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2025-09-26 29:47

第110回「秋の香りにと共にやってくる、おフランスの競馬の成り立ちと凱旋門賞ができるまでを調べてみたシリウスSとスプリンターズS」

第110回「秋の香りにと共にやってくる、おフランスの競馬の成り立ちと凱旋門賞ができるまでを調べてみたシリウスSとスプリンターズS」

【歴史】フラン競馬の成り立ち / 日本で採用されているパリミチュエル方式はこの時できた / 【歴史】凱旋門賞ができるまで / 世界最高峰への道のり / シリウスS / スプリンターズS

について話しました

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番組の感想・SNS

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競馬けんぶんろく

『競馬けんぶんろく』は、競馬歴27年の ダルマー競馬場 が、競馬の小説や映画、歴史のことなど、いろんな角度からゆるく語る競馬トーク番組です。

競馬の楽しみ方、ゆるっと一緒に広げていきませんか?

📅 毎週金曜 夜7時 更新

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ダルマー競馬場

ダービースタリオン PS版をプレイしたことをきっかけに実際の競馬を見始め、毎週土日だけでは足りず、 お年玉を貯めて作った自作PCで国内外の競馬動画を見まくる生活を開始。同時期に血統へ関心を深め、 山野浩一 著『伝説の名馬』に出会ってからはサラブレッドと競馬の歴史を知りたくなり、古本屋や Amazonを徘徊しては競馬本を収集・読破。馬券を除いた “競馬学” をこよなく愛し、マイフェイバリットは山本一生。

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BGM : MusMus

サマリー

このエピソードでは、フランス競馬の成り立ちと凱旋門賞に至る経緯が探られています。ナポレオン一世やナポレオン三世の影響、ロンシャン競馬場の設立、国際的な競馬レースの発展が語られています。フランスの競馬の歴史を振り返り、凱旋門賞の創設過程やその国際的な地位の確立について詳しく探ります。また、競馬の発展に影響を与えた秋のロンシャンの重要性にも触れています。このエピソードでは、フランスの競馬の歴史や外戦紋章の重要性について語られ、特に秋のG1レースであるスプリンターズステークスの競走内容と過去のデータに基づいた展望が紹介されています。シリウスステークスについても触れられ、競馬ファンの興味を引く内容となっています。

フランス競馬の歴史の始まり
こんにちは、ダルマー競馬場です。
いやーもうようやく、ようやくなんかもう秋の香りがね、匂いがしてきた感じしますけどね。
なんかちょっと日陰はね、あの秋の感じするんですけど、日向に出ちゃうとまだね、あの太陽つよーみたいな感じ、あったりしますけどね。
まあもう毎年ね、やっぱりね、この感じが出てくると、そうですもう皆様、ご存知の通りもうおフランスのね、香りがね、もうプンプンとしてきますよね。
いえ、違います。違いますよ。
ビドフランスの近くに住んでてパンの香りがしてくるとかではないんですよ。
うん、ごめんなさいね。違うんですよ。違います。
いやーこの時期はね、さつまいもとかね、栗とかね、そう使ったパンがね、いっぱい出ててねーとかじゃないんです。
ねー美味しいですけども、パンね、あの私めっちゃ好きなんですけどね。
ビドフランスもすごい好きなんですけども、違うんですよ。
おフランスの香りがプンプンしてくるということは日本で言うと、電撃の六波論戦と共にやってくる日本競馬界の目標であり、世界最高峰のあのレースの話ですよということで、今週はですね、フランス競馬の成り立ちと外戦紋章ができるまでをですね、簡単ではあるんですけども、ご紹介していこうかなというふうに思っております。
ということで、この番組への感想質問などありましたら、メールフォームからご連絡いただくかコメントもお待ちしております。
そしてこの番組がいいなと思っていただけたら是非番組のフォローもよろしくお願いいたしますと。
ということでね、まずはフランスの競馬がね、どうやって始まっていったかっていう話なんですけども、そもそもフランスって、まあ元々ね狩猟とか馬術っていうのは盛んだったんですよ。
なので馬と共にある生活を歩んできている方々だったんですけども、競馬に関してはちょっと狡猾だったんですよね。
まあ比べ馬はあんまりしないみたいな感じ。馬を使ってとか馬と一緒に何かをするっていうのが主流だったみたいですね。
でイギリス式のああいう競馬が入ってくるっていうのが17世紀の話でございます。
18世紀になるとイギリスと一緒ですよね。貴族たちの間で、ここがちょっと違うんですけども駆けつきの競争が流行ってですね。
まあ服装とかあと蔵とか乗り方まで結構イギリス風イケてるじゃんみたいな感じのノリになってたっぽいんですよ。
でイギリスいいよねみたいになってるんで馬も長距離士もあと騎手もガンガンフランスにおフランスに入れて輸入してくるわけですよ。
で18世紀半ば頃にはもう毎年数千頭レベルでイギリスからフランスにね馬を輸入してたらしいんです。
で19世紀初頭になるとナポレオン一世あのボナパルトさん。ボナパルトさんがですね軍馬育成に競馬って使えるじゃんみたいな感じになって競馬を制度化するんですよ。
シャンドマルス競馬場っていうのを開いてナポレオングランプリっていうのを作ったりするんですけどもねこれがまあ盛り上がらない。盛り上がらなかったらしいんですよ。
全然知らんみたいな感じだったらしいです。
でちなみにこのシャンドマルスっていうのは今エッフェル塔が建っている公園として有名でございます。
でそこでグランプリっていう競馬をやるんですけどもナポレオン一世がベルギーのワーテルローで一回負けちゃうんですよね。
一回負けちゃうっていうか負けちゃうんですよ。
負けちゃってそこで中断競馬をね中断しちゃうんですけども
まあちょっとやっぱ競馬やりたいよねおほほーみたいな貴族の方々がいらっしゃるんでまた再開するんですけども
民衆にはやっぱりあんまりハマらなくて
まあオカミがやってるイベントみたいな感じだったんですよね。
農村はもう獣種を使って畑を耕してるし
まあもうね民衆の皆様は宿敵イギリスに学ぶなんてダセーよみたいな感じの空気があって
結構フランス国内でそのサラブレットの生産っていうのはねあんまり浸透しなくて
結局はそのイギリスからの輸入場頼みみたいな感じのところがあったらしいんですよね。
ジョッキークラブの設立と近代競馬の確立
なんですけども時代は進んでいって1830年代になるとこの流れがガラッと変わるんです
7月王政時代にイギリス人のシーモア教たちがフランス馬首改良奨励教会っていう
今のフランスギャロの前身を作ったりとか
あとはジョッキークラブドパリっていう機種協会を作って
本格的にイギリス流の楽しい競馬っていうのをやっていこうぜと言ってスタートさせていくんですよ
1836年にジョッキークラブショー、フランスダービーですよね
1843年にディアヌショー、フランスオークスができて
ようやく近代競馬っぽい形になってきたっていう感じになるんですよ
しかもこのフランスダービー、フランスオークスって出走できるのは
フランス三馬限定みたいな縛りまで作って
フランス国内での馬山を強化していこうぜっていう風になっていったのが1850年代なんですよね
で、そうやっていくんですけども
じゃあどこで馬を走らせます?みたいな感じになっていくんですよ
当時の競馬場事情って結構やばくて
さっき言ったシャンドマルスって競馬場として開いてるんですけども
競馬がナポレオン1世がワーテルローで倒れたことによって中断してるじゃないですか
この中断期に軍の演習場になってるんですよ
なんで晴れたらもう地面はカチカチだし
雨降ったらシャバダバダドロドロな感じになってて
もう強いて言うなれば何ができますか?みたいな
ちょっと馬は走れると思います?みたいな
雨上がり2日目だったらいけますよ?みたいな感じなんですけど
狭くない?みたいな感じになって
もうね8頭ぐらいしか走れないぐらいの広さだったんですって
で、別の競馬場もあるでしょっていう感じなんですけども
当時からあったのって
あとシャンティがあるんですけど
シャンティの場所、時間ある方Googleマップでちょっと調べてみてください
パリから遠いんですよ
車で1時間ぐらい北の方に行くんですけども
あーちょっと鉄道とかないし
人も来ないし馬運ぶの大変だしっていうので
フランス国内で強さを誇っていた馬主たちは
だったらイギリス遠征しちゃいます?みたいな感じになっていて
そっちの方が稼げるんで
じゃあイギリス行っちゃいます?みたいな感じで
自分の強い馬たちはどんどんイギリスで戦わせるようになっていくんですよ
なんですけどもそこに出てくるのがまたナポレオンなんです
1世が倒れた後3世でございます
ナポレオン3世とあともう一人
イフ兄弟のモルニー公爵
このモルニー君がめちゃくちゃやばいですよ
ナポレオン3世がちょっとパーリー郊外に
ロンドンのハイドパークっぽいのをちょっと作りたい
あの武漁流の森ってところあるじゃない?
あそこでちょっとなんかいい感じの森だから
公園ぽく整備したいのよねーって
水ならばっかりだけども他の木とか植えて
ちょっといい感じに人が集まれるところにしたい
都市の中にある公園みたいなイメージですよね
ちょっと違うんですけどセントラルパークとか
新宿漁園とかそういう感じだと思うんですけど
ちょっとそういう人が集まるところ公園ぽくしたいなっていうので
右腕のモルニー君出てくるんですよ
もうピーンと浮かんで
兄者兄者って言ってね
兄者いいこと思いついたって言って
競馬場作っちゃいません?って言って
それいいねってなるんですよね
で競馬場作っちゃうんですよ
この競馬場作っちゃうのが1857年
もうこれが大成功で
もうこの作った競馬場は
パリ市民の新しい遊び場になっていくんですよ
この競馬場1872年には
マネ画家で有名なマネがですね
国際競馬レースの登場
ブローニュの森の競馬場という作品を出しているんですけど
そこに描かれているのはたくさんの人が集まって
たくさんの馬が走っている様子であったりとか
この競馬場
ロンシャン競馬場って言うんですけども
ご存知ロンシャン競馬場でございます
ドガもですね
ロンシャンの競走場っていう作品を出していたりとかして
この時代の画家たちはみんなここ
パリの画家たちはここで馬と人を描いたりとかしてたんです
でこの競馬場はですね
なんでロンシャンって言うんだと
あれなんでですかねっていう感じなんですけど
これね建設された場所がもともとブローニュの森の
ロンシャン平原っていう場所にあったためらしいです
うん単純
単純ですねというところで
いやー競馬場もできたし人も集まったしね
いい感じよねって言ってるんですけども
さらにねモルに行く
野望が止まらないんですよね
もうねまたまた仕掛けていくんですよ
あれちょっとシャンティでフランスダービーやってるじゃないですか
ってナポレオ君に言って
そうだねって言って
ちょっとでもフランスが俺らが一番だって言いたくないって言って
ナポレオン君もそうだねって言って
じゃあどうするって言って
あれよって
海の向こうにいるでしょって
王国で強いやつら
The originがさって
フランスダービー場と英国ダービー場
戦わせたらめっちゃ熱くないって
あーそれいいなーっていう感じになって
パリ市から巨額のお金
鉄道会社から巨額のお金を引っ張ってきて
さらには工室から美術品まで引っ張ってきて
これ復唱につけますって言って
じゃあ距離は3000m
時期はね
やっぱりフランス一番って思いたいから
イギリスダービーの11日後で
みたいな感じでお前らめっちゃ寄り
みたいな感じで
1853年にパリ大商店っていうのを作るんですよ
これが世界初の本格的な
言ってしまえば国際レースみたいな感じになっていて
この第一回パリ大商店から
英靴対決が大盛り上がりしちゃうわけですよ
フランスはイギリスに対して
フランス競馬の起源
俺らが上だーみたいな感じになってるんで
絶対お前らなんか負けないからね
みたいな感じになってるんですよ
イギリスもイギリスで
行くからには負けられないっすね
みたいな感じでバッチバチやってたんですって
これが民衆みんな盛り上がっちゃって
うおー行くーみたいな感じになっていくんです
この頃すごい面白いのかっていうか
時期を同じくして
まあそれが盛り上がるきっかけだったんでしょうねっていうのが
この19世紀の末頃っていうのは
今のJRAとか公営ギャンブルの馬券とか
車券とか船券とかいろいろあるじゃないですか
あれの原型となったパリミチュエル方式
っていう方式が導入されて
このフランス競馬協会
フランス競馬協会じゃないんですけども
フランスギャロの前身の
さっきのあれですよ
フランシュバー
フランシュじゃない
フランスバッシュ改良奨励協会
ってところがもうね
馬券の売り上げで潤っていって
資金が安定してくるんですよ
あ、結構これいい感じに回せるようになってきたなっていうので
1893年に国際レースで
芝2400メートルもクラシックディスタンスで
がっちりやってやろうと
言って市議会長っていうのを作るんですけども
こっちはなかなかね人気が出なかったんですよ
あれ?みたいな
すごいいい感じで出したのにダメかって言って
あーどうしようかなね
モルニー?って言って
ちょっと全然盛り上がってないじゃん
あの2400メートルのレース
なんかいいのないの?って
言って
あーちょっと今考えてます
って言ってモルニー君
じゃあもう
秋の論者2400メートルでも
ガチで国際線を作りますって言って
もうこういう市議会長で
フランス馬が権威を示すような
レースなんかもうやりませんって
この市議会長ってね
すげーハンデがね
結構不当なハンデというか
フランスサンバが強いですっていうのを
アピールするためのハンデがかせられるような
そういう感じだったんですけども
そんなんじゃないと
もう定量戦で
もうガチンコ勝負で
世界から馬呼んで
フランスが一番強いっていうのを証明しましょう
って言って
あーモルニーそれいいねー
って感じになって作るんですよ
でもうね
作るんですけど
時期はもうね
第一次世界大戦にまったくなかったんですよ
あーん
ちょっと今じゃないかな
みたいな感じになるんですけども
その第一次世界大戦が終わって
フランス一応戦勝国なんですけども
ちょっと傷を負ったよねっていうので
復興のシンボル的な意味合いで
1920年に
外戦文書を作ったんです
これが後の
凱旋門賞の歴史
日本競馬の目標となっていく
レースの誕生になるんですけども
この1920年に始まった外戦文書
最初からもうね
ナンバーワン決定戦として
すげー格バコーン上がってたわけじゃなくて
第二次世界大戦より前の時代まで
1940年代ぐらいまでは
パリ大商店の方が格上扱いだったんですよ
っていうのを象徴するかのように
当時皇太子だった
昭和天皇がですね
1921年にフランスを訪れて
このフランスを訪れた時に
観戦されているのが
パリ大商店
ですし歴代のフランスの大統領たちも
外戦文書よりかは
パリ大商店に顔出して
民衆にやっほーってすることが多かったらしいんですよね
じゃあどうやってこの外戦文書が
ヨーロッパ最強化決定戦というイメージを
確立していったのかっていうと
これはもう第二次世界大戦後の
1949年なんです
ここからスタートなんですけども
この年にフランスの国営宝くじと
がっちり手を組んで
賞金をバコーンって増やしたんですよ
このことによって
世界最高額のレース
定量戦として
世界にブワッと広がっていくんですよ
なんならここで勝てば
世界ナンバーワンの称号プラス
ドカッと賞金が入ってくるぞ
というので
世界中から馬がね
集まるようになるんですよね
でこの後は時代進んでいくんですけども
1950年代にはリボーであったりとか
60年代にはシーバード
70年代まあ60年代か
60年代の後半
69年とかだったと思います
69年とか70年くらいにニジンスキーとかね
あと70年代に入ってくると
ミルリークとか
レジェント級の馬たちが
カチウマになお
吊られてるんですよ
もう当時から強くて
ヤバいあいつらヤバい
あいつはヤバいってなってる
馬たちが出走する
凱旋紋章って
ヨーロッパ最強馬決定戦だよね
っていうイメージが固まったのが
50年代から70年代にかけて
現代の競馬と凱旋門賞の位置づけ
なんです
70年代から80年代にかけては
さらに国際化が進んでいって
アラブ資本が
台頭していって
ダンシンググレーヴ
86年
日本からはシリウスシンボリが
遠征した年ですけども
86年伝説の
ダンシンググレーヴの
凱旋紋章を筆頭に
この頃っていうのは
アメリカも
ワシントンDCインターナショナルとか
あと日本でもジャパンカップができたり
とか
イタリアではミラの大商店だったり
とか
ドイツでは
バーデン大賞とか
ペルリン大賞とか色々ありましたけども
各国国際レースに注目
注力して
いたりしている時代で
この80年代
70年代とかっていうのは
国際レース化が進んでいってるんですけども
なんでこれが起こっていたか
っていうと
70年代後半に
インターナショナルクラフィケーション
っていう今でいう
ワールドベーストホースランキングみたいなのが
登場するんですよ
どの馬が強いんだろうねみたいなのを
各国見ていくんですけども
あれ?
ランキング上位の馬って
外戦紋章勝ってる馬じゃね?
みたいな感じになっていって
外戦紋章の格がどんどん
どんどん上がっていって
その象徴が
ダンシンググレーブなんですよ
歴代最高のレーティングを獲得したのが
外戦紋章
だったので
それで一気にドカンと
いくわけです
なんですけども格としては
80年代では外戦紋章ナンバーワンみたいになるんですけど
90年代以降
ドバイワールドカップ
だったりとか
香港国際競争とかが出てきて
もうね
一着賞金勝負なんですよ
どのレースが
一番賞金出せるかみたいな
もうそれの勝負の時代になってきます
もちろん外戦紋章も
漏れず
カタールの資本を
ゲットして
スポンサーにつけてね
賞金を増やしていって
ヨーロッパの最強場決定戦
っていうブランドを守りつつも
世界のレーシングカレンダーの中では
もう秋のロンシャン
イコール最高峰みたいな感じの
位置づけをね
キープし続けて現在に至るわけでございます
もうね
90年代2000年代
以降の
一着賞金勝負の
時代っていうのは
今でもそうだと思うんですけど
オーストラリアのね
フィロセンとかやっぱりねゴールデンイーグルとか
ジーエベレストとか
すげえ賞金ですし日本も賞金
バコバコ上がっていくし
もうちょっとあの
そういうスポンサードを受けられないような
ところっていうのは
どんどんどんどんちょっとやっぱりね
衰退していっちゃってるような
感じのところもあるぐらい
ちょっと外戦紋章
自体も
じゃあ世界ナンバーワン決定戦
なのかって言われると
結構競争場
細分化されすぎちゃって
じゃあそれが本当にそうなんですかって言われると
まあそうではないのかもしれないんですけども
まああの
一応
秋野論社っていうのは
この外戦紋章を筆頭に
まあ安倍譲ろう者っていう
あの
短距離戦もありますし
いろんなレース
金馬限定戦のレースもありますし
中距離のレースもありますし
いろいろとねレースをやっていく
この外戦紋章
フェスティバル
外戦紋章ミーティングがやっぱりね
今は秋の
ヨーロッパで一番熱いんじゃないかなという風に
思ってますね
こうして見ていくと
フランス競馬っていうのは
イギリスからも学びつつも
自分たちの色を
出していって世界の真ん中に
立とうとしたんですよ
もちろんこれはフランスの
柄っていうのもあるんですけども
こういう歴史の積み重ね
でもあるんですよね
なんですけどもその中での到達点
この積み重ねの中の到達点
っていうのが外戦紋章
で戦後は
ヨーロッパ最強馬決定戦としての
看板をがっちり掴みつつも
今ではもう世界中の
ホースマンたちが一度は取りたい
って思うほどの憧れの
舞台に成長したんですよ
で秋のロンシャンの2400m
フランス競馬の歴史
を制した馬っていうのは
もうただの名馬じゃなくて
歴代の勝ち馬に
肩を並べるわけですからね
もうねその
ただの名馬ではないです
伝説級の名馬として語り継がれていくんですよ
でもう歴史に
絶対名が残るんで
つまり外戦紋章に勝つ
っていうのはレース
そのものの勝ち以上に
その馬に物語を
昭和せる力を持った舞台
なんですよね
だからこそ世界中から
ロンシャンに注目が
集まるっていう感じなんです
これが毎年この時期に起こる
っていう感じなんですよね
あれ
ちょっと待ってください
カリロンシャン競馬場作って
外戦紋章まで作った
モルニ君の功績って
称えてないのやばくないですか
フランスギャロどうなってんの
っていう感じなんですけども
今はですね
ドービル競馬場で
2歳限定の芝1200mの
G1
モルニ賞としてその名前が
残っております
最近あんまり日本で有名な
馬っていうのは飼っていないんですけども
一昔前だと
一昔よりも二昔ぐらい前
なんですけども
ノノアルコとかブラッシンググルームとか
ブラッシングブルームとか
マキャベリアン
アラシとかザフォニックとか
ファスリエフとかヨハネスブルグとか
ダビスタ98、97世代
の方だったりすると
絶対聞いたことがあるような
馬たちばっかり飼ってる
レースとして名を残しておりました
ということでね
フランス競馬の話と
あと外戦紋章の話をね
軽くお話させていただきましたけども
日本で競馬がないから
スプリンターズステークスの展望
この話をしているわけでは
ございません
今週はですね
秋のG1開幕戦スプリンターズステイクスが
行われますよ
ということで
今週のJRAでございます
今週も
4回中山
4回阪神の2場開催
となっておりまして
土曜日に阪神競馬場で
G3シリウスステイクスが
行われ日曜日に
中山競馬場でG1
第59回スプリンターズステイクスが
行われますと
まずは
シリウスステイクスでございます
今年で29回目を迎えます
G3競争で
ございます
1997年に
創設されたハンデキャップ競争で
競争名のシリウスは
大犬座のアルファ星
地球から見える光星で
太陽を除けば
一番明るく光っている
あいつです
当初は12月に行われていた
1,400m
線だったんですけども
今はもうね
外線モーション前後に行われる
阪神の2,000m線として結構
定着しているのかなという感じですね
2025年は
ファンファーレの
生演奏が実施予定と
なっております
コースはですね4コーナーポケット
からちょろっと芝走って
すぐダートになるという
感じなんですけども
最後の直線が350mぐらいしかないので
600m手前から
ドーッとペースが早くなって
4コーナー前めにいるまで
決まりますみたいな
メタイなイメージ
めっちゃあるんですけどね
もちろん他の展開も
あるんですけどもそのイメージめっちゃあるんですよね
中山の2,000mと
同じような感じのイメージすごい
あって2列目
3列あたりで4コーナー回ってきて
おりゃーって言って
遡ってゴール
みたいな感じですねで3着4着
ぐらいに追い込みは来ます
感じの
4角まで2ゲーマー
粘っていただいて
集団に飲まれないように
がんばりますみたいな
そんなイメージのレース展開
ですけどねあんまり
その枠とか
は考慮しなくてもちろん
内枠がいいんでしょうけども
あんまり考慮しないで
展開そのメンバーを見て
展開を予想するのがいいんじゃないかな
という風に思っております
そして
スプリンターズステークスでございます
今年で59回目を
迎えますG1競争で
ございますね
1967年に
4歳以上現在の
3歳以上によるハンデキャップ重傷として
中山芝
1,200mで創設
当時は小葉が出走できる
唯一の短距離重傷で
ございました
1984年に
G3に格付けされて
1990年に
G1へ昇格し
年末の短距離を決定戦として
定着するんですけども
10年後2000年の
競争体系整備によって
秋の中山開催へ
移行し現在に至ると
ということでね
秋のG1開幕戦と
なっております
コースはご存知
中山競馬場の
芝1,200mでございますから
スタートしてすぐね
下りに入ってスピードがついて
そのまま4コーナー回って
坂でゴール
みたいな感じのね
流れではあるんですけども
あのねちょっとね
データ見てたらキシックも
3コーナー3番手
4コーナー2番手の馬が
勝ちを収めること4年
みんなそう
ここ過去4年
これだけ見ると
先行馬が有利な感じが
否めないんですけども
この4年より前
5年前はグランアレグリア
6年前はタワーオブロンドン
とね
差しもありました
こちらもねキシックも
どちらにも起乗していたのは
ということであれあれ
これは何かのサインなのかしら
と思いつつも
ここ4年間ね
一番人気が
勝っておりませんからね
あの党の皆さん
もしかしたらここ
狙い目かもしれないですよ
ということで今週も皆様に
あーごめんなさい
もう決めました
これもうこの
払い戻しで
改正文書完成
いってきました
いうぐらいの改新の的中があることを
お祈りしております
はーいということでね
今回も最後までご拝聴いただき
ありがとうございました
また次回の競馬見聞録で
お会いしましょう
さよなら
29:47

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