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2026-02-28 25:12

Vol.334 台湾研修で見た「湯徳章」とドキュメンタリー映画『湯徳章―私は誰なのか―』

2/27の敬和キャンパスレポは、2/28に公開されるドキュメンタリー映画『湯徳章―私は誰なのか―』を特集します。

ゲストには、2025年2月に大学の海外研修で台湾を訪れたメンバーから、元MCの卒業生・小林和紗さんと、一戸信哉先生をお迎えしました。

映画が描くのは、日本と台湾にルーツを持ち、二・二八事件の犠牲となった弁護士・湯徳章(トゥンテッチョン)の生涯です。研修で実際に台湾を訪れ、現地の空気を感じてきたお二人に、台湾の歴史、そして旅の思い出を語っていただきました。

💡 放送時の呼び方について 番組内では、「たんとくしょう(日本読み)」と呼んでいますが、公式な作品情報では「トゥンテッチョン(現地読み)」と表記されています。

MCは宇佐見、押見。

サマリー

このエピソードでは、ドキュメンタリー映画『湯徳章―私は誰なのか―』を特集し、2025年2月に台湾研修に参加した卒業生の小林和紗さんと一戸信哉先生をゲストに迎えた。映画は、日本と台湾にルーツを持ち、二・二八事件の犠牲となった弁護士・湯徳章の生涯を描いている。ゲストは、研修で訪れた台南での湯徳章記念公園の訪問や、当時の台湾の歴史的背景、特に国民党政権下での抑圧や言語の問題について語り、湯徳章の犠牲的な行動と、その功績が忘れられつつある現状に触れ、多くの人に知ってほしいと訴えた。

番組紹介とゲスト紹介
敬和キャンパスレポ。この番組は、柴田市富塚にある敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、柴田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、敬和学園大学の提供でお送りします。
皆さん、こんばんは。この番組は、敬和学園大学から大学のことや柴田兄方のことを伝える30分番組です。
今日の進行は、国際文化学科3年のおしみそらと、国際文化学科3年のうさみゆなです。どうぞよろしくお願いします。
今日は台湾映画に関する話題ということなんですが、台湾映画や台湾について、おしみさん何かご存知のことはありますか?
そうですね。台湾は私、あんまり知識ないんですけど、ご飯とかタピオカとか。
タピオカって台湾なんですか?
らしいですね。あと、平べったいでかい唐揚げ。大事いっぱい。
そんなのがあるんですか?
それは、見かけると、買っちゃおうとかってなって、それも台湾な気がします。
というわけで、今日は2月28日公開予定の映画単特集、私は誰なのかを取り上げたいと思います。
ゲストに、2025年2月に大学の集中講義、海外メディア事情、海外研修で台湾を訪れたメンバーから、
卒業生で、番組元MCでもある小林和佐さんに来ていただきました。どうぞよろしくお願いします。
はい、小林です。よろしくお願いします。
合わせて、番組ご意見版で、この科目も担当されている石野平信也先生にも参加していただきます。
どうぞよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
台湾研修と湯徳章
では私、惜しみから小林さんのプロフィールをご紹介します。
小林和佐さんは新潟市のご出身で、国立高校をご卒業後、
慶応学園大学の英語文化コミュニケーション学科で学ばれて、2025年3月に卒業されました。
在学中はボードゲームサークルで活動されたほか、慶応はキャンパスレポのMCとしても活躍されました。
記憶に残っている番組収録があったら教えてください。
難しいですね。どれも印象に残っている収録だったので。
何本くらいありましたか?
結構私、出演させていただいたなという感じで、何本かも覚えてないんですけど。
数えてないですけど。
でも結構4年生の時が一番出演させていただいたなと思って、
大学2年生の時に元MCの岸田さんのご紹介で、私、一ノ瀬ゼミではないので、
そのご紹介でこの番組に関わらせていただいたんですけど、
そこから結構出演させていただいたので、難しいな。
どれが残っているかというと、やっぱり最後に収録した台湾研修での収録が印象に残っています。
実際台湾に行ってその場で収録したじゃないですか。
ホテルで撮っている。
ホテルで撮りましたよね。
結構印象に残っていて、結構時間出発前とかにも撮ったり、
あと空港でも私と一ノ瀬先生2人の時、ちょっと最後撮りませんでしたっけ。
待っている時間とか。
待っている時間に最後の締めのところとかも録音して、
私はずっともう収録場所が大学なんですけど、
その大学で収録していることのほうがほとんどだったので、
大学以外の収録というのが台湾が初めてだったので、すごい新鮮でした。
さて一ノ瀬先生、
集中講義、海外メディア事情、海外研修という科目は過去に2回台湾に行かれたと聞いています。
283回、2025年3月7日の放送のこの番組でも現地収録の音声が放送されました。
他何度か番組でも取り上げていますが、どんな授業なのでしょうか。
大学の後期ですね。
2月の集中講義の時期に毎年海外メディア事情ともう一つ授業があって、
ここ数年のローテーションでは沖縄の都市と台湾の都市という感じで、
今年度は沖縄に行く予定です。
それぞれテーマを持って、短期間ですが何か作品になるもの、
あるいは作品の手前のいろんな取材ができるところを訪れるようにしていて、
台湾についても、いろいろみんな台湾というと、
さっきお姫さんのタピオカとかジーパイとか、
みんなそういういろいろ興味があるところもあるんだけど、
私がターゲットにしているのは日本の痕跡みたいな。
台湾は1895年から1945年、約半世紀、日本の東地下にあったので、
現在でもいろんなものが残っているんですね。
どの日本が統治していた時代というのが、
いい意味でも悪い意味でも、いろんな意味があると思うんですけど、
残っていると。そこを訪ねていきましょうということなので、
いろんなところに行っています。
必ずやっぱりみんな、行ったことがない人が多いので、
台北周辺は行くんですけど、それ以外もう一つ地方都市は入れようということで、
最初に行った時は、高尾は南の都市に行ったんですけど、
ドキュメンタリー映画『湯徳章―私は誰なのか―』の概要
小林さんたちと行った時は、台南という、もう少し北に。
でも南が台南ですからね。京都みたいなところですね。
京都みたいなポジション。
昔から日本が来る前のものもいろいろところに行って、
台南にいたということで、だから小林さんの時に、
私も初めて単独賞の関係のところも一緒に初めて行ったということで、
それがいろんな作品になったりならなかったりということです。
さて、では今回公開される単独賞、
私は誰なのかについて概要をご紹介します。
1947年3月13日、今では整備されたロータリーの中心にある公園で、
一人の男が処刑された。
彼が生まれたのは1907年、台湾が日本の植民地であった頃、
先住者と日本からの移住者との間に発生する摩擦の中で、
台湾人というアイデンティティが形成された時代でもあった。
日本の敗戦後、ほどなくして台湾は中華民国政府の統治下に置かれるが、
国民党政権の抑圧や腐敗に台湾の民衆は不満と怒りを募らせていく。
その衝突をきっかけに228事件が起こり、以降長きに渡る言論弾圧と戒厳令が敷かれる。
事件にまつわる人や物事を語ることは禁じられ、
台湾の記憶の奥底に封じられていった。
台南には担督省の名を冠した旧居や道路が残されているが、
多くの台湾人、さらには台南の地元住民でさえ彼の人物像を知る者は少ない。
映画は彼の足跡をたどるたびに観客を導いていく。
ということなのですが、小林さんと一ノ瀬先生はこの担督省さんの記念公演に行ったんだよ。
行きました。台南に行った時に、このエリア、担督省さんのを見に行ったんでしたっけ。
それ以外もいろいろ行って。
最初、台湾1週間の研修だったんですけど、
最初の1日目はほぼ移動の時間で、2日目から行動を始めようという時に、
2日目から最初の方に行ったんですね。
ホテルから出て、ちょうど天気が悪くて、雨に濡れながらみんなで散策しようみたいな時があって、
たまたま何か散策してたら、たまたまこの公演というか、
たまたまではないですよ。
この辺にいろんなものが固まってて、教会も見に行こうとしたんですよね。
教会も日本が来る前後ぐらいに、選挙主の人が来て作ったみたいな、
昔からの町だから、教会があったりするんですけど、
そこを突撃したけど入れなくて、その後行ったんじゃないですか。
担督省記念公演という風になってるんですけど、ロータリー。
そうですね、丸い大きい感じで、道路の真ん中にあるみたいな感じでしたっけ。
ラウンドアバウトってわかりますか。
ラウンドアバウト、新潟にどっかにありますけど、
あれ丸い道路ですね。
信号がなくてみんなぐるぐる回りながら、自分の出たいところに出ていくみたいな、
歩いてぐるぐる回っているところがあって、
信号じゃない、交差点じゃなくて、ぐるぐる回っていくようなところがあって、
そこは基本信号がないやつです。
その真ん中の丸くなっているところが担督省記念公演ってやつ。
違う名前だったっていうね。
台湾の言語と文化
日本時代は違う名前になったところだと思いますが、
今は担督省記念公演という風になっていて、
その時に調べた時は、日本が最初に公演を整備したので、
最初は小玉玄太郎という、
4代の台湾総督、日本が統治していた時代の台湾総督、
新潟県知事みたいなもんだけど、もっと権限が強いけど、
そういう立ち位置にいたその像。
その胸像が立っていましたよね。
いやいや、小玉玄太郎は多分もっと大きかった。
小玉玄太郎は多分前身だったんですけど、
日本の軍人ですから、日本の軍人の小玉玄太郎の像は
当然日本がいなくなった後は片付けられていない。
別の大きい、女性が片足立ちしているみたいな像が
真っ赤になっていたな、アートっぽい。
その像が私はすごい印象に残っていて。
我々は雨が降っていたから、じっくり見れなかった。
じっくり見れなかったのがすごい残念ですね。
横の方に、そんなに大きくなくて胸像ですよね。
真っ赤な雨のところが。
全部見てきました。
台南って私初めて聞いたんですけど、
今画像検索してみてたんですけど、
日本の京都っていう並みに古い建物がすごいなと思って。
現地で使われている言葉って何語ですか?
台湾って、さっき読んでいる中に出てきた国民党が戦後入ってきて
統治していった過程で、中国の本土と同じように
北京語を使うようになるんですね。
ただ中国本土で使っている漢太字っていう
画数を少なくした漢字とは違って、
昔からの日本の漢字よりももっと画数多い漢太字
それをそのまま使っているところが違いますが、
北京語をベースにした言葉が戦後にかぶさってくる。
みんなそれを喋れるように教育されるっていうのは同じなんですが、
もともと喋っていた言葉は、
閩南語、もともと福建省あたりの方言と言われて共通している。
福建省だから、台湾の、中国大陸の南側の海沿いの地。
たくさん移民が出てきて、福建省から入ってきた言葉と
共通する言葉を台湾語と言って喋っている。
2つ言葉があるみたい。
いろんな植民地にされていたり、
当地下にあった国々が違うから、いろんな文化が入っている。
そうですね。
オランダ当地もあったし、いろんな勢力が入ってきた地域。
そうなんだ。
独特のものがあると思います。
ありがとうございます。
それこそ日本語を話せる方もいらっしゃいますよね。
現地の方で。
現地の方で、そういう当地下にもあったということもあるので、
台湾、中国語、日本語を話すことを強制されたことはありませんでしたか?
二・二八事件の背景と湯徳章
日本統治時代は日本語がある意味。
今の北京語と同じようなポジションに日本語が入る。
日本語教育を受ける。
記念公園の近くに台湾文学館がある。
台湾の文学について展示しているところがあって、
そこに行くと面白かったのは、
日本統治時代に作家になった人たちが、
日本語で小説を書いていた。
日本語か台湾語だった。
でもその後戦後になったら、
みんな北京語を使いなさいと。
北京語で書きなさいと言われるんだけど、書けない。
なので一時期作家の人たちは何も書けなくなった。
自由が奪われてしまうみたいな。
そういう言葉の問題というのが、
彼らの台湾の人たちの歴史の中に横たわっているんだな、みたいな。
読めるんですか?日本人は。
読めるような内容でした?
日本語で書いてあったんだっけ?
文学館。
日本語でも展示されている部分が結構あって、
私とかも全然中国語とかわからない状態で行ったんですよ。
台湾の言語とか知らない状態で行ったんですけど、
日本語の表示とかがあって、
すごい勉強になったというか、
すごい分かりやすかったなと思います。
地味ですけどね。
台湾は文学館で、
しかも最低でも台湾だから、
そんな横たわっていかないとなかなか日本人が行くことはないよね。
でもいろんな外国の方がいらっしゃってましたよね。
面白かったですね。
そんなに期待しないで、なんとなく入って行けた。
その言葉のノリで入ったんですけど。
その後、何か食べたのが美味しかったですね。
何でしたっけ?
近くに美味しそうなお店があったんですよ。
美味しかったですね。
お届けした曲は、テイラー・スウィフト、オパライトでした。
今日のK-1キャンパスレポは、
2月28日公開予定の映画、
単特集、「私は誰なのか?」について、
2015年2月に大学の集中講義、海外メディア次長、
海外研修で台湾を訪れたメンバー、
卒業生で、番組元MCでもあった小林和佐さん、
番組ご意見版の一ノ瀬慎也先生とお話しています。
後半もどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
この映画の背景をいくつか探っていきたいのですが、
まず、228事件について、
この事件と台湾、この事件と台湾を当時支配していた国民党との関係について
解説していただけますか?
228事件はいろんな場面で台湾に行くと出てくるのですが、
なかなか日本人には理解が難しい。
どういうことかというと、
要するに日本が統治していた台湾から、
日本が降伏して出ていった後で、
湯徳章の生涯と犠牲
誰が入ってくるかというと、
当時中国を支配していた国民党という、
障害者と聞き入れる国民党という人たちが、
中国本土から入ってくるというわけですね。
この時、中国はどんな状態にあるかというと、
国民党ともう一つ勢力、共産党というのがいて、
この二つが中国で戦って、
最終的には共産党が勝つわけですよね。
今の中華人民共和国になっていくと。
最初、国民党が入ってきて、台湾を支配し、
最終的には国民党は負けて、
中国本土から退退して、台湾に来る。
台湾に逃げてくるわけです。
そのまま居座っていくということなんですが、
とにかく入ってきて、
ここは俺たちのものだというふうにして、
来るわけじゃないですか。
台湾にいた人たちは、ある意味、
中国系の人が多数を占めているわけですから、
同胞が来たと思って歓迎するわけですけど、
国民党の政権の人たちは、
日本の統治下で生きていた台湾の人たちを
信用しないわけですよ。
ちゃんと北京語も喋れないし、
いろんな日本語の教育も受けているし、
ということもあるんだと思いますが、
この二つの二層、つまり国民党と一緒に
やってきた人たちと、
国民党の人たちと、
それからもともといた台湾の人たちの間で、
二つの二層ができてしまって、
そこの対立というのが出てきてしまうわけですね。
国民党は台湾の人たちを信用しないから、
公務員にもならせないとか、
いろいろ差別的な扱いをしていくわけですよね。
それがいろいろ不満になって、
ある日爆発するのが、
この228事件、2月28日なんですね。
これが大規模な反政府運動じゃないけど、
その運動に発展していくということなんです。
その中でいろんな事件が起きて、
担督省さんの事件というのも、
その中で対難で起きるということになります。
小林さん、そんなところでいいんでしょうか。
大丈夫です。
ありがとうございます。
大丈夫です。
228事件が起きちゃったきっかけは?
きっかけは、何でって思うけど、
闇煙草を売っている女性が、
警察官に暴行を受けて怪我をすると。
それに対して、
台湾の土着の女性なんですよね。
それが政府に暴力を振るわれたというので、
土着の台湾の人たちが抗議を受け入れた。
そこから始まっていくんです。
それがラジオを通じてだと言われているんですけど、
そこからその話が全台湾に広がっていって、
担督省さんが言った対難とかでも、
そういうことをする人たちが出てくる。
どんどん全国に広がっていって、
それが賃厚されていくということなんですね。
何でって思いますよね。
そこだけ聞いたら何でって感じなんですけど、
そういういろんな不満がたまっていたのが、
映画上映情報と番組告知
きっかけに出てくる。
担督省も市内の治安維持のために、
支援をされていましたよね。
そうです。だから彼は暴動を起こした立場の人ではないんですよね。
どちらかというと、
デモ活動に加わっていった学生たちを助けようとした。
そう、やめとけみたいに言ったりとか、
そういう社会的な地位があるので、
そういう別に暴動を扇動するような立場の人ではなかった。
デモ活動みたいってことですね。
広まりすぎたみたいな話ですか。
相互の不審感が非常に高まっているから、
政府の方もすごい力づくで抑えつけようとしたんですよね。
私も自分で今調べてみたんですけど、
被害者、死傷者の数がデモにしては大きすぎる死者数というか。
これはこの時だけじゃなくて、その後ずっと。
ずっとですよね。
ずっと会議限定になっていくし、
その途中でよくわからない理由で困って
政治犯として収容されていったりとかいうことが起きています。
どこか島に閉じ込められたりとか。
私たちは小林さんと台北の刑務所に行って、
そうですね、行きました。
政治犯の人たちが閉じ込められていた。
それは台湾の人たちにとっては大きな歴史、黒歴史ですよね。
断圧の仕方が結構残酷だったっぽいんですね。
そうですね。
タントクショーさんは日本の中央大学卒業してっていう。
日本の中央大学卒業されたんですね。
なるほど、弁護士資格を持って、堺徳書という名前もあったようですね。
これはどういった経緯というか。
そうですね、タントクショーさんはお父さんが日本人の警察官で、
そしてお母さんが台湾の方で、
今まで紹介していたタントクショーというお名前さん。
タンはユっていう字なんですけど、これはお母さんの名字ですね。
そうですね、だから当然50年間日本が統治しているので、
その間たくさんいろんな立場の日本人が入っていくわけじゃないですか。
とりわけ警察官は隅々まで入っていくわけだから、
警察官と台湾の女性との間で結婚するっていうのはかなりケースとしてはあって、
その子供たちは結構微妙な立場に置かれるということですね。
だから、タントクショーさんは1回警察官になるはずですよね。
でも、要するにお母さんが台湾人で、お父さんが日本人という、
このタンさんの立場ではなかなか出世できないという中で、
1年発起して中央大学に留学するという経緯だったと思いますが、
中央大学に留学して弁護士になると。
なかなかでも大変だったと思いますよね。
こういう社会的地位のある仕事に就くのはすごい大変だったと思いますけど、
なって、で、帰ってくるんだよね。
帰ってきて、いつ帰ってきたのかな。
ちょっとそれは映画を見ないとわからないけど。
でもその事件の時には、で、勉強して帰ってきた弁護士として地元で活躍していた。
いろんな人たちを支える、支援するような立場だった。
だからそういう228事件の時に、逆にそういう争いに巻き込まれてしまう。
だから結局、その人たち、暴動に加わっている人たちを止めに行ったりとか、
この人はそんなに悪い人じゃないからと政府に行ったりとか、
仲裁するような役割に入っていくわけじゃないですか。
でもそういう立場の人がまた、結構この担当区長さん以外でもいろんな人が引っ張られて、
帰ってその人たちが処刑されたりとかしているんですけど、その一人ですね。
映画の予告を見ると、そういう人の働きがあったことを今の人たちは知らないみたいな感じですよね。
私たち行った公園にちゃんと像は立っているけど、
今の人たちはもうみんなわからなくなっているっていうのが映画の背景にありそうですよね。
見てないけど。
小林さんは担当区長さんについて現地で学ぶ中で感じたことを覚えていることはありますか?
そうですね。私、まず台湾自体にその縁もゆかりもなくて、
今回、去年の2月ごろ初めて台湾に行って、そこで担当区長さんという方を知ったんですが、
担当区長さんって先ほども言った通り、お父さんが日本人でお母さんが台湾人。
日本にいても台湾にいても立場としては結構難しい方だったと思います。
そんな中で228事件に巻き込まれていて、
228事件でも市民を助けるという言い方もあったのかわからないんですけど、
市民を助けていって救おうとしたんですけど、逆にそれが良くなかったのか捕まっていって、
拷問とかも受けたんですけど、調べてみると拷問を受けても最後まで人の名前も口に出さなかったっていうのとか、
あと事件に関係する、その事件に関わった人々を守るために、
その事件に関係するリストや資料をすべて燃やすって言って、もう一切話さなかったそうなんですね。
それでその後、結構処刑をされてしまったんですけど。
それで処刑されたっていうのはあるんでしょうね。
そうですね。なかなかできることではないんじゃないかなと思って、
彼の人生も結構差別とかもちろんあったと思うんですよ。
いろんな日本にいても台湾にいても、そんな中ですごい人々を助けようとする動きというのはすごいなと思って、
なかなかできることではないなと思って、すごい感動したって言い方もないですけど、印象に残っていますね。
これ台湾の戒厳令って1987年まで続いてるんで、ずっと長い間その時代が続いていて、
その間こういう担督省さんのような人が各地にいたんでしょうけど、
二人の犠牲があったみたいなこともずっと語られないまま来たんです。
それは今になってそれを掘り起こそうという動きがあるみたいですけど、
でもその間にも忘れ去られてる人たくさんいるんじゃないかなと思って。
知ってほしいですね。
ぜひ知ってほしいですね。
また台湾で授業があるときにぜひ皆さん知ってみてください。
今日のKはキャンパスレポは2月28日公開予定の映画
「担督省 私は誰なのか?」について、
2025年2月に大学の集中講義、海外メディア次長、海外研修で台湾を訪れたメンバー、
卒業生で番組元MCであった小林和佐さん、番組ご意見版の一ノ瀬慎也先生とお話ししました。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
この映画「担督省 私は誰なのか?」は、
新潟では新潟市中央区のシネウィンドウでの上映が予定されています。
詳しくは映画屋シネウィンドウのホームページでご確認ください。
では今日の放送はこの辺で。
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今日のKはキャンパスレポ、終了の時間です。みなさんおやすみなさい。
Kはキャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、慶和学園大学の提供でお送りしました。
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