1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. v176-3 保田文庫主宰・前田宣..
2025-11-27 28:27

v176-3 保田文庫主宰・前田宣明さんに聞く「中間領域が好き」

前回に引き続き、保田文庫主宰・前田宣明さんにお話を伺います。
今回はまず、書店を営んでいくことについてから、伺っていきます。
保田文庫:https://nbakmda.wixsite.com/hotabunko
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サマリー

今回のエピソードでは、前田宣明さんが保田文庫の運営を通じて感じる中間領域の魅力について話しています。彼の経験を基に、書店や地域社会、交流の重要性が探求されており、多様な人々とつながることがテーマです。前田宣明さんが中間領域の魅力について語り、小泉さんの表現を通じて自身のナラティブとつなげる様子が描かれています。また、ホタ文庫のロゴには鮎の塩焼きが象徴的に用いられ、その歴史や人とのつながりを探求する姿勢が印象的です。

保田文庫の運営と交流
ゆいなわさんの聞く人ラジオ。
みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
前回に引き続き、保田文庫主宰・前田宣明さんにお話を伺います。
今回はまず、書店を営んでいくことについてから伺っていきます。
本屋さんといった意味では、その辺どうなんでしょうね、実際やってみて。
一緒に店を作ってくれた友人の知見とかっていうものがすごく役に立ったりとか、
うちのオーナーも一緒にやってくれたりとかっていうのもあるんで、
店という形で今、2年ちょい弱っていうんですかね、1年半は経ちまして。
ようやくですよ、古書を仕入れて根付けして、オンラインで売ったり店頭で売ったりとかっていうことから、
新刊をどういうふうに仕入れてとかっていう。
どうしたらできるだろうみたいな話をしながら作ってきたっていう。
最初だってわかんないですもんね。
何したらいいのみたいな状態ですもんね。
そこから一つずつ本屋さんとしてのやり方なり、店の作りというか。
これが複合施設の1階にあるので、それ以外のところとも連動しているから、
面白いですよね、そういうのって。
だって他にあんまりないじゃないですか。
あんまり聞いたことがないというか。
そうですね。
当然本屋単体で本屋ってなると、それはまた話は別ですけど、
そういう複合施設のまた1つってなると、その頭というかその体もなきゃやれないし。
そうですね。
なんか連続してるなっていうか、思うのがですね、
全部帰結してるっていうか繋がってるなって思うんですけど、
一番最初にお話しした1階地元から出て、出る前にちょっと外からの人と交流してたっていう。
そうかそうか。
出て東京も面白かったけども、こっちにも帰ってきたら、カフェがあったり美術館があったり、
そこにいる人たちも素敵な大人が多くて、帰ってきたくなって。
帰ってきたら新たな世界がたくさん見えたっていう。
人間っている場所と来る人がいて、それがスイッチしたりする。
それって瞬間的に。
主人がいて客がいてってお茶もあるんでしょうけど、
もっとカジュアルな日常的さがコロコロコロコロ変わってるし、
それが最も野実に出るのが旅行とか旅とか、
逆に言うと近所のカフェに行くだけでもそういうことってあると思うんですよ。
散歩に行くとか。
普段頼まないものを食堂で頼んでみるとか。
小さいものあそこから世界旅行まで台湾。
っていうすごいいろんな状態のある中で人間は生きていて、
たまたま僕が生まれ育った場所は、古くは個別荘地、保養地だった、
暴走半島の南のほうのちょうど景観のいい海岸地だったので、
外から好んで別荘を建てて移住してきた人たちが、文化人がいたと。
生まれ育った中でも観光客とか地元の人の非日常的な場所で、
お店として頭の中で荒れたっていうのが、
保養に来る人と日常で生活している人がちょっと寄るところっていうものが、
オーライというんですかね。
人が出たり入ったり、その全体が保養地、観光地としてっていうのは、
今まで地元で帰ってきて旅館の仕事で働かせてもらったりとかもあったんですけど、
それはずっと変わってない。
精神衛生が良くなるために、あと場合によっては療養とかっていうのもあるんですけど、
あえて訪れる人は、ここに何か気持ちよさを求めてくる。
半島の先端だし。
なんかその辺が引っかかるんです。
僕はその場所に別荘として作られた装置に、
小さい頃から出入りしたりっていう保養的空間にずっと身をたまたま置いて生きてきたので、
今回屋根立山に社員として参加させてもらっているということも、
防災半島の一番南にある中核都市の立山の古いビルで、
もともと住居・県事務所とかで建てられたビルを作り変えて、
上がホテルになっていて、外の人が来る。
カフェやレストランさん、外からも来るし、地元の人も寄ってご飯食べに来る。
街の書店としても親しんでもらえたり、
外から来る人にも楽しんでもらえるようなタイトルを揃えるっていうのは、
やっぱり土地の力がそうさせているのか。
それはあると思います。
そういう場所っていう。
未来暴走っていうこともあるし、
自分自身が参加しているのは、
そういう一連の流れにありゃしないかっていう気が最近している。
ありますよ。すごくある感じがする。
やっぱり前田さんが小田で生まれて、
その御用の場に生まれ育ったいろんな方が来た。
いろんな編成を経て今ここにいることも、
それはもしかしたら必然なのかもしれないぐらいに、
ここの場もいろんな方が来て交差していって、
そういう場の力があるわけですから。
それが未来暴走、それ自体もそうだったり器としては。
その中で例えば前田さん自身は、
ホタ文庫という器を作るみたいなことも、
何かもうやるべきこととしてみたいなぐらいに、
自然なこととして今いるような感覚に聞こえてしまうような、
今のお話を聞いているとすごく不思議な感じがしますね。
今嬉しいのが、書店に一枚の大きな写真を飾らせてもらっているんですけど、
それが10代の男の子が、白人の男の子ですかね。
サーフボードが置いてあって、
海上がりにタオルを肩からかけて海を眺めているんですよ。
背中越しのショットなんですけど、
その背中に疲れが漂っているような、
海を上がった後の気持ちよい気だるさみたいなのを撮った写真なんですけど、
この写真が僕が学生の頃から通って好きだった、
海岸美術館で飾ってあった浅井さんの代表作というか、
僕が一番好きだった写真なんですよ。
ちょっと縁あって、作品を美術館が閉館されて、
写していく間に一時的にお預かりして、
海岸美術館のファンだった方も、知人でもたくさんいたり、
今でも店で来て、これっていう風に見つけてくださる方もいるんですけど、
そういうものをまたここで人にお見せできていることとか、
自分がすごく影響を受けて、
ちくらに来て海を上がって、
その子のようなイメージで見ていた作品が縁あって、
うちの店内に飾らせてもらっていて、
またそれを人に見せているということがすごく嬉しいなあと思いました。
中間領域の概念
それもまた不思議な感じがしますね。
だからなんでしょう、わからないですね。
そういう、自分が自分としてこういう世界をガチッと作り、
作って表現するんだ、ガーンっていうのとはちょっと違うんですけど、
なんかそれぞれ横軸、縦軸で人って繋がりあっていて、
それで相互に影響を与えながら、
自分の身辺と関わり合っていくものなのかなっていう気がして。
面白い。
ルーコのここ最近。
ここ最近、ああ、そういうことですね。
めっちゃ面白いな、なんだろう。
なんでしょうね、不思議っていうこともそうだし、
大いなる何かみたいなことも浮かんだりとか。
前田さんは日々一つ一つをやっているだけといえばだけかもしれないけど、
やりたいことをやりながら、本屋さんもやりながら、
時に人に出会って、そこの道に行ってみたりとか。
なんでしょうね、そういうのって。
今ここにいるっていう状態というか、この感じ。
そうですね。なんかね、面白いですね。
暴走半島という土地、ホタという保養地、
屋根立山という人が集まる場、ホタ文庫という器。
そういった場所に前田さんは自らの意思もありながら、
どこか自然な経緯で関わるようになっている。
それが不思議でもあり、必然なようでもあり。
じゃあ前田さんは好きなことは何ですか?って言ったら何ですか?
何だろうね。
それ特定の何か?
何でもいいです。趣味でもいいし、こういうもっと概念的な話でもいいし、
何でもいいです。好きなことっていう問いに対して。
はいはい、そうですね。
ユインナーさんとお話ししている感じから今思いついたのが、
中間領域が好きです。
中間領域が好き。
何?ってなるじゃないですか。
すごいわかりやすく言うと、濡れ園みたいな。
濡れ園ってありますよね。
家と庭の間みたいな感じ。
軒が出てて、そこにデッキまで行かないけどちょいと出てて、
中でいながら安心するけど、外ともつながっているような、
そういう状況が好きです。
これね、どっちつかずとかって言うのに聞こえるかもしれないですけど、
そういう状態というものが好きですよね。
それは職とか仕事とかっていうのではなくて、
自分が物事に可能性というか広がりを思うっていうのは、
人と人の間にある共通項だったり、
人とどうやった時に話してて、そこって何かつながったと。
その瞬間あるじゃないですか。
それってそれぞれの中間領域が交わった瞬間。
それは誤解であってもいいんですよ。
そういう関係が続けば、その誤解を訂正したり、
新たに誤解して関係が深まったりっていうこともあるんですけど、
その中間領域を意識するということで、
物事とつながり合う発論な気がしてて、昔から。
さっきの旅人吉宗って言うんですけど、
高校時代にギター弾いて、夜に出てきたお兄さん。
なんかそこがあった気がしますよね。
たまたま音楽やってたこととか。
僕が出て行って、たまたま音っていうのが空間に広がってたから気づいたっていう。
肩と肩がぶつかったとかそういうんじゃなしに、
中間領域的な何かを察知したから、何やってんの?ってなりますよね。
そこに行かなくてもいいわけだし、
たまたま会って、うん?ってなったから来て、そこから交流が生まれていくみたいな感じ。
なんかね、それって日常でもいつでもある意味では起こってるだろうし、
そこにそういうのって案外尊いよなっていう気がしますしね。
そういうことか。
好きなものっていうと中間領域っていうのが。
例えば本屋さんもそういう言い方もできるかもしれない。
中間領域ですみたいな本屋って。
本というものがあって、店主がいて、お客さんがいて。
店主とお客さんだけだったら特に何も起こらないんだけど、カフェもそうかもしれない。
そういう本だったりコーヒーだったりみたいなものが何か媒介になって、
そこから何か。
そうですよね。
かもなっていうことも今思いつきましたし。
なんかそれでいくと、前にお話したこともあったんですけど、別のところで。
本って、それを材料として加工して華麗にして出すとかじゃないじゃないですか。
その人の好みの味付けとか色々カパーニーに受けそうな、
あるいは自分の色にして加工してお出ししてっていうサービスじゃないじゃないですか。
もう著者がいて、僕も書きますけど、
数名の編集者とかないしは自分で作ったジンとか、いろんな温度感のものを売るから、
加工という概念ないんですよ。
だからもう、いわゆるバレエでいうところのトス上げっていうイメージなんですけど、
いわゆる著者と編集者とかがこれっていうものを、
それはトスなのかアタックなのか分かりませんけど、世に出して、
その形を自分で空間的に編集したり場として用意して、
それを世にトス上げする。
その内容に興味を持つ人が来るかどうかは分からないんですよね。
そうですよね、それは。
牛の育て方っていう本がいきなりあっても反応しない人とかいますよね。
美味しいラーメンの作り方とかお弁当の作り方っていうのに反応する人はいるし、
いないかもしれないしっていうその一数の中で本を仕入れて売るから、
あらゆる人に対してのトスを上げていて、
アタックを打つかどうかはあれなんだけども、
きれいなトスを上げるっていうことは重要なんじゃないかっていう気がします。
面白い。
だからそれって中間的な領域にきれいに整えてパスをするっていうところもありそうかなって今話を聞いて。
でもそんな感じあると思います。
そこと繋がりそうかなっていう気がしましたね。
物事の可能性を探る
だから前田さん自身もホタブンコというものでトス上げをしているみたいな。
そうですね。
それに対して時にそのトスをおーってなった人が。
打ってもらえたり。
そういうことも起こるっていうことですね。
そうですね。
例えばさっき070とかも、もしかしたらそのトス上げの中間領域というのも言えるかもしれないし、
何かしらそういう媒介するものだったりとかっていうものはそういう中間領域的なものをはらんでいて。
でも前田さんはやっぱり中間領域が好きで。
好きですね。
だからこっちって決まったものっていうことではない。
時にそっちに行くこともあるんだけど。
やっぱその中間にいる状態みたいな。
そうですね。
あとごめんなさい、今一個思い出しちゃったんですけど。
小泉担が自分のことを書いている文章があって、それを読んでたんですよ。
医学部の規制中学教室の教授でやってるんですけど、自分の学術的領域は生物学と医学の説教会にある。
説教会。
それがグッと来たんですよ。
接するに境に世界の界って書いてあって。
医学と生物学の接点のこのゾーンにあるって書いてあったんですよ。
それを見たときに、いやーこれなんかいい表現だなと思って。
それはむしろその言葉にも影響を受けたし、今お話ししてきたように自分のナラティブというか、
もともと生まれ育って蓄えてきた自然な土地の力だったり、地乗り地生だったり、
生まれ育ったその家の特徴だったり、お店とかっていうものともつながっているような気がするんですよ。
だから小泉さんでいうところの説教会というものと、僕が感じ取った中華風の領域って、なんかね、神話性がある気がする。
そうだと思います、まさに。
好きなものが抽象的だけど、中華風の領域。
あと最近は庭木の手入れというか、庭が好きですね。
庭っていうのも中華風の領域じゃないですか。
それもあるかもしれないですね。
もちろん自分の家だったら自分家なんだけど、
例えば隣の家の人とか来客した人が庭でお話しするという場だったりするのかもしれないし。
ホタ文庫のロゴ
何もないところに自分で選んで、この木を。
いろんな理由がありますよね。
実用的でいくと、夏場の光を暑いから、枝が夏場茂ってて冬になったら落ちて、
ということは落葉樹がいいよなとか。
植えるんだったらどういう最終的に高さで実験したいとかっていう。
デザインしていくような時間をかけてということですよね。
そうですね。
お隣さんとの高いフェンスをやるほど金かけるのも嫌だなっていうことは、
剥がしげりやすいやつを目隠しにうまいことやろうかとか。
全体性の中から一つ一つを考えて作っていくみたいな。
一回やれば終わりってわけじゃないじゃないですか。
そうですね。日々成長していく。変化していくわけだから。
そういうのもあって、好きですね。
面白い。
前田さんが持っている何かが全部繋がってる感じがするんですよね。
一言で言えるかわかんないけど、言っちゃうのもやぼな気がして。
それはそうでございます。
でも何かね。
最後に一個聞きたいんですけど、これからこういうことしたいとかってあります?
変わらないですよ。でもまだやれてないことがあるので、ホタ文庫でも。
松山さんという方の日記を読ませてもらっているから、それがかなりの枚数あるので、
それを一つ一つ形にしてちゃんと読んでいきたい。
これ多分5,6年かかるんで。
それが今忙しくてなかなかできてないんですけど、
これは自分のやるべきこととして、
一つ一つもっかいやらなきゃと思いながらちょっと時間作れてないので、
時間作れ次第そこへガチで。
なるほど。
というふうに思っています。
それはもう確実にやらなきゃいけないと思っているんでしょうし。
そうなんですよ。やらなきゃ。
やんねばおいねーやつ。
そういうことですね。
そうですね。そっか。
それはやられると思います。
で、何年か経ったら形が一つ。
そうですね。
それも松江の方っていうか、訪れてこられた方たちも、
それを知りたいとおっしゃってくれてるから、
それを世の中にというよりも、そこへお返しするとか見てもらいたいという。
そういうふうに役立てられたらいいなっていうふうに思ってますね。
そっか。素晴らしい。
引き続き、人が訪れたり来たりいたりっていう招いたりとか、
そういうテーマの中で仕事を考えていくっていうのは変わりないと思います。
そっかそっか。
あと一個だけ思い出したい。
いいですよ、どうぞ。
いいですか。
ホタノホテルで働いてたんですよ。
海沿いに立ってて、レストランのスタッフとして夕食朝食を提供してたんですけど、
お客さんって宿を予約して夕食食べに来ますので、
そうするとファーストドリンクを聞いて、前菜から最後デザートまでの7、8品目を
お客さんのテーブルの様子を見ながら提供して、
時には会話して、みたいなやり取りをしていく。
普通のサービススタッフなんですけど。
ある時、南房総に別荘を構えたい、みたいな。
50代中頃ぐらいのご夫婦を対応したことがあって、
それでたまたまホタノを調べていることの話になったんですよ。
そしたら、ある英文学者が、大正6年にホタノのある旅館で、
朝食に出された魚の塩焼き、焼き物が大変おいしかったので、
こんなおいしい魚が食べる町に住みたいということで、
朝食を食べた足で、ある漁師の家に紹介してもらって、家を借りて、
その後、ホタに二階屋の立派な別荘を建てて、そこで最後住まうんですけど。
死ぬまではいなかったんですけど、そういう学者がいたんですよ。
という話をして、翌朝も僕はその人のテーブルに担当になって、
昨日夕食の時にありがとうございましたと言って、
そんな話しましたよねって出した時に、僕は朝食で出てくるのが、
鮎の塩焼きなんですよ。
今日朝食はこれですよって言ってて、
その人は、
昨日の夜のお話じゃないけど、自分たちもこの後別荘を探しに行ってみるわっていう話をしたんですよ。
その人たちは、実際に別荘を持ったかどうかは分かりません。
けれども、その日を持ったんですよね。
大正6年のその日その時に、その学者に鮎の塩焼きを出した人がいた。
魚の塩焼きを出した僕のような人がいたんじゃないかと思って、
それは宿のお母さんか分からないですけど、
焼けましたよどうぞ、美味しいって言って。
だから歴史は変わってない。
わー面白い。
それがあるから、ホタ文庫のマークを何にしようかなと思った時に、
鮎の塩焼きをしたんですよ。
すごい。
人とのつながり
全部入ってる気がして、
学者が魚の焼き物を食べて別荘を構えたっていう別荘地としてのエピソードもあるし、
それは歴史的な軸ですけど、
今の人も美味しい食べ物を食べたいじゃないですか、旅行行ったら。
当然朝食の焼き物って王道だし、やっぱ美味いよね、いいよねってなるし、
そういう人の楽しみっていうか、それも入ってるし、
自分も生まれ育って鮎の塩焼き好きなんで、
なんか全部入ってるから。
だからホタ文庫って名前作った後ロゴ考えようと思ったら、
鮎の塩焼きだなっていう感じだった。
それ以外ないですよね、そこは。
なので、いる人と来る人の間にある象徴が、鮎の塩焼きって。
食べたくなってきましたね。
そうですね。めっちゃいい話を。面白い。
濡れ縁みたいな物事と繋がり合えるところとしての中間領域が好き。
それは小泉さんの生物学と医学の説教会に通じている。
そしてこれからやりたい仕事のことやホタ文庫のロゴ、
象徴としての鮎の開きのことなど、
前田さんには今回たくさんのお話を聞かせていただきました。
前田さん、ありがとうございました。
それではまた次回、ユイナーさんのキクヒトラジオでお会いしましょう。
28:27

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