1. 本質志向のスピリチュアルラジオ
  2. 「自信がない」のではなく「『..
2024-09-29 21:41

「自信がない」のではなく「『自信がない』ということに自信がある」ということ


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


1000冊以上の読書を経てヒーラーになった元霊感ゼロ人間です。「本質のスピリチュアルをわかりやすく」をメインテーマに、幸せのために役立つ情報を発信していきます。

公式 LINE
https://lin.ee/q2dVxVA

ココナラ
https://coconala.com/users/299112

ポッドキャスト書き起こしサービス「LISTEN」
https://listen.style/p/kazu?ZcYquAEx


※シータヒーリングによる潜在意識書き換えのセッションも行っております✨
セッションのご予約は24時間いつでも公式LINEのリンクから受け付けています。
ご希望の方は上記の公式LINEよりご連絡またはお申し込みください✨


【プロフィール】

元ゲームオタク。
20代前半に新社会人として社会デビューするも、世の中の厳しさに圧倒されて人生を挫折。
その後、ゲームに費やしていた時間全てを読書に充て、
「なぜ自分の人生はこんなにも辛いのか?」
「どうしたら幸せに生きられるのか?」
といった人生の根本的疑問について本を読みながらひたすら考え続ける。
10年以上の読書の中で、自己啓発、成功哲学、心理学、科学、宗教、哲学などの分野を調べわたった末に、心から納得できる人生の答えをスピリチュアルに見出す。
現在ではシータヒーリングを学び、セッションを行いながら、幸福な人生の本質についての自らの知見をわかりやすく発信している。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

#スピリチュアル #人生哲学 #セルフイメージ #自信 #自信がない #思い込み #人生はゲーム
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/64eaf2064cfd06ca8ba481e5

サマリー

このエピソードでは、「自信がない」という感情を深く掘り下げ、自信がないことに対して自信を持つ新しい視点を提案しています。彼らは自分の言葉の捉え方を見直し、思い込みを脱却することで、本来の自信に気づくことができると述べています。また、ユーザーは自信の本質や信念の置き場所について探求しており、『奇跡講座』の教えを通じて自己の信念を見つめ直し、心の平安をどのように求めるかを考察しています。

自信の概念を再考する
こんにちは、カズです。今日は、「自信がない」のではなく、「自信がないということに自信があるということ」という、このような謎のタイトルについてお話ししていきたいと思います。
これ、スピリチュアル、特に多分非人間というジャンルで時々言う話だと思うんですけど、「あるしかない」というような話ですね。
そういう話とも関連するようなお話、そんな話をしていきたいんですけども、自信がないのではなく、「自信がないということに対して自信がある」ということなんですよね。
自信がない、自信がない、私自信がなくてできないですって普通に言いがちかもしれないんですけど、みんな、僕も結構自信がないです、無理ですみたいな、そういうことを言いまくってきた人間なので、すごく自分の個人的なテーマかな、みたいな気もすごくするんですけどね。
これについてちょっと考えていきたいんですけど、自信がないという言葉の意味するところを、実はあんまりみんな深く解像度を上げて考えたことないんじゃないかなっていう、自信がないみたいなちょっと漠然としてるじゃないですか、ちょっと漠然としたままのなんとなくの意味合いを乱発してる気がするんですよね。
自信がないからできませんって。
でも、この自信がないという言葉の意味するところっていうのは、僕はね、より正確に言うとこういうことだと思うんですよね。
今からお話ししていくんですけど、例えば、なんで自信がじゃないんですかっていうことを聞くじゃないですか、そうすると、自信がないんですよっていう人は、なぜ自信がないんですかって聞かれた場合、だって例えば、こうでこうで、こういう経験もしてきて、過去にこんなことがあって、あんな人にこんなことも言われて、これをやってみたけどダメだったし、
しかも私もともとこういう性格でウンタラカンタラみたいな、結構無限に近い理由を述べられたりできるじゃないですか、自信がない人っていうのは。
つまりこうこうこういう理由で、だから私は自信がないんですっていうことを言うと思うんですよね。
なんで自信がないんですかっていうことを聞いた場合ですね。
でも、例えばこの逆パターン、つまりめっちゃ自信ある人、自信満々の人に対して、どうしてあなたはそんなに自信満々なんですか、そんなに自信があるんですかっていうことを聞いてみたとすると、多分こういう感じだと思うんですよね。
いやそうですね、だって私は昔こういうことをやってまして、こんな経験もしてこんなこともあって、人からこんなこと言われたり、こんな賞ももらったりして、もともと性格的にもこういうところがあって向いてると思うんで、
だからそうですね、結構自信はそんなことであると思ってますね、みたいな言い方をするんじゃないかなと思うんですよね。
ここで考えてみてほしいのはですね、これどっちにしろ根拠というものはないっていうことがわかると思うんですよ。
根拠、保証って言ってもいいですね、自信がない保証とか、自信がある保証根拠みたいな、その積極的に自信があるとかないとか断定できるための材料っていうのは実は見つけられないっていうことがここでわかると思うんですよ。
今さっき自信がない人、自信がある人に対してそれぞれインタビューするっていう例えばを話したんですけど、確認することができたのはただ過去の経験の羅列だけだったじゃないですか。
しかも多分にその人自身の解釈によって脚色されているっていう、ここがすごくわかると思いますけどミソなんですよね。
多分にその人の解釈、フレーミング、捉え方によって影響が左右されている、脚色されているっていうことなんですよ。
実態はそんなところだと思うんですよね。
だからその状況証拠みたいなのはあるけど、これもこうだしこれもこうだしこれもこうだしみたいな状況証拠的な材料はたくさん見つかるんだけど、でも保証100%こうって断定できる確かなものっていうのは見つからないわけなんですよ。
つまりこれどういうことかって言ったら、そもそもどちらも勘違いゲーム、思い込みゲームだということがはっきりすると思うんですよね。
そういうことなんですよ。
思い込みゲーム、勘違いゲームなんですね。
自信がないとかあるとか、そうやってどっちも勘違いなんですよね。
なぜなら事実ではないからっていうことなんですよね。
その石がそこに落ちてたら石があるね、目に見えるし触れるし、事実だよねっていう言い方ができると思うんですけど、そういうもんじゃないんですよね、自信があるとかないとかっていうのは。
ってことは積極的に指示、それを保証、証明できる材料っていうのが提示できないのだから結局勘違いゲーム、思い込みゲームなんですよ。
で、どっちの方向に思い込んでいたって正解も不正解もないんですよ、このゲーム。
こんな経験してきて、あんな経験してきて、そんな経験もしてきて、だから自信がないんですっていう人と同じ経験してきて、こんな経験、こんな経験、こんなこともあって、だから自信あるんですよね、こんな経験してきたからって言える人もいると思うんですよ、どっちも。
経験と自信の関係
つまり正解不正解ないんですよね、これらの経験をたどったからその自信があるとかないとか、自信を持たなきゃいけないとか、持つのが正解とか、そういう話じゃないっていうことなんですよ。
つまり自分にとって都合の良い勘違いはどっちなのかな、何なのかなっていう発想で考えてもらいたいわけなんですよね。
だってそもそも保証も根拠もないし、正解不正解もないんだから、だとしたら考えるべきはその勘違い、その思い込み、自分にとって都合いいのかなっていう発想だと思うんですよね。
どっちにしろ勘違いだからっていうことなんですよね、だから自分にとって都合の良い勘違い、思い込みゲーム、勘違いゲームをするために、だってそもそもこの世界はもうそれしかないですからね。
勘違いゲーム、思い込みゲームしか横行してない世界なんで、だったら自分にとって都合の良い勘違いゲームをしていけばいいわけなんですけど、だから自分にとって都合の良い勘違いゲームをするために、まず捉え方を変えてくださいっていうことを僕はここで言いたいわけです。
っていうのは、自信がないです、みたいに言っちゃうと、自信がないっていう表現だとこれが動かしがたい事実みたいな感覚になっちゃいがちじゃないですか、だからそうじゃなくて、このタイトルの通りなんですよね、自分は今自信がないということに対して自信満々なんだなっていうふうに認識してみる、捉え直してみるっていうことなんですよね。
自信がないんじゃなくて、あ、そっか、今自分は自信がないということに対してすげー自信満々なんだなっていうことなんですよ、こう捉えてみてくださいっていうか、捉えてみてくださいというか、そっちの方がより実態に近いと正直思うんですよね。
先ほども見てきた通り、どっちも保証はなくて、ただの勘違いゲームなだけですから、だから積極的にないとかあるとか言えないわけなんですよね。
ってことは結局自信を作るしかないわけで、しかも自信がないっていうのは積極的に見出せる事実じゃなくて、これあるしかないみたいな話、ないっていうのは思考マインドが差し挟まったときに生じる新機能みたいな、ただの幻想なんでないっていうことが。
だから思考マインドを差し挟まないでありのままの世界を直視してみる、見てみるとそこにはあるしかないっていうことなんですよね。
だからないっていうのは幻想なんですよね、だから実態は自信がないんじゃなくて、自信がないということに対するめちゃめちゃ健康な自信があるっていうのが実態なんですよね。
そこだとするとちょっと滑稽な感じがしてくると思うんですけどどうですか。
全然自分自信ないです、全然自信ないんですよって弱気な感じで思ってたのに、実はその実態は自信がないということに関しては他の誰にも引きを取らないほど強く自信を持ってるわけですよ。
自信ないんですよ、ダメなんですよみたいな人に対して、いやいやそんなことないじゃないですかって励ますじゃないですか、普通。
いやこんなこともできるし、こういう長所もあるし、こういうところも素敵ですし、だから全然自信持っていいと思いますよとかって心ある人ならフォローしてくれると思うんですけど、
でもそういう時でも自信が本当にない人って、いやいやそんなことないんですよ、私本当にもうダメで自信ないんですよみたいに頑固なほど引かなかったりするじゃないですか。
それってだからどういうことかっていうと、自信がないんじゃなくてめちゃくちゃ自信があるんですよ。
自分が自信がないということに関して、誰にも引きを取らないほど、全然向こうの意見も引かないほど、そういうのを跳ね返すほど強くダイヤモンドのようなカチカチな揺るぎない自信を持ってるんですよ、その人は。
っていうことなんですよね。だからちょっと滑稽じゃないですか。
実態はこういう感じがより世界の実態に近いと思うんですよ。
だから自信がないですって言うけど、いやいやあなためちゃくちゃ自信持ってるじゃないですかっていう話ですよね、っていうことなんですよね。
ということは、そうだとしたら既にそんなに硬い自信を揺るぎない自信を持っているっていう事実がそこにあるわけですよ。
だったらその自信の持ち方、つまり自信を持つ場所を変えるだけでいいんだよってことになるわけなんですよね。
自信を作っていきましょうとかだと、なんかゼロから何かしなきゃいけない、作っていかなきゃいけない気がするんですけど、実態は実はそうじゃないよっていうことを言いたいわけなんですよね。
信じることの重要性
もともと自信はあるんですよ。もともとあなたは揺るぎないほど健康に打ち立てた自信の塔みたいなのがあったわけなんですね。
めちゃくちゃ自信持ってるその塔があった。でもその自信の塔っていうのが、いや私には自信はありませんっていう名前の塔だったっていうことだと思うんですよね。
そこに信頼をめちゃくちゃ築いて揺るぎない自信を打ち立てた。それが自信がないっていう人の実態なんだっていうことを言いたいわけです。
だってそもそもこの世界は何を信じるか次第の勘違いゲーム、思い込みゲームの世界なんですよね。
だから全部根拠も保証もないし思い込みなんですよ。何を信じるかっていうのは。
別に宇宙はニュートラルなんで正解も不正解もないんですよ。
だとしたら考えるべきは自分が、自分にとっていかに都合がいいか。自分が気持ちよくなるためにはどうしたらいいかっていう発想で全てを考えていけば、
その塔の場所、私には自信がないっていう塔の場所にひたすらあなたの信じるというエネルギーを注ぎ続けるのはどうですかっていうことなんですよね。
それなんか自分にとって都合がいいかどうかって考えたらちょっとなんか微妙じゃないですか、それ。
実際その宇宙に正解不正解もないので、所詮世界は全て思い込みゲーム、勘違いゲームであるので、別にその場所、その塔である必要はないわけなんですよね。その必要はないわけなんですよ。
このね、なんかその必要はないっていう言葉も結構強力かなと思うんですよね。なんかここに気づけた時に、
なんか本当にそうだなみたいな感じになって人生を自分の意思で変えていくことができるポイントになるんじゃないかなって思うんですけどね。
でもそうそう、別にその場所に自身の塔を、その信念の塔を打ち立てる必要はないっていう表現をしましたけど、
でも何も信じないっていう選択はできないんですよ。
信じる力の重要性
どこにも塔を作らないっていうそういう選択肢は実はありません。何かは信じてる必要は絶対あるんですよ。
何かは信じてる必要は絶対あるんですよ。っていうのはだって、ないっていうのがないからなんですよね。あるしかない。なので、真実は。
だから信じないってことはできないんですよ。何かを信じる必要はある。
だからどっかにその信じる自分の信仰の塔、信仰を持ってる塔を打ち立てる必要はあるんだけど、
どこにもその信じる、私はこれを信じてますっていう塔を、どこにも作らないってことはできないんですよね。
これは奇跡講座がそういうことを言ってて、実は。
例えば、奇跡講座のテキスト、第6章、愛のレッスンっていうところにこういう言葉があって、
教えないということはあなたにはできないので、あなたの救済は自らが信じている全てのことの正反対を教えることにある。
っていう言葉があるんですけど、この教えないということはあなたにはできないって言ってるんですけど、
奇跡講座の教えるっていうのは、暗示に近いかな。暗示をかけるみたいな意味にちょっと近いんですけど、
潜在意識に浸透させるというか。教えないということはあなたにはできないっていうことは、
つまり常に何かを教えてるよって言ってるわけなんですよね。何かを教えてる。
教えるっていうのは、信じるという自分のパワーをその対象に注ぐみたいな意味に捉えてもいいかなと思うんですけど、
だからあなたの、奇跡講座の言い方をすると信って言うんですけど、信念、信じるの信ですね。
その漢字一字で信、あなたの信とかそういう言い方をコースはしてるんですけど、
その信をどこにも置かないっていうのはできないんだと。
だからどっかにその信っていうのを置く必要があって、その置く場所を変えなさいっていうことを奇跡講座は言ってるんですよね。
前も話したもう一度選びなさいっていうのがその意味なんですけど、
奇跡講座の言い方で言うと、愛とか精霊とか神の祭壇みたいなのと、恐れ、自我の祭壇と2つあって、
そのどっちにあなたの信を置くかっていう、それが問題なんだっていう言い方をするんですよね。
信をどっちにも置かないっていうことはできないんだと。
多くの人は自我のほう、恐れのほうにあなたの信を捧げてる状態なんだと。
だから望まない現実というかすごい苦しい人生が展開されているんだけど、
心の平安を本当に望むのならば、自我のほうに置いているあなたの信を、
精霊のほう、愛のほう、神のほうの祭壇に移しなさいと。
そういうことを奇跡講座は言ったりするんですよね。
だからそういう意味でもう一度選びなさいなんですけど、
だから信じないっていう選択肢はないっていうことなんですよね。
絶対、何かに自分の神の子としての真ですよね。
そのパワーを捧げる必要があるんですよ。
だからそれをどこに置くかなんですよね。
なのでちょっと話戻しますけど、
所詮全部、結局ほとんど信じないという選択肢はないんですよね。
自己の信念の選択
なのでちょっと話戻しますけど、
所詮全部、結局保証も根拠もないし、
勘違いゲームなんですよ。
だから勘違いした者勝ちみたいなね、世界なんですよ、実際は。
だから例えば大谷翔平選手とか、すごいですよね、一郎選手とか、
ああいうすごい人たち、すごい結果を出した人たちはどういうことかっていうと、
すごく自分にとって都合の良い場所に自信、自信じゃない、自分の信じる真ですよね。
自分の神の子としての真、信じるというエネルギーを、
自分の意図的に都合の良い、自分の幸せにとって貢献するポイントに注ぎ込むことができてた。
それを強固に維持し続けたっていうようなことだと思うんですよ。
一郎さんや大谷翔平さんみたいなすごい人でも、最初のスタートは横一列の並びで、
つまり実績がないところからスタートしたわけじゃないですか。
でもその時からもうすでに多分イメージとしてはもうメジャーに行って大活躍するんだみたいなイメージ、
その自信を持ってたと思うんですよ。
それを目標にして実際やってきてたわけじゃないですか。
それっていうのはだから言い方考えたら実績もないのに、
そういう自信の塔を打ち立ててたっていうのはすごく勘違いしてたっていうことですよね。
だから言い方変えたらそういう言い方もできると思うんですけど、
でもそれはすごく自分の人生にとってプラスの勘違いの仕方だと思うんですよ。
さっきも言ったようにどっちも勘違いなんですよね。
どちらにせよ、どこに自分の真実、真を置こうにせよ、全部勘違い、思い込みに過ぎないんですよ。
この世界はそういう勘違い思い込みゲームなんで。
だったら自分にとって自分が楽しい人生を送るための勘違いの仕方は何かなっていう発想で考え直していただきたいですね。
正解も不正解もないので。
どっちも間違ってなんかいないんですよね。
って考えたら、
つまり既に自分はすごく自信を持っていたということですから。
自信がないという場所にすごい自信を持っていたということですから
自分はすごい自信を持っていたという。
車でいなくても車でいなくても、
自分がすごい自信を持っていた状況によって、
すごい自信を持っていたということですから
だったら自分にとって自分の真のエネルギーの注ぎ先は
本当にここでいいのかな
なんか別の場所にした方が人生楽しめるんじゃないかなっていうこと
そうさっきも言ったそうである必要ないということなので
そういう発想で考え直してみたら
より人生を楽しく進んでいけるんじゃないかなと思います
というわけで今日はこんなところにして終わりたいと思います
何か響いたりちょっとでもいいところがあれば嬉しいなと思います
それではお聞きくださりどうもありがとうございました
21:41

コメント

スクロール