アメニーのバンド結成と活動
木村咲希奈
この番組は、柴田市富塚にある敬和学園大学の大学生が、
木村咲希奈
大学に関わるイベントや人、柴田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、敬和学園大学の提供でお送りします。
木村咲希奈
皆さん、こんばんは。この番組は、敬和学園大学から大学のことや柴田、新潟のことを伝える30分番組です。
木村咲希奈
今日の振興は、国際文化学科3年の木村佐紀菜と、
金安優希
国際文化学科4年の金康幸です。どうぞよろしくお願いいたします。
今日は、敬和学園大学の卒業生のメンバーとして、在学中から活動されてきたバンド、アメニーのメンバーにおいでいただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。
木村咲希奈
ではまず、私木村から、アメニーのプロフィールをご紹介させていただきます。
木村咲希奈
アメニーは、敬和学園大学で慶音楽部に所属していた4人のメンバーで、2010年に結成。
現在も当時の4人のメンバーで、活動を休止することもなく活動を続けています。
大学卒業後は、全員社会人とバンドマンの2足のわらじで、精力的にライブを実施し、
木村咲希奈
現在はメンバーのライフスタイルに合わせたベースで活動していらっしゃいます。
木村咲希奈
歌者ギターロックをベースに宇宙や銀河、星などをコンセプトにした曲を制作。
木村咲希奈
これまで3作の音源を発表されていまして、2022年2月に、5年半ぶりの音源、そこじからEPをリリース。
メンバーの皆さんのプロフィールとしては、ボーカルとギターの高橋信之さん、ギターの佐藤大一さん、
木村咲希奈
ベースとコーラスの斉藤久志さん、ドラムの小林東真さん、
敬和学園大学に2009年に入学、2013年に卒業された皆さんで、ギターの佐藤さんが、
木村咲希奈
英語文化コミュニケーション学科、高橋さん、斉藤さん、小林さんは国際文化学科の卒業生ということになります。
敬和学園大学での思い出
木村咲希奈
大学中からの音楽活動については、この後伺うとして、そのほか、勉強のことや積み出しなど、
学生の思い出などがあったら教えていただけますか。
齋藤寿
ベースとコーラスさせていただきます斉藤です。
大学生のときには、ゼミは富川先生っていらっしゃると思うんですけど、富川先生のゼミで、
2年生からずっとお世話になっていて、思い出に残っていることといえば、
バンド活動もそうなんですけど、富川先生のゼミって精力的に加害活動とかもされてらっしゃると思うんですけど、
その中で、今やっているかどうかわからないですけど、朝市の活動とかされていて、神田先生って先生がいらっしゃったんですけど、
その先生と一緒に柴田市で昔やっていた朝市の復活じゃないんですけど、それを再現してやってみようというので、
そこに参加させていただいてたりとか、あとはゼミの時間に自由にみんなでコミュニケーションを取るために、
外出して、屋外で加害活動みたいなのはよくされてらっしゃったので、そのイメージが強いかなという印象ですね。
金安優希
ゼミ以外の勉強だといかがですか?
齋藤寿
ゼミ以外はですね、ちょっと自分は割とバイトメインだったので。
高橋信幸
途中から信じられないくらいバイトしてる。好き屋でずっと居なかったのかわからないけど。
齋藤寿
確かに。1年生の時は特待生制度って今もあると思うんですけど、それを目指して猛勉強してたんですけど、
多分上から2番目とか3番目にならないと特待生ってもらえないと思うんですけど、小学生は。
自分その当時10番とかで、こんなに頑張って10番になったらもう無理だなって思って、そこからも堕落の一歩でしたね。
佐藤泰一
早いな。
齋藤寿
でもすごく大学自体はめちゃくちゃいいなと思ってて、勉強を絶対しなきゃいけないんじゃなくて、割と浅く広くでもいいよって言ってくれて。
自分が興味あるところに力を注げばいいっていうのがすごい自分に合ってるなって思ったので、
俺は4年半かいましたけど、すごく充実した大学生活を送らせていただいたなと思います。
高橋信幸
ちゃんと留年してね。
齋藤寿
なんで4年半いました。
金安優希
ありがとうございます。大学のことを褒めていただいて、大学の方もたぶん喜んでいらっしゃるかと思います。
ゼミ活動と学生時代の思い出
金安優希
じゃあ次、佐藤さんお願いします。
佐藤泰一
皆さんこんにちは。アメリのギター佐藤大地です。
私は大学の時、在学中はバンド活動はもちろんなんですけど、
勉強ですと、当時いらっしゃった伊藤先生という、伊藤先生のゼミに所属しておりまして、
それで様々なことを勉強させていただいておりました。
勉強、学業以外のところだと、それこそバンド活動をするための資金作りとして、
アパレルでハンバーイン等をしながら、汗水垂らしながら、
お金を貯めてそれをバンドの活動に全て注ぎ込むなんていうような4年間を過ごしておりました。よろしくお願いします。
金安優希
ありがとうございます。じゃあ次、小林さんにお願いします。
小林泰眞
ドラムの小林です。
僕が学生ゼミをやっていたのは、当時は佐藤当る先生という先生のところで、
最初の1年生の時からゼミは佐藤先生のところだったんですけど、
特に4年生の時は高橋君とも一緒で、今は高橋君と言いましたけど、
普段は信って呼んでます。ラジオなんでちょっと高橋君と呼びましたけど。
4年生の時も信と一緒で、当時は自分で調べてきたことをレポートにして、
それを発表するようなゼミだったので、それぞれ5,6人ゼミ生がいたんですけど、
みんな違う題材を持ってきて、それを自分で調べて、当時は発表する場のようなゼミだったので、
一緒にみんなで外に出たりということはあまりなかったですかね。
どういう内容を発表されたかというのは?
当時は、僕は箸とスプーンの歴史みたいな感じで調べてましたね。
やってた。
高橋信幸
やってた。
小林泰眞
知らなかったわ。
金安優希
じゃあテーマは自由だったっていうことですかね。
小林泰眞
そうですね。何かこう、佐藤先生のゼミだからこれをしなきゃいけないみたいな感じではなくて、
国際文化だからこれっていうこともなく、基本的には自由な感じでやってましたかね。
木村咲希奈
それでは最後に高橋信之さんいかがですか。
高橋信幸
はい、ボーカロンの高橋信之です。
大学、僕はあんまり多分真面目な学生の方ではなかったので、
入学からずっと系音部に基本的にはいるびたって、
なんだ、キリスト教学ってなんか必修があるんですけど、それ取るのも4年ちゃんとかかったし。
系音部の立地が悪かったんですよね。立地が大学と離れてるんですよ。
離れてプレハブみたいな感じであるもんだから、
アメニバンドの結成経緯
高橋信幸
大学空いてるとか関係なかったんですよ。
だからびっくりするぐらいずっといて、
ずっとそこにいました。系音部、大変居心地が良くて、すごく好きでした。
ゼミはドラムの小林東真くん、東真って呼びます。
東真と同じで佐藤先生のゼミに入ってて、
何を研究するっていうのが決まってなくて、さっき東真も言ってたんですけど、
高橋信幸
何を研究しようかなって思った結果、手塚治虫さんが、
何分あまり真面目じゃなかったので、
高橋信幸
あんまり調べなくて、
wikipediaをコピーして貼り付けたらバレて、
こんなの、お前が考えに至るわけがないって言われて。
一瞬だったからね。
一瞬だったからね。
一瞬だったからね。
一瞬だったからね。
一瞬だったからね。
こんなの、お前が考えに至るわけがないって言われて。
一瞬だったからね。
早かったんだよね。バレちゃった。
小林泰眞
これって本当に調べたの?って言われて。
高橋信幸
調べてないですって言ってごめんなさいって言って。
その思いですかね。楽しかったです、大学。
金安優希
バンドのアメリンの方に戻っていきたいと思うんですけども、
結成が2010年とのことですので、
大学2年生の時ということになるかなと思うんですけども、
大学2年生の時にどういうふうに息統合して、
どういうふうにバンドを結成していったのかっていう、
その経緯をお聞きしたいかなと思うんですが。
高橋信幸
はい、じゃあ佐藤です。
佐藤泰一
これ私の方から。経緯でいくと、大学1年生の時ですかね。
当時、大学のイベントでクリスマス会というイベントがありまして、
軽音部の演奏の枠があったんですけれども、
その枠を使って、当時今集まっている4人と、
別の方とでコピーバンドを組んだことがありまして、
それがきっかけで今のアメニが始まっていったというところですね。
当時のメンバーでまたオリジナルの曲をやってみようというようなところが、
その後トントン拍子で進んで、結成に至ったというところです。
金安優希
結成した時は4人ではなかったんですかね。
佐藤泰一
元々4人です。クリスマス会の時のメンバーが、
ここにもプラス1人か2人、確か当時いたと思うんですけれども、
それはその時限りのバンドというふうに元々なっていたので、
それが終わった後にというところで、その時いたメンバーのこの4人で
バンドを組んでいったというようなところです。
金安優希
なるほど。ありがとうございます。
アメニバンドの曲「ガランド」について
齋藤寿
要は難しくて、4人だとコピーしきれなかったんですよね。
しきれなかったね。
小林泰眞
3人入ってもらって、ボーカルを女性の方にやっていただいたんです。
高橋信幸
あの時は楽しかったね。
小林泰眞
楽しかったです。
高橋信幸
じゃあボーカルは高橋さんではなかったんですか。
金安優希
じゃなかったです。むしろそのクリスマス会の当日に、
高橋信幸
ベースの斉藤久志くんがインフルになっていなくて、
僕もともとナイス予定だったんだっけ、ギター弾く予定だったんだけど、
前日にそれが分かって、その日から1日でベース練習して、
出た結果、わけわかんないベース弾くっていう。
そして、俺はドラムじゃなくてギターだったから。
小林泰眞
そうだわ。わけわかんないギター弾くって。
高橋信幸
わけわかんないイベントでした。
前日に変わったってことですか。
木村咲希奈
そうなんです。急遽。
急遽変わったんですか。
木村咲希奈
急遽変わったんですか。
高橋信幸
さすがに先輩3人手伝ってもらってたんで、
やらないできませんって言うのも嫌だったから、
前日だったんですけど急遽練習して、
ありえないぶつけをかまして、
結果わけわかんないベース弾くっていうハメになりましたね。
齋藤寿
ここの4人でコピー盤をお客さんの前で披露したことっていうのが、
たぶんないんですね。
高橋信幸
それだけだよね。
4人ではないもんね。
木村咲希奈
さて、ではここで1曲お届けします。
今日の曲はこちら。
雨にガランド。
こちらの曲については2022年2月リリースだそうですが、
アメニの皆さんからご紹介をお願いできればと思います。
高橋信幸
昨年の2月にリリースしましたそこじからEPからガランド。
佐藤泰一
これでいいですか。
齋藤寿
内容やな。
高橋信幸
歌詞のこととかさ。
齋藤寿
Kはキャンパスレポ。
佐藤泰一
ガランドは今のアメニのライブのセットリストの中でも外せない定番の曲となっておりまして、
ついついサビで手が上げたくなるようなアッパーチューンとなっておりますので、
ぜひ聴いてみてください。
木村咲希奈
ありがとうございます。
歌詞のポイントとかってありますか。
高橋信幸
アキがあそこなんかやってんじゃん。
歌詞のポイントなんですけど、
サビであるどうなってしまったっていいぜっていう歌詞が僕だなって思います。
どうなってしまっても大丈夫だと思います。
そういう曲です。
木村咲希奈
どうなってしまっても大丈夫という。
メッセージ性がありますかね。
高橋信幸
どうなんだろう。
生きていくことって何かを支払ったりかけたりすることの連続だと思うんですけど、
それが別にハズレでも当たりでもうまくいかないが別に良くないみたいな。
生きていくことが一番大事だと思うよっていう曲になっていると思います。
佐藤泰一
今のはいが面白かった。
木村咲希奈
それでは聴いてみましょう。
アメニ・ガランドー
金安優希
お届けした曲はアメニ・ガランドーでした。
今日のK-1キャンパスレポは、
K-1学園大学の卒業生をメンバーで結成され、
在学中から活動されてきたバンド、アメニのメンバーにおいでいただいてお話を伺っています。
K-1学園大学から生まれたバンド、アメニの皆さんが語るエピソード、引き続きお聞きください。
アメニバンドの名前の由来
金安優希
アメニというバンド名の由来をお聞きしたいんですけど。
佐藤泰一
それも私が喋りましょうか。僕ばっかり喋ってますが。
その名前の由来は、クリスマス会のイベントでのライブですね。
その時にやった曲っていうのが、アニメソングのコピーバンドだったんですね。
当時流行っていたアニメのオープニングテーマか何かを演奏しまして、
4人でバンドを始めた時に、最後までバンド名が決まらなくてですね。
どうしようかどうしようかという時に、一番最初がアニメソングのコピーバンドだったから、
アニメという言葉をちょっといろいろと順番を入れ替えて、アメニということでやっていこうという。
始めちゃったからずっとこの名前が続いてるという。
すごく雑な由来です。
金安優希
皆さんアニメが好きだったっていうことなんですかね。
齋藤寿
みんなで観賞会してましたよね。
佐藤泰一
してましたね。
当時は軽音楽をテーマにしたアニメとかが放送されたりとか、
他にも当時その人気だったアニメとかがいろいろありましたので、
そういうのを見て仲良くやってましたね。
仲良くやってましたね。
高橋信幸
アニメをいっぱい見てるのがちょっとかっこいいと思ってなかった?
あったかも。
そんな時代あった気がするんだけど。
齋藤寿
アニメがちょうど流行ってたんですね。
高橋信幸
とにかくいっぱい見たかったよね。
木村咲希奈
ちなみにどんなアニメをよく見るんですか?
佐藤泰一
今ですか?
木村咲希奈
当時で。
齋藤寿
当時はマクロスとか、ご存知であるかわからないですけど、
ガンダムみたいな機械系のロボットが変身したいみたいな。
そういうのとか、それこそさっき太一くんが言った軽音とか。
佐藤泰一
あと化け物語とか。
それこそ当時だとアニメの中でバンドをやるっていうのが流行ってた時もあったので、
鈴宮遥の憂鬱とか。
そういったのがやっぱりバンドの曲をアニメの中で演奏するっていうのが流行ってたので、
そういうのとかも見せたりしましたね。
小林泰眞
当時は一番アニソンがバンドサウンドな感じの方が多かった時代だったので、
そこからアニソンをカバーするとかコピーするっていうのが始まったっていう感じもあるんで、
そういう感じのアニメばっか見てた感じですかね。
曲作りと歌詞作りのプロセス
なるほど。ありがとうございます。
金安優希
最初はコピーバンドだったっていうことだったんですけども、
途中で曲を作るっていうこともされてたっていうふうにおっしゃってたんですけど、
その曲はどうやって作ってらっしゃるんですか。
はい。ボーカロンのたかしです。
高橋信幸
曲はどうやって作って、
作る方法っていうか、もともとある曲をバンドとして作る方法ってことですか。
金安優希
そうです。
高橋信幸
いろんなパターンはあったんですけど、
学生の頃とかはあんまりいろんな知識もなかったので、
ボイスレコーダーとか。
ボイスレコーダーとか。
今でも携帯とか。
弾き語りを録音して、
それをメンバーに渡して、
それぞれ自分のパートのアレンジを考えてきてもらって、
経話の、経音部の物質で合わせて、
ここ合わないねっていうところを一個一個修正していくみたいな感じで曲は作っていってもらった。
それは今はもうちょっとデジタルになってというか、
デモみたいなのをしっかり作って、
それがあった上で曲作りとかをしてたりしますけど、
基本的にはそれでずっとやってました。
金安優希
歌詞もたかしさんが考えられるんですか。
高橋信幸
そうですね。歌詞は自分が考えてますね。
金安優希
なんかこう、振ってくるっていう感じなんですか。
高橋信幸
いやー、どうなんですかね。
ずっと昔から歌詞を書いたりとか、
なんか、ポエムを書いたりとかみたいなのがやっぱり好きだったので、単純に。
その、小学校ぐらいからずっとそういうのは書いてて。
なので、ライフワークとして、
何かあった時に、
例えばツイッターに書く人がいたりとか、
そういうブログを書く人がいたりとかね、
もうすると思うんですけど、
自分の中のこのストレス発散とか、
自分の思ったことを、
出す機会っていうのが歌詞だったので。
なので、それもあってずっと、
歌詞は振ってくるとかっていうよりは、
割とずっと書いてるって感じですね。
常に頭の中にあるっていう。
金安優希
そんな感じです。
学内外でのバンド活動
木村咲希奈
それでは、在学中は勉強とバンド活動を両立されて、
敬和祭などの学内活動はもちろんのこと、
学外のライブハウスでも活発に活動されていたと聞きました。
どんな活動されていたのか、
教えていただけたらと思います。
木村咲希奈
ベースの斉藤です。
齋藤寿
学外での活動は、
多分ライブハウスでの活動がメインだったかなと思うんですけど、
ライブハウスのブッキングっていって、
いろんなバンドさんを声かけて、
一つのイベントを作ってくださったら、
ブッキングの方に声かけていただいて、
同性婚の方に声かけていただいて、
同世代のバンドとか、
同じ音楽のジャンルをやっている方たちと一緒に、
ライブハウスで30分程度シャックいただいて、
演奏というのが多かったんですけど、
その中で、さっき言った通り、
同世代の、他の敬和の学生さんとはまた別、
新潟大学だったりとか、医療福祉の学生さんとか、
そういった同世代の学生さんたちと一緒に活動させてもらって、
学内のイベントに呼んだりとか、
逆に向こうのイベントにお呼ばれしたりとか、
そういったようなのは当時あったかなと思いますね。
自分は特にバンド経由で仲良くなった方と、
飲み会したりとか、
インターンシップで行くところの先近くに、
知り合いのバンドの仲間の家があったので、
そこに下宿させてもらったりとか、
そういったようなイベントがあったりとか、
バンドしていたことで、
こういうのは広がったかなというのも思いますね。
活動拠点は主にどこでやられていたんですか?
基本は新潟市でしたね。
木村咲希奈
県外に出るということは学生のときはほぼなかったので、
齋藤寿
一回だけあったか。
仙台?
一回仙台で。
それこそ仲良くなったバンドに、
小林泰眞
みんな仙台出身だったかな、
齋藤寿
仙台方面で活動していたので、
一緒にやらないかと言われて、
仙台の方でライブさせていただいたというのがありました。
学生バンド結成から学園祭でのライブ演奏まで
齋藤寿
それは仙台出身の新潟にいるバンド仲間の方ってことですか?
そうですね。
木村咲希奈
仙台出身で、当時新潟大学に通っていた子たちがいて、
齋藤寿
学生バンドのところで、
仙台で地元でやるんだけど、
一緒にやらないかと言われて、
仙台の方でライブさせていただいたというのがありました。
学生バンドのところで仙台で地元でやるんだけど、
一緒にやらないかと言われて、
木村咲希奈
夜ね、怖い夜道を抜けて仙台に来て、
齋藤寿
で、酒盛りして、
当日はライブしてというのがすごい楽しい一日でしたね。
高橋信幸
めちゃめちゃ凍ってたよね。
齋藤寿
超ドマンで。
高橋信幸
山形抜けると血抜かと思った。
木村咲希奈
活動中の思い出などありますか?
高橋信幸
活動中の…
あの…
今も活動中なんですよ。
大学中の活動の思い出は、
やっぱり、ライブを割と新潟のライブハウスとかでやっていて、
それで、さっき言ったみたいに仙台行ってみたりとか、
そういうのもしたんですけど、
結局、学園祭が最強だったってところですよ。
齋藤寿
あー、確かに。
高橋信幸
めちゃめちゃ楽しかった、学園祭って。
学園祭って。
今はちょっと違うのかな。
ステージとか手作りで組み立ててたんですよ。
食堂あるでしょ?
食堂に木の板みたいなのをバーンと置いて、
端っこから光も出ないように段ボールとか張って、
ステージとかみんな前日から作ってたんですよ。
それの準備をやって、その後リハーサルやって、
じゃあ明日頑張ろうぜって言って、
その後お酒飲みに行って、どうしようもなくなって、
ボロボロの状態で当日文化祭でライブするみたいな。
金安優希
さて、エンディングです。
エピソードを中心にしたバンドのおしゃべり
金安優希
今日の敬和キャンパスレポは、
敬和学園大学の卒業生をメンバーに、
大学中から活動されてきたバンド、
アメリのメンバーにおいでいただいてお話を伺っています。
在学中のエピソードを中心にお届けしましたが、
放送時間が来てしまいました。
後半は次回お届けします。お楽しみに。
敬和キャンパスレポは、
木村咲希奈
ツイッター、ノート、インスタグラムなどで
番組情報などを発信しています。
番組名、敬和キャンパスレポで検索してみてください。
今日の敬和キャンパスレポ、終了の時間です。
みなさんお休みなさい。
敬和キャンパスレポは、
金安優希
実践するリベラルアーツ、
木村咲希奈
敬和学園大学の提供でお送りしました。