親と子どもの言葉の影響
みなさん、おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。
コドモノコト声日記、今日は言葉についてお話ししたいと思います。
この1週間の中で、私の中で刺さる言葉が2つあったので、それをお話しておきたいなと思いました。
1つ目は、私が月に一度行っている語りのお勉強会で、一緒になった大先輩の方の言葉です。
もう80歳も過ぎていて、ちょうど私がお嫁さんよりも若いぐらい、とおっしゃっていました。
その方と今年、お勉強会の帰りに一緒に車に乗ることが多くて、その車の中でいろんなお話をさせていただいたんですけれども、
ひとまず、一緒に帰るのはこれが最後だねっていう車の中での会話で、子育てについてお話をしていたときでした。
で、たとえ親でも子供に対して言っちゃいけない言葉ってあるんだよって教えてくれました。
私はいつも自分で判断することって難しいなって思っていて、今が大事な時ですよとか、この決断重要ですよっていうのをはっきり教えてもらったら、
私ももうちょっと慎重に判断できたのに、みたいなことってよくあるなって思うんですね。
それっていうのはどういうことかっていうと、後々考えたら、あの時の判断が間違ってたかもしれないみたいなことって時々あると思うんですけど、
その時は本当に日常の中で些細な出来事として自分の目の前で起こることが多いなって思うんですね。
で、いつもと同じだろうって思ったのに違ったとか、もうなんなら気がつかないほど些細なことだったかもしれない、知れないような時でも、
後々になって、あの時こうしとけばよかったなって思うことって時々あると思います。
で、そういうような時も、なるべくことが大きくならないように、自分の中の基準をはっきりさせておくっていうのは、私一つ大事なことなんじゃないかなって思っていて、
例えばこっから先は踏み込まないようにするとか、この言葉は言わないようにするとか、ここだけは大事にするとか、約束だけは守るとか、何でもいいんですけど、
何か自分の中で基準みたいなのを決めておくと判断しやすいことってあるのかなって思います。
で、例えばそれが友達といる時とか興奮しちゃった時とか楽しくなりすぎちゃった時に、まあいいかって思った時によからのことになったりするので、自分の中でどんな時でも絶対に5時までには帰るようにしようとか、
何でもいいんですけど、ここだけはっていうものを自分の中で決めておくのって大事なんじゃないかなって思ってるんですっていう話をしました。
で、それを娘にも何かの時に話すことがあるんですよみたいな話をした時に、たとえ親でもね、子どもに言っちゃいけない言葉ってあるんだよっていう言葉を返してくれました。
で、その方が自分が子育てをしていた時のエピソードも一緒に話してくださったんですけど、
たとえそんなつもりじゃなくても勢いで出てしまった言葉があったとしたら、
言った親の方はそんなつもりじゃないんだけどっていう気持ちがあっても、その気持ちっていうのは子どもには伝わっていないので、子どもは間に受けてしまうっていうことだったんですね。
で、本当にその通りだなって思って、私もだんだん娘たちが大きくなってくると、小さい頃はすごく気をつけて言葉も話していたのに、ずいぶん雑になってきているなっていうのに気がつきました。
で、それっていうのは娘がどこかで自分で判断して上手に解釈してくれるだろうとか、冗談ってわかってるかなとか、なんか横着になっているところがあるんじゃないかなって気づかされたんですね。
なので、初心はするべからずじゃないですけど、やっぱり言葉っていうのは大人でも子どもでも関係なく一人の人間として話す、伝えるってなった時に、子どもは我が子だからいいやってはあんまり私は思いたくないなっていつも思って気をつけて話をするようにしてるんですけど、
もう一回立ち止まって、今の私の言葉ってどうなのかなって考える機会を与えてもらったなって思いました。
なので、ついついもう何年間も一緒にいると、毎日の生活って同じようなリズムで流れていくし、性格もそんなにがらっても変わるわけじゃないんですけれども、
大人の私は変わらなくとも、子どもたちは成長過程にあるので、何かのきっかけでがらっと変わることってあると思うんですよね。
なので、昨日の娘は大丈夫だったけど、今日の娘は違うみたいな時っていうのもあり得るなって思うと、やっぱりいつもいつも相手の立場を考えて話すって大事だなっていうふうに思いました。
それが一つ目。
ブックトークと自然の重要性
二つ目は、ソイハウスというところで、貸本棚があって、私はそこで一つ棚を借りてブックオーナーをしています。
そこの責任者の方がブックトークをやってくださるっていうことで、そのブックトークの題材に私の棚の中の一冊を選んでくださいました。
なので、私が選んだ本について皆さんどんなお話をしてくれるのかなと思って、私も参加してみたんですけれども、
私が受入とか、まだ娘が小さい頃にあんまり自由に出かけられなくて、ずっと家で過ごすことが多い時、自分を取り戻すために好きな本を読んだ時期がありました。
受入をしながら読んだり、お昼寝をしている間に読んだり、その中の一冊で、とにかくおいしいコーヒーが飲みたいっていう本があって、主婦と生活者さんから出している本です。
書いているのは中川ワニさんと中川京子さんというご夫婦が書いてくださっているんですけど、一時コーヒーにハマった時期がありまして、おいしいコーヒーを入れたいなって思った時に出会った一冊でした。
今日のブックトークの中で、とにかくほにゃららっていうのを話している時に、私はとにかく美しい自然とかものを見たいっていう話をしました。
疲れている時とか落ち込んでいる時とかも、割と綺麗な花を見たり、綺麗な景色を思い出したりすると、心が穏やかになるのを感じます。
なので、おいしいものを食べたり、友達と会ったりっていうのもいいんですけど、友達とは予定が合わないと会えないし、おいしいものも食べ終わっちゃったら終わっちゃうしっていうことなんだけれども、自然はお金もかかんないし、お散歩の時に自分で見つけて幸せな気持ちになれるのでいいなって。
逆にそれがあれば私、心をフラットな状態にできるなっていうのを思うので、それをお話ししたら、言葉と同じですねっていうことをおっしゃってくださいました。
どういうことですかって言ったら、自然もアンテナが立っている人にしか目に入らないと。同じ道を歩いていても、例えばタンポポが咲いてても何も目に入らない人もいるけど、やっぱりそうやってキャッチしたいなって思っていれば、綺麗だなって気がつくことができる。
言葉もアンテナが立っている人というか、求める人のところにその言葉が入っていくっていうのを教えてくれました。なるほどその通りだなと思って、今日話をしようかなと思いました。
コミュニケーションの難しさ
常々私が思うのは、同じ景色を見ていても、みんな同じものを見ているとは限らないんですね。同じ場所に行っても、それぞれ違うものを見て違うことを感じて、違う思い出を作って帰ってくると思っています。
同じ会話をしていても、後で振り返った時に覚えていることって全然違ったりするんですよね。なのに私たちはみんな同じことを覚えていると思い込んでいるから、時にうまくコミュニケーションが取れなかったり、噛み合わなかったり、また思い違いですれ違ったりしてしまうのかなっていうことがあります。
なので思い込みをなるべくなくして、相手に伝わりやすく伝える。で、相手が言っていることでわからない時は、こういうところがわからないんだけどねっていうことを伝えて、なるべくその食い違いみたいなことをなくしていけたらいいなって思います。
見ている景色もなるべく美しいものをキャッチして、自分の感覚を鈍らせないようにしていきたいなと思いますし、言葉も雑に扱わずに丁寧に相手に届けることができるようにいつも心がけていきたいなと思いました。
子育てをしているお母さんの心が少しでも軽くなりますように、という願いを込めて発信していきますので、お時間あるときにぜひ聞いてみてください。ではまた。