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2023-11-06 35:34

V.36 ノクチ基地 取締役/映像クリエイター・末吉理さん「新しい体験が好き」

今回は、株式会社ノクチ基地 取締役で、映像クリエイターをされている、末吉理さんにお話しを伺いました。
「仕事が地域活動」と仰る末吉さん。映像クリエイターとしてのお仕事のお話しをはじめ、様々にお聞きしました。
株式会社ノクチ基地:⁠https://nokuchikichi.com/
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は株式会社ノクチ基地取締役で映像クリエイターをされている末吉理さんにお話を伺いました。
日々取り組まれている映像を作るというお仕事のことをはじめ、地元川崎での取り組み、
また、歴史が好きとおっしゃるそのルーツなど、初対面ながらもとても気さくにいろいろとお話をいただきました。
末吉さんは映像のお仕事をされているということなので、その辺とかもお聞きしたいなと思うんですけど、映像でもいろいろあると思うんですが、何をしているんですか?
映像の3つあって、まず1つがYouTubeで流れていくような企画を立てて撮影して編集してというような、いわゆる映像です。
もう1つは配信ですね。ライブ配信をYouTubeライブで使ったりとか、セミナーの配信代行とか。
末吉さんはさっきの撮影編集するような映像とは別で、簡単なアニメーションみたいな映像とかもやっています。
簡単なアニメーション?アニメーションも難しいんですけど。
皆さんが考えているアニメって、昔だとセルガがあって、一コマ一コマ描いていくようなアニメがアニメーションだと思うんですけど、
あのタイプじゃなくて、いわゆるモーショングラフィックと言われる図形が動いたりとか、撮影素材ではなくてテキストとか図形とかを動かして、商品とかサービスの説明をする動画みたいな。
例えばウェブとかで流れてきたり、電車とかのサイネージとかで流れてくるとか。
ソフトは何を使っているんですか?
ソフトはアフターエフェクト。
それでいろいろとガンガン動かしたりとか。
ただ、編集作業はそんな好きじゃないので。
好きじゃないんですか?
基本的には撮影して編集するみたいな。
ロケやり機の映像とかが多いです。
それのお仕事をクライアントさんみたいな人から受注して、それでお話をして、じゃあ撮っていくみたいな。
03:07
それにライブ配信もあるんですか?セッティングとか一通り。
そうですね。ライブ配信の場合はセッティングもやりますし、
あとはクライアントさんが企画を立てて、こういうゲストを呼んで、
タイムスケジュールがこういう流れで、ゲストが何人出てみたいなのをお伺いをして、
その中でマイクは会場でも使ってるんですけど、マイク何本必要だとか、カメラは何台でどういう押さえ方をするかとか。
イベントの中で、例えばコーナーでストレッチ入れたりとかだったら、その時のカメラワークどうしようかみたいなのを、
本番は1回しかないので、それに向けてカメラワークとかの内容を細かく事前に詰めて、
当日配信のお手伝いをするみたいな。
前からやってたわけではないですね。
一応前もやってたんですけど、その時は仕事とかじゃなくて、
Ustreamを使った地域情報番組みたいなのを、
僕と新入りが丘っていう地域のNPOで勤めてたので、
その勤めてる時に自分で勝手に始めて、
町中の新入りが丘の施設の玄関の置き先をお借りして、
町中にスピーカー立てて、
通行の皆さんみたいな、そんな感じの番組を一応やってたんですけど、
その時は機材も大したことなかったし、趣味だったので、
今やってる仕事に関しては全然違う分野ですけど、
その頃からそんな感じのことをやってて、
本格的に始めたのはコロナ禍になってからという感じですね。
撮影のロケ物が一切なくなった時があって、
その時ちょうど、今僕は水野口地元で会社をやってるんですけど、
そこで仲のいい水野口劇場さんという劇場があって、
劇場さんもコロナになって公演が全くできないという状況の中で、
じゃあお互い何かできることないかなというので、
水野口劇場さんを配信スタジオにして、
我々が撮影と配信を担当させていただいて、
それをパッケージ化して、
アーティストさんにライブやりませんかとか、
そういった感じの活動をし始めて、そこから本格的にやったという感じです。
それまではそんなにガッツリやってたわけではなかったということですね。
全然やってなかったです。
最初にNPOとして、ユーストリームやり始めたのは何でやろうというのは?
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最初はユーストリームをやった時は、
僕がやる前に、
僕は新宿が丘という地域で始めたんですけど、
その前に快速急行で一駅行ったのぼりとという街があって、
のぼりとの街でも既にやってた人がいたので、
その人の比較を丸パクにしたというか、
その人の中でちゃんと挨拶しに行って、
僕も同じぐらいでやりたいので、
パクらせてくださいと言ったら、
いろいろコンセプトを丁寧に教えてくれたので。
それはいいですね。
その時はそれがあったから始めたというだけだったので、
特にライブ配信に対して可能性を感じたとか、そんなではないです。
その頃そんなにやられている方も多くないような状態でしたね。
インスタグラムは一部マニアの間でわりと熱狂的な活動というか、
それなりに流行ってたじゃないですか。
そうですね、わかります。
そうやって映像的なものにもともとご興味があったと聞いています。
その業界、例えばお仕事を始められた頃からそういう業界なのか、ではないみたいな。
そういう意味で言うと、大学を卒業して最初に入った会社では営業職をやっていました。
映像とは全く関係ない分野で、
営業職7年くらいだったかな。
その後勤めた会社も半分営業で、半分は作業をするんですけど、
その時は映像の会社ではなくて、レブの会社に勤めていた感じです。
その後、さっき話した新入れが多かったところでNPOに入って、
なので全然映像には関係ない。
今フリーランスなんですけど、
フリーランスになり始めた時もレブのクリエイターでフリーランスになったので、
映像を始めたのは何年前だろうな、6、7年前だからですかね。
へー。
っていう感じです。
それを思うと不思議な感じがしますけど、
何かきっかけっていうかそういうのがあったんですかね。
そうですね。
考えてみると、レブのクリエイターでフリーランスになったんですけど、
地域のお店の仕事が多かったので、
そのお店のホームページの素材で写真を撮ってとか、映像を撮ってっていう依頼を何回か受けてて、
その中で映像とかやってる時に、映像の仕事の方が向いてるなっていうのは絶対に楽しかったと思います。
それからどんどんそっちに仕事をシフトしていって、
今は完全に映像の仕事だけっていう感じです。
お仕事をしながらなんとなく方向が見えてきて、そっちに自分の方で向いていって、今からみたいな感じ。
そうですね。
一番のきっかけで言うと、今水野口で会社やってるって先ほどお話したんですけど、
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株式会社のキチキチっていう会社に、今代表取締役の山本っていうものがいました。
その人に誘われて一緒に始めたんですけど、
始めた時は僕も映像のクリエイターとしてそんなになってたんですけど、
その当時はウェブと映像の仕事比率で言うと、
ウェブが9割で映像が1割くらいっていう中で、
たまたま僕が作った映像の作品とか見てくれて声かけてくれたんですけど、
そのキチキチっていう会社はいろんなクリエイターさんがいらっしゃって、
僕は映像担当で入ったんですけど、他にもウェブの担当がいたりとか、
グラフィックのデザイナーさんがいたりとかっていういろんなクリエイターがいる中で、
僕がノクチキチの中の役割としては、
ウェブのクリエイターではなくて映像のクリエイターとして入っているので、
ノクチキチの映像に関する案件をいろいろ出していただく中で、
スキルもどんどん上がっていってっていう感じで、
ノクチキチに入ったおかげで映像の仕事にシフトできたという感じです。
やりながら技術も身につけて、最初の頃に比べればやっぱりそれはやればやろうと上手になりますし、
最初は難しいというか、何でしょうね。
手探りですね。
ですよね、すごく。
たまたまそれも僕の恵まれさだと思うんですけど、
ウェブをやろうかなって思った時に、
地元に映像をやられていた方がいて、
その方が本当に親切に教えていただいたので、
その基礎があってというのはもちろんあります。
それは羨ましい過激です。
僕も映像をやるんですけど、教わったりしたことがなくて、
ウェブの講座とかYouTubeとかで独学でやっていくので、
そうすると合っているのか合っていないのかが見えない状態で、
手探りでずっとやっていくので、
ある程度教えてくださる方がいると非常にいいですよね。
それは本当にありがたいですね。
いいですね。
そうやって映像のお仕事をずっとされていくと、
業界的な変化というか、今ってだいぶやられる方も増えてるし、
例えばスマホとかの話とかというか、
一般の方もすごいするようになってきてて、
その辺の感じ方、違ってきてますか?
そうですね。
多分それもコロナ禍がきっかけなんですけど、
そのライブ配信も含めて。
映像という業界が、
テレビとか映画とかって元々だった映像の業界ではなく、
ウェブ周りとか、ウェブに載せる広告の映像だったりとか、
ウェブのページに載せる映像だったりとか、
12:02
ウェブに関する映像の案件というのは、
かなり増えているというのはあって、
今はほぼほぼコロナの影響もないですけど、
ついこの間まではなるべく人が集まらないとか、
そうなった時に、ビジネスフェアとかもオンラインになったりとか、
その時に詳細を紹介するための映像が必要とか、
逆説的に映像の案件というのは、
すごい愛が増えてるなっていうのは実感であって、
それに合わせて関わる人が増えてるなという認識はあるので、
業界としては批評が激しいなという感覚としてあります。
実際業界自体が大きくなってきてるっていうのもやっぱり感じますし、
例えばSNS的なものとかの連絡でもありますし、
どうなるって言ってもわからないですけど、
だいぶ皆さんが映像に触れる機会も増えてきてますから、
その中でも制御士さんは撮るっていうこともされるわけですから、
撮るってなると、ちょっとまた一つ段階があるというか、
いわゆる素人の人からしたらやっぱり違うでしょうから、
その辺は独自のポジションを築けてやってるのかなというふうに思います。
ただ、今機材もすごい発達してるので、
それこそ先ほど言ってたように、スマホで撮る映像があったりとか、
そんなに、両極端にはなってるなと思うんですけど、
すごい自分の作風をこだわって、
それを追求していくような映像クリエイターももちろんでしょうし、
僕はどっちかっていうと、
そんなに自分が一流のクリエイターだとは思ってないので、
僕にしか撮れない映像っていうのはもちろんあるんだと思うんですけど、
でも、それが全てで勝負できるとは思ってないので、
映像に関わる仕事というか、
今で言うと、作った映像をどういかにたくさんの人に見てもらうとか、
フルマーケティフィなところも含めて、
そういうことも含めてご提案できるような形を取れれば強いんじゃないかなと思って、
今はそちらの分野も始めてるというか、そういった分野にも関わってるわけです。
そうなんですね。
じゃあ、またそれはこれからちょっとずつ状況を見ながら動いていく感じなんですね。
そうですね。
それもあるし、あとはさっき言ったように僕は編集が好きじゃないので、
基本的には自分で撮影も編集もっていうことを今までやってたんですけど、
なるべく僕が一個上の立場になるというか、
15:01
企画の部分とか、あとは撮影現場でのディレクションとか、
そういったところにポジションを置けるように、
だんだん行かなきゃいけないなというか、
会社の仕事としてはそういう形で始めてるっていう感じです。
なるほど。
最初に聞いた川崎ですよね、地元で。
言ったら生まれもというか、育った環境として川崎なんですよね。
川崎で地域としてやられてることもたくさんあって、前本もそうですけど、
川崎は僕はあんまりそこまで知らないんですけど、
川崎のオススメって言ってたんですけど、
ここがいいんだよみたいなのって。
そうですね。川崎は僕もずっと住んでて暮らしてるので、
改めてよそってるとなかなかあんまり分からないですけど、
便利ですよね。横浜にも出られるし、東京にも出られるし。
だいたい同級生とか、結構地元の方も多いので、
出る理由がないというか、
大学とか高校とか大学とか、社会地になって会社選ぶときも、
全然家から帰るとかだったりするので。
僕は今多摩区っていう西の方の地域に住んでるんですけど、
こちらの地域だと自然もすごい多いので、
最近うちの近くの空き家に狸が住み始めました。
空き家に狸が住んでるんですか?
家族で。
家族で?
家族で住んでて、3日に1回くらい狸見るんですけど。
狸ってそんなイメージじゃなかったんですか?
ぐらい。
隣の部屋のベランダに白ビシンがいました。
そうなんですね。
僕が住んでるエリアは結構緑がたくさん残ってる地域なので、
そういう意味ではいいバランスの都会でありながらという感じの部分はあるかなと。
それはすごい。確かにそうなると別にわざわざ離れることもないし、
地元でお知り合い、お友達の方もいっぱいいらっしゃるとかして、
お仕事もしっかりそこでできるって言ったら、もう何も。
そこで地域の活動っていうか、地域の皆さんとこれっていう活動って。
地域活動っていう形は、
僕がNPAにいたときは地域情報番組みたいなので配信したりとか、
あとコロナになる前まではイベントやってたことしたんですよ。
芝生の綺麗な公園があって、そこでみんなで外ようがしませんかと。
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子どもが自由に駆け回る芝生で、子ども向けのブースを女の子が用意して、
みんなで裸足で遊びに来ませんかみたいなイベントをやってたんですけど、
コロナ禍になって一回それが全部なくなって、
今はその地域に向けた活動とかは特にはしてないです。
ただ今のプチキチっていう会社は、
一応コンセプトがクリエイティブの地産地消ということを掲げてて。
地産地消、クリエイティブの地産地消でしょうね。
川崎の地域にあるクリエイティブ、
地域のお店がちょっとホームページ作りたいとか、
地域の企業さんがアフレコ新しくしたいんだとか、
みたいな案件の時に地域のクリエイターが、
大手の代理人さんとかじゃなくて、地域をよく知っているクリエイターが、
その地域の魅力だったりとか、
クリカーが近いところのクライアントさんをもっとよく知って、
そのクライアントさんを引き換えさせるためにはどうしたらいいかみたいなのを
ご提供できたら面白いなと思って、
それを今、フチキチでやってるんですけど。
だから今は仕事が地域活動みたいな感じですよね。
仕事が地域活動、なんかいいですね。
そっか、やっぱり同じ地元だから、
会社のさんとかも、
じゃあ一緒の川崎だったら一緒にやりましょうみたいな感じで、
お話も通じやすいですし。
それに関しては僕よりも、今の代表取締役の山本っていう人間が
中心的にやってるんです。
山本さんとかは、本当に地域のキーパーさんというか、
何か川崎であると、
僕らは受注する側なので、一時政策会社なんですけど、
逆に活動の中心にいたりするので、
逆転現象みたいなパターンが結構あります。
一緒に地域の活動を推進していく中で、
お仕事をいただいたりとか、
プロジェクトのホームページを作るとか映像を作るとかの時に、
その口々で受注するみたいなパターンもあったりとか。
そっか、じゃあその方が結構いろいろ中に入って動いていらして、
お仕事も。
すごいな。面白い。
全国にも結構いろんなところにも行かれてるんですよね、
瀬吉さんご自身は。
そうですね。
僕らもクリエイティブの地産地消という形でやってるんですけど、
もともとがそれぞれ、
例えば東京の代理店さんのお仕事をやってたりとかするので、
もちろんその繋がりが今でもありますし、
僕らもそのクリエイティブの地産地消ということを掲げて、
その化石だけに収まってしまうと、
やっぱりその外の世界を全く知らない、
21:02
自勉強な人だと思うんで、
一応その知見を広げるっていう意味でも、
いろんな地域、代理店さん経由とかで、
いろんな地域のお仕事もやらせていただいて、
あとはただ単純に出張が好きって思います。
出張が好き。
そう、このお話聞く中で好きなことは何ですか?
そうですね。出張が好きっていうか、いろんなところに行くのが好きですね。
新しいことを体験するのが好きなんですね。
そうですよね。やっぱりそれは確かにおっしゃる通りですね。
で、さっきちょっと聞いたのが、
歴史的な部分も好きっておっしゃってましたよね?
そうですね。大学の専攻も歴史学だったんですよ。
そうなんですか?
中国古代史です。
それはなんでそこへ行くんですか?
最初のきっかけは本当によくある、
男子あるあるなんですけど、
中学生の時に横山三世さんっていう人の三国史を
全部買って、
あ、そういうことですね。
すり切れるほど売りましたよね。
そっか。なるほど。
そっからです。
そうなんですね。そういうことがちょっとわかった。
そっかそっか。
劉備、関羽、張飛から始まっての義御職の話みたいな、
そういうところ。
そうなんですね。
でもそれで学校でもそこまで深く学んでいくっていうのは
どれほど好きでしたかね?
そうですね。
おじいちゃんの影響も強かったんですけど、
おじいちゃんは全然学問としてはやってなかったんですけど、
社会人になって、
働き始めてから明治大学の考古学サークルに入ったりとか。
で、うちのおじいちゃんが、うちのおじいちゃんの家も川崎なんですけど、
川崎のちょっと高台にあって、
渋口っていうところで、
貝塚が有名なとこなんですよ。
渋口貝塚っていうのは有名な地域で、
本当にちっちゃい頃とかその辺の畑に行って、
土地掘り起こす時のかけらが出てくるとか。
そういう場所あったんです。
砕け散った貝殻とか、
いっぱいあった場所なんで。
そこで結構ロマンを感じたというか。
何千万年前の。
海っぴりだったってことですね、貝塚が。
そうですね。
人たちが使ってたものが今でもここにあるみたいなのが、
すごい面白いなと思って。
面白い。そういうことですね。
今の面白さは全く面白いと思うんですけど、
歴史とかを学んでいく中で、
僕も嫌いではないので、
本を読んだりするんですけど、
何が面白いっていうのって何でしょうね。
勉強をしやりたいなと思ったきっかけは、
大学受験の予備校の先生で、
24:00
世界史の先生で、
その人の授業が僕すごい好きだったんですよ。
その人が言ってた話で、
歴史学は社会学の積み重ねだっていう言葉があって、
社会学の積み重ね。
現代史とか、
例えば第二次世界大戦があって、
日本が敗戦して、
敗戦していく中で、
国が立ち上がらなきゃいけなくて、
国土経済成長があって、
モブルが弾けてみたいな、
ここ100年くらいの歴史って、
わりとみんなよく知ってるじゃないですか。
ただその歴史は繰り返されるみたいなのもあるので、
そういう、
だいたい戦争があって、
負けた国が頑張って復興して、
発展を遂げて、
昇りつめたところでまた負けるみたいな感じの、
繰り返しの歴史なんですけど、
その歴史をずっと勉強していくと、
人間が作る歴史なので、
それの中で学んだことって、
今の現代史の中でも生かせるんだよみたいな、
話をしていただいたことがあって、
それがすごく面白いなと。
ああ、そうか。
それが今に生かされているかどうかよくわからないですけど、
その言葉にすごい感銘を受けて、
自ら好きになったって感じです。
本当におっしゃる通りですよね。
やっぱり学んでいく中で、
この出来事ってこれと何か近しいとか、
現代においても起きている出来事とかも、
やっぱり歴史を知っていると、
照らせる部分もありますし。
ちょっと前にビジネス書で
孫子の兵法書が流行ったじゃないですか。
そういうことかなと思いますよ。
確かに。
そうですね。
短いスパン、例えば10年ぐらいのスパンでも、
いろんなことが同じように繰り返されるのもそうだし、
長い単位でもそうだし、
例えばコロナみたいな話も、
やっぱり疫病の歴史とか紐解いていくと、
同じようなことがされていって、
そういうので歴史を読むと、
ああ、なるほどな、みたいな。
やっぱり人が紡いできたものだったりするので、
その面白さっていうのは。
ああ、そうか。面白いですね。
ただ単純に、
三国志を読んだ時の衝撃で、
孔明すげえみたいな。
おお!
孔明スーパーマンすぎんだろうみたいな。
そうですね。
当時の人からしたら最先端の
科学技術の知識があって、
天文学とか、
地理学とか、
知性学とか、
そういうことをすごい極めた人だったんでしょうけど、
でもあの時代の
あの中で描かれているのはスーパーマンしかいないじゃないですか。
確かに。
どんだけ石を読めんだよみたいな。
石壁の戦いとかってそうですよね。
そうですよね。
まさにそういう、いろんなものを読んで
こうやっていく感じ。
ああ、確かにあれ、
中学とかで出会っちゃうときも来ますよね。
ああ、でもそうだわ。
僕高校ぐらいだった気がするんですけど、
中学であれ来ると、おおーってこう、
男の子としては。
そうか。
そこがあるっていうのは、
面白い。
27:00
そうですね。
面白いものがいっぱい詰まってるっていう認識ですね。
そうですね。
これはもう勉強しないとやらないだろうみたいな感じで、
予備校を通ってたときはまだ専攻を悩んでたんですけど、
ああ、そうなんですね。
その先生の授業を聞いてからは、
歴史元までやりたかったし、
歴史学科に絞ったってことですね。
歴史学もその、
大学で学ぶってなると、
またちょっと違うんじゃないですか。
全然違いましたね。
全然違いましたよ。
大学の歴史の授業はめっちゃつまんなかったです。
あれあれ。
でもなんか、
すごい専門的なので、
ゼミ入ってからは楽しかったですけどね。
その手前は?
手前はなんか、
一般教養に近い形なので、
中国古代史だったから、
漢文も、
しかも、
白文って言って、
一から自分で例点つけてみたいな。
読めるんですね?
読めないです。
自分で例点つけたりとかしながら。
当時はギリギリ読めてましたけど、
今は全然読めないですね。
そっか。
それはそんなに好きではなかったです。
その後は歴史的なことは、
そんなに、
普段はされてるとかじゃないけど、
今は別にそうですね。
例えば神社とか。
時代背景があるようなものが好きなので、
本当に出張に行った時に、
その地域の一宮に行ってみたりとか、
みたいなのがよくあります。
いいですね。確かにそうですね。
やっぱり、
その土地に行ったらまず挨拶に行くみたいな、
そういうのありますもんね。
あと郷土資料館とかは好きですね。
はいはいはい。
新しいところに行って、
新しい場所をわーってなって、
そこで少しずつその土地を知っていくという中で、
神社行ったり、郷土資料館に行ったりして、
だんだんその土地が体に入ってくる。
そうですよね。
そこの地域の人とやっぱりお話しされるわけですから、
それもそこの人という意味でのお話し。
そうですね。
いろんなとこ行ってて、
ここを特に自分好きみたいな、
会うとかってありますか?
そうですね。
まあ、海水行ってるっていうのもあるんですけど、
今、福岡の朝倉っていうところに、
すごい会話していただいてて、
はい。
そこは本当に歴史も深いところなので、
山田愛国の九州説の候補の一個みたいなところなので、
あと古墳がいっぱいあるんですね。
へー。
すごい当時からの歴史もいっぱいあるし、
勇者たなしい神社とかもいっぱいあるので、
そこはすごいなんか、
行ってて楽しいですね。
それなんかご縁というか、
お仕事で行かれるっていう感じですか?
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
もともとのきっかけは、
野口吉の社長の山本さんと、
またその山本さんと一緒に、
二子玉川で別の会社をやってる方がいらっしゃって、
その方が朝倉の出身の和田なんですよ。
東京朝倉会っていう朝倉の出身の。
朝倉会。
30:00
はいはいはい。
朝倉出身の方の、
東京での活動の、
市社長の。
はいはいはい。
市社長の。
はいはいはい。
市社長の、
会の会長をやられてる人で、
朝倉の、
そういう地域の活性化とかも、
やられてる方がいらっしゃるので、
その方のつてで、
観光協会さんのお仕事で、
映像の仕事をやらせていただいて、
いらっしゃるんです。
じゃあ行って映像とか、
そういうようなお仕事をされて。
最初行った時と、
何度も行ったと、ちょっと変わってきますよね。
全然違いますね。
どう違う?
何ですかね。
最初行った時からすごい印象よくあったんですけど、
何でしょうね。
何が、
何が変わったかっていうと、
全然違えって、
ちょっと言い過ぎですけど。
何だろうな。
でも、
何でしょうね。
なんかすごい温かいというか。
多分行き慣れてきたから、
気持ちが出てきたみたいなのがあるんですけど。
でもなんか、
何でしょうね。本当に何もないとこではあるんですよ。
博多から
車で高速に乗って
1時間弱で、
大分は人との境なので、
本当に
福岡のはずれみたいなところなんですけど。
ただまあ、
そこで撮れる
特産のものとかは、
ご飯も美味しいですよ。
あと何だろうな。
今ちょうど
今年度から始めている
お仕事で、
朝倉の中の秋月
っていう地域があって、
そこは秋月藩っていう藩が
あったところの
一番中心地なんですけど、
そこのことを改めて勉強させていただいたりとか、
やっぱり
歴史がすごい深いところで、
多分そこでもあって
すごい好きになったっていうのはあるかもしれない。
なるほど。
ちょうどそうやって、
好きなこととちゃんと
クロスしてというか、
関連して。
また行かれる?
そうですね。
来月また。
行くともう何度目かの
訪問になるから、
来たなみたいな
ありますよね、最初の時とは違って。
朝倉に行くと絶対に行く
うどん屋さんがあるんですけど、
そこに行くと
帰ってきたなって。
それめっちゃいい話。
いいですね。
あご出汁のおいしいスープ。
名前がないんです。
うどん屋っていう
看板じゃなくて。
地域の人に聞いても、
そのうどん屋さんの
目の前に
JAの施設があって、
JAのうどんコーナーってみんな言うんですけど、
JAとは全く関係ないです。
それでずっとやってるんですね。
33:00
そうなんです。
みんなJAの
うどん屋行こうよって言ってくれるんですけど。
そこに行くんですね。
正式名称ではないです。
そういうのがいい感じの。
それは素敵。
じゃあまた来月そこに行かれる?
そうですね。
で、帰ってきたっていう感じ。
めっちゃいい。
そこにやっぱり知り合いがどんどん増えてくるので、
その方たちに会うのも楽しみです。
そうですよね。
いつも
大人になってくると、
家族とかでない限り毎日会うような方ってなかなかいないですけど、
やっぱりたまに会って、
仲良くなってく
家庭じゃないですか。
お酒とか飲む機会とかあったりして、
腹がだんだん
腹割って、だんだん親しさが増してくと、
ちょっとこう、
嬉しさがあって。
めっちゃいいですよね。
いいなあ。
それこそ1回じゃないから。
何度も行けるから。
あとなんか、
行くたんびに、
ちっちゃな町なんですけども、
行くたんびに、
何かしらの驚きがあるというか、
新しい発見があるんですよ。
地元の方が、
この間はここに連れて行ったから、
次じゃあこっちに行くんだみたいなのを
用意してくれたりとか。
そういうのって、地元の方じゃないと
わからないようなことって、
例えば観光でパッと行っても、おそらくわからないじゃないですか。
地元のガイドさんがいることによって、
ちょっとディープと言ったらあれですけど、
地元ならではの
スポットに連れて行ってくれて、
それ楽しいですよね。
楽しいですね。
毎回それが用意するんですか?
そうなんです。
めっちゃいい。
素晴らしい。
じゃあ来月も何かまた新たな
何かあるかもしれないですね。
そうですね。
期待してます。
クリエイティブの地産地消を
ミッションとする
株式会社のくちきちのお仕事。
映像クリエイターとして
全国を訪れ、
ご自身の好きなこととリンクして、
その土地の歴史や
人に触れることは
なんとも素敵なお話なのでした。
瀬吉さん、
ありがとうございました。
それではまた次回、
ユイナワさんの聞く人ラジオでお会いしましょう。
35:34

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