第112回「畳の上のウマ。京都競馬場の歴史とサウジアラビアRCとアイルランドTとスワンS」
お便り紹介 / 今日は京都の話をしよう / 【歴史】京都競馬場 / サウジアラビアRC / アイルランドT / スワンS
について話しました
------------------------
番組の感想・SNS
------------------------
競馬けんぶんろく
『競馬けんぶんろく』は、競馬歴27年の ダルマー競馬場 が、競馬の小説や映画、歴史のことなど、いろんな角度からゆるく語る競馬トーク番組です。
競馬の楽しみ方、ゆるっと一緒に広げていきませんか?
📅 毎週金曜 夜7時 更新
------------------------
ダルマー競馬場
ダービースタリオン PS版をプレイしたことをきっかけに実際の競馬を見始め、毎週土日だけでは足りず、 お年玉を貯めて作った自作PCで国内外の競馬動画を見まくる生活を開始。同時期に血統へ関心を深め、 山野浩一 著『伝説の名馬』に出会ってからはサラブレッドと競馬の歴史を知りたくなり、古本屋や Amazonを徘徊しては競馬本を収集・読破。馬券を除いた “競馬学” をこよなく愛し、マイフェイバリットは山本一生。
------------------------
BGM : MusMus
サマリー
このエピソードでは、京都競馬場の歴史や過去の競馬開催の経緯が詳しく解説されています。また、競馬場の発展や京都の地理的特徴、交通の便がどのように影響を与えたかが語られています。加えて、京都競馬場の歴史や仕組みについても説明され、サウジアラビアロイヤルカップやアイルランドトロフィーなどのレース情報が提供されています。特に、スワンステイクスについても詳しく解説されています。
コメント紹介と京都競馬場の紹介
こんにちは、ダルマー競馬場です。今日はですね、フォームからコメントいただきましたので、そちらのご紹介からさせていただきたいなというふうに思っております。
ラジオネーム、うまむすめひろこさん。ありがとうございます。ダルマー競馬場さん、はじめまして。
ゆうしゅんの話、とても面白かったです。声の聞き心地が良すぎて、毎週配信も楽しみにしています。
ところで、ダルマー競馬場さんは、オフ会とかしないんですか?生の声を、生で声、生の声でお話聞いてみたいです。ということで、ひろこさんありがとうございます。
おすすめの本はですね、ヤハギ先生の、「ウマを語り、ウマに学ぶ。」ということでね、私もこの本持ってるんですけど、まだね、読めてないんですよね。
なので、タイミングがあったら、ぜひご紹介させていただきたいなというふうに思っております。
オフ会ですよね。僕なんていうのはね、オフ会をやれるような人間でもないんでね。
ただ、将来的にはですね、何かイベントみたいなのをやれたら面白いなというふうに思ったりしますね。
読書会とか、リスナーさんおすすめの本を紹介する会とかね、あとは別に単純に飲み会とかしてもいいんですけど、そういうのができたらいいなというふうに思ってたりしますね。
ということで、この番組への感想・質問などありましたら、メールフォームからお連絡いただく、コメントもお待ちしております。
そして、この番組がいいなと思っていただけたら、ぜひ番組のフォローもよろしくお願いいたします。
ということで、こうやってコメントいただくのもめちゃくちゃ嬉しいんですよ。本当に皆様からのお言葉、お待ちしております。よろしくお願いいたします。
京都競馬場の歴史
さて、今日は何するんだいというところでございますけどもね、こうやってコメントもいただきましたし、おすすめの本もご紹介いただきましたので、
京都競馬場の話をしようかなというふうに思っております。
皆さん、大体タイトルを見て聞きに来ていただいているので、内容は大体なんとなく想像ついているとは思うんですけど、
つなげ方がむちゃくちゃっていうところをちょっと笑っていただけたら嬉しいなというふうに思っております。
というところで、今回はですね、競馬場の歴史シリーズ、京都競馬場編でございますということでございます。
京都競馬場がですね、今の淀にできたのって1925年になりますので、2025年でちょうど100周年を迎えている最中ということでございます。
もともと淀の場所にあったわけじゃなくて、最初はですね、明治時代1908年に京都競馬会ってところが島原競馬場っていうところで競馬を開催したのが京都の近代競馬の始まりと。
されております。この島原っていうのはあの都の真ん中に、真ん中っていうかまあ都にあったので、本当にその都市部で競馬が行われていたみたいな感じだったんですけどもね。残念ながらね、火災で消失しちゃったんですよ。
でその後の仮の競馬の開催地として、現在の京都安波町にある周知っていうところに競馬場移るんですけど、
あのこの周知競馬場はですね、結構山奥で市外から人も遠く、市外から遠くて人もね全く来ないですよ。
なんであの土地代安くていいなっていうふうに思ってここにしたんですけど、ちょっと競馬盛り上がんないですねみたいな感じになってきたんで、
いやじゃあもうちょっとなんか都心部に近くて、なんか人が集まるところで場所探そうかいうことで出てきたのが淀なんですよ。
でこの淀はですね、川と川の間で江戸時代から水運の拠点として栄えていた土地だったんですよね。
なんであの土地としてはね、人が集まったりとかっていう、もうそもそもそこに人いるよねみたいなところだったんですけど、それに加えて明治の末期から京阪電車が開通していて、
京都の市街地と大阪を結ぶちょうど間の場所にあったんですよね。交通の便がいいみたいな感じなんですよね。
でさらに、その与土の場所にはですね、もともと池があったんですけど、この池がですね、管沢が進んでいって、
要は池の水抜いて土地にしちゃおうぜみたいな感じのことが進んでいったんですよね。
なんですけど、やっぱりその水がもともとあって川にも挟まれてるっていうので、湿地帯でちょっと地盤が怪しいっすよね。
まあでも結構、整地して自由度が高いんで、この場所いいんじゃないすかね、みたいなところに、
当時の日本の国策としてバサンを強化したいっていう時代だったんですよ。
なので国の機関とか軍とか、あとはもう京都っていうのはもともと都でした。
貴族の方々が多くいらっしゃって、もう正式な競馬場として、都心から近くて、交通の便も良くて、広い土地で格式ある競馬をするならここでしょうということで、
1925年にこの淀の場所で京都競馬場が開場するんですよ。
なんでそんな気合い入れて今言ったのかっていうところでありますけど、ちょっとこんな話したんじゃねえかなみたいな感じですけどね。
なんですけども、さっき言った通りここ、もともと池だったところを観察してたんで、湿地で地盤が弱いんすよ。
なので京都競馬場を開場するにあたって、まあまあちょっと練習してみようやって言って馬走らせたりしたんですけど、あれちょっと馬の足沈むんすけどこれってやばくないすか?みたいな感じになっちゃったんですよ。
これはちょっと競馬開催難くね?みたいな感じになっちゃったんですよね。
これやばいねやばいねみたいな感じになって当時の人たちはどうしたかっていうと、
そうだ、これ畳敷いちゃえばいいんじゃないすか?みたいな。
えー!みたいな。畳すかー!みたいな。
もちろん畳を敷いてその上を直接馬が走って競馬するってわけじゃなくて、畳を敷いてその上に砂を敷いてそこで競馬をしようっていうことなんですけど、
当時からやっぱりね結構画期的な発想だったらしく、もうこの畳の上で競馬をやったっていうこの記録は永久に残さなくてはいけない。もう多分恐らく出てこないと。
もうこれは京都競馬場として何年も紡いでいくものだと言うので、繋いでいくものだと。
いうことで、畳の上で競馬やりました京都競馬場ですっていう記録が残ってるらしいです。畳の上の馬ですからね。
なんかスタジオジブリとかに映画にしてもらってもいいかもしれないですね。
藤岡藤巻と大橋臨さんに主題に歌っていただいてね。
馬、馬、馬、お馬の子、サラブレットって馬の子なんですけどね、というところでございまして。話は戻って、京都競馬場なんですけども、そうやってね開場して1925年に開場した京都競馬場ですけども、そこから幾度となく姿を変えていくんですよ。
競馬場の進化とリニューアル
1930年代にはですね、今でも残るあの淀の坂でございますよ。3コーナーの上りで頂点に達して下っていくっていうあの坂ですよね。
そことあとババとスタンドを一新するわけでございます。でこの時のスタンド、あの写真で見たんですけど、あのね、今全然おかしくないぐらいの規模ですね。
なんかあの4万人規模ぐらいのスタンドだったらしいんですけど、めちゃくちゃ大きくてめっちゃかっこいい。
あの、ただこのスタンドもですね、ずっとやっぱ残ってたわけじゃなくて、戦争がね、やっぱこの時代出てきちゃうんで、戦争で1回このスタンド取り壊されちゃうんですけど、今あっても全然おかしくないぐらい。
あのスタンドだったんで、もし機会があったらぜひご覧になっていただきたいんですけども、まあこうやって戦争中にやっぱり競馬も1回止まっちゃって、スタンドも1回取り壊されちゃってって言うんですけども、戦後に復活して京都で競馬を行われていくわけでございます。
時代は進んでいって1970年代にはダートコースを整備して、1980年代になるとあのグランドスワンが完成するんですよね。
スタンドなんですけども、なんでスワンっていう名前なんですかというところでございますけども、さっき言った通り池がもともとあった場所、大倉池って言うんですけども、この池がもともとあった場所に競馬場を作っていて、そのレガシーを残していくみたいな感じですよね。
この池にはですね、白鳥であったりとか、いろんな鳥が多く集まる場所だったらしいんですよね。
もちろん川も両サイドにはあるので、水の流れと白鳥の羽ばたきをイメージして、スタンドも結構曲線的に作ったデザインされたらしいですね。
このスワンっていう白鳥ですけども、京都らしい優雅さっていうのも表現されていて、ちょうどいいじゃないかっていうところで、この京都イコールスワンみたいなの、白鳥みたいなのが出てくるんですよ、この時代からね。
1990年代にはビッグスワンができて、これもスタンドですね。どんどんどんどんG1で人が増えていっても、どんどんどんどん収容できるようになってたんですよ。
なんですけども、時代はやっぱりね、進むにつれて老朽化も進んでいくわけでございます。
2020年代にはですね、もう全面回収を行うわけでございますよ。
確かに90年代に作って2020年代だったらもう30年経ってるわけですからね。これはね、ちょっとひと手間加えなきゃいけないだろうということで、全面回収をするわけでございますけども、
まあちょうどね、コロナ禍ってこともあって、スタンドもすべて閉じて、コースであったり旧車であったりとか、芝とかも全部張り替えて、でも全部作り直しました。
というので3年かかってようやく2023年の春にリニューアルオープンということで、やっぱりこのスタンドをどんどんと作っていくとね、人の流れ、パドックとコースとかと、
動線も結構ぐちゃぐちゃだったらしくて、そことかも全部直したらしいですね。
この動線で一番意識されたであろうところはですね、この駅からの動線。もうね、スタンドと駅が繋がってるんですよ。そのまんま行ける競馬場。
バリアフリーって言っちゃあれですけども、町から競馬へっていうので、結構そういうコンセプトも多分あったんじゃないかなというふうに思うんですけども。
関東の人はですね、普通競馬、正門前からそのまんまスタンドに入るような橋渡り、そのイメージですね。あれがもう改札出てすぐスタンドみたいな感じのイメージですね。
もうね、このね、近代的な作りがね、やっぱりまさにセンティニアルパークっていう感じですね。まさになのかどうかわかんないですけど、いろいろWikipedia見ていくと、
その当時どうやってこうやってリニューアルするときにテーマであったりコンセプトを敷いたのかっていうのを見れたりするんで、気になる方はご覧になっていただけたらと思っております。
センティニアルパーク、京都競馬場でございます。本当にね、ただね、このセンティニアルパーク言いたいだけなんですよ。
まじでこれね、広まってくんねえかなって勝手に思ってるんですけどね。
まあ、ちょっと簡単ではあるんですけど、今日はね、こうやって京都競馬場の歴史をね、なんで淀になったのかっていうところから、現在に至るまでをちょっと軽くね、お話しさせていただいたんですけど、
京都のその今の場所に行き着いたのっていうのは偶然じゃなくて、やっぱりね、必然的にその鉄道が通っていたりとか、あとは大きい場所があったりとか、
京都競馬場の歴史
いろんなことが重なって今の場所に行き着いたんですけども、水の土地に立って何度も壊して何度も作って、それでもやっぱり京都競馬場っていうのはやっぱり坂と下りとっていうのがあるよねっていうこれを守り続けてきたわけでございますよ。
これからの100年ですね、時代に合わせながら京都競馬場は多分ちゃんとね、京都競馬場であり続けるんじゃないかなというふうに思っておりますね。でもね、単純にさ、100年その場所にあるってすごいっすよ。
すごいなーって普通に思いますけどね。古い日本家屋をリノベーションして今でも住んでますみたいな。地区200年で300年ですみたいなところはやっぱりありますけども、家とかでもね。でも普通に100年そこの場所にあるって結構ですよね。
まあ京都は俺の庭とかってね、レジェンドみたいに言ってみたいっすけどね。庭感出るっすよね。よく行く競馬場ってね。なんかあの公園っぽいじゃないですかやっぱり作りが。なんでああはいはいここにいるんだったらあっち回った方が近いなとかいろいろ考えられるじゃないですか。ちょっと喉渇いてきたなとかあそこ行こうとかちょっとお腹空いてきたらあそこ行こうみたいな。
ちょっと庭感出てくるんですけど、まあやっぱね、京都まだねちょっと私行けてないのでね、これセンティニアルパーク行ってみたいなという感じしてますけどね。というところで、まあそんなね庭にはしなくても競馬はもちろんございますのでね、あの新しい競馬場で新しい風をね、に当たるっていうのもいいんじゃないかと思っております。今週のJRAでございます。
今日はね、話と話のつなげ方がね、無理やりっていうところをね、フォーカスしていただければなというふうに思っております。で今週はですね、2場で3日間開催でございますね。4回東京、3回京都の3日間開催。同日月の開催でございますね。
土曜日に東京競馬場でG3、サウジアラビアロイヤルカップが行われて、日曜日に東京競馬場でG2アイルランドトロフィーが行われます。そして月曜日には京都競馬場でG2スワンステイクスが行われますということでね、まずはサウジアラビアロイヤルカップでございます。
今年で11回目を迎えます2歳限定のG3競争でございます。2歳のマイルセンのさらなる拡充とローテーションの整備の観点から2014年に一応ステイクスとして創設されております。
2015年に日本とサウジアラビア王国の外交関係60周年を記念してサウジアラビアロイヤルカップに名称変更されて、2016年にG3となって現在に至るということでございまして。
ご存知の方もいると思うんですけど、この前身というか最初に創設されたイチョーステイクスっていう名前はですね、前身ではないんですけども、もともと1984年に創設された2歳限定のオープンステイクスでイチョーステイクスっていうのがあったんですよ。
これが重症に格上げされたのをきっかけに第1回として続いていってるっていう感じでございます。一応前身としてないわけではないですけどね、というところで回数は引き継いでないですよということでございます。
コースは東京競馬場柴、1600mでございますからね。もう春に散々G1やりましたからね、あのイメージでいいんじゃないかなというふうに思ってはいるんですけども、投数少なめでね、ある程度スローペースになるなっていうところぐらいまではわかると思うんですけど、やっぱり2歳限定戦なんだね。
その辺加味しちゃうと、スタートポンと出れる優等生で瞬発力あります的な馬を狙っていくのがいいかなというふうに思っておりますね。なんかあのきゅーっと4コーナーで対立がもうほぼ一段となって、じゃあそこから誰かっていう感じになってくると思いますね。
そしてアイルランドトロフィーでございます。今まではですね、アイルランドトロフィー、不中品バステイクスとして開催されておりましたが、不中品バステイクスという名前のレースですね、春の開催に移行しております。
今までの競争条件を引き継いで、アイルランドトロフィーとして2025年にスタートするというのが今回のレース、本競争ですけれども、もともとやってたアイルランドトロフィー、不中品バステイクスっていうところから回数は引き継がないで、今回が第一回感じですね。
こちらはですね、東京競馬場、芝1800メートルになりますので、先週も毎日王冠やっておりましたけれども、そのコースでございますね。こちらも上がり勝負にはなるんですけれども、逆にこっちは等数多めなんで、ちゃんと展開考えて、どういう対立から要異論になるのかっていうのを考えたいなというふうに思っておりますね。
そしてスワンステイクスでございます。今年で68回目を迎えますG2競争でございます。さっきも言った通り京都競馬場といえばスタンド名にもなっております、このスワンの名前を付けられた本競争でございます。
1958年に芝の1800メートル線として創設されて、1972年に外回りの1600メートルに短縮。1984年に今の時期に開催時期が移行し、外回り1400メートルに変更されて現在に至ると。
ということで、一着場にはマイルチャンピオンシップへの優先出走権が与えられますよというところでございます。コースはですね、もう京都の芝1400メートル線はこうですっていうのはなくて、メンバーによって全然変わってくるなっていう印象ですからね。
消耗戦になりすぎて後ろからぶっこ抜かれてるっていうレースもありますし逆に逃げ切りもあったりするし、後位の抜け出しがあってそのまま押し切ったりとか、またね差し切りが決まったりとかっていうのもあったりするんで、あんまり人気とか関係ないのかなっていう感じしますよね。その場その展開に一番合う馬が勝つのかなっていう感じしますよね。
まあ、あんまりやっぱり一番人気勝ったりはしてないので、アラトラの皆さん、えらい目かもしれないっすっていうところでね。
はい、ということで、今週も皆様に、いやーフローリングってね、なんか落ち着かなくてさ、もう競馬見る部屋はね、畳引いちゃったよねっていうぐらいの会心の的中があることをお祈りして。
はい、ということで、今回も最後までご拝聴いただきありがとうございます。また次回の競馬見聞録でお会いしましょう。さよなら。
21:31
コメント
スクロール