00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ。
みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
前回に引き続き、サラリーマン・太田充彰さんにお話を伺います。
小さい頃から絵を描くのが好きで、今も描き続けているという太田さん。
太田さんにとって、絵を描くとはどういうことなのでしょうか?
今、普通に生活している中で、たまに描くのか、毎日何かを描くのか、何かいろいろあると思うんですね。
描きたくなったら描くのか。
だんだん子供とかもいるので、なかなか時間的に毎日が難しくなってくるんですけど、
でも、絵のことを一日たりとも考えない日はないですね。
そうなんですね。
それはありますね。
そうなると、普段生活している中での物を見るという時も、絵を描くみたいな感じで物を見ているのか、何を見ているんでしょうね。
そういう話でいうと、例えば映画を見るとか、漫画を読むとか小説を読むとか、
どうしても自分の作品のネタ探しじゃないですか。
そういう感じでどこかで見ちゃうということがあります。
それは癖みたいな感じでそうしちゃっているんですね。
風景とかを見ても、いろんなものを見ても、どこかで自分の作品にどうやったら追っかえられるだろうとか、そういう変な癖があります。
実際に、もちろんお子さんがいらっしゃったりとかで時間はなかなか取れないとしても、
じゃあ描こうとなった時に、何を描くというのはもともと決めるものなのか、そこが時々で違うのか。
そう、だから、さっき話したランの絵に巡り合うまでは、何をじゃあ描こうか、そこら辺をずっと考えたんですね。
で、じゃあ試しにこれを描いてみよう。
描いてみると、やっぱりこうじゃなくてこうじゃないかな。
だからこっちを描いてみよう。
それを描きながら徐々に徐々に、じゃあ今度はこっちだ、あとはあっちだ、という風に描いてみるんです。
やっぱりそのランというものが一つあって、そのもう一枚描いたというのは何を描いているんですか?
それも同じランなんです。
何か2枚描いているという。
03:01
次描くとかってもう何かあったりするんですか?
これがちょっと難しくて、一応あるんですけど、
もともとその抽象の方が好きなので、具象を描きつつも抽象っぽい絵に、という風に思っていて。
それで、例えば自分で写真、何でもいいんですけど、写真を撮ってその風景を描くという、その絵を紙の上段に。
その下段には今度また別の全然、全く脈絡もない、どっかの雑誌に載っている何かをそのまま描いてみる。
それも粗いタッチで描くと、タッチで描いて何の脈絡もない絵が一つの画面の中に上下であると、
遠目で見れば、あまりその具象で描いてあるんだけど、何も脈絡もないからその意味も剥奪されていて、
なおかつ粗いタッチだから、結構その抽象に見えるんじゃないか。
だから描こうかなと思ったんですけど、だけどそれってまた逆に戻りつつあるんじゃないかと。
そっかそっかそっか、そういう思いもあるってことですよね。
そうなるとどうなんだろうって今思っている最中ですよね。
なるほど。
逆にまた昔にもこう、逆戻りじゃない、それって逆戻りじゃない、ちょっと変にコンセプチュアルになりすぎてないみたいな。
そっかそっか。そっちにやっぱり引っ張られちゃうんですかね。何でしょうね。
そうなんだろうね。
好きなんですかね、そういうのが。
でて、描きたくなければそっちにはいかない気がするんですけど、
何かが引かれるなというか、物があるからそっちに思考が行ってしまうのかなというふうに聞こえるというか、そんなふうに思ったんですけど。
そうですね。
あと何かやっぱり別に誰に依頼されているわけでもなくて、自分で描こうとすると、その依頼主は自分なんですよ。
そうすると自分がじゃあどうしようか、どうしたいかから、どういう絵が描きたいかというか出発するから、どうしてもそっちに戻っちゃうのかもしれない。
そっか。
でも誰かから依頼されるような、さっきのランの話のような、あまりそういう邪念というか、そういう変なことを考えずに描けるのかもしれない。
そういうことですね。
何かそこら辺が今難しい。
そういうことですね。
でもそんな難しいって考えて描いてるっていうのが、そもそもマリーと同じなんじゃないですか。
あんまり考えずに、そんなの考えずに、気楽に描きたいものを描けばいいのかなっていうふうに思ったりもしたり。
06:04
そういうことですね。
もしかしたらまた依頼とかされれば、なんかスッといけるかもしれないし、あと職場とかで次はこれ描いてみたいな。
そうですね。
ああ、なるほど。
結局そんなことを考えながらずっと行くのかなと思うね。
絵のことを一にしたりとも考えない日はないという太田さん。
普段目にするものすべて自分の作品に生かすにはどうするのかという視点で見るということ。
そんな太田さんに好きなことは何ですかと伺ってみました。
好きなこと何ですかっていう問いだとしたら何ですか。
やっぱりそうなると技術だけではなくて芸術っていう感じですかね。
ああ、芸術全般みたいな。
芸術全般がやっぱり好きなことですかね。
っていうと例えばこういうものとか。
さっき言ったように自分の作品のためにみたいなところもあるんですけど、
そういう意味で美術が一応核になるんでしょうけど、それだけじゃなくて小説だったり、映画だったり、音楽だったり、
演劇もそうだし、そういうのは全部そうです。
じゃあ結構例えば読んだりとか見に行ったりとかっていうのは普段もされているんですかね。
そうですね。感動するのが好きっていうか。
感動するのが好き。
心を動かされるのが好き。
おお、なるほどなるほど。
心を動かされるのが大体芸術にはあるので、それで好き。
今までで例えばパッと出てくるような感動した心を動かされたようなアート作品とかって言ったら何とかってありますかね。
自分が本当に痺れたなと思ったのは、
太宰治の社養用のことですね。
おお、そこか。
そうなんですね。それいつですか。
それは多分老人生の頃だと思うんですけど、
一番高い頃ですね。
それで読んじゃったんですね。
社養を読んじゃったんだ。
すごいと思いましたね。
その前に人間失格を読んで、面白いなと思って、
じゃあダデオさんももう一つ有名な社養ってあるから、社養読んでみましょう。
社養読んだら、それはすごい。
それは一番痺れたかもしれないですね。
そうなんですね。
09:00
そうすると、例えば書こうみたいな文章なのかなっていう。
そこに行く人もいるじゃないですか、当然。
じゃなくて太宰治さんは絵なんですね。
そうですね。絵を描いてたから、社養みたいな表現っていうのはどうしたらいいかみたいな。
そういうのを考えましたね。
そっかそっか、そうですよね。
それめっちゃ難しいというか、どうしたらいいかよく分からないですけど。
無理ですね。
あれはそうですね。
やっぱりそう思うと、好きなんじゃないですか、そういう。
だって社養読んで気分よくならないじゃないですか、おそらくは。
大抵みんなに言ってもあんまり気を変えられない。
でも僕、好きな作品ではあるので、
引かれるのは分かるんですよ、ああいうものに対して。
決してポジなことではないし。
でもまた何でもいいと思うんですけど、小説とかって嫌な気分になったりするものをでも欲しくなるというか、
独的なものを欲しくなるみたいなもんで、やっぱりそこが好きな何かがあるのかもしれないですよね。
あと、小説とか好きでそれからもいろいろ読みましたけど、
その中でも社養がやっぱりベストだなと思うのは、
さっき今おっしゃった独的な部分もあるんだけども、そうじゃない、逆に薬的な部分もあって。
薬。
陰もあるんだけど、陽もある。
バランスがすごいというか、全てを全方位的に持っている作品だなと。
そういうことか。
お話としてはお家が没落していくみたいな話で、結構ディープなお話ですけど、
それによって世の中の陰でもありながら、すごく聖なるものも描いているというような感じとか。
弟の直児でしたっけ?が自殺するっていうことにもなるんだけども、
最後もう一人の主人公のお姉さんの方が不倫だか何かして、
子供の身を持ってその不倫相手、小説家の不倫相手に確か手紙を残すっていう、
その手紙の内容みたいなので最後終わったと思うんですけど、
もうちょっとウロウロなんですけど。
最後の言っていることが、世の中に貿易だとか戦争だとか、何だらかんだいろんなことがあるのが、
なぜあるのかがようやく自分は分かったと言って、それはなぜかというと、
12:00
女が良い子を産むためですって言っていて、
だからもうそれを読んだ時に、もうその通りだと思って。
世の中に起こっていることすべてって結局、子供に幸せになってほしいというか、
子供が幸せになるためにそれがあるんだ。
それを読んだ時に、それまでものすごくディープで言いづらい話だったのが、
そこで誰と考えされて、その鈍然返しみたいなものの証言とか、
もうその時、そういうことですね。
すべてが証言しているって思っちゃって。
今お伺いした時に、パッと車両って出てきて、そこまでお話が出てくるっていうのは、
大田さんの中にものすごく大きなものを占めているってことですよね。
そこに惹かれているっていうのがあるし、
やっぱり自分の作品もそこが照らされて何か作っているのかもしれないし。
もう何十年前、30年以上前に読んだ書籍ですけど。
なのにちゃんとこう。
すごいそれ。
そういうような衝撃を受けさせてくれるっていう芸術が好きなんですよね。
なるほど、そうか。
すごい話を聞いちゃいました。
いやいやいや。
今も新しいものを摂取していくじゃないですか。
当然車両に匹敵するようなとか変わるものはないんですけど、
それはそれとして置いておいて、いろんないい作品もいっぱいあるし。
ありますね。
ありますよね。
でもなんか自分の中でそれを超えるものを欲しちゃうというか。
ただ音楽も僕もそうなんですけど、やっぱり18あたりというか青春の期間なときに得ているものっていうのを、
なかなかもうそれを超えてこないようなっていう気がしてしまう。
自分の何か形成されているのはやっぱりその頃のものな気はしちゃうんですね。
そうですね。
だからなんかそういうのはあるなと思うんですけど。
18とか青春の頃ってまだその自分の心がまだその体制ができていない。
まだウグだからガツンと来る。
そうですよね。まださらけつける状態にそういうのがダイレクトに入ってくると、
わーってなりますよね。
今はもうだいぶその体制みたいなのができているから、
同じぐらいの衝撃のものを受けても、なかなかそこまで芯まで入ってこないような気がしますよね。
確かにそうだわ。
そうなんですよね。だからやっぱりその頃は音楽とかもそうですけど、
その頃に聴いてたものみたいなのが軸になって、それでっていうのもありますし。
そっかー。
15:00
それはそうですね。
自分は今音楽を新しいのを聴きたいなとか思うんですけど、
結局その昔に聴いてたもので満足しちゃって。
そうですよね。わかります。そこは原点にあるから。
確かにそうだよね。
なるほど。
前の絵もその前だから頭でっかつに抽象画みたいなのを描いてたんですけど、
昔の高校生の頃に美術好きになった時に夢中になったのって、
予備校入って石膏デッサンみたいなのをやるんですけど、
でも石膏デッサンって別に何も考えずに、
見た石膏をそのまま木炭で写すという作業で、
全然何も考えないんですね。
それがすごく楽しいっていう。
その原点みたいなのを思い起こさせてくれたっていうのはあるかもしれないですね。
今話しててそれが気づきましたね。
あーそうなんですね。そっか。
そうですね。
大田さんいっぱいお持ちだから考えてっていうのはあるかもしれないですけど、
何か考えないっていうことで描くっていうのがいいかもしれないですよね。
ランの絵ももうお題があるわけだから、目の前のものを描くみたいなってこと。
もともとヤマトとかを模写してたみたいなことがあるから、
もしかしたら模写がただ見たものを描くみたいなのかもしれないですよね。
そう思いましたね、今。
そっかも。
そうですね。だって予備校の時の描くものって、
予備校行って講師が出してくるお題だったり、
あとモチーフだったりっていうのを、
それをとにかく見て描くっていうことだったので、
それがすごく楽しかった。
今話してくれた昔のヤマトの絵を描くっていうのも、
ただそのヤマトの絵があるので、それを見て描く。
自分の中では何かを見て描くっていうのが、
一番表現したいことっていうか、
自分に一番しっくりくる表現方法なのかもしれないなって。
今思いましたね。
ああ、そっか。それは良かったです。
そっか。確かに。
今すっきりしましたね。
それは嬉しいです。
感動する作品、心が動かされる作品が好き、
特にダサい予算の写用が好きと流れるようにお話をされた太田さん。
そして自分にとって模写をする、
何かを見ながら描くのが一番しっくりくるのかもしれない。
これからの作品作りに改めて臨まれるである太田さん、
お話をいただきありがとうございました。
18:02
それではまた次回、
ウィナーさんのキクヒトラジオでお会いしましょう。