。
選挙期間は1週間しかないので、そこ前の準備があるので、
そこの間は8ヶ月間ぐらいは無職で、政治活動をしながらという感じですね。
議会に立候補しようとして、結びついていく教育と自分のやりたいことが、
結びついていくのが徐々になのか、ある時にふっと出てきたのか。
徐々にですね、すごく大きな出来事があって、教育を絶対にどうにかしたいと思ったというよりは、
日頃の業務の中で、学校の先生と向き合って先生が疲弊をしていく姿、
あるいは学校現場の中で起こっている課題の数々が、
本当毎日のように自分が勉強をしていく中で感じていたものがいっぱいあったので、
本当一つではないので、課題だらけの中でそれを直すためには、
もちろん現場の先生にも頑張ってもらうんですけど、現場からの突き上げだけじゃなくて、
もう上から制度ごと変えたりとか、環境を丸と変えるというアプローチも多分必要なんだなということで、
じゃあそれできるのは何かって考えたら、自分が教育委員会の職員になるか、
あるいは議会から議員としてのフィルターを通して提案をして、
これ直した方がいいんじゃないかということの提案をするどっちかなので、
自分は政治の世界からアプローチをして決断した形ですね。
実際それで選挙に出ました、活動をされて、初めて当選するみたいな時もあるわけじゃないですか、
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その瞬間も当然覚えていらっしゃる感じですよね。
その投票の時間があって、当選しましたみたいな瞬間ってどんな感じだったんですか?
これ結構周りから、それこそ池井さんも紹介してくださって、池井さんも応援してくださってその間いたんですけど、
周りはものすごく歓喜で、わーという感じで盛り上がったんですけど、
後からみんなに言われたのが、本人が一番冷静だったって言われて、
割と私は淡々としてたみたいで。
そうなんですね。
あんまりこういう言い方をすると偉そうな言い方になっちゃうんですけど、
受かるっていうのは、ある種、当然というか、
受かんなかったらこの仕事はできないので、
自分の中ではそれはもう本当に通過点というか、
ただの1年の中の1日でしかないので、
もちろんそこに向けて仕事辞めて帰ってきて、
収入ない中で頑張ってきて、それがやっと結びついたっていう、
その瞬間自体もちろん嬉しい気持ちもありますけど、
それ以上にそこからようやく議員として、
自分がやりたいって思った仕事に、
ようやくスタートラインに立てたっていう感じだったので、
舞い上がる感じでは少なくともなくて、
本当に作業かよって突っ込まれたんですけど。
本当に私の中で受かるものとして、
そもそもそれでしか見ていなかったというところで。
そこにやっぱり冷静さがあって、ちゃんと一つの過程ですもんね。
その先にあるものだから。なるほど。
実際に議員になられて、今まであるわけですけど、
実際になられてからどうですかっていう言い方もわくわくしますけど、どうですか?
やりがいにあふれている仕事だと思っていて、
やっぱり全部自分が提案したことが通るはずもなくて、
当然最初の方なんかは25歳の若造に何がわかるんだっていうぐらいの見方もやっぱりされて。
当然行政側で議会で答弁する人たちって、
基本的に部長、課長部長以上で市町教育長って本当のトップの人たちが、
年齢もはるかに上の人たちですよね。
主に50代の人ばかり。市町教育長に限ったら60代の人たちが、
25歳のちょっと社会人経験2年くらい積んで言ってるけど、何がわかるんだよって。
当然向こうから思われるのは当然仕方ない部分もあって。
その中でとは言いつつも、やっぱり冷静に客観的に分析したらこうですよねとか、
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現場のリアルな声として、こういう課題があってこれ悩んでるんだっていう声があるのは確かだから、
それを積み上げていったらこうするしかないですよねっていうことで、
いかに自分が議会で取り上げることを重みのあるものといいますか。
だからやらなきゃいけないかということで、説得材料をちゃんと積み重ねて提案できるかで、
どれくらい達成、実際に提案は別に誰でも言いたいほどできるわけですけど、
実現するかどうかっていうことが大きく変わっちゃうんで。
そこについての日々の現場に行ってちゃんと裏付けを取るとか、もちろん調査もするとか、
他の自治体を見に行くとかっていう積み重ねがどれくらいできるかっていうことで、
本当に変わってきちゃうので。
その結果で本当に誰かの、命を救えるって言うとすごい大げさかもしれないですけど、
でも誰かの課題が解決されるので、それを通してもしかしたら市民の10万人、20万人という人の生活に影響するかもしれないっていう
大きなインパクトがあるので、そういう意味では本当にやりがいがある仕事だなと思ってますし、
まだまだ、今2期目でちょうど5年ぐらい経つんですけど、
まだまだ自分、議員としてのアップデートもできるだろうなという感覚もあって、
本当に日々勉強と実践の繰り返しっていうか、
BDCをさすら回してるような、そんな感じですね。
そう思うと、やっぱりなられた頃から時間が経って、
ご自身としてもできるようになったみたいな手応えとかは当然あるでしょうし、
今になってきたから見えてきたこととかもあるでしょうし。
ありますね。
ありますよね。
やっぱり今だから次のとこに行かなきゃいけないとか、きっとその繰り返しにはなっちゃうと思うんですけど、
今、このダイレクトに、今これ?みたいなのは何?っていうのはありますか?
政策的に言ったんですか?
今直近で、ちょうど今議会が終わって、新しい活動報告書をチラシを作ってるんですけど、
そこで取り上げたのが、不登校問題ですね。
今全国的に学校に行けない、あるいはもう自分から行かないという選択をする子どもが本当に増えてきていて、
コロナが白車をかけたんです。
そっかそっか。
もともと右肩上がりではあったのが、もうコロナ的にバコーンといっちゃったみたいな。
だからもう学校に行かないでいいよっていう、全国で一斉休校になって、
それは完全にシャットダウンしましたよね。
それ以外でもやっぱり研究事態宣言が何じゃとか、学級閉鎖とかということで、
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体調を崩した子はいかないし、怖い時はいかなくていいですよっていう状態になってたので、
学校がそれになっちゃったんですよね。
でもそういう事態はどうしようもできないんですけど、
その結果、もともと学校が全てじゃないよねっていう考えが増えてきたりとか、
学校以外の部分で学びの手段、フリースクールが増えてきたとか、
学校の中に相談室が増えてきたとかということで、
教室に行かなくても何とかなり始めている環境整備が、まだまだ足りてないんですけど、
少しずつそういう選択肢も増えてきた中で、
じゃあ私はやっぱり行けないなとか、行かないなっていう選択をする人たちが増えていて、
でも何かに繋がれてればいいんですよ。
フリースクール行って勉強もできます。
学校とも連絡が取れているので、
学校には行けてなくても先生からすると、その子が今どこにいて、
ちゃんと誰かと接点があってケアが受けられているっていうのは分かっていればいいんですけど、
そうじゃない人の方が圧倒的に多いんですよね。
学校に行ってない、つまり家にいるんですよ、どこにも繋がっていないというか。
家にいてオンラインの授業を受けるわけでもなく、
ただただ本当に部屋で過ごしている子たちもまだまだいっぱいいますし、
その不登校というものが、今は一つの社会問題になってきていて、
こないだNHKも特集を組んでやってたんですけど、それぐらい社会問題化してきたテーマで、
これをもう何とかとにかくしなきゃいけないなということで、
不登校になる理由も人によって家庭によって本当に様々なので、
何か一個やって解決するものではなくて、いろんな選択肢を作っていかないと、
どこかしら一個でも引っかかんないと、本当に誰とも繋がらないシャットダウンになっちゃうので、
その子、誰かと繋がれる環境というのをいかに増やせるか。
それを行政がどこまでやるのかというところに決めて、
かなり深刻に捉えて考えなきゃいけない時代になってきたなというふうに感じていますね。
具体的な方法といってもやっぱりそれぞれ違うわけですから、そこが難しいと言えば難しいですね。
そうですね。
例えば学校の中の相談室に、もう週平日5日間ずっとそこに相談をしてくれる先生がいるわけではないんですよ、現状。
そこに対してスクールカウンセラーと言われている人たちとかを、じゃあもうちょっと増員したらどうかとか。
なるほど、なるほど。
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例えば教室に行けなくても、今1人1台パソコンが配られて、子供たちが当たり前にパソコンを使って授業をする時代になってきたので、
それを活用して相談室とか保健室までだったら頑張ってなんとかいけるよという子がいたとしたら、そこと教室を繋いで、
カメラだけ置いとけば先生が授業をやっている風景とかをリアルタイムで配信ができたりとか。
最悪そのテクノロジーが使える時代になってきたので、そういうところでカバーできるんじゃないかとか。
あとは最近文科省が不登校の子たちのための学校を作ろうという動きをしていて、まだ全国で数えるほどしかないんですけど、
それを横須賀で設置したらどうかとか。
そういういろんな組み合わせでやっていかないと、やっぱり今の数は横須賀で1000人超えちゃったんですけど、小中学校で。
それぐらいの子たちがいるので、その全員が学ぶ環境と繋がれるための動態環境作りというのをしていきましょうということ。
まだまだ研究している最中ではあるんですけど、行政と教育委員会とやり取りをしていますね。
それは本当に引き続きというか、やっていかなきゃいけないということですね。
竹岡さんが取り組まれている中で、実際若くして議員さんになられて、竹岡さんが入ったことによって変化みたいなのが聞いていると、
他の若い方たちが、じゃあ俺もみたいなのってあったりするものなんですかね。
まだ私が直接影響を与えられているほどではないんですけど、ただ市民の皆さん側が、
例えば、今私インスタでよくいろんな配信をしているんですね。議会で今こんなテーマがありましたとかってやると、結構びっくりするんですけど、女子高生とかが平気でそれに対してリアクションをくれたりとか言ってくれたりするんですよ。
多分これは、若い自分が一人の市民の代表として議員にいなかったら、その声って誰にも拾われていなかったんだっていう、その実感はもう結構あって。
だから朝、駅とか交差点とかに決まった時間とかに立ってくると、地元の小中学生とかが覚えてくれるんですよ。
なんとかさんと夏中で会っても声かけてくれるし。でも中学生ぐらいになると自分の考えを言える子たちが増えているので、逆に向こうから教えてくれたりとか。
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普段の日常生活、学校生活を送っている中で、なんとなく気づきがあったこととかが、今まで誰にも、先生には言っていたかもしれないけど、そこから先何も発展していなかったであろうことが、一人の議員と一人の学生が繋がったっていうことによって、今まで見えなかった声がようやく議会に届くし。
議会で私が発言すれば、それが行政に届く仕組みができるので、まさに若いうちに議員をやる意義っていうのがこういうことだなというふうに思いますし。
きっと市民の皆さんも私に投票してくれたのは、多分そういうところに期待をして、若い人ならではの感じ方で、議会で仕事してねっていうメッセージだと思う。
そこはすごく自分でもやれているなという感覚がありますね。
なるほど、やっぱりそれが最初の頃に比べて、だんだんみんなが感じとして実感されるんですよね。
そっかー、それは素晴らしいというか、いいですね。感じとしては面白い。
今当然ね、SNSみたいなものは当たり前のようにもあるわけですから、それもまた使いながら、いろんな頃もありながら。
なるほど、そういうことですね。
あとは学生のインターン生っていうのも随時募集してまして、議員志望とかじゃなくても全然いいんですけど、ちょっと地元のことを勉強したいこととか。
高校生とか大学生とかが、まだ人数少ないんですけど、時々インターンやりたいですっていうことで。
インターンで何人に所属するとかそういう感じ?
時間があるときに私と一緒に、例えば制作の研究をするときにちょっとお手伝いをしてもらったりとか、会派で会議をするときにちょっと横に座ってもらって。
実際に、参加とまでは行かないですけど、その会議の様子を見てもらって、どんなことをやってるかとか。
場合によっては職員と打ち合わせするときに一緒に同席してもらって。
その議会と行政がやり取りをするその瞬間を横で、間近で見てもらったりとか。
ということで、本当自分の街とか政治というものについて、かなり勉強になるんじゃないかなという機会を。
それはなりますよね。やっぱり現場でそこにいて、ネットとかでこういうことやってるんだじゃなくて、そこにいればこういうことなんだってわかるじゃないですか。
田中さんが、もともと大学生のときに役員になったときの現場で受けた感覚みたいな。
そうですね。
そういう感じを。
私自身も先輩議員のとこでインターンをやってた時期があるんですよ。大学の3年生くらいに。
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そこでかなり職業としての政治家というものがリアルに見えてきた部分があったので。
当然、まだ議員志望で来てくれたほうがいないんですけど。
もしそういう子が来てくれたら、きっとこの良い部分も悪い部分もこんなことでやってるんだというところが一番近くで見られるんじゃないかなと。
そうですよね。それはすごく意義あることですよね。
そうか、だから竹岡さんに教わってきましたって人がそのうち入ってきたら、またそれはそれで嬉しいですよね。
そういう子がゆくゆく議員になってくれて、一緒に活動できたらいいなと思ってますけど。
そこを切り拓かれてる感じみたいなのが、今お話を聞いてて受けたという感じがします。
ありがとうございます。
地域の集まりに参加した際、若者の不在に衝撃を受けたという竹岡さん。議員としての課題、不登校問題についてなど、今の思いを語っていただきました。
そしてお話は好きなことについて伺っていきます。
皆さんにお仕事のことを聞きながら、もう一つ好きなことを伺ってるんですけど。
好きなこと?何でもいいんですか?
何でもいいです。
人それぞれ、例えば趣味的なことをおっしゃるといえば、中には無くて仕事が好きなんだよねって人もいれば、本当に皆さんそれぞれ。
すごく純粋に私が好きっていうと、野球が。もともとやってたし、見るのも好きで。
明日もちょっと母校の高校野球部の公演、明日県大会の試合があるんですけど。
高校野球、プロ野球、見るのが相当好きで、実は。
相当?好きじゃなくて相当好き?
相当好きなんです。
ある球団が好きなんですね、プロ野球は。
表向きは地元のベイスターズを応援してるっていう。
ベイスターズ、ここはそうですね。
表向きとか言っちゃいけないですけど、ベイスターズも応援してるんですけど。
もう一個関西のある球団が好きでして。
そうなんですね。
それ言わない方がいいですか?分かんないけど。
分かんない、別にどっちでもいいですけど。
関西のある球団。
なんでですか?
それはですね、結構私の人生観につながってるんですけど。
ちょうど私が5歳くらいにプロ野球を見始めたんですが、
その時に一番弱かったんですよ。
一番弱くて、暗黒時代と言われてて。
私の兄がいるんですけど、兄はジャイアンツファンだったんです。
ジャイアンツ、昭和の時代からジャイアンツの放送ばっかりされたわけですけど。
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大きな球団があって。
割とそこのライバル球団とされてました。
まあいっぱいありますけどね。
一番弱くて、大きいものに立ち向かっていくっていうのが。
なんかね、私その頃からそういう気持ちがあって。
強者に立ち向かっていく、その姿みたいなものに。
ちょっと触発をされたり、応援をするような。
でもそれが結構、かなりのファンなんですよ。
地元の球団も応援してるんですけど。
そこが本当に生活の一部って言っても過言じゃないぐらいに好きでして。
そこが息抜きの時間というか。
チームのことをお知り合い見てる時間とか。
そこに関する記事を読んでる時間とか。
楽しいですね。
相当好きですね。
そうなんですね。
野球が好きな方って、いろんな方いらっしゃって好きの部分というか。
例えば鉄道でいうとこの音鉄とか乗り鉄とかあるじゃないですか。
私は音が好きとか、乗ってるのが好きとか、取るのが好きとか。
野球もいろんな方いらっしゃると思うんですよ。
例えば選手が好きだったりとか、ピッチャーとかバッターとか工房とかいろいろあると思うんですけど。
じゃあそのさらにここみたいなところってあったりするんですか?
それで言うと、私あんまり特定のピンポイントはこの選手みたいなのがいなくてですね。
本当はチームがあることですね。
あの存在がある種の自分を投影してる感じで。
言ったら強者に立ち向かっていくみたいな形。
もう長いこと応援してると、今まで僕が生きてる間に3回優勝してます。
去年も優勝したんですけど。
優勝しましたよね。
どうなんですかね、優勝しちゃうと。
優勝しちゃうともうね、もちろん仕事はしてるんだけど。
仕事が手につかないぐらいな時もないと言ったら嘘に。
そういう感じなんですね。
だってもうそれは何年もぶりに優勝したりした日にはやばいですよね。
しかもですね、子供が今1歳ちょっとなんですけど。
本当は生まれる予定日が去年の1月中旬の予定日だったんですね。
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去年ってウサギ年だったんですけど。
予定日よりもだいぶ早く生まれてきまして。
一昨年の大晦日の夜11時20分ぐらい。
結構もう年が変わるギリギリ。
本当もう紅白のミーシャが歌ってた時間だったんですよ。
鳥ですね、鳥が歌ってる時が。
当時まだコロナで立ち会いができなくて私が家で待ってたんですよ。
その時間に電話かかってきて。
当然年越すものと思ってたんで。
ウサギ年かと思ってたんですよ。
ところがですね、ウサギの1個前って。
それは全然。
トラ年なんですよ。
宿敵と言われているチームはウサギなんですよ、マスコットが。
ああ、そうだわ。
これはもう息子がトラ年に生まれたいっていう意思ですよね。
だってミーシャの頃ですもんね。
予定日よりも2週間半ぐらい早く来る。
ギリギリ間に合わせて来たということが、
これは生まれつき僕はトラなんだという意思の現れだなと思ってて。
本当はエトにまつわるものとかを買おうと思ってたんですけど、
1個前になっちゃったもんですから、
慌ててトラのだるまを買ってですね。
テレビの前にずっと飾ってあって、片目だけ入れてあって。
僕が小学生以来某球団が優勝してなかったんで、
これは我が子がトラ年にわざわざ間に合わせて、
自分でも僕は生まれつきのファンなんだよと言ってきてるから、
今年はいけんじゃないかなって去年思ってたら、本当に優勝しちゃって。
すごいそれ。
しかも日本一。
小学生の時に前回優勝したときは2回優勝してるんですけど、
その2回とも日本一にはなれなかった。
今回は日本一になっちゃった。
これはね、いろんな巡り合わせを感じちゃいまして、
僕も生きててよかったなと思いましたし、
我が子に生まれてきてくれてありがとうっていう。
素晴らしい。
気持ちが倍増になった。
全然本題とそれちゃいましたけど、
このスキンガイをお伝えしたくて。
いやいやいや、本当にめっちゃ伝わってきましたし、
この話すごい。
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それは嬉しいですよね。
いろんな感情があった。
そっか。
それはもう去年のある時期は、
全然手に仕事がつきつかない状態だったっていうのもよく分かりました。
僕は生まれつきファンなんだよっていうことを、
一生自己紹介で使わせようと思ってます。
ネタとして。
作りながらにネタを一個持ってるんですよね。
最強です。
なるほど。
じゃあもう今シーズン始まりましたし、
またちょっと楽しい時期が続いてくるって感じですね。
いやー素晴らしい。
ありがとうございます。
こんなんでいいですかね?
いいです。全然いいです。
何その話って。
あー面白い。
あーそっか。素晴らしいです。
野球が好き。
それもとある球団が相当好き。
その好きが存分に伝わってくるエピソード。
そんな好きを語る竹岡さんの無邪気な様子が、
その後も余韻に残るようなお話をいただいたのでした。
竹岡さんありがとうございました。
それではまた次回、
指縄さんのキクヒトラジオでお会いしましょう。