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2023-11-07 27:25

「形」を指定しないことの大切さ【「お任せする」生き方】

「形」を指定することは「執着」すること
「形」を指定することは、自分の最高の幸せの形を自分で知っている、という前提がある
あなたは自分にとっての幸せが何かを分かっていない
あなたよりも、あなたの最高の幸せを知っている存在がいる。その存在に人生の舵取りを委ねる。
諸行無常
「瞑想とは、あらゆる物事の普遍的な肯定である」
「引き寄せ」についての注意事項
奇跡講座からの引用「この世界におけるあなたの機能は『自分で決断しない』という決断をすることだけである」
「無知の知」の真髄。サレンダーの真実。
宇宙の完璧な流れに身を委ねるということ
あなたがチェスの駒だったら
「正しくあることよりも幸せであることの方が重要である」

#人生 #スピリチュアル #サレンダー #幸せ #引き寄せの法則
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はい、こんにちは、カズです。今日は、「形を指定しないことの大切さ」というタイトルでお話ししていきたいと思います。
形っていうのは、人生の要素というか、僕ら3次元世界に生きているわけですけど、その3次元世界の環境だったり、そういう人生のありようを、
僕は形ってここでは呼ばせてもらってるんですけども、そういう形を指定しないことの大切さという話をこれからしていきたいと思います。
これ結構、どうやったら幸せになれるのかっていうことを考えた時にかなり大事なポイントになることだと思うんで、
お役に立てたら嬉しいんですけども、そんな感じで話していきたいと思います。
形を指定しないことの大切さですね。形というものを自分で指定することから全ての苦しみは生まれるっていう、そういうことだからです。
形を指定しないことが大切なのは、その形を自分で指定するから、指定するそこから全ての苦しみは生まれるんだっていう、こういう真実があるから形を自分で指定しない方がいいよっていう話になってきます。
これどういうことかっていうことを説明していくんですけど、形を自分で指定するっていうのはこの形じゃなきゃ嫌だって言ってるってことですよね。
人生のありよう状況がこの形じゃなきゃ私は嫌です、受け入れませんっていう宣言ですよね、形を指定するっていうのは。
これは、いわゆる仏教でいう執着の状態になります。その形に執着しているっていう状態ですね。
その形が崩れたときにすごい苦しみが生まれるわけじゃないですか。その形じゃなきゃ私は幸せにはなれませんとか、その形じゃなきゃ私は受け入れません、嫌ですっていうのはその形に執着していることとも言えると思います。
仏教では執着が全ての苦しみの原因であるっていうことを、仏教では考えてると思います。
ですので、形を自分で指定しちゃいけないんですよ、幸せになるためには。
でですね、この形を自分で指定する、私はこうなったら幸せになれるはずとか、こうなったら私は幸せになれるのにとか、そういう考えですね、形を指定するっていうのは。
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そういう考えが結構これありがち、ありがちっていうかみんなやってるようなことかもしれないんですけど、こうなったら私は幸せだっていうこの思考パターンですね。
で、これ気づかないうちにみんな当たり前にやってしまいがちな考え方、パラダイムだと思うんですけど、この考え方の前提がありまして、それっていうのはですね、自分の最高の幸せの形を自分でわかっているっていう、そういう前提がこれ絶対あります。
そうじゃないですかね。
こうなれば私は幸せとか、こうなれば幸せになれるのに、宝くじ10億当てたら幸せになれるのとか普通に言うと思うんですけど、そう言いたくなるのは、それが叶ったら、その形が叶ったら幸せになれるからって信じてるからですよね。
前提に自らの幸せの、最高の幸せの形を自分でわかっているっていう思い込み、そういう思い込みですね、そういう前提がここに絶対あるわけなんですよ、そういうことを言いたくなる裏にはね。
で、この話の流れからなんとなく薄々わかるかもしれないんですけど、でも実際そうじゃないっていう話をしたいんですね。
でもそうじゃない。
そうじゃないっていうのは、あなたは自分の最高の幸せの形を知らないんですよっていう主張ですね。
そういうことなんですよ。
僕はそれを主張したいというか、それが真実ですよっていうことをお伝えしていきたいんですけど。
だから自分で自分の最高の幸せの形っていうものを人間は知らないっていうことですね。
なぜならば、その証拠にあなたはこれまで自分がこうすれば幸せになれるはずって信じてやってきましたよね、自分の人生。
その結果どうですかっていう話なんですよ。
これまでの人生、こうすれば幸せになれるはずと、自分で信じてやってきた、その積み重ねが多分今の人生だったじゃないですか。
僕はそうなんですけど、大体そうだと思うんですよね。
こうすれば幸せになれると信じて、そうして自分の頭で考えていろいろ動いてきて、今人生のその結果としてあるわけじゃないですか。
その結果あなたは、あなたが満足いくほどに幸せになりましたかどうですかっていうことを今問いたいんですね。
この問いに対して、私はもう本当に自分で満足してます。幸せです。後悔ありません。
自分で言えるならそれはもう何の問題もないです。素晴らしいことです。
なのでこの音声ももしかしたら聞く必要はないのかもしれないんですけども、
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もし仮にこの問いの答えがNOなら、これまでこうすれば自分で幸せになれるはずってやってきた今までの人生の結果が
自分で思うほどには満足いくほどには幸せじゃないんじゃないかなって今胸に問いかけてなんとなく思うんであれば、
そう思うのであれば、僕が言いたいのは、そろそろあなたのその最高の幸せの形、そしてその最高の形に至るまでにどうしてればいいかという
その全てを知ってる存在に人生の舵をですね、人生のハンドルを切るのをそろそろお任せしたらどうですかっていう
そういう提案をしたいんですね。
このこれなんですよね。
あなたの幸せが、あなたが最高に満足できて最高に幸せと思う幸せの形を
あなたよりも最高にもっと知っている存在がいるっていうことなんですよ。
で、これが奇跡講座で言うと精霊っていう存在なんですけど、
なのでその精霊に自分の人生の舵取りをお任せすること、それをまあ奇跡講座では精霊に扇動してもらうっていう表現をするんですけど、
もっとまあよく言われるような言い回しをするなら、頭ではなくハートの判断できることとも言えると思います。
あとはナミキヨシカズさんなんかは恋したうわよに従って生きることで言ったりしますね。
頭で判断しないってことですね。頭っていうのはエゴですから、思考ですから。
思考、自分のエゴで判断することをやめて、
魂レベルでっていうか、精霊が魂のインスピレーションから来る判断のみを採用しなさいよっていうことなんですよね。
これが自分の人生の舵取りを自分でやるんじゃなくて、精霊に任せる、すべてを知っている存在に任せる、要は神様に委ねるってことですね。
このことをサレンダーするとも言いますね。幸福する、宇宙にお手上げですって白旗を挙げるっていうサレンダーですね。幸福とも言います。
このサレンダーするっていうのがめちゃくちゃスピリチュアル的に言っても意識レベルの高いことで、これが結構究極だったりするんですよね。
このサレンダーするっていうのを自分の人生で実践し始めると、体現し始めるとですね、だんだんと自分で自分をコントロールしているっていう、そういう感覚が徐々になくなってくると思うんですよ。
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感覚としては自分の人生っていう、なんか映画を眺めているような、眺めているだけのような感覚になってくると思います。
自分の人生、生きてるっていう感覚はですね、自分で自分の人生を生きてるんだ、自分のコントロールでっていう感じじゃなくて、
自分の人生っていうタイトルの映画を、ただボケーと眺めているだけみたいなね、そんな感覚にだんだんなってくるんじゃないかなと思います。
っていうのは、自分で自分のことを100%コントロールできるっていうのも、これも実は思い込みで勘違いなんですよね。
これがエゴなんですけど、自分で自分のことをできるっていうのが、そもそもエゴの定義というか、そんなようなもんなんで。
これがまず勘違いなんですよね。自分で自分のことをコントロールできないんですよ、実際のところ。自由意志はないみたいなね、そういう話にもなってきて、
ちょっといろいろこれも話したいネタが多すぎるんで、また音声を改めて撮る機会があればいいなと思うんですけど、それは別に譲りましてね。
これなんですよね。形を自分で指定するから苦しみが生まれるんだっていう話から始めましたけど、
そもそもですね、形あるすべては移り変わりますよね。形あるすべては移り変わる。これブッダは諸行無常っていう言葉で言ってると思うんですけど、諸行無常なんですよね。
形あるすべては移り変わるんで、物質って硬くて確かなもんに思うかもしれないんですけど、逆なんですよね。物質ほど不確かなものはないっていうことなんですよ。
形あるものほど不確かなものはないんですよ。全然完璧じゃない。未来永劫その形のまま残り続けるものなんてないからですね。
移り変わるのがこの世の真実なんですよね。っていうのを一言で諸行無常っていう言葉でブッダは表現したと思うんですけど、
これは言ってみれば真実というか、ガチなんですよね、諸行無常は。
これはガチなんで、ここに立脚してここから考えを発展していかなければならないということで、
ここから言えることはですね、形を否定すること、形にこだわることは、現実に抵抗するということを意味するわけです。
抵抗するとどうなるかっていうと、抵抗は苦しみを生みます。
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なかなかわかると思うんですけど、人の苦しみってだから全部そうなんですよね。
今の現実の状況に抵抗していること、心の中でこんなはずじゃなかったっていう、この心の現実の形に対する心の抵抗が全ての苦しみの原因だってことです。
考えてみればね、これそうだと思うんですけどね。
だからね、逆に言うと、瞑想とは、あらゆる物事の普遍的な工程であるっていう言葉をどっかの本で読んだことがあるんですけど、
あ、そうだなって思ったのは、これの逆だからなんですよね。
あらゆる物事の普遍的な工程が瞑想であるっていう言葉。
確かにあらゆる物事を普遍的に肯定できたら、苦しみの生まれる余地がないですよね。
考えてみたら。
っていう話なんですよね。
そんなわけでですね、形をこっちで指定しないっていうことが、苦しみを生まないための、生まないためというか、幸せになるためには大事なんだっていう話で話してきましたけど、
ここで一個この話題もちょっと言いたいなと思ったのが、引き寄せの法則ですね。
引き寄せの法則で、自分で明確な形を指定して、それを宇宙にオーダーしてみたいなね、そういう話。
引き寄せの法則ですから、具体的にありありとビジュアライゼーションして、それをその体感をリアルに味わって宇宙にオーダーすることが引き寄せのコツなんだっていう、
うまく引き寄せるためにはそうするべきなんだっていうね、そういう方法論がありますよね。
で、結構みんな知ってるところじゃないかなと思うんですけど、なのでそういうことを信じてね、いろいろ頑張ってる、頑張って宇宙にオーダーしてる人たちはなかなか多くいらっしゃると思うんですけど、
それはね、とってもいいことだと、まず僕は思うんですよね。
幸せになるのは僕、とってもいいことだと思うので、幸せになるためには有効な方法だし、実際に効果もあるんですよね。
これはビジュアライゼーションしたら現実化するっていうのは、本当に思考や感情、そのビジュアライゼーションとかアファメーションとかにですね、
実際のところ本当に効き目があるし、だから非強制の法則も紛れもない真実なんですよ。
だからこれは、これ自体は実際にはとっても有益なことなんだけれども、確認したい前提があるんですよね。
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それっていうのは、そもそも自分が自分の本当に望むものを知っているという思い込みですね。
ここが勘違っちゃってると全てがうまくいかなくなりますよっていうことを注意として言いたいわけなんですよ、僕は。
というのは、もしここが勘違っちゃってたらですね、引き寄せたその形が、
自分の魂が本当に望むものではなかった場合にですね、せっかく宇宙にオーダーしたのに満足いく結果にならないっていうことになるからです。
これの原因は、自分で判断しちゃってるからっていうことになりますね。
形を自分で指定しないっていうのは、自分の脳みそですね、頭。
悲傷な人間のちっぽけな頭が考える形が自分の魂にとって本当に最高最善の形であるとは限らないからなんですよ。
限らないっていうか、ほぼほぼそれが間違ってると言っていいですね。
というのはですね、奇跡講座にもそれがバッチリ書かれてるんで、テキストの食材におけるあなたの機能っていう14章のところかな、そこにこんな文章があります。
この世界におけるあなたの機能は、ただ自分が何も知らないという認識のもとに自分が何を望むのかを自分で決断しないという決断をすることだけである。
神を代弁し、神が知る通りのあなたの機能を代弁する存在である精霊に全ての決断を任せなさいっていうふうに書かれてるんですよ。
奇跡講座は僕らの頭ですね、が狂ってる前提で全ての話をしてきます。
あなたは自分で自分のこと何もわかってないんだっていう、その前提で話してくるっていうか、実際のところそうなんですよね。
僕らが苦しんでる原因っていうのは、自分で自分のアイデンティティを勘違いしてるからだし、要は自分の頭なり、僕らが普通素朴に思ってる自分のアイデンティティですね。
それがエゴなんですけど、それが全ての苦しみの根源なんですけど。
ということで、奇跡講座はそれに対してですね、もう一回読みますね。
この世界におけるあなたの機能は、ただ自分が何も知らないという認識のもとに自分が何を望むのかを自分で決断しないという決断をすることだけである。
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これなかなかなんですけど、自分で幸せになろうとしてあれこれ人生で動いてもうまくいかないんですよ。
なぜならそれはエゴの判断だからなんですね。
で、だったらあなたがやるべきことは判断することじゃなくて判断を放棄するという判断だよね、みたいなことを奇跡講座はここで言ってるってことですね。
これなかなか面白いっていうかなんかすげーこと言ってますよね。
でも実際のところそうなんですよ。
で、僕前の音声でもソクラテスの無知の地が好きですみたいな話をちらっとしたと思うんですけど、これこそがね無知の地の真髄だと思うわけなんですよね。
自分で自分のことをすべてわかってます。
自分で自分の幸せの形もわかってます。
自分で自分の幸せの形もわかってます。
だからその願いを叶えてくれさえすればいいんですみたいな。
そういう態度が間違ってるっていうか、エゴだっていうことなんですよね。
そうじゃなくて、奇跡講座が言うようにですね、自分は狂ってる。
狂ってるっていう言葉はちょっときついんですけどね。
そうじゃなくても自分は自分が本当に望むもの必要なものを何も知らないんだ。
だからすべてを知ってる存在にもう判断を任せよう、人生を任せようっていうその意欲。
これが大事だっていうことなんですよ。
で、先ほども奇跡講座もね明確に言ってる通りですね、判断を任せるという判断はできるんですよ。
これこそがもう僕らの人生で唯一求められていることと言い切ってもいいかもしれないくらいのことですね。
判断を任せるという判断ですね。判断を放棄するという決断ですね。
自分で自分の人生の主導権を握るのをやめるってことですね。
これがサレンダーなんですよね。
自分で自分の人生の主導権をやめて、そしたらそのハンドルは誰に握ってもらうかって言ったら、
精霊であり神なんですよね。宇宙の意志と言ってもいいんですけど、
そこに任せるのが一番間違いないし、正しいし、幸せだっていうことなんですよね。
これがサレンダーです。
で、結局ですね、宇宙の意志は完璧なんですよ。宇宙の意志は完璧で、
その流れを僕らがですね、エゴで勝手にその宇宙の流れを留めたりしなければ、
全てはスムーズで完璧に問題なく流れていくようにできているのが宇宙なんですよ。
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その宇宙の完璧な流れ、計らいを信頼するっていうことですね。
僕らはそれを信頼できないから、個々人のエゴの勝手な判断で勝手に動こうとするから、
いろいろな不具合というかね、おかしなことがこの世の中に噴出してくるっていうことに
なります。実際におかしなことだらけの世の中だろうと思いますけれども、
これは全部エゴがそのいろいろ勝手に判断して動いた結果生まれたものですね。
戦争とか犯罪とか何でもそうですけど、っていうことなんですよね。
こういう言葉もありますね。あなたがチェスの駒だったとして、
そのあなたが自分一人の判断で勝手に動き出したとしたら、
チェスプレイヤーである神は困ってしまうでしょう。
っていうのもどっかの本で読んだんですけど、こういうことなんですよ。
だから自分の判断で動くなってことですね。
奇跡講座ってワーク編でね、365日1年のワーク、心の訓練をするっていうのをしてくるんですけど、
奇跡講座のカリキュラムでですね、結局何をやってるかっていうとこれをやってるんですよね。
そのエゴで動かずに精霊で動けっていうことを目指してずっとやってるわけなんですよ。
結局こうするともうこれができるともう無敵というか何でしょうね。
その自分の人生のハンドルを自分じゃなくて、子がとかね、生がとしての自分、エゴですね。
エゴじゃなくて神に譲り渡すことができれば何の問題もないわけなんですよね。
この音声でいろいろ今まで喋ってきて、僕が一番強調したいことは、結局僕ら幸せになりたいわけじゃないですか、多分ね。
だとしたら一番大事な強調すべきことは、実際のところね、その判断を放棄する生き方、サレンダーの生き方こそが自分にとっての最高の幸せであるっていう、こういうことなんですよ。
こういう逆説的な真実があるんですよっていうことを一番に訴えたいですね。
これが真実なんですよ。
これが真実なんですよ。
自分であれこれ判断する、自分でこうなれば幸せになれるはずだって判断で動く人生よりも、宇宙の流れにそのハンドルを全お任せしちゃった人生の方が結果的に自分が幸せになれますよっていう、そういう真実なんですよね。
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これをやっぱり僕はすごく大事なポイントだなと思うわけなんですよね。
だって、幸せになることが大事だというか、みんな幸せになりたいと思ってるんで僕はこういうことを言うんですけど、最後にすごく僕の大好きな言葉を紹介してこの音声を終わろうと思うんですけど、それは、正しくあることよりも幸せであることの方が重要である、という言葉ですね。
正しくあることよりも幸せであることの方が重要である。
これね、ちょっと意味を解説しますと、正しくあるっていうのは自分のやってることが正しいとか、自分は正しいと証明するみたいなね、そういうことなんですよね。
エゴがやってるのって結局これなんですよね。
エゴの操縦の下、人生のハンドルをエゴの操縦の下、幸せになることができるんだって主張するんですよ。
あなたの頭は多分そう言ってくると思うんですよね。
それでエゴにそのハンドルを任せて、まあエゴには任せてっていうか、あなたが判断してってことですね。
やった結果、幸せになりましたか?どうでした?どうですか?っていうと、少なくとも僕はとても幸せな結果にはならなかったんですよね。
で、その正しくある、自分が正しくあるっていうことと、幸せであること、これを点弁にかけたときにどうですか?っていう話なんですよね。
なんか正しさとかどうでもよくないですかね、と僕は思うんですけど、正しくあることよりも幸せであることの方がもう重要なんですよ。
で、心の、この音声を聞いたあなたがですね、心であ、そうだなって、正しくあっても不幸せだったら意味ないなみたいなね、正しさよりも幸せの方が大事だよねって、
そういうふうに思うのであれば、ぜひそれをやってくださいっていうことですね。
それをやってくださいっていうのは、自分の人生のハンドルを自分がきつく握りしめているんじゃなくて、宇宙に、神に、精霊にお任せするっていうことですね。
結果的にそれで幸せになれるんだったら、そっちの方が良くないですか?賢くないですか?っていうことですね。
いろいろなんか、ここから話が派生してね、いろんなことも言いたくなっちゃうんですけど、そうするとキリがなくなっちゃうので、今回はこのくらいで終わろうかなと思います。
27:05
ちょっとすみません、意外と長くなっちゃって、お聞きくださりどうも、ちょっと長い音声でしたけど、ここまでお聞きくださりどうもありがとうございました。あなたの最高サイズのお幸せをお祈りしています。失礼します。
27:25

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