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理系とーくラボラジオ部、徳川とーくおと。
みなさん、こんにちは。理系とーくラボラジオ部、徳川とーくおと、通称とくおとをお届けします。
パーソナリティは、休みの日はだいたい昼ごろ起きて、家事をして、1日終わっちゃうなー、かずねです。
寝ても寝ても寝ても寝ても寝てもずっと眠いので、生きても眠りにしたい、まさきです。
休みの日はいろいろ原稿がはかなるなーとは思っています、かげゆみです。
よろしくお願いしまーす。
このラジオは、オンラインコミュニティ、理系とーくラボにそぞっている研究員たちが、ワクワクするような科学トピックや、
科学を楽しんでいる人のお話をお届けする番です。
はい。
ということで、みんな寝ぬほうで。
もう、秋口はこういうもんかなと思ってはいます。
まあ、たしかに。秋の長夜はなんとやらという。
うーん、なんかもうねー、5時とか暗いよね、だいぶ。
いや、もう早いですよね、だいぶねー。
冬の足音が、そこまで聞こえてくるような感じが。
うーん、でもなんか最近ちょっと暑いけどね、昼間は。
たしかに。
ねー、25度超えちゃったりするとね、やんなっちゃう。
でも朝は寒いよ。
まあ、昼間外にいないから、基本私は。
まあ、いいんですけど。
普通に自律神経が壊れるからやめてほしいです。
ああ、ほんとね。朝と昼でね、10度以上離れちゃうとだいぶ体しんどいらしいからね。
休みの日、原稿をはかどるんですか。
今回は台本の原稿を書いてたりとか、それとネタかぶせて、職場の方で自主的に書いてる方の原稿があるんで、それも書いたりとかしてて。
へー、すげー。
ただ、今週はね、月曜火曜、つまり火曜日収録なんですけど、昨日と今日とその前が3連休でしたね、金曜日で。
これが5日間連休になってしまいまして、私。
子どもが風邪ひいてね。
子どもが風邪ひいて月曜火曜も休みになってしまってね。
でも風邪だったから、普通に。
インフルエンザもコロナも陰性だったんで、まあ明日には学校行けると思うんだけど。
というわけで5日間も休みがあったんで、まあ、はかどったわー。
なんかね、インフルエンザ流行ってるらしいですからね。
そうそう。学級閉鎖とかって子どもの一定小学校で聞きますよ。
マジっすか。
コロナの次は再びインフルエンザが流行りだすっていう。
コロナは一応減ってるみたいですね、最近は。
そうですね。
インフルエンザは逆に1週間ごとの結果を見ると、
一番新しいデータは1週間前に比べて1.2倍だったっていう話らしいんで、
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ちょっと早いような気もしますし。
何だったら9月くらいからインフルエンザあったもんね、今年は。
そうなんですか。
そうそうそう。
へー。
ねえねえ。
うん。やっぱり気温の変化とか言うのだと思うんですけど。
うーん。
なのでお互い身体には気を付けていきましょう。
そうですね。皆さんご自愛しましょう。
ですね。
はい。ということで今回の得応ノートもぜひ最後までお楽しみください。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、ということで今回の特応のお供、ぜひ最後までお楽しみください。
今回は私カリウムから話題提供ということで、日本史を科学の視点で深掘りしてみるシリーズ第2弾。
日本史と天章大事史についてお送りしたいと思います。
ちなみに第1弾はリーフィーリング商工具の話でしたね。
鳥取城、なんでしたっけ?鳥取城漂浪攻めみたいな、そんなんでしたっけ?
そうです、漂浪攻めをして腹減りまくったところに大会を振る舞ったら逆に死んじゃったよっていうお話でしたね。
今回も豊臣秀吉の話なんですけれども、大河ドラマの話で前回もスタートしたんですけれども、
同じ時代の話をして恐縮なんですが、2023年の大河ドラマは主人公は徳川家康なんで、
その辺は割といろいろ研究されてるんだと思うんですけど、歴史的な話以上に小ネタもいろいろ拾えるようで、
今回の話なんですけれども、1584年に小牧長久天の戦いというのが、これは多分日本史、中学レベルの日本史で出てくるんだと思うんですけれども、
徳川家康と豊臣秀吉の唯一の直接対決になった戦いなんですけれども、兵の数は秀吉側の方が圧倒的に優位だったにも関わらず、
戦果としては栄安側の方が取ってて、戦いのきっかけを作ったのは織田信長の息子の織田信勝だったんですが、
彼の方が秀吉軍から攻略されてしまって、戦争、この戦い自体は和睦という形で決着してなんですけれども、
秀吉は栄安を武力で完全に討伐することを諦めていなかったらしいと。
この戦の翌年に秀吉は感覚になっています。だから実質もう日本でトップの地位を確立したことになりますね。
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なので、栄安は私に京都の方に来て、真銃しなさいと、ちゃんと秀吉に使えるということをちゃんと表明してくださいというように要求するんですけれども、
上落している途中でアンサーされたら嫌なんで怖いからと言って、栄安はそれを拒否しているんですね。
なので、すぐに戦いで終わって和睦もしたから、これでいいじゃないですかと言って、
こっちにはノータッチでお願いしますという感じで、栄安はちょっと逃げていたんですけれども、
それじゃちょっと落ち着かないんで、秀吉の方は。15万人ぐらいの兵を差し向けて何とかぶっ潰そうと思って、
今でいうと岐阜県の大垣城に15万人分の兵を集めておいて、戦の準備を始めました。
その次の年、1586年に地震が起こっています。これは今回題名になっている転生大地震というんですけれども、
実はこの地震、まだこんな時代ですから、科学的な記録なんか何も残っていないんですけれども、
あちこちでどんな被災状況があったかというのは記録が残っているので、
それを例えばどこでどのぐらい建物が壊れたというのをいろいろ調べていくと、
たぶん内陸型で活断層型の地震でマグニチュードは7から8ぐらい、震度が7ぐらいだろうというふうに推測されているそうです。
結構でかいですよね。
相当でかいですね、これは。
結構でかいですよね。だいぶでかいですよね。
しかもこれ内陸ですからね。
そう、活断層型でマグニチュードが8って言われるとかなりやばいですよね。
やばいはずですね。東北のやつは置き合いであったにもかかわらず、あのレベルの被災があったので、
これが直下型だったというのは恐ろしいですね。
たぶん阪神淡路のほうと比較するほうが適切な気がしていて、同じようなことが起きたという話ですよね、簡単に言うと。
簡単に言うとそっちのほうの地震のタイプですね。
これが起きたのがどこの断層だったのかというのは大体予想がついていて、
だいたい岐阜県から三重県あたりでアデラ断層とかニボロ断層とかヨーロ断層とか伊勢湾断層あたりが推測されているそうです。
どこにあるのかについてはちょっとネットで検索してみてください。
これラジオなんで地図とかは表示できませんのでね。
かといって今の読みだけ聞いて漢字が当てられないっていう問題が出てますけど、
その辺の断層で多分静岡県とかって言ったら大体何か出てくると思うので探してみてください。
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静岡じゃなくて岐阜ですね、岐阜県。
僕の地理力がつけてしまいました、すみません。
ほぼ岐阜県と三重県のあたりにでっかい地震が。
今4つぐらい断層名前出したんですけども、ネットで調べるともっといっぱいあります、岐阜県には。
そのうちの大体この4つぐらいだろうって言われてて。
あと記録によるとその地震っていうのがどっか一つが最初に起こったとして、
その後その近くの他の断層がその動きに誘発されたり、
あとは余震もあったりとかして1ヶ月ぐらい余震続いたっていう記録があるようです。
えー、1ヶ月?
1ヶ月ぐらいは。
なかなかこれだけ大地震やったらなぁ。
被災はどの辺まで記録が残ってますかっていうと、今の都道府県の名前で言うと
富山県、石川県、福井県、岐阜県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、奈良という範囲だったらしいです。
で、これがだいたい秀吉と家康の勢力範囲の境目あたりになってて、ほとんどは秀吉側だったらしいんですけども、
なんで、家康の方は岡崎城がちょっと壊れたけど、それほどはなかったらしいです。
で、秀吉側はどうだったかっていうと、せっかくさっき兵牢を15万人分集めてたって言ってた岐阜県の大垣城、全壊して、しかも焼き落ちてしまったと。
なんてこった。あら。
で、あと富山県にあった岐船城とか、滋賀県の琵琶湖の近くにあった長浜城とか、あと三重県の、なんだっけ、長島城ですね、これは小田信勝の方の拠点だったんですけども、その辺も全壊しちゃって、
液状化の現象もあったというふうな記録があったり、あと伊勢神宮の下空が破損してたという記録もあるようです。
これ、地震がすごく激しかったっていうのもあるんですけども、今、日本だと基本的には建物、でっかい建物って、でっかくなくてもいいと思うんだけど、建物を作るときに地盤の強さとかって大事じゃないですか、あんましゆるゆるなところを作るんだったらしっかり柱を埋めたりとかね、地盤強化材を入れたりとかやるんですけど、
まあ今、その時はそういう考え方まで及ばなかったとか、だと思うんですけど、この辺の方を優先して水辺の近くにお城を建ててたらしいと、特に長浜城とかは。大垣も水の里とか言われてたんだから、結構地盤が怪しかったかもしれない。
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もちろん、その辺断層があるのは今調べればわかることなんですけど、そういうこともあって、地震ですごい大変な被害が出ました。特に肥料して、交通の便をすごく重視していたって言われてて、水があると物資を運びやすいし、
あとは道路を、道がちょっと曲がっているのだと箱が動きがしづらいから道をまっすぐ作り直すっていうのもよくやってたらしいんで、引いてほしい時は。そういう発想の方、だからこそ天下取りもしやすかったのかもしれませんね、考え方は。
確かに。
それが地震の時に裏面に出ちゃった。
なるほど。やけすぎちゃったんですね。
私がこの地震で一つ注目しているのがですね、岐阜県の白川号にあった海陸母城っていうお城のあったところなんですけども、今はないんですよ。
ここは鉱山の経営の強い内ヶ島氏っていう一族が持っていた領地だったんですね。金山もいくつか持ってたらしくて。
ここは小牧長久手の戦いの時に秀吉側に降伏をしたんですけど、金山持っているし、今後の軍資金の調達っていうのを考えたら味方にしといた方がいいからということで、領地のほとんどはそのまま返してもらうと安堵されたという経緯があったんですね。
ところがこの地震でお城と城下町が山崩れで全部埋まってしまったと。
その後土石流も発生しちゃって、跡形もなくなってしまって、現代においてもこの集落の正確な位置が分からなくなっているっていう。
幻の海陸母城って言われているそうです。
もうその地震があって400年以上経っているんですけど、その辺、山の崩落のあった場所っていうのは今でも岩肌が荒々しく残っているそうです。
まだ行ったことないんですけど、ちょっと白川湖は遠いんで、雪が降る前に一回行ってみたいなと思っております。
写真で見ると本当に、多少は木が残っているって生えてきたところはあると思うんですけど、まだまだ崩れた跡がそのまま残っているって言ってもいいぐらい、なかなか恐ろしい写真が今撮られているようですね。
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一応、ここが跡ですって石碑もあるんですけども、この辺でしかないらしくて。
結局、秀吉川の話に戻るんですけど、戦の拠点になるはずだった大垣城が焼き落ちるし、戦いになった場合、前線に立つはずだった家臣たちの城もどんどん倒壊しちゃって、軍資金の当てもなくなってしまって、
秀吉川は家康の攻略の方向転換をしなきゃいけなくなりました。
その結果が、自分の妹を家康の聖室として、母親を上落しているときの間の人質として家康に送りつけるという、
仕立てに出たように見える脅迫の作戦という、そういうのが史実として残っていますね。
もし地震がなかったら、こういう話になっていないでしょうから、徳川勢は完全に潰されていたかもしれない。
そうしたら、徳川幕ができていなかったかもしれない。
まあ、かもしれないんで、それ以上のことは言えませんけどね。
ということで、今回、豊臣秀吉の戦略を変えたかもしれない天照大地震の話を、地震学の見方でちょっと深掘りしてみましたというお話でございます。
これは何年前ぐらいになるんですかね、これが発生したのは。
最初の方で1586年で。
1586年だから、ざっくり400年前ぐらい。
それぐらいのペースで常に大地震は起きていないみたいですよ。
実際のところ、秀吉って天照大地震の後で伏見の大地震にもあっているんですよ。
実は2回大地震にもあわれて、なかなかそれは結構大変だったんだろうなと。
多分ね、断層型の地震って数千年に一度ぐらいしか起きないんですよ。
たまたまそれがね、どっちも来ちゃったっていうことのようなんですけど。
運悪。
運悪かったですね、本当にね。
伏見の大地震のときは、秀吉は奈良の大仏よりもでっかい大仏を作ろうとしていたらしくて、
方向寺の大仏っていうのを作ろうとしていたんですよ。
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ただその奈良の大仏とか鎌倉の大仏みたいな、金属を注いで作るタイプの大仏じゃなくて、
木造で作った上に金を貼って、漆とか金とかで貼って作るっていうタイプだったんです。
中身が軽いですからね。
だから地震でぽっきりいっちゃったらしくて。
あらあら。
で、畜生って言ってずいぶん怒ってたっていう話があるような。
こんなでかいものを作って俺の剣を示そうと思ったのに。
かわいそうすぎて何も言えない。
彼はね、もともと武将の家の人じゃないんで、実力だけで上がってきたから、
他の織田信長にしろ徳川家康にしろね、それなりの武士の家で生まれてきたわけじゃないから、
博が欲しかったっていうのはすごく強くて。
で、それが一つお寺とか神社とかそういうところにお金を出すっていう。
なるほど。
の一環で法工事もやってたらしいっていう。
でもそれが壊れちゃったっていう。
なんてこと。
面白いなって、私は地震の面から見てそういうのは面白いなって思っちゃう。
確かに国の中でわちゃわちゃしてる時に、日本において地震の影響ってすごい大きいですよね。
全部優先順位が変わっちゃうみたいなことになるんで。
せっかく頑張って人間の手で作っても、所詮地震では全部なしになっちゃうっていう。
そうですね。下手なもの作ってもボンっていっちゃうんで。
しかもわりと国内でいうと局所的に起きるから、そこに運悪くいたら大変なことになって、
そのままさようならみたいなことになりかねないみたいな。
結構確かに国の中の争いでは大きい影響出ますね。
そうですね。
日本史の授業ではあんまり地震でこうなったって話って出てこないんだよなって思ってて。
私もこの海陸模状の話っていうのは、
大河ドラマの関係でNHKが別の歴史物番組とかで扱ったりしてるもんで、
それでそういう話もあるのかっていうので、高校1、2ヶ月ぐらい調べてて。
それで保陸を起こしてあげたりしたんですけど。
ちなみにこれ誰も社会の専門の人はいないんですけど、
中学校の社会で教えるときになぜ急に秀吉が方向転換したかって、
どういう教え方になってるのかなと思って急に気になったんですけど、誰か知ってます?
織田の部活が結局最初に秀吉と仲違いして、
家康に対して秀吉を何とかしたいから協力してっていうのに起こった小牧永田の戦い。
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結局の部活が戦略的に負けてしまったんで秀吉に。
それで小牧永田自体止まってるんですけど、
の部活が仲介をしたっていうネタはあるらしい。
秀吉がこうしたいんだけど家康さんも言い分ありますよねって。
なんでこういうふうにしたらどうですかって仲介して、
人質自作戦が挙行されたっていうふうな話はあるようなんですけど。
実際それは史実としてはあるみたいですけどね。
どうしての部活がそこで自分がまいたような種を上手いこと収束させたのかっていうところがあったりもするんですけどね。
僕正直中学校の社会の歴史の授業、日本史の授業何にも覚えてないんですけど、
例えばここの話でこれ普通に考えたら勝ってるのになんか下手に出たように見える脅迫作戦をやってるってことになってるじゃないですか。
そこがなんでやねんっていうのが多分、こういう内容を前提にしないとちゃんと教えられないと思うんですよ。
その史実をつらねられても面白くないし、ただの暗記芸になっちゃうから、
そういう社会っていうか日本史の授業は良くないかなって個人的に思ってます。
だからといって全部をこのレベルで解説してたら何も終わらないんで。
進まないんですか。
そこはね、難しいんですけど。
だってここのほんの数年の話ですからね。
なんかそもそも歴史を、日本のこれまでの数千年ぐらいの歴史を包括的に教える必要があるんかっていう気はすごいしてて。
個人の思いなんで、さらっと流してください。すいません。
ストーリーがないと覚えるのもつまんないよなって、ただ数字と事件だけ覚えてけばっていいんじゃね。
数字と事件だけ覚えても何にも意味がないので、むしろこういうことを一部でもいいから自分で調べてまとめるっていう内容を
社会っていうか歴史の授業としてやった方が、勉強する人のためになるなと思っています。
なんか少なくとも今の教育指導よりはそうなってないので、そうならないのは理解してるんですけど、
そういうほうがいいんじゃないかなって思ってます。
ねえ、しゃべるのあんまりね、歴史の先生がいいよね。
わかる。
似てきたようなこと言うやつ。
そういうのって学校の先生っていうよりかは、やっぱり塾とか予備校の先生ってそういう感じなんかなって勝手に思ってるんですけどね。
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うんうんうん。
でも塾はあれでしょ、予備校の子になってくるといかに点数取らせるかっていうスキル付けっていう面がすごく強いからどうかなって気もしますけども。
まあそれはね、僕も塾とか予備校行ってないからわかんないんだけど、多分何パターンかあると思ってて、
その興味を持たせるっていうのが最優先だっていう意味でいろいろちゃんと面白くしゃべる。
その周辺の情報としていろいろインプットするみたいなやり方はあると思ってて、
僕はそういうやり方のほうが好きかなって思ってます。
もちろんちゃんとこう、何ていうか、こと歴史に関しては、
なんかこういっぱいしゃべって教えるってなったときに、やっぱ面白おかしくしゃべるっていうのを意識しないと結局覚えげにしかならないんで、
なんかやっぱり面白いエピソードとかでちゃんと記憶に残すっていうのをやらんとわかるのかなと個人的には思ってます。
逆に数学なんかは適当に解法だけベーってやってたらいいのかなと思うんですけど。
数学もね、理解はできるんだけれども、点数って言うとまた別だもんね。あれ、練習だよなって。
いかにアウトプットを早くするかみたいなところがあるよなって。
そうですね。まあ半分覚えげなんですけどね。
このパターンはこういうふうに入れてけばいいみたいな。あるんかな?
基本はそうなんですけど、僕の中ではこれとこれとこれ組み合わせたらこの問題解けるじゃんっていうのを僕はずっとやってたので、
基本的な問題の解き方ってあるわけですよ。予言定理がどうのとかなんだかんだって。
そういうのをどう組み合わせたら今わかってる条件から欲しい値が出てくるかっていうのを考える練習だと思ってやってました。
ちょっとだいぶ元のテーマから離れ出してますが。
いやーもうこのラジオは数学も社会もカバーできるっていう素晴らしいラジオだということで。
確かに。
何でもござれ。
何でもござれのそういうラジオですから。
この番組では皆様からのお便りを募集しています。
コーナー企画へのお便りや番組で取り扱ってほしいテーマ、評価も大募集しています。
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ご協力ありがとうございました。
みなさんもあふれてご参加ください。
ということで今回の特報ノートはここまでです。
お聞きくださりありがとうございました。
お相手はリケートクラボラジオ部のかずねと。
いつも眠いまさきと。
秋夜から冬にかけての暗さが苦手なカリウムでした。
さようなら。
次回もお楽しみに。
またねー。
おやすみなさい。