もうすぐ参院選ですね。選挙盛り上げたいので、選挙の話をしました!
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サマリー
農村と自民党の結びつきは、日本の政治構造の重要な要素です。特に戦後の農地改革は農民の思想に影響を与え、その結果、かつて共産主義を支持していた農民たちが自民党を支持するようになった背景について考察しています。
農村と自民党の結びつき
こんばんは、CHIEです。さて、参院選が近づいてまいりました。
テレビやネットニュースなど、政治関連のニュースが多くなってきたかなと思います。
見てみると、日本は30年以上デフレなんですけど、それでもやっぱり自民党の勢力ってめちゃくちゃ強いですよね。
すごい、すごいよね。すげーよ。逆にここまで強いの。
自民党の最大の支持層ってどこかわかりますか?実は農村部なんです。
今の自民党の勢力を考える上で、農村と自民党の結びつきというのは、選挙を考える上で避けて通れません。
そこで今回は、現在の政治構造を形作った農村と自民党の歴史を掘り下げてみたいと思います。
いやー、本当に強いよね。私は農家でもあるんですけど、選挙近づくとよくね、ファックスもらうんですよね。
で、私たちの農協は自民党のなんとかさんを押すこととなりました、みたいな。だから支持よろしくお願いします、みたいな。
よくあるんです。で、今度参院選で自民党権のどこどこから立候補するらしいって言って、
応援する会みたいなのに借り出されるみたいな。っていう感じで、結構根深く支持を受けてますよね。
で、その農村の人が自民党を支持し始めたその出発点っていうのをちょっと今日は解説したいんですけど、それを語るには戦後まで遡らないといけません。
というのは、そもそも日本の農業が大きく転換したのは戦後なんです。
戦後、GHQの支配の下、占領政策の一環として農地改革というのが行われます。これは当時のGHQの目的としては、
規制自主制によって子作人たちが貧困となっているっていう分析をして、この規制自主制を解体しようということですね。
で、この規制自主制なんですけど、漢字で言うと規制は規制中の規制で、自主で制度の制なんですけど、子作人と自主がいて、自主が子作人を労働者みたいな感じで雇って働かせて農業やってるっていう体制のことですね。
で、農地改革によって工作者主義という考え方に変わっていったんですね。
工作者主義というのは、耕す人が農地を持つべきだという考え方です。耕す人というのは子作人のことですね。
子作人は土地を分け与えてもらい、地主そして農家、これを兼任する立場となっていきました。
この人たちのことを自作農って言うんですね。で、戦後はこういった自作農がめちゃくちゃ増えていきます。
自作農が増えていったということは、土地の量っていうのは有限ですから、それをいろんな人に振り分けるってことは、1個あたりの面積っていうのは逆に減っていったんですね。
それが農地改革の限界というか、デメリットみたいなところでもあるんですけど、そういったように工作者に土地を振り分けるっていう政策を戦後しました。
1946年から農地改革っていうのは行われていきました。で、この農地改革によって農村の人たちの政治思想っていうのがグラグラと揺らいでいくんですね。
戦前は、工作者である工作人たち、農民たちは土地持ってないですから、土地欲しいんですよとなると、どういった政治思想を支持するかといったら共産党です。
共産主義っていうのは、土地というのは人類の共通資源であるので、みんな平等に持つべきだという考え方になるんですね。
で、戦争を終えまして、この共産主義思想が爆発しそうな農村部を何とかせねばという思想もあったと思うんですよね。GHQの意向として。
共産主義のウイルスが日本にばらまかれないように、中国やソ連と対抗しなければならないので、何か手を打たねばとなったわけです。
そして戦後、規制自主制を解体することによって、農民たちは、せっかくいただいた土地、共産主義みたいな思想になると、またこの土地取られるぞと思うわけですね。
でなると、今まで共産主義的思想だった農民たちは、農地改革によって資本主義的思想、そして民主主義的思想に変わっていきます。
土地をもらったから、これ以上我々の土地を解体しないでくれっていう思想が増えて、農民っていうのはどんどん保守化していくんです。
戦前までは共産党支持、土地をもらったら自民党支持になっていたというこの流れは、冷戦ボナパルティズムって私は習いました。
ただ、これ探しても出なくて、なんか造語なのかな。
これね、実はこの思想の誘導っていうのは、フランス革命の時にも見られたことなんですね。
フランス革命って、ざっくり言うと、王政が惹かれてた、王が圧倒的な権力があったっていう状況から、フランス革命が起きて、共和制へ移行していくんですね。
でも、それも長く続かず、結局その後、帝政という形に戻ったっていう流れ。
で、フランス革命の時に起きたこの一連の流れ、マルクスはブリューメルの18日っていう書籍で、
どうして再びというか、王政から帝政だから、正確には再び同じ、全く同じではないんですけど、
ナポレオン1世から共和制になって、またナポレオン3世を一個なんですけど、それに権威が戻ったっていうことなんで、
どうしてまたその戻るっていう過程を経たのかっていうことを分析したんですね。
で、この時に一役買ったのが、さっき言ったようなボナパルティズム、農村でのボナパルティズムっていうことだったんですね。
改革を進めて、パリコミューンって言って、パリ市の自治政府ができていくんですけれども、農地改革をやったために、農民たちがいきなり革新派から保守派に変わっていったわけです。
で、なると土地をもらうまではパリコミューンの自治政府っていうのに賛同していたけど、
土地をもらったら、もう一回保守派してほしいって思うわけは、これはね、わがままですね。
で、もらったら訂正でいいよっていう発想になっていったと。
これはフランス革命の時にも見られて、日本でも同じようなことが見られました。
で、戦後、資本主義、そして民主主義へ農村の思想っていうのが流れていく。
55年体制と自民党
で、それに追い打ちをかけるように1955年、俗に言う55年体制というのが始まります。
これは、日本民主党と自由党が合同して、自民党が誕生したっていうのが55年体制なんですけど、そっからずっと自民党ですね。
で、この時に自民党何やったかっていうと、当時問題だったのが、米価の下落ですね。
米の価格がめちゃくちゃ下がってしまった。米作っても儲かんない。
そういったところに、減端政策で米の価格を上げましょうっていう政策をしました。
で、自民党というのは、さらに保守基盤を抱え込んで支持を増やしていったわけですね。
現在もその支持というのはずっとつながっています。
今も地方では、農協と自民党っていうのは結びつきが根強いです。
っていう感じで、なぜ自民党が地方で強いのかっていうのを考えてきましたが、もうさ、いいんじゃない?そろそろ。
とも思いますけどね。これは個人的意見ですけど。
もうさ、農政にさ、お金全然増えてないんだよ、今。
もういいって。自民党は農業を守る気ないって。他に行ってもいいんじゃない?と思いますけどね。
これ、行ったらいけないのかな?農家の立場で。
いや、気にせず言っていくけど。
ということで、来週は農政を今度はちゃんと見ていきたいなと思うんですね。
今日は歴史の話しました。
次は、いろんな政党が農業政策掲げてます。
農業政策で、これ略して農政って言いますが、それをちょっと政党比較みたいな形で次やりたいなと思いますね。
選挙近いんで、そういった配信もいいでしょう。
はい。ということで、また来週も政治チックで退屈なお話になるかなとも思いますが、私はあえてしたいんでね。
タブーしされそうなことも、雑談のように話すっていうところに意味あるかなとも思いますので、
来週も引き続きお付き合いのほどどうぞよろしくお願いします。
それでは、またね。
10:22
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