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Vol.339 新潟の学生が見た、知らなかった沖縄 前編 20260403
2026-04-05 22:40

Vol.339 新潟の学生が見た、知らなかった沖縄 前編 20260403

シリーズ「敬和キャンパス紀行」の第4回。2月に実施された #沖縄 での集中講義「情報メディア特論1(国内取材・研修)」を特集します。 

今回のテーマは「新潟の学生が見た 知らなかった沖縄」。学生16名が参加し、訪問先の動画制作を目標に4泊5日で各地を巡りました。

前編では、対馬丸記念館や平和の礎などの #沖縄戦 に関する場所、

そしてコザのヒストリートや不屈館など、戦後の #米軍統治下 の歴史を学んだ体験について詳しく伺います。 

MCは今回卒業を迎える富田楓芽と、番組初参加の進藤菜緒子。ゲストに担当教員の一戸信哉先生を迎え、現地での深い学びを語り合います。 


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敬和キャンパスレポ、この番組は、新発田市富塚にある敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、柴田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、敬和学園大学の提供でお送りします。
皆さん、こんばんは。この番組は、敬和学園大学から大学のことや新発田、新潟のことを伝える30分番組です。
今日の進行は、国際文化学科3年の新潟直子と、国際文化学科放送時には卒業しているかもしれない富田駿河です。どうぞよろしくお願いします。
今日は、敬和キャンパス機構トラブルマインズ、学びが旅になる瞬間の4回目。
今回は、2月に実施された沖縄での集中講義、情報メディアパクロン国内取材研修についてです。
沖縄を取材するというコンセプトの授業は、2年に1度開催されていて、今回が3回目。
コロナ期には沖縄には行けなかったそうで、授業での沖縄訪問は今回が2回目になるそうで、この授業の話をこれからするのですが、
沖縄に一緒に行ってきた新潟直子さんが、今回MCに参加してくれることになりました。少し自己紹介をお願いします。
はい、皆さんこんにちは。国際文化学科新3年の新潟直子です。お願いします。
ありがとうございます。参加してください。
沖縄の飲み屋で、夜4日間、4泊5日の旅で毎夜飲み屋に行き、沖縄の食材を堪能してきたんですが、
これ、なんか行けそうじゃね?みたいな感じになり、今に至るみたいなね。
今に至りますね。食レポからここまで来ました。
沖縄のピーマン、沖縄ピーマンですか?
ピーマン、沖縄産ピーマンみたいな。
その食レポがうまくて、しゃべれるやんこいつ!みたいな感じになりましたね。
1週間前、沖縄に行ったの。だよね?
ちょうど1週間前です。
先週行ってきて、2月の8日に収録しています。
そして、番組ご意見版でこの授業の担当でもある国際文化学科の一戸信哉先生にも参加していただきます。どうぞよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
飲み屋って言わないで、ご飯食べに行ったとか、もうちょっとマイルドに言ってほしかったですけどね。
夜な夜な飲み屋って言い方になってますけどね。
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でもピーマンは美味しかったですね。
なんか違うらしいですよね。沖縄のピーマンって言った?沖縄ピーマンか琉球ピーマンか。
沖縄ピーマンってメニューに書いてましたね。
なんかちょっと違うんだなと思って。
昨日だから調べたら少し出てきましたね。やっぱり違う品種みたいですよ。
だから食べれたんですかね。
あ、そうなの?
食べれないけど食べれたって。
食べてみますの食レポだったんで。
全然苦くなかった。
食べ物の話も後でしてみましょうか。
もうそっちに早くしたい。
はい。
さて今回の沖縄での集中講義、情報メディア特論1、国内取材研修について新堂が紹介します。
今回のテーマは新潟の学生が見た知らなかった沖縄をテーマに訪問先の動画を作成することを目標に活動しました。
訪問先は那覇市内の歴史的な史跡、南部等に点在する沖縄戦の痕跡、戦後の米軍統治下を学べる場所などを4泊5日で回りました。
まずこの授業の狙い、市野平先生説明していただけますか。
はい。私たちの大学の皆さんは大体新潟の人が多いので、新潟生まれ新潟育ちで新潟で勉強しているので、なかなか外のことを勉強する機会がない。
かといって留学行くと言ってもなかなか留学もお金もかかるし、そんなに長い間大学を離れて留学行ける人も限られている。
というので毎年海外か、わりと近いところの海外か沖縄か国内かというのを集中攻撃官に訪れて、
いろんなことを勉強してあわよくば取材した内容をまとめてみようみたいなことをやるというのを、さっき言ってくれたけど何でしたっけ、今回2回目が沖縄ですか。
3回目ぐらいですね。1回目はコロナで行けなかったので、行かないで勉強したんですけど、でも行かないで勉強するのすごい濃かったですね。
すごい勉強したので、あれやってから行けばもっといいんですけど、という感じの3回目で。
今回は参加者が多くて、16人という、過去一、統率が難しい。
みんなバラバラに行動し始めるし、あと前回は5人ぐらいしかなかったから、私は車を運転してみんないろんなところを連れて行けたんですけど、
16人は無理なので、結局バスのチャーターみたいにやったり、いろいろ変わったところがありましたが、
でもそれなりに皆さんいろんなものを見て帰ってくることができたんじゃないですか。
私も2回目なんで、大体皆さんのどこに行きたいのか、どこで楽しく過ごしたいのかみたいな要望も大体わかっているし、
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でもコースこの2つの中でどこどこを入れてみたいなのも大体わかっているので、
ある程度早く集めに来たい人たちを抑えながら、それなりに勉強になったなって思えるようなコースにしたつもりです。
すごい勉強になりました。楽しかったですよ。
この16名というのも楽しかったですね。
この2から3、2、3、4のエネルギーある奴ら全員集めたんですか?
いやいや大変です。本当に今回羽田天港集合だったんですけど、羽田天港にみんなちゃんと来れるかみたいなところから、すごい私は大冒険みたいな。
しかもその時新潟めっちゃ雪降り始めて。
そうですそうです。だから夜行バスチームがバスに乗れなくて、
結局新幹線になり。
寝坊しました?みたいな。
もう大変なんですよ。
あの時から楽しかったな。
さて、ではまず課題として全員が着実に見て回った沖縄線に関する場所についてです。
初日に沖縄線の前の額頭疎開線、津島丸の撃沈に関する記念館。
2日目に平和の石寺とその周辺、金箔の塔とその周辺を巡りました。
また悲鳴類の塔と資料館。
日を改めてハイバル町の陸軍病院号の跡も訪ねています。
皆さんそれから印象に残ったのは、印象に残ったもの、映像に残したいものは何かありますか?新潟さん何かありますか?
私が映像に残したのは陸軍病院号。
ちょっと強烈でした。
どんなところでした?
真っ暗闇で。
待って待って。何の場所なのってそんなにわかんないですよね。
だからアメリカとの戦いの中でだんだん病院の施設も壊されて、
地下号に設置されました。
そこで病院のような機能をそこの穴の中でやってたということですよね。
あとそこでは後に秘め売り、秘め売り学徒隊と言われる人たちが働いていて、
その後またさらに秘め売り記念館があるところにまた移っていくんだけど、
秘め売りに働いていたところがそこか、ですよね。
そのままそれが残っていて、その中にヘルメットをかぶって入ると。
入りましたね。
そこの名前は?
ハイバル町。
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ハイバル町。
ハイバル陸軍病院号。
そうですね。
南風原がハイバル。
だから号というのは人間が掘っているんですか?
もう一個何だったっけ?
ガマか。
沖縄人がガマと言っているのは自然にできたもので、号と言った場合はちょっと自分で掘っているということですよね。
秘め売り平和記念資料館にあった、喧嘩したところがあったじゃん、天ちゃんとかが。
それがガマですよね。
あれは掘ってないのかな。
でももう掘れる状態ではなかった。
ハイバルはある程度準備して作られたっていうことですよね。
繋げたりしたとか言ってましたよね。
結構広いんでしょ、病院の敷地っていうか、全部は下だけど。
広いから、だからご飯を作って、ご飯を運ぶ?
ご飯を運ぶ、うんうんうん。
どういうことどういうこと?
ご飯は別のところで。
別のところで炊事場があったんだよね。
そっか、そうですね。
炊事場で作ったご飯を病院の中に運んで、
病院の入院患者たちにご飯を提供する仕事というのを秘め売りの生徒たちがやってましたって話ですよね。
それは陸上の、中じゃなくて、外でご飯を運ぶから。
飯揚げ?
飯揚げの道を通ってご飯を運ぶと。
飯揚げの道普通に坂道だしね、あれね。
危険だと。
ガタガタですね。
14キロの米。
前と後ろに人で二人で走るみたいな。
あれもなかなか衝撃的。
なんか14キロのやつ運ぶ体験みたいなのやってた?
背負うやつだね。
ありました、入り口の。
あれやった?
はい、持ちました。
ペットボトルは14キロでした。
それぐらいだよって言われて持ったら、重かった。
本当に重くて、歩くで精一杯でした、あれは。
そこに地上を走るわけだから、攻撃が来たら伏せてみたいなことを理解してみたいな。
そうですもんね。
転んでご飯がこぼれても、土がついても拾わないと、また水分がなくなるからっていうのを言ってました。
じゃりじゃりしたのを食べさせたみたいなのを言ってましたね。
ないから食べないといけないみたいな。
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あそこは最後に結局ここから撤退するときに、重症患者を連れていくことができないから、生産カリを飲ませて殺そうとした。
殺したっていう、あれが一番強烈でしたね。
ミルクに生産カリで混ぜて、今日はミルク飲めるかみたいな。
そうですね。
南部に撤退する前に、今の姫売りのところに撤退する前に、重症患者を殺してしまおうとしたというのは証言が残っていて、
あの証言した人は生き残った人なのか?
生き残った。全部吐いて。
生産カリ飲ませたけどそれを吐いて。
動けなかった体が急に動いても走って逃げたみたいな感じでしたね。
という話ですが、この号の中は撮影できなかったので、実はそれは映像には残ってないんですよね。
あと全体的には南部で、手裏城の下に司令部があったときに戦争をやめるべきだったと今思えばそうなんだけど、
結局やめなかったために、みんな住民も引き連れて南部に逃げていって戦いを続けることになったので、
余計たくさんの人が死んでいるという後からの評価としてはそうなるし、
慰霊碑みたいなのもたくさん建っていると。
コンパクトの塔というちょっと外れたところにある塔は、
本当に何もなかった時代にその辺に転がっている遺骨をみんなで拾い集めて建てた慰霊碑であると。
その前線が上がっていくというか、南部に行くにつれて、
どんどん病院として使われていたゴーとかガマも日本軍が使うから出ていくみたいな感じになり、
いきなり出されてどうすればいいかわからない状態で、
どんどん南部に帰っていくしかない状態に追い込まれていく。
それは慰霊碑の話?
慰霊碑の話ですよね。
解散ってやつね。
それは本当に大変だったと思いますよ。
そうですね。
さて、ではここで1曲お届けします。
今日の曲はこちら。
おじい自慢のオリオンビール。
こちら、那覇市内の民謡バーなどでの定番曲で、
MCメンバーの一部も盛り上がっていた歌です。
歌ってた。国際通りで。
歌っちゃったね。
騒いでる人がいたね。
2日目に民謡バーに行ったんですね。
なんかすごい若者たち盛り上がってましたね。
野口のメンバーだけじゃなくて若者たちいっぱいいて。
楽しかった。
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これそんなに歌うんだと思いましたけど。
東京からの卒業旅行で大学生が25人くらい来てて。
そこのテンションと酔っ払ってる僕たちのテンションが重なっちゃって。
大合唱。
だから沖縄の人が騒いでたわけじゃなくて、
新潟の人と東京の人が刺激合ってたんですね。
そうですか。
しかも大学生で。
もう歌っちゃいましたね。
2002年7月3日に発売されたアルバムに収録されたもので、
私たちが滞在中も大人気だったオリオンビールをテーマに制作され、
実際にCMソングとしても使われていたそうです。
ではお聴きください。
おじい自慢のオリオンビール。
お届けした曲はBegin。
おじい自慢のオリオンビールでした。
今日のけんわキャンパスレポは、
けんわキャンパス機構として
沖縄での集中講義、情報メディア特論1国内取材研修に参加した
国際文化学科富田風賀さん、石野平真也先生とともに
MCとして初参加で、
共に沖縄に行ってきた私、新潟の3人でお話ししています。
最初に言っていた津島丸は、津島丸だけちょっと前の話なんですね。
沖縄戦が始まる前に、
多分攻めてくるということになって、
子どもたちだけでも逃がして、
もうちょっと戦いやすいようにしようということだったんでしょうね。
疎開させるために九州の方に船を出して、
子どもたちを疎開させようとしたのがダガーって話ですね。
僕、ごめんなさい。覚えてますか?
沖島丸。
ダガー。
落ちちゃった。
まあまあそうだよね。
増強来で沈められてしまった。
そもそも沖縄には当時30万人くらいが住んで居住してなかったんだけど、
そこに10万人くらいの兵士が置かれていた。
増強していた兵士を。
そうすると40万人になるじゃないですか。
30万人しかキャパがないところに10万増えちゃうと機能しなくなっちゃうから、
増えた10万を30万に収めようと10万減らすの目的として。
目的もあったんじゃないかと思うんですか。
その疎開戦とかがなってたけど、
疎開戦とか、その疎開戦を守る護衛戦がどんどん出ていく中で、
この津島丸が唯一魚雷で爆撃されて沈んでしまったというような内容でした。
ここまでどんな映像ができたのかまだあまり聞いてないですけど、
18:01
だいぶ喋ってしまいましたので。
喋ってしまいました。
次に行きましょうか。
映像を作りましょうか。
それから戦後の沖縄は1972年5月15日に本土返還までの27年間、
米軍当時下にあった沖縄についてもいろいろ見てきました。
具体的にはアメリカ軍が核ミサイルを配備していたという基地、
沖縄市小山のヒストリート、
瀬長亀次郎さんについて伝える副図館などがそれにあたります。
皆さんこれについてはそれぞれ印象に残ったもの、
映像に残せたものは何でしょうか。
やっぱりこっちのほうが難しいですね。
沖縄戦のほうが多分戦争があって人が亡くなったっていう、
悲惨さを理解するっていうのは悲惨な話だけど、
構造は理解しやすいんですが、
戦後はなかなか理解しづらかったんじゃないですか。
どうでした。
そんなに理解があるかという。
今回初めて小座っていうところに行ってみて、
小座は本当にアメリカ軍のお膝元みたいな街で、
いろんなことがあったんですよね。
暴動、小座騒動と言われる沖縄の人たちがアメリカ軍に反旗を翻したみたいな。
事件もあったし、いろんなことがあったし、
女性たちがそこでいろんな目にあった話とか、
いろいろあるんですけど、その痕跡がほとんどないんで、
残ってなくてちょっと探してみたんですけど、
展示館以外はあまりわからなかったということですよね。
なんか転在してるみたいですよ。
売春とか行われていたようなアメリカ人相手の飲食店街みたいなのは、
もっとあの周辺にポツポツあったんだけど、
今もあるけどほとんどもう錆びれてしまっているというのは、
ちょっとまた帰ってきてから調べたらありました。
そうですね。なかなかこれ難しいですよね。
この小座のあれってあそこですよね。
4日目のちょっと押してた時間の。
そうですそうです。さっき言ってた南風原のところに行くのに、
ちょっと時間がなくなっちゃって、
A&Wに行かなくなった。
みんな昼飯食えずに座って、
腹減ったとか言って。
面白いよね。
そうですね。
いろいろ残ってるんですよね。
アメリカ軍と戦った瀬長亀次郎のところも行ったし、
あとチュラ海水族館とかも海洋博講演っていって、
あれも沖縄の戦後の歴史と結構関わりがあるんですけど、
なかなか一個一個の点をちゃんと線につなげるのは、
今回はそこまではできなかったかなという気がしますけど、
また映像を作っていくときにみなさん調べてみてほしいなと思います。
海洋博講演が後のチュラ海というのは初めてですか?
21:02
そうです。
知らなかった。
オリンピック会場を後に何に使うかみたいな話で、
たぶん海洋博講演のときは海洋博館があったのかもしれないですけど、
後に陣兵衛団が連れてきて、そこはヒットするんですけど、
あの講演の中にある他のいろんなテーマパークは、
ほとんど話題に登ることもないみたいな感じですね。
そこに今ジャングリアが地形にできて、
ちょっと状況がまた変わりつつあるんですけど。
ジャングリアも行きたかったな。
ジャングリアは無理でした。
行きたかったな。
16、17ではちょっときつい。
そうですね。
今日の敬和キャンパスレポは、
敬和キャンパス機構として沖縄での集中講義、
情報メディア特論1、国内取材、研修に参加したメンバーで、
沖縄での経験とその魅力をたっぷりお話ししてきました。
今日はここまでで時間切れです。
後半もお楽しみに。
お楽しみに。
本日の放送はこの辺で。
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番組情報を発信しています。
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今日の敬和キャンパスレポ終了の時間です。
皆さん、おやすみなさい。
おやすみなさい。
敬和キャンパスレポは、
実践するリベラルアーツ、
敬和学園大学の提供でお送りしました。
22:40

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