KANERIN HOUSE〜音声を記録するってことは特別な行為でしたよね。昔はね。あと映像を記録する行為も非常に特別な行為でした。今は違いますよね。
写真ですらそうですよね。そもそも写真なんてのができたのはすごい最近なんでね。それまでは絵でしたよね。絵に変えて何とか残そうとか。
文字化して残そうとかね。そういう試みがずっとなされてきたわけですけども。 まあテクノロジーの進化で写真が
写真というものが誰でもパシャパシャ撮れるようになり、それが動画にもなり音声にもなりっていうところで結構過渡期ですよね。
で、ポッドキャストなんてのが実はできたのは最近ではなくて20年前からあるんだよね。 20年前まではまあラジオは100年前からあるんだけども
基本リアルタイムで発している電波を受信してそれを音を鳴らすっていうそういう仕組みだったから。
まあタイムが同期していて当たり前だしライブで当たり前だったんだけども まあそれをポッドキャストって形でインターネットで
番組がいつでも聞けますよっていう状態になったのが20年前なんだよね。 当時iPodだったからね、そのiPodっていうちっちゃい媒体筐体の中に番組を入れて持ち運べるぜ
ってのが新しかったわけですわな。 でまあ10年15年ぐらいして
iPhoneというかスマートフォンができて いつでもどこでもコンピューターが持ち運べててネットに繋いで
インターネットのラジオ番組が聞けますと。それってもう体験としては ラジオ機持ち運んでるのの上位互換って感じですよね
でそうなってきましたっていう時に 誰でも発信できるんだけれどもかといって
誰もが発信してそれが何かなるかっていうと何もならない方が99.9%だよねっていう 話でさ
何を目的としてやるかってところは結構大事だよね とりあえずやってみる的なのはいいんだけど
何かなりたくて 何かなりたくてやってるのか
何も見えない景色突然変異を起こしたくてやってるのか 目的によるんですわな。で目的によってアプローチがだいぶ変わってくるんですよね
今で言うと ちょっと日本にもようやくポッドキャストブーム的なものが降りてきたじゃないですか
動画があるのになんで動画を捨てて音声だけで発信すんねんアホかいなっていうような そういう空気感だったけど
いやー結構音声だからこその良さってあるんだよねっていう話じゃないですか その時にねよくベンチマークするのがラジオ番組ですよね
なので素人に毛が生えた感じであれば ちょっとラジオ番組っぽいものを見せて作ったりしがちなんだけど
それはちょっとぐさくな気はするよね
表面上真似してもその中身には遠く及ばないぜ どれだけのプロフェッショナルがそこに関わっているのと思ってんのよっていう話でさ
であれば武器を生かさない手はないよね まあそんな話をポッドキャストわかんないっていう番組ではやったりしてるんだけども
ここ最近はもうやってることもお仕事も考えてることもすべてがポッドキャストなんでね 口を開けばポッドキャストの話になってしまいますし
日がな1日ずっとポッドキャストのことばっか考えてるしずっと人とポッドキャストの話をしてるんでね まあポッドキャストの話題にどうしてもなってしまいますわ
で自分の考えが正しいかどうかわからない あんまり一般では言われてないような考えを多分持っているんだけれども
まあそれを言語化したところでどれだけの人が共感してくれるかわかんないし理解してくれる のかわかんないんだしそれが正解じゃない確率の方が高いんだろうなとも思うんだけど
そこがなんかこう絶妙に 掛け合わせが起きているのが面白いんですよね
そのはるきさんという方もその記録をポッドキャストでやるっていう選択をし始めていって
なぜにポッドキャストっていうところでしょ youtube だってあるしボイシーでもスタイフレも何でもあるけど
ポッドキャストだってなってるんだよね 凄まじい感覚の鋭さだなぁって思ってますね
いけてますよね ポッドキャストですよ本当に
ああいい媒体あったなぁって今までなんで気づかなかったんだろうってちょっと反省を しておりますわ
ポッドキャスト 見落としてたな20年前からあったのかちくしょーって思ってますね
20年前ですよ ポッドキャスト20年間やれたんですよ
なぜやれなかった俺 なぜ俺はポッドキャスト20年前からやってない
うーん めちゃくちゃいろいろと思うところはありますね
ただまぁ 人間今が一番若いんでね思い立ったがきちいつですぐに始めるってまぁそんな感じの
スタイルですわ僕はずっとね 海外で専攻してますよね
まぁ何でも相談であれなんですけど日本で本当に流行りますかね とかって
みんな考えて鬼の足踏んでんだけど いや考えたってわかんねえからとりあえずそこにやったらいいんじゃねっていうのと
その中流行るから先行者利益取るために見たらそういう考えだけではなくてさ このポッドキャストってこの配信スタイルに非常に魅力を
感じるよね このバズりとかがないとかさ
よりその発信の中身にフォーカスして発信を楽しむことができるんじゃないかなって 思っていてそのマーケティング要素
どうしても必要になってくるじゃないですか 何か目的があって人にいっぱい聞いてほしいとかで sns で発信する場合はね
でも ポッドキャストってそのポッドキャストの媒体の中その rss の配信声の配信
っていうところで見ればやれることないじゃんほぼ 喋って終わりじゃないですか何もそんなハックも何もないんですよね
多少そのフォーマットがどうのこうのっていうハックの仕方でラジオ曲風に寄せるとか 冒頭で何かちょっとダージェストつけるとかなんかいろんなそういう子
技はあるけれども だからといってそれやったらめちゃめちゃバズるとかそういうことじゃないもんねかなり着実にゆっくり
父として片つむりのような成長曲線を描くそれがまあポッドキャストの しんどいところでもありでもそれがやっぱり自分あるところだよね
自分あるコンテンツが絶対その時間軸長い時間軸の中で僕たちのその人生の奇跡みたいな 形でこう
コンテンツを作っていける落ち着いたメディアですよね そこに僕はすごく魅力を感じているんです
そういう面で言えばそのボイシーやスタイフのもたらした声のブログのをつけるっていう そういう習慣
そういうプラットフォームがこのように誕生したっていうのはとても良いことなんだけど まあそれだけではまあ何事も起きませんでしたわなぁっていうところでございまして
やはり企画ですね 企画
ですなぁ そこに面白く差を感じますね個人の声のブログが主体の
その媒体は個人のスケール以上でも以下でもない
なのでパッケージを自分のその等身大以上でも以下でもないっていうことなんでポッドキャストって違いますからねその番組のパッケージをどのように設計するかから始まるんでそこに自分を入れてもいいし抜いてもいいし他の人を入れてもいいし抜いてもいいしっていうところなんでね
その辺に自由度の高さと科学変化の面白さを感じるという そのような感じでございますよね
ということでね最近
感覚を同じくしている人を見つけるとめっちゃ嬉しいですね めっちゃ嬉しいねうわぁここにもなんか気づいてる奴いるわーって感じで
なんで気づくどういう変遷でそこに気づいたってすげー気になるな その人の人生が気になるなぁ
いろいろ喋ってみたくなるよね喋んないと喋らずにさ 発信している情報だけ断片的にこうキャッチしてさ
アダコーダってこう勝手に想像する分には勝手なんだけどさだいたいその想像って間違ってるからさ 好き勝手想像して勝手に決めつけるじゃん
話してみたら全然違ったとか話してみたらああそうなのっていう面白い発見があったり するのかな最近ちょっとね
必ずしも僕は孤独が好きなわけではないということに気づき始めておりますね 面白い人たちは発見する装置として
やっぱりコバエホイホイ理論っていうのは僕はやっぱり揺るがないですね ポッドキャストコンテンツはコバエホイホイですよね
非常に例えが悪いって怒られてるんですけど今んとこそれ以上にしっくりくる例えがない からなくなく使っておりますけれどもね
自分の匂いを強烈に発するなんかいろんなコンテンツをそういうものを置いておくとさ そこにそこにこう来てくれるよね
僕がそのいろんな方の配信を聞いてうわぁこの人面白いってこう気づくように コバエホイホイだよな
コバエホイホイマーケットだよなポッドキャストって そんな感じですわ
よしそれじゃあ今日も頑張りましょう バイバイ