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#97 「ヒロシマの心を伝える」▼広島市の国内ジャーナリスト研修参加記者と平和報道を語ろう▲
2025-08-16 48:58

#97 「ヒロシマの心を伝える」▼広島市の国内ジャーナリスト研修参加記者と平和報道を語ろう▲

広島市主催の「国内ジャーナリスト研修『ヒロシマ講座』プログラム」に岐阜新聞の記者が参加しました。戦後80年の節目に、平和報道について語り合ってみました。

【出演】山田俊介(報道部)安井真由子(羽島支局)田代理加(生活文化部)

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◆「最後の被爆者でありたい」 岐朋会の参列者、黙とう(→https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/580176

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感想

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00:01
お盆ですね。お盆。お盆ですね。休み取ってますか?大丈夫ですか?休めてます?
今年のお盆は、ちょっと平日が続いちゃう。確かに。並びがあんまり良くないですね。良くないですね。
言われてますけどね。お盆。ちょっとね、順番に休み取らなきゃって感じですけど、なんかね、出勤途中にね、車からなんとなくその住宅地に寝ようやってたら、タンクトップ姿のね、おじいちゃんがこう道端で仁王立ちしてたの。
よく見るとさ、歯磨いててさ、外で歯磨くってなんか斬新と思って。夏の朝だなと思って。かっこよくないですか?なかなか外で、路上で歯磨かなくないですか?
そうですね。日課なのかな?
お家の真ん前がね、割と通り沿いなので。日課なのかもしれないですけど。ちょっとそんなびっくりした。今朝、出勤途中だったんですけど。
今朝のエピソード。
今朝のエピソード。なんかね、やっついて離れないの。そのおじいちゃんの仁王立ち歯磨き姿が。
タンクトップで。
タンクトップで。また渋い表情で歯磨いてるの。
でも毎日通る道じゃないの?
そうなんですけどね。なんかね、その時は目に詰まったんですよね。なんでなんだろう。わかんないけど。
報道部山田俊介です。
安井真由子です。
生活文化部の田代理香です。
リフ新聞・ポッドキャス・菊地です。よろしくお願いします。
初登場。
初登場。
安井さん初登場ですよね。
そうなんです。
なんかなかなかね、ちょっと出演交渉してもちょっとなんとなくやんわり断られる感じだったんですけど。
喋るのがちょっと苦手で。
いやいやいや。
そんなことないでしょ。
そんなことないでしょ。
いやいやいや。
今日坂井さんお休みです。
ちょっとね、高校駅の関係とかもあったりとかして。
写真もちょっと大変。
夏忙しいですもんね。
いろいろ夏大変で。
戦後80年という節目の8月ですけど。
今回安井さんに来ていただいたのは国内ジャーナリスト研修広島講座に出るために広島に行ってきたということで。
ちょっとその時の話してほしいなと思って。
何日行ったんだっけ。
7月の28日から8月の7日までで11日間ですかね。
結構長かったね。
長い。
なかなか。
なんでまた、全然そういうプログラムがあるってこと自体私実は存じ上げなかったんですけど。
03:02
結構前からやってるんですよね。これで9回目とかあったんですかね。
今年やっていて、例年は全国の地方市の定員が10人なんですけど。
今年は80年ということで定員を15人に増やして。
広げてるんですね今年ね。
それでおそらく岐阜新聞にも声がかかったというか。
広島市のホームページを見ると広島講座を実施しますというリリースというか案内というかが出てたりとかして。
そこにいろいろ書いてあって目的というところを読むと国内の若手ジャーナリスト15名を対象に被爆の実装や広島の心について総合的体系的に学ぶ研修プログラムを開設し
研修の成果を報道や論説活動を通じて広く国内外に発信していただくという風になっているんですね。
どんな方が参加しているかというのも載っていたりして、研修員という項目があって、その15人どんな方が参加されたかという中に安井さんの名前も入っているということで。
本当に各地から北北海道新聞社、南は沖縄タイムズ社まで幅広くいろんな地方市から来られて、研修員という名前なんですね。
名札を初日にもらって、それを見せると期間中は平和記念資料館とかの施設にタダで毎日入れるという特典がありました。
ざっくり言うとそういう特典が、陰謀みたいな感じですね。
それを見て取材していろんなところで。
一番メインの取材は8月6日の平和記念式典の取材だったんですけど、その10日くらい前から広島にいたので、
いろんな資料館だったりとか原爆ドームとかを見学したりとか、被爆者の方に話を聞いたりとか、
あと地元の報道機関の中国新聞とかNHK広島に行って、平和報道についてどういうことをしているかというのを聞いたりとかもしました。
資料館を何回も行った?
そうですね。見る時間も研修の中に取られていたんですけど、2時間ではちょっと広くて見きれなくて、その後にもう一回一人で見に行ったりしました。
その資料館に行く前日に被爆者の体験を聞き取って代わりに伝えている伝承者の方に話を聞いたときに、
06:05
その方が家族の伝承者をされていて、おばさんの伝承者をされていて、亡くなったおばさんの衣装も展示されているというのを聞いて、
そういうのを見たりとか、本当に1日入れるぐらいの充実した内容で。
確かに11日間あっても時間が足りないぐらいなんじゃないかなっていうね。
展示を一つ一つ見て回っていくだけでもかなりやった時間を使いたくなるでしょうし、
いろんな方に直接会って話を聞く機会というのがこのプログラムの中にスケジュールで組まれていたということですよね。
当事者の方とか被爆体験者の方からもお話を聞く機会というのがあったわけですよね。
1日目に4階で被爆された滝口さんという広島市の方に話を聞いて、
その方は爆心地から1.8キロにあった自宅で被爆されたんですけど、
5年ぐらい前から証言者として活動していて、ということでお話を聞きました。
岐阜県だとあまり被爆者の方にお話を聞くことはないと思うんですけど。
少ないですよね。どうしても限られてしまうところはありますよね。
広島市でも市が証言者、被爆体験証言者として定義して、
いろんなところで公演をされている方はもう30人を切っているそうで、
広島でもそんなに少ないんだというのがちょっと衝撃でしたね。
被爆80年ということで、どうしてもどんどん平均年齢も上がっていきますから、
直接の経験を話せる方の数というのがどんどん減っているというふうに、
言葉では聞くんですけど、実際に目の当たりにするというのはまたインパクトが違ってくるというか、
現地でそういう衝撃を受けたということですよね。
特にその方の言葉の中で、これはもう絶対書き残したいみたいな一言だったりとかってところにありました?
そうですね。この方も体験自体は4歳だったのであまり記憶はなくて、
お母さんだったりとかから家族から聞いた話で、
その情景とかはだんだん自分も自分の中にあるということを話されていたんですけど、
やっぱり今、戦争を知らない世代が増えていって、
09:02
社会、日本でも戦争に走ってしまうようなちょっと危ない言動とかを聞くたびに怖くなるということは話されていました。
本当に放っておくと、またいつか来た道を辿っていってしまうんじゃないかという懸念が、
当事者の方は特に強く感じるところでしょうし。
その方にお話を聞いたのが?
ここですね。
あ、もう初日だったわけですね。
合計何人くらいの体験談というか、人にお話を聞くっていうのは大体?
そうですね。直接体験された方は3人で、
あとは被爆2世の方だったり、伝承者の方とかが5、6人くらいですかね。
被爆2世、3世の方というのはどういう思いだったのか?
一つ印象に残っているのが伝承者の方の話で、
その方は島根出身で就職で広島に来て、ずっと平和記念公園内のガイドをされていた61歳の女性の方がいらっしゃるんですけど、
その方が2015年から伝承者の活動を始めて、
広島市の制度だと被爆者と伝承者のマッチングみたいな制度があって、
それで2年間くらいかけて被爆の実装を学んだり聞き取りをして、
やっと伝承者と認定されて公園活動ができるみたいなんですけど、
その活動を始めてしばらくして、その方が長崎で講和をする機会があって、
その中に長崎の被爆体験者の方がいらっしゃって、
その伝承者の方の話を終えた後に、
本当に経験していない人たちに被爆者の苦しみが分かるわけないから、
簡単にこういう話をしたり共感するとか言うなみたいな、
ここで怒られたことがあったっていう話をされていて、
そのご本人もやっぱり全て分かったように話してるつもりはなかったんですけど、
やっぱりちょっと活動に慣れてきて、
おぶりがあったかもって反省したりとか、
同時にそれくらい被爆者にとって重みのある証言を預かるっていうことに
少し怖くなったっていう話をされていたのがすごく印象的でした。
受け継がなきゃっていう気持ちはあるんですけど、
それはやっぱり簡単なことではないんだなっていうことを、
当事者の方と直接話す中で気づかされるっていうことですよね。
12:03
本当に難しいですよね。
確かに経験は直接はしていないし、
痛み、辛さが分かるわけないだろうって言われる場所がその通りなのかもしれないんですけど、
じゃあそのままだれも語り継がなくていいかって絶対そんなことはなくって、
そこの葛藤に触れられたってすごく貴重な経験ですよね、その取材者としても。
多くの人の話を聞いて見方とかが変わったり、
例えばその後資料館に行ったら全然違うふうに見えたとか、
今原爆っていうものに対して、行く前とは違う距離感みたいな。
そうですね、岐阜で被爆者だったり被爆2世の方に話を聞くのも、
広島に行くのも今回のプログラムがきっかけで初めてこの1ヶ月ぐらいでしたことだったので、
本当に言い方はあれなんですけど、原爆っていうと教科書の中のことというか、
自分とはちょっと縁のないところで起きたことっていうような印象がすごいあったんですけど、
やっぱり広島に行くと被爆者の方との話もそうですし、
ちょっと印象的だったのが会場が広島平和記念公園の中にある会議場の一つであったんですけど、
ホテルからそこに向かう途中のタクシー乗ってた時に、行き先をその平和記念公園で伝えたのもあったんですけど、
タクシーの運転手の方がその平和について思っていることだったりとか、
自分がお父さんから聞いた戦争の話だったりとかをされていて、
本当に今につながっているというか、今も続いて、今の広島の方たちの生活には続いていることなんだなというのはすごく感じましたね。
話を聞く以外に何か思い出深いエピソードがありますか?
そうですね。原爆ドームが普通はというか、普段は柵の中にそのまま原爆ドームが残されていると思うんですけど、
今回特別に市の職員の方と柵の中に入れてもらえて、
そのドームの建物の下自体はいろいろ崩れてきたりという安全面で入れないんですけど、
ちょっと下から覗いたりとか。
すごいですね。
一歩踏み込めないですね。
私たちは柵のとこからしか入れない。
柵の手前までしか行けないですもんね。
よく見る丸いドームの部分を下から覗いたりできたのは。
建物のすぐ近くまで行って。
そうですね。
本当に下に散らばっているがれきも固定されているとかじゃなくて、本当に落ちている感じなので。
15:05
固めてあったりとかでもないんですかね。
ナイフが来たら飛んでいく。
それもちょっと驚きましたし、
ちょうど研修期間中もずっと晴れていて、原爆ドーム見に行った日も晴れていて、
前日か前々日かの被爆者の方の話を聞いたときに、
広島に原爆が落とされた理由の一つに、
その日よく晴れていて、下まで飛行機から見下ろせてというのも噂というか、
本当かわからないけどあるという話をされていて、
その下からドーム通じて空を見るとすごく青い空で、
ちょっと80年前を思うというか、そんな気持ちになりました。
重なる部分がね、空に重なる部分があったということですね。
このプログラムの中では平和記念式典の取材もあったと思うんですけど、
なかなか理由によるとテレビでしか見られないというか、
実際に式典の会場の雰囲気だったりとか。
式典は8時からだったんですけど、
午前6時からも式典会場として平和記念公演や慰霊碑のところが封鎖されてしまうので、
朝お祈りをされたい方はそれより前にみなさん並ばれていて、
私は現場に着いたのは5時少し前くらいだったんですけど、
もうその頃にはすごい行列で。
その時間から。
それがすごく驚きましたね。
海外のメディアの方も結構多くて、印象的でした。
あの会場だけで入りきれるものなんですか?
いろんなところから来ると思うんですけど。
そうですね。
今年、岐阜から行かれた方が去年は会場に入れなくて、
近くの会議場みたいなところでパブリックビューイングを見たみたいな話をされていて、
今年は入れたみたいなんですけど、
多分時間によっては入れない方もいて、
それが溢れてしまうぐらい多くの人が来ているんだなという感じでしたね。
安井さんは報道陣で固まったエリアから見るみたいな感じですか?
そうですね。
カメラ席みたいなところ。
記者席とカメラ席の何か所があるんですけど、
カメラ席というところから。
私のところは本当に、新聞協会に加盟している社と海外の社がいるエリアだったので、
18:01
半分ぐらいは外国の方で。
本題とはちょっと逸れるかもしれないけど、
対策とかは、指揮権がどうだったんですか?
そうですね。
広島市に行ったのが7月28日からだったんですけど、
その頃にはテントが立ち始めていました。
前日前日ぐらいからその下に椅子が並べられたり、
ミストが出るスプリンクラーみたいなのも設置されたりして、
逆にミストがあるところ、
もちろん被爆者の方とかの参列席にはあるんですけど、
それでカメラからすると観客席が真っ白に広がっていて、
疑似の被爆者の方たちが参列しているときも、
あの辺りかなっていうのは分かるんですけど、
なかなか顔が見えなかったりとか、大変さがありましたけど、
でも、日向よりは温度はすごい下がっていたと思いますね。
参列者のための工夫っていうのはすごいされているんですけど。
小中学生や高齢の方もすごい多いので。
あと、テロ対策じゃないですけど、
そういうセキュリティ面も結構。
そうですね。
手荷物検査はありましたね。
入り口はすごい限られているので、
見えそうで入れそうだけど、
あっちに回ってから入ってくださいみたいなのはありました。
そうか、でもそうですよね、確かに。
海外メディアっていうと、
何系が多いっていうか、アジア系が多いのか、
欧米系が多いのか、
気になるところはありました?
欧米系も結構多かったのと、
メディアに限らず平和公園にいる人も、
岐阜とか高山にいたときとかも、
結構アジア系が多いイメージだったんですけど、
欧米系がすごい多いっていうことは、
広島市の方も、広島市への観光客入り込み数でも、
ちょっと他と違うみたいな話をされていて。
結構長丁場だったけど、ご飯とかはどうしてたんですか?
ご飯は、何日かは編集の他社の方と食べに行ったりもして、
最初の方はお好み焼きを。
広島焼きね。
広島焼きを食べていたんですけど、
焼きそばのってるやつね。
ちょっと味が濃いのもあって、
序盤に2回食べて、その後はもう食べることはなく。
21:02
序盤に次々に続けて行っちゃったんですね。
あと広島のカープが、
私は野球は詳しくないんですけど、
カープ鳥っていうチェーンの焼き鳥屋さんが。
それ知らない。
赤いの?
赤いよ。
でも赤が大きちゃうとして。
焼き鳥1個1個に選手の名前がついてて。
手間かかるな、それ。
どういう風に?
持ってあるってこと?
メニュー用。
メニュー用?
ねぎまわ渡辺選手みたいな。
あれで持ってあるとか特殊?
特殊はあり得るか。
全部名前がついてて、
机ごとに選手の名前が貼ってあって、
その選手がホームランを打つと、
そのテーブルが割引になる。
面白い。
すごいね。
FC岐阜にも取り入れたらいいんじゃないかな。
欲しいですよね。
ちょっと岐阜の街、そういう要素が薄いんですよね。
それは広島らしくて面白かったですね。
こういう機会がないとなかなか
広島って行くことが国体の会場になったり
スポーツ担当になったりすると
いうこともあるんだろうけど。
嬉しいですよね。
要はこういう研修があるって
ジャーナリストというか
伝える仕事をしている人の力を
頼ってくださっているということじゃないですか。
毎年毎年続けてきているということで。
ジャーナリストっていうとどうしても
距離を感じてしまう人も少なくないと思うんですよ。
怖くないみたいな感じがあると思うんですけど
やっぱり伝えていく、語り継いでいくというときに
力になれる仕事なんじゃないかなとも思うんですよね。
こうやっていろんな地域の地方新聞記者に
声かけてくださったりとか
声かけるというかあれなのか
力を申し込んで作文とか出したりしたんですよね。
そうですね。志望動機の
そういうのあったんですね。
何百字とかそういうの。
そんなワード一枚ぐらいの決意を表明していたんですね。
決意表明的なやつね。
そうですね。理由と
あとどんなことが自分が言ったらできるかみたいなことを
週刊ぶりに書きました。
それが選別されているのかな?
応募した人は全員参加できているのか?
24:03
今年は15人ぴったりだったんですけど
多分声をかける医者も絞ってはいるんですけど
去年とかは多くて来れなかった方がいたみたいな話がされていて
その動機が薄いとダメだなやっぱり。
結構厳しいのかもしれないですよね。
去年までとか10枠しかないわけでしょ。
そこに入り込まないといけないっていう
なんかいい取り組みだなと思ったんですよね。
お休みはあったんですか?
お休みは、そうですね。
後半に4日間自由に取材を入れるところがあったんですけど
その4日間のうち2日が土日だったので
やっぱりどうしても土日に取材を入れることが減ってしまって
3日の日曜日はまるまる空いてたので
呉の方に行きまして。
大和ミュージアム?
大和ミュージアムは休館中だったんですけど
ああ、そうなんだ。
すっげえって聞いたら大和ミュージアムってなっちゃう。
ありますよね。
軍艦とかはありました?
軍艦はガラス割りに修理中が見えるっていうところはあって。
呉は結構岐阜から出生して
呉を拠点にして活動してた西の方が多いって言って
被爆の経験がある方っていうのは
岐阜の方だと呉に行っていて
その次の日に広島に入ったことで
助けに行ったりとかね。
遊泳に入ったことで被爆したと。
入試被爆なんて言われたりするそうですけど
岐阜だとそういった方が比較的多いみたいなことをね
取材で伺ったりなんかもしましたけど
呉にも足を伸ばしつつ
ほんとぶっ通しですねこれ見るとね。
結構ね、大業務勝負というか
若手が中心というのが分かる感じは。
若手じゃないと見えないですね確かに。
おそらく機時出港も見越して
毎日終わる時間は4時とか3時とか早めではあるんですけど
朝が毎日きっちり9時半とか10時に始まるのは
すごい規則正しい生活を。
規則正しい生活ですね。
記者によってはガンガン出港してる人もいれば
最後に後目みたいな人もいるみたいな。
毎日出す方もいれば
15日の出勤で特集面みたいなのをやるとか
全く出さないみたいな言ってる人もいました。
結構安井さんは積極的に出してた。
ガンガン出港する側だったでしょ。
27:00
結構出してたもんね。
その日に取材したことその日組で出したりとか
最初は岐阜に関連するところだけって思ってたんですけど
やっぱり話を聞いちゃうと貴重な話というか
なかなか聞ける話ではないので
これを聞いたままにしておいていいのかなっていう気持ちがあって
デスクとも相談して
岐阜に関係なくても出していいですよっていう風に言ってもらえたので
そういう風に出港してましたね。
そういう突き動かされるものがたくさんあったっていうことですよね。
このスケジュールの中でね。
ただ受け止めるのも体力というか
結構削られるじゃないんですけど
伺ってて辛くなるみたいなこともなかったですか?
実際確かに顔を見てその話を聞くと
話される方も辛いことを思い出して話されているのがすごいよくわかりますし
そうですね。
ちょっとそれは…
証言する側も本当に簡単なことではないでしょうし
そうですね。私も何回も思い出したくないって言って
喋らなかったおばあちゃんとかは何人か
テーマがそこの戦争だけの話じゃなかったので
そこを流して聞かずに終わったっていうことも何回かありましたけどね。
本当に心身を削って取材に応じてくださっているということですもんね。
やっぱり何か出したくなるっていうかね
形にしたくなるという気持ちすごくわかりますね。
ここで取材したことはもう全部出し尽くしたんですか?
まだ今後もまだ…
そうですね。一応終わりのつもりではあるんですけど
かなり出したかもね。
それこそNHK広島だったりとか中国新聞のところでは
今後の岐阜県でも戦争にかかわらず
いろいろなことの節目を記録していくということで
参考になりそうなことはたくさんお話を聞けたので
活かしていけたらなと思いますね。
記録していかないとどんどん消えていってしまう恐れもあるし
誰がそれをやるんだっていった時に
やっぱり報道機関が率先して動いていかないと
30:03
やっぱり残るものも残らなくなっていっちゃう恐れがありますからね。
なかなか一方でそういった戦争のことだったりとかって
どうしても関心を持たれにくかったりとか
それこそネットニュースで
あんまりその数字を稼げるものじゃないみたいなことを
言われたりもする中で
じゃあどう伝えていくといいんだろうって
いろんな報道機関が頭を悩ませるところだと思うんですけど
ただやっぱり報道機関
特に新聞って記録性っていう面が大きいじゃないですか
だから今読まれなくたって
必ずしも今読まれることだけがその価値を持つものではないでしょうし
やっぱりいろんな形で記録をしていくことが
先々につながっていくっていうことがあるんじゃないかなって思いながら
安井さんの記事だったりとかね
今やっている新平和論ってね
終戦の日に合わせて連日
いろんな方のインタビューを載せたりしてる企画をやってたりするんですけど
やっぱり記録していくことが大事なんじゃないかなって思ってるんですけどね
本当その通りだと思う
今というか今年
岐阜合同新聞っていうミニコーナーを
8月1日から14日まで作って
全部解読したんですけど
やっぱり生活がすごい書き残されているっていうか
どんな暮らしぶりだったりこんなに食料困ってたんだとか
厚着すれば原爆防げるよみたいな
ひどい誤報があったりとか
そういうのを読んでいくとやっぱり新聞って記録性みたいなの
結局今私たちが書いているもの
80年後とかにこんな風に読まれるものなのかなって思うと
まあ記録しておくっていうのも大事なんじゃないかなと思って
今瞬間的に読まれるか読まれないかだけじゃなくて
っていうのを感じましたねこの14日分をやってみて
なんかね今ここで読まれるかどうかだけに
重きを置かれすぎちゃってるような感じがして
なんとなくね今の風潮は嫌だなって思ってたりするんですけどね
本当その岐阜合同新聞のその頃はこう報じてたんだなっていうのがよくわかるし
33:07
暮らしだった
なんかお酒は生活の活力だから配給するみたいな
なんじゃそれを
出生していく時の様子とかね
結局その人は無事だったんだろうかっていう風に締めてるとか
なんかやっぱ当時の記録じゃないとたどれないことってねありますよね
まあそうですね
戦後80年8月だけじゃなくてまだあと12月まで1年あるので
そうですねだから8月ジャーナリズムなんて言葉ができちゃうぐらいで
なんか8月になると途端にいっぱいそういう関連報道が出るけど
9月入るとパタッとやんでしまうみたいなのもね
それもそれでどうなんかなっていう
戦後80年っていうからにはもう
2025年は年間通じてそういう年なんだよっていう風に全然いいはずで
せっかく日がついた安井さんは
安井さんまだ何か持てると思う
4ヶ月5ヶ月まだ年持ってない
安井さん絶対何かを
持てるとまだ時間はあるので
と思うんですよね
我々が今やってる新平和論
あと何日かは続きますので
そうなんですよ
15日では終わらないですからね
そうなんです
しゅんすけさんは特にね
木野さんとか杉山さんとか
杉山さんとか重厚な感じでしたね
論が強めな方がいけとめて
どうですか
私の体一つじゃ足りないなっていうのは
正直思いつつでしたけど
木戸水一さんね
非断橋の事務局長やられてた方ですけどね
岐阜市に今お住まいで
非断橋の関係で
いろんな方が取材されてたんですけど
私ちょっと取材する機会が全くなくて
本当初めましてだったんですよね
なんですけどやっぱり木戸さんが
いろんなところの講演だったりとか
取材とかで語る言葉がすごく好きで
なんか一言一言が
本当にずしっと揉みを持っていて
いつかちょっと直接
そのお話伺ってみたいなっていうのが
思いとしてはあったんで
なんかそれが叶ってよかったなっていうのは
個人的に思ってるところなんですけど
なんか印象的だったのはやっぱその
2世3世がね
やっぱりどう語り継いでいくかっていうのは
すごく課題にもなっていて
大事な部分なんじゃないのかな
36:00
と思ってたんですけど
木戸さんご自身は
もう2世3世なんかどうでもいいんやと
もう全人類の課題なんだから
2世とか3世とかじゃなくて
みんなで考えないとダメなんだっていうことをね
強調されてて
なんかそこでちょっと自分自身の
当事者意識にも火がついたし
なんかそれをもっとみんなで考えてもらうためには
じゃあ新聞でどうしていったらいいんだろうなって
なんかちょっと悩みが深まっちゃったところもあるんですけど
なんかそれこそね本当
報道部全体でも考えたい話ですし
なのでなんかその
広島で直接いろんなお話を聞いてこられて
安井さんにもなんかちょっとね
いろんな力をもらいながら
みんなでやっていけるといいのかなと
思ってますね
田代さんは何本書かれましたか
たぶん一番
いや新編は2本ですね
平方
児童文学作家の平方浩介さんと
偶像に棲む俳優の近藤正美さん
近藤正美さんとかどうでした
なかなかそういう切り口で取り上げることって
なかったかもしれないなと思うんですけど
終戦時3歳ってことで
戦時からの記憶が薄かったんですけど
中学3年の時以下ちょうど戦後11年で
その戦後10年ぐらいはすごく爪跡が残っていた
っていうお話をされて
そういうのを中学の文集で
戦後11年っていうタイトルで文集を私は書いて
だいたいこういう内容だったっていうお話が
多かったんですけど
原本はたぶん探せばあるって言って
ちょっと見つからず終わりだった
すごい残念なんで
また見つかれば後日だんでね
全文掲載とかまたしたいなと思うんですけど
本当ですね
10年ちょっとっていう時点で
どういうことを考えてみたかって
近藤さんがその年で考えていたこと
すごくまた気になりますよね
ただやっぱ戦時からの記憶っていうのは
3歳までしかないんで
ただ一人で疎開に出されたとかって言って
お母さんが一人で預けて危ないからって言って
ただそれが写真みたいに断片的な記憶で
ストーリーになってないかって思ってしまった
その言葉がもはやドラマのワンフレーズみたいな
確かに
そのままどっかで使えそうですもんね
そういう感じでサラッと言われたのが
すごい印象的だったんですけど
なんですね
39:01
そのシーンをすごい覚えてます
屋上まで行かれたんですか
行きました
暮らしぶりとかはいろんなメディアで
用じられたりもしてますけど
この節目で戦争というものについて
語っていただくっていうのはすごくいい機会でしたよね
あとなんだっけ
映画見たんですよ
テレビでラーゲリーより愛を込めて
私映画館でも見たんですけど
公開されてる時
またドラマでもう一回見てまた泣きましたけど
これねお二人に絶対見てほしい
いやね
私田代さんから事前にそのお話伺ってたんで
昨日見ました
見ました?泣けますよね
本当に
いやなんかこういう話なんだっていう
なんかシベリア旅行の苦労とか大変さ
あの枯れつさっていうところのストーリーで
なんとこ生き残るぞみたいな感じの話なのかな
と思って見てたんですよ
全然何の前知識もなかったんで
けどね割と早々にちょっと
組み行きが怪しくなって
どうまとめて組んだろうなこの話をって
思いながら見てたんですけど
そういう展開で語り継いでいくんだなっていうのがね
安井さん見てください
私もシベリア旅行された方の話
3,4人お聞きしたんですけど
やっぱ仲間がなくなって埋める場面とか
ありましたね
あとノルマを達成しないとご飯
飯に響くというところとか
っていうのは本当に体験者たちの方が
言ってたそのまんまなんですよ
なんか食事がやった作業量に応じて
違うみたいな話をされて
映画がどうだったかちょっとわからないですけど
その方からある人から聞いたのは
ノルマってロシア語なんですけど
そうなんですね
もともとは労働の基準量とかっていうものを
表す言葉だったんですけど
満足な食べ物がもらえない
作業しないとご飯がもらえないっていう中で
こなさなきゃいけない量っていう解釈に
日本に持ち帰られた時に変わっちゃって
シベリアに行った人たちが持ち帰った言葉らしいんですよ
それが本来の解釈とは違って
やんなきゃいけない仕事量みたいな風に
解釈が変わっちゃって日本で伝えられて
42:01
ネガティブな解釈に変わったっていうのを
シベリア行くりの方からお聞きしました
だからか
最近はノルマをあんまり耳にしなくなった
そうっすか
たまに聞くときにはやっぱり嫌な響きがある
昭和の時代の響きがありますけど
でも歴史を含んだ言葉だったんだっていうのを
私は聞きました
言葉なんですね
そういう話された人々も何人か亡くなってますし
2,3年前に聞いた時は元気だったっていうのも結構あるので
やっぱ時間との勝負ですよね
あの映画自体が公開から3年とか経ってるんだなって
びっくりしつつ見たんですけど
シベリア行くりのことを知り始めようとするきっかけには
すごくいい作品だなって思いましたね
犬の主張がちょっと強いなっていう
犬出てくるんですけど
そうなるのかなと思いました最後
最後ね、確かに
ちょっとたくましすぎるだろうみたいなシーンもあったりするんですけど
有名な俳優さんいっぱい出てるし
確かに
井上和成さん、増坂通さんってなるとどうしても美番を思い出しちゃうんですけど
同じDBSだしっていうね
いろんな有名な俳優さん出てますけど
この時期ってやっぱり
戦争関係の作品に触れたくなるっていう時期でもありますよね
裏切りはちなみに配信
サブスクとかでも見れたりするので
私、ユーネクストで見ましたけど
ぜひ
ぜひという感じで
私も広島行く前にこの世界の片隅にやってました
どっち?アニメ?実写?
アニメ
いいですよね
ちょうど中のエヴァ出身の
主人公が出身のエヴァのところの話が
岐阜にいる被爆2船の方の話の中で出て
見てみようと思ってみたら
原爆ドームのところの橋とかも出てきたりとかして
あれ実写もあったよね
実写なかったっけ?
気のせいかな
私アニメで見たな
どうだっけな、ちょっと思い出せないけど
私高山で見ましたよ
本当ですか
岐阜新聞映画部がまたあった頃ですね
上映会とトークショーセットでやってるっていう
ちょっと今ね、企画がなくなっちゃったんですけど
45:00
岐阜の高山で
のんさんがね、来られて
のんさんがね
そうそうそう
本当いろんな戦争に理解を深める
反戦に理解を深めるっていうね
平和論を深める
平和論を深める時期ではあると思うので
そうやって作品から入るっていうのもね
一つかもしれないですよね
ということで
いろいろ話してまいりましたけど
終戦80年
戦後80年はね、続いていきますので
また関連記事書かれた時とか
別にこの話題に限らず
ポッドキャストを毎週土曜日配信ですね
何らかの形で収録参加してもらえると嬉しいな
なんて思いながら
何が趣味とかあるんですか
映画とか
映画とか、別にこっち切る切る
切るけど
高山いる時から山登り始めたんですよ
そうじゃ
今年ヤリに行くんですよ
いい話題になったよ
ヤリ行くの?
ヤリ行くの?
すごい
初心者ルート
本当に一番覚えやすい
岐阜の方からも行けるんですけど
上小内の方からの一番
何日で来る?
頂上まで目指すんだよね
2泊3日で
気をつけてね
まだ怖いんですけど
とりあえず山小屋の予約をしちゃって
天気がいいといいね
すぐってことは?
8月の終わりです
すぐじゃん
今月中やん
9月のポッドキャスト決定
決定やんね
無事登ってくれたら
定山登山のコーナーにはできないけれども
ヤリすごいね
ヤリすごい
高いところはちょっと怖いので
友達と行くって?
同期に山登りする子がいまして
その子といつも
同期って?
営業の土元っていう
そうなんだ
その子に取材でホタカダケ山荘とか
行った時も一緒に登ってもらって
そうなんだ
その子はまた山登りしてたので
全然知らなかった
そうなんだ
ガイドとかつけずに
自力で行くってこと?
自力で
ヤリは私もその子も行ったことないので
こんな景色が見えるのかぜひ教えてほしい
いいな
絶対写真見せて
9月決定ですよね
48:00
鉄道さんと一緒に出てもらって
報道部だけじゃないですから僕ですよね
営業の方も何回か出たことあるので
どの辺で奸役になって
仲直りしたかも決めて
人間模様が面白いよね
頂上が近づくと仲直りする
そうそう
なんでなんでしょうね
奸役になりますよね
ありますね
また来月
よろしくお願いします
ありがとうございました
ここまでのお相手は
岐阜新聞社報道部の山田俊介と
安井舞子と
生活文化部の田代理香でした
48:58

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