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2024-09-24 17:04

【最終結論】結局、自分の捉え方次第


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1000冊以上の読書を経てヒーラーになった元霊感ゼロ人間です。「本質のスピリチュアルをわかりやすく」をメインテーマに、幸せのために役立つ情報を発信していきます。

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【プロフィール】

元ゲームオタク。
20代前半に新社会人として社会デビューするも、世の中の厳しさに圧倒されて人生を挫折。
その後、ゲームに費やしていた時間全てを読書に充て、
「なぜ自分の人生はこんなにも辛いのか?」
「どうしたら幸せに生きられるのか?」
といった人生の根本的疑問について本を読みながらひたすら考え続ける。
10年以上の読書の中で、自己啓発、成功哲学、心理学、科学、宗教、哲学などの分野を調べわたった末に、心から納得できる人生の答えをスピリチュアルに見出す。
現在ではシータヒーリングを学び、セッションを行いながら、幸福な人生の本質についての自らの知見をわかりやすく発信している。


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#スピリチュアル #人生哲学 #幸せになる方法 #本当の幸せ #人生はゲーム #ものの見方
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こんばんは、カズです。 今回は、結局自分の捉え方次第という、このテーマでお話ししていきたいと思います。
結局自分の捉え方次第。 一応、この僕のスピリチュアルラジオのチャンネルですけれども、
幸せを志向しているということなんですよね。どうやったら幸せになれるのかなっていう、そういうことを中心の軸として、
いろいろ発信しているチャンネルになるんですけども、そこで改めて聞きたい、考えていただきたいのがですね、どうやったら結局のところ、幸せになれると思いますかっていう、改めて、そう、どうやったら幸せになれると皆さん思いますか?
ということなんですよね。これね、普通に考えたらいろんな意見が出てきそうですよね。 例えば、街頭インタビューみたいな感じで、
街行く人に、どうやったら結局のところ幸せになる、どうやったら幸せになると思いますか?って聞いたら、いろんな意見が出てくると思います。
例えば、お金持ちになったらとかですね、宝くじ屋だったらとか、宝くじ屋だったら幸せになれそうだとかね、
あとは、理想のパートナーですよね、を見つけて、いい恋愛して結婚できたら幸せになれるとか、
あとは、仕事、ビジネスで成功したら、あと病気が治って健康体になったらとか、いろんな意見が出てきそうですよね。
で、そういう一般的な意見じゃないにしても、このチャンネルはスピリチュアルのチャンネルなので、ちょっとマニアックなことを言ったら、アセンションが起こったら幸せになれるとかね、
あとは、ネサラとかゲサラとかが起こって、今の社会構造が変わったら幸せになれるんじゃないかとか、
あとはですね、悟りを得て、覚醒体験をしたら、その時は本当に幸せになれるんじゃないかとか、
あとは、この人生終わって天国という場所に行けたら、その時は本当に幸せになれるんじゃないかとか、いろいろ考えられそうですよね。
そういったことまで含めて考えてみたら、いろんな意見がこのように出てくるかなと思うんですよ。
でもですね、なんですけど、ちょっとここで冷静に考えていただきたいのがですね、今言ったのって結局、全部自分の外側の環境についての話なんだっていうことが明らかになってくると思うんですよ。
全部自分の外側の環境についての話なんだっていうのはですね、スピリチュアルではよく目の前の人生の景色ですよね、人生の映像、目の前の現実っていうのは映画のスクリーンみたいなもんだよっていうのがよく言われると思います。
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現実っていうのは本当じゃなくてイリュージョンなんだっていう。イリュージョンっていうのは映画のスクリーンみたいなものなんだっていうことですね。
で、本当の自分というのはそのスクリーンの中にはいないみたいなことが言われたりしますよね。
で、さっき言った話、どうやったら幸せになれると思うかっていう質問を投げかけて、帰ってきたさっきの答え、お金持ちになったらとか、結婚できたらとか、成功したらとか、戦勝したらとか、覚醒体験したらとか、天国に行けたらとか、いろいろ挙げましたけど。
そういう話って結局はその映画のスクリーンの映像、その内容物についての話だっていうことが、なんかそういうことなんですよ。
実は結局、現実の要素、現実と呼ばれているものの映像の絵が変わるだけというか、その内容が変わってるだけ。
その内容についてあれこれの議論をしてるっていうことにちょっと気づいていただきたいなと思います。ここでね。
そうなんですよね。そうだと思うんですよね。
なんですけどね、ここで考えてみてほしいんですけど、実はですね、今の僕らってすでに環境的には人類史上ないほどめちゃくちゃ幸せな環境で暮らしたりしてるっていう、こういう事実があると思うんですよ。
というのは、めっちゃ暑い日でもエアコンの切れた涼しい部屋の中で快適に過ごすことができますよね。
エアコンって別に、今ね、現代日本だと別に特別なもんじゃなくて、結構一家に一台くらいもう行き渡ってるくらいなもんだと思うんですけど、
でも江戸時代とかね、ちょっと前の頃だったらもう考えられないじゃないですか。
どんなお金持ちも権力者もそんなことはできなかったわけで、でもそれが当たり前になってる。
あと、食事、食糧問題っていうのもすごく行き渡ってますよね、今。
食糧問題というか、もうそれ通り越して、過食が問題になって、メタボとか肥満が問題になってるくらいなんですけど、
1日3食食べれるっていうのはもう当たり前、全然できるし、それどころかですね、お菓子、ちょっと小腹空いたからとか、ちょっと甘い美味しいもの欲しいなと思ったら、
すぐそばのコンビニに行けば買って食べられるみたいなね、そんな環境が当たり前の現代にみんな住んでますよね。
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これがどんだけ歴史上を照らせばすごいことかっていうことをちょっと思い出していただきたいんですよね。
ここでちょっと例え場で出すんですけど、平安時代に藤原道長って人がいましたよね。
摂政政治とかして、もう栄華の絶頂を極めたみたいな貴族で、藤原道長って人がいたと思いますけど、この人が有名な歌を読んでますよね。
この世は我が世、とぞ思う、持続の欠けたることもなしと思えば。っていう有名な歌がありますよね、この人の。
欠けることないまんまるで完璧な満月のように、俺の人生も絶頂で完璧なんだみたいな、そういう意味の歌だと思うんですけど。
でもですね、考えてほしいのが、今の現代日本にこの平安時代の藤原道長さんを連れてきて、僕ら一般ピーポーの暮らしぶり、生活環境っていうのを見せたらですね、おそらくですけど、めっちゃくちゃ驚いて羨ましがると思うんですよ。
もう車でスイスイ移動できちゃうし、遠くまでね。あと新幹線とか飛行機で簡単に旅行、国内はもちろん海外だって旅行行けちゃうし、その気になればね。
あと日本にいながらにして、もう世界中の美味しい料理が飲食店に行けば食べられますし、あとさっきも言ったみたいにエアコンの効いた快適な部屋がいつでも365日すぐ用意できて、その快適空間の中で、例えばサブスクなんか使ってれば好きな映画をね、いつでも自由に楽しむ、贅沢もできちゃうし、みたいな。
こういうことって考えてると、もうありえないことなんですよね。この平安時代の藤原道長さんの視点からしたらですね、おそらくね、もうこういうのを見せたら絶対にいいなーみたいな、めっちゃ羨ましがると思うんですよね。
ということはですね、環境的には実は僕らすでにめちゃくちゃ恵まれすぎているほどに恵まれているんじゃないのっていうことなんですよ。こういう事実、これがガチなんだっていうことなんですよね。環境的にはめちゃくちゃ良くなってるんですよ。事実としてね。
だって、その今よりも全然不便だった平安時代の藤原道長さんがさっき言ったような、もうこれ以上ないほど俺の人生最高だっていう歌を作ってるっていう事実があるわけなんですよ。
だったら僕らだって別にね、環境的にさらにもうめちゃくちゃヒル犬にならないほどアップでされてるわけですから、生活環境的に言ったらね、虫とかもいないし、トイレだってめちゃくちゃ綺麗じゃないですか。お風呂だってね、すごいお湯炊いて清潔にできるし、そういったことを全部含めて考えたらですね、もうすごいグレードアップしてるわけなんですよ。平安時代と比べたらね。
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当たり前ですけど、だったら僕らだってその藤原道長さん以上にですね、自分自身の人生をもうめちゃくちゃエンジョイしてるぜみたいな歌を作ったって全然いいわけじゃないですか。なんか理屈で言ったらね。だから環境的には実はね、僕らはめちゃくちゃ恵まれてるわけなんですよ。実際のところ。
でも、思ったほどそこまで幸せを実感できていないっていうのが、今の実態なのかなと思うわけなんですよね。で、思ったほど幸せを感じられていないとしたら、それ何でなのかって言ったらば、その環境は、その原因はですね、環境のせいではないっていうことを言いたいんですよ。環境は良くなってるわけだから。
環境っていうのは、言い方変えたら映画のスクリーンの内容物の話ですね。人生の様相というかなんだろうな。映画のスクリーンの中の話です。だからその幸せを感じられていないとしたら、その幸せを感じられていない原因は環境のせいではないっていうことがここで明らかになってくるかなと思うんですよ。原因はもっと内的な部分ってことですね。
だからそれは捉え方にあったということなんですよね。結局だからそういうことなんですよね。最終的にはね。結構極論みたいな感じで考えてきましたけど、そういうふうに考えていくと、結局行き着く先はここなんですよ。捉え方次第。捉え方次第ってことですね。
だから半分コップを入った水を、まだ半分もあるって見るか、もう半分しかないって見るのか、結局そういうことなんですよね。だと思うんですよ。
だから結局のところどこまで自分の人生の状況、環境、映画のスクリーンの内容物、中身ですね。そういうものを、だから人生の様相ですよね。を変えてすごくいいものにしていったところで、最終的には捉え方、認知の仕方、これが大切なんだっていうことなんですよ。
もう最終的には本当にそれ次第なんだっていうことですね。自分の主観的な幸福感、幸せ感っていうものはもう最終的にはもう結局は本当にこの捉え方次第っていうここに左右されているっていう話です。
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だから自分自身のものの見方、捉え方を変えていかない限りは、たとえいくらお金持ちになったって、仕事やビジネスで大成功したって、アセンションが来たって、天国に行ったって、結局見え方が、人生の映像が変わってるだけなんですよ。
その環境、映像が変わっただけで、無条件で自分が幸せになることなんてないんですよ。だからそれは幻想なんですよね。
だってアセンションとか天国ってすごそうだけど、行ったって結局は映画のスクリーンの中の話なんですよ。
だからそういうものに依存しちゃダメで、結局はただの映画のスクリーンの映像が変わったに過ぎないんだから、だからそこじゃないんだっていう話なんですよね。
だから言いたいのは結局結論としてはこれなんですよね。感謝。感謝なんですよね。
だから結局これっていう感じになる、落ち着く感じがすごいと思うんですけど、今の状況どれだけありがたいなって感謝できるか、もう本当に結局これっていう感じですね。
今のちょっとね、哲学的思考で導き出されたその理屈で考えたら、もう本当にそういうこと、そういう論理的な季節になると思うんですよ。
だから結局見方次第でこの世界、だから人生の要素、人生という映画のスクリーンですけど、
見方次第でこの世界を不満足だらけの地獄に変えることもできるし、感謝だらけの天国に変えることだってできちゃうんですよ、簡単に。
見方次第、捉え方次第で。それは本当に自分でできることですよね。そのどう捉えるか、物事をどう捉えるかっていうのはね。
だとしたらやっぱり最終的に言いたいのは、その映画の中のスクリーンの映像、人生の要素、環境、目の前の現実、景色っていうものが変わってくれるのを待ってるんじゃなくて、
とっとと今すぐ先に幸せになりましょうっていうことなんですよ。捉え方、認識の仕方を変えて、今すぐ先に幸せになりましょう。
そう、今すぐここから目の前の映画のスクリーン、環境に対して感謝を始めましょうっていうことなんですよ。
だって結局はどこまで行っても、そのような物の見方、認知の仕方、捉え方っていうのが幸せの鍵を握っているっていうことだからなんですよね。
たとえアセンションしたって、天国へ行ったって、結局これだと思うんですよ。
これはちょっと、鶏が先か卵が先かみたいな話で、多分感謝ができるからアセンションできると思うんですけどね。
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これはちょっと脱線しちゃうんですけど、だから、スクリーンが、環境が変わってくれる、それに期待して、それが変わったおかげで、
結果的に幸せになるっていう、そういう構図じゃなくて、もう、まず、今、目の前のことに感謝して、先に幸せになっちゃいましょうよっていうことです。
だってそれはすぐにできるわけですから。
事実恵まれているんで、めちゃくちゃね。
だからアセンションが無いと、目の前の人たちに感謝してしまう。
幸せになっちゃいましょうよっていうことです
だってそれはすぐにできるわけですから
事実恵まれてるんでめちゃくちゃね
だからあとはそれに感謝するだけなんですよね
そしてこういうことは日々の意識
あの心のトレーニングですね
習慣とかそういうことで容易にできることです
誰だってできることです
これは本当にあの物事の捉え方認識の仕方っていうのは
誰でもできます
あの誰でもできますよね
たとえそのね
あの手足に障害を負って
なんか自由に動けないみたいな人も
どう捉えるかっていうのは
全然できることなので
だからみんなができることなんですよね
本当にだからこそ
人生は全て自分次第だっていうことなんですよ
はいっていうお話でした
はい結局自分の捉え方次第でした
最近ちょっとねこれを言いたいなと思って
今回はお話しさせていただきました
何か何か役に立つ
なんか響いた場所が少しでもあればね
あの良かったなと思います
それでは今回はここで失礼したいと思います
どうもお聞き下さりありがとうございました
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