00:06
こんばんは、カズです。今から今回のタイトルは、【15分で奇跡講座の教えを超簡単に説明する】試み、ということでやっていきたいと思います。
奇跡講座、実際に手に取って読んでくれた人はすごいわかるんですけど、難しいことで有名というか、
テキスト編、ワークブック編、マニュアル編という3部作で分かれている、全部トータルだと辞書みたいな厚さになって、すごいごついボリュームのある本なんですけど、
ボリュームもあるし、内容も結構難しいましてね、テキスト編の頭から読み始めても、初めての人は何が書いてあるんだかさっぱりわからないみたいな感じの本なんですよ。
実際ちょっと手に取ってもらえばわかるんですけど、だからちょっと難しいことで有名みたいな感じなんですよね。
でも内容は実はシンプルだったりするんですよね。
一応僕は奇跡講座にドハマりしたのが5、6年前の時期に一時期あって、そこでガッと集中的に読んで、教えの大枠はだいたいつかめたかなと思っているので、
僕がおぼろげながらもつかんだ奇跡講座の教えを、ちょっとね、手元に何も資料も用意せずに15分ぐらいで超簡単にかいつまんで説明するっていう雑な配信をやっていきたいなと今回は思います。
お付き合いいただければ幸いです。
先にちょっと言い訳しておくと、奇跡講座、厳密に説明しようとすると15分じゃとても無理だし、僕の力量でも多分無理な仕事であるので、それは期待しないでほしいんですよね。
今回の配信の目標としては、なんとなく方向性を、奇跡講座全然知らない人が、こんなような本なんだなっていう当たりをつけてもらえるくらいな感じ、その辺が成功していれば全然いいかなという僕の気持ちはそんな感じでいます。
じゃあね、大体奇跡講座がどんな感じの本か、どんなことを言ってるのかみたいなのを、僕なりに説明していきたいと思います。
まず、非人間の本です。非人間ノンデュアリティって言うんですけど、つまりこれはリアル、本当の真実と、実在とも言いますね、本当にあるものと、嘘とかフィクションとか夢とか幻想、これをきっちり区別するんですよね。
03:07
そういう区別する視点で世界を眺め見て、非人間なので二つ、人間性はないっていうことなんですよね。
人間っていうのは、要素が二つ以上みたいな意味なんですよね。
で、非あらずがついているので、非人間で要素が二つ以上ないみたいな意味になって、つまり源は一つっていうことですね。
スピリチュアルでよく言うワンレスってやつですけど、だから奇跡講座もリアルは一つしかないんだ、ワンレスなんだみたいなね、そういうことを主張している本だと、まずはジャンル的な意味でざっくり思っておいてくれればいいかなと思います。
奇跡講座は何を目的としているかというと、この世的な成功とか目的としてなくて、ひたすら心の平安っていうものを目的、そのね、奇跡講座を学ぶことの目的と定めています。
心の平安なんですよね。だからこの世界で大成功するとか、すごいね、あの、冷静が高まって賢者になるとか、そういうことは別に全くお約束してないんですよね。ひたすら心の平安を求めているってことです。
まあ本当の幸いみたいなことだと思うんですけどね。
どうやってその奇跡講座が言う本当の幸い、あの心の平安が得られるかというと、さっき言ったね、非人間の、だから本当に存在する実存、リアルとノンリアルですよね。幻想フィクションの区別を徹底的につける、目を養う。
で、その区別を徹底してつけることによって心の平安が得られるんだっていうことを言ってます。
で、奇跡講座の言う幻想っていうのは何かっていうと、これね、すごいんですけど、この世界丸ごと幻想っていう話をしてます。
この世界丸ごとっていうのは奇跡講座が言うには、あの五感で得られる全ての情報ですね。
これが全部幻想だって言ってます。
まあこの世界はそのVRだよとか、あのゲームなんだよっていう言い回し、あのそうですね、夢なんだよってことですね。
そういうことはまあスピリチュアルでよく言われることであると思うんですけど、そのね、幻想の度合いが奇跡講座の場合に半端じゃないっていうことなんですよね。
06:07
波じゃない、あのなんかね妥協してないっていう、あのよく言うんですけど、その夢が夢である理由っていうのは、そこに現実性が一かけらもないからこそ夢なんですよね。
この意味がすごく、あのわかると奇跡講座の理解がすごく一気に進むポイントだと思うんですけど。
今回の要約ではね、なかなかそこまで込み入った話は難しいので、簡単にとどめておきますけど。
この辺詳しくはゲイリー・レナードさんの著作、4部作がね、日本語で読める本が翻訳であるんで、それをねじっくり読んでいただくといいと思います。
神の使者から始まるゲイリーさんの4冊の本があるので、それめっちゃお勧めですね。
妥協がないってことがどういうことなのかわかると思います。
えーと、まあ奇跡講座がね、心の平安を得る方法なんですけど、難しいね15分で説明するの。
あの、まずなんで心の平安が得られないかっていう仕組みの説明がねめっちゃあるんですよね。
そうだな、えーと、そもそもなんでこの世界があるかっていう説明からされてるんですよね。
まず、えーと、まあ、地・人間なので本当はワンレスなんですよね。
あの、源は一つなんですよね。だから要素は2つ以上なくて、だから分離がないってことなんですね。
分離がないっていうのは主体と客体がないってことで、あなたと私もないよっていうことですね。
個人がいないよとかね、神があるだけというかね、そういう感じなんですけど、
でも僕らそうじゃなくてこの分離の幻想の世界に来ちゃってるので、
もうあなたと私とか、あれとこれとか、そういう二元性しかない、むしろね、
二元性しかないような世界を生きてるじゃないですか、生きてるかのように今見えてるじゃないですか。
でも奇跡講座に言わせると五感による情報っていうのは全て嘘なので、この世界はまるごと嘘なんですよね。
嘘っていうのは夢っていう意味なんですけどね。
神の子が見ている夢がこの二元性の世界だ、みたいなことなんですよ。
で、この二元性の世界、夢が夢であり続けるための仕組みっていうのがあって、
09:02
これは結局夢見る主体である神の子、だから僕らの心みたいなことなんですけど、
僕らのなんだろうな、クオリアっていう言い方がね、僕は結構近いかなと思うんですけど、
僕らの、なんかとりあえず生きてるじゃないですか、なんか自分っているじゃないですか、
なんかそういうことだと思っておいてください。
神の子の心っていうのが恐れ罪悪感を抱いた瞬間に、その恐れ罪悪感から二元性の世界が展開されるっていうことなんですよね。
恐れ罪悪感っていう種があるからこの二元性の世界は映像を映し続けてるみたいな、
恐れ罪悪感というフィルムがあるから、その映像がスクリーンに投影され続けて上映され続けてるみたいな感じなんですよね。
これね、なんか話しててね、たぶん理解できないんじゃないかなって、今ちょっと後悔してるとこですね。
むずくないですかね。やっぱ無謀な試みだったかもしれないですね。
とりあえず音声最後まで言っちゃうと、そもそもなんでその種がフィルムにセットされてるのかという話なんですけど、
これね、神から分離してしまったという罪悪感なんですよ。
神から分離してしまったという罪悪感なんですけど、これなんで生まれたかっていうと、
これは神話的な説明、抽象的だし、結局言葉ではとても表現できない、そもそも表現不可能な領域のことを言葉で無理矢理説明しようとしてるので、
どうしても無理ゲーなんですよね。だから神話的な説明、神話だと思ってね、聞いてほしいんですけど、
もともと1個だったと。神ありですね。ワンレスですね。分離はない状態だったんだけど、
なんかの表紙でちょっと分離ってどういう感じなんだろうっていうね。
なんか自我を持つってどういうことなんだろうみたいな、いうちらつきが神の心の、そのワンレスの神の心の中でふっと湧いたらしいんですよね。
そのふっと湧いた瞬間からちょっと分離してみようかなみたいになって、ちょっと隙間ができたらしいんですよね。
その隙間ができた瞬間が二元性の始まりなんですけど、その二元性の始まりと同時にですね、
同時に強烈な恐れ、罪悪感をセットで抱くことになったんですよね。
妄想なんですけど、これ全部ね。神なしでもいけるんじゃね?みたいな、そういうエゴですね。
12:10
神様なしでも俺ら楽しく自分だけでやっていけるんじゃね?みたいな考えがよぎって、
その考えと同時に強烈な罪悪感を神の心は抱え込んでしまったと。
なんで恐れかっていうと、罪悪感かっていうと、神をなんか、唾を吐きかけたみたいな感覚なんですよね。
神なしでも俺らいけるんだぜ!みたいな宣言をしてことによって、神は怒り狂ってるに違いないみたいな、
そういう恐れを神の子は心の奥底で抱いたわけなんですね。
だから、もう二度と神に顔向けできないと。
次に出会ったらぶっ殺されると。きっと簡単に神様とかは別にいらないよみたいな宣言をしちゃったわけだから、
滞在を犯してしまったんだみたいな、そういう重い罪悪感に囚われて、どうしてもそこから神様から逃げる必要性が出てきてしまったんですね。
これが恐れ罪悪感ってやつです。神からの分離による恐れ罪悪感ですね。
神様から逃げなきゃいけないんで、どうすればいいかっていうと、そこでエゴは思いつくのがこの幻想の世界を作ったっていうことなんですよね。
人間性の世界を作った。
この恐れ罪悪感を人間性の世界で、人間性の世界だから私とあなたっていうのがいるんですよね。
今まであなたっていう要素がなかったんだけど、人間性の世界は分離が生じた世界なので、あなたっていう他人みたいなのが出てきたんですよ。そこで初めて。
エゴが思いついたのは、この罪悪感どうしようもない罪とか罪悪感をこいつになすりつけてやろうっていうね。
私は悪くありません。あいつが悪いんですっていうことなんですよ。
分離の世界で初めて生じたあなたとか他人とか他者とか自分以外の世界みたいなものに、その罪悪感恐れをなすりつけてそいつのせいにして、そいつのせいにし続けることによって自分の無罪性が潔白されるような気がするという結果になるんですよね。
だから一時気休めで安心できるってことです。悪いのは私じゃない。あいつが悪いんだっていう。
この責任転換の仕組みによって恐れをなんとなく回避できたかのように思われるんですよ。
15:15
神の子的にはね。眠りこけた神の子的にはこれで良かったと怒り狂った神様からぶち殺されずに済むぞみたいに神の子の心は一応ね、あなたとか他人とか他者とか自分以外の世界に責任転換してそいつらのせいにし続けることによって一時気休め的に安心することができるわけなんですよ。
だけれどもそれなんとなくわかる通り根本解決になってないですよねこれ。そもそもの罪悪感恐れっていうものをなすりつけるんだけどそもそも分離は夢なんですよね。だからあなたと私っていうのは一つなんですよ。
だからそのなすりつけた相手は結局自分だったっていうオチになるんで結局根本解決にならずに、だからその恐れ、罪、罪悪感みたいなのは残り続けるじゃないですか。教えあったかのように見えても結局世界は一つなんで自分自身なんで他者っていうのは。
だから安心できたように思えても全然根本解決になってなくて恐れ罪悪感が残り続けるんですね。で、なんかその恐れの押し付け合いゲームみたいなのをぐるぐるこの世界の中で回すことによってこの二元性の世界っていうのは維持されてるんだよっていうのが奇跡講座がする二元性のこの幻想宇宙の説明になります。
超ざっくりなんとか話しましたけど。だからそういう理屈なんですよね。あのやられたからやり返してでまたそっちがやってきたから今度こっちがやり返して戦争とかも何でもそうじゃないですか。その憎しみの連鎖とかで終わんないじゃないですか。
それは結局自分の中の罪悪感恐れあの神からの分離してしまったっていう罪悪感を他者のせいにして押し付けて。で、そいつを裁くそいつのせいにするっていう。だから爆弾押し付け合いゲームみたいなことを僕らやってるってことですね。
本当は自分なんですよ。ワネスなんで。他人はいないのでね。だから神様の心、神のこの心っていうまあ広い心のフィールドみたいなものの中でなんか勝手にね他人みたいなものをスケープごと的に作り上げて。
そこでその神からの分離感っていう爆弾を押し付け合うゲームを延々とやってるんですよ。でもそのゲーム楽しそうかっていうと楽しそうじゃないですよね。結構ねあのえぐいゲームなんですよ。不幸せあの結局責任のなすり付け合いゲームなんでこの人間性の世界で行われていることはだからいつまでも悲劇が絶えない世界なんですよね。
18:22
それはそうだよねっていうことで根本原因は神からの分離感にあってその根っこを絶やさないとこの爆弾押し付け合いゲームは終わることは永遠にないんですよ。これが人間性のゲーム人間性の幻想宇宙の仕組みなんですね。
だからいくらその物理世界の上でいいことしようがなんかね平和になるように活動しようがそもそもの心の中の罪悪感恐れ神からの分離感っていうものを解体していかないと永遠に終わんないんですよっていうことを奇跡講座は言ってます。
なんかねすごいね後悔してますこれ全然15分じゃ終わんないですねというわけでいろいろもっとね許しとか精霊とかの話もどんどんあのしていきたいんですけど重要なキーワードなので奇跡講座の教えにおけるね重要な概念なんでちょっと外すわけにいかないなっていう感じなんですけどとりあえずはこんなところにしようかな。
全然あの試みにあの目標を満たす状態で挫折してしまった感じですいませんまああの雑なチャレンジにねあの挑戦しただけのねまあそのチャレンジ精神だけちょっと評価していただいてあの勘弁してほしいなっていう感じで今回はあの終わろうと思いますどうももう20分になっちゃうね。
お聞きくださりありがとうございましたはいあのなんかね奇跡講座全くわかんないけどなんとなく方向性はなんとなくわかったぜとか気配はつかめたぜとかなんかその心意気はまあ評価してやってもいいよくらいに思ってくれたらいいなと思いますはいでは長らくお付き合いいただきどうもありがとうございました。