新学期の始まりとテーマの導入
七転び八起きのママLife。この番組では感情の揺らぎが多い2人の子育て中ママ、Yuunoが日々七転び八起きしながら得た子育ての学びや気づきをシェアしています。
おはようございます。今日から子供が新学期ということで、小学校の娘、あの小学生の娘は今日登校しました。
めっちゃ嬉しいです。もうすぐ帰ってくるんですよ。言ってる間にすぐ帰ってくるんですけど、
またね、新しい学校、新しい学校じゃない、新しいスタートがね、なったなーと思ってね。
そうそう、4月やなーってすごく実感した、今朝なんですけれども。
今日はね、そんなことで、火曜日ですね。おかんのリアルとマインドの回をお届けする曜日となっております。
はい、テーマは、言葉は単なるコミュニケーションじゃないっていうテーマでお届けしたいなと思います。
おかんのリアルとマインドっていうことで、別に特に学び、気づき、こんなんやでみたいなとか、こんなステップでとかは特に今日はないんですけど、
つらつらと自分の日々考えていることをお話し今日はできたらなと思っています。
今日なんでこのテーマ、言葉は単なるコミュニケーションじゃないっていうテーマにしたかと言いますと、
ママ友がですね、LINEでね、メッセージをくれたんですよね。
言葉といえば、ゆうなさんが浮かんだよっていうことで、NHK番組の私の日々が言葉になるまでという番組をね、バーンと送ってきてくれたんですよね。
で、過去の放送会見ようと思ったら、アプリで登録して見ないといけないようで、ちょっとまだ見れてはないんですけど、冒頭のね、どんな番組かなっていう紹介をね、
ちょっと1分ぐらいのやつを見たんですよね。
なんかその日々ね、これってどういう感情で、どんな言葉に当てはめれるかなみたいなのを探していくってすごい大変ですよねみたいな感じのものだったんですよね。
でも言葉にしていくって大事みたいなんで、言葉の、言葉が大好きな人たち、言葉をなりわいにしている方たちなんかが集ってですね、
ゆっくりとその感情や日々感じていることについて言語化していくという番組みたいなんですよね。
それでね、私をイメージしていただけるってこんな光栄なことありますでしょうか。
めっちゃ嬉しかったです。
これたまに聞いてくれてるって言ってたから、もし聞いてくれたら、めっちゃ嬉しかったって伝えたいです。
これを通して伝えたいなというぐらい言葉でね、私をイメージしていただけるっていう。
しかもそれをね、またそういうふうに思ったよって言って、この番組があったよっていちいちね、メッセージをくれる。
この過程を踏んでくれたことがめちゃくちゃ嬉しかったです、本当に。
そんなことでね、このテーマを撮りたいなと、すごく心が動かされたのでね、今撮っているんですけれども。
で、言葉ってね、なんなんやろうなってすごい考えたんですよ。
これがきっかけで。
で、単なるコミュニケーション手段だと思っている時期もありました、私自身ね。
やっぱり仕事をするにしても、何かね、こうしてほしいなって伝える時も、言葉ってものすごく手段として役に立つじゃないですか。
こちらの考えを言葉にすれば、相手もはいはいと、同じ日本人であれば日本語でね、伝わるので。
文字にしても伝わりますし、口頭でも伝わる。
言葉って本当にすごい便利というか、素敵な手段だなと思っているんですよね、コミュニケーションに関して。
でもね、なんか普段からベラベラとしゃべるということはしてるんですよね。
で、使ってはいるんですけど、使いこなせているのかというと疑問だなと、自分自身にすごく思ったんですよね。
で、特に自分との距離が近い人に関しては、この言葉という手段を使ってコミュニケーションを取るのをちょいちょいはしょるところあるような私と思ったんです。
どういうことかと言いますと、やっぱり心の距離が近いっていうことでね、もう分かってくれてるよなみたいなのが前提に持ってたりとか、こちらがね。
で、表情や雰囲気で読み取ってほしいなみたいな、みたいなのがあったりするんですよ。
すごい自己中で申し訳ないんですけど。
そうそう、だから夫だったり子供たちですね。
自分の両親だったりとか、本当に心の距離が近い親友だったりとかは、なんていうんですか、言葉を介さず空気で出しちゃったりとかするんですよ。
言えよっていう話なんですけど、言わずになんかこうイライラしたりとかね、家でちょいちょいあるんですけどね。
夕方特にこれ出してますよね、イライラしてる、話しかけんなよみたいな、無言の圧みたいな。
そう、やっちゃってるんですよ。
言葉って大事だなって思ってるし、大好きなんですね、私も。
だけど、使ってはいるものの使いこなせているのかというと、当てないなと思ったんですよね。
そうなんですよ。でね、逆にね、こちらも言葉を端折って勝手に受け取る時もあるなということにも気づいたんですよね。
例えば、子供が不機嫌とか、夫がちょっとイライラしてっぽいな、みたいな感じの時ってあるじゃないですか。
空気感がちょっとピリッとというか、何か感じる部分がある時とか。
でもね、それって何が原因でイライラしてるのか、もしくはイライラじゃないかもしれないんですよね。
ピリピリとイライラとこちらが感じているかもしれないけど、実は不安から来ているものだったりで、ピリピリじゃなくて、なんかもうオドオドしてるんやで、みたいな感じかもしれないのに、勝手にピリピリイライラと受け取って、距離を置かれてしまうと、
言葉にすることの難しさ
話しにくいですよね、向こうも。で、こちらもそうやと思い込んでるもんですから、話しかけないですし、言葉が生まれないんですよね、間には。
だからできるだけそういう空気感の時って、いちいちズカズカとね、どうしたんどうしたんとは聞きに行かないですけれども、話しやすい雰囲気、何かがあったんだろうなって、距離を保ちつつも言いやすいような空気感とか、適度にちょいちょい会話を挟むとかね、こちらもしたりして、どういう感じなんやろって確認するというか、はとっているんですよね、私も。
そうそう、向こうが思っていることはこちら感じ取ったままがあっているとは限らない、100%正解じゃないなっていうことをね、思ったんですよね。
だからそういう時にも言葉って本当に自分たちの思いとか考えとか、抽象的でね、やっぱりわからなかったり悟りにくいものを形にしてくれるので、すごくいいもんだなって大好きなんですよね。やっぱり2回言うたけど、さっきも言うたなこれって思ったけど、ほんまに言葉が好きなんですよ。
でもね、やっぱり正直ね、面倒な時もあるんですよ、こんなにも大好きなのに言葉が。そうそう、でなんかなんでそんなにも言葉にすることがめんどくさいんやろうなーってちょっと考えた時に、考えたことあります?考えた時にって言いかけたけど、皆さんなんで言葉にするってめんどくさくて心が近い人に対してはしょるんって考えたことありますか?
私はね、ちょっとこれを機に考えてみたんですよね。そしたら、先にね、感情って湧くじゃないですか。何か出来事が起こって、うわ、嫌やなーとか、腹立つなーとか、悲しいなーとか、うわ、めっちゃ嬉しいとか、言葉にならないものが先に湧いて出てくるんですよね。で、それから後で言葉にしていくんですよね。
だからその時点で、めんどくさいじゃないですか、探すから。先に感じて、これって何やっけーって言って、言葉を探っていく。もうその段階で、まあめんどくさいっていうところなんですよね。で、そっから探して見つけたとしてもですよ、何か伝えたいなっていうことがあったとした時、伝え方って気にしませんかね。私は結構、できるだけ受け取りやすいようにして伝えたいなと思うようにしてるんですよね。
うーん、そうなんです。もう途中で息子が入ってきたので、何言っとうか分からなくなりました、今一瞬。今後ろにね、息子はまだ幼稚園が始まってないのでいるんですけれども。そうそう、では続きいきますね。そうそう、ほんでね、話戻すと、何やったかな。
そう、先にね、あの感情を感じて、それを言葉として探し出してきても、あえてに伝わるように伝えないとってなったら、伝え方を今度はまた探し始めるんですよね。どんな形やと受け取りやすいかなーみたいな。で、それを見つけてさらに、まあ勇気いるじゃないですか。これ一応整えたんですけど、みたいな形にしてね、言葉を、感情を、思いを、考えを。
で、よかったら受け取ってもらえないですかということで話すときって勇気いるじゃないですか。内容にもよりますけれど。うん。そう、だからそらめんどくさいよなーって思ったんですよ、この、なんていうんですか、段階を考えていたときに。やから大事な人ほど伝わっているであろう、分かってくれてるよねっていう感覚に陥りやすいのかなと思ったんですよね。うん。そうなんです。
シーして。
そう、何気ない普段の会話ならここまでね、労力は私も使ってはいないんですけれども、なんかね、これ分かってほしいっていう大事なこと。で、分かりたいなと思うこととかね。そういう大事なときほどこのステップを踏むということで、まあ、探すという時間や労力で形を整えて相手に届けるための伝え方を
考えるっていう労力。で、最後に勇気。この3つがいるとね。うん。と思いました。だからこそね、うん。だからこそね、なんかこう、話せるけど伝えられるってまた別物なんやなと思ったんですよね。うん。なんか言葉のね、なんか奥深さみたいなのをすごい痛感しました。今回。
うん。で、それだけね、すごい大切な人がね、私のなんかこう、人生の中にね、できたんやなーっていうこともね、改めて感じたんですよね。子供や夫。で、これまで一緒にずっといてくれた親友だったりとか、あのこんなふうにね、言葉をかけてくれるママ友だったりとか。うん。
そうそう、言葉のね、大切さを改めて感じさせてもらえました。だからね、なんかそういう段階を踏んで何かを話してくれてるんだって、必ずしもそうかはわかんないですけども、そういう過程があるのだということをね、なんとなくこう、頭の隅に置いていたら、相手がね、ちょっとね、言葉に詰まったりとかね、一生懸命言葉にあのしようとしてる時間とかもね、待とうと思えるんですよね。
子供とか特に、あの言葉が拙かったりとか、まだまだやったりとか、どうしたらいいんだってすごいね、涙を流しながら探してくれたりとかするんですよね。で、嬉しいこともものすごいこう、なんて言ったらいいんやろうみたいなんで、全身でね、あの表現したりとかもしてくれる時もあるんですよね。
なんかそう思うとね、本当に言葉にして会話できることの日々の、なんて言うんですか、こうやってすごく、なんて言ったらいいんやろう、これすらももう出てこないけど、私も言葉にできへん思いなんやなって思ったけど、もうそうそう、やけどまあ、言葉って単なるコミュニケーションじゃなく、あのその人自身なんじゃないかなってすごい今回感じたんですよね。
大切な人との会話
一部分。言葉って、まあみんなにわかりやすいように言語化っていう、あの一つのね文字にされてますけど、それを伝えるっていうことは、その人自身をこう届けてくれてるんだって思った時に、だからなんか言霊って言葉あんの?とかふと思ったんですよね。
なんかね、旦那がたまにね、言うんですよ。言葉は言霊やから吐く言葉気付けよ、みたいなんで、あの私が暴言吐いた時言ってくるんですよ。めっちゃ腹立つと思うんですけど、それ聞いて。は?って言うんですけど。
そうそう。やけど、まあだからそうやろうなって言葉にその人自身の思いや考え、その人まるまるが入ってるんだよなと思ったら、ものすごく受けてとしても伝えてとしてもどちらにもなれる自分じゃないですか、皆さんね。
その言葉っていうものは単なるツール、手段なんやっていうところからその人自身なんやと思ったら、どうですか受け取るとき、どうですか伝えるときっていう風にちょっとこう言葉についてまた皆さんもね、なんだろうなって考えていただけたら嬉しいなと思ってね。
今日は息子がちょいちょい入ってきながらでね、私も何言っとうか途中でわからなくなっちゃったんですけど、こんな感じでおっかんのリアルとマインドということで、今日は言葉に関してお伝えしてみました。では今日はこんなところで終わりにしたいと思います。ではまた。