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2025-02-13 10:47

#0141 その昔、田中将大投手の高校捕手時代の二塁送球タイムを計測していた!


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昨日ね、ツイッターでつぶやいたんですけど、思ってたよりも反響がなくて、
当人の私としてはね、ちょっとがっかりという感じなんですけども、
ちょっと調べ物をしてたんです。自分がね、今ちょっと書いている原稿、一応は納めたんですけど、その原稿の
企画というか失礼、企画というか 一番最初にね、今書いている
企画原稿の 書き始めというか最初にあの
雑誌に掲載されたのはいつだったかなって調べた時ですね。 野球小僧というね、僕は以前編集部で8年半か9年近くいたところなんですけども、編集部員としてね。
ライターとしてもまあやれるときはやってという感じだったんですが、
その時に 2005年
の 2005年じゃない失礼2004年だ
だからもう21年前とかになっちゃうんです。まあだいたい20年前ほぼほぼ 20年前ぐらいですね、秋の話なんで2004年の11月の
明治神宮大会ですね、高校と大学の部と2つあって まああの秋の全国大会ですねそういう大学もそうですし
高校も秋の大会でチック大会で優勝したチームが11校かな 神宮球場に集まってます
翌年のね選抜高校野球甲子園の選抜高校野球大会の 全勝戦みたいな感じになるわけですけれども
そこでの模様をストップウォッチャーとして計測した記事を野球小僧誌にですね
掲載したんです。でそれがまあ 掲載されたのは年明けの2005年の号だったんですけども
選抜前の号だったかな?そこでですね 当時試合に出てた田中雅宏同士ですね
今年巨人移籍して楽天からね巨人移籍して まあまあそれ以前はねもうだいぶね忘れてきてる人いるかもしれ
ないですけど ニューヨークヤンキースでね
活躍しましたしその以前のね楽天の時は星野監督の時にね
日本一になりましたが 24勝0敗か
すごいね今本当振り返っても素晴らしい ピッチングをその時してですね
03:01
日本シリーズでは 前日
先発して 最後優勝が決まる時に最後のイニングに
リーフ闘馬を連闘でするというね 大変な
ことをしてのアメリカ行きという形の田中雅宏 まあそれはプロに入ってからの話ですがプロに入る前もね
2年生からエースとして活躍 エース級ですねあの時は結構系統作の中の一人という感じでしたけど
まあでも150キロ 近いボールを投げてという感じでしたし
ちょっとねその後2年生 3年不祥事があったのか不祥事があってちょっと選抜に出られなかったり
したけれども最後の夏は また上がってきてちょっと調子が上がらないままでも決勝まで行って例のあれですよ
が世田谷事業の半田長寿との 決勝戦が
82日間に渡るね延長再試合と引き分け再試合となって 翌日の
試合にもなったんですが最終的には敗れたということで最後のバッターでね 三振を期して敗れたわけですがという
まあ遡って言ってもこの辺ぐらいがまあ一番知れ渡っている 田中雅宏投手の歴史というかねだと思うんですけども
えっとまあそれ以前の話としてこれも有名になってしまいましたけども 坂本ハヤット選手ジャイアンツのねまあ今度今回チームウェイとなりましたけど
小学生の時 同じ少年野球のチームに入っていて
エースピッチャーが坂本選手で田中雅宏選手はキャッチャーだったというね そういうエピソード結構知られていると思いますはいでその間を埋める
はい今度中学生の時ね中学生の時はまあ 田中雅宏投手まだ北海道行ってませんから兵庫ですから宝塚
宝塚ボーイズというねところでここでピッチャーもやるようになったんですけど 奥村さんという監督がいてですね
まあ指導してという形でただこの時も確かまだキャッチャーとピッチャーを兼任という 形だったんですね
で あの駒台と真駒井に進んで進学して
最初の1年目の時っていうのは キャッチャーメインでむしろやってたようなんですね
ただピッチャーもやるという形で同じくその宝塚ボーイズ時代からの流れを組んで ピッチャーとキャッチャーを兼任するみたいな形でやっていたようなんです
で 先ほど話をした
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2005年の人工大会 2004年の人工大会秋ですね
僕が計測した記事にした時の対象となった試合で この時まだ秋で新チームでしてねもうやってましたけれども
翌年全国制覇するんですよね駒台と真駒台がね その時の田中雅宏投手
主力選手1年生のね秋ですけども この時
明治神宮大会に来た時はキャッチャーで出てましたねっていうことなんですよ はいそれで
実はその炎のストップウォッチャーという記事でですね
キャッチャーとしてのその2塁送球のタイムを測って それをですねちゃんと雑誌野球小僧にね掲載してたんですよ
それがねわかったんですいろいろ調べて今回ね目的としては全然違う記事を探し てたんですけど
これ見つけてしまって田中雅宏すげー 二塁送球実践の二塁送球でまぁこの時あの1個上の松橋投手で右のねちょっと
そんなに線の細いピッチャーですけど松橋選手とバッテリーを組んでてですね 二塁送球1.95秒1秒95で投げてるんですよね
これねすごいんで当時のドラフト候補としてはですね 2秒切ってりゃもう十分もうドラフト候補に入るぜっていうぐらいのもんでして
すげー肩してんじゃってまぁ当たり前て当たり前なんですけど140キロ以上のねもう チングボールも投げてるわけですから
でもキャッチャーとしてもやっぱすごかったんだなーっていうのを自分で計測してい ながら忘れてました
はいはいもう本当に情けない限りでまとを言いつつねもう20年前ですからね で今時ただ覚えてたのは僕はこの時ね野球小僧の編集部員仲間だったですね
栗山さんというね編集部員がいてですね 一緒にね確か
あん時ねー 長島選手の阿部さんもいたんじゃなかったかなぁ
ちょっとね 記憶が定かではないとはいえなんですけど
いつもだともう少しこう グランドレベルの目線の観客席で低いところでね見てることが多いんですけど
あん時だけはねなんか妙に高いところ あの三類側の多分割と高いところの観客席からなんかちょっとあの仕事
で切迫しているものがあったわけじゃなかったのでまあ 楽しく観戦するみたいな感じだったせまい女主催
バスとって仕事として入ってるんですけど で
そしたらですね
あるところでタイムがかかってアナウンスが流れてですね キャッチャーの田中くんがピッチャーになりますみたいな
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アナウンスが流れてそれを聞いてちょっとこれ何これ 学童の少年野球の試合みたいだね
キャッチャーがピッチャー珍しいねっていう話はね 知ってた記憶だけはハッキリ覚えてるんですよね
で実際投げたら球が速いなっていう話をしていて それが実は田中雅宏選手だったというねオチになるんですね
なのであのこの前の野球小僧の2004年2005年のね 選抜の前に多分出てた子だと思うんですが春田に出てた子だと思うんです
3月ぐらいに発売になったやつじゃないかな王さんがね 表紙の顔の表紙になったやつなんですが
このバッティーのね通りそしというテーマでこれ タイム計測を図ってるのをランキング化してたんですけど
この時にですね 田中雅宏選手は保守としてのタイムとですね あとねピッチャーとしてのクイックモーションのタイムをちゃんと出てるんですね
山口春とかいますね柳ヶ浦の まあこの後は羽黒の片山まうるしよとかですね
福井省消防の林圭介とかですね結構ねこれこの後ね あの上で活躍する選手なんですけどもはいそういう面がいて
ただねこの時クイックはそんなに早くなかったので 未来遺蔵曲の方がすげーすごいという感じになってまして
まあそういうこともあったんだなぁなんていうふうにね 思いましたはい
またこんな話がねちょろちょろっと思い出話的なものになりますのでできるときに あればしたいと思います
ということでまた次回を楽しみバイバイ
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