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2024-09-26 48:07

「人生は本質的に保証のないものだ」【もう一度選び直す】

意図せずハイレベルになり過ぎました。
…正直、神回だと思ってます(笑)

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1000冊以上の読書を経てヒーラーになった元霊感ゼロ人間です。「本質のスピリチュアルをわかりやすく」をメインテーマに、幸せのために役立つ情報を発信していきます。

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【プロフィール】

元ゲームオタク。
20代前半に新社会人として社会デビューするも、世の中の厳しさに圧倒されて人生を挫折。
その後、ゲームに費やしていた時間全てを読書に充て、
「なぜ自分の人生はこんなにも辛いのか?」
「どうしたら幸せに生きられるのか?」
といった人生の根本的疑問について本を読みながらひたすら考え続ける。
10年以上の読書の中で、自己啓発、成功哲学、心理学、科学、宗教、哲学などの分野を調べわたった末に、心から納得できる人生の答えをスピリチュアルに見出す。
現在ではシータヒーリングを学び、セッションを行いながら、幸福な人生の本質についての自らの知見をわかりやすく発信している。


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#神との対話 #奇跡講座 #奇跡のコース #走れメロス #選択 #スピリチュアル #本当の幸せ #自由意志
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00:06
はい、こんばんは、カズです。 今日のタイトルです。
人生は本質的に保証のないものだ。 そうでなければ、人生の目的そのものが損なわれてしまう。
はい、これについて、これをテーマとしてお話ししていきたいと思います。
これ、あのタイトルというよりも、まあわかる通り、なんかもうセリフですよね。
このセリフ、どこから僕が引っ張ってきたかというと、これ神との対話の中に書かれている言葉になります。
セリフになります。240ページにある神様のセリフなわけですけど、これがすごい深いなと思ったので、
これについてちょっと掘り下げて考えていくっていう配信にしたいと思います。
人生は本質的に保証のないものだ。 そうでなければ、人生の目的そのものが損なわれてしまう。
うん、すごい深そうな感じしますよね、きっと。
実際にすごく深いと僕は思うんですよね。で、これをちょっと丁寧に考えていきますね。
人生は本質的に保証のないものだ。
これどう思いますか、これを受けて。
人生は本質的に保証のないものだ。
と神様も言ってます。
人生に本質的に保証がないっていうのは、これどういうことでしょうかね。
これを考えるときに、僕がわかりやすいなと思うのは、これ逆を考えてもらって、
逆に本質的に保証のある人生っていうのはどういうものかなってイメージするとちょっとわかりやすいんじゃないかなと思うんですよね。
保証のある人生だったらどういう人生でしょうか。
例えばですけど、人生って選択の連続、選択の積み重ねって言えると思うので、選択肢がありますよね。
単純にAの道とBの道、2つの道が目の前にありますと。
ここに保証があったらどうなるかって言ったら、こんな感じだと思うんですよね。
Aの道は天国へと繋がっています。
こっちを選べばもう100%です。間違いないです。
Bの道はこっち地獄へと繋がっています。
これも100%です。
もう保証しますと。
あなたはどっちを選びますかっていうこういうシチュエーション、こういうものが人生に本質的に保証があるっていう状況。
保証のある人生っていうのはこういう感じなんじゃないかなってまず考えられると思うんですよね。
03:06
これがまあ保証のある人生感だとした場合、なんかね、なんか人生っぽくない感じありませんか。
なんか違和感すごい感じると思うんですけど。
なんか違和感すごいあるじゃないですか。
あれこれって、なんか人生これって言われたらちょっとうーんみたいな。
なんでかっていうと、まあ間違いがないわけですよね。
保証があるわけだから、だからAを選択すれば100%なんですよ。
だったらまあそう言われたらね、自ら進んで地獄に行って永遠の苦痛を味わいたい人っていうのはまあいないと思うので。
だったらもう100人中100人がAの道を選ぶじゃないですか。
これが多分保証のある人生の機決だと思うんですよね。
これがまあ保証のある人生としたらば、これ逆を考えてみればいいわけだから人生に本質的に保証がない。
人生は本質的に保証のないものだ。
ですからそう保証のない人生、本質的に保証のない人生っていうのはどういう人生かって言ったら、これあの100%はないってことなんですよね。
確定はないっていうことを言ってるんだと思うんですよ。
さっきの100%天国の道です。こっち100%地獄への道ですっていうこの情報がわかんないっていう状況だと思うんですよね。
本質的に保証のない人生っていうのはその100%っていうのがわかんない。
どっちを選べば天国なのか、どっちを選べば地獄なのか、それがわかんない。
それが人生なんだっていうこと、そういう意味だと思うんですよ。
それが人生に本質的に保証がないものだ。人生は本質的に保証がないものだの意味だと思うんですよね。
これをもうちょっと言葉を変えて表現してみると、
保証がある人生、さっきの思い出してほしいんですけど保証がある人生は0、100だったんですよ。
もう結果がもうわかったわけですよね。選択の前に。
でも、だからそれだったら判断を誤る可能性は0%なわけなんですよ。
天国に行きたいのに地獄選んじゃったっていう可能性が0%それが本質的に保証のある人生だった。
なので、本質的に保証のない人生っていうのはその可能性パーセンテージが狂うわけなんですよ。
それは自分で判断しなきゃいけない。どっちの道が天国へ繋がってるのか、幸せになる道なのかっていうのが
どっちの方が可能性高そうなのか、こっちかなこっちかなって選ぶ余地が出るわけなんですよ。
06:05
だからここに自由一心が生きてくるっていうこと、そういう意味です。
だから表現を言い換えると、僕らには自由一心がありますよね。
その自由一心が尊重されている世界観だっていうことだと思うんですよ。
もうちょっと解像度を上げて言えば、保証のないものを信じるも信じないも自由である、あなた次第であるっていう感じかな。
つまり、間違える余地があるっていうことなんですよ。
さっきの0-100の世界観、保証のある人生観だったら、間違える余地が0%なわけなんですよね。
だけど、本質的に保証のない人生は、その結果が不透明なわけだから、間違える余地が絶対あるんですよ。
自分の選択を間違えるっていうのは、自分では望んでたものが手に入らないっていう可能性があるってこと。
こんなはずじゃなかったっていう、その余地を残しておくって感じかな。
これがおそらく、この人生は本質的に保証のないものだ、そうでなければ人生の目的そのものが損なわれてしまうのを前半部分で言うと、
人生は本質的に保証のないものだっていう。
そこからさらに続きを読んでいきたいんですけど、人生は本質的に保証のないもの。
保証のない人生っていうのは、さっき言った0-100じゃない、間違える余地のある不透明な人生観、世界観。
人生は本質的にそういうものなんだって言ってます。
そうでなければ人生の目的そのものが損なわれてしまうって言ってるんですよね。
そうでなければ、つまり0-100だったらってことです。
さっきの保証のある人生だったら、人生というものの目的そのものが損なわれてしまうと言ってます。
保証があったら損なわれてしまうんですよ。人生の目的そのものがって言ってるんですよ。
神との対話の神様はね。
さらに考えていきたいんですけど、保証があったら損なわれてしまう人生の目的。
これ何ですか。保証があったとしたら損なわれてしまう人生の目的っていうのがあるんだみたいに言ってるわけなんですよね。
じゃあその保証があったら損なわれてしまう人生の目的とは何なのかっていうことを考えたら、
09:02
さっきもちょっと言いましたけど、これなんですよね。その自由意志がやっぱり鍵になるんですよ。自由意志っていうものが。
これが人生の目的なんだっていう話なんですよね。自由意志が人生の目的。
なんで自由意志が人生の目的なのか。
保証があったら損なわれてしまう人生の目的とはつまりつまるところ自由意志なんだっていうことなんですけど、
ということだとしたら、じゃあなんでその自由意志がそんなに大事なんだっていう話じゃないですか。考えるべきは。
なんで自由意志がそんなに重要視されているのか。人生の目的とは自由意志なんだくらいに浪人的に考えていけばたどり着けるかなと思うんですけど、
なんでそんなに大事なのかというと、ここでちょっと奇跡講座の教えを僕は組み込んで考えたいんですけど、奇跡講座はもう一度選び直しなさいっていうことを言ってるんですよ。
そのカリキュラム全体でコース全体の中で何を目的としているかといえば、もう一度選び直すことを目的とされてるんですよ。
奇跡講座、奇跡のコースは。何をもう一度選び直すかっていうと、奇跡講座は愛か恐れか2つしかない。
世界に愛のものと恐れのものと、世界にというかちょっと厳密には違うんだけど、ちょっと端折って説明すると、この宇宙には愛か恐れしかないんだっていうことを言ってます。
さらに奇跡講座が言ってるのは、この宇宙の成り立ち、この宇宙がなんでできたのかっていうことも含めて説明してるんですけど、
この宇宙がなんでできたのかと言ったらば、分離が起こった。本当は起こってないんですけど、分離が起こったかのように見えたから、この分離の宇宙が生成されている存在し続けているんだ、みたいなことを奇跡講座は言ってるわけなんですよ。
これどういうことかというと、さっきのAの道とBの道の例えで、例えを流用してちょっとまた話したいんですけど、Aの道は神の道、愛の道、精霊の道としましょう。
Bの道は恐れの道、自我の道、分離の道なんですよね。
そのAとBの別れ道の前に神の子、神の子っていうのは僕らですね。意識の主体とも言いますけど。
12:10
僕らはそのAかBかの別れ道の前に立ってるんですよ。
奇跡講座が言うところによれば、この分離世界、二元性の世界を経験している時点で、僕らはすでにBの道、恐れ、自我、分離という選択をし続けている、そっちの道を歩き続けているからこそ、この分離の二元性宇宙が存在しているんだっていうことを奇跡講座は言ってます。
この地球とか、地球じゃなくてもいいんですけど、三次元世界、二元性のある世界に、二元性世界での体験があるっていう、この事実だけで、もうすでに僕らはエゴとか恐れとか分離っていう道、そっちの道を選択してるんだっていう、そういうことなんですよ。その証明なんですよね。
だって、Aの神様ルートですよね。分離はないとか、愛とか、そっちの神様ルートを選択しているんであれば、この二元性は生まれなかったんですよ。そもそもね。生まれるはずがない。なぜなら、真実はワンレスだからね。
なんだけど、その選択をせずに、僕らの意識はBを選択している。Bを選択しているってことは、恐れの実在を信じるっていう意味になるんですけど、恐れの実在を信じるとどうなるかっていうと、神の子は夢を見るっていうことなんですよね。夢を見出す。
夢の内容を信じてるから、夢を見続けてるんですけど、その夢がこの二元性の宇宙なんだっていうことなんですよね。奇跡講座が教えているところによれば。
ここちょっとね、奇跡講座の理論なんで、ちょっとご存じない方は難しいかもしれないんですけど、今後も奇跡講座、いろいろ僕の配信にはぶっこみたいと思っているので、ちょっと付き合ってほしいなと思いますね。だんだん慣れてきてほしいなと思って喋ってるんですけど。
要はそういうことなので、そのBの恐れ、罪悪感、自我みたいなものを選択し続けているがゆえに、この二元性の宇宙が、二元性宇宙という体験が体験できているっていう状況なんですよ。
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神様は神の子を目覚めさせたいわけなんですよね。そっちじゃないよって、Aの道おいでって。そっちが神様の本質は愛そのものなので、神の子、大事な我が子を地獄みたいな夢でさまよわせ続けるようなことは望んでないんですよね。
だからこっちにおいで目覚めなさいよってずっと言ってるんですよ。だから神様の望みっていうのは、僕らをAのルートを選択すること、選択し直させること。これが神様の望み、言葉があれば宇宙全体の望みなんですよ。
これが目覚めってやつですね。Bは眠りルートなんで。これを、だから現状僕らはB、恐れ分離、自我を選択し続けているわけだけど、そのBの選択をやめて、Aの選択、神様、愛のこっちルートを選択し直すこと。
これが神様の望みであって、奇跡講座、つまりコースの願目、狙いっていうのもここにあるっていうことです。これを奇跡講座の中では、食材とかあがないとか、そういう言葉で呼んでるんですけど、やり直すってことですよね。
だからちょっと話戻しますけど、最初のタイトルのセリフですね。人生は本質的に保証のないものだ。そうでなければ人生の目的そのものが損なわれてしまう。
今まで考えてきた通り、その保証があったら損なわれてしまう人生の目的とは何かっていう話で考えを進めてきましたけど、なんとなくわかってきたと思いますけど、保証があったら損なわれてしまう人生の目的とは、ズバリもう一度選び直すことなんですよね。
もう一度選び直す。しかも僕らの自由意志で、つまり僕らが主体となって選び直すことなんですよ。これが人生の目的なんですよって言ってるんですよ。神との対話の神も。
この自分で選び直すっていうのがやっぱりキーワードで、ただ単にAを選ぶんじゃないんですよ。神の子が、つまり僕らが主体的に選び直さないと意味がないって言ってるんですよね。それが人生の目的だって言ってるんですよ。
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人生っていうのは奇跡講座的に言うと、二元性の夢なんですよね。Bルートを選択し続けている限り、Bルートの方に矢印を向け続けている、そっちの方を指差し続けている限り、その指差し続けている間だけ見ることのできる夢なんですよ。
でも神様はこの二元性の夢を延々と神の子に見させるということは望んでないんですよね。最終的に幸せになれないからね。Bを選んでたら。だから神様はAを僕らに選択してほしいわけですけど、そこで愛ある神様はどうするかっていうと、
お前らBは俺の方向いてない間違いだから、正解はこっちなんだからこっちに来いって言って、僕らのBを指差している指差しの手をグイって力づくりでAに向けさせるっていう、そういう強制的なことは愛ある神様はやらないんですよ。なぜなら僕らを尊重してくれてるから。愛してくれてるから。
これ強制的にBからAにグイってそっちじゃねえって言って変えたとしたら、これ愛ある神様のやることかって言ったらちょっと違うじゃないですか。それはコントロールなんですよね。
これは現実的な人間同士の関係性で考えてくれたら結構感覚的にわかるかなと思うんですけど、それって一人の人間として尊重してないじゃないですか。
つまりお前には一人の人間として生きる能力がない。だから主体的であるべきでないっていうメッセージを言ってるのも同じなんですよ。強制的に選択をさせるっていうのは。
だから愛そのものである神様は神の子である僕らに対してそんな強制的なコントロールはしないんですよ。
神様は優しいから愛の眼差しでそっちを選んでるんだね。でもどうかな。そっちが本当に君たちの望む道なのかな。よく考え直してごらんって言ってひたすら待ってるんですよ。
その選択をもう一度やってごらん。もっとよく考えてどっちの道がいいかもう一度決め直してごらんって言ってるんですよ。ずっと待ち続けて言ってくれてる。
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その間の時間それが人生だっていう意味なんですよ。それが人生の目的なんですよ。もう一度選び直すっていうのはそういう意味です。
すごい愛あるそして深い話だと思いませんか。もう本当にこの奇跡講座の理論を納得した時に、その奇跡講座に出会う前まではこういうことを知らなかったので本当にクソみたいな人生だなってずっと思って僕も生きてきたし。
もし神様がこの世界を作って僕らにいいおもちゃだよ楽しみなって言って、僕らにこのフィールドを与えた、勝手に生命を与えたのだとしたら、神様本当にサイコパス野郎だなって思ったんですよ。
ゲームとしておもちゃとして楽しみのためにこの人生というものを、人生というフィールドを神様という存在が用意して僕らに与えたのだとしたら、なんてくだらないゲームなんだろうって本当に思ったんですよね。
ゲームクリエイターとしてはもう恐ろしく才能がないなっていう、任天堂のゲームクリエイターの方々の方がよっぽどいいゲーム作るよなっていう不満をなんとなくそんなことを考えてたんですよね。
でもそうじゃないんですよ。神様がこの人生というものを作って僕らに与えたっていうことは違うんですよね。奇跡講座的には。僕らが勝手に見てる夢なんですよ。それが人生なんですよね。
だから神様に責任追及をするのは岡戸違いなんですよ。僕らがBを選択し続ける、つまりこっちがいいっていう望みを持ってその神に与えられた自由意志を行使してそっちの選択をし続けている限り体験できるアトラクションというかテーマパークがこの人生なのであって。
いつでも選び直せるんですよ。だから僕らが本当に幸せで楽しいなと思えばいつまでもこの人間性ゲームをつまり人生をね。
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輪廻転生も込みでってことですけど体験しててもいいわけなんですけど本当にそれで君ら幸せなのかいっていうのをずっと愛のまなざしで神様は僕らのそばにつき添って待ってくれてるんですよ。
Aの愛神様ルートを選択し直すまで待ってくれてます。
ちょっと話の本筋に戻ろうと思うんですけど、もう一回タイトルのセリフ読みますね。
人生は本質的に保証のないものだ。そうでなければ人生の目的そのものが損なわれてしまう。
今までのちょっとおさらいすると、本質的に保証のないのが人生なんだ。そうじゃないと人生の目的そのものがダメになっちゃう。損なわれてしまう。
人生の目的っていうのは何なのかといえば、僕らの自由意志。自由意志を行使してBからAに選び直す。これが人生の目的だっていう話だったんですね。
その保証っていう言葉にまた着目して考え直したいんですけど、つまり保証があるからやりますっていう手は使えませんよっていうことなんですよね。
ここに信じるっていう行為というか信じるという営みの絶対的な必要性がここにあるっていうことなんですよ。
保証があるからやりますはダメなんだよっていうそれが禁止されている世界なんですよね。それが本質的に人生は保証がないものなんだ。
本質的に保証のない人生っていうのは、こっち行けば絶対っていうそういう手が使えませんよっていうことなんですよね。
だからこそ信じるっていうものが絶対的に必要なんですよ。
なぜなら信じるっていうこと、信じるという営みっていうのはそもそも保証のないものだから信じるっていうことだからなんですよ。
ここでちょっと言葉の違いを説明したいんですけど、信用っていう言葉と信頼って言葉があるんですけど似てるようで。
でもこれ実は明確な違いがあるんですよね。
信用と信頼の違いなんですけど、これさっきの保証っていう言葉と絡めてかそこに関わってくる違いなんですけど、保証があるからじゃあやりますっていうこのパターンは信用なんですよね。
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信用、保証がある、だったらやりますよは信用なんです。
信頼とは呼びません、信用です。
これ信用金庫の信用ですよね。
あとクレジットカードのクレジットは信用って意味なんですよね。
これらはまさに信用っていうことなんですよね。
保証があるからだからお金を貸しますよっていうことなんですよ。
こういうわけだから信用で成り立っていることだから、だからお金を借りるときは銀行の窓口に行って確実に返済可能ですよっていうことを証明しなきゃいけないですよね。
それで認めてもらわないと銀行でお金貸してって言っても貸してくれないと思いますよ。
それはつまり銀行から借りに行ったあなたに対しての信用が得られなかったっていうことなんですよね。
つまり保証を提示できなかったっていうことです。
でも逆にこうこうこうでこういうわけでこういう仕事もして収入も十分だから全然返済できますよっていうことが証明できればお金貸してくれる。
これは信用が得られたっていうことですね。
この保証があるだったらやりますっていうのが信用でした。
それと違うのが信頼なんですよね。
信頼は保証はないけど信じますっていうことなんですよ。
信頼するっていうのは保証はないんだけど信じてるよっていうのが信頼です。
これはさっき銀行の例出しましたけどこれで例えとして分かりやすいのは友人関係とかだと思うんですよね。
友達に対してあいつなら大丈夫だよっていうこのセリフこれには根拠がないんですよ保証がない。
なんで大丈夫なのかっていう根拠保証っていうのはなくても信頼信じて信用を受ける友達や信用を受けるじゃないや。
信頼できる友達に対してはいやあいつなら大丈夫だよっていうことができるんですよね。
保証もないのに。
これが信頼なんですよ。
そのまさに代表例みたいなのが走れメロスの物語なんですよね。
これメロスとメロスのチクバの友親友のセリヌンティウスこの2人の友情物語ですよね。
30:06
お互いがお互いをチクバの友めっちゃ親友マブダチな2人なんですけどすごい悪い王様がいたわけですよね。
ジャチ暴虐の王っていうのがいてでその王に対してお互いがお互いを生贄じゃない人質として指名し合うわけなんですよね。
約束の日時にメロスが再び戻ってこなければその妹の結婚式のためにどうしても行きたいんだけどでも3日後までにまた戻ってこなければその親友であるセリヌンティウスが
セリヌンティウスを殺しなさいよ。あいつならこの提案も全然OKしてくれるよってメロスが提案して
でセリヌンティウスは捕まっちゃって3日間の間メロスの代わりに人質になるっていうね。
でそのメロスは1回故郷の村に戻って妹の結婚式をあげて祝福してそれからまたあの城の方に王国の方にダッシュで戻ってくるっていうそのセリヌンティウスを
セリヌンティウスが処刑されちゃうのを阻止するため自分の代わりに人質になってくれてるわけだからっていう話ですよね。
これまさに信頼の物語なんですよ。そのメロスが3日後にまた3日後の夕日が沈む日没ですよね。までに戻ってくる保証はないわけなんですよ。100%じゃないからね。
でもあいつなら大丈夫さってセリヌンティウスはメロスに対して言うことができたわけなんですよ。信じたわけですよ。なぜなら信頼していたからですね。
逆に悪い王様ですよね。邪地暴虐の王は自分以外の人間のことをまるで信頼できなくなっていたと言えますよね。逆に言うとこの王様は信用があったら多分動けると思うんですよ。
必ずこうしますよっていう保証、信用を提示されたらなるほどわかったって言って動くことができるんですよ。自分以外の人間のことをまるで信頼できなくなっていた王様も信用なら動けるわけです。
逆に言うとメロスの妹の結婚式だけあげたいから3日間帰らせてくれとこの要求を述べたのはセリヌンティウスっていう人質が保証の材料として用意できたから、だからいいよってOKを出せたわけです。
33:13
メロスの提案に対してね。これはだから信用なんですよね。信頼できない王様も信用なら動けたという証拠と言えると思います。
メロスの話が長くなっちゃったんですけど、つまり保証があるからやりますっていう手は使えませんよっていうことを神様はやってるわけですよ。だから人生は本質的に保証がないようにできてるってことですね。
ここに保証っていうものを作っちゃったら意味がないわけですからね。なぜなら神様が求めてるのはもう一度神の子の主体的な自由意志を使って選び直させることだから。
あなたが本当にあなたの本当の望みはどっちなんだいっていう選択をもう一度やってほしいからですね。で、その曖昧性保証のなさっていうところが人生のポイントなんですけど、ここにこそこの信じるっていうことの必要性が絶対的に生じてくるわけです。
スピリチュアルを信じるとか神様を信じるっていうのは根拠がないじゃないですか。だから確かにすごい怖いことなんですよ。僕ももともとスピリチュアルをこうやって信じてたわけじゃないし、すごく世間一般的な価値観で普通に20歳くらいまでの人生は生きてましたから。
だからそこからこういう世界観に染まっていく。なんかこっちの比重が大きくなる人生を自分が送るっていうのはめちゃくちゃ怖かったわけなんですよね。全然保証根拠がないからね。
なんだけど人生はそういうもんなんだっていうことをここの神との対話の神様はこの言葉で言ってるわけなんですよ。保証がないから人生の意味があるんだってことなんですよね。
だからスピリチュアルにそもそも根拠確信がないっていう、そうそう音声もスピリチュアルを信じるということっていうタイトルの音声で僕と過去に録ったりしたんですけど、その理由SPに根拠保証が絶対あり得ないっていうのはこういうところにも理由があったと言えますよね。じゃないと人生の意味がないよっていうことなんですよ。
ということなんですよね。でもですね、いつまでもちょっと考えてほしいんですけど、やっぱり根拠のない選択をするっていうのはやっぱり人間怖いわけで、だから根拠を求め続ける人って結構いますよね。
36:20
エビデンスはとかね、最近結構流行りだと思うんですけど、エビデンスのないことはやらないとか、それ何の根拠があるのとかね。結局科学的根拠っていうことも、これはちょっと脱線なんですけど、
結局科学で証明されてるって言っても100%じゃ絶対あり得ないっていうことなんですよね。なぜなら科学っていう営みがそもそも100%にできないっていう営みだからなんですけど、これはちょっと別議会に話したいことでもあるんですけど、
いつまでも根拠保証を求め続けて、そこからジャンプできない人、信じるっていう飛躍、ジャンプを絶対にしない人っていうのは、今までの議論でいくと、神に到達する見込みはゼロなんですよ。
保証がなければやりませんっていう、ジャチ暴虐の王様がいたじゃないですか、メロスの。あの人っていうのは信頼っていうものがまるでできなくなっていた人とも言えると思うんですけど、信用なら動けたわけなんですよね。
だから信用の範囲内でしか動けない人生を送っていたらば、絶対にBからAのルートに選択し直すっていうことは絶対にできないっていうことがここでわかってくると思うんですよ。
言い方変えたら、だからAを選択できないっていうのは、神に到達する見込みはゼロっていうことです。神に到達する見込みはゼロっていうことはどういうことかっていうと、スピリチュアルな世界観で説明するならば、Bルートを選び続ける限り輪廻転生がありますから、いくらでもこの人生という二元性のゲームを体験し続けるっていうことになるわけなんですよ。
このぐるぐるは、僕ら神の子が主体性を持ってAを選択した瞬間に終わるっていうゲームなので、それしない限り永遠に輪廻転生で回り続けるっていう、そういう仕組みなんですけど、
だから信頼ということ、信じるという論理の飛躍、根拠、保証もなしに信じるっていうジャンプが、そんなの怖くてできませんっていう言い続ける人は、神に到達する見込みはゼロなんですよ。可能性はゼロなんですよ。
39:06
だから大事なのは、これも過去の音声でブレインキャンディーに気をつけてくださいよっていう音声を撮ったんですけど、その時に毒矢の例えっていう仏教の例えを出してるんですけど、毒矢の例えっていうのは、どっからともなく飛んできた毒矢に男が撃たれて、他の人が矢を抜こうと近づいたら、男はそれを止めるわけなんですよね。
なんでこんな急に撃たれたのか、その完全な説明、なぜ誰がどんな動機で私を狙って、この毒の成分は何で、矢が入られた場所はどの場所で、どういう角度で矢を撃ったのか、それが一切が明らかにされるまでは、この入られた矢を絶対に抜いてはならない。
で、その男が行ったとしたら、いつか毒が回って、その男は死んでしまうでしょう。だから、そんなことを明らかにする前に、さっさと矢を抜きなさいよっていう、これが毒矢の例えなんですけど、すごく本質的なんですよね。
だから、苦しいんだったら、ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと矢を抜けっていう教えなんですけど、だから、その全てを明らかにするっていう、全てに説明がつくまで矢を抜かないぞっていう時の全てに説明がつくっていう、なんで全てに説明をつけたいのかって言ったら、保証が欲しいわけですよね。
全てが明らかになったら、保証根拠が得られるわけだから。だから、保証根拠が得られないならば、その選択、つまり矢を抜くっていう選択はしないよっていう男は、毒が回って死んでしまうでしょう。愚かですねっていうのが、ブッダの話した例え話ですよね。
っていうことを考えつめていくと、これ本当に賢いのはどっちですか。根拠がないのに、Aを選択できる人と根拠がない。だから、そっちの道は危ないかもしれない。だから、俺は絶対Aにはいかない、Bしかいかないぞって言ってる人間か。
どっちの方が最終的に賢いでしょうかね。あなた方が望んでいる道は全てひっくるめて、どっちなんでしょうかね。時間はいっぱいありますから、ゆっくりもう一度考え直しなさい。愛しい我が子よ。
42:02
っていうのが神様であり、この人生の俯瞰した構図なんですよね。
いやなんかちょっとわかんないけど、結構レベルの高いことを話してると思うし、思いがけずちょっと神回になってる予感が自分は勝手にしてるんですけど、どうですかね。もしこれいいなと思ったら是非いいねボタンとか押してほしいんですけど。
で、今まで話してきた通りなんですけど、ここでやっぱり怖さが抜けるってことはここまで話しても絶対ないと思うんですよね。僕も怖いですし保証のない選択をするっていうのはやっぱり怖いものだと思うんですよ。
だから幸せになりたいけど、でも根拠がない選択。だから根拠のなさっていうのは本質的に人生に織り込まれてるっていう話ですから、だからなかなか保証があったら怖さはゼロで済むんだけど、
保証のなさが人生に本質的に織り込まれてるっていうのは、怖さも一緒に織り込まれてるっていう意味と捉えてもいいと思うんですよね。で、なかなか足がすくんで、そうは言っても動けないよって思ってる人が多くいると思うんですよ。僕も含めてね。
怖がってるから結局僕らBの選択を今もし続けていて、その証拠に今のこの人生っていう体験ゲームが今も生じ続けているからなんですよ。だから怖がってない人間誰もいないんですよね。人間やってる限り。そこは謙虚に認める。それが真の謙虚さというか、そう言えなくもないですけど。
だから僕ら全人類はAの天国ルート神様ルートをもう一度選び直すことを怖がってるんですよ。誰一人例外なく。これはもう奇跡講座が断言してることなんですよね。怖がってるんですよ。
だけど、今まで説明した通りで、ここで本気になる人。本当に今までのままでいいのかなって考え直せる人。勇気を持ってもう一度選び直そうかな。直したいなって気持ちがちょっと高まってる人というか。
勇気とは恐れの欠如ではなく、恐れよりも大切なものがあるという判断である。この言葉本当に僕は好きなんですけど。
45:08
勇気とは恐れの欠如ではなく、恐れよりも大切なものがあるという判断である。なんですよね。スピリチュアルなしで幸せでずっといられるんだったら、毎回言う通り僕はそれで全然問題ないと思うんですよ。むしろそれで幸せでいれるんだったら素晴らしいことだと思うんですよね。
それをAルートが絶対神様も望んでいる正解なんだから、しのごの言わずにこっち来いよって強制的に介入するのはこれまで話してきた通りゴハットなんですよ。だって自由意志が侵害されているからです。自由意志が侵害されるってことは人生の本質的な目的を損なうってことなんですよね。
だから絶対やっちゃダメ。強制的にコントロールするっていうのは神の子に選び直させないと意味のないんですよ。人生の意味がないんですよ。
そう。だから僕らは選び直さないといけない。だけど、もし怖さが抜けないっていう、僕もそうですけど、でも怖いながらもAの方、神様の望む選択を僕はしたいと本気で思って生きてます。
もしこの音声を聞いてくれてるリスナーの方が僕と同じような望みを持ってくれるのであれば、本当の意味で幸せになりたいなって思っているのであれば、ぜひこの言葉、勇気とは恐れの欠如ではなく、恐れよりも大切なものがあるという判断であるんですね。
この言葉をちょっと握って、あなたのどんなものよりも大切なあなたの人生において勇気を出す場面っていうものをしっかり見極めて間違わないでほしいなと僕は思います。本当に心より選び直すという選択を応援しております。
すごく長くなりましたけど、なかなかちょっと込み入った話をしすぎたような気もするんですけど、でも何かしら一部分でもいいから響いてくれたら嬉しいなと思います。
それでは今日の配信はこんなところにしようと思います。
どうも長らくお聞きくださりどうもありがとうございました。
48:07

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