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  2. 人生とか幸せとかの結論、諸々
2023-10-24 19:19

人生とか幸せとかの結論、諸々

#スピリチュアル #人生
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00:06
こんにちは、カズです。
今日の音声は、あまりごちゃごちゃ考えずに、
単的に今、僕が10年以上本を読んだりとか、
シータヒーラーとしての活動をやりながらとか、
それらを通じて色々考えてきた、
到達した人生の結論部分、全ての結論みたいなものだけを、
簡単にパパッとお話しようかなと思ってます。
10年以上も本を読んできたので、
この結論に至るまでの思考の過程みたいな、
そういう段階みたいな、
パラダイムの変化の過程みたいなのはものすごくあって、
それらをすごくその過程っていうか、
そのプロセスの変化も僕にとってはすごく、
1回1回のパラダイムシフトの度にですね、
人生が変わるくらいの、人生が180度変わるくらいの体験を経験してきたので、
本当は1個1個詳しくお話ししたいくらいな感じなんですけども、
そうするとなかなか長くなるので、準備も大変ですんでね。
今回は今到達した結論のみを、
簡単にささっとまとめて、何の説明もなしに結論だけ述べるっていう音声を撮ろうかなと思いました。
しゃべる側もね、それだと簡単なんだね。
ではね、早速僕がどうやったら幸せになれるんだろう、
なんで自分は不幸なんだろうとかね、
どうやったら本当の意味で幸せになれるんだろうって考え続けた人生の結論だけさっと述べます。
まず人生の結論なんですけど、
全て信念問題っていう結論に僕はなりました。
これどういうことかっていう話をしていきますね。
全てが信念問題、つまり何を信じるかっていうことです。
人生は何を信じているか遺憾だよっていうことです。
これが究極の結論だなっていうことになりました。
ここは多分もう一生揺らがないところなんじゃないかなと思います。
っていうのは、人生は自分が作ってるからですね。
03:06
引き寄せの法則とも呼ばれる話なんですけど、
思考は現実化するんですよね。
信じていることが現実化している世の中なんですよ。
だから何を信じるか次第。
人生はいかにいかようにもなるし、それが全てだよっていう結論ですね。
信じるっていうのはもちろん健在意識だけの話じゃなくて、
潜在意識に信じている内容も多分に含まれます。
というか、潜在意識が95%以上と言ってもいいと思いますね。
ですので、人生が苦しいとしたらその原因はどこにあるかっていうと、
苦しみの原因ですね。
それは究極どこにあるかっていうと、
これほぼ100%と言っていいと思うんですけど、
ネガティブな思い込みにあります。
僕の言葉の使い方として、
信念という言葉をちょっとネガティブな部分を強調したいときというか、
そういう側面がある場合の信念ということを言うときに、
思い込みって言い方を、僕の場合はですけど、
苦しみの原因は主にネガティブな思い込みのせいです。
これ元をたどると、その根源は何なのかというと、
これは神からの分離感、神から分離したという信念に行き着きます。
この思い込み、この信念がすべての恐れの原因であって、
すべての人が克服すべきというか、
すべての人が持っている恐れの原因であって、
その恐れの原因が、
これを思い込みってことは、
勘違いというか、思い込みなので、
実際とは、真実とは違うという話なんですよね。
だから、僕らは神から分離したわけじゃないんですよ。
神から分離したとしては、
神から分離したとしては、
神から分離したというのは、
神と今も一体、今もワンネスというのが究極の真実ですから、
今も潜在意識的にもね、
神様と本当に一体なんだって、
信じていれば何の問題もないということなんですよね。
ただ、それを信じたがために、
信じていれば何の問題もないということなんですよね。
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ただ、それを信じたがために、
分離が起こったと勘違いして、
夢となっているこの三次元のね、
現実というものを体験しているという、
そういうのが人生だということですね。
これが結論です。
まあね、ちょっとなかなかいいなり結論だけは述べているので、
あんまりスピリチュアルとか詳しくない人は、
何言ってるんだこの人みたいな感じになると思うんですけど、
一応そういうことですね。
分かる人は多分この話もね、
分かってくれると思うんですけど。
そういうわけなので、
苦しみの原因はネガティブな思い込み、
ネガティブな信念を持っているから、
その根源は神から分離したという信念。
これがもう究極の、
どん詰まりの思い込みだということですね。
この1個の神から分離したという思い込みから、
すべての思い込みが派生しているってことです。
ですので、
次どうやったら幸せになれるのか、
どうやったら幸せになれるのかっていうか、
なので、もし人生うまくいかないと感じているとしたら、
それは、
これは僕なりの言葉なんですけどね、
それは自分で自爆しているだけということになります。
自爆しているですね。
自分で自爆しているだけっていう。
これね、これ結構、
この人生自爆しているだけだよって、
僕はよく言うんですけど、
この言い回しが結構好きなんですけどね。
自爆しているだけなので、
誰のせいでもない自分でやってるんだよっていう、
ニュアンスと、
あと、
なんかちょっとアホっぽいというか、
苦しみの下中にいる人には、
これ絶対言えないというか、
申し訳ない話なんですけど、
でも真実はこれなんですよね。
誰のせいでもないんですよ。
自爆しているだけなんで。
誰と競争しているわけでもないし、
他の誰かのせいで、
そうなっているわけでもないし、
なぜなら自分が、
その思い込みを持っているからってことですね。
例えば、
自分で自分のレースのですね、
自分で自分のコースレーンに、
障害物をね、
自分でセッティングして、
自分で置いて、
そのハードルを、
飛べない飛べない、
こんなの無理みたいな感じで、
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嘆いて泣いているだけっていう、
自分で置いたのに。
こんな感じなんですよね、
その人生が、
人生の苦しみのありよっていうものを例えてみると、
本当にこんななんか滑稽な絵面になるんじゃないかなと思います。
誰か他の人が、
そのハードルを置いたわけでもなくて、
誰か他の人がそのコースを、
あなたに走りなさいって強要しているわけでもなくて、
全て自分でやっている、
全て自分で仕組んで、
それを体験しているっていうだけの話です。
他の何からの影響、
干渉も受けてないんですよ、
究極言うと。
これはスピリチュアルを突き詰めて考えていくと、
収束してくるっていうか、
麩に落ちてくる話だと、
僕は思っているんですけども、
他の何からの影響も受けてない、
干渉も受けてないっていう話、
全ては自分次第である、
みたいな話ですね。
これについてはですね、
強く僕も、
それはもう人生自分次第なんですよっていう、
言い切る断言することができるくらい、
これは確かなことだと思っているんですけども、
奇跡講座においてもですね、
ここの部分についてはかなり断定的に強調して書かれています。
それはテキスト第2章の原因と結果のところにですね、
奇跡講座ですね。
もし私があなたの想念とその結果との間に介入するなら、
存在する法則の中でも、
最も根源的な原因と結果の基本法則に干渉することになる、
っていう書いてあるですね、文章が、
テキスト第2章原因と結果の部分にあるんですよね。
もう一回読むと、
もし私があなたの想念とあなたの結果との間に介入するなら、
存在する法則の中でも、
最も根源的な原因と結果の基本法則に干渉することになる、
ですね。
この私っていうのは誰かっていうと、
奇跡講座を喋っている人間のことであるので、
これイエス・キリストのことですね。
もし私があなたの想念とその結果との間に介入するなら、
だからイエス・キリストが、
あなたっていうのは僕らのことですね、
僕らの想念、
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思っていること、
イマジネーションといってもいい、
これが僕の言葉で言うと信念ってことですけど、
想念とその結果、
結果は人生ですね。
想念、信念と人生の結果との間に介入するならば、
存在する法則の中でも、
最も根源的な原因と結果の基本法則に干渉することになる、
って言ってます。
だから要は、
それはできないよって言ってるんですよね。
想念とその結果との間、
結果、
想念と結果に介入することは、
あらゆる法則の中でも、
最も根源的な原因と結果の基本法則に干渉することになっちゃうよ、
だからそれは絶対にできないよ、
ってイエス・キリストが言ってるんですよ。
これだから、
あのイエス・キリストでさえもですね、
僕らの何か心に抱いた想念と、
それに付随する結果、
その基本法則を侵すことはできないよ、
これ絶対不可信なんだよ、
っていうことを言ってます。
これがこの人生ゲームというか、
人生という名の体験ゲームの最も基本的なゲームルールというか、
もう基本法則みたいなね。
3次元で言ったら、
重力とか時間とかが結構根源的なルールな気がしますけど、
みたいなのと同じようにっていうか、
それ以上にですね、
その原因と結果の法則っていうのはもう究極のゲームルールなんですけど、
それを絶対に、
あのイエス・キリストでさえもそれを覆すことは絶対にできないよ、
っていうのを明言してます。
これね、あの言い方変えると、
まあ自由意志が最強ってことですね。
個々人の自由意志を、
どんなパワーを持った存在でも覆すことは絶対にできないよ、
っていう言い換えでもいいと思います。
あのイエス・キリストでさえも、
自由意志を、
僕らの自由意志を侵害するってことは絶対にできないんですよ。
だから、
僕らがどんだけ苦しんでいたとしても、
その僕らの自由意志を無視してですね、
強制的に救うみたいなことはできないんですよ。
だからね、
あのイエス・キリストも、
そういう強制的に目覚めさせるみたいなことはできないからこそ、
まあすっごい手間暇かけて、
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奇跡講座っていうね、
すごい僕らが目覚めるための自分で、
自分を救うための、
そういうカリキュラムというか、
そういうシステムというか、
そういうものをわざわざね、
手間暇かけて構築して、
僕らに、
よかったらこれで勝手に目覚めなさいよというかね、
差し出してくれてるわけで。
なので、
これもね、
僕好きな言葉で結構たびたび引用する言葉なんですけどね、
馬を水辺に連れていくことはできるが、
水を飲ませることはできない。
っていうのはこれ老子の言葉です。
馬を水辺に連れていくことはできるけれども、
その馬に水を飲ませることはできないんだよ。
だからまあ、
水を飲むか飲まないかは、
馬の自由意志次第だからっていう話ですよね。
で、さっきの話で言うと、
イエスが奇跡講座を提供してくれているっていうことは、
馬を水辺に連れていくっていう行為ですよね。
でもその奇跡講座を僕らが効果的に使ってですね、
目覚めていくかどうかは、
僕らが水を飲むかどうか、
それはもう僕らの自由意志にかかってるんだよっていう話です。
で、この自由意志を覆すことっていうのはもう、
イエスがここで明言している通り、
もう絶対にできないよっていうことです。
だから、
今回は人生の結論を喋ってきましたけど、
もし人生うまくいってないとしたら苦しいと感じているんだとしたら、
それは自分でやってるんだ、自爆してるだけなんだっていうね、
そういう僕がたどり着いた結論でした、事実でした。
このことを封に落ちたら、
もうあんまり現実に嘆いてるっていうことは、
あんまり意味ないなっていう気持ちになってくるんですよね。
だって自分で自分を自爆させてるだけだったら、
どうしてこんな人生なんだみたいにネガティブに嘆き、
悲観していたところでどんどんネガティブ、
どんどんそちらの方向に進んでいくだけなんですから、
だからやっぱりね、それをやめようと思ったら、
肯定させようと思ったら、やっぱりスイッチングしなきゃいけないんですよね。
あ、そうなんだ、じゃあやめようっていうね。
ただ、なかなかこういうことに詳しくない人、
普通の一般、あんまりスピリチュアルとかね、
そんなに読んでない方はその方法だったりとか、
いろいろどうやってやるんだっていうのはわからないと思うんで、
そのためのヒントをこれからもね、
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気ままに発信していけたらいいなと考えてます。
だってね、みんな幸せになりたいじゃないですか。
と僕は思うんですけどね、どうでしょう。
僕は幸せになりたいですよね。
今回はこんな感じになりましたけど、
あ、すいません、鼻が詰まってきた。
以上でね、僕の探求の結論部分、
全部信念問題なんだよ。
苦しみの原因はネガティブな思い込みで、
その根源は神から分離したという信念なんだよ。
だから神から分離してないっていう状態に100%なれば、
それが悟りなんだって言い換えることもできるんですけどね。
で、それは人生のありようっていうのは、
僕的な言葉で言えば自爆してるだけなんだよっていう、
そのことをお話ししました。
まあね、これが響く人には響いていただけたら、
何かのお役に立ったら幸いです。
今回もお聞きくださりありがとうございました。
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